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帝国戦記 第四章 第14話 『チベット侵攻:後編』


百年兵を養うは、ただ平和を守るためである。

山本五十六





大風湾要塞の24門からなる81o迫撃砲が行った煙幕射撃が四川軍の砲兵陣地から突撃に備えて展開していた前衛部隊の一部に降り注ぎ、少なからずの動揺を四川軍に与えた。実戦に於いて煙幕で動揺するのは珍しいことではない。突発的な煙幕で敵兵に心理的な圧迫を与えるシェイクンベイクと呼ばれる戦術があるぐらいだ。ただし、その戦術では煙幕と砲撃の同時攻撃によるケースが多いが。

「焦るな! これはただの煙で害は無い。
 敵の悪あがきに過ぎん」

四川軍を率いる趙爾豊を始めとした軍団首脳部は兵の士気が下がらないよう発破をかける。趙爾豊によって鍛えられた四川軍の士官たちは陣頭指揮を執って兵の士気を回復させていく。その甲斐もあってたちまちに統制を取り戻していった。

趙爾豊は煙幕射撃を好機と判断する。

「敵は我等の砲撃に臆したのだ!
 煙幕によって弾着測定を阻害しようとした事実が良い証拠である!!」

と、趙爾豊は敵からの攻撃を逆手にとって味方を鼓舞を行う。
同時に彼は現在の状況を逆手に取る事を思いつく。

(確かにこれほどの煙幕だと弾着観測に大きな支障が出るが、
 かえって好機かもしれん)

好機と判断した根拠を参謀に言う。

「これほど濃い煙幕なら、
 逆に我々もあの施設に部隊を乗込ませることが可能になるな」

「仰るとおりです」

四川軍は牽制の意味合いから砲撃を行いながらも事前の打ち合わせどおりに攻撃開始地点に展開した各部隊に突撃を命じる。ただし突撃といっても進撃速度は辺りに広がる煙幕による視界不良を考慮して、駈歩の速歩を下回る速度に抑えられている。突撃の譜を連奏するラッパ手を含む各歩兵中隊が均等な間隔を開けて進む。

フランス軍に於ける最新の歩兵操典を参考にした突撃戦術だった。

(しかし、この煙幕…全く晴れぬ。
 一体何を燃やしているのだ?)

趙爾豊は考えるが答えは見つからない。 参謀に尋ねたが答えは出なかった。

四川軍の前衛部隊から大風湾要塞に至る一帯に立ち込める煙幕は医薬品として開発された結晶化ラクトース粒子を応用して作られた化合物の反応によって作られたもの。赤外線妨害能力は無かったが、その分効果継続時間が長い。 機能としては旧世代に属するものだが、単機能だけに製造コストが低いので敵側が赤外線探知技術を実用化するまでは帝国軍と国防軍で使われる煙幕弾である。

それに今回の作戦に例え赤外線妨害効果のある煙幕弾を持ち込んでいたとしても、日本側は作戦内容からして使う事は無い。

趙爾豊は予想以上に濃い煙幕に内心辟易しながらも、
次々と指示を下していった。

そして、活発に動く四川軍と同様に日本側も次の手を打っていたのだ。

「オーバーロードより各員。敵兵力が第二警戒線に接近。
 距離1800に4個中隊、その後方200に2個中隊が続く。
 警戒せよ」

8式有蓋指揮車に設けられた司令部の中から山根大佐による指示が戦術ネットワークを通じて大風湾要塞に展開する習志野第1空挺団と特殊作戦群に伝えられる。敵兵力の情報に関しては上空の4式飛行船「銀河」に搭載した各種索敵装置によって余すところなく捕捉しており敵情報の漏れはない。 また、山根大佐の伝達形式が国防軍と同じ明瞭で簡潔に伝えるタイプになっていたのは、帝国軍の戦術通信操典が今年度から国防軍のものを参考にしたものになったからだ。

ただし、女性士官の場合は柔らかい言葉の使用は可能になる。

また彼らの通信の合間には、ほんの一瞬だけ空電音にさえぎられていたが、これは機材の不良ではない。空電音の原因はトランスポンダを介して軍用圧縮暗号通信を解凍した際のタイムラグによるもの。 使用している通信帯は他国の技術水準では傍受不可能な単一光子信号による通信であったが、慢心を固く戒めている日本側は、念には念を入れて重要な通信には圧縮暗号をかける等の最大限の注意を払っていたのだ。

もちろん、各兵士が持つ電子端末は厳重な管理下におかれている。他国に漏れればすぐには解析されない品物だが、各兵士が持つ端末も機密保持用のナノウェアが仕込まれていた。

山根大佐の指示が続く。

「ハンターは索敵モードをIR(赤外線センサー)に切り替えろ。
 敵が第二警戒線に到達後、
 狙撃手は速やかに指揮官と伝令の順に殺れ」

そして、ハンターとは、
この地域で活動する特殊作戦群を表す符丁である。

命令が伝えられると特殊作戦群に所属する狙撃手である12名の女性兵士が速やかに配置に付く。射撃ポイントとして整備された5式拠点構築資材によって念入りに強化及び、偽装が行われている小さな見張り台であった。

見張り台の上で伏せて土嚢の隙間から5式対物狙撃銃を構える。機関部右側面にある排莢口ボルト・ハンドルを後方に引いて弾装に収められている12.7x99mm弾を薬室への弾薬装填を行う。 彼女達は皆が準高度AIでありIRスコープなしでも十分に狙えたが、余計な誤解を与えないようにIRスコープを装着していた。加えて狙撃地点は事前に取り決めた区画への対応を行う内容になっていたが、それは帝国軍側への説明であり、実際はAIネットワークで完璧な連携を取っていたのだ。

つまり、彼女達の狙撃には撃ち漏らしはない。

4式飛行船「銀河」からの偵察情報によって四川軍の部隊編成及び、行軍パターンから中隊指揮官の陣頭突撃を金科玉条とするフランス陸軍の軍事ドクトリンと日本側は見抜いており、おのずと指揮官の位置も判明している。加えて、赤外線センサーによる行動分析と任意エリア収音方式による声音情報の情報をリアルタイム解析することで、完全な確証を得ていたのだ。双方とも21世紀の民生技術なので信頼性は高い。前者は監視カメラの技術で後者は映画撮影などの収音技術だった。

軍事技術と民生技術が切っても切り離せない好例と言えるだろう。

また収集した各情報―――レーザー光線反射測定を介した赤外分光法に及ぶ解析情報や、 骨格認証のポイント法などを併用した個人認証システムによって、この戦域に展開する四川軍の各兵士の末端に至るまで目標IDが振られており、それがデータベース上で管理していたのだ。つまり敵兵力の正確な数を常に知るだけでなく、準高度AIにとってはどの敵兵が高価目標かが判る様になっており、殺す順番さえも瞬時に判断が下せる。そして残敵掃討がやり易い。この高度な解析及びリアルタイム演算は7式複合計算機の賜物であろう。

極論を言えば特殊部隊の究極的な目的として、如何なる状況に於いても対象を繊細かつ高精度で効率的な殺害もしくは破壊を行うことであった。このような細かい配分が行えるからこそ、大威力兵器が世界に満ちた21世紀に於いても重要視されていたのだ。

そして日本側が煙幕を張ったのは四川軍からの砲撃を妨害するのではなく、四川軍の本隊に正確な情報を与えないことが目的である。その戦術プランは簡単だ。煙幕によって足元に注意が向いて、移動速度が落ちた各部隊を潰していくだけ。戦略的な目的があって、このような戦い方を行う。

彼らが煙幕の意味を知らなかったのは幸せだったのかもしれない。
状況を把握した時には手遅れなので、
少なくとも味わう恐怖は少なくて済むかもしれないからだ。

もっとも、少しでも知ってしまえば視界不良が恐怖の根源になるのだが…

四川軍の第一陣が第二警戒線に差し掛かる。

その場所は大風湾要塞から1300メートルの場所であり、5式対物狙撃銃なら十分に射程圏内だった。山根大佐の隣にいるカナエ中佐は電子端末を操作して山根大佐の補佐を行って作戦を完璧に補佐を行う。

「敵速、現在のままなら後15秒で第二警戒線に到達します」

カナエ中佐の報告に山根大佐が頷く。
予測時間通りに四川軍が第二警戒線に到達し、
それと同時に司令室に電子音が鳴り響いた。

「四川軍本隊から第二陣が本拠点に向かって移動を開始しました。
 もう勝ったつもりでいるようですね」

「彼らの判断ミスは大きなものになるな」

「ええ、
 そのような過ちがどのような結果を生むかを、
 彼らに教えて差し上げましょう」

山根大佐はカナエ中佐の言い回しに大きな感銘を受けた。
その言い回しを早速だが流用する。

「そうだな、では一つ教育を行うとするか」

山根大佐そう言うと端末を介して狙撃手に命令を下す。命令を受け取った全ての狙撃手が事前に捕捉していた標的に向かって引き金を引く。撃針を叩く撃鉄の固定が開放され、5式対物狙撃銃から12.7x99mm弾が大風湾要塞に接近しつつある四川軍の各中隊長に向かって放たれる。閃光と同時にマズルブレーキから噴出する発砲煙が拡散した。狙われた各中隊長は頭を撃たれた者はスイカのように弾け、胸に当った者はその衝撃によって身体が両断となる。

指揮官戦死を後方に伝えようとした伝令も後を追う。
たちこめる煙幕によって四川軍首脳部は何が起こっているか把握し切れてない。
5式対物狙撃銃の発射音もこれだけ距離が離れていると小さなもので、自ら行っている支援砲撃の音にかき消されてしまう。

大風湾要塞に近づく四川軍の部隊の中で一つの中隊である、
歩兵第15連隊第4中隊を除いて、
そのような死が一方的に与えられていく。

山根大佐は司令部の中央部にある状況表示板に狙撃手からの戦果報告が表示されたのを見て、的確で素早い仕事ぶりに感嘆の声をもらす。

「オーバーロードより、各狙撃手へ。
 見事な狙撃だ。これより任意射撃を許可する」

任意とはいえ、彼女達の狙撃は効果的に行われる。

無作為に狙うのではなく、積極的に行動しようとした者や逃げようとした者を真っ先に撃つ。煙幕内の情報を四川軍本隊に察知させないことが最優先だからだ。狙われた各中隊は悲惨に尽きる。なんら予兆も無く仲間の頭が弾けたり、上半身と下半身が分断される者が続出する。射撃音が遅れて届くので警戒しようが無いし、煙幕によって撃ってくる場所すらも判らない。濃い煙幕によって悲惨な死に方をした兵士の遺体を直視できなかったのは幸いだが、濃厚な血の匂いが充満し、それが何ともいえない恐怖を誘う。

攻撃は物理的なものだけに留まらない。

81o迫撃砲から定期的に打ち込まれる煙幕弾の中に、各中隊に用にスタングレネード型砲弾が少し混じり始めたのだ。これによって、たちまちに動きが停滞していく。

その中で無傷の四川軍歩兵第15連隊第4中隊が煙幕を抜けた。

距離にして大風湾要塞から丁度400メートルのところだ。
これまで一切の攻撃を受けていなかった四川軍歩兵第15連隊第4中隊であるが、大風湾要塞まで350メートルの地点で彼らへの特別措置は終わりを迎えようとしていた。

「第1中隊っ、構えっ!」

矢島大尉が自分の指揮下にある近衛隊第1中隊に命令を下す。
帝国軍を規範として鍛えられた彼らの動きは鋭い。

近衛隊第1中隊が展開するのは野外ではなく、特殊ポリプロピレン繊維ライナー製の耐爆障壁によって作られた防衛線区画の通路内である。彼らは耐爆障壁に作られたガンポート(銃眼)に30式小銃を差し込み、防弾処置が施されたペリスコープを覗いて敵を狙うのだ。

「落ち着いて狙え。
 ここなら砲撃が直撃しても安心だぞ」

「了解であります」

近衛隊第1中隊では基本的な軍事用語は日本語で教育されており、発音とイントネーションは微妙に異っていたが、やり取りは間違いなく日本語によって行われていた。理由は日本帝国が行っている対外有償軍事援助にある特例の一つ、帝国軍(国防軍を含む)式を採用した場合には、その採用度に応じて価格が安くなるからだ。ただし、組織のあり方だけでなく、共有言語として日本語を扱うことが前提だった。

言語に要求される水準は高度なものではなく、
士官が基本的な日本語をある程度理解し、
命令のやり取りが行える程度で良い。

この事から経済的な余裕の無い国にとっては帝国式に代える利点が大きく、フィリピン軍とタイ軍では軍隊の精鋭部隊を中心に帝国式の移行が進んでいる。むろん、民間及び政府に至るまで日本帝国に対して友好的である事が絶対条件だったが。

四川軍歩兵第15連隊第4中隊が350メートルに差し掛かると動きが止まった。擬装されている炭素鋼で作られた金属線(ピアノ線)が張られており、それに足を取られて転倒した者が続出したからだ。

その停滞は狙う者にとっては絶好の機会である。

「撃ち方始め!」

矢島大尉の命令によって、
近衛隊第1中隊による射撃が始まった。

野晒しの四川軍歩兵第15連隊第4中隊に対してライフル弾が撃ち込まれ、血飛沫を上げながら複数の兵が倒れていく。彼らも地面に伏せてGew71で反撃を行うも効果はない。

司令部の中から近衛隊第1中隊の戦闘を見ていたカナエ中佐が山根大佐に向かって言う。

「後方に展開した部隊からの連絡です」

「やったか?」

山根大佐の言葉にカナエ中佐が頷く。

「はい。敵の補給部隊を襲撃、
 それを完全に殲滅したそうです」

四川軍の規模ともなればその維持に本体随伴の補給部隊とは別に、根拠地から物資を運ぶ部隊の存在は欠かせない。日本義勇軍は敵軍の補給線と撤退路を絶つ為に昨日の夜間のうちに4式飛行船「銀河」で別働隊を後方に降下せていたのだ。特殊作戦研究部隊と特殊作戦群の合同部隊である。これらの部隊はフィリピン戦線で活躍していたもので、今回の作戦に合わせてチベット入りしていた。

そして四川軍にとって気の毒な事に、その部隊指揮官はリョウコ大尉である。

このように幾つもの撤退阻止の策を用意するのも、
抜かりの無いこの時代の日本側らしい対応と言えよう。

「これで準備は整った。
 後は、このまま粘れば良いな」

「はい。
 近衛隊と交戦しているあの部隊が後退を始めたら、
 ガンデンポタン軍の戦闘参加と彼らによる清国兵撃退の事実が残ります」

「後退を始めたら作戦は次の段階だな」

「その際には全兵装使用自由の指示をお願いします」

「判った」

山根大佐が状況表示板に視線を向ける。
カナエ中佐も同じよう状況表示板に視線を向けた。
状況表示板が示す戦況から思う。

(どうやら8式多連装の出番は無さそうですね…)

この時代では過大な威力を有する8式多連装は全域指揮統制システム(ECCS)を通じて基幹的指揮回線と連結しており、現場の判断では使用が出来なかったのだ。大風湾要塞の危機があれば発射される事になるだろうが、カナエ中佐が思うように発射の可能性は無さそうだった。

そして、四川軍歩兵第15連隊第4中隊は、ガンデンポタン軍の近衛隊1個中隊に武勲を立てさせる政治的な意向、つまり戦略目的の為にこのタイミングまで見逃されていたに過ぎない。つまり、日本帝国と組めば清国軍の圧力を気にしなくても良いとガンデンポタン軍の中核を担う近衛隊に実体験させる事と、要塞化を行った要衝での防衛戦の有効性を彼らに教える意味もある。

また、本格的な攻撃を行う際に煙幕が漂っていても問題は無い。

何しろ大風湾要塞に設置された95式40o機関砲、12基の4式ガトリング砲、58丁の95式重機関銃の照準器は、習志野空挺団と特殊作戦群が装備していた95式小銃改の照準器と同様のものだった。すなわち微光暗視とIR暗視の機能を有する照準器が取り付けられており、煙幕内の敵であっても十分に狙うことが出来るからだ。

そして95式40o機関砲は四川軍の中でも最大射程距離を誇る7cm野砲の倍以上の射程があった。有効射程距離も桁違いに上まっている。曲射弾道の81o迫撃砲でも、その最大射程は四川軍の虎の子である7cm野砲を凌駕していた。

このように四川軍に地獄の業火が降り注ぐ準備が念入りに準備されており、その審判の時は四川軍歩兵第15連隊第4中隊の撤退開始と同時に始められる事になる。
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【あとがき】
煙幕内で死んでいく四川軍兵士。
その戦場は地獄であり、撤退先にも鬼が居る…その刺客は夜空からも!

ともあれ、この一年の間、帝国戦記を見て下さり感謝の言葉もありません。
他の小説共々、来年も宜しくお願いしますね。

意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2012年12月29日)
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