帝国戦記 外伝 第06話 『ジョゼフ・チェンバレンの誤算』
私の見るところ、このままではシナ、朝鮮が独立を維持する事は不可能である。
もし、この二国に改革の志士が現れて明治維新のような政治改革を達成しつつ上からの近代化を推し進める事ができれば話は別だが、そうでなければ亡国と国土の分割・分断がまっていることに一点の疑いもない。
福沢諭吉
1922年 07月28日 金曜日
バルト海フィンランド湾から義勇イギリス艦隊が撤退した翌日。ジョゼフ・チェンバレン議員はイギリス帝国のロンドン・ウエストミンスター地区にある一室で第一海軍卿のサー・ロスリン・ウェミス大将と北欧で行われた軍事作戦の成否について話し合っていた。
「航空兵力の消耗は大損害と言って良いだろうが、
これに関しては空軍の失点に巻き込まれた事が大きいと判断している」
「正しい偵察情報さえ届いていたなら、
もう少し上手く戦えたと思います」
チェンバレン議員の言葉にウェミス大将は同意する。彼らの判断は自惚れではなく、入手した戦闘結果と日本側が発表した情報を冷静に分析した上での判断だ。日本側の戦略判断から受けた被害を過大に水増しして発表していたとは夢にも思わないだろう。
「偵察の不備は次に活かせばよい。
それよりも我々の攻撃で日本艦隊を撤退に追い込んだのは戦略的に大きな得点だ。
我々イギリス人が操るイギリス製艦艇が日本艦隊と戦える、
その証明にもなった」
彼が言うように日本側の大きく盛った被害報告によってイギリス製艦艇の戦力価値が見直され始めていたのだ。もっともそれはイギリス圏に留まっていた。戦艦の価格面では日本製艦艇のコストパフォーマンスに及ばず、ここ近年の実績に関しても帝国重工の技術が注がれている日本製艦艇が優越している。公平な見方をすればイギリス製戦艦はようやく日本製戦艦に一歩近づいたのだ。もっとも秘匿された性能を加味した情報から分析すると、同数ではイギリス製戦艦で勝つのは不可能といえるだろう。日本側としてはイギリス海軍には絶望のような非生産的な感情には囚われずに、前向きに一隻でも多くの戦艦を建造してもらいたかった。もちろんアメリカ海軍も同様に戦艦の建造努力を続けて欲しいと願っている。
「決定的な新型戦艦が竣工するまで日本戦艦に対しては、
航空機で損傷を負わせてから艦隊戦に持ち込めば勝てますが、
これにも問題も有ります」
「膨大な数の航空母艦が必要になるな」
「はい。予算の限界もありますので、
幾つかの戦艦建造を減らす必要が出てくるでしょう」
日本戦艦に対抗するために航空母艦の増産までなら理解は出来るが、その費用捻出の結果とが戦艦建造の削減になってしまえばイギリス海軍としては本末転倒だった。チェンバレン議員が狙うイギリス戦艦の戦力価値上昇を狙う戦略にも支障が出てしまう。それに搭乗員の育成には多大な予算が必要なので簡単に補充することは難しい。
「正攻法が難しいならば、
共産主義者にはもう少し頑張ってもらおうではないか」
チェンバレン議員やイギリス帝国の見解は北欧条約機構の最大のスポンサーは兵員・兵器・物資を提供している日本側だ。チェンバレン議員はソ連には援軍を送りやすい北欧方面は現状維持とし、代わりにロシア王国側での活動を活発化させ日本側に長大な国境線での消耗戦を強いて停戦や和平の仲介代償として軍縮条約で有利な条件を引き出そうと考えていた。これまでの戦争から日本側は消耗戦を嫌って戦場限定戦略を行っていた点を突くチェンバレン議員らしい方法である。
ソ連に対する落としどころは軍事・経済の援助だ。
だが、チェンバレン議員は一つだけ読み違いをしていた。
ソ連の窮状を少し軽く見ていたのだ。
ソ連政府は経済・軍事・政治の三本柱で行き詰っていた。というより建国以来、災厄続きである。経済に関してはイギリス帝国からの経済支援とフィンランドの地を支配して税収増加によって財政を安定化させなければ破綻確実だった。
軍事に関しては北欧軍(北欧条約機構軍)に対する決定打が見出せない。それに北方条約機構を抜きにしても北極圏と北極海は日本圏であり、東シベリア方面は日本帝国の支援を受けているロシア王国が存在している。黒海方面はイギリス帝国の属国と化したアゼルバイジャン民主共和国が存在しており、ウクライナとベラルーシはドイツ帝国の影響が強い。イギリスと敵対すれば経済が即時に破綻が避けられないだろう。ウクライナとベラルーシの併合に乗り出せば弱体化しているとはいえドイツ帝国が介入してくる可能性が大きかった。ソ連としてはこれ以上の戦線は抱えられない。控えめに言っても戦略的に包囲されている。
政治に関しては混乱の極みで国民の不満は増える一方だ。物資不足による国民の不満を秘密警察の恐怖で抑えているが永遠に続くとは思えなかった。上層部ですら物資不足に不満と不安に満ちているのだから。
このように暗雲とした現在と、このままでは破局しか考えられない未来しか予想できないソ連の事情もあって、北欧条約機構艦隊(日本艦隊)を撤退に追い込んだのをソ連側はイギリス側よりも重要な戦略的勝利と判断していた。すなわち勝機と判断して、赤軍に対して水面下で進めていた攻勢作戦を始めるよう命令を下す。それに北欧方面ならば、よしんば戦線が崩壊したとしてもイギリス帝国からの増援を受けやすい開き直った理由も存在している。ソ連上層部はプライドから口には出さなかったが、これまでの行いからイギリス帝国が自分たちを日仏の消耗を強いる牽制役として期待しているからこそ、援助していると本心では理解していた。過酷な現実がプライドを凌駕しつつあったと云えるだろう。要約すると利用可能な点はなんでも利用しなければ生き残れない状況だ。
ともあれソ連側には悲観的な状況ばかり目立つが、明るい材料も一つだけ存在している。赤軍の兵員はかつてない程に膨れ上がっていた点だろう。物資不足には悩んでいたが、兵力規模は欧州大戦の主要国並みに大きい。
その大兵力だがイギリス本土から義勇砲兵部隊として送られてきた列車榴弾砲部隊を始めとした重火器の存在と、国内外問わず大量に送られてきた難民による塹壕・陣地作成などを担う過酷な後方支援を行う支援隊が赤軍の土台を支えている。支援隊の中にはイギリスから送られてきた犯罪者からの志願兵と清国人傭兵部隊からなる戦闘部隊も加わる。清国は軍閥同士の内戦激化により、難民を非合法に連れ去ることも容易になりつつあった。史実に於いてもソ連は各領事館を用いて非合法難民を集めて、国内の過酷な地域での労働力として用いていたケースの軍用版だ。
厳しい現実を学ばされていたソ連政府と赤軍は大兵力があっても補給面から全戦線での攻勢は不可能と判断しており、他戦線は陽動に留めて攻勢作戦は赤軍第9軍が担当するヴァルダイ戦線に集約していた。ただし、トラックなどの機材は怪しまれないように他の軍団と大差はつけていない。
ヴァルダイ戦線を狙うのはソ連なりの考えがあった。
ヴァルダイ戦線は広大な戦線だが北欧軍の陸上兵力は帝国軍の1個師団程度に留まる。支援兵力として北の白海に展開している海上兵力は強烈だったが、軍団規模の兵員を小隊から小隊から分隊単位に分けた浸透戦術で戦線突破を図ってフィンランドでの後方撹乱を狙う。加えてヴェルホフスキー連隊を送り込んで、国防軍航空基地を襲撃し、4式艦上汎用機「流星」を初めとした各国が狙っている各種機材の奪取を目論んでいた。現状に於いては日本製兵器は複製するだけでも膨大な利益になるだろうし、イギリス帝国に解析情報の一部でも渡すだけでも大きな譲歩が得られる可能性が高い。だからこそ、この攻勢作戦はイギリス側への事前相談がなかったのだ。相談してしまえば、狡猾なイギリス帝国だけに言葉巧みにおいしい所だけ持っていくだろう確信故の行動である。
ソ連政府と赤軍が思惑通りに事を運ぶよう努力を進める中、ロシア北西部にあるオネガ湖北部の広がる丘陵性の平原と湖周辺には氷食地形が広がる一帯に太陽の光を浴びながら進む一団があった。
連隊規模の赤軍部隊だ。
この連隊はアレクサンドル・ヴェルホフスキー大佐率いるヴェルホフスキー連隊である。ヴェルホフスキー大佐は帝政時代には独立黒海師団参謀長代行を経験し、ロシア革命では志願して革命軍の指揮を執ったほどの徹底した帝政打倒主義者であった。 この連隊はイギリス帝国から供与を受けたトラックに留まらずオースチン装甲車と、マーク[リバティ重戦車を少量ながら運用している。ソ連のサンクトペテルブルクにもオースチン装甲車の生産ラインがあるプチロフ工場が作られていたが、史実と頃なり経済混乱と物資不足もあって1両も完成していなかった。マーク[リバティ重戦車はアメリカ陸軍の第67歩兵連隊が運用していたものだが、イギリス帝国と同じように日本勢力の消耗を願うアメリカ合衆国からの対ソ援助として24台が送られている。その内の8台が重要任務を行うヴェルホフスキー連隊に配備されていたのだ。 また、ソ連は史実とは異なり職業軍人がより必要な事態になっていたので職業軍人による将校制度がこの時期に復活している。
「帝国主義者どもは混乱しているようだな」
ヴェルホフスキー大佐はオースチン装甲車の車内でつぶやく。
本来なら連隊規模の兵力が動いていたら阻止攻撃が始まっていただろう。しかし、チェンバレンが策謀を進めようとした決意したその日の内にソ連はイギリス側に相談せずに5個師団の兵力からなるヴァルダイ戦線を担当する赤軍第9軍による攻勢を開始。赤軍第9軍による攻勢を広範囲に亘って受けており、直ちに攻撃を行う余裕がなかった。高火力を有する日本帝国軍だったが赤軍の攻勢に苦戦している。苦戦の原因は攻撃目標の多さであった。赤軍は攻勢開始と同時に作戦地域に難民を傭兵として強制採用を行って突撃部隊として編成し、被害担当として放っていたのだ。
その数20万人に上る。
突撃部隊といっても武装は小銃は4人に一人の割合に留まっており重火器は無い。小隊規模の小さなグループでしかも分隊単位で広範囲に分かれており艦砲射撃や重砲で叩くにも効率が悪かった。彼らは必死だったのだ。撤退すればスパイとして死刑が言い渡されるか、督戦隊によって処理されてしまう。補給どころか食糧補給も戦線を突破しなければ望めないし、また極限状態に於ける人間不信を活用した締め上げも行われており、生きるためには前進するしかない。
彼らの猶予は突撃前に配布された僅かなビスケットとウオッカが尽きるまでだ。
人間不信とは部隊内に於ける協力者やスパイの示唆、後続部隊が督戦隊の補助部隊である可能性を臭わせるなど秘密警察のノウハウが生かされた疑心暗鬼に不自由しない多岐に及ぶ。ありえない事が続けば、それが不幸の類ならば僅かな可能性すら起こってしまうと予想してしまうのが人間の心理である。
ともあれ赤軍は断続的な消耗に耐えられる突撃部隊の人員を用意していた。輸送力と補給の限界があったので一度に投入は出来なかったが、予定としては4週間の間に50万人の突撃部隊をヴァルダイ戦線に送り込んでいく。
ソ連政府と赤軍は機密保持の観点から、攻勢開始の開始前日まで傭兵として扱われる予定の難民たちには塹壕構築のための労働力として説明していたので、イギリス、フランス、北欧軍に留まらず日本側も、この懲罰部隊もどきの部隊を使った積極攻勢を察知出来ずにいたのだ。高度な警戒網を有する国防軍側も熱量探知から攻勢に出る可能性は低いと判断していた。熱量からは色々なことが判る。燃料事情に留まらず兵士の体温からその時の調子・状態まで知ることができるのだ。人員の大多数が低体温な事から部隊規模の栄養失調(特にビタミン・ミネラル不足)も知ることが出来る。常識的な感性ではこのような状態では軍事作戦は行わないし、行ってもまともな戦果は得られない。史実に於いて平均生存期間1週間未満のスターリングラード戦を凌駕する悲惨な作戦ともなれば意表を突かれても仕方がないといえるだろう。
従来の予想を突く外道な戦術によって戦略的な奇襲効果を得ることに成功したソ連政府と赤軍だったが、彼らの名誉から好き好んでこのような手段を採った訳ではなかった。ソ連政府や赤軍にも言い分はある。本来なら使い捨てであっても最低限の訓練と武装を施してから送り込みたかったが、物資と食料の不足が深刻化しており兵站の負担軽減が急務となっていた事と、戦略的なチャンスが巡ってきた事もあって無理をして行われている。無論、ソ連政府は本作戦のために虎の子の備蓄物資を切り崩して(難民の移送にも物資は消費する)進めていたので大きな痛手と言えるだろう。
「同志大佐つまり?」
「同志政治委員、空襲どころか砲撃すらない。
どうやら敵は突撃部隊の対応に苦慮しているようです。
この調子で進めば来月中には、
突撃部隊はペトロザヴオーツク(フィンランド名ではペトロスコイ)に到達するでしょう」
その言葉を聴いた政治委員は上機嫌な表情を浮かべる。ヴェルホフスキー大佐の判断は正しい。これまでなら小隊規模であっても警戒区域に進入すれば砲撃か爆撃が行われていたのだ。政治委員が上機嫌なのも当然だ。本作戦が成功すれば栄達確実と言われているので喜びようは大きいし、これまで苦戦続きだった戦いの中で始めて順調に進んでいただけに純粋な喜びもあった。そして、政治委員とは赤軍将校の中核を成している旧ロシア帝国軍人の裏切りや職務放棄を防止・監視するためにレフ・トロツキーの考案によって作られた政治将校制度によって生まれた役職だ。政治委員は頻繁に作戦に介入してくるので将校との関係は険悪な状態が多いが、革命精神に溢れるヴェルホフスキー大佐は政治委員との関係を良好に保っている。
「奴等の後方が混乱すれば、
我々の作戦もいっそう行いやすくなるな!」
ソ連側の大胆ともいえる目論見は成功を収めつつあった。突撃部隊は武装が貧弱とはいえ敵意もって攻めてくる相手には手は抜けない。即席の傭兵とはいえ極限状態なので凶暴性が増している。捕虜として捕らえるのも論外だった。一つの都市を形成できそうな人数の捕虜ともなれば経済的な負担は膨大なものになるし、監視するための人員もそれに応じて必要になる。下手に扱うとイギリス帝国が捕虜虐待だと騒ぎ立てつだろう。どちらにしても、こちら側の疲弊は確実だ。故に一度でも武装難民を送り込む有用性をソ連側に理解させてしまえば手段を選ぶ余裕がないソ連側は何度でも繰り返すだろう。
これらの点から、
武装難民には速やかにソ連領にお帰り願うか殲滅するしかなかった。
殲滅しようにも追い返そうにも赤軍の突撃部隊は小さな部隊に分かれているだけに一網打尽が難しい。莫大な搭載量を誇る4式艦上汎用機「流星」であっても対応しきれない数になっていた。出撃を繰り返せば故障も増えるし、なによりパイロットの体力が持たなかった。少数ならも攻撃ヘリ「紫電」の投入も始まっているが状況改善には至っていない。赤軍の正規部隊ではイギリスから供与されたJ型運搬車とセットになったQF1ポンド砲やQF2ポンド砲 MkIIに留まらず、ダイムラーMk.III運搬車の砲架に乗った命中率は悪いが自走式対空砲の一種ともいえるオードナンスQF13ポンド 6cwt高射砲が存在しており、撃墜に至らなくても修理が必要になる機体が少なからず出始めていたのだ。
ソ連側の常識を何処かに置き忘れた大胆な決断はチェンバレン議員が描く消耗戦戦略だけでなく、日本側にも大きな戦略転換を強いようとしていた。
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【あとがき】
赤軍の状態は史実のスターリングラードより悲惨だ(汗)
命をチップにしないと戦えない厳しい現状…
ただし外道戦術だけに、なまじ上品な戦略を採っている日本側にも厳しい展開ですね。
(2016年07月10日)
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