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帝国戦記 第五章 第08話 『サン・バルテルミー海峡海戦 前編』 


イギリスの国防線は領海線でもなければ、
イギリス海峡の中間線でもない。
それは大陸側の港の背中にある。


フランシス・ドレーク





1915年 5月11日 火曜日

大西洋に浮かぶ日本領サン・バルテルミー島。この島の西部沿岸にあるフランス風の町並みが広がる港町グスタビアはサン・バルテルミー島の中心の町だった。港の規模は入り江を囲む小さな規模に留まっていたが、この港町には帝国軍と国防軍の合同部隊である日本カリブ海艦隊の本拠地が置かれている。艦艇の停泊は観光資源を損なわないように、また岸壁及び水深の関係から日本カリブ海艦隊の艦艇は港町グスタビアの港には直接停泊せず、港町グスタビアから伸びるF字型桟橋に停泊していた。

F字型桟橋には日本カリブ艦隊に所属する艦艇だけではなく、イギリス海峡艦隊第二戦隊に所属する防護巡洋艦「ハイフライヤー」が停泊している。司令官はハーバート・キング・ホール少将。史実に於いてはドイツ海軍のマックス・ルーフト少将率いる軽巡洋艦ケーニヒスベルクによる通商破壊戦の果てに発生していた、ルフィジ湾の戦いで防護巡洋艦「エンディミオン」で参戦していた人物だった。そして、イギリス海峡艦隊第二戦隊は先月までドイツ海軍の軽巡洋艦ケーニヒスベルクの追跡任務に当っていたが、撃沈どころか捕捉にすら至っていない。

この世界では軽巡洋艦ケーニヒスベルクは機関故障が小規模に留まり、加えて輸送船「ルーベンス」からの補給を無事に済ませていた事もあって、現在もイギリス艦隊から巧みに逃走を続けながらも連合国に対する通商破壊を継続していたのだ。 また、イギリス海峡艦隊第二戦隊に所属する「ハイアシンス」「エンディミオン」は周辺海域の警戒に当っており、イギリス海峡艦隊第二戦隊の本来の旗艦である装甲巡洋艦「ミノタウロス」は大規模な機関整備の為に本土のドックに入渠しており表敬訪問には参加していない。

そして、イギリス海軍に於ける防護巡洋艦の華々しい任務は今回の表敬訪問を機に減っていくのが確実だった。

その理由は簡単である。条約間戦争に於いて時代遅れと認識され始めたた防護巡洋艦の低速と脆弱性が、欧州戦線で繰り広げられた戦闘によって、より顕著になっていたからだ。1914年9月20日に行われたザンジバルの戦いでは、ドイツ帝国側の軽巡洋艦ケーニヒスベルク1隻の為に防護巡洋艦「アストライア」「ハイアシンス」「ペガサス」、武装哨戒艦「ヘルムート」の内、ペガサスが沈没し、ヘルムートが中破の損害を受けたにも関わらず、ドイツ側には被弾無しという結果だった。イギリス艦隊側の「アストライア」「ハイアシンス」「ペガサス」がザンジバル港に停泊し、機関出力の関係から出港まで20分も必要とした事実を差し引いても余りにも一方的な展開と言えるだろう。

もちろん、イギリス海軍も軽巡洋艦の配備を戦前から進めており、1912年からチャタム級軽巡洋艦を始めとする各軽巡洋艦の整備を行っていたので、防護巡洋艦の役目は船団護衛か警戒任務に移行しつつあったのだ。

そして、イギリス海軍が蒙っている損害の遠因は日本帝国軍にあった。

ドイツ海軍は条約間戦争に於いて日本艦隊の脅威に直面していた経験から、特に葛城級巡洋艦と雪風級護衛艦の対抗策を常に意識していただけに、欧州戦線に移行しても史実とは異なり建艦政策を潜水艦の大量建造に移さず水上艦を保っていたのだ。

潜水艦の建造を抑えた効果は大きい。何しろ水上艦と潜水艦とでは同じトン数ならば潜水艦の方が圧倒的に建造費が嵩む。そして、建造期間及び訓練期間も潜水艦の方が長くなる。加えて、日本側から得られた領土権の購入代金の全てが艦艇建造費に回されていた事と、アーヴァイン重工からの巨額の献金もあって、ドイツ海軍の水上艦の強化が進んでいた。

ドイツ海軍には葛城級に対抗するべく、ザイドリッツ級巡洋戦艦「ツィーテン」「ヴィンターフェルト」の追加建造、デアフリンガー級巡洋戦艦「ヒンデンブルク」の竣工前倒しという、4隻にも上る巡洋戦艦の就役に加えて、グラウデンツ級軽巡洋艦「アルコナ」「アウグスタ」、ヴィースバーデン級軽巡洋艦「ガツェレ」「ヴィネタ」「ヘルタ」「エリーザベト」、ケーニヒスベルク級軽巡洋艦 「アウグスタ」「ヴィクトリア」「ライプツィヒ」「セダン」の追加建造を成し遂げていたのだ。執拗に建艦競争に挑んでいたドイツ側の努力が実ったと言えるだろう。

ドイツ側に於ける4隻の巡洋戦艦の増加は海戦結果に変化をもたらしており、現に1915年1月24日に起こったドッガーバンク海戦ではドイツ側は装甲巡洋艦「ブリュッヒャー」、軽巡洋艦「アルコナ」、水雷艇「S178」を喪失、巡洋戦艦「ザイドリッツ」が大破となるが、イギリス側では巡洋戦艦「プリンセス・ロイアル」喪失、巡洋戦艦「ライオン」中破という損害を受けて、ドイツ側の戦術的辛勝に終わっていた。

ドッガーバンク海戦の参加艦艇は次のようになる。

デヴィッド・ビーティー中将率いるイギリス艦隊
ライオン級巡洋戦艦「ライオン」「プリンセス・ロイアル」「クイーン・メリー」
タイガー級巡洋戦艦「タイガー」
インディファティガブル級戦艦「ニュージーランド」
インヴィンシブル級戦艦「インドミタブル」

軽巡洋艦
「サウサンプトン」「バーミンガム」「ノッティンガム」「アリシューザ」
「アンドーンテッド」「オーロラ」

駆逐艦35隻


フランツ・フォン・ヒッパー少将率いるドイツ艦隊
デアフリンガー級巡洋戦艦「デアフリンガー」「リュッツオウ」
ザイドリッツ級巡洋戦艦「ザイドリッツ」「ツィーテン」「ヴィンターフェルト」
モルトケ級巡洋戦艦「モルトケ」

装甲巡洋艦「ブリュッヒャー」

軽巡洋艦
「グラウデンツ」「アルコナ」「アウグスタ」「ロストック」
「シュトラールズント」「コールベルク」

水雷艇18隻

ドッガーバンク海戦で両軍が蒙った損害は小破になる数知れず。英独双方が積極的な行動を控える要因にもなっていた。

一種の小康状態とも言えるこの時期にホール少将は海峡艦隊司令のルイス・ベイリー大将の命令を受けて表敬訪問に訪れている。

「艦内異常なし」

「ご苦労」

副官から報告を受けるホール少将。

(しかし、妙な命令だ。
 表敬訪問は判るが、
 定時連絡を行いながら定期的に写真を撮れか…
 内部調査ではなく今更外見の情報を集めてどうするのだ?)

ホール少将の懸念は当然だろう。確かに薩摩は他の薩摩級と比べて艦橋構造物や速射砲の数からして違っていた。しかし、これまで薩摩は各国の港に停泊しており、外見を写した写真ならば数多く出回っていたのだ。故に、わざわざ警戒させるような事を行うのは理解できなかった。そして、ホール少将が一番気にしていたのは開封時間が指定されている封緘命令書の存在である。ツテを頼って仕入れた情報によると大物議員の介入による任務らしいが、それ以上は知る事が出来なかった。

(まぁ気にはなるが、特に問題は無いだろう)

封緘命令書の存在が気になるも、ホール少将は現時点では任務を下された事に感謝すらしている。何しろ、条約間戦争で活躍した高野大将が3、4日後に薩摩に来艦する予定になっていた。来艦の目的は5月16日にイギリス本土からやってくる政治家との会談であり、ホール少将自身も会談の随員として参加する予定になっていた。日本海海戦で活躍した高野大将と直接会えるならば、多少の不可解な任務もまったく気にならない。

そして、ホール少将には今日は別の楽しみがあった。
日本側から昼食に招かれていたのだ。

日本帝国軍の食事の質の良さは観戦武官、表敬訪問、軍隊間交流を経て、各国の垂涎の的になっていた。基本的に士官、下士官、下級兵士の間に差が無い事も驚きだったが、逆にこれは交流に赴く軍属全てが日本軍と同じ食事を食べられる事を意味していた。もちろん、例外も存在するが。

「今日は薩摩に出向いて"大西洋の災厄"との昼食会だ。
 各人粗相がないようにしないとな」

「同感です。
 11隻の主力艦を損失艦無しに沈めた女傑ともなれば、
 一流の提督と言っても過言ではないでしょう」

ホール少将の言葉に副長が同意した。彼らが言うように日本カリブ海艦隊の司令官は"大西洋の災厄"こと、二条カオリが着任している。役職制度によってカリブ艦隊司令として行動している間のカオリの階級は少将となっていた。彼女はアメリカ戦に向けて学長を休職したままだ。

カオリはトラファルガー沖海戦、第一次ブレスト沖海戦を合わせて戦艦9隻、装甲巡洋艦6隻を沈めており、これは女性将校としては歴史に残る戦果である。そして、近代海軍初の女性提督としての名声も得ていた。加えてカオリは索敵撃滅戦略の著書としても有名だ。 索敵撃滅戦略とは、敵を上回る火力と機動力によって、敵部隊を補足しそれを撃滅する事で敵を消耗させて領域及び海上連絡線を守るというものである。

なんら問題の無い戦略に見えるが、これにも日本側が仕掛けた罠が隠されていた。索敵撃滅戦略は消耗戦略に基づく戦略であり、その実践には多大な国力が必要だった。そして、対応部隊の練成には時間もかかる上に、偵察能力が伴わなければ十分に機能せず、また不正規戦には弱い。

ただし、索敵撃滅戦略は守るべき確かな大規模拠点を保有する、大国間戦争に於いては極めて有効な戦略だった。

日本艦隊によって痛撃を受けていたドイツ海軍は敵の戦略を貪欲に学んでおり、索敵撃滅戦略の影響を少なからず受けている。軽巡洋艦や巡洋戦艦の増産に踏み切っていたのも、機動力の確保によって索敵撃滅戦略を実施するためだった。現に、ドイツ海軍はドッガーバンク海戦の辛勝によって失脚を免れていた大洋艦隊司令長官インゲノール大将は航続距離と速度に勝る軽巡洋艦を複数隻からなる戦闘群単位で通商破壊戦に投入し、イギリス帝国の海上連絡線を締め上げようと計画していたのだ。

「陸上戦もこなせるとなると、
 どのような戦闘主観をもっているか楽しみでもあるよ」

「ですね。
 索敵撃滅戦略に於ける無線装置を活用した急襲作戦で、
 伺いたい部分もあります」

「色々聞きたい事もある…昼食会が楽しみだな」

ホール少将の言葉に副長が頷く。

この時代のイギリス帝国では建前はともかく本質的には男性は公的領域、女性が私的(家庭)領域の意識が強かったが、公的領域に進出しているカオリに対する忌避感はハイフライヤーの艦橋では見られない。

カオリはその容姿と知名度から下手なやっかみを買うことがなかった。むろん、彼女がなし得てきた戦果もやっかみを抑えるに十分なものだったのもある。

そして、広報事業部のモデルだったことが大きい。広報事業部のモデルは、準高度AIたちの高い質と帝国重工の膨大な予算を投入している宣伝戦略もあって各国に於いてファンが多い。それは各国の軍隊に於いても例外ではなかった。むしろ、軍隊のほうが厳しい現実を忘れさせてくれる救いのような存在だった事もあって、一般社会の中よりも熱狂的なファンが多い。

拍車をかけるように広報事業部は欧州戦線の両陣営に対してダンスショーや水着などのファッションショーによる慰問を行っていたのだ。史実の例を例えるならベトナム戦争に従事するアメリカ軍に対してグラビアモデルたちが戦地を訪問し慰問を行ったがケースが挙げられるだろう。

極端な場合では、欧州戦線の前線では広報事業部のモデルを貶した将校が部下に見放されたり、場合によっては鹵獲していた敵側の武器で暗殺するケースすらあったし、逆に部隊長が応援しているモデルを貶した兵士を塹壕突撃戦に於ける最前列に配備するなどの問題が見え隠れしていたのだ。

もちろん、このような極端な者は少数である。

多くのファンは、興味も持たない人には押し付けるような事はしていなかったし、また各々が熱中するモデルを押し付けるのではなく、御互いに違うモデルに熱中していた場合は、それを認めある紳士的な行いが至上とされていたのだ。広報事業部のモデル同士は公私問わず仲が良い事がこのような事を可能にしていた。

これらの事から、広報事業部のモデルを悪く言う人々は極めて少ない。誰だって不要なトラブルは避けたいし、逆にモデルの話題を通じて人間関係を円滑にしようと積極的にモデルの写真集や書籍を購入していく者も居るほどだ。

「閣下、そろそろ昼食の時間になります。
 薩摩の方に向かいましょう」

「判った。
 時間に遅れてはイギリス海軍の恥になる。
 さっそく行こうではないか」

「噂に聞く日本軍の食事も楽しみです」

「同感だ」

ホール少将が5日後の謁見に思いを馳せている頃、アメリカ合衆国バージニア州のノーフォーク海軍基地から北大西洋艦隊と南大西洋艦隊を統合して編成されたアメリカ大西洋艦隊が駆逐艦から順次、港から出撃を始めていた。艦隊の旗艦は新鋭戦艦のフロリダ級戦艦の1番艦のフロリダである。このアメリカ大西洋艦隊を率いるのはブラッドリー・A・フィスク中将だ。ブラッドリー中将はアメリカ海軍に於いてアメリカ海軍で使用している、測距儀、舵角指示器に関連する100以上の装備品の開発に携わった士官である。しかも、早くから航空機に着目し、航空魚雷の考案を始めとした各種論文を発表するなど先見の明を有する人物でもあった。もちろん、技術畑のみに留まらず、彼は砲艦「モナドノック」で米西戦争に於いてマニラ湾海戦の経験も有していた。

ブラッドリー中将がアメリカ海軍に於いて成し遂げた功績の中で大きなものは、海軍航空兵力の基礎構築と、艦艇燃料の石炭から重油への移行計画の立案及び距離・長期間の戦闘に耐える洋上ロジスティツク支援体制の基礎計画の一部の考案である。

そして、フィスク中将率いるアメリカ大西洋艦隊は次のようなものだ。


本隊としてフィスク中将率いる、戦艦「フロリダ」「ユタ」「カリフォルニア(キング・エドワード7世級戦艦アフリカ)」「コロラド(キング・エドワード7世級戦艦ニュージーランド)」、水上機母艦「ライト」、駆逐艦「トラクスタン」「ホイップル」「ウォーデン」「ベインブリッジ」「バリー」「チョウンシー」の戦艦4隻、水母1隻、駆逐艦6隻からなる第一群。

ナサニエル・R・アッシャー少将率いる、「イリノイ(マジェスティック級戦艦マジェスティック)」「ウィスコンシン(マジェスティック級戦艦マグニフィセント)」 、駆逐艦「デイル」「ディケーター」「ホプキンス」「ハル」の戦艦2隻、駆逐艦4隻からなる第二群。

フランク・F・フレッチャー少将率いる、戦艦「ケンタッキー(マジェスティック級戦艦ハンニバル)」、駆逐艦「ローレンス」「マクドノー」「ポール・ジョーンズ」「ペリー」の戦艦1隻、駆逐艦4隻からなる第三群。

偵察警戒として防護巡洋艦「デモイン」「ボルチモア」駆逐艦「プレブル」「スチュワート」 の4隻が先行する。

「カリフォルニア」「コロラド」「イリノイ」「ウィスコンシン」「ケンタッキー」のような旧式の英国戦艦が5隻も含まれていたが、それでも戦艦7隻、水母1隻、防護巡洋艦2隻、駆逐艦16隻からなる大艦隊だ。本来は梅雨払いとして英国戦艦の投入は3隻を考えていたが、国威低下を懸念する財界側の要望も加味して確実な勝利を得るべくハワイ方面から増援を得て5隻に増えていたのだ。

また水上機母艦「ライト」は日本艦隊が実施している艦載機を用いた弾着観測や偵察などの役目を担うべく整備された艦で、水上機母艦「アーク・ロイヤル」を模倣したような作りになっている。搭載機数は6機であり、運用している艦載機はイギリス帝国のソッピース社から購入している水上機「ソッピース806」である。日本機と比べて著しく性能が落ちるが、この時代の欧米に於いては一流の性能と言える機体であろう。

この艦隊に加えて、キューバ東南部のグァンタナモ湾に位置する1898年の米西戦争で米軍によって占領され、キューバ新政府に対して永久租借を認めさせたグァンタナモ米軍基地からもヒューゴ・オスター・ハウス少率いる、軽巡洋艦「チェスター」、駆逐艦「スミス」「ラムソン」「プレストン」「フラッサー」「リード」、雑役艦「ハンニバル」「レバノン」「ナンシャン」「サターン」「ジェネラル・アラヴァ」「ダビューク」「パドゥカー」「マハンナ」からなるアメリカ・カリブ海艦隊も途中でアメリカ大西洋艦隊との合流を行うべく、極秘裏に出港準備を始めていた。これらの雑役艦には上陸部隊としてジョン・アーチャー・ジューヌ大佐率いる第1海兵旅団所属の1個大隊が分散乗船している。ただし、雑役艦「レバノン」は曳航船として運用実績が買われて参加している。

アメリカ大西洋艦隊の新鋭戦艦の数こそ少ないが、アメリカ海軍に於いて初の4軸推進を採用し、45口径305mm連装砲5基を装備している貴重な新鋭戦艦のフロリダ級戦艦「フロリダ」「ユタ」の2隻と「海兵の中の海兵」として名高いジューヌ大佐が参加している事からアメリカ海軍の意気込みが伺えるだろう。

アメリカ大西洋艦隊はフィリピン条約の期限切れを前に、サン・バルテルミー島に停泊している日本カリブ海艦隊に所属する戦艦「薩摩」、巡洋艦「浅間」「神威」、護衛艦「海風」「山風」「江風」「浦風」「冬月」「春月」「宵月」 からなる艦艇の撃破を目的としている。戦艦「薩摩」はアメリカの暴発を抑止するべくイギリス側の提案によって臨時編入が行われていた艦艇だった。

戦闘艦の他には工廠艦「初瀬」と一等輸送艦3隻がある。

こうして、英米間で進められた謀略によって日米間の海戦が久方ぶりに始まろうとしていた。
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【あとがき】
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(2014年04月27日)
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