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帝国戦記 第四章 第09話 『上海条約』


剣を使わずに思慮で勝つのも、総司令官の力量ではないか。

ユリウス・カエサル










1909年06月04日 金曜日
フィリピン臨時政府の了承の元、特殊作戦郡がフィリピン諸島のアメリカ側支配地を除く地域の測量を開始。




1909年07月01日 木曜日
日本領ラザレフに近く、デ・カストリ、ペルムスコエ、ガヴァニ・インペラトラ・ニコラヤペルムスコエの一帯を中心に、オリガ・ニコラエヴナ皇女を首班とするシベリア公国がロシア帝国及びアーヴァイン重工の協力を受けて建国される。




1909年 07月06日 火曜日
帝国重工が南シナ海にある中沙諸島の領土編入に向けて黄岩島を始めとした各岩礁を漁業基地としての開発を開始する。





1909年 07月10日 土曜日
薩摩級戦艦「モレノ」がアルゼンチン海軍へと引き渡される。




1909年 07月19日 月曜日
佐世保工廠で大淀級巡洋艦「ラ・アルヘンティーナ 」「タクシン」、舞鶴工廠で峯風級駆逐艦「コリエンテス」「エントレ・リオス」「トンブリ」「スリ・アユタヤ」の建造が始まる。 「ラ・アルヘンティーナ 」「コリエンテス」「エントレ・リオス」がアルゼンチン海軍向けで、残る3隻がタイ海軍向けであった。




1909年 07月24日 土曜日
岐阜県の岐阜市、美濃市、関市、山県市に後に美濃隕石と命名される隕石雨が落下。
史実と異なり、すべての隕石が帝国重工によって回収され、その7割が文部省科学博物局の教育博物館に寄贈され、残りが帝国学院のものとなった。




1909年 08月02日 月曜日
スペイン海軍向けの薩摩級戦艦「エスパーニャ」の建造が横須賀工廠で始まる。




1909年 08月10日 火曜日
東京府東京市がカナダのブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市に2000本の桜の寄贈を行う。














1909年 08月21日 土曜日

イギリス帝国英領マラヤにあるシンガポール海軍基地は、1819年に作られたシンガポール港が基点となって作られたイギリス海軍の拠点だった。史実に於いては、ウォルター・ヒューム・ロング第一海軍卿や知恵の七柱の一人に数えられたロスリン・ウェメンス大将らが1919年から推し進めたシンガポール戦略やモバイル海軍基地防衛機構(MNBDO)などの戦略計画によって施設の強化が行われ、5門の380o要塞砲や大型の乾ドックや浮きドックを有する「東洋のジブラルタル」と呼ばれる一大拠点へと発展していた基地である。

この時期では大規模な設備はなかった筈だが、この世界に於いては戦略環境の変化に伴ってドック拡張を始めとした基地強化が既に始まっていたのだ。シンガポール海軍基地にはイギリス東洋艦隊司令部が置かれており、その司令部設備も拡張が始まっていた。

イギリス東洋艦隊とは、東インド戦隊、中国戦隊、オーストラリア戦隊の3戦隊から成り立っており、海軍軍令部長の地位を目前に控えたアーサー・ウィルソン大将が司令官として着任している。彼はイギリス海軍に於ける潜水艦整備を進めた人物としても有名だが、魚雷の専門家としても有名で、魚雷装置や機雷の開発なども行っていた。前線司令官というよりは、軍政や後方支援に長けた人物というのが正しい評価であろう。

また、東洋艦隊を構成する3つの戦隊は次のようになる。

ジョージ・ウォレンダー少将率いる東インド戦隊。主任務はインド洋の制海権保持であった。しかし、配備された戦力の多くが中国方面や極東方面の増強のために流用されるために小規模に留まっていたのだ。旗艦は戦艦オーシャンである。

国王エドワード7世からの信頼も厚い、ヘッドワード・ミュース中将率いる中国戦隊。この戦隊は外交要素が強く、商業利益を重視していたので他の戦隊と比べて異色だった。恒常的な部隊を持たず、幾つかの砲艦及び駆逐艦を長江小艦隊、西江小艦隊として運用し、沿岸警備や租借地警護を主任務としていた。旗艦は防護巡洋艦「パワフル」が担っている。

リチャード・プーア中将率いるオーストラリア戦隊。沿岸警備を目的に加えて、オーストラリア海軍が暴走しないように監視するのが任務になっていた。そのために、史実と比べて防護巡洋艦が増強されていたのだ。旗艦は装巡ドレイクである。

これらの艦隊とは別にウィルソン大将直卒からなる有力な艦隊を有していた。もっとも、かつて直卒部隊に所属していた18隻の戦艦のうち「ジュピター」「マーズ」「シーザー」「リヴェンジ」「ロイヤル・オーク」の5隻はロシア帝国へ、「ロイヤル・ソヴェリン」「エンプレス・オブ・インディア」「インデイアナ」「ラミリーズ」「レパルス」の5隻がアメリカ合衆国へと売却され、旧式化が著しい「トラファルガー」「ナイル」の2隻がオーストラリア連邦に対して無償供与されていたので、12隻の戦艦が部隊から離れていたのだ。

現在のアーサー・ウィルソン大将に指揮下にある戦闘艦艇の編成は次のようになる。


直卒部隊(アーサー・ウィルソン大将)
戦艦6隻、装巡4隻、防巡6隻

戦艦
「マジェスティック」「マグニフィセント」「ハンニバル」「プリンス・ジョージ」
「ヴィクトリアス」「イラストリアス」

装甲巡洋艦
「キング・アルフレッド」「バッカント」「ユーライアス」「サトレッジ 」

防護巡洋艦
「ロイヤル・アーサー」「ジブラルタル」「グラフトン」「セント・ジョージ」
「テセウス」「クレセント」



東インド戦隊(ジョージ・ウォレンダー少将)
戦艦1隻、装巡1隻、防巡7隻、スループ3隻

戦艦
「オーシャン」

装甲巡洋艦
「グッド・ホープ」

防護巡洋艦
「ピローラス」「パーシュース」「パクトーラス」「パイアニア」
「パモーナ」「プロミテュース」「イルカ」

スループ(測量船)
「トーチ」「クリオ」「ファントム」



中国戦隊(ヘッドワード・ミュース中将)
防巡7隻、駆逐7隻、砲艦3隻、コルベット1隻

防護巡洋艦
「パワフル」「カンブリア」「フィービー」「ロイヤルアーサー」

駆逐艦
「アフリディ」「コサック」「グルカ」「モホーク」
「タタール」「アマゾン」「サラセン」

砲艦
「スラッシュ」「スパロウ」「パルマ」

コルベット
「ピュラデース」



オーストラリア戦隊(リチャード・プーア中将)
装巡1隻、防巡9隻、スループ3隻

装甲巡洋艦
「ドレイク」

防護巡洋艦
「チャレンジャー」「エンカウンター」「ユーライアラス」「ペガサス」
「カドモス」「プシュケ」「パイオニア」「ピラムス」 「プロメテウス」

スループ(測量船)
「シーラーク」「ダート」「ウォーターウィッチ」



これらのアジア方面に於ける有力な艦隊を統括していたウィルソン大将であったが、その表情は優れておらず、執務室で報告書を見ながら溜息を吐いていた。豊かな髭を有し、海の男の雰囲気を漂わせている顔にも言いようのない疲労すらも見え隠れしている。

「演習用の物資を用意しても北洋艦隊の錬度はなかなか上がらない。
 もっとも、例え錬度が上がったとしても、
 時代遅れの艦しかないのが問題だ。
 本国から有効活用しろと言われたものの正直言って扱いかねるものだよ」

北洋艦隊は実質的にイギリス東洋艦隊の指揮下にあったが、正直なところ、その扱いに苦慮していたのだ。ウィルソン大将の言葉に参謀長を務めるチャールズ・ブリッグス少将が少し考えてから言う。

「よくよく考えれば、
 我々は清国に対して市場以上なにかを求める、
 過大な期待をしていたのかもしれません。
 この際なので過大な期待を止めて北洋艦隊を軍事力として考えるのではなく、
 割り切って考えましょう」

「割り切きるとは?」

「北洋艦隊の戦力は第二線級にも満たない時代遅れのもの。
 ならばいっその事、軍艦としてではなく沿岸警備を主任務とした、
 哨戒艦として運用するのです」

「なるほど。
 北洋艦隊でもそれなら使い道がありそうだな…
 いや、それしか使い道がないな」

「ですが、皮肉なことに今は沿岸警備の重要性が増してきています」

「上海条約の厳守を名目としているとはいえ…厄介なことだ」

上海条約とは日英仏独露清の間で結ばれた条約で、
その内容は清国周辺の曖昧だった海域や租借地の状態を明確にする条約であった。

具体的な内容としては、南シナ海の東沙諸島を日本領として編入を認める事と、イギリス帝国(威海衛・九竜半島)、ロシア帝国(旅順、大連)、ドイツ帝国(膠州湾)、フランス共和国(広州湾)の租借地を永久租借として、租借地の周囲に中立地帯が設定する内容である。また、万里の長城以北の満州地域に関する統治権の喪失も盛り込まれていたのだ。

条約間戦争に於いて誤った選択によって背負わされた負債によって混乱と疲弊の極みにあった清国には、上海条約を止める手立てはなかった。それどころか、かつて李鴻章が受け取った50万ルーブルの賄賂が決め手となって結ばれていた露清密約の拡大発展型といった模様が清国各地で見られ、条約締結の後押しにすらなっている。工作商会による影ながらの調整もあって、列強間の足並みも見事に整っていたことも大きな要因の一つだったであろう。

そして、上海条約で中国大陸に直接関連しない程度に、日本側に多少なりとも利益があったのは、日本帝国が反対の立場をとらないようにする外交的な措置であった。東沙諸島は1907年から日本人が入植を開始していた事も選ばれた要因の一つ。

もっとも、これらの島々はヨーロッパ列強からみれば、維持が難しい漁業基地としてしか使い道がないので、安易に差し出すことが出来たのだが。

不思議なことに、英露仏独の4ヶ国は上海条約を拡大解釈して、日本圏やフィリピンに向かおうとする清国からの密貿易船を熱心かつ積極的に摘発していた。その度合いは、停船警告に従わない船は海賊船として撃沈すらしていたほど。名目は上海条約に基づく東沙諸島への清国人の密入国の禁止である。

確かに日本帝国と清国は国交断絶状態で、筋は通っていたが、彼らの本心はアパリ租借地の情報を、自分たちの租借地に持ち込ませないための措置だったのだ。アパリ租借地はフィリピン経済活性を目的としており、中国大陸にあるヨーロッパ列強の各租借地は搾取目的だった。誰もが前者を望むだろう。西サモアと東サモアの前例がある。だからこそ、彼らにとって情報の統制と交流の制限は何よりも優先しなければならない事項になっていたのだ。

「しかし、こうなると効率的な哨戒が可能な艦載機の存在が羨ましいです。
 東洋艦隊に日本側が保有しているような艦載機配備は何時ごろなのでしょうか?」

「実際のところ当分は無いだろう…
 一応、本国では多翼型複葉機などの機体は出てきたものの、
 上層部は日本機の性能に近づくまで量産を見送るらしい。
 そもそも、あの機体では艦艇からの離発着が出来ぬ…技術的な壁が多すぎるのが現状だ」

多翼型複葉機とは2年前にイギリス帝国のホラティオ・フレデリック・フィリップスが作り上げた多数の翼を有する飛行機である。一応は高度100メートル程までの上昇が可能だったが、揚力はともあれ、空気抵抗を大きく受ける構造上の制約から高速移動に適していない飛行機である。ただし、翼に関連する技術は優れており、その研究結果は大きなものと言えるだろう。

「確かに…あの飛行機では厳しいですね」

「そこに答えが出ている…残念な事だ。
 飛行船にしても陸軍が開発した飛行船では危なくて使えぬ」

「銀河のような飛行船と違って、
 アレは強風が吹けば安定が保てませんからね」

彼らの言う飛行船は、イギリス陸軍のジョン・キャパー大佐とサミュエル・フランクリン・コーディが開発したヌリ・セクンドゥス号である。係留装置及び、気嚢の耐久性不足によって1907年9月10日の初飛行の翌月に強風によって破損していた。半硬式飛行船の初期の機体なので、これらの不備は仕方が無かったが、やはり洋上飛行には恐ろしくて使えない品物だった。現在、ヌリ・セクンドゥス号を再設計した2号機の製造が進められている。

ウィルソン大将が仕方が無いと言う表情を浮かべながら口を開く。

「ない物ねだりは出来ない。
 哨戒任務に最低限使えるよう、北洋艦隊に無線機を装備させないとな」

「では、私は無線機などの機材の手配を早速始めます」

「頼む。
 私はスケジュール表の方を行おう。
 北洋艦隊の案件は速やかに片付けて、
 本腰を入れて来週に控えた次の物資輸送の最終工程を進めないとな」

「忙しいですね」

「だが、これで新たな戦艦建造に繋がるのだ。
 そう思えばやる気も増える」

物資輸送とはフィリピンのマニラに展開するフィリピン駐留アメリカ軍に対する物資輸送だった。ただの物資輸送ではなく緊急性を要するものである。具体的にはマニラ郊外にあるアメリカ軍物資集積所が6月25日(金曜日)の早朝に、戦艦6隻、巡洋艦4隻からなる日本義勇艦隊の艦砲射撃によって貯蔵物資の8割を完全損失する被害を受けており、それを補うための物資の輸送だったのだ。

アメリカ側の人的被害は日本側の戦略もあって極めて軽微に留まっていたが、現地軍では物資不足による食事制限すら始まっていた。

また、制海権が無いにもかかわらずアメリカ側の物資集積所がマニラ沿岸部に集中していた理由は次のようになる。マニラから北40kmから広がるビアク・ナ・バト森林地帯には、日本義勇軍によって厳重に守られた野戦重砲陣地が作られていた。重砲の射程に収まっているマニラ郊外の北部は物資集積所として適していない。加えて、その周辺は日比両軍の部隊が展開しているので、アメリカ軍も迂闊に手が出せなかった。 そして南43kmには野戦重砲を有する厄介なカヴィテ要塞が作られており、北部と似たような状況である。加えて、マニラの東は山脈が広がっており、少量ならともかく、多量の物資輸送には適していない。

このような、やむを得ない事情があった。

そして、アメリカにとって運の悪いことにアメリカ西海岸からダーウィンを介して二ヵ月分の補給物資を運び終えた直後の被害だったので、輸送船のローテーション及び、各中継拠点の備蓄状況からして、フィリピン駐留アメリカ軍が必要とする物資を早急に用意することは出来なかったのだ。

このような機会を狡猾なチェンバレンが逃すはずがなく、
フィリピン駐留アメリカ軍の物資不足に対して即座に動いている。

チェンバレンはアメリカ合衆国に援助を差し向ける姿勢を見せつつ交渉を行うと、イギリス政財界に働きかけて手始めとしてイギリス領インド軍の物資の一部を輸送業務込みでアメリカ側に大量に売却すらしていた。運良くイギリス領インド軍には来月に予定していた大演習用に物資の備蓄が進められており、このような事態にも即座に対応する事が出来たのだ。

しかし、フィリピン駐留アメリカ軍で必要としている物資からして一度に輸送できるものではない。現にウィルソン大将らが準備を進めていた物資輸送船団は第三陣である。

それでも食料や弾薬などの補給不足が深刻化していたほどで、イギリス帝国の動きが無ければ、物資不足によってフィリピン駐留アメリカ軍は危機的な局面に陥っていたのは確実だったであろう。アメリカ合衆国はイギリス帝国によって窮地を逃れることが出来たが、その代償として予想外の出費を強いられることとなった。

このように日本側の戦略が功を奏し、最小の流血でアメリカ側に経済的な過負荷を掛けて、その戦争継続能力を確実に奪い取って行く事になる。
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【あとがき】
シベリア公国ですが、当初はニコライ・ミハイロヴィチ大公を首班と考えてましたが、色々と制約も大きく、旗印になりつつもある程度自由に動けるオリガ・ニコラエヴナ皇女を 首班にしました。

意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2012年04月27日)
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