帝国戦記 第四章 第08話 『アパリ租借地』
次の二つの事は、絶対に軽視してはならない。
第一は、忍耐と寛容をもってしても、
人間の敵意は溶解するものではないということであり、
第二は、報酬や援助を与えても、
敵対関係を好転することまではできないということである。
ニッコロ・マキャヴェッリ
イギリス帝国、ロシア帝国、ドイツ帝国、フランス共和国らの欧州列強によって条約間戦争に於ける負債を押し付けられた清国は混乱と疲弊の極みにあった。
かつて保有していた東アジアに於ける覇権は影も形もない。
影響下にあったはずの中国大陸北部のモンゴル、西端にある新疆、西南部のチベットは完全に分離独立を果たしている。加えて、満州はロシア帝国とフランス共和国の浸透が進み、東の膠州湾からはドイツ帝国が勢力範囲を広げていた。そして南では香港を中心にイギリス帝国による間接支配が進められており、名実共に清国の各方面に於いて半植民地化が確実に進んでいたのだ。
装甲艦3隻、防巡洋艦2隻、巡洋艦3隻、砲艦9隻、補助艦1隻、水雷艇12隻からなる清国艦隊の主力部隊である北洋艦隊が実質的にイギリス海軍の影響下に下った事態からして、どのような国家状況に陥っているかが伺えるだろう。無論のこと、北洋艦隊の母港である威海衛はイギリスの租借地になっていた。 指揮権委譲は満州方面から進出してくるロシア帝国を押さえる代償であったが、これさえも英露独仏の4国間の非公式ながらも合意がある。
つまり、列強間に於ける清国の分配は確定事項であったのだ。
また、北洋艦隊の編成は次のようになる。
装甲艦
「定遠」「鎮遠」「龍湍」
防護巡洋艦
「済遠」「広丙」
巡洋艦
「龍威」「平遠」「筑紫」
砲艦
「平遠」「大島」「操江」「鎮東」
「鎮西」「鎮南」「鎮北」「鎮中」
「鎮辺」
補助艦
「操江」
水雷艇
「福龍」「捷順」「左隊一号」「左隊二号」
「左隊三号」「右隊一号」「右隊二号」「右隊三号」
「定遠一号」「定遠二号」「鎮遠一号」「鎮遠二号」
「鎮遠」「龍湍」「済遠」「広丙」「筑紫」「平遠」「大島」「鎮東」「操江」の9隻は、1897年に帝国重工の仲介によって日本側から購入した旧式艦であった。そして「大島」「筑紫」を除けば日清戦争で清国側から鹵獲及び賠償として日本側に渡っていた艦艇であり、龍湍は1897年に日本から購入したイギリス製の装甲艦「扶桑」を改名した船である。
これらの9隻の軍艦は作られた年代からして第二線としての運用も厳しい性能から清国海軍では"出戻り艦艇"として揶揄されていたのだ。
ともあれ、清国の国内情勢は独立戦争中のフィリピン臨時政府より圧倒的に悪いだろう。
その理由は次の5つに要約できる。
第一に、列強各国から狙われており、味方になる国は一国も無い。
第二に、華僑資本は多量に購入していたロシア戦時国債の損失から弱体化が進んでいた。
第三に、国家上層部の腐敗が著しく、まともな政治が行われていない。
第四に、イギリス帝国が輸出を続けるアヘンによって国民が蝕まれている。
第五に、義和団事変で課せられた4億5千万両の賠償金支払いが財政を常に圧迫していた。
付け加えるなら、アメリカ合衆国も自国の製品の輸出先として中国大陸の市場を狙っていたのだ。中国市場を欲する勢力に事欠かない。もっともアメリカの試みは列強の反対によって失敗に終わっていたが。
日本帝国に於いては最高意思決定機関の方針によって、中国大陸に対しては不干渉こそが最良の措置と思うように世論誘導も行っており、一切の関連を持っていない。もっとも、1904年には条約間戦争で苦戦する日本帝国を尻目に清国側から通商協定の破棄を行っており、清国側が今更協力を要請してきたとしても、厚かましいだけであり、日本側に応じる道理が無かったのだ。
1909年05月01日 土曜日
混迷を深める清国に反して、未来に向けて確実に歩むフィリピン臨時政府。
そのフィリピン経済の一翼を担う貿易拠点として整備が進むアパリは、公爵領の租借地として整備が進んでいたが、ここから得られる富の多くはフィリピンに還元されていた事から、どのような目的で運用されている租借地かが良くわかるだろう。
世界に数多に存在する租借地の中でもアパリは特異な存在と言える。
そのアパリ港に石炭機関とフルリグ補助帆で動く排水量1020トン、兵装279o砲1門、229o砲1門、MLR60ポンド砲1門、速度も10ノットが精々の1876年に竣工していた旧世代の軍艦が停泊していた。ネームシップはアラート級砲艦「レンジャー」であり、アメリカ海軍に所属する軍艦。もっとも、アラート級砲艦は雪風級などの新世代艦の存在によって、今では戦闘艦としての価値は完全に喪失しており、測量などを行う調査船として使われていた。
アパリ港にアメリカ海軍の艦艇が停泊しているのには理由がある。
まず第一にアパリは貿易都市として開かれており、日米双方とも米比戦争に於いて間接的に敵対していたものの、互いに戦争行為と看做していない事。第二にアパリを開くことに対して日米比に於いて一種の利害一致があった事だろう。
これらの事から日本側の了承を得られれば、
稀にだがアメリカ国籍の艦艇が入港することもあったのだ。
無論、アパリ港には日本側が指定した船しか入れない。
日本側の利点を要約すれば、ある程度の交流を保つことによって人種間戦争に発展しないようにする事と、人道支援を建前にフィリピン駐留のアメリカ軍に最低限の医療品を渡すことで、兵員数を維持させることがあげられる。大きな戦闘は無くても、小競り合いはそれなりにあったので、戦死や病死等によってフィリピンに展開するアメリカ側の兵員が減れば、それだけの補給物資に掛かる負担が軽減してしまう。
敵を疲弊させるには食い扶持は多い方が都合が良い。
また、医療品の受け渡しは日本船では行わず、輸送業務にはアメリカ海軍の軍艦を指定していた。これにはアメリカ海軍にもある程度の面目を保たせる目的がある。すなわち戦闘行為を行わずに済むように仕向け、高い維持費の割には戦力価値の乏しい旧式改装戦艦を末永く使ってもらう為である。
この戦略の最大の利点は諸外国からは美談として見られるので、後の和平交渉の際にも交渉材料として大きなものになるのが大きいだろう。
アメリカ側の利点としては、高い効力を有する帝国重工の医療品によって適切な処置を行えば戦死者数を確実に減らすことが出来たので、マスコミ対策として戦死者数を抑えられる点に集約される。イギリスからの後押しだけでなく、議会及び軍部も戦死者数が増えれば動き辛くなるので、もはや日本側からの人道支援を断る事は出来なかったのだ。
帝国重工の医療品は世界各国で必要とされており、また生産量もそれほど多くも無かったので、世界から買い集めれば集めるほど、値段が高騰していく。第一に、今のアメリカの国威と戦力では、諸外国に無理を押し通すことなど不可能である。
フィリピン側の利点は、アパリを通じて日本の支援を受けながらも、アメリカ側へのチャンネルを保てる点にあるだろう。このアパリには欧州諸国の新聞社の特派員が派遣されており、欧州諸国の新聞社を通じてアメリカ国内に対して独立を訴え続けることが出来るのだ。国際社会に向き合う勢力としての地位も得られるので、独立に至る前哨戦としては申し分のない舞台と言えるだろう。
アメリカ側の利点はいささか後ろ向きだったが、
このような事情からレンジャーは医療品の引き取りの為に入港している。
幾多の事情が交差し、活気が溢れるアパリの大通りには、異なる国の軍服を着た二人の男性が歩いていた。一人は、フランス陸軍から観戦武官として赴いたばかりのジョセフ・ジョフリ中将である。彼はフランス陸軍第2軍団を率いていたが、ラ・ロシェル郊外戦の一方的な結果から、日本側の火力を学ぶ必要があると決意し、自ら志願してこの地に赴いていたのだ。
ジョフリ中将の隣に歩くイギリス陸軍の軍服を纏った男性が言う。
「ここの開発は、サハリン島には劣るもののかなり凄いな」
ジョフリ中将の同行者は、イギリス陸軍から派遣されている観戦武官のイアン・ハミルトン中将である。ジョフリ中将のは街の北にあるアパリ港でハミルトン中将と会い、情報交換を兼ねて同行していた。
「サハリンには行った事がないが、それほどなのか?」
「ああ、極寒の地にも関わらず大型施設が短期間の間に作られていた。
インフラの整備も然りだ…
元が殆ど開発が行われていない土地を考えれば、その凄さが判る」
ハミルトン中将はサンドハースト士官学校卒業後に戦地及び植民地の各地を転々としていた経験があっただけに、言葉の重みが違っている。
「なるほど…
ラ・ロシェルでは2週間程で要塞を作り上げた彼らなら難しくはあるまい」
「勇名を馳せた墨俣要塞だね」
「実在しているものを否定する気はないが、
どうやってあの期間で要塞を作り上げたかは不可解だよ」
「私も始めて聞いたときには耳を疑ったものだ」
「それが普通の反応と言うものだな」
墨俣要塞はモジュラー式の5式拠点構築資材と特殊超分子ハイドロゲルの組み合わせた、有り合せの要塞であったが、欧州の技術水準では妄想の領域であり、常識が邪魔をして建築方法をつかめていない。もっとも、国防軍が行っている手法は建設方法が判っても相応の技術力がない限り、再現は出来ないものだったが。
「墨俣要塞と同等と思われる要塞がユーラシアにある日本圏の各地で発見されていることから考慮すると、パシグ作戦で確保した地域に作られた陣地群や要塞は、見掛け倒しという事はないだろう」
「絶対に無い。
フィリピン諸島は日本本土に近い故に、物資の輸送も簡単と見て良いだろう。
パシグ作戦から優に1ヶ月は過ぎている。
墨俣要塞が作られた期間を考えれば十分な時間だろう」
「加えて、いつもおなじみの幕張急行もあの様子だ」
ハミルトン中将がそう言いながら見上げた上空には、12隻からなる4式飛行船「銀河」の編隊が南に向かって飛行していくのが見えた。幕張基地から飛びだっていた飛行船の定期便である。第一警戒航行序列の三列梯形になって整然に進む編隊の姿から、新聞社の特派員らは広報事業部から知らされた発進先から幕張急行(Makuhari Express)と呼んでいる。
「…日本の輸送力は強大だな…」
「あの輸送力からして、
パシグ作戦を防げなかったのはアメリカ側は大きな失点になるだろうね」
溜息ながらにジョフリ中将が言うと同意するようにハミルトン中将が続く。
彼らが言うパシグ作戦とは、04月15日の夜明けと同時にマニラから南に87Kmにあるパタンガス湾に行われた日比合同部隊による上陸作戦を起点に行われた一連の軍事作戦を指す。
パシグ作戦の第一段階は、戦艦「長門」「伊勢」、強襲揚陸艦「飛鷹」「隼鷹」、巡洋艦「葛城」「乗鞍」「黒姫」 、護衛艦「秋月」「照月」「涼月」「初月」「新月」、輸送艦4隻から編成される日本義勇艦隊の支援を受けながらの上陸である。陸上戦力は日比軍を合わせて8個中隊に過ぎなかったが、そのうち6個中隊がカオリ大佐率いる精鋭でかつ重装備を保有する特殊作戦郡の兵員なので戦力に不安は無い。
上陸部隊はアメリカ側の僅かな警備兵力を圧倒的な突進力で粉砕すると、作戦は第二段階へと移行し、特殊作戦郡は上陸地点から北北東に24kmにある標高700メートルの高原地区タガイタイにまで電撃的に進出する。タガイタイの直ぐ南にはタール湖があり、その湖面から高さ300mの世界一小さい活火山のタール山がある珍しい場所でもあった。
現在の作戦は第三段階へと移行しており、陣地群及びカヴィテ要塞として命名された野戦要塞によって長期自給体制へと移行している。 パシグ作戦によって形成されたタガイタイ戦線はアメリカ軍にとって、極めて不本意でかつ迷惑至極なものになっていたのだ。将来の攻勢に向けて用意していたアメリカ第5軍をタガイタイ戦線方面への守備に回す必要が出てしまい、アメリカ側が用意していた攻勢作戦を悉く実行不能なものへと追いやってしまったからである。
障害を取り除くのも難題であった。
低地から高地に進出するのも難儀なのに、
攻撃地点には重装備の部隊が守りを固めているのだ。
下手な攻撃がどのような結果を招くかは推して知るべし。
現に威力偵察として送り込んだ1個大隊が陣地群に接近する前に艦砲射撃で一方的に喪失してしまえば、誰もがラ・ロシェル郊外戦の悪夢を思い浮かべてしまう。陣地や要塞をどうにかする前に、日本艦隊を撃滅せねばならず、それは現状のアメリカ艦隊では不可能だった。タガイタイ戦線は艦砲射撃圏であり、うかつには近寄れない不気味な戦線としてアメリカ側に無言の圧力を掛けていたのだ。
むろん、カヴィテ要塞は俣要要塞と比べれは簡略なものだったが、それでも6門の95式野戦重砲を中核に各種重火器を5式拠点構築資材によって防御を施したタイプなので、世界水準から見れば十分に要塞として通用する水準に達している。力押しで落とそうにもアメリカ側が持ち込んだ火器の中で最大のものであるM1908榴弾砲(152mm砲)では明らかに火力不足であろう。
「まぁ、このまま立ち話もなんだ。
せっかくだから昼食を兼ねてコスモスに行かないかね?」
「コスモス?」
「そうか、アパリに来たばかりの貴殿には判らないのも当然か。
あの榛名の直営店の一つで、庁舎と市場の中間にあるカフェだよ」
そのハミルトン中将の説明にジョフリ中将は納得する。ラ・ロシェルにも榛名の直営店であるラ・ロシェル榛名が開店しており、ジョフリ中将も国防軍との関係進展の為にラ・ロシェルに赴いたときに一度足を運んだことがあったのだ。コスモス店の銘銘の由来は「調和」をもたらす花言葉であるコスモスからきている。
「なるほど、あの榛名の直営店か…それならば悪くない提案だな。
同行しよう」
ハミルトン中将の申し出にジョフリ中将は快諾する。
「では急ごう。
あそこのプレーンスコーンは格別なのだ。
この時間なら焼き立てが楽しめる」
「それは楽しみだな」
「榛名の直営店に外れはない。
イギリス本土にも出店して欲しいぐらいだよ」
アパリには、コスモスのように来賓客との軽い打ち合わせに使えるような施設の充実も始まっていた。義勇軍や諸外国からの来訪者向けに広報事業部が運用する娼館も既に出来上がっており、
このようにアパリは小さな町とはいえアパリは貿易拠点として十分に通用するものになっていたのだ。
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【あとがき】
余談ですがアパリ港に停泊しているレンジャーには後にアメリカ太平洋艦隊司令長官になるチェスター・ウィリアム・ニミッツが少尉として乗船しています。
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
(2012年04月08日)
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