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帝国戦記 第五章 第09話 『サン・バルテルミー海峡海戦 中編』 


すべての偉業には始まりがある。
しかし最後までやり続けなければ真の栄光はない。


フランシス・ドレーク





1915年 5月14日 金曜日

戦艦「薩摩」の提督用居住区には明日に行われるイギリス帝国のチェンバレン議員との会談に備えて高野が来艦していた。会談は薩摩で行われる予定で、会談の内容は上海条約に関する意見交換である。

上海条約は中国大陸とその近海に及ぶ条約だ。
当然ながら、清国の主権から離れた満州地域にも及ぶ。

満州地域は実質的にロシア帝国の支配下に置かれていたが、イギリス資本、ドイツ資本、フランス資本の進出が行われている。その様子は現在でも変わらない。連合国と中央同盟国は戦争状態だったが上海条約によって列強間では中国大陸は中立地帯として扱われていたので、このような事が実現していた。アジア方面での対立を望まない日仏の働きかけと列強各国に於ける各財閥の働きかけが大きい。

ただし中国大陸は両陣営に於ける戦争継続に活用されていた。
各種資源の提供だけではなく、兵員としても…

連合国側に於いては欧州戦線の東部戦線に多数の清国人傭兵をロシア帝国が投入していた。アーヴァイン重工の顧問として辣腕を振るう元・ロシア帝国内務大臣のプレーヴェの案である。狡猾なプレーヴェらしく清国人傭兵の扱いは成功報酬としての契約となっていたのだ。要するに、ロシア帝国軍の各軍団に配属された傭兵部隊は司令部が定めた目標を達成しなければ最低限の賃金すらも貰えない。

清国人傭兵部隊に与える任務は困難を越えた鬼畜任務で占められており、正規軍でも失敗するようなものを平然と与えていたが、そのような過酷な職であっても清国では人気職の一つだった。

その理由は大きく三つに分類できるだろう。

一つ目は清国では軍閥間の軍事衝突によって多数の国内難民が発生しており、国内難民の状態では政府軍や軍閥に強制徴募される危険性があった。強制徴募兵になれば死なない程度の食事だけ与えられた状態で、督戦隊の監視の下で強制的に戦闘を続行させられる厳しいものだ。 二つ目は強制徴募兵では場合によって栄養失調で死ぬ場合があったが、ロシア帝国の傭兵であっても逃亡防止用に督戦隊の存在はあったが、それでも1日2食は食べられるし、シベリア鉄道から東部戦線に移動する間は死なない。三つ目は強制徴募兵は無償奉仕に終始するが、傭兵の場合は生存率が極端に低いものの任務を達成すれば給与が支払われる。

また西部戦線の最前線にも清国人傭兵部隊の投入が始まっていた。こちらはフランス船舶による輸送である。上海条約が中立を保障するのは中国大陸及び東シナ海の範囲であり、それ以外の地域は欧州戦線の参加国同士にとっては戦争地帯なので、安全に運送するなら中立国の船舶を使うしかない。

中央同盟国側、特にドイツ帝国にとっては清国よりも満州地域にあるアーヴァイン重工が発見し、採掘権を得ている大慶油田で産出される原油と、復州、長城、開□、博山で採掘が始まった明礬石、礬土頁岩の鉱石が重要だった。

大慶油田は硫黄分が多い重油質気味で、常温で固まってしまう特殊なものだったが石油採掘プラントは帝国重工から購入した設備によってアーヴァイン重工は商業運用に載せている。原油はシベリア公国に輸送され、そこで帝国重工の技術協力によって設けられた加工プラントで燃料の生産を行う。そこから重油やガソリンとして精製された後にフランス船籍がドイツ本土まで輸送を行っている。燃料輸送に関しては日本帝国で建造されている一等輸送艦の派生である一等油槽艦が各国の主流になりつつあった。

明礬石、礬土頁岩に関しては日本帝国に運ばれ、そこでアルミインゴットに精製してからフランスに売却され、そこからドイツ本国へ運ばれていたのだ。そして、アルミインゴットの一部は価格の面からイギリス帝国にも売却されている。

石油資源に関しては日本帝国は帝国重工の5式燃料2型(第五世代バイオ燃料)によって石油資源は不要だったが、日本からの資源依存を危惧する欧米諸国は石油資源の活用を模索していた事と、戦争当事国への輸出を停止していた事もあって連合国と中央同盟国は石油資源は各国に於いて欠かせない重要なエネルギー資源になりつつあったのだ。もっとも、その石油精製技術に関しては帝国重工が他に先駆けて開発して特許を取得していたので、石油精製を行うならば特許料を支払わなければならなかったし、十分な性能のものを求めるならば精製施設を帝国重工から購入しなければならなかったのでエネルギー資源の完全自給には至っていない。日本側がら直接の輸入が適わない国々はフランス共和国を介して輸入している。各国が現在使用している石油精製は1911年に帝国重工がウィリアム・M・バートンに先駆けて開発していた熱分解法及び熱分解装置であり、シベリア公国にある帝国重工の租借地に建設されていた施設ではより進んだ水素化分解法で行われている。施設を運用するのは帝国重工の技術者と化学工業技術向上の為に出向している帝国軍燃料廠の技術士官だった。何しろ大慶油田が産出する原油がパラフィン基原油だったので減圧蒸留塔の残油から潤滑油、パラフィンワックスの精製に適していたので、精製技術の習得にはもってこいである。5式燃料2型から潤滑油などを精製するにも相応の技術力が必要だったのが理由だ。

帝国重工は水素添加用反応塔に使う特殊鋼に留まらず精製時の負荷に耐えられる軟鋼、クローム・モリブデン鋼の販売はアーヴァイン重工との取り決めによってシベリア公国の施設を除いて行っていない。また、この取り決めの一環として、アーヴァイン重工は帝国重工に格安で各種の資源を輸出していた。

そして、明礬石と礬土頁岩を日本本土で加工を行うのは、ボーキサイトではないこれらの鉱石からアルミを精製する技術が欧州には無かったのが理由だ。この精製技術は史実に於いて1934年に森興業株式会社(日本電気工業)によって開発された技術である。そして、帝国重工は森興業株式会社の創設者である森矗昶(もり のぶてる)に対して助言及び技術提供を始めとした各種の助力を行うことで森興業株式会社を早期に設立させ、この時期に精製技術の実用化に漕ぎ着けていたのだ。

このように日本の中国大陸進出阻止を抜きにしても上海条約の存在が欧州戦線によって、より重要なものへと変わっている。

高野はサユリとカオリを自室に呼び、
これまでの状況に関する意見の刷りあわせを行っていた。

「状況からして敵が確かな情報を得ているのが判るな」

高野とさゆりが示す状況とは、SUAV(成層圏無人飛行船)が捉えた情報を指す。それは南下を続ける戦艦7隻、水母1隻、防護巡洋艦2隻、駆逐艦16隻からなるアメリカ大西洋艦隊だった。国防軍は条約間戦争時と同じようにSUAV(成層圏無人飛行船)によって敵主要艦隊を監視下に置いていたのだ。また、軽巡1隻、駆逐艦5隻、兵員輸送船と思われる雑役艦8隻からなる別働隊も補足済みだった。貴重な主力艦艇を極秘裏に動かしかつ、商船を避けて航行している事実からして、特殊な軍事作戦を行おうとしているのが判る。

「不確定な情報でこれだけの戦力は動かせませんからね」

「そうだね。
 アメリカ側の目的は十中八九…
 薩摩の撃破によって国威上昇を図って南米に対する押さえを得つつ、
 大西洋方面の安全を確保する事で艦隊戦力の大半を太平洋に移すことかな」

「理に適ってますが、いささか疑問が残ります」

「判っている。
 潜水艦及び航空偵察の有無は?」

「イギリス潜水艦がセントクリストファー島の沖合いに1隻居ますが、
 通信記録はありません」

「なるほど…
 この島の半径50Km圏内の過去192時間分の通信ログを洗って欲しい。
 キーワードは"薩摩"及び、それに該当する符丁で頼む」

高野が半径50Km圏内を指定した理由はサン・バルテルミー島があるリーワード諸島には多数の島があったからだ。 サン・バルテルミー島の最寄でかつフランス領だったフルシェ島などの小島は日本領として編入していたが、それ以外の島々には他国の領土であり、数多くの領土が存在している。 サン・バルテルミー島の約50Km程の近隣に限定してもサン・バルテルミー海峡の北西18Km先あるセント・マーチン島の北側がフランス領、南側がオランダ領に分かれた島があるし、セント・マーチン島の北6Kmにはイギリス領のアンギラ島があった。サン・バルテルミー島の南に47Kmにはオランダ領のシント・ユースタティウス島があり、そこから南東10Kmにはイギリス領のセントクリストファー島があった。

検索は通過した船舶も含まれるので情報の漏れはない。

傍受対象は電波、弱電磁波、磁気に留まらず、強い反射光(グリント)から狙撃兵などを探知する戦場光学監視システムを応用した特定反射光探知装置によって発光信号や赤外線信号、レーザー信号すらも情報として残す事が可能になっている。

「1254件になります。
 ですが監視言語に掛かるようなものは有りません」

「構わない見せてくれ」

セキ・システム(全世界通信傍受・中継システム)を運用している国防軍ならでこその芸当だった。必要な時に傍受した情報を閲覧する事が出来る。ただし、情報の区分によって閲覧権限の段階が設定されているので誰もが利用できるわけではなかった。もちろん、高野とさゆりは最高位のものを有している。

(内容には特に怪しいものは見当たらないな。
 しいてあげるならイギリス艦に行われる平文による定時報告…

 なるほど、イギリス艦が定時報告を装って通報艦の役目を担う。
 そして有罪の証を作らずにアメリカへの協力を行うことで、
 イギリス帝国が漁夫の利を行う心算か。

 だが、アメリカ側がこの島に上陸を行う利点……
 目標が島でなければ筋が通る。アメリカも考えたものだな)

「英米が共通の目的で動いているのはほぼ確実でしょう。
 会談が誘引する餌で、
 表敬訪問はさしずめ時間稼ぎと誘導と言ったところかな」

高野が推論に至った理由を説明する。

「イギリス艦が行っている提示報告は、
 我が艦隊の所在通報を兼ねていると!?」

話を聞いていたカオリが驚きの声を上げる。
表敬訪問として来ていた艦が実は謀略の一部ともなれば驚く。

「そうなるね」

「ホール少将もその事は知っているのでしょうか?」

「知らないだろうね。
 この種の謀略は知っている人間が少ないほうが良いし、
 薩摩と一緒に沈む事でイギリスの潔白の証明になる。
 おそらく観戦武官として乗り込むような命令が下っているはず。
 優秀な人材を犠牲にする事で無実を勝ち取る、いわば必要な犠牲でしょう。

 加えてチェンバレン議員が来るとなれば、
 日本側は生半可な人材を送り出す事が出来ない。
 軍艦に続いて有力議員が表敬訪問を行い、
 その薩摩で会談を開くとなればイギリス側の狙いが見えてきます。

 日米の弱体化及び対立の激化でしょう。
 イギリスにとっても薩摩級の存在は疎ましいでしょうし、
 加工した資源がフランスからドイツに渡るのは阻止したい。
 そこで情報面でアメリカを支える事で望ましい方向に誘導する。

 だからこそ、会談で誘き寄せた日本側の高官を薩摩ごとアメリカ軍に処理させる事で、
 日米対立の加速と、安定期に入った日本側をも混乱させる。
 私ですと公爵領と帝国重工の混乱になりますね」

アメリカ艦隊による奇襲攻撃が行われれば会談が薩摩で行われる以上の点から、高官の死は不回避を言えるだろう。米西戦争ではアメリカ艦隊はプエルトリコのサンフアンを艦砲射撃を行っているので、陸上施設も安全ではない。そして、会談に於けるイギリス側の代表がチェンバレン議員のような要人ともなれば、外交上の礼儀からして日本側も相応の人物を用意しなければならなかった。目安とするなら総理か副総理、あるいは皇族か高野のような重要人物が好ましい。外務省からの要望で高野はこの地に来ている。

そして、高野の推測は当っている。アメリカ艦隊の奇襲によって、これらの人物が死亡すれば、日本側の敵愾心を大いに駆り立てる事ができるとチェンバレン議員は考えていたのだ。チェンバレン議員は自らの存在を隠しながら、切れるカードを駆使して高野が会談に出向くように日本帝国外務省に働きかけていたのだった。高野が会談の相手と知ったときには、目障りな帝国重工を混乱させる事ができると物騒な笑みを浮かべたほどだ。

「まさか…そこまでしますか?」

「イギリス帝国を侮るのは危険ですよ。
 第二次世界大戦時には暗号解読技術を秘匿するために有力な工業都市である、
 コベントリーすらも犠牲にしています。
 戦略に必要とあれば自国民を犠牲に出来る…あの国からすれば、
 他国民はより簡単に切り捨てる事ができるのは道理でしょう」

歴史の事実から引用されれば反論する事ができなかった。イギリス外務省暗号研究所は数学者アラン・チューリングを中心とした開発チームが製作していた電気式計算機「チューリング・ボンベ」による暗号解読によって工業都市コベントリーに対する爆撃計画を情報を事前に掴んでいたにも関わらず、当時イギリス帝国宰相であり、後にノーベル文学賞を受賞するウィンストン・チャーチルの指示によって、暗号解読能力を秘匿するために、爆撃情報をもみ消していたのだ。

戦略に必要な事ならば冷徹になれるのが、
イギリス帝国の強みと言っても良い。

さゆりとカオリはイギリス帝国に潜む薄ら寒い闇を垣間見たような感じがした。自分たちが科学技術で勝っても決して油断が出来ない相手と気を引き締め直す。

「首謀者は誰でしょう?」

カオリの問いに高野は確証を得られてないので答えを保留にする。しかし、手段を選ばず的確な点を突いて来る事と、今回の謀略を行うに必要な政治力からチェンバレン議員だろうと予想はしていた。

高野はさゆりに国防軍の複合演算機群と連結する質問応答システムに分析を命じる。これは今年になって動き始めたシステムで、使用権限の階位に応じた返答が成されるようになっていた。電子知性体と違って自我は有しておらず、客観的な判断が常に行われるようになっている。高野は自分自身で判断する事が出来たが、システムの実用的な反応を見るために使ってみたのだ。質問の内容は"戦略方針に影響を及ぼさない最善の方法"である。

「結果はスクリーンに出ます」

「なるほど、少し甘いかもしれない。
 これに英米双方にプラス30%の優位性を追加して再算出を頼む」

再算出の結果は直ぐに出る。

「なかなか…厳しい結果が出ましたね」

表示された内容にカオリが言う。最善の方法はカリブ海艦隊を用いた迎撃戦に於いて現有戦力のみを使用し、アメリカ艦隊に於けるイギリス製戦艦の全艦撃破である。高野のみならずカリブ海艦隊の退避による影響はイギリス帝国が仕掛ける流言及び誹謗に使われる可能性が87%と出ていた。

「システムが正常に動いていて安心したよ。
 戦略に悪影響が出るような兵器を安易に選択しない点で信用が置ける」

質問応答システムを使用して"電子励起兵器による一掃"などと表示されたら、高野はシステム自体の修正を提案していただろう。電子励起兵器を使わなくても国防軍には強烈な兵器が存在する。その一つとして、国防軍には過去にカオリが立案していたフランスに対する懲罰作戦用として10トン級大型誘導爆弾の搭載可能な戦略爆撃型の4式大型飛行船「銀河」を本格的に改修した8式大型飛行船「連山」があった。連山は10トン大型誘導爆弾なら14発、1トン爆弾なら148発の搭載が可能な大型戦略爆撃機である本機は第一次世界大戦に本格的な参戦をしなければならなくなるような事態の中で更に最悪の事態が起こった際の備えでもある。

そのような最悪の事態が起こった際に於ける本機の役目は攻略に面倒な塹壕線を断続的な絨毯爆撃によって粉砕するのが目的だった。 そして改修元の4式大型飛行船「銀河」よりも搭載量が減少しているのは最高速度上昇と防御力強化の結果だった。連山は高度30000メートルからの高高度爆撃専用であり、爆撃には最低でもCL-25爆薬系の1トン誘導爆弾を使用する強烈なものだ。もちろん、現状の情勢は日本側の本格参戦は絶対に有り得ないので連山の出撃は随分と後になる。

「如何なさいます?」

「もちろん英米の思惑を見過ごせないので迎撃を行う。
 大丈夫だ。
 高度な電子兵装があるので勝算は十分にある」

「判りました」

高野の言葉にさゆりは納得する。
彼女にとっては高野の言葉は何よりも優先する言葉だった。

(どうやらイギリス帝国には何らかの押さえが必要なようだな。
 私も誘き寄せられた可能性は否めない。
 イギリスに対する措置は最高意思決定機関と話し合って決めるとして…
 今は目下の脅威に専念するとしよう)

「さゆり? どうかしたの?」

「少し考え事をしてただけ」

「そう」

カオリは、さゆりのほんの微小の違和感を感じたような気がしたが、さゆりの反応を見て気のせいだと納得する。それは気のせいではなかった。高野が策を考えている中、さゆりの内心では譲歩を行っても平然と謀略をかけてくるイギリス帝国と、その謀略に易々と乗ってしまうアメリカ合衆国に対する憤りと、不安が満ちつつあったのだ。この件が切欠となって、さゆりが行う戦略提案の内容がしっぺ返し戦略(TFT戦略)から、抑止理論とEBO概念(Effects-based operations)に基づく方向へ、やや移行することになる。
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【あとがき】
イスラエルが行った競合者及び関係者に対する間接的反応戦略の拡大版、もしくはアメリカのテーラード抑止戦略(Tailored Deterrence Strategy)に近いかも?

意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2014年05月08日)
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