帝国戦記 外伝 第02話 『フランス陸軍航空隊』
社会とは、いわば、その成員を構成していると考えられる、
個々の個人より成り立つところの架空のものに過ぎない。 社会の利益とは、それを構成する個人の利益の総和にすぎない。
ジェレミ・ベンサム
1922年 06月11日 木曜日
北欧間との長距離連絡任務に就いている4式大型飛行船「銀河」が日本帝国習志野基地の管制圏への許可を得て飛行していた。この飛行船には北欧軍の航空部隊(シガーニ飛行隊)として参加している11名に上るフランス陸軍の将兵が乗船している。ルネ・フォンク中佐に率いられた合計11名の士官・下士官である。ルネ中佐は史実に於いては欧州大戦の主要エースの一人であり、冷静沈着な精密機械と称され偵察機を用いた戦術偵察の重要性を理解していた人物だ。
そのルネ中佐の来日目的はイギリス帝国の支援によって航空戦力の増強を行っている赤軍への対抗として、北欧軍の一般部隊において使用が決まった甲式戦闘機4型の性能評価試験の参加である。ルネ中佐に率いられる面々は全員が北欧軍参加のフランス陸軍に所属する戦闘機パイロットだった。
フランス軍も自軍の最新鋭戦闘機であるコードロンC.59/2戦闘機の性能限界を理解しており、北欧軍限定とはいえ日本製航空機の採用を検討していたのだ。フランス陸軍が甲式戦闘機4型を主力機として選定候補に入れたのは補給事情に加えてルイス・フランシェ・デペレ中将の意見が大きい。
ルイス中将は強い勢力に付き従うという事大主義者の中でも最強級の人材だったが、それだけに帝国軍から北欧軍向けに行われた軍事支援に基づく兵器供与で完全に日本追従主義者になっていたのだ。行われた兵器供与とは、帝国軍情報部の明石元二郎(あかし もとじろう)准将の分析に基づいて行った工作活動である。そして供与された兵器とは表向きは帝国軍が帝国重工からの技術協力の下で、技術習得を兼ねて開発が行われた重砲だが、本当のところはルイス中将向けに作られた重砲だった。
帝国軍は帝国重工から寄付金(工作用資金)として1800万円の提供を受けていたので技術修練を兼ねたキワモノではなく本格的な兵器が作られていたのだ。試作兵器が意外と高性能だったので量産が行われた…というのが表向きの筋書きだった。もっとも、ルイス中将懐柔用の重砲と言っても誰も信じないだろうが。むろん、アリバイ工作の為に北欧軍に不公平感が出ないように北欧軍に参加する各国軍にも同様の兵器が送られている。
その兵器とは20式203o野戦榴弾砲という重砲だ。
履帯を装備しているが動力は内蔵しておらず、砲牽引車による牽引を行うが軟弱地対策として装軌式を採用している重砲だ。有効射程は95式155o野戦重砲や、その廉価型の10式155o榴弾砲にやや劣るが、毎分約1.6発の発射速度を有する砲弾の威力に関しては強烈の一言に尽きる。
供与兵器は20式203o野戦榴弾砲に留まらず、その重砲の牽引を行いながら継続的に弾薬補給を行う20式砲側弾薬車が付随していたのだ。車体以外は可能な限り既存品のあり合わせを基本に作られていたが、に優秀な車両になっている。運用に必要な327馬力の出力を得るために甲式戦闘機1型に使われていた航空機エンジンのモンキーモデルを搭載し、不整地走破、越壕、越堤、登坂などの能力に長けており、また203mm砲用の砲弾・炸薬の最大搭載量は35発に達していた。砲弾・炸薬の揚降には車体右後部に設置した小型油圧式クレーンを用いる。実用的かつ有力な支援車両が乏しい、この時代の支援車両としては破格の性能といえるだろう。
設計の原案になったのはM201A1榴弾砲である。
これまでに北欧軍に所属として展開している各国軍に供与されている20式203o野戦榴弾砲の数はフランス軍に18門、スウェーデン王国軍に4門、フィンランド軍に4門である、予備砲身及び砲身命数を上回る量の弾薬が用意されていた。
日本帝国の友好国が軍事の運用に於いて帝国軍(国防軍を含む)式を採用した場合には、その採用度に応じて兵器価格が安く日本帝国から購入できるので、北欧軍では日本語の浸透が進んでいる。安価で優秀な兵器を入手するためにチベットのガンデンポタン軍のようにフィンランド軍では、北欧軍の中でも日本語の浸透がもっとも進んでいたのだった。
ルネ中佐を乗せた4式大型飛行船「銀河」が着陸態勢に入る。
随伴している兵達は興奮気味だった。
「おお…これが噂に聞く習志野基地か!」
「近代化して僅かな国とは信じられん…」
「あの滑走路は2kmいや3kmあるんじゃないか?」
「だがあの滑走路で一体何を飛ばす気なんだ?」
「それよりもあの巨大な格納庫の群れも気になるぞ!」
窓から見える習志野基地の規模にフランス軍の面々が驚きの声を上げた。別の用件で北欧軍から習志野基地へと向かう日本人の中にも彼らと同じように驚きの声を上げた者もいる。
この習志野基地は千葉県北西部から船橋町にかけて広がる広大な敷地を国有化し、拡張を続けて教育・研究機関、各工廠、飛行場と大規模滑走路、滑走路に作られた巨大な格納庫の群れ、そして実弾演習すら可能な演習場を有する大規模な軍事基地に成長していた。
二宮忠八(にのみや ちゅうはち)と奈良原三次(ならはら さんじ)の二人も航空機関連の技術者として勤めている。二宮は帝国軍から帝国重工に籍を移していたが、上司である真田の進めもあって二宮飛行神社の神主を勤めながらも、輸送機関連の技術者として第一線で活躍していた。 また、習志野基地には帝国軍に於ける航空作戦に関連する情報収集及び分析、配布、保管に関する業務行う航空作戦情報隊も設立されている。 現在の習志野は幕張地区と同じように国防上重要な地域と指定であり、飛行制限圏に制定され許可を受けた航空機しか飛べない。故に上空から基地の全貌を見ることが出来る人は限られていたのだ。
この飛行船に搭乗しているフランス軍の兵士達はこれまでの政治状況も相まって知日家や親日家が多くなっていた。軍関係に絞っても条約間戦争で発生したフランス軍の傷病兵に対して国交改善以降に帝国重工が行った高度先進治療による治療、薩摩級戦艦を初めとした優秀な兵器を安価供給、そして北欧軍の各基地に対して行われた広報事業部による公演が、北欧軍に参加するフランス軍から広がる情報がフランス本土に展開するフランス軍の価値観を変えるには充分なものだったのだ。工作紹介による介入も変化の後押しに一役買っていた。
「私も驚いたが現実として認めなければならない。
認めなければ変化に置いて行かれてしまう。
第一、これまでの成果を否定できない」
冷静沈着なルネ中佐は兵士たちと同じように驚く副官に言う。その様子から驚いている節は少ししか感じられない。ルネ中佐はこれまでの実績及び、北欧軍で実体験した経験から日本側が優れた施設を有するのは確定事項だった。ルネ中佐にとっては習志野基地の光景は、確認作業に等しい。
「いずれ日本にある各基地もこのような規模になるのでしょうか?」
「それは早計だな。
我が国のサン・ジェルマン・アン・レー城や、
ヴェルサイユ宮殿のような建造物はすばらしい物だが、
そこら一帯に溢れ返っているか?」
「ないですね」
「分野は違っても本質は似たようなものだ。
少数ないしひとつで充分、
あるいはコスト的に多数の整備が難しいのだろう」
「なるほど」
冷静なルネ中佐らしい合理的な判断である。そして正しかった。習志野基地のような大規模な基地は予算的を初めとした制約もあって多くは作れないし、ある程度集約させた方が効率も増す。
「それに注力すべきはそれを使う人材だろう。
北欧軍で彼らに接したからこそ判る。
彼らは戦争では勇敢で仕事では勤勉で、
他民族と比べて個人よりも全体を重んじる傾向が強い。
そこに進んだ技術が加われば大きく躍進するのも当然といえるだろうな」
副官はルネ中佐の合理的な分析に舌を巻く。ルネ中佐のような考えは現在のフランス軍部では珍しいものではなかった。特に高度な分析能力を必要とされる上級将校ではより強い。フランス陸軍では戦術観測用の航空機や装甲戦闘車両の開発、そして歩兵部隊から独立した戦車集団の運用理論を掲げているジャン・バティストウジェーヌ・エスティエンヌ中将を筆頭に帝国軍や国防軍との交流を北欧軍を足掛かりに行おうと努力していたほどだ。
「それに比べて、
わが国は議会からして非効率ですからね」
副官は周囲に聞かれないように小声で言う。
ルネ中佐は副官の言葉を聞き逃して折らず困った顔を一瞬浮かべる。
副官が言うように、かつてのフランス議会は極左、左派、中道左派、中道派、中道右派、右派、極右と別れて不毛な論議を繰り返していたが、条約戦と欧州大戦を経て、政治環境の変化もあって極左、左派、極右のような混乱しか生まない勢力は減退し、中道右派の勢力が増していた。アーヴァイン重工が中道右派の一部議員に資金援助を行うことで安定化を進めていたのだ。
「前よりマシになったさ。
だが、控えめとはいえ政府批判と取られない会話を他所では行うなよ。
面倒ごとが起これば、ただでさえ削られ気味の軍事予算が更に減りかねない」
「了解しました」
基地に降り立ったフランス陸軍の面々に日本側の案内役として大佐に昇進していた滋野が待っていた。滋野大佐はハワイ開放戦とアラスカ制圧戦の航空作戦で活躍した後、日本本土に戻って帝国重工の協力を経て、航空輸送部隊の設立に向けた輸送機開発の責任者として尽力している。この世界でも史実と同じように空中輸送の必要性を説いていたのだ。滋野大佐は通訳を連れていなかったが、フランス語に精通している彼にとっては問題なかった。
滋野大佐は同じ航空畑を歩むルネ中佐に握手を交してから高機動車へと招く。習志野基地の規模からして徒歩での移動は時間がかかりすぎるので長距離移動では車両移動が主流になっている。さすがにこの時期になると軍用の兵員輸送車両はイギリス帝国のバスを改良した1910B「オムニバス」の車両を初めとした、各種車両が各国にあるのでそれ程珍しいものではなかった。副官と随伴の士官・下士官達は3式トラックの上部がキャンバストップになっている荷台を見て、自軍が採用するプジョーAC装甲車やシトロエン・ケグレスB1ハーフトラックを初めとした軍用車両内部の暑さを想像して少しだけ気が滅入るも、それをおくびに出さずに手荷物とともに速やかに乗り込む。3式トラックに乗車したフランス軍の面々は一往に驚きの表情を示す。
「蒸し暑くないっ!」
「すげぇっ
この部分から涼しい風が出ているぞ」
現在の3式トラックの荷台の側面2箇所には世界規模の展開に合わせた改良の一環として冷暖房装置が設置されている。熱帯及び寒冷地での人員輸送用も考慮した改良であり、現に、北欧軍として参加している帝国軍と国防軍の各部隊も同様の車両を使用していた。
フランス陸軍の面々が驚くのも当然である。
各国に於ける軍用車両では寒冷を除けば、荷台にある幌を下ろしたり扉を閉めた状態で人員輸送を行えば大抵は車内に篭る湿気で蒸れる程になるだろう。しかし、この3式トラックではそのような事はなかった。後に北欧軍の各国軍から3式トラックの高い利便性から輸出を熱望されるようになり、それに応じる形で帝国軍技術研究本部で3式トラックのエンジンと材質を輸出用に変更したモデルの開発が進められる事になる。
「どうですか、北欧軍の状況は?」
先頭を走る高機動車の後部座席に座る滋野大佐は隣に座るルネ中佐に尋ねた。
「概ね小康状態ですが、
最近は赤軍による戦術偵察が多くなってきました」
「噂に聞く義勇兵として参加したイギリス人パイロットによる航空部隊ですか」
「イギリス帝国は先の大戦で得た利益だけでは収まらず、
新たにソ連を嗾けて何を企んでいるのやら」
冷静なルネ中佐が忌々しい口調で応じたように、赤軍には義勇兵としてイギリス人パイロットが参加している。イギリス帝国は基本的には装備の供給に留まっていたが、例外として航空機パイロットに関しては義勇兵という形で派兵していた。オーストラリア連邦の陸軍航空隊である1917年に編成された第5飛行隊の大半が義勇軍として参加している。
現在の赤軍には航空機及びパイロットに適した人材が不足していたので、このような措置が採られていたのだ。一応は、義勇軍パイロットの表向きは退役軍人による義勇兵や傭兵という体裁を取り繕っていたが、イギリス側の言い分を信じているものは、これまでの実績もあって極少数派に留まっていた。ルネ中佐の返答からして北欧軍に参加している人々からどのように見られているかが判るだろう。また、イギリス帝国がソ連政府に供与した航空機はソッピース7F.1スナイプ戦闘機、エアコーDH.9A軽爆撃機、ハンドレページO/400重爆撃機の3機種であり、イギリス人義勇兵とオーストラリア人義勇兵には7F.1の改良型であるソッピース7F.6ドラゴンに搭乗している。 7F.6は7F.1と比べて最高速度は195km/hから240km/hに強化され、実用上昇限度7620mまで向上していたものの取り扱いが難しい事が災いして試作機止まりの戦闘機だ。この世界では7F.6は紅葉迎撃用の機体としてイギリス軍から期待されていたこともあって改良が行われた後に量産が始まっていた。
「海軍増強に向けた準備も考えられます」
「その線が濃厚でしょう。
今行われている軍縮交渉を見ても、
イギリスが一人勝ちをしようとしているのが良くわかります」
軍縮交渉とはイギリス帝国によって開かれたロンドン海軍軍縮会議は世界初の多国間軍縮条約である。そのお題目は、歪な軍事バランスによって生じる戦争抑止だ。イギリスが提案した軍縮案は大雑把に言うならばイギリス帝国、日本帝国が8万トンの戦艦削減、フランス共和国、ドイツ帝国が6万トン分の戦艦削減だ。日本側はアメリカとの戦争中を理由に拒絶。フランス共和国、ドイツ帝国も数少ない戦艦の大半を喪失する一方的な軍縮案に拒絶。軍縮会議は荒れに荒れていたのだった。
「戦艦削減をトン数で決めるとなると、
貴国の場合は割が合わないでしょうね」
「まったくです。
お互いイギリス帝国には苦労させられますね」
帝国軍と国防軍を合わせた戦艦は11隻である。長門級が10隻で薩摩級が1隻だ。対するイギリス帝国には多数の戦艦が存在しており、その中には軍縮の数あわせとして廃艦にしても惜しくない旧式戦艦が多数存在していた。これらの事から、旧式戦艦を廃艦にすることでお茶を濁そうとする、隠そうともしないイギリス帝国の意図が判るだろう。
「これからもイギリスの横暴に対抗するために貴国とは、
もっと親密にならねばならないでしょう」
「私も同意意見です。
おそらく上層部も同じ考えだと思います」
「それは心強い」
滋野大佐はとルネ中佐の会話が弾む。こうして彼らは宿舎へと案内され、その夕食には小規模ながらも帝国軍広報部と国防軍広報部(旧・広報課)を交えた歓迎会が開かれ日仏友好が図られていくことになる。
歓迎会を経て、長旅の疲れを癒した翌日は絶好の飛行日和となった。
フランス軍の面々は甲式戦闘機4型の試験飛行を行うべく朝食後に滋野大佐の案内の元、車両にて滑走路に隣接した大型格納庫の一つに向かった。フランス軍の面々は格納庫内に並ぶ洗練された4機の戦闘機を見て感嘆の声を上げる。興味深そうに機体各所を触る者もいた。4機の機体を用意したのは試験飛行の効率性を上げる事と、安定して生産できる証拠を示す意味もあったのだ。
「おお、これがタイプ4か!」
「形もC.59/2より洗練されてるな」
甲式戦闘機4型は帝国軍と北欧軍で使われている甲式戦闘機3型の改良型である。甲式戦闘機2型の主翼構造の強化を行って機体強度を高めたのが甲式戦闘機3型であり、その3型の設計を再度見直して、エンジン主力を強化を行い、コックピット周りの防弾強化とプロペラ同調機銃を従来の7.62oから12.7oの95式重機関銃2丁に換装したのが最高速度275km/h、実用上昇限度7800m、航続距離400kmを有する甲式戦闘機4型だった。胴体に設けられた兵装架には120Kgまでの爆弾搭載が可能になっている。
複葉・固定脚の戦闘機であるが、甲式戦闘機の最終発展型として予定されている甲式戦闘機6型に至っては戦闘機としては1930年まで使用可能な設計になっており、それ以後は近接航空支援機として使用する計画だ。最終進化型の6型をあえて史実の機体で例えるならHs123が近い。
早速、滋野大佐の許可を得てフランス軍による試験飛行が始まった。
発進準備は帝国軍の整備兵が既に整えており、後は操縦士(パイロット)が乗り込むだけである。ルネの命令を受けた飛行服姿の士官が甲式戦闘機4型に乗り込むと、整備兵が運転する牽引車で手際よく滑走路の運ばれていく。滑走路両側には滑走路灯が整備されており、対応している機体ならば時間を選ばずに離着陸が行えるようになっている。
滑走路に到着すると牽引車が離れ、甲式戦闘機4型は管制塔の指示に従って離陸行動を始めた。ルネ中佐はその様子を見守る。ルネ中佐は双眼鏡を片手に飛びだった甲式戦闘機4型を追う。
「上昇力と速度はC.59/2と比べて桁違いに凄いぞ。
次期主力戦闘機として申し分がない…」
これならイギリス人の航空戦も楽になるぞ、とルネ中佐は期待に胸を膨らませながら審査を続ける。飛行計画は事前に決められており、操縦士(パイロット)はそれに則って行う。変更がある際には無線機を通じて指示を出す。控えめに評価しても4型は3型とは別機とも言える様な進化振りであり、ルネ中佐でなくても僅かな時間でC.59/2より格段に優れた戦闘機なのが判ってしまった。日本帝国軍が用意した対ソッピース7F.6ドラゴンの戦闘機だったので当然といえるだろう。
上昇と下降を繰り返した後、
ルネ中佐の指示によって試験は旋回機動へと移る。
「機動性もかなりのものだな」
ルネ中佐を初めとしたフランス軍の熱心に飛行試験を進めてく。滋野大佐を始めとした日本側もフランス軍がどの分野を重要視するかを知るには良い機会だった事もあって、試験を見守る様子は真剣そのものだ。日仏の将校が見守る中で順次残る機体も離陸を行った結果、飛行性能は全般的に「優良」ではなく「革新的」と判断が下った。その翌日には実弾を用いた射撃と爆撃試験も行われたが、これも飛行試験と同様の判断が下り、実戦テスト行うために8機の先行量産型が北欧の地に持ち込まれることになる。また、輸送の際には2隻の4式大型飛行船「銀河」を用いて、可及的速やかに運ばれたのだった。
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【あとがき】
フランス軍の強化が始まりましたw
北欧軍に展開しているフランス軍は本国部隊よりも重装備になっていく事に(汗)
(2015年09月27日)
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