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帝国戦記 外伝 第05話 『フィンランド湾洋上航空戦 後編』


第11任務艦隊の防空射撃は猛烈だったが、その実態は有効射程をかなり制限していた射撃だった。しかし、制限していたといっても速度が遅いイギリス機にとっては途方も無い距離に感じられるだろう。最初の射撃から10秒で既に12機が墜落している。リデル中佐には次々と落ちていく友軍機が嫌でも目に付く。

高射砲の性能に対して撃墜数が少ない理由はハイスピードカメラのような高速現象を撮影するカメラ装置を使用していたならば判る。日本艦隊からの防空射撃は1機に対して次のような攻撃配分を行っていた。14式127o64口径単装速射砲と54口径127o連装砲がコックピット周辺を粉砕し、95式62口径57o単装速射砲と70口径40o連装機関砲が1メートル以上の機体を構成していた物体を粉砕している。撃墜機から生存者を出さない用に配慮された射撃だったのだ。このような撃墜以上の破壊効果を組み込んだ射撃であったが、長門が艦隊防空の射撃管制を行っておりイギリス側からすれば慰めにもならない。

「っ! なんという弾幕密度だ!
 直ぐに水平爆撃隊を散開攻撃に切り替えさせろ。
 散会して潜り抜けるんだ」

命中精度の低下になるが生存性を採ったリデル中佐は機体翼を振るバンクを行い、水平爆撃隊へ散開攻撃へと移るように指示を下す。同時に散開攻撃切り替えを意味する信号弾も上げた。リデル中佐の指示は明白である。水平爆撃の命中精度は下がるが、そのような事に固執しては肉薄する前に凄まじい射撃の前に大打撃を受けるか全滅してしまう。攻撃目標を分散させる事で射撃を分散させ、少しでも戦闘機と爆撃機を残し、被害担当機となって最も大きな打撃を与えるだろうソッピース クックーMk.II複葉雷撃機を残す道を選んだのだ。

「怯むな、進め!」

リデル中佐は猛烈な弾幕射撃の中でも指揮官機として相応しく見えるよう、恐れを感じていないかのように飛行を続けた。上官の勇気に奮い立たされた部下たちもそれに続く。

どちらにしてもプルコヴォ飛行隊は進むしかなかった。

ソッピース クックーMk.II複葉雷撃機が搭載する魚雷は18インチMk.VIII航空魚雷である。35ノットで有効射程は2300メートルを有し、150kgのTNT爆薬を搭載している魚雷だ。この時代では潜水艦でも使用されている優秀な魚雷である。最低でも、魚雷の有効射程に入るまで4分強の時間が掛かるので、それまでは進むしかない。

イギリス側の観点からすれば優れた火砲であっても識別能力を上回る攻撃を行えば、突破できると考えていた。だが、第11任務艦隊にとってはプルコヴォ飛行隊規模の情報はリアルタイムで把握出来るものだったのだ。その最大の立役者となったのは第11任務艦隊の上空20kmに飛行する国防軍の警戒監視・情報収集・指揮管制を行う22式早期警戒管制艦「春海」である。4式飛行船「銀河」の改良発展型である春海は今年になって竣工したばかりの新型艦であり、国防軍の機密兵器の一つ。春海の命名由来は授時暦の誤差を自己の観測データを元にして新暦(大和暦)の作成を行った渋川春海(しぶかわ しゅんかい)からきている。渋川ではなく春海になったのは、日本本土防衛が主任務であり洋上哨戒が主な目的から、海を捩った春海が選ばれていた。これには大将に昇進していた真田の意見も大きい。

当然ながら第11任務艦隊率いるカオリは早期警戒管制艦「春海」とデータリンクしており、 敵味方の位置は正確に把握している。早期警戒管制艦「春海」にはNMPレーダーを初めとした各種探知機が搭載されていたが、開発を終えたばかりの22式広域電磁偏差探知が搭載されていた。22式広域電磁偏差探知の特徴的な機能としては量子力学的な物体がエネルギーを失う際に光子として放出される現象を探知するものだ。基礎理論は20世紀初頭のものだが、研究所内の装置内で正常な観測を行うだけでも1989年まで待たなければならない。商用技術としては21世紀初頭から材料工学や化学工学を用いた材料生産で使われ始めたものだが、遠距離探知となるとまったく次元が異なる技術だった。

また、真田が率いる国防軍技術開発局では22式広域電磁偏差探知の性能を更に向上させ、電磁相互作用などを活用する事で探知目標の構成素材解析が可能になる長距離高度粒子探知装置への発展を目指している。実用技術自体は2012年頃から空港などに手荷物検査に使われ始めたイオン易動度分光測定式や中性子後方散乱式による麻薬・爆薬・化学物質の探知装置の概念に近い。

新技術開発に熱心なのは、
国防軍が慢心していなかった証明である。

それに広域電磁偏差探知は宇宙での資源探査効率を上げるためにも不可欠な技術だった事もあって、条約間戦争終結後から膨大な予算を投入して本格的な開発が始められていた。そのかいもあって昨年の8月には試作型を完成させ、この時期に22式広域電磁偏差探知の実用化に漕ぎ着けていたのだ。

ともあれ、射撃開始から僅かな間で更に1個中隊規模のイギリス機が墜落していたが退避する機体は無い。彼らの勇敢さを証明する場面であったが、その行動が戦局に作用することはなく自体が進む。プルコヴォ飛行隊からやや離れていた3機のフェリックストウF.5飛行艇も安全ではない。プルコヴォ飛行隊の突入に合わせて艦隊との距離を取りつつあったフェリックストウF.5飛行艇に対して艦隊防空圏外周部に退避していた迎撃機からの攻撃が始まったのだ。

カオリの狙いは一通でも多くの無電を打たせることにある。

電子妨害のパターンは広帯域雑音妨害であり、調整すれば短距離ならば辛うじて通信が行えるものだ。ジャミングの強度を弱めるのは緊急時の無電キーを傍受して、そのパターンを解析するのが目的である。周波数掃引妨害には哨戒活動を行っている複数の12式哨戒機「大洋」も協力していた。

3機のフェリックストウF.5飛行艇を襲うのは6機の特殊戦用の4式艦上汎用機「流星N型」であり、状況が許すまでフェリックストウF.5飛行艇を追跡して、十分な情報を得てから撃墜するのが任務だ。胴体下部の兵装架(ハードポイント)にはフェリックストウF.5飛行艇に対して少しでも致命傷を与えずに被弾させ続けられるように8式7.62o機関銃を外装式ポッドに改良して載せている。固定武装として装備している4門の10式20mm重機関砲では一撃で撃墜してしまうのでこのような処置が行われていた。対人殺傷の点では優秀な攻撃方法だった事も挙げられる。1機のフェリックストウF.5飛行艇に対して2機の流星が向かう。

フェリックストウF.5飛行艇の乗員にとっては有難くない努力の結果もあって、墜落しない程度に7.62o機銃が注ぐ。被弾によって3機のフェリックストウF.5飛行艇からは悲鳴に満ちた通信が幾度も飛ぶ。通信の内容は簡略ながらも、プルコヴォ飛行隊の状況を示す内容や、戦闘機による迎撃を受け始めた内容だったのでカオリは直ぐに偽装無電を打つに必要最低限の情報を取得した。

たとえ暗号化がされていても直ぐに解除できるが、出来るだけ手間は少ないほうが良い。 むろん、情報の確度を高める為に致命傷を避けつつフェリックストウF.5飛行艇への威嚇を交えた攻撃が続く。

皮肉な表現を行うならば、
フェリックストウF.5飛行艇の行いは無駄ではなかった。

彼らが死を覚悟して送られた尊い情報はプルコヴォ飛行場の無線局には届かずに敵側である日本側が徹底的に有効活用するのだから。

フェリックストウF.5飛行艇とプルコヴォ飛行隊は、恐怖の攻撃を受けつつも、攻撃成功と祖国の栄光を信じて飛び続ける。

イギリス空軍が主力を勤めるプルコヴォ飛行隊と第11任務艦隊が戦闘を繰り広げる中、スターディー中将率いる戦艦2隻、巡洋戦艦1隻、駆逐艦8隻からなるイギリス義勇艦隊がバルト海洋上北緯60度、東経27度のフィンランド湾洋上を航行していた。艦隊速度は戦艦「マールバラ」「デリー」の最高速度に近い21ノットで進む。支援艦隊は後方10kmを航行していた。イギリス義勇艦隊はコトリン島まで110kmの地点であり、現在の艦隊速度なら後3時間ほどの時間で第11任務艦隊との会敵が可能だった。

会敵予想時間は日中であり、
艦隊戦を行うには絶好のタイミングと言えよう。

艦隊旗艦を勤める大型巡洋戦艦「インコンパラブル」では、スターディー中将が報告を待ちわびていた。装甲は乏しくとも攻撃力、無線機能、速力が「マールバラ」「デリー」より優れていたので旗艦として選ばれている。

羅針盤橋の下に設置されている司令塔内に電報内容を持った電信兵は入室し、スターディー中将に空軍からの電報を渡す。これは作戦開始と同時に始まった定時報告である。電報には北緯60度、東経29度で目標への攻撃を行い、敵戦闘機隊からの迎撃を受けて甚大な被害を出しながらも複数の雷撃を成功とあった。

「空軍からの最新の報告では目標に対して、
 魚雷直撃は3発ないし4発、爆弾も多数直撃だそうだ。
 日本艦隊は東に向けておおよそ14ノットの速度で進む、とある」

「それだけの被雷に関わらず、
 速度低下で済むのは流石はあの長門級というべきですね」

スターディー中将にそう応じたのは、イギリス海軍最大の大型巡洋戦艦インコンパラブルの艦長を務めるロジャー・ジョン・ブラウンロウキーズ大佐である。ブラウンロウキーズ大佐は戦艦フッドの艦長経験を有し、欧州大戦ではダーダネルス海峡の戦いで聖マイケル・聖ジョージ勲章を授与された人物だ。機雷戦、対潜水艦戦、掃海作戦の経験も有し、軍属の地位のほかにも準男爵位を持つ。

魚雷に対する驚異的な耐久力であったが、長門級大型戦艦の異常な性能は条約間戦争で判明しており、報告にあわてる者は居ない。作戦に織り込み済みだった。魚雷攻撃で沈まなくても速度低下とそれに伴う回避率低下が発生すれば十分と考えていたのだ。

「艦長は日本艦隊の動きをどう思う?」

「おそらくはニーオルスン基地で本格的な修理を受けるためかと」

ヘルシンキ港はもとより北欧条約機構に於ける北欧諸国の軍事施設では長門級のような大型戦艦の整備は日本圏でしか行えなかったので消去法としてニーオルスン基地が残る。イギリス海軍にとって軍需工場も有する大規模基地に加えて長門級戦艦の整備・修理が行えるのニーオルスン基地は長門級戦艦の展開によって目の上のたんこぶを通り越した厄介で危険な存在に昇華していた。

機会があれば排除したいが、イギリス帝国としては長門級戦艦への絶対的な優位が得られない限り、どのようなプランも妄想に等しい。今回の謀略は対長門対策がどこまで通じるかの試石金の意味合いもある。

「私も艦長と同意権だ。
 軍艦の速度低下は大きな戦力ダウンになる。
 作戦続行だ。空軍には引き続きの偵察を依頼しろ。
 我々は最大戦速で北緯60度、東経29度に向けて進む」

魚雷攻撃が通じなければ本作戦の根幹が破綻していたことなるが、速度低下が確認できたなら作戦を中止する理由はない。浸水によって回避能力と復元能力が大幅に下がった状態の長門を沈めるのが本作戦の要であった。陸上機と空母艦載機の攻撃で更に被害を与えれば艦隊戦の推移も有利になるだろう。だからこそ、ここで中断すれば空軍から何を言われるか判ったものではない。

イギリス側の主観から見て順調だったのはここまでだった。
時間の経過と共にイギリス側に焦りの色が出てくる。

イギリス側の偵察機の行方不明が続出して、日本艦隊の位置が掴めなくなったのが理由だ。もっとも焦ったのはイギリス空軍だろう。偵察機どころかプルコヴォ飛行隊として飛びだった機体の全てが未帰還なのだから。そして、定時報告が途絶した空域の近くに日本艦隊が居ると判っても、詳細な位置が判明しなければ失態になりかねなかった。沿岸哨戒用の航空兵力すらも強引に空軍の指揮下に置いていたことが災いしている。作戦の第二段階が空母艦載機による攻撃だが、索敵爆撃を行うには航続距離が不足しており、正しい位置が判らなければ空母艦載機による攻撃も行えない。

イギリス空軍の誤算は最低限の情報すら入ってこない事実だった。

空軍は作戦の第一段階を占める第一次攻撃を行い、第二段階へ至る攻撃まで偵察活動を継続することで、作戦成功時に於いて空軍の成果と重要性を主張するつもりだった。偵察活動が悉く失敗すれば、その目論見が頓挫するに留まらず、作戦失敗の要因として海軍側から指摘を受ける可能性すら出てきたのだ。

イギリス空軍は日本艦隊に対するプルコヴォ飛行隊への誘導が失敗したときは作戦不可能と考えていたが、逆に第一段階の先は偵察機の数さえ確保すれば、その先の作戦は全て順調に進むと分析していた。本作戦が失敗する要素は、海軍側が行う第三段階の艦隊戦に於いて日本艦隊と敗北した際に問題が集約すると考えていたのだ。これらの事から空軍側は失点のリスクを回避するため、継続した偵察作戦を行えるように万全を期して37機に上るフェリックストウF.5飛行艇を各方面に配備していたが、その全てが失敗するとは予想だにしなかった。スパイ網から北欧軍や日本軍の航空機総数を大まかに把握していただけに、偵察失敗の要素がまったく思いつかない。このままでは空軍の不手際によって作戦失敗になってしまう。

空軍が求める偵察情報が入るも、「長門を含む敵艦見ゆ…」で途切れており撃墜されたのか続報が無かった。偵察機を可能な限り送り込むも、フィンランド湾に進入したフェリックストウF.5飛行艇を初めとした航空機に於いては日本側の作戦に必要な処置が断固として行われており未帰還機を増やすだけだった。

早期警戒管制艦「春海」とデータリンクを行った12式哨戒機「大洋」を介した4式艦上汎用機「流星N型」による迎撃作戦が敵偵察機の完封を実現していた。

また、「目標への魚雷直撃は3発ないし4発」や「長門を含む敵艦見ゆ…」等の日本艦隊に関係する無電は全て国防軍の12式哨戒機「大洋」によるものでフェリックストウF.5飛行艇からの通信と思わせるように偽装して行われていたのだ

このような面倒な事を行うのは日本側の最高機密に属する長期国家戦略にある。表向きはイギリス帝国が獲得していた覇権を維持させて、日本側は面倒事を可能な限り避けながらインフラや資源開発に専念したかったのが理由だ。なにしろイギリス帝国を圧倒してしまえば、イギリス帝国植民地や各列強の植民地になっている非白人民族である植民地人を奮い立せてしまい、かれらは同じ非白人民族で占められる日本側に助けを求めるだろう。

その先は泥沼が待っている。

植民地は自力では自立できない。近代産業に必要な多くものが足りないからこそ、支配されている。開発を行うには支配人口に応じた資金が必要だった。開発を最低限に済ませるにも現地を守るための維持費が発生するし、税を取るだけで開発を行わなければ現地住民の不満が募る。力で押さえつければ抵抗運動が必ず発生するだろう。なによりイギリス側が不満分子に対して工作活動を行ってくるのは火を見るより明らかだ。イギリス帝国が欧州、中東、インド、中国で実績を出してきただけあって不満分子の炊きつけは手堅く確実な戦略だった。

要約すればどのような方法を行おうにも統治コストが増す。

故に現状の日本側の状況からして不要な植民地など得ても、
弱点と日々膨れ上がる負債を抱えるようなものだ。

このような日本側の戦略判断によってイギリス側作戦が次のように進む。実際は魚雷攻撃を受けていなかった第11任務艦隊はイギリス帝国の国威低下を防ぎつつ、またイギリス海軍とイギリス空軍の関係悪化を図れるように、その優速をもってして艦隊戦を避けて安全圏へと退避していたのだ。22式早期警戒管制艦「春海」から得られるデータを用いればイギリス艦隊は当然として商船を避けて退避するのは難しくは無い。

北欧軍航空戦力を釘付けにする為に全力出撃を行った赤軍航空隊はもっとも酷い損害を受けている。北欧軍からの全力迎撃を受けて大損害を被っていたのだ。大損害の大きな要因となったのは、要約すれば4つに集約できるだろう。一つ目は北欧軍と比べて練度が低かった。二つ目は大半が旧式機で占められている。三つ目は防衛戦を主体とする北欧軍は戦闘機の比率が高かったのだ。加えて4つ目の理由に国防軍派遣軍の4式艦上汎用機「流星」の飛行隊の存在があったが、情報戦略の観点から公式記録には防空戦の要になったのは5個中隊の甲式戦闘機4型の参加と記されている。 北欧軍に於いて日本帝国の最新鋭機である甲式戦闘機4型の展開が一部とはいえ、これほど素早く行われていたのは、先行量産型として生産されていた機体が含まれていたことと、これらの機体が4式飛行船「銀河」の部隊の空輸によってルネ中佐と共に北欧の地に運ばれていたのが理由だ。甲式戦闘機4型は北欧軍に於ける日本帝国欧遣軍の2個戦闘機中隊と、政治的な要因で優先配備が行われているフランス軍東部軍集団の3個戦闘機中隊である。

25日にフィンランド湾を中心に始まった戦闘だが、イギリス軍の当初の予定から狂い26日になっても作戦目標である第11任務艦隊を捕捉することができなかった。翌27日にはフランス海軍はスウェーデン王国カールスクルーナ海軍基地に展開していた戦艦「プロヴァンス」「ロレーヌ」、駆逐艦8隻からなる艦隊の出撃準備が整いフィンランド湾への展開を開始する。フランス側の動きを察知したイギリス側は作戦失敗を認めて速やかに義勇イギリス艦隊をフィンランド湾から撤退させたのだ。

作戦失敗は正論を交えた海軍側の政治的な反撃もあって、
有耶無耶に出来ずに責任問題へと発展する。

十分な戦力を用意していたにも関わらず作戦が失敗に終わった要因として偵察の不備が挙げられた。 戦って敗北したなら判りやすいが、敵を見失って失敗したのだから失敗の要素として大きなものになってしまう。その結果として現場指揮官に留まらず、空軍の重鎮であるエドワード・アシュモア中将も責任を負う形で閑職へと移ったのだ。本作戦に於いてはアシュモア中将は関与していなかったが、作戦失敗の累がこれ以上空軍に及ばないように自らの意思で責任を負っていた。第二次ボーア戦争での友軍救出作戦で負傷していた勇敢な彼らしい行動だろう。

また、アシュモア中将はイギリス陸軍航空隊時に於いて1916年にロンドン防空を担う対空砲、飛行場、電話網による統一指揮による首都圏監視サービスを考案していた防空ドクトリンの研究及び偵察部隊と指揮系統の整備に貢献した人物である。彼は極めて有能な人物であり、史実に於いてはイギリス空軍の防空・偵察・戦術ネットワークの基礎を作り上げた人物の一人だった。彼が閑職に移った結果として有事の際にコントロール・センターを用いた空軍、陸軍、警察、郵便局を繋ぐ電話網による連絡システムの構築が遅れることになる。
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【あとがき】
アシュモア中将は装備調達、空港建設、民間航空会社の発展に尽力していたセフトン・ブランチャー少将と並んでこの時代に於けるイギリス空軍の重要人物だと思います。また、アシュモア中将の軍人人生は終わりではなく、デビッド・ヘンダーソン大将や航空参謀長ヒュー・トレンチャード大将の尽力もあって中央に復帰していきます。

意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2015年01月24日)
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