帝国戦記 第四章 第10話 『特殊作戦研究部隊』
私は決して障害に屈しはしない。
いかなる障害も、私の中に強い決意を生み出すまでだ。
レオナルド・ダ・ヴィンチ
1909年 08月21日 土曜日
マニラ南部にあるガヴィテ地区。
ラグナ州に連なるバエ湖とタール湖に挟まれたマーキュリン森林の各地域にはフィリピン駐留アメリカ軍所属の第5軍の各部隊が野戦陣地を張って警戒に当たっていた。バエ湖沿岸にあるサンタ・ローザを通る街道はアメリカ側の支配にあり、マーキュリン森林までの連絡路を保持している。
本来ならばタガイタイ戦線に対して柔らかい横腹になりかねないラグナ州方面は放棄するべきだったが、物資不足に悩むアメリカ軍にとってマーキュリン森林がもたらす森の恵みは捨てるに惜しい策源地となっていたので、現在も多大な苦労をもってして維持を行っていた。一応、バエ湖での漁業も平行して行われていたが、必要とされる食料の絶対量を補うには至っていない。
しかし、このような策源地を保てていたのは、
アメリカ側の守備能力ではなく、
日本側の目的によって見逃されていたのだ。
日が落ち、雲の隙間から月が輝き、夜の深みが増す中、このタガイタイ戦線の辺境に位置するマーキュリン森林では、7人の帝国軍兵士が行動を行っていた。少し離れた高台に1名の帝国軍兵士が観測手として戦線監視を行っている。
彼らは互いを高度に支援しながら行動していたのだ。
この帝国軍兵士のそれぞれが、主兵装に消音装置付き95式小銃改を手に持ち、一般的な軍服ではなく、95式個人防護装備を装備している。観測手のみが光が反射しないように特殊加工が行われている光学照準器を備えた狙撃銃型30式小銃を装備していた。他には補助兵装としてレッグホルスターには60式拳銃、腰には格闘戦を想定したレニウムカーバイト製コンバットナイフがある。
サバイバルキッドや予備弾薬及び作戦に必要な装備は肩からの腰に掛けてファステックスで留めているプレート入りバックパックの中に収納していた。チェストリグなどの弾倉用ポーチも各所に備わっている。これらの装備を身につけながらも動きが滑らかな事から、相当に鍛えられている兵士だという事が窺えるだろう。
この8名からなる分隊は帝国軍新設部隊の特殊作戦研究部隊に所属している。
この部隊の水準は極めて高度なものだった。高い知能と強靭な体力を有しつつ、国防軍特殊作戦群が定めた心理審査をクリアし、3期(基礎コンディショニング、ダイブ期、地上戦)に分割された過酷な訓練と試験を乗り切った者達のみが残ることが許された部隊だったのだ。自分の強さを信じつつも、それを過信しない兵士。
後の世で言う特殊部隊の水準である。
なにしろ、この特殊作戦研究部隊は帝国軍に於ける特殊部隊の母体になる部隊なのだ。水準が高く設定されるのは当然だった。技術の階層と同じで、頂点の程度が低ければ底も浅くなってしまう。もっとも、研修先の国防軍特殊作戦群によって彼らは徹底的に鍛えられている。また装備も国防軍からの供給品なので錬度及び装備も最良のものであり、そのような心配は杞憂だったが。
「姿勢を低くな。
この野戦服ならまず見つかることはない。
目標に到達するまで後1km。これまで受けてきた訓練と同じだ」
「了解、軍曹」
彼らは静かに不要な音を立てずに森の中を警戒しながら進んでいく。
上空からみれば全周警戒を行っているのが判るだろう。
会話は極めて小声でも十分に行えるように骨伝導マイク・イヤホンを内蔵したTACヘッドセットシステムによって行われていた。各所でハンドシグナルをも多様している。
ラザレフ戦で実戦経験を有し、それから徹底的な特殊訓練を受けた軍曹が森が開けた場所に出て直ぐに、ベテランに相応しい洞察力で何かを発見した。
軍曹がハンドシグナルで部隊停止を下し、小声で言う。
「11時の方向、距離270で敵兵を確認。
二人…そのうち喫煙中が一人か。
夜間にもかかわらず煙草を吸うとは不用心かつ軍規が乱れている証拠だな。
伍長、そちらからも確認は出来るか?
双眼鏡を使っても構わん」
伍長は頷くと、静かに密封一体構造の完全防水の5式軍用双眼鏡を取り出す。5式軍用双眼鏡は国防軍特殊作戦群で使用されているレーザー距離計内蔵と微光暗視とIR暗視のハイブリッド機能を内蔵したタイプであり、21世紀初頭の技術で作られた堅実なもの。加えて、この時代に於いては過大な機能の一つ、強い反射光(グリント)から狙撃兵などを探知する戦場光学監視システムから逃れられるように、5式軍用双眼鏡には反射光などを抑える措置も施されていた。
この距離ならば、遮るものが無ければ相手の顔も判別できる。
「…喫煙者1人、岩側のもう1人は今にも眠そうな表情をしています」
「上出来だ」
軍曹は伍長を褒めると、次の行動に移る前準備として、無線周波数帯を部隊チャンネルから、後方から支援を行っている観測手に切り替えた。
「オメガ1よりシエラー25へ」
『こちらシエラー25、どうぞ』
「進行方向にて2名の敵兵を確認。
その周辺状況はどうか?」
『前方の2名と攻撃目標を除けば変化無し。
オメガ1の周囲1kmは鮮明だ』
「了解、通信を終える」
通信を終えた軍曹は伍長に命令を下す。
「良い知らせだ。
周辺に他の敵は居ない。
俺は岩側をやる、お前は片方が目を離してる隙に喫煙者を始末しろ」
他の兵士は周辺警戒を行う中、軍曹と伍長は膝撃ちの姿勢で95式小銃改を構え、キャリングハンドル後部に備え付けられている5式軍用双眼鏡と同じ微光暗視とIR暗視を有するスコープを覗く。標的を捉えると、親指でアンビタイプで左右どちらかでも操作可能のセレクターをフルオートから半自動・単発のセミオートへと切り替える。ピカティニー・レールの部分にフォアグリップが備わっており、銃身のぶれは最小限に留まっていた。彼らは射撃徽章特級を取得しており、この距離ならば十分に狙える技量を有しているので問題はない。付近の葉や草の動きで風速と風向きを計り、それらを計算を一瞬で終わらせる。
「照準よし、何時でも撃て」
「了解」
軍曹の言葉に伍長が引き金に掛けていた引き金を人差し指で引くと、小さな音と共に5.56o弾が95式小銃改から解き放たれた。伍長の発砲と同時に軍曹も射撃を行う。
「見事だ」
軍曹は伍長を褒めると95式小銃改のスコープから目を離す。
伍長によって狙われた歩哨はヘビースモーカーだったが、この狙撃によって永遠の禁煙に成功したのだった。軍曹の狙撃も同じで、寝不足に悩む米兵に永遠の眠りを与えている。つまり即死であった。
「前進しよう。ゆっくり、慎重にな」
兵士たちは周囲の自然に溶け込みつつ進んでいく。
やがて目的地を視界に収めた。
目的地とはアメリカ軍の警戒陣地の一つで、
やや高台に設けられた24人が警戒している小規模なもの。
夜間なので警戒に当たっている者は少ないが、襲撃側の人数を考えれば油断は出来ない相手である。
軍曹たちはバックアップ要員として一人を残して、静かに闇にまぎれて2名づつ、3つのチームとなって陣地へと侵入を始めた。各チームがポジションに着く。その報告を受けた軍曹が言う。
「合図と共に始めろ。 3…2…1…いまだ」
合図と共に、捕捉していた敵兵に向かって攻撃を開始し、ナイフやフラッシュハイダー機能を有する消音装置付き60式拳銃を用いてアメリカ軍兵士を無力化していく。
静かに速やかに、そして的確に……
そして、それらの様子をマーキュリン森林の丘の上から見守る存在が居た。義勇軍として参戦している国防軍のカオリ大佐とリョウコ大尉の両名である。見守るといっても有視界情報ではなく、成層圏から行われていたSUAV(成層圏無人飛行船)による戦略偵察を介して得られるIR情報を元にしたものであったが。
ひときわ明るく輝く月光によって照らされたカオリが言う。
「…今9人目を始末したようだわ。
順調のようだけどリョウコは心配性ね」
「十分な訓練を行ってきましたが、訓練と実戦は違いますから……」
カオリの色っぽい問いかけにリョウコは普段は少し不安そうな表情を浮かべて、上ポケットに入っている狼森神社のお守りに手を当てる。普段は見せない表情であり、彼女を知る人々が見たら驚くに違いない。現在、アメリカ軍の陣地に対して侵入している特殊作戦研究部隊の兵たちはリョウコが鍛えた兵士だった。いわば教え子だったのだ。リョウコは厳しかったが、このような優しさもある。
また、特殊作戦研究部隊の軍曹がイギリス軍のとある大尉と似たような感じなのは、時折に行ったカオリの技術指導が大きい。カオリにとっても彼らは教え子なのだ。
カオリが優雅に口を開く。
「それはそうね。
まっ、信じて上げなさい。
彼らの実力なら不測の事態にも十分に耐えられるわよ。
辛くても実地訓練を終えるのを見守りなさい」
「もちろんですわ」
カオリが言うように、特殊作戦研究部隊による攻撃は夜間襲撃任務の実地訓練である。敵に気付かれる事無く、陣地の制圧を終えれば最良判定で、気付かれても損失無く制圧を終えれば良判定であった。この地域のアメリカ軍は実地訓練用として存在が許されていたのだ。次の試験を終えれば、パシグ作戦の最終目的である、パシグ川の付近まで戦線を押し上げる攻撃が行われる予定になっている。
特殊作戦研究部隊の面々には知らされていないが、AC-004A局地制圧用重攻撃機「飛龍」が上空支援として控えており、不測の事態にも十分に備えていた。それに加えて任務後のアフターケアも十分な体制で整えられている。これらの事から、特殊作戦研究部隊に大きな期待が寄せられているかが良くわかるだろう。
「そういえば話は変わりますけど、
ラタナコシンドラは何時までアパリに停泊するのでしょうか?」
特殊作戦研究部隊を見守りながらリョウコは質問した。
並列思考は準高度AIにとって容易なこと。
リョウコにとっては質問の意味もあったが、不安を紛らわせる目的が大きい。
ラタナコシンドラとは、元は南太平洋海戦で国防軍が鹵獲した戦艦カイザー・ヴィルヘルム2世で、タイ王国が「タクシン」「トンブリ」「スリ・アユタヤ」の購入に伴う条件として、格安で売却していた艦艇である。ラタナコシンドラは旧式のカイザー・フリードリヒ3世級戦艦の2番艦カイザー・ヴィルヘルム2世がベースになっていたが、帝国軍によって徹底的な艦艇近代化工事を受けており、戦力価値として十分なものになっていた。
なにしろ船体から徹底的に改装された船である。
水面下にある衝角(ラム)の撤去ついでに、乾舷までが低い平甲板型船体から、艦首側のみ乾舷の高い短船首楼型船体に変わっていた。バルジの追加を始めとした船体強度強化と、艦橋構造強化及び積載量増加に対応した船体延長工事も行われ全長125.3mから154.2mへと延長され、史実の河内級戦艦に近いサイズへと生まれ変わっている。上部構造物に関しては複数存在していたミリタリーマストは撤去され、塔型艦橋へと改装されていた。
史実に於ける最上級重巡洋艦を短くしたような船体と言えばわかりやすいだろう。
また、搭載機関も石炭専焼水管缶10基による三段膨張式三気筒レシプロ機関3基3軸推進から、薩摩級戦艦で採用されている圧力複式衝動タービン2機2軸に変更している。これによって、機関変更に伴い出力が13000馬力から35500馬力まで上昇し、最大速度が17.5ノットから21.5ノットまで上昇していた。海防戦艦としては破格の速度である。航続距離に関しては最大搭載の1090トンの状態で巡航速度18.9ノットならば2980海里である。
肝心の兵装に関しては次のようになる。
従来から備わっていた40口径240o連装砲2基を始めとしたドイツ製兵装は射程不足から撤去され、95式52口径155o三連装砲1基(3門)、95式54口径127o連装砲5基(10門)、95式62口径57o単装速射砲16基に換装されていた。後部にあった40口径240o連装砲の場所には、3基の127o連装砲を備えて後部からの攻撃にも対応している。残る2基の127o連装砲は艦首から艦首甲板上に掛けて装備しており、即応弾マガジン・ドラムが採用されていない手動装填のタイプでありながらも、長射程によってそれなりの戦力価値を有していたのだ。
後に出てくるだろう1940年代の一般的な重巡洋艦と戦えるのが、本艦の改装コンセプトである。敵艦を撃沈するのではなく、127o及び155o砲弾の砲撃で敵艦の上部構造物を徹底的に破壊して、撤退に追い込むことを狙っていた。
ここまで改装したものを帝国軍が格安に売却したのは、もともと戦力化を目的として改装していた訳ではなく改装工事を経て軍事技術を高めるのが目的だったのだ。国防軍からの提案で、改装の費用は全て帝国重工が負担している。そして、帝国軍には十分な数の新鋭艦が揃っており、改装したとはいえ元が旧式の軍艦に人員を割く位なら、輸送艦を整備した方が遥かによいと考えていたのもある。
「紛争が終わるまで停泊を続けると思うわ。
タイとしては日本がフランス側とより一層親しくなり、
フランスに対する押さえが無くならない様にする外交工作の一環でしょう」
カオリが自分の権限が及ぶ範囲で得た情報を基に話す。
カオリの推論は当たっている。タイ王国と隣接するカンボジアが1863年に保護国条約によってフランスの支配下に置かれており、タイ王国がフランス側の出方を警戒するのは当然の流れであった。現に、フランス領インドシナは1859年のサイゴンを急襲から短期間の間で作られてすらいる。史実では、北側にはコーラート台地、南側はカンボジア平野が広がるダンレク山地(ドンラック山地)が圧力によってタイ王国からフランス側に1907年に割譲されていたのだ。
この世界では条約間戦争後の日本の介入もあって現在もタイ領として残っていたが、日本の介入が無ければ領土が奪い取られていただろう事は想像に難くない。
タイ王国が早い段階で王国軍の兵装を日本製兵器に切り替えていたのも、日本との友好を推し進めて、より完全な領土保全を図ろうとしていたのが理由だった。日本領となったコーチシナとの交流も積極的に行うように、タイ王国にとって日本帝国との友好進展が最優先課題になっていたのだ。日本帝国が関心を全く向けていない清国が―――かつてはアジアの大国として君臨していた清国が、どのような状況になっているかを考えれば、タイ王国の国家方針は当然の流れであろう。
もっとも、このようなタイ王国の心配は杞憂だった。
日本側の戦略も可能な限り軍事費を抑えるべく、東南アジアの安定化が重要と考えており、その主要国としてタイ王国の存在が考えられていたのだ。日本側と敵対しない限り、お互いにとって禍根が残らないよう、フランス資本の進出にあわせて、可能な限りの支援を行う手はずになっている。
「なるほど。
納得しましたわ」
リョウコは納得しつつ、特殊作戦研究部隊の状況に安堵した。
14人目…順調のようですわね。
対象目標を華麗に血祭りに上げつつある特殊作戦研究部隊の面々を嬉しく思うリョウコ。ナイフによる無音殺傷法によって倒した数が多かった事も喜びの一つであった。近接戦闘(Close・Quarters・Battle)のなかで、ナイフ戦は基本中の基本と考えており、それが実戦で活かされたことが嬉しいのだ。
そして、彼女達が影ながら見守る試験結果は最良の形で終わりを迎える事になる。
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【あとがき】
特殊作戦研究部隊が得た戦訓から、冬戦教(冬季戦専門部隊)、第1特殊部隊連隊(付加特技所有部隊)、武装偵察部隊(威力偵察)などを始めとした諸職種混成の特殊部隊が徐々に編成されていく事になります。
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
(2012年05月28日)
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