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帝国戦記 外伝 第16話 『心理戦 4』


戦争とは他の手段をもってする政治の継続に他ならない。

カール・フォン・クラウゼビッツ





1922年 10月4日 水曜日

ペトロスコイ基地にある飛行場の駐機所(エプロン)と言われるコンクリート舗装された乗員の乗降や兵装や貨物の積み下ろし、燃料補給と簡易な点検整備などを行う場所では多数の1式重爆撃機が駐機しており、日の出までまだ20分ほどあるだろう太陽が地平線に沈んでいる朝の7時にも関わらず整備科によって出撃に備えた地上試運転が始められていた。轟音があたりに響いていたので整備科の面々は携帯型サイズの小さな黒板に書いた文章を懐中電灯で照らして情報のやり取りを行っている。

これらの飛行機は第6航空軍への増援として帝国軍高雄航空隊と帝国軍千歳航空隊によって構成された74機からなる1式重爆撃機と、護衛機として27機の4式艦上汎用機「流星」 によって編成された第14航空戦隊の機体郡であった。日本本土では赤軍側への空爆作戦を強化するために新たに第15航空戦隊、第16航空戦隊、第17航空戦隊の編成が続けられており、準備が整った順に第6航空軍へと合流する計画が進められている。

増援によって駐留機体数が大きく増えてしまったペトロスコイ基地では、既に地下格納庫に機体が収まりきらなくなっており、機体収容を行うための急増の地上格納庫が建てられていた。基地拡張工事も同時に工兵隊によって進められているので将来の部隊拡大に備えた布石も十分だ。

整備科による点検を終えた機体には、エンジンから発せられる排気炎の輝きの中、牽引車を操る兵器科の人々によって10式汎用爆弾を爆弾槽や兵装架に手際よく搭載していく。兵装架に装着した10式汎用爆がしっかりと固定されているのかの確認を終えると次に信管の装着へと移った。信管内にある点火薬を着火可能の状態へと移行させる。爆弾槽の方も兵装架と同じように進めていく。作業進捗からして、あと90分程で第14航空戦隊の出撃準備は整うだろう。

第14航空戦隊を率いるのが横須賀航空隊戦隊の戦隊長から抜擢された大西瀧治郎(おおにし たきじろう)少佐である。史実に於いては1916年の頃から戦艦無用論を唱え、航空主兵論を訴えてきた人物であった。この世界では長門級戦艦が未曾有の活躍をしていたので戦艦無用論は掲げていない。それであっても航空機の将来性を信じている点は変わりなかったのだ。

出撃を前に大西少佐は基地にある大食堂で朝食を部下と共に取っていた。
大西少佐の周りには指揮官機に搭乗する面々が集まっている。

「ここに来る前に駐機所を覗いたが、
 爆撃隊の発進準備は何時見ても圧巻だな!」

大西少佐の言葉に対して副官も同様に応じる。
同時に100機単位の出撃ともなれば、なかなかお目にかかれない。

「飛行場に並んだ爆撃機の群れは壮観ですよね!  それだけでも絵にもなるし戦意高揚にも繋がると思います」

と応じた少女のような外見をした女性はイリナだった。彼女も広報事業部から軍属待遇として参加して彼らの環に加わっていたのだ。彼女は条約軍の取材として参加しており、同じように指揮官機に搭乗する。イリナは既に30代後半の筈だが、彼女の容姿は何処から見ても16歳位に見えてしまう。 近年に於いて世界中で帝国重工の準老化抑制化粧品を使い続けてきた者の容姿が変わらないケースが多数報告されていなければ、実年齢からかけ離れすぎているので偽者だと疑ってしまうだろう。ちなみに、モデルの中でも未だに結婚したいランキングの上位に名を連ねる人気者でもある。年齢を重ねようが、愛くるしい容姿と明るい性格をしており、しかも生物学的に若いままなら当然の結果といえるだろうか。

「同感です。
 そして、第14航空戦隊の初陣ですから腕がなります。
 これまでは爆撃訓練や飛行訓練ばかりでしたから」

「飛行訓練の割合のほうが多かったけどな」

彼等が言うのも当然だった。
第14航空戦隊の機体は海路で運ばれたものではない。

第14航空戦隊はペヴェク、コテリヌイ島、冬月諸島(セヴェルナヤ・ゼムリャ諸島)などの基地を中継して直接飛行してきたのだ。4式艦上汎用機「流星」と同じように1式重爆撃機も兵装架にドロップタンクを装備して航続距離を劇的に伸ばすことが可能だった。海路で運ばれるのは弾薬類を初めとした軍需物資である。帝国軍では操縦士(パイロット)になるためには長距離飛行の際には問題なく目的地に到達できる十分な技量が求められていたのだ。特に爆撃機のような大型機では、求められる基準はより一層厳しい。

つまり、4式艦上汎用機「流星」と1式重爆撃機は、航空輸送路によって本土からの部隊展開が可能になっていた。故に、海路とは比べ物にならない速さで前線に展開することが可能になっている。

そして大西少佐の面々の中にはフランス陸軍軍事航空隊からの観戦武官として、モーリス・ペルシェロン大尉が混じっていた。史実では技術者として第一次世界大戦に参加しており、また無線を使った飛行機の遠隔操作の先駆者でもあった。

彼はエンジニアでありながらも操縦者としても腕を鳴らし、無人航空機の研究者として書籍を出版していた人物でもある。32歳という精神と肉体が成熟した彼らしく、意欲に満ちた表情をしていた。それもそのはず、彼は日本機と触れることで本国の航空技術の発展させようと考えていたのだ。日本側もイギリス帝国に対する戦略的な意味合いもあって、新鋭機である1式重爆撃機の作戦行動にも関わらず観戦武官を受け入れていたのだ。

大西少佐は英仏留学の経験があるのでフランス語は問題なく、彼の副官も同様に留学経験もあってフランス語は話すことが出来ていたので、ペルシェロン大尉との意思疎通に関しては問題はない。もちろんイリナもフランス語はネイティブに話すことが出来る。

そして彼らが食べている朝食は、白米、味噌汁かパン(バター付き)、スープの選択献立だった。国防軍は自衛隊時代から続く、月曜日と水曜日はご飯かパンを選べる選択形式だったが、帝国軍もそれに倣っている。主菜は共通であり、大根と鶏肉てり煮、味付け昆布、パック式牛乳だった。平日の朝食なのでデザートはない。大西少佐とペルシェロン大尉はパン、カップスープを選び、他の面々が選んだのはほぼ半々といった割合だった。

朝食を見てペルシェロン大尉は驚く。

「わが軍の食事とは大違いですね」

「我が軍の食事事情が良くなったのは、
 1896年ぐらいからで、それ以前は酷かったと聞く」

大西少佐が言うように帝国軍の食事事情は1896年から始まった雪風級護衛艦の配備から大きく改善している。大西少佐は1912年に(史実では海軍兵学校卒業)旧陸軍士官学校と旧海軍大学校を統合した帝国軍士官学校を卒業していたが、座学の一環として帝国軍に於ける食事事情の変化を学んでいたので詳しい。この世界でも大西少佐は喧嘩と共に学業もすこぶる優秀だったのだ。

大西少佐の言葉にペルシェロン大尉は自軍との食事の格差に自然と小さな溜息が出てしまう。上級将校限定ならば話は違ったが、帝国軍では例外なく全員がこの水準となると巨大な問題に思えてくる。

「フランス軍も少しづつ改革していけばよいと思いますよ。
 まずは質の良い缶詰を導入するだけでもかなり変わりますし」

「そうですね」

イリナの言葉にペルシェロン大尉は同意するも、質の良い缶詰を大量導入するだけでも大事業と思ってしまう。

食材の調達は問題ないにしても、日本側が使っている質の良い缶詰の代名詞ともいえる二重巻締型缶詰は帝国重工の特許であり、帝国重工が生産している熱可塑性樹脂(ポリプロピレン)系によるシーリングコンパウンド素材を用いた缶詰を生産する技術は持ち合わせていない。精々、実現できるのは液状ゴムによる二重巻締が限界だった。安くて普通ならば、まだ良かっただろうが、日本側の缶詰と比べると値段は高くて凡庸である。要約すると割に合わないというべきだろうか。

自分が技術将校ではなく、
補給将校の観戦武官として来ていたらと思うと…
現実的な改善方法が見当たらず頭を悩ましていたであろうと考えさせられていた。

結論としては膨大な開発費用と設備投資が必要なので、短期的に見えれば日本側から缶詰を買ったほうが早いだろう。現時点での開発はリスクばかり目立ってしまうのだ。そのように考えてしまうのは、ペルシェロン大尉が悲観主義だったわけではない。開国当時はフランス側の技術力が圧倒的に勝っていたが、条約間戦争を経て今では日本の後塵を拝するばかりだ。1884年(明治17年)には防護巡洋艦「畝傍」をフランスの地中海鉄工造船所のル・アーヴル造船所に発注していた日本帝国から見ると、半世紀にも満たない短い期間で覆った現状は、筆舌に尽くしがたいものがある。

防護巡洋艦を作ることすら出来なかった国が短期間で船舶、航空機、車両の生産を始めるどころか、それらが列強諸国のものと比べて平均を大きく上回る高性能機材ともなれば、努力や偶然を超越した奇跡のような発展と言えるだろう。

ペルシェロン大尉は補給将校寄りの思考を止めて、
食事を楽しむ方向へと切り替えた。

素直に味に感心しつつ思う。

焼き立てと思えるような柔らかく適度な水分を含んだパン。濃厚でありながらもしつこくないコンソメベースのスープ。鶏肉の旨味を大根にしっかりと染みこんだ甘辛味で食欲が促進される大根と鶏肉てり煮。慣れない味だが、独特のコクがある味付け昆布、新鮮な味わいが保たれたパック式牛乳。どれもが戦地で食べられるものではない。1隻の大型戦艦や、100機の爆撃機よりも友軍の士気を高めるだろう、安定した高い水準の食事がただただ凄い。体への栄養価だけではなく精神に対しても良い影響を及ぼすのは確実と言えるほど美味な食事だ。

「そうそう、ペルシェロン大尉は何を主目的に観戦するのでしょうか?」

「実のところ爆撃機よりも無線技術に興味があります」

イリナの質問にペルシェロン大尉は素直に応じる。もっとも、ペルシェロン大尉は史実と同じようにこの世界でも無人航空機の可能性を示した書物を執筆していたので、知る人ぞ知る無人航空機に於ける先駆者だったのだ。何に興味を持っているかは大きく絞ることが出来るだろう。無論、無人航空機以外にも自動車などの書物を執筆していたので技術全般に対しての造詣が深い。

朝食が進むにつれて話題の内容はその都度変わっていった。

食事を終えると第14航空戦隊に所属している人々は足早に作戦会議へと向かっていく。大西少佐が出撃を前に作戦会議に部下を集めてブリーフィングを行うので、それに参加するためだ。

全員が揃ったのを確認すると大西少佐は厳重に閉じられている封緘命令書を開封して作戦目標を提示した。

「本作戦の爆撃目標はエンゲルス基地である」

第14航空戦隊の攻撃目標として選ばれたのは、東ヨーロッパ平原の北東部に位置するチェレポベツ県にあるエンゲルス基地だった。チェレポベツ県はルイビンスク湖に面した土地で、1362年にボスクレセンスキー修道院が創設された古くから地域の交易の中心地として栄えている場所である。その重要度は赤化しても変わらなかった。

「エンゲルス基地はイギリスによる大きな梃入れが行われているとの情報だ。
 激しい迎撃が予想されるので注意されたし。
 また、本作戦には周辺基地から2個中隊の戦闘機隊が護衛として参加する」

護衛機の増加に爆撃隊の面々は安堵の表情を浮かべるものが多い。いくら高速かつ重装甲な爆撃機とはいえ、敵戦闘機に襲われるのは避けたいものだ。

そして、攻撃目標になったエンゲルス基地は、ペトロスコイ基地から南東465kmの位置している。日本側の航空隊が有する航続距離からすれば近距離と言ってよかったが、赤軍やイギリス側からすれば、エンゲルス基地は前線基地ではなく後方で集結・訓練を行う休息基地だったのだ。ここを叩けば航空兵力の再編成は更に後方に下がざるを得ない。そういった事情もあって、エンゲルス基地には戦力強化を円滑に行えるようにイギリス帝国側の支援を受けて急速な基地拡張が始められていた。

故に条約軍からすれば放置していてはせっかく奪い取った航空優勢に陰りが出てしまうかもしれない。条約軍の航空兵力の中核を担う帝国軍はそう強く思っていた。このような事情から、条約軍が基地機能が拡大する前に叩き潰そうと考えたのは当然の流れと言えるだろう。

会議室に伝令が入室してくると、
伝令は真っ直ぐ大西少佐へと歩み寄って電文綴を手渡す。
電文綴を受け取った大西少佐は、
やや不快そうな表情を浮かべながら口を開く。

「確定的な情報だ。
 目標にイギリス軍の増援部隊が展開しているらしい。
 それでも作戦は予定通り決行する」

第14航空戦隊の面々には不安はあっても作戦に対する不服はない。敵側の部隊名は不明だが、要衝に送られる部隊だけに油断は出来ないと全員が気を引き締め始めた。存外の2個中隊の戦闘機隊による増援が彼らの士気に大きな助けになっていたのだ。
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【あとがき】
少し更新に間が空いて申し訳ないです。
テレワークになって残業し放題という悪循環によって、なかなか大変なことに(汗

そして、エンゲルス基地にはイギリス帝国から欧州大戦で活躍していたチャールズ・ヒューバート・ブラント准将率いる精鋭の第4飛行隊が居たりします。

(2020年07月11日)
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