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帝国戦記 第四章 第13話 『チベット侵攻:中編』


其の地、果たして利あらんか、
即ち天朝は 小邦と利を争うべけんや。
若し利なからんか。即ちまた何ぞ必ずしもこれと争わん。 

(外交の基本は隣国との友好にある。
 大国である我が国は小邦との利益を争うべきではない)

雍正帝





四川軍は昼食を終えると、歩兵突撃に合わせて支援攻撃を行うべく、虎の子の大砲の展開を開始する。一部の兵力はまだ後方で再編成を行っているが、趙爾豊は険しい渓谷によって形成されている大風湾では、大兵力を一度に投入する事は出来ないと割り切っており、予備戦力として扱うつもりなので気にしていなかった。そこには火力に勝る自軍ならば戦いも短時間で終わる予想もあったのだ。

歩兵部隊が横隊戦術の準備に備えて隊列を整える。

時代遅れに見える横隊戦術であったが、展開範囲に限りがある場所ならば状況に応じて有効な戦術だった。クリミア戦争でもロイヤル・スコットランド連隊が横隊戦術の2列横隊戦術を用いてロシア軍を撃退しており、防衛戦にも使用できるのも大きいだろう。近代に於ける市街戦に於いても横隊戦術が多用されているのだ。

そして、彼らの士気は優勢な状況で兵士の士気も意気天を衝くばかり。兵力では圧倒的に勝っており、大砲の数も友軍の方が多い。加えて兵站線も確保済みで気候も現在のところは落ち着いている。ある程度の装備や訓練の差では覆せないと思われる現状が彼らの士気を高めていた。

「閣下、砲撃準備を終えました」

四川軍は徹底したリアリストである趙爾豊の意向もあって清国軍の中では北洋軍、禁衛軍、東北三省練軍に匹敵するどころか、火力を含めた総合力では一部凌駕するほどの精鋭集団になっていたので、このように素早い部隊運用が可能になっている。

満足の行く報告に趙爾豊は言う。

「3分間の砲撃の後に突撃を開始する。
 敵施設に対する砲撃だが、
 此方の部隊があの施設に対して後300メートルを切るまで行う」

命令によって部隊が動く。歩兵部隊の中には、アメリカから購入していた移動型砲架に搭載された1874年型ガトリング砲も8基があった。優秀な30式小銃に対抗するために友好的な商会を介してアメリカから取り寄せたものだ。また、彼らが有する12ドイム臼砲や12cm臼砲は有効射程が720メートルと限られていたが、その軽量だった作りが幸いし、ガトリング砲と同じように移動型砲架に乗せて歩兵直協の迫撃砲として使用する。

そして、清国軍の兵が装備する小銃の中には漢陽88式小銃を装備するものが少数ながら存在していた。この漢陽88式小銃はドイツ帝国のGew88をライセンス生産した小銃で、漢陽兵工廠で1889年から生産が始められていたのだ。ただし、予算不足で十分な数が揃っておらず、清国内の漢陽88式小銃をかき集めても、四川軍に必要な分を満たせていない。かつてドイツ帝国から購入していたGew71や日本側から購入した多岐に及ぶ小銃を用いるのもそのためだった。

趙爾豊の号令に合わせて信号ラッパから、
「撃ち方始め」の号音を表す音が鳴り響く。

生まれも運用目的も異なる多様な種類に及ぶ大砲であったが、有効射程の短いものが最前列に並べられ、長射程のものが後方配置となる。清国軍がドイツ帝国から戦前から購入し、日清戦争後に日本からも購入していた射程2000mの克式1864年式軽野砲が最前列となり、射程2600mの4斤山砲がその後ろの陣に並ぶ。射程3000mの8cm野砲、克式1873年式軽野砲、7cm山砲がそれに続き、4000mの射程を有する4斤野砲と、5000mの射程を誇る7cm野砲が最後尾に展開していたのだ。使用する砲弾はすべてが榴弾となる。

日本の軍事施設に対して満遍なく砲撃が行えるように考えられた配置であった。また日本側の反撃によって貴重な長射程(清国軍基準)を誇る4斤野砲や7cm野砲などの大砲を守る趙爾豊なりの考えもあったのだ。

日本から購入していた大砲と清国内からかき集めた、
合計347門に及ぶ大砲からの砲撃が大風湾要塞に向けて始まった。


砲撃が大風湾要塞に着弾し、
40発ほどが大風湾要塞に直撃して施設の一部が飛散していく。
その破壊の様子は距離が離れた四川軍からも伺え、
見た目からして判る派手な戦果に歓声が上がる。

「やはり木材か…」

「そのようで」

「この調子ならば簡単に落ちそうだな」

趙爾豊と参謀のやり取りは先ほどよりも明るい。

やはり日清戦争で徹底的に負けた相手だけに、何処かしらの不安があったのだ。その不安が杞憂に過ぎないと思えば、心も軽くなるのは仕方が無いことだろう。

しかし、彼らは知らなかった。

破壊した部分は清国側に対する欺瞞効果を狙うべく、ベニヤ板で作られた張りぼてだったのだ。遠くから見れば盛大に壊れる施設。ミリタリーマストに見える張りぼてすらも作られていた。国防軍の真田中将が設計図を描いただけに見た目だけは本格的なもの。そして、これらの張りぼては破壊されることを期待して作られたものだった。どのように壊れようとも、大風湾要塞に於いて本当に重要な区画には効果は無い。

堅牢な理由は当然だった。大風湾要塞を構成する5式拠点構築資材はマカーディーアーマーやHESCOのような携帯装甲壁システムの流れを汲む。つまり、携帯装甲壁システムは2005年のモデルのものですら、適切な設置を行えばM107(155o榴弾砲)の直撃にも耐えられる性能を持っており、5式拠点構築資材は原型モデルより一層進化したものだ。むろん、大風湾要塞は5式土嚢による適切な処置を終えている。すなわち清国軍が保有する如何なる大砲でも破壊する事は出来ないものになっていたのだ。

「要塞の様子はどうだ?」

と、大風湾要塞の司令部で言うのは、かつて少将として近衛師団第2旅団を務めていた山根信成(やまね のぶなり)大佐である。砲撃を受けている施設に居る者とは思えないほど落ち着いた態度であろう。現在の彼は習志野第1空挺団の司令であり、大風湾要塞に展開する日本義勇軍の最高責任者でもあった。 少将から大佐への階級変動は降格ではない。帝国軍では国防軍と同じように役職制度を採用しており、その為の階級変動であった。役職に応じて少将が大佐になることも珍しくは無いし、逆に必要技能と資格を保有していれば大佐が中将になる場合もある。

また、大風湾要塞の司令部は、5式拠点構築資材で作り上げた倉庫内に停車する8式有蓋指揮車に設けられていた。これは3式トラックを簡易移動司令部に改良したものだ。

「主要区画には問題なく、負傷兵も発生しておりません」

その様に応じたのは国防軍からの指揮官として参加し、現在は山根大佐の補佐に当たっている準高度AIの水城カナエ中佐である。カナエ中佐はラ・ロシェル上陸戦などを経験しており、帝国軍のみならず諸外国でも知名度は高い。妹のイオリと同じように黒い髪を後ろに流してヘアバンドで固定したネコ目系の美人な外見も知名度向上の後押しになっている。つまり、人気があるのだ。

彼女もまた山根大佐に劣らず落ち着いた態度である。
態度からして施設の堅牢を一切疑っていないのが判るだろう。

「便利な時代になったものだ。
 飛行船による高高度からの偵察に、それを介した通信。
 各機材の操作が面倒なのが玉に瑕だが…」

「慣れれば直ぐに普通になりますよ」

山根大佐からの質問にカナエ中佐から直ぐに報告があったのは、彼女が各種システムを介して見ていた訳ではない。義勇軍として参加している各兵士には情報通信網の統合化の一環として携帯用端末を装備しており、各兵士のコンディションや現在位置などが直ぐに判るようになっていたのだ。これは指揮統制の迅速化と戦力投入の効率化、そして各戦力ユニットの最大活用を目的として、21世紀の米軍に於ける戦闘媒介構想(GCV)を参考にしている。無論、彼らは全員が志願者であり、戦術情報の過程を睡眠学習で受ける際に、規範的行動と守秘義務遵守の強制暗示が施されているので情報漏えいや犯罪に走る心配は無い。

ある程度の制約を受けた者である事と、
特技兵として教育を受けた実績を考慮して給与面での待遇がかなり良くなっている。

むろん、その様な事を抜きにしても彼らの士気は高い。

愛国心や部隊に対する誇りもあるだろう。それに加えて帝国軍と国防軍では負傷兵に対する扱いは手厚さも大きな後しになっている。例え体の一部を失ったとしても、帝国重工の高度再生医療が本人の負担が無く受けられるのだ。戦死しても遺族を見捨てるような姿勢を取らないのも大きい。

山根大佐が言うように、視認し難い光異性化塗装を施した1隻の4式飛行船「銀河」が四川軍を常に監視している。

山根大佐が言う。

「まぁ、そうだな。
 面倒であっても、もはや通信と電子装置無しの戦いは有り得ん。
 戦力価値が大きく違う」

「情報収集と偵察こそが軍事作戦の根幹を成しますからね」

「確かに」

日清戦争に於いて台湾制圧戦に於いて清国軍残党や広東人傭兵らが仕掛けてくるゲリラ戦で苦労と激戦を経験していた彼らしい反応であろう。ゲリラ戦を仕掛けてくる敵と戦うには、優れた情報収集能力、部隊の即応性と連携、高度な索敵能力、これらが特に重要だったからだ。山根大佐が機械の操作が苦手と言いながらも、情報通信網の統合化に理解を示すのも、台湾制圧戦の経験から来ている。苦手を避けて部下を死地に陥れるなど、彼からすれば言語道断だった。

余談だが、ゲリラに対抗するには優れた軍事組織に加えて、優れた行政部門と国民に信頼されている政府を用意すれば、ゲリラは消えていくものだ。現に日本帝国は清国側とは比べ物にならないまともな統治を行った結果、台湾は短期間で日本の支配を受け入れていた事が良い証明であろう。

この状況の中、
カナエ中佐が状況の変化を察知して報告する。

「四川軍の一部隊が前進を開始しました」

「そろそろ頃合か」

「はい。
 手筈どおりに迫撃砲による煙幕射撃を開始します」

日本義勇軍による反撃が始まろうとしていた。その第一撃は純粋な攻撃ではなく、敵の視界を奪うことだ。敵に可能な限り戦訓を与えず徹底的に叩く。その為の攻撃プロセスが粛々と進められていった。
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【あとがき】
長すぎたので後編は中編と分けました。

3式トラックの派生である、8式有蓋指揮車が登場。
簡易要塞を作る際に、武器、装甲だけでなく、指揮システムまで既存品の改良から、そのまま流用になったので建設時間もより早くなります(笑) 

意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2012年12月16日)
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