帝国戦記 外伝 第03話 『フィンランド湾洋上航空戦 前編』
現実を操作するための基本的な道具は言葉を操作することである。
もし、言葉の意味を操作することができれば、 言葉を使わなければ鳴らない人々をコントロールすることができるであろう。
フィリップ・ディック
ソ連政府と赤軍は年々、正面装備を整えていく北欧軍(北欧条約機構軍)に対抗するべく大きな犠牲を払いながら軍拡に勤しんでいたが、その実情はかなり厳しいものになっている。制限された戦略環境の中で苦労しつつも、仲介を通してドイツ帝国から欧州大戦で使われたゴータ G.IV双発爆撃機とツェッペリン・シュターケン R.VI双発爆撃機に加えて、ドイツ帝国が戦時中にフランス共和国から購入していた貨物機を爆撃機に改修したファルマンF.60BN2双発爆撃機の中古機すらも購入していた。ファルマンF.60BN2双発爆撃機は史実に於いては丁式二型爆撃機として日本初の爆撃航空隊が編成に使われていた機体である。
イギリス帝国がこのような仲介による取引を黙認していたのは、純粋な戦力強化の意味とソ連政府に僅かながらでも選択肢が残っているような幻想を与える事で得られるガス抜き効果を狙っていた。もちろんイギリス帝国の本当の狙いは、そのようなものではなく強化した戦力を、イギリス帝国の国益に直結する作戦に利用する為だ。実際のところ、価値が暴落したソ連の通貨では高価な物資を大量に購入することは適わないし、戦争終結で余った余剰兵器しか入手できなかった。それにしても赤軍が必要とする量を満たすにはイギリス帝国から入手するしかない。そして、ソ連が本当に必要としている工業力の維持に必要な資材はイギリス帝国の意に沿った行動を行わなければ入手できなかったので、ソ連としては結局はイギリス帝国を頼るしかなかったのだ。
そして、イギリス帝国のロンドン キング・チャールズ・ストリートに面するクイーン・アン様式で作られた白い石と赤レンガの建物である海軍本部(アドミラルティ)の一室では赤軍の軍拡に合わせてイギリス帝国も謀略の準備が進められており、この謀略における軍事作戦の責任者である第一海軍卿のサー・ロスリン・ウェミス大将が実働部隊を率いるダブトン・スターディー中将から作戦内容を聞いていた。
二人が居る部屋は観兵式などイギリス王室の主要儀式を行うホース・ガーズ・パレードに面した一室であり、観光に来ていれば素晴らしい光景を見ることが出来たに違いない。
「情報によるとフィンランド湾への定期巡回に日本艦隊が当たるのは3週間後だ」
「それだけの時間があれば十分です」
フィンランド湾には日本艦隊、フランス艦隊、日仏合同艦隊の3つの組み合わせの艦隊がローテーションを組んで出撃しており、現在は日仏合同艦隊が展開している。交代用の戦力は情報によると前回と同じ戦艦「長門」、護衛艦4隻からなる艦隊だ。
イギリス帝国は平和維持を謳ってロンドン海軍軍縮会議を立ち上げていたが、その本当の狙いは他国の海軍力削減によってイギリス海軍の戦力価値を高めるのが目的だった。そして今のイギリス海軍にとってもっとも目障りだったのが長門級戦艦を擁する、軍拡躍進著しい日本帝国である。
頑なに戦艦廃艦を拒む日本側を予見していたイギリス側は、
一つの謀略を進めていたのだ。
それは北欧条約機構とソ連の対立を利用した日本帝国の軍事力低下を狙った謀略である。現に幾つもの海戦で高い武勲を誇る長門級戦艦が生み出す日本戦艦の活躍はイギリス帝国が推し進める戦艦販売の大きな支障になっていた。これまでイギリス帝国が戦艦売却を画策して成功したのは、イギリス帝国の各自治領を除けばブラジルとギリシャ王国のみだった。イギリス帝国は南米での軍拡を煽ったもののブラジルを除いた南米各国は日本製を選び、その他でもタイ王国、スペイン王国、北欧諸国に留まらず旧ロシア帝国とフランス共和国すら日本製の軍艦を購入している。これらの結果が、イギリス帝国に今回のような軍事力を伴った直接的な謀略を決意させており、故に長門を基軸とした少数の日本艦隊がフィンランド湾に展開する事実はイギリス帝国にとって好都合だった。
日本側がフィンランド湾に薩摩に続いて長門を派遣したのは、イギリス側が起こすだろう軍事力を用いた直接的な謀略を防ぐ意味があったが、今回はその措置は裏目に出ていた。
そして、ウェミス大将は自ら望んでこの謀略の海上作戦の指揮を執っていたわけではない。1918年に誕生したイギリス空軍との艦隊航空隊の所属をめぐる政争を乗り切るために参加せざるを得ない状況だったのだ。政争の際に攻撃材料となったのは、かつて第一海軍卿であったフィッシャー大将が作り上げた艦艇群にある。
ハッシュ・ハッシュ・クルーザー計画(大型軽巡洋艦建造計画)として建造された「グローリアス」「カレイジャス」「フューリアス」は戦力未知数でなんとか空軍からの追及から凌げていたが、蒸気タービンを搭載した17隻のK級潜水艦、305mm単装砲を搭載する4隻のM級潜水艦、大型巡洋戦艦である「インコンパラブル」の三つが政争に於ける主な攻撃材料として扱われていた。
K級潜水艦の問題は次のようなものだ。
Mk-XI-102mm単装砲×2基と76mm単装砲、そして駆逐艦と同じ上部旋回式の4連装魚雷発射管を艦中央に2基もの火器を搭載する重武装によって駆逐艦との同等の攻撃力を有していたが、潜水艦が駆逐艦との砲撃戦を行うこと自体ナンセンスである。そして機動性も乏しく砲撃回避は難しかった。また、水中では蓄電池で航行するが、水上では搭載した蒸気タービンによって水上速力が24ノットに達したものの航続距離が短く、加えて艦上に2基の煙突を備えていた蒸気ボイラーからの排煙用の煙突を収容しなければ潜行不可能であり、収納作業には5分の時間が必要だったのだ。 ボイラー室の室温は高温で、たびたび事故を起こすほどで、イギリス海軍ではK級のKをキラーやスロバキア語のKalamityと例えた災害級と呼ぶほど凄まじい悪評を得ていた潜水艦である。敵国の潜水艦より「危険」とさえ言われていたほどだ。
次のM級潜水艦は素人から見ても深刻な問題があった。
捕捉した目標艦船の射程内に急速浮上後、すかさず主砲で砲撃を行い、敵を撃破ないし大打撃を与える事を目的としていたが、この点だけでも大きな問題を四つ抱えていたのだ。 一つ目は、搭載する毎分1発のMark-IX-305mm単装砲は射程が14kmと短く、また連続射撃が行えないので一撃で戦闘能力を奪わなければ反撃を受けてしまう。 二つ目は、一発必中を期する為には可能な限り近距離、すなわち軍艦を狙うなら速射砲の射程圏内に浮上せねばならないので反撃を受けたら作戦失敗になる可能性が極めて大きかった。 三つ目は速度が遅いので例え目標の上部構造物に大打撃を与えたとしても、逃走を図られたら逃げられてしまう可能性が高い。 四つ目は、潜水艦でありながら秘匿性を犠牲にしている点だ。
そして、史実と違ってフィッシャーの失脚が遅かったので実現していた大型巡洋戦艦「インコンパラブル」はフィッシャーのこだわりとも言える高火力高速軽装甲主義を大型艦で実現するべく多大な予算を投入していた事もあって、イギリス海軍最大の問題児に成長していた。問題を要約すればアンバランスだ。新鋭のアドミラル級巡洋戦艦「フッド」と比べてやや大きな船体を有する巨大艦に留まっていたが、船体の大部分は必要最低限の装甲板のみに留められ、本格的な装甲は水線部周辺の限られた範囲しか施されていない。確かに火力は大型戦艦に匹敵(技術及び予算の関係上、計画時にあった508mm連装砲3基と異なりフッドと同じ主砲4基に落ち着いていた)していたが、防御力に関しては通常の巡洋戦艦にも劣る装甲しか有していない。
35ノットの速度を計画したが、実際に出た速度は32.7ノットであり、他国ならいざ知らず対抗馬として台頭してきた日本艦隊に対しては何ら優速ではなかった。
政争に対して何も反撃を行わなければ海軍では奇天烈兵器しか作られていないと言い掛かりをつけられ、予算無駄遣いを理由に艦隊航空隊の新型艦載機の開発権を奪い取るところか、艦隊航空隊の指揮権すら陸上哨戒機のように奪われかれない。
これらの事からイギリス海軍は本気でこの謀略を成功させなければならなかった。
作戦図を広げたスターディー中将が説明を始める。
「赤軍の攻勢に合わせて義勇艦隊を派遣します。
編成は本隊として戦艦2隻、巡洋戦艦1隻、駆逐艦8隻を用意し、
索敵と斬減作戦を行う支援艦隊として空母5隻を基軸とした艦隊を向かわせる予定です。
定期哨戒と邀撃を兼ねた潜水艦も9隻も出撃準備を終えており、
本土から6個飛行大隊を追加派遣も秘密裏に進んでおり計画の遅延はありません」
謀略を進めるイギリス帝国も勝算無しに赤軍に攻勢を強要する訳ではない。高火力を有する北欧軍に対抗するためにイギリス本土から義勇砲兵部隊としてオードナンスBL18インチ列車榴弾砲が3門からなる部隊を輸送船団を使って送り込んでいた。サンクトペテルブルクからの列車砲の移動には1870年に作られていたしていたサンクトペテルブルクとヘルシンキを結ぶ東西幹線や、サンクトペテルブルクから北上するカレリア鉄道を使う。
1899年に作られた最大射程26700メートルのBL9.2インチMK-I榴弾砲3門、その改良型である1908年に作られたが微妙なために放置されていたBL9.2インチMK-XI榴弾砲1門が赤軍に売却されており、カレリア鉄道に隣接する砲兵陣地に極秘裏に運び込まれている。香港のような遠方にも8門もの数が運び込まれて設置されていた要塞砲だが、インフラが乏しいソ連ではかなりの苦難を伴いながらの設置になっていた。赤軍が喜んだのは1916年に作られた最大射程14000メートルのBL12インチMk1列車榴弾砲の3門の提供だろう。
フィンランド地方の奪還を狙うソ連政府の思惑を、火力支援と経済支援によってコントロールしていたイギリス帝国である。
スターディー中将が進める日本艦隊襲撃作戦は、
おおよそ三段階に構成されていた。
第一段階は日本艦隊がフィンランド湾の作戦開始地域に到達と同時に赤軍航空隊の全力出撃によってカレリア地峡方面の北欧軍航空戦力を釘付けにする。第二段階が義勇イギリス・オーストラリア航空隊と連携するように5隻の空母から発艦したソッピース クックーMk.II複葉雷撃機隊によって長門級戦艦を空襲して損傷を与える。魚雷攻撃による速度低下に合わせて、エアコーDH.9A軽爆撃機やハンドレページO/400重爆撃機からの爆撃によって光学距離測定器などを有する上部構造物の破壊ないし損傷を与える事によって戦力低下を図る。第三段階が義勇艦隊として参戦したイギリス戦艦隊による最終処置だ。
今回の謀略の矛を担うイギリス義勇艦隊の陣容は支援艦隊と合わせて次のようになる。
戦艦2隻
「マールバラ」「デリー」
巡洋戦艦1隻
「インコンパラブル」
空母5隻
「イーグル」
ソッピース キャメル戦闘機 6機
ソッピース クックーMk.II複葉雷撃機 15機
「アーガス」
ソッピース キャメル戦闘機 6機
ソッピース クックーMk.II複葉雷撃機 15機
「テセウス」
ソッピース キャメル戦闘機 6機
ソッピース クックーMk.II複葉雷撃機 15機
「パイドラー」
ソッピース キャメル戦闘機 6機
ソッピース クックーMk.II複葉雷撃機 15機
「ヴィンディクティヴ」
ソッピース クックーMk.II複葉雷撃機 8機
水上機母艦8隻
「ペガサス」
ショート184水上機 9機
「マンクスマン」
ショート184水上機 8機
「ナイラナ」
ショート184水上機 7機
「エンプレス」
ショート184水上機 6機
「アーク・ロイヤル」
ショート184水上機5機
「ヴィンデックス」
ショート184水上機 4機
「エンガディン」
ショート184水上機 4機
「リヴィエラ」
ショート184水上機 4機
駆逐艦14隻
艦隊戦の先駆けとして、支援艦隊から戦闘機隊の護衛を受けた18インチMk.I魚雷を搭載したソッピース クックーMk.II複葉雷撃機 68機、356mm魚雷を搭載した47機に達するショート184水上機が長門に対して雷撃を行う。制海艦が居ないと仮定している段階にも関わらず戦闘機を同伴させるのは陸上基地から発進しているだろう戦闘機に備えるためだ。
また、「テセウス」「パイドラー」はアーガスと同じように商船から改装された空母で、性能的にはアーガスに酷似した艦艇だった。艦載機は着艦事故を防ぐために攻撃終了後には陸上基地に退避するので空母からの攻撃は一度しか行えない。誇張ではなく、この時期のイギリス空母が備える縦索式の着艦制動装置などの性能が実用領域に至るには絶対的に不足していたのだ。酷い時には半数以上が着艦事故で破損したほど。 故に着艦事故が発生していない鳳翔級の存在がプライドの高いイギリス人にしても洋上航空戦力の戦力価値を対等に保つには最低でも倍は必要と痛感させており、その忌まわしい事実が「テセウス」「パイドラー」の建造と、史実では空母から巡洋艦に戻された「ヴィンディクティヴ」の空母状態の維持に繋がっている。
数を揃えることで性能不足分を補うのが、
今のイギリス海軍艦隊航空隊の基本戦略である。
「本当ならば防御力が欠落したインコンパラブルは実戦に投入したくなかったが…」
ウェミス大将は色々と制約の多い中、使用可能な兵力をかき集め、それをスターディー中将が作戦として立案していた。作戦内容に満足したが、それでもインコンパラブルの存在が気がかりだったのだ。
「あの艦を使わなければ空軍への釈明になりません。
それにインコンパラブルは火力は優秀なので、
敵艦の前面に出さなければ戦力として充分に期待が出来ると思います」
「そうだな…困難な任務だが宜しく頼む」
ウェミス大将の本音としては信頼性の乏しい空母や巡洋戦艦などは投入せず、より多くの戦艦を投入したかった。特に1912年から15年まで海峡艦隊第12巡洋艦戦隊の指揮官を経験していたウェミス大将にとって、巡洋戦艦は戦艦に打ち合うには防御力が乏しいものだと知っていたのだ。しかし、空軍との政争対策としてインコンパラブルを使わねばならならず、あまり多数の戦艦を使用してしまえばイギリス戦艦の優秀性の証明にならない。海軍組織を率いる立場として、艦隊航空隊を維持するためにも空軍との政争は避けられなかった。だからこそ、ウェミス大将は無い無い尽しの中で少しでも火力を補うために不安な点がありながらも空母と水上機母艦を投入していたのだ。
フィッシャーが残した功績は大きい。イギリス海軍の近代化、組織改革、戦術考案、航空母艦建造、教育改革など。そして、そのフィッシャーによって生み出された奇天烈兵器群がイギリス海軍にとって吉と出るか凶と出るか、判明するときが迫りつつあった。
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【あとがき】
あの時代のイギリス兵器は調べれば調べるほど凄い!
というか凶悪なシステムを実地運用を行わずに作ってきたジョンブル魂は他国に無いものがありますね!
(2015年10月25日)
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