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帝国戦記 第五章 第06話 『ニーオルスン基地』


今持っているものに満足しない者は、
持ちたいと思っているものを手に入れたとしても、
同様に満足しないであろう。


エーリヒ・アウエルバッハ





1915年 3月21日 日曜日

日米間に締結されていたフィリピン条約の期限切れまであと2ヶ月。太平洋方面での軍事衝突が秒読みに入っていた頃、欧州方面でも大きな動きがあったのだ。

昨年のタンネンベルクの戦いに於いてロシア帝国軍の第2軍が壊滅し、翌週に起こった第一次マズーリ湖攻勢でロシア帝国軍の第1軍が同じように壊滅したのだ。ロシア帝国軍は急遽、12軍団、15軍団、23軍団を投入する事で東プロイセン戦線の建て直しを図ろうとしたが、その試みは9月にドイツ軍が新たに第1軍、第2軍、第3軍、第20軍 を投入した事によって水泡に帰する。 ロシア帝国軍の12軍団、15軍団、23軍団はドイツ帝国軍による鉄道網を活用した各個撃破の戦術と1728門にも上る15cm野戦榴弾砲(15cm sFH 13Kulz)の大火力によって壊滅的な損害を受け、逆にロシア国境からドイツ帝国軍が雪崩れ込む事態を巻き起こしていたのだ。オーストリア帝国のガリツィア方面にも進撃していたロシア軍も、ドイツ第4軍(ヴェルテンベルク公爵)、第5軍(ウィルヘルム皇太子)とオーストリア帝国から借り受けた8門のシュコダ30.5cm臼砲によってガリツィアから叩き出されていた。

ドイツ帝国がこの時期に15cm野戦榴弾砲(15cm sFH02)ではなく、砲身長モデルの15cm野戦榴弾砲(15cm sFH13クルツ)の配備が進んでいたのは条約間戦争で活躍を見せた95式155o野戦重砲などの驚異的な日本重砲の活躍に触発され、重砲の開発と生産に力を入れていた事が要因である。

予想以上の展開に焦ったのはイギリス帝国だった。

確かにイギリス帝国に於ける対ドイツ戦略では、ドイツ帝国軍を誘引するロシア領内の奥地に誘引した状態で欧州方面で第二戦線を形成することで優勢に立つ計画だったが、このまま戦況が推移していけばロシア帝国の敗北は時間の問題と思われたからだ。早急な第二戦線の必要からイギリス帝国はベルギー王国に対して形振り構わぬ圧力をかけていく。当初、ベルギー国王アルベール1世は局外中立が可能と信じていたが、かの国の中立はイギリスの国益に適うからこそ実現していたと理解させられ、またドイツ国内で売り上げを伸ばしている書籍からドイツ帝国がベルギー植民地を狙っている現状から、ベルギー王国には中立という選択肢は不可能だと理解させられた。

ベルギー王国がイギリス帝国の要求を突っぱねて単独で戦う事は論外だろう。

ベルギー軍は長年続いていた社会主義政党の軍事軽視によって兵器の旧式化は著しい。例え、ベルギー王国は戦争に参加していない他の大国に縋ろうにも、隣国のフランス共和国はドイツとの対外戦争に巻き込まれないように絶妙な外交センスを発揮していたし、それを抜きにしてもイギリス帝国側の妨害もあって有効な支援は引き出せそうも無かった。残る日本帝国も欧州戦線に関与せずの姿勢を崩さない。

ドイツ側に組するのも論外だ。狡猾な世界帝国であるイギリス帝国と戦って勝てる補償が無いし、例えベルギー本土を守れたとしても世界最強の海軍力によって海外植民地と遮断されてしまい、結局のところ全ての海外利権は奪われてしまうだろう。故に、ベルギー王国にはイギリス帝国からの申し出を断る事など出来なかったのだ。

ベルギー王国の決断に対してイギリス帝国の動きは早かった。

ベルギー王国を自陣営に引き込むと同時に、かねてより義勇軍として派兵するために編成を進めていたジョン・フレンチ元帥指揮下のイギリス遠征軍(BEF)のベルギー派遣を実行する。

海外派遣軍は次のような編成だった。

ダグラス・ヘイグ中将率いる第1軍団
第1師団:サミュエル・ローマックス中将
第2師団:チャールズ・カーマイケルモンロー中将

ジェームズ・グリアソン中将率いる第2軍団
第3師団:ヒューバート・ハミルトン少将
第5師団:チャールズ・ファーガソン少将

ウィリアム・パルトニー中将率いる第3軍団
第4師団:トーマス・D・ワイリースノー少将
第6師団:ジョン・キア少将

ジェームズ・ウィルコックス中将率いるインド遠征軍A軍
インド第3歩兵師団:ヘンリー・ダーバン・ケリー少将
インド第7歩兵師団:クロード・ジェイコブ准将
インド第2騎兵旅団:ヘンリー・ペレグリン・リーダー准将
インド第3騎兵旅団:G・A・クックソン少将
インド第8騎兵旅団:W・ファースケン准将
インド第9騎兵旅団:フレデリック・ィリアム・ジョージ少将
インド第15騎兵旅団:ウィリアム・アーサー・ワトソン准将
インド第16砲兵旅団:H・F・マーサー少将

ジョン・ニクソン中将率いるインド遠征軍E軍
インド第4騎兵師団:ジョージ・バロー少将
インド第5騎兵師団:ウィリアム・ペイトン少将

これらの兵力に加えてエドモンド・アレンビー中将率いる5個騎兵旅団、ウォルター・リンゼイ中将率いる6個砲兵連隊、デビッド・ヘンダーソン少将率いる5個飛行隊から成り立つ大兵力だ。

派遣決定から12日のうちにイギリス遠征軍(BEF)はリエージュ要塞群があるベルギー東部リエージュ州への展開を終え、侵攻準備が整うと同時にイギリス帝国とベルギー王国の両国が1914年9月28日にドイツ帝国への宣戦布告を行った。インド帝国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦も対独宣戦布告に続いて、イギリス帝国を盟主国としてたロシア帝国、ベルギー王国、インド帝国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦からなる連合国が成立となる。

連合国の成立、そして開戦と同時にイギリス遠征軍(BEF)とベルギー軍はリエージュ州に面するドイツ帝国領ライン州へと侵攻を開始したのだ。イギリス遠征軍(BEF)とベルギー軍により侵攻によって瞬く間にアーヘンを占領し、その5日後にはアーヘンからケルンに迫っていた。

ドイツ帝国もある程度はイギリス帝国の動きを察知していたが、ライン州を守るのはドイツ帝国軍は第31師団、第6軍、第22軍団のみであり、辛うじて6個師団程度の兵力しかなかった。

イギリス遠征軍(BEF)に続くベルギー軍も旧式兵器ながらも第1騎兵師団(レオン・デ・ウィッテ・デ・フェアレン中将)、第2師団(エミール・ドーシン・ド・サン・ジョルジュ中将)、第3師団(ジェラール・ルマン中将)、第4師団(オーギュエドゥアール・ミシェル・デュ中将)、第6師団(アルバート・レンターナ・ヴァン・ローデ中将)が参加しており、連合国の兵力は23個師団相当の規模の攻勢である。ライン州方面に於けるドイツ側の兵力の劣勢は隠しようも無い。

加えてイギリス帝国は戦況を有利に運ぶ為に、ライン州方面の戦線突破後の戦果拡大用の兵力としてとしてヘンリー・ローリンソン中将による第4軍とヒューバート・ゴフ中将による第5軍の編成が進められ、更にはヘンリー・ルーキン少将率いる南アフリカ海外遠征軍、エドウィン・オルダーソン少将率いるカナダ遠征軍、ウォルタ・アダムス・カークセン少将率いるオーストラリア遠征軍、アレクサンダー・ゴドレイ少将率いるニュージーランド遠征軍のヨーロッパ方面への移送を進めていたのだ。

10月7日にはドイツ帝国軍の奮戦空しくケルンが陥落し、同地域を守っていたドイツ帝国軍残余は南部のフランクフルトへと撤退していった。ケルンの陥落を見たイタリア王国はイギリス帝国との交渉の結果、1882年にドイツ・オーストリア・イタリアから成る三国同盟を破棄し、「未回収のイタリア」と呼ばれたオーストリア帝国との領土問題の解決確約から連合国側への参戦が決定する。

イタリア王国に続いてセルビア王国、ギリシャ王国、モンテネグロ公国、ルーマニア王国も連合国側へ参戦を表明し、イギリス帝国はそれを快諾。ドイツ帝国は新たなる戦線の発生によって戦力の再編成の必要からロシア帝国に対する攻勢を止め、ロシア帝国に立て直す時間を与える事となった。多くの人々が緒戦の勢いを失ったドイツ帝国に対して、戦況が優勢な兵力を保有する連合国側有利に傾いて、この欧州戦線と呼ばれる戦争がクリスマスまでには終結するかと思われたが、1914年10月15日にケルンの北部にあるエッセンからドルトムントにかけて行われたエッセンの戦いの結果、連合国側の予想は大きく覆る事となる。

エッセンの戦いではケルン中央駅に次いでライン州で大きな規模を有するドルトムント中央駅を介して後方からの部隊展開に加えてロシア方面に輸送中だった大量の重砲とその弾薬を受け取ってたパウル・フォン・ヒンデンブルク上級大将が率いる第6軍、第8軍、第24軍によって、イギリス遠征軍(BEF)とベルギー軍の攻勢は失敗に終わり、フランクフルトで再編成を行っていた第6軍、第22軍団、第31師団との共同攻撃によりドイツ領内からの退却を開始する。

連合国側の動きに対してドイツ側が追撃を行えなかったのは補給問題が原因だった。

連合国は撤退の際にケルン中央駅を爆薬によって効果的に破壊しており、ケルン中央駅は本格的な修復を行わない限りこの地での鉄道輸送を使う事が出来なかったのだ。後方策源地としての価値を低下させる事で連合国に於いて再編成の時間を稼ぐ事に成功したが、戦局は優勢から停滞へと変わっていった。

連合国側と互角以上の戦いをするドイツ帝国に対して、ロシア帝国と対立関係にあったオスマン帝国はドイツ帝国から巡洋戦艦ゲーベンと軽巡洋艦ブレスラウの譲渡を受けてドイツ側側への参戦を表明し、ドイツ帝国を盟主としたオーストリア帝国、オスマン帝国からなる中央同盟国が成立している。オスマン帝国に続くようにブルガリア王国は第二次バルカン戦争で失った領土奪還の為に中央同盟国への参加を表明したのだ。

欧州戦線には4つの主要戦線があった。

一つ目は膠着状態の西部戦線である。イギリス遠征軍(BEF)、イギリス帝国植民地軍、ベルギー軍が守る戦線であり、これはベルギー王国リエージュ州のリエージュ要塞群を最前線としているものだ。

二つ目はイギリス帝国、イギリス帝国植民地軍、イタリア王国、ギリシャ王国からなる連合部隊によって1915年2月19日から始められたダーダネルス海峡を巡る中東戦線である。

しかし、この戦線は連合国にとって極めて不利な様子を見せていた。

最初は海軍力だけで海峡制圧を試みた連合軍だが、オスマン海軍の機雷敷設艦ヌスレットによって効果的に設置された機雷源によって計画が狂う事になる。機雷によって損傷を受けたイギリス海軍の戦艦「イレジスティブル」「インプラカブル」、ギリシャ海軍の戦艦 「コントゥリオティス」はオスマン軍のエルトゥルル要塞とオルハニイェ要塞の両要塞からの砲撃によって3隻とも撃沈に追い込まれたのだ。

連合軍の悲劇はそれだけに留まらなかった。

混乱した連合軍艦隊に対してオスマン海軍の司令長官に就任していた元・ドイツ地中海艦隊司令官のヴィルヘルム・ゾーヒョン少将率いる戦艦5隻、駆逐艦5隻からなるオスマン艦隊の攻撃が行われたのだ。 このオスマン艦隊の特徴は首脳陣が外国人だった点に挙げられる。司令長官はドイツ人で、各艦の艦長もしくは副長にはドイツ人が着任していた。巡洋戦艦「ヤウズ・スルタン・セリム(旧ゲーベン)」に於いては乗員の全てがドイツ人であり、戦艦「スルタン・オスマン1世」では観戦武官兼ね義勇軍の名目で乗り込んでいた鈴木貫太郎(すずき かんたろう)大佐を始めとした少なくない人数の日本人将兵で運用されている。

要塞砲による援護射撃を受けながら行われたオスマン艦隊の攻撃によって、連合国側は更に砲戦によってイギリス海軍の戦艦「オーシャン」と、イタリア海軍の戦艦「レオナルド・ダ・ヴィンチ」「レジナ・エレナ」を喪失し、駆逐艦「ムアーヴェネティ・ミッリイェ」の魚雷攻撃によってイギリス海軍の戦艦「ゴライアス」が撃沈されていた。対するオスマン艦隊も戦艦「バルバロス・ハイレッディン」が撃沈、戦艦「ファーティ(旧オッシュ)」が大破(ハリチュ帰港前に浸水により沈没)、戦艦「トゥルグート・レイス」が中破となっている。

この攻撃で活躍したオスマン海軍の戦艦は昨年引き渡された新鋭戦艦である薩摩級戦艦「スルタン・オスマン1世」とドイツ帝国から譲渡を受けた巡洋戦艦「ヤウズ・スルタン・セリム」であったが、活躍した両戦艦も無傷とは行かず、ハリチュ帰港後に修理と整備を行う必要があった事と、旧式戦艦の2隻の喪失に伴うオスマン艦隊にの戦力低下、そして連合国の増援艦隊によってダーダネルス海峡入り口の制海権は連合国側が掌握する事となった。

戦艦7隻という予想外の損害を蒙った連合軍であったが、陸上戦に関しては第一次バルカン戦争での実績からオスマン帝国軍を低く見ており、連合軍は短期決戦を想定してダーダネルス海峡の西側のガリポリ半島に上陸作戦を行ったのだ。その安易な判断の結果、連合国上陸部隊はオスマン帝国軍の想像以上の抵抗に遭遇する事になる。 ムスタファ・ケマル・アタテュルク大佐率いる第57歩兵連隊を始めとしたオスマン帝国軍の第9師団、第19師団による重砲を多用した頑強な抵抗にあって、半島の制圧どころか橋頭堡周辺から身動きがとれず多大な損害を出し続けてたのだ。

連合国側にとって災いだったのがドイツ帝国によって15cm野戦榴弾砲(15cm sFH13クルツ)の採用によって余剰となった15cm野戦榴弾砲(15cm sFH02)が戦前からオスマン帝国軍に多数持ち込まれていたことだろう。

三つ目は対ドイツ・オーストリア戦線を主目的とした東部戦線である。ロシア帝国、ルーマニア王国、セルビア王国、モンテネグロ公国によって戦線構築が成されていた。オスマン方面に対しては陸上兵力の不足から防衛線の構築に留まっていたが、その決断は正しいと言わざるを得ない。東部戦線は連合国側が攻勢を行うたびにドイツ帝国軍を中心とした中央同盟軍による重砲と機関銃を活用した反撃によって大損害を出していたのだ。

四つ目の戦線はイタリア軍によるイゾンツォ川沿いの都市ゴリツィア占領を狙ったオーストリア軍との間で行われたアルプス戦線だった。イタリア軍による迅速な奇襲攻撃によって始まった戦闘だが、イタリア軍は2倍の戦力を有しながらも、戦線は膠着状態へと陥っている。

控えめに言って各戦線で苦戦を強いられていた連合国であった。

故に1国でも多くの同盟国を増やそうと盟主国であるイギリス帝国は日本帝国と経済的な結びつきを強めていた北欧諸国に目をつける。北欧諸国が連合国側に回れば、中央同盟側の戦線が拡大する利点が大きいし、仮に中央同盟側が北欧諸国を制圧したとしても、その警備に相応の戦力が拘束されるのでイギリス帝国としては最終的に中央同盟側の影響を取り除く事が出来るなれば許容できるものと判断していた。このような非情な戦略に基づいて北海南部に於いて臨検と証した海上封鎖を実施し、北欧諸国に対する経済的な締め付けを断行する。海上封鎖解除の条件としてイギリス側が提示したのは連合国側への参加であった。日本帝国に対してはハワイ亡命政権の承認を行うことで、北海南部を介した北欧諸国との経済活動の低迷化を容認させたつもりだった…しかし、イギリス帝国にとって、状況の改善には至らなかったのだ。

確かに北海南部を介した日本側と北欧諸国の経済交流は殆ど途絶えたが、時を置かずして日本側は宗谷級大型砕氷コンテナ艦の投入によって北極圏航路を介した経済交流を続行したからである。

ニーオルスン基地にはフランス海軍の装甲巡洋艦「エドガール・キネ」が国防軍側の招きに応じて親善訪問として入港していた。この艦にはラペレール大将と少佐から中佐へと昇進していたユージン中佐とウェイガン中佐の三名が乗船しており、ニーオルスン基地に入港していく1隻の宗谷級大型砕氷コンテナ艦を艦橋からルメールFABパリ-12レンズ双眼鏡を介して見ている光景を信じられないような様子で見ていた。 ニーオルスン基地は軍事基地であったが、輸送路の末端、あるいは乗り換え・積み替えを行なうターミナルとしても使えるようになっている。岸壁前面水深も25mもあるので大型艦の岸壁に支障はない。

「北極圏を単独で踏破可能で、排水量は6万トン以上か…」

「あの輸送艦を問題なく受け入れる事ができる、
 ニーオルスン基地の施設は凄まじいものがあります」

「まったくだ」

ラペレール大将とユージン中佐が視線を釘付けにしたままで言った。

コンテナの積み卸し作業を行うガントリークレーンが備わった1kmに及ぶ長い岸壁に宗谷級大型砕氷コンテナ艦が向かう。しかも船舶や水上構造物を押したり引いたりするためのタグボートを使用せずに岸壁に接岸を行っている。その様子にも三人とも驚きを隠せない。接岸を終えると暫くして、ガントリークレーンが岸壁に敷設された2本のレール上を移動しながらクレーンの先にあるスプレッダーでコンテナを吊り上げていく。

荷役エリアに積み卸しされたコンテナは、5式甲型特殊車両(リーチスタッカー)、5式乙型特殊車両(ストラドルキャリア)そして、5式丙型特殊車両(トランスファークレーン)によって指定された場所に運ばれていった。各作業が流れるように進んでいるのが遠くからでも判るだろう。

これらの作業は管理棟によって効率的に行えるよう管制が行われていたので無駄が無い。

「作業に停滞が無い…効率的で素早いぞ」

「た、確かに!」

「北海南部の封鎖が無意味と知ったイギリスも大慌てだろうな」

イギリス嫌いのウェイガン中佐はどこか楽しそうだ。一定間隔で存在する合計6基のガントリークレーンを見て、イギリス帝国に対抗できそうな海洋国家の出現を頼もしそうに映っていた。施設規模からして控えめに見ても宗谷級大型砕氷コンテナ艦のような大型艦ですらも複数隻の同時にコンテナの搬出が出来そうだった。

「先ほどカフェで会ったイリナ嬢から聞いたんだが、
 岸壁は特殊鋼の鋼板セルで構築されているらしい」

ウェイガン中佐の何気ない言葉だったが、同じく艦橋にいた海図に視線を落としていた 士官の一人が悔しそうな表情を浮かべる。彼は熱烈なイリナのファンだったのだ。

「となるとガントリークレーンの吊り上げ重量は相当なものだな」

「我々もあのような船を持たなければならないだろう」

「あの船ならば陸軍でも欲しいですね」

ウェイガン中佐も同意する。

後日、ラペレール大将の働きかけもあって、フランス海軍はコンテナ船の購入を検討する事になる。無論、この時代でコンテナ船の建造ノウハウを有しているのは帝国重工のみだった。当然、船やコンテナの規格は日本規格(JIS)で作られている。導入を行えばフランス側も日本規格を使用する事になるのだ。また、海上コンテナの高さは種類によって変わるが長さに関しては特殊なものを除いて6メートル、14メートルの2種類に限定されていた。それらのコンテナを船倉内に設置された垂直のガイドレール(セルガイド)に積み上げて収納するのがコンテナ船の特徴といえる。

「しかし、このような船は普通ならば軍機に属するものだが…
 日本では違うようだな」

「ええ、先日に発売された「先進科学」にも大々的に載っていました」

当初は日本国内のみに販売されていた「先進科学」も「魅了」に続いてフランス共和国でも販売が始まっていたので、宗谷級大型砕氷コンテナ艦は世界では非常識な常識として広まっていた。また、今月号の「先進科学」と「魅了」には、宗谷級を背景にして撮られたイリナの写真が載っていたので、船に興味の無い人にも記憶に残っていた事も話題性の後押しになっている。

そしてフランス国内では宗谷級の特別な存在に映っていた。

その理由は、宗谷級の1隻にはボアソナードという艦名が存在しているからだ。ボアソナードとは、幕末に締結された不平等条項の撤廃のために明治政府により法律顧問として招聘され日本の国内法の整備に大きな貢献を果たし、1910年に死去した「日本近代法の父」と呼ばれているギュスターヴ・エミール・ボアソナードから採られている。今月号の「先進科学」と「魅了」の双方に於いてもボアソナードに対する感謝の言葉が掲載されていた。多くの例に於いて自国知識人の名前が重要な船舶に使われているとなれば控えめに言っても嬉しいものだ。

ラペレール大将が双眼鏡を下ろして他の二人に視線を向ける。

「長門級の近代改装を行いながらも輸送力の強化も行うとは、
 日本は常々敵にしてはいけない国だな」

「同感です」

ラペレール大将の言葉に二人は同意した。
ウェイガン中佐も口には出さなかったが心の底から同意していた。

長門級も建造当初と比べて変わっている。帝国軍で使用している長門級にも国防軍と同じように後部砲塔から艦尾に掛けてティルトローター機の4式輸送機「紅葉」などを運用するヘリコプター格納庫及び発着甲板が設けられたのだ。もっとも衝撃的だったのは4基の主砲を50口径406o連装砲に換装を行った事であろう。元々、偽装工作によって諸外国に305mm連装砲と信じ込ませていたものを、正しい情報に正しただけであるが、そのような事実を知らない人々にとっては大改装に等しい出来事である。

長門級の主砲換装がもたらした影響は大きい。

欧米が懸命になって整備を進めてきた戦艦も、今や世界の大型戦艦の代表格となった長門級によって再び陳腐化を余儀なくされたからである。しかし、この現象はフランス海軍にとってはある意味幸運だった。フランス共和国は現状では戦争状態ではないので、大型戦艦を場当たり的な対応で作る必要なかった事と、ラペレール大将は日本に依頼していた薩摩級戦艦「クールベ」「ジャン・バール」は戦艦ではなく、巡洋戦艦として運用するつもりなので、損失らしい損失は無かったからだ。

三人が話している中、装甲巡洋艦「エドガール・キネ」は半舷休息に置かれており、少なくない乗員がニーオルスン基地の酒保へと急ぎ足で向かって日本圏でしかまだ販売されていない「魅了」増刊号の買い付けに走っていたのは微笑ましい一幕と言えるだろう。広報事業部によって売り出されていた雑誌はフランス海軍に於いても士官・下士官問わず、大きな人気があったのだ。彼らは知らなかったが、今日の夜には今月の「魅了」に出ていたイリナを始めとした6人のモデルが慰問として訪れる訪れる事になる。

日仏の友好がこのような場面に於いても順調に進んでいくのだった。
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【あとがき】
意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2014年02月23日)
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