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帝国戦記 外伝 第09話 『緊急展開 後編』


1922年 09月01日 金曜日

北欧軍の機動戦による時間稼ぎによって赤軍の進撃は8月10日には完全に停滞していた。赤軍は突破を図ろうにも、補給が滞っており本来の力を出し切ることが出来ない。それどころか、北欧軍の増援部隊として送り込まれた八握剣を部隊章に掲げる国防軍第8師団によってサントペテルブルクを結ぶ全ての連絡線が完全に遮断となる。連絡線の回復を図るために増援部隊を送ろうにもニーオルスン基地からフィンランド湾に急派された戦艦「長門」の艦砲射撃によって碌な結果を出せていない。

  むしろ結果を出すどころか、
接近するだけでも大きな犠牲を伴うものになっていた。

またラドガ湖を用いた水上連絡も危険が大きい。ネヴァ川を通じて帝国軍所属の鵜来級海防艦がフィンランド湾から進出を果たしており、湖に浮かぶ輸送船や連絡船を片っ端から襲撃対象としていたので成果よりも危険ばかりが伴っている。

イギリス帝国としてもサントペテルブルク失陥は見逃せない。ソ連を援護するにしても輸送船団を用いてサントペテルブルクから物資を運び込めなければコストが激増してしまう。それに日本帝国の弱体化を目論むイギリス帝国の戦略もあって、ソ連の戦線に日本を釘付けする必要があったのでソ連への援護は必要だった。

列強の中で戦略というものをよく理解しているイギリス帝国は迅速に動く。

動くとはいっても陸上戦力の大規模派兵は直轄植民地軍であっても戦略及び政治的に難しいので、支援の内容は目障りな戦艦「長門」を撃破することに注力していた。戦力の展開が容易だったことに加えて、日本戦艦を撃沈した際の政治的な得点が大きいのも理由だ。そして長門に対しては勝てる目算もあった。先の海戦の結果と現地及び諜報機関からの情報から長門は"最低限の修理で済ませた"状態で展開しており、要約すれば手負いの艦艇である。積極的な攻撃を行えば撃沈することも難しくない相手であり、リスクを冒す価値は十分あると判断していたのだ。

先日の海戦と同じようにスターディー中将が率いる義勇イギリス艦隊が、東西約400kmの細長いフィンランド湾に展開する日本艦隊に向けて洋上を進んでいた。時刻は14時、厚い雲が多かったが航空偵察が行えないほどではない。

日本艦隊に向かう義勇イギリス艦隊は3つの戦隊から成り立ってた。スターディー中将率いる戦艦4隻「マールバラ」「デリー」「ロイヤル・ジョージ」「オーダシャス」、駆逐艦13隻からなる主力部隊。二つ目はイギリス艦隊航空隊のパイオニアともいえるチャールズ・サムソン大佐率いる空母2隻「イーグル」「ヴィンディクティヴ」、駆逐艦4隻からなる空母部隊。サムソン大佐は史実と異なって航空母艦隻数の増大に伴って空軍への移籍は行われていない。三つ目はパーシー・アディソン少将率いる巡洋戦艦「オーストラリア」、軽巡「シドニー」、駆逐艦4隻からなるオーストラリア艦隊である。

オーストラリア海軍といっても、この時代では大型艦艇になるほど仕官の多くはイギリス海軍の人員が担っていた。このオーストラリア艦隊を指揮するパーシー・アディソン少将もイギリス海軍の軍人で、欧州大戦時にはドーバ海峡でE級潜水艦のE52を指揮してドイツ帝国のUC II型潜水艦のUC-63を撃沈していた異色ともいえる経歴の持ち主だ。史実では1924年にオーストラリア艦隊司令に着任していたが、この世界では2年ほど早くなっている。

戦艦オーストラリアの昼戦艦橋にアディソン少将が双眼鏡を用いて日本艦隊が展開すると思われる先の洋上に向けて目を凝らしていた。先を航行する艦隊旗艦を務める戦艦マールバラから灯火信号が発せられる。

「旗艦より発光信号、
 単縦陣及び通信管制を維持」

艦内各要所の連絡に用いる伝声管から見張員の声が流れた。
アディソン少将は双眼鏡から視線を外して艦長に命令を下す。

「了解、旗艦に応答信号を伝達」

戦艦オーストラリアの艦長を務めるウィリアム・パクハム大佐が応じた。パクハム大佐もイギリス海軍に所属している。パクハム大佐の反ロシア人感情は有名だったが、軍人として作戦には私情を挟んでいない。歴史の偶然か史実と異なって彼は軍事オブザーバーとして日本に着任していないにもかかわらず、かつての世界と同じように、この世界でも東郷平八郎との交流は日英間の対立が大きくなる昨年まで行われていた。

「イーグルより発光信号、
 上空警戒を開始するとの事です」

「うむ」

見張員の言葉にアディソン少将が最後列を航行していた空母部隊に双眼鏡を向ける。空母イーグルから戦闘機の発艦が始まっていた。サムソン大佐が手塩に育ててきた戦闘機隊だけあって、教官クラスの技量をもったパイロットが多く、発艦事故やトラブルは全く発生していない。

2隻の空母には敵偵察機と観測機を阻止するためのソッピース キャメル戦闘機と偵察用のR-1ブラックバーン偵察機で占められていた。対艦攻撃力を犠牲にした編成を行っていたのは防空・偵察の優先という戦術側の要望ではなく、先日の海戦で発生した雷撃機の大量喪失に伴い補充が追いつかなかった苦肉の策だったのだ。空母部隊の任務は偵察と艦隊上空警護のみに専念できるので、この戦場では良いほうに作用していたのが皮肉といえるだろう。

そして、航空機による対艦攻撃はイギリス空軍の第4飛行隊が艦隊攻撃に先んじて行っている。イギリス空軍は先日の被害から立ち直っているとは言いがたく、戦力補充としてイギリス本土のフェリックストウ基地に展開していた第4飛行隊を本作戦の為に呼び寄せている。やがて空母部隊が艦隊から離れていく。砲戦が迫っているので計画的な退避だ。艦隊警戒の外縁から艦載機を用いて援護するのが空母部隊の役目である。

「ここまでは順調だな」

「サー。これまでの報告を総合しますと、
 第4飛行隊は魚雷1、爆弾3を長門に当てています。
 先日の海戦よりは少ない戦果ですが確実に速度は低下しているでしょう」

「油断は出来ないが、
 一歩リードしたのは大きい」

アディソン少将はパクハム大佐の言葉に同意した。脅威の大型戦艦とはいえ先日の海戦の傷が癒えていない状態に、今回の攻撃による速度低下は致命的な損害と判断して良いだろう。主砲の有効射程内に捕捉さえ出来れば撃沈は確実だと思える。

「通信参謀、
 偵察機からの新たな情報はまだか」

「まだありません」

欧州大戦で潜水艦作戦を経験しているアディソン少将だけに、自らの目で確認するまで油断は一切していなかった。潜水艦畑出身だけに情報の重要性は強く認識している。本来ならば敵艦隊に対して継続した航空偵察を行いたいと思っていたが、日本側の戦闘機の活動が活発で長時間の接触は危険が多すぎたのだ。第4飛行隊も日本艦隊と接触するまでに7機の偵察機を失い、義勇イギリス艦隊も通信が途絶えた偵察機は4機に達していた。

(攻撃に参加した航空隊は未だ全機未帰還…か
 日本側の戦闘機はよほど優秀とみえる)

アディソン少将の独白は空母イーグルで航空隊の指揮を執るサムソン大佐も同じ思いだった。攻撃成功後に日本機から追撃された報告が続き、それ以後の連絡が途絶えている。基地に帰還した機体は皆無だった。第4飛行隊は洋上飛行訓練を受けていた飛行隊だったので方位を失って遭難したとは考えづらい。帰投中と思いたいが、全機撃墜されたと考えるのが妥当だった。

「偵察機からの無線を受信!」

「読め」

イギリス海軍は先の海戦での索敵不備を教訓として索敵機として、状態の良い無線機を搭載したR-1ブラックバーン偵察機を2隻の空母で合計13機持ち込んでおり、そのうち8機を日本艦隊捕捉の為に展開していた。この時期の空母偵察戦力としては破格の数だろうが、戦闘での消耗を考慮した結果の数である。現に、今朝からの偵察で5機の偵察機を失っていたのだ。消耗率としてはかなり高い。 

「敵艦隊発見、戦艦1、重巡1、軽巡2、
 北緯60度16分、東経27度25分、約10ノットで西進中」

イギリスを始めとした諸外国は日本側の雪風級を駆逐艦としては巨大でかつ高性能な艦艇から軽巡洋艦、そして巡洋艦としては出鱈目な性能を有する葛城級は重巡洋艦として識別するようになっていた。そして葛城級は並みの戦艦よりも高性能にも関わらず戦艦よりも小さい事実をイギリス海軍では脅威として捉えるだけではなく機会としても判断し、大型巡洋艦の建造予算獲得の目論見もあって重巡洋艦として定義していたのだ。下手に戦艦として認定してしまうと安価で低性能な小型戦艦の量産になりかねない危惧もあった。ざっくばらんな表現を行うと"大人の事情"である。

「予想より近い」

フィンランド湾に浮かぶゴーグランド島から東北東に18km航行している。フィンランド領の島だが主要な軍事施設な存在しない。

(修理に戻る、或いは我々の迎撃か?
 いや、我々位置はまだ知られていない。
 迎撃は除外だ。
 となると修理を行うための帰投か)

アディソン少将は海図に視線を移す。
艦隊速度を計算し、会敵予想時間を算出した。自分たちの艦隊から40kmも離れていない。ニーオルスン基地に向かうならば航路予想も容易になる。巡航速度から大幅に低下しちるのは、十中八九の隔離で損傷が原因だと思われた。時間が経過するも荒ナタ情報が入ってこない。

「偵察機からの追加情報はあるか?」

「ありません」

通信参謀が即答する。アディソン少将は状況から接触していた偵察機は既に撃墜されていると判断した。これまでの戦訓から日本軍への偵察は異常な危険が伴う事が判っていたが、いざ消耗を体験すると薄ら寒いものが感じられる。日本軍、特に日本艦隊との戦いでは受ける消耗が大きすぎるのだ。航空隊では熟練パイロットであっても新兵のように落されていく。艦艇も然り。

「あと10分ほどで会敵予想地点です」

「旗艦より信号、
 変針方向45度、全艦戦闘配置、右砲戦用意」

  「了解、
 旗艦に応答信号を伝達」

「水雷戦隊、増速中、先行します」

4隻の駆逐艦からなる駆逐隊が2組に嚮導駆逐艦が加わり水雷戦隊として先行を始めた。嚮導駆逐艦はヤーロウM級駆逐艦「マウンセイ」である。ヤーロウM級駆逐艦は平均35ノットの速度だが、このマウンセイは造波抵抗の低減化改造を施したタイプで、39.01ノットの速度に達していた。マウンセイは日本艦隊を上回る速度から活躍が期待されていた存在だ。

水雷戦隊が先行を始めて直ぐに変化が発生する。

「旗艦より信号、
 針路方向35度にて砲光らしきもの見ゆ、
 注意されたし」

「そのような遠距離で砲光を確認だと?
 雷の誤認ではないのか?」

アディソン少将が双眼鏡で目を凝らすと確かに連続した砲光にも見えるような微かな発光が水平線の向こう側で連続して発生しているのを辛うじて見ることが出来た。日本艦隊を捕捉した方向だが、此方よりも先行した水雷戦隊を狙う攻撃であったとしても距離が離れすぎている。判断に迷う情報だった。

砲撃と思って急行したら洋上で発生した雷という例もある。アディソン少将がそのように思ったのは、そのような距離から砲撃しても散布界と公算誤差から命中は望めないし、艦橋から見る限り水平線に艦影どころかマストの先端部分すら見えない。測距儀で捕捉しても命中精度が低いのに、捕捉すらしていなければ命中はありえないだろう。此方よりも先行した水雷戦隊を狙う攻撃であったとしても距離が離れすぎている。

「見張員からもマスト確認の報告はありません」

アディソン少将は突如として嫌な予感に見舞われる。理屈では説明は出来ないが、まるで探知していなかった敵潜水艦からの魚雷攻撃を受けたときのような感覚に近い。嫌な予感が増すばかり。

(あの距離からの砲撃だとするならば、
 弾着まで90秒ぐらいか?
 ここは最悪に備えるか)

「機関全力即時待機!」

「アイサ・サー、26ノット、即時全力待機!!」

旗艦から命令を待たずにアディソン少将は判断を下す。同様の危惧を抱いていた熟練の艦長であるパクハム大佐は即座に命令を受け入れて機関室へ命令を下した。この時代のタービン機関では最大速力となると巡航時と比べて燃料消費が倍ほど高くなるので、石炭・重油混焼缶のなかで使わない分の缶は動かさない。普段なら航行中であっても20分ほどの時間が必要だったが、義勇イギリス艦隊は既に戦闘海域に入っていたので使用していない缶も即応稼動が行える様態を維持していたので、このような急な対応が可能だった。また、インディファティガブル級戦艦の最大速力は25ノットだが、このオーストラリアは状態が良いときならば26.89ノットの速度発揮が可能だ。

被弾に備えて隔壁の閉鎖が始まる。
欧州大戦を経験してだけあって戦闘に向けた準備に無駄が無い。

「観測を密にしろ!」

アディソン少将がそういった矢先に戦艦隊から5kmほど先行していた水雷戦隊の嚮導駆逐艦として航行していた駆逐艦マウンセイを囲むように127o及び155o砲弾の着弾と思われる水柱が複数発生した。水柱 は固まらずに碁盤上のような感じで間隔が空いたものだ。イギリス海軍が受けた攻撃方法は、砲撃区画を設定して、その区画内の目標に対して高い命中を叩き出す戦車戦におけるパック・フロント戦術を艦隊戦に応用した砲撃だった。直接視認せずとも状況からして日本艦隊からの攻撃と断定が出来る。

「敵艦隊からの攻撃です!」

再び水平線の向こう側で連続した砲光にも見えるような微かな発光が発生した。誰もが砲撃と理解する。再び駆逐艦マウンセイを囲むように幾つもの水柱が発生し、数瞬後に弾薬庫か魚雷に命中したと思える爆発が発生した。

「マウンセイ爆沈!」

見張員からの絶叫に近い報告が伝声管から響く。超長距離砲撃にも関わらず弾着を観測して緒原を下に偏差修正を行うどころか初弾からの夾叉を叩き出す驚異的な命中精度に全員が驚く。

「主砲ではないのに何故届く!
 そして何故当たる!!」

砲術参謀があまりの出来事に叫ぶ。

軍事技術に於ける一般的な水準を知っている彼らだけに、異常な事態に驚くのは当然の反応だった。イギリスのみならず如何なる諸外国は知らなかったが、例えば日本側の最新鋭両用砲である14式127o64口径単装速射砲は毎分42発で砲弾の初速は1051.6m/sという猛速に達しており、有効射程は通常弾ですらも37kmに達している。その他の両用砲もそれに匹敵する射程を有していた。

(昼間にも関わらずこの距離から見える砲光は大口径のもの。
 だが飛来したのは小口径の砲弾だ。
 となれば特殊な炸薬を使っているとしか考えられない。
 しかし、この命中精度はどうなっている?)

アディソン少将は日本側の観測機の存在を疑うが直ぐに否定する。効果的な射弾観測を行うには艦隊上空を低空飛行しなければならない。そのような低高度で観測機を飛ばせば、見張員に発見されるか上空警戒に就いている戦闘機隊が動いているはずだ。可能性としてアディソン少将は何らかの新兵器かと思うも、今はそれを論じるときではないと戦闘にむけて思考を集中する。

「旗艦より無電、
 無線封鎖解除、距離不明、右砲戦準備!」

「無線封鎖解除、距離不明目標、右砲戦準備!」

パクハム大佐の命令で戦艦オーストラリアが主砲として備える4基の45口径305mm連装砲が右舷に向けて旋回を始めた。他の戦艦群も同様に砲撃に備えて準備を進めていく。各戦艦の主砲の旋回途中でマウンセイの後方を航行していたマッチリスの周囲に水柱が発生していった。先日の海戦と異なり、日英の艦隊が本格的に砲火を交えようとしていた。
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【あとがき】
イギリス側による緊急展開のお話でした。

(2017年05月14日)
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