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帝国戦記 外伝 第07話 『緊急展開 前編』


1922年 07月28日 金曜日

赤軍の攻勢から5時間が経過した頃、ソ連は遅ればせながらイギリス帝国への連絡を行っていた。赤軍からの攻勢ではなく、日本側からの攻撃に対する逆襲としての態勢としてだが。むろん、遠く離れた日本側もソ連側の狙いをセキ・システム(全世界通信傍受・中継システム)、戦略偵察による敵部隊の配置、偵察隊からの報告を合わせて大まかに掴んでいた。

その対策として時差の関係から、早朝だったが緊急会議が統合軍令部本部庁舎の一室で開かれている。会議の参加者は統合軍令部議長の加藤友三郎(かとう ともさぶろう)大将、国防軍と帝国重工総帥を務める高野栄治(たかの えいじ)大将、内務大臣を務める後藤新平(ごとう しんぺい)、枢密院議長であり最高意思決定機関の上位に連なる山縣有朋(やまがた ありとも)、北欧条約機構軍の総司令官として北欧条約機構本部地下の作戦司令部からモニター越しで秋山好古(あきやま よしふる)大将、会議進行役の高野さゆりの合計6人が参加していた。会議の議長は加藤大将である。

「早速ですが北欧の現状を説明させて頂きます」

さゆりが端末を操作すると各人が持つ15式端末と室内のメインモニターに情報が転送される。各地で集められた北欧に関連する情報が表示されていく。情報の中には直前に入手した最新のものも含まれている。

「ソ連側民兵の過剰ともいえる闘争心の原因が判りました」

「どのとうなものだ?」

「調査の結果ですが、
 彼らの血液及び所持していた食料には、
 メタンフェタミン系を含む薬物反応が異常ともいえる量が検出されました」

国防軍は赤軍側の異様な攻勢の原動力を探るべく、特殊作戦群を用いて情報収集を行っていた。すなわち分隊規模の敵部隊を撃破して装備品を入手している。血液に関しては優れた分析技術があれば鮮度は問わず、銃撃の際に発生したものを採取して分析を行っていた。

メタンフェタミンとは間接型アドレナリン受容体刺激薬にメチル基を窒素原子上に置換して作り上げた有機化合物だ。1893年に日本帝国の日本の近代薬学の開祖として名高い長井長義(ながい ながよし)が合成し、薬学博士の緒方章(おがた あきら)によって結晶化に成功していた。日本国内ではメタンフェタミンの過敏症状などの日常や社会での生活に支障が出てしまう副作用から医療・研究用途を除いて製造及び使用が禁止されていたが、米・英・独・ソの軍部では史実と同じように航空機のパイロットや潜水艦の搭乗員を始めとして疲労回復や士気高揚の目的で用いられ始めていた。

「メタンフェタミン?
 ああ、あの興奮作用のある危険薬物のあれか…
 多量に常用している敵兵は厄介だな」

  危険性を知っている山縣がため息ながらに言う。
秋山大将には会議前に通達済みだったので驚く様子は見せなかったが、 メタンフェタミンを問わず、興奮作用のある薬物の依存に陥った人物を捕らえるのは厄介だ。捕虜となれば更に厄介だった。凶暴化して獣のような相手は敵としては最悪に近い存在だろう。

「ソ連はそのような愚かな事を自国民で行ったのか?」

「幸いにもそこまで自暴自棄になっていないようですね。
 戦地の情報から推測するに、
 大多数を中国大陸から獲た人員を用いているようです」

加藤大将の言葉にさゆりは素早く応じた。
現在の中国大陸から人員を募るのは簡単だったのだ。

安徽派、奉天派、直隷派、山西派、西北派の間では史実の奉直戦争を超える規模の内戦状態である。各地で広がる紛争によって国内経済が崩壊の一途を辿っており膨大な労働力を活かせる状態ではなかった。加えて治安の悪化と経済の疲弊に応じて国内難民が大量に発生し、食糧不足や戦禍から逃れるためにソ連側に逃げ込んだ者や、騙されてソ連領に連れて来られた者が多数存在している。

各軍閥が貿易によって富を得ようにも、
上海条約がそれを阻んでいた。

イギリス帝国を始めとした中国大陸に利権を有する国々は、「軍閥であっても清国から派生した組織である以上、上海条約の適応は厳格に行われる」と宣言していた。上海条約は欧州各国のみならずチベットのような国々も加盟している。イギリス帝国が中国大陸を囲うような条約を作り上げたのは第二の日本帝国の発生阻止が目的だったので徹底的な管理を心がけていた。なにより、アヘンを大々的に売却することで利益を得ていた歴史がある。好意的な目で見られているとは思えない。報復を考えれば中国大陸の混乱と弱体化は、将来の敵国となる危険の回避として有益だったのだ。

ただし各軍閥側が自由に貿易を行えたとしても、その先にはより大きな困難が待ち受けていた。必死の努力で整備を進めていた各地の軽工業は内戦に於いて対抗勢力に狙われた結果によって軒並み壊滅状態に陥っており無事な場所は無かったのだ。それを抜きにしても採掘した資源もイギリス帝国によって買い叩かれ、欧米で需要があった開発を進めていた絹糸や綿花による繊維産業は日本側の帝国重工や帝国人造絹糸が生産を始めた安価で丈夫な化学繊維によって暴落しており軍閥側による市場参入は絶望的である。ドイツ帝国のベンベルグ社が開発するはずだったキュプラも、帝国重工が先んじて開発して特許を抑えており、化学繊維の開発販売は日本側の寡占状態と化しつつあった。

イギリス帝国を始めとした欧州各国に奪われて行く中国大陸であったが、皮肉にも残るものはある。武器購入による負債と内戦による農地及び環境の破壊は次代に残る規模に達しつつあったのだ。

「かなりの無茶だな…
 だが確かに今の中国大陸なら人員募集も容易だろうな」

後藤内務大臣が全てを察した。

中国大陸から難民として逃げ出す人々の本心としては日本圏に脱出したかったが、それは上海から泳いで沖縄に行く位に難しい。上海条約に基づいて中国大陸を経由して日本圏に向かう船舶の往来は徹底的に管理されていた。届出無しの船舶はイギリス帝国を始めとした条約批准国の艦艇によって撃沈される場合もあったし、密航しようにも各国軍の厳しい臨検が行われている。奇跡が頻発して包囲網を抜けて日本圏に逃げ切っても日本側の対応は国際条約である上海条約に基づいて撃沈か強制送還しか道はなかった。

例え上海条約が無かったとしても、
日本帝国に於いて施行された移住制限法があるので、
日本国籍取得は非常に難しいものになっている。

また東南アジアのメコン川に通じる瀾滄江にはイギリス帝国の砲艦が展開しており、陸路では交通制限の為に橋すらも一部を残して爆破を行う徹底振りだ。海路・陸路を問わず資格を保有していない者の越境は捕まれば敵国の工作員扱いなので難民は上海条約に加盟していないソ連側に逃げるしかなかったのだ。ソ連側に逃がす非合法の組織も数多く生まれていた。絶望の中では僅かな希望も大きな光に見えてしまうだろう。ソ連側の人員確保策は人間の心理を突いており、皮肉な表現をすれば需要と供給が成り立っていた。

(出力を抑えているとはいえ非認性ストレス兵器が効き難い現状からして、
 投与されている量は尋常ではなさそうですね)

国防軍は今回の赤軍攻勢に対して怪しまれない範囲で足止め効果を狙って非認性ストレス兵器を使用していたが、その効果は芳しいものではない。出力を強めれば止められるだろう。しかしそれでは未知の兵器の使用が疑われしまう。イギリス帝国によって原因不明から新種の化学兵器の使用と決め付けられては面倒なことになる。欧州大戦で使われた化学兵器は相応の悪名を轟かせており、安易に使っては国威の悪い影響を及ぼしてしまう。

高野はソ連側の異常ともいえる手段に危機感を覚える。
それは他の面々も同様だった。
常識では測れない手段を講じる敵は手強い。

「辛うじて撃退していますが…
 前線部隊の疲労も激しく増援がなければ2日で戦線が破られるでしょう。
 せめて航空兵力だけでも増派して貰えれば、
 戦線の崩壊を多少なりとも遅らせることが出来ます」

秋山大将はモニター越しで事実を淡々と述べた。各戦線に分散している兵力を動かそうにも各戦線の正面にも膨大な赤軍が展開しており難しい。どちらにしても陸上兵力の移動には数が増えるに応じて必要な時間多く必要なので早急な問題解決にはならなかった。 航空優勢によってなんとか戦線を維持しているのが現状だが、航空機の連続使用には搭乗員の疲労や機械の消耗などの問題もあるので損失機が無くても戦力は磨り減っていく。航空基地に備蓄された燃料と弾薬も無限ではない。

高野は数瞬の間を置いて口を開く。

「全軍の警戒区分を3から2に繰り上げましょう」

「それはっ…」

それまで黙っていた高野の言葉に全員が息を呑む。

現在の日本帝国に於ける警戒区分2ともなれば最高度に準じる戦争準備であり全通常兵器の使用可能を示す。化学兵器、核兵器、細菌兵器などの危険指定兵器が日本側に使用された際には、首相と統合軍令部議長か3人の大臣の承認があれば、宇宙開発に向けて備蓄が進められている電子励起爆薬などの通常型大威力兵器による報復が可能になる段階だ。

「もちろん化学兵器が使用されても通常型大威力兵器は使いません。
 兵力も即応部隊から1個旅団の増援で抑えて、
 連山の使用と航空隊の大規模夜間攻撃で凌ぎます。
 計画は此方をご覧下さい」

高野は緊急会議に参加するまでに一つの軍事計画を要点を短くまとめたものが用意していた。それを端末からモニターへと転送する。増援部隊による積極的機動防衛及び夜間戦や航空兵力による大規模爆撃を中心とした軍事行動が記されていた。

「大規模夜間爆撃で有効な攻撃を行うとなると、
 一部の高度兵器を列強に晒すことになるぞ!?」

小規模ならともかく、有効な大規模夜間爆撃を行うにはある程度の電子装置が不可欠だった。山縣の懸念に対して高野は電波誘導、EOTS(電子光学ターゲット探知システム)、電子光学・赤外線(EO・IR)センサーなどは公表せず、赤外線暗視装置を使った探知による攻撃と公表するのだ。ただし、本命のテクノロジーを秘匿するために飛行船に搭載した赤外線ランプの反射光を利用する第0世代に見えるような偽装を行う。赤外線自体はのイギリス帝国のウィリアム・ハーシェルにおって1800年に発見されており、探知装置の研究は史実に於いても1930年には研究が始まるものだ。もっともそれらの装置は重量や性能からの問題によって実用には程遠いレベルのものだが。

「連山ならば昼間であっても安全に攻撃可能だ。
 それにも関わらず夜間に行う理由は?」

山縣の怪訝に続いて、
加藤大将が反対ではなく疑問の声を上げた。

「主にイギリス帝国への対策で、
 偽情報によって連山が中高度飛行しか行えないと信じ込ませるのが目的ですね。
 サーチライトと夜間戦闘機の整備によって対応可能だと思わせることで、
 イギリス帝国の暴発を防ぎます」

「なるほど…
 予備兵力も限られている現状からして、
 他に方法は無いな」

「高度兵器の内容は門前外のワシには判らぬが、
 確実なのは大規模派兵を行えば、
 好調な経済をたちまち悪化させてしまうことだ」

後藤内務大臣の言葉に全員が頷く。会議に参加したメンバーは軍人の比率が大きかったが、 この場に経済を理解していない高級軍人は誰一人としていない。兵士の命、軍事費の増加の観点から泥沼の消耗戦は絶対に避けたかった。高野の言葉が続く。

「時間をかけるだけ危険が増します。
 民兵撃破に梃子摺れば、敵に難民戦力化が有効と思われ、
 規模を増して実施される可能性が大きいでしょう」

高野の懸念は全員が理解していた。敵兵が恐れを知らない興奮状態の薬物中毒者であり、大量に投入されるとなれば脅威にしか見えないし、現在より数が増えれば脅威どころでは済まない。早急な対応が必要なのは誰の目にも明らかだった。北欧放棄は重要戦略の破綻に等しいので許容はできない。故にソ連側の戦略を打ち破る為にソ連側の民兵を含む軍事力を叩くのだ。

本作戦に備えたものではないが、必要な火力を担う連山だが2個中隊がニーオルスン基地に配備済みで、作戦行動に必要な軍需物資も備蓄が進んでいた。精密爆撃に必要な地理空間情報は日本中央情報局や国防軍によって収集済みである。帝国軍や国防軍では作戦行動を行う前提条件として地理空間情報の収集が必須となっていた。

「我々には長々と議論している余裕は無い。
 代案がある場合は挙手を頼む」

加藤大将の言葉に言葉に対して挙手は無い。高野の計画案は全員一致の了承となり、直ちに軍事作戦として進められることになる。北欧軍は増援の確約を得たことで、ヴァルダイ戦線に於ける作戦転換を行い空爆と地上部隊の機動戦による時間稼ぎに切り替えた。高野は会議で了承を得ると直ちに国防軍から多数の5式装甲服、8式歩兵戦闘車、8式装甲戦闘車両からなる"特殊"な部隊の投入命令を下すのだ。これらの部隊は常に高度な即応体制に置かれており素早く、霊仙級や4式大型飛行船「銀河」を用いた航空輸送へと進む。

帝国軍の方も負けてはいない。

加藤大将の最優先命令によって帝国軍の基地からドロップタンクを兵装架に装備した航続距離を増やした流星による飛行隊が飛び立ち、国防軍の飛行隊と共にペヴェク、コテリヌイ島、冬月諸島(セヴェルナヤ・ゼムリャ諸島)などの北極圏の各島々に北極海航路を守るために設けられた基地を中継して北海への展開が始まった。帝国軍航空隊の展開はソ連側の予想を超えた速度で進んでいたのだ。日本側の常識外れたテクノロジーによって、ソ連側の軍事作戦は大きく狂う事になる。
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【あとがき】
航空優勢がない軍隊がどうなるかを赤軍は身をもって学ぶことになります。それに対応するためには膨大な軍事費が必要ですが、どうなることやら(汗)

(2016年08月28日)
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