帝国戦記 第四章 第07話 『日本義勇軍』
歴史は、高い理想主義と高潔さに動かされたある国が、
アジアの独立と民衆の解放に生命と財産の全てを犠牲にした例を、
ひとつくらい見るべきだ。
そして日本は人類の歴史上、
初めてこの歴史的役割りを果たすべく運命づけられているかに見える。
ウー・ヌ
1909年 03月01日 月曜日
米比戦争に帝国軍と国防軍の合同軍からなる日本義勇軍(統合軍)が参戦して5ヶ月。
ルソン島、ミンダナオ島を主島とする、7100余の島々から成り立つフィリピン諸島で繰り広げられる米比戦争ではサンフェルナンド戦線という主要戦線が構築されていた。
サンフェルナンド戦線はルソン島中西部のマニラから北部50kmのパンパンガ州サンフェルナンド一帯に広がっている。その北北東にあるイサベラ州イラガンにはフィリピン臨時政府が置かれており、フィリピン軍主力が展開していたのだ。フィリピン軍にとっても重要な戦線だったが、植民地化を推し進めるアメリカ側にとってもこの戦線は重要である。何しろ、突破できなければ植民地化が不可能といっても過言ではないからだ。
だが、山越えでの北進は極めて難しい。
ルソン島北部の西側沿いにある、パンガシナン州の豊かな水源を持つサンバレス山脈から続くカブシラン山脈が、マニラ湾を挟んだ対岸にあたるバターン州バターン半島まで延びている。更には東海岸沿いにはシエラマドレ山脈が伸びていたのだ。山岳部を避けても長々と森林地帯が続いており、不正規戦を仕掛けるにはもってこいの地形。
この方面に対してアメリカ陸軍は第8軍団をあてていた。
戦線の正面には第8軍団を統括するジョン・C・ベイツ中将が指揮する第8軍団中核部隊の第2師団、第14歩兵連隊、第25歩兵連隊、第33歩兵連隊、フレデリック・レミントン連隊、テキサス義勇連隊、第4アイオワ州義勇歩兵連隊に加えて、機動戦力として第3騎兵隊と第6騎兵隊が控えていたのだ。火力支援兵力として第三砲兵連隊、ユタ州義勇砲兵連隊、カリフォルニア州義勇重砲兵分遣隊が展開している。
部隊名から判るように、アメリカ陸軍に於けるフィリピン派遣軍の多くが、米西戦争と同じで、常備軍不足から各州の州兵を寄せ集めたものだった。
戦線正面から南西25kmにあるバターン州境には米西戦争で活躍したウェズリー・メリット少将率いる第8軍団第1旅団と陸軍士官学校を最高成績で卒業したアーヴィング・ヘイル准将の第8軍団第3旅団が守備を行い、戦線から東部に広がるブラカン州北部サンミゲルのビアク・ナ・バト森林地帯にはエルウェルス・ティーブン・オーティス少将が率いる第8軍団第2旅団がフィリピン軍の協力者がマニラに侵入しないように展開している。
米比戦争の戦況を要約すれば、サンフェルナンド戦線各所の難所に立てこもる、工作商会の暗躍によって暗殺を免れていたアントニオ・ルナ少将(バルセロナ大学を卒業し薬学博士の肩書きを持つだけでなく、欧州諸国で軍事学を学ぶなど幅広い知識を有する将校)と、
サンフアン・デレトラン学院を文学士として卒業していたアルテミオ・リカルテ少将の両名が指揮するカウゥル大隊、カビテ大隊を中核としたフィリピン軍に攻めあぐねる状況だったところに、日本義勇軍としてフィリピン軍に協力する帝国軍第11歩兵連隊、第17歩兵連隊、国防軍第1機動歩兵中隊、国防軍特殊作戦群の参戦によって、北進自体が自殺行為に変わりつつあったのだ。
台湾から南に250km、ルソン島北部のハブヤン海峡に面する辺境の港街アパリ。
この地は、日本義勇軍の参戦と同時に、帝国重工がフィリピン臨時政府から租借料を支払うことで租借しており、フィリピンの地に於いて特異な場所になっている。
一応は、日本義勇軍の駐屯地として5式拠点構築資材で作られたアパリ基地が建設されていたが、軍事機能は最小限に留められており、物資集積や経済機能を重視した施設になっていた。アパリで活動する工兵隊の活動もアパリ港の拡張を重点的に行っている。そのアパリには幕張、沖縄、台湾を経て、軍需物資だけでなく、不足気味だった民需物資が次々と運び込まれており街全体に活気が満ちていた。
アメリカと違って日本帝国や帝国重工が北欧や南米で行ってきた、現地経済に配慮した紳士的な行いがフィリピン臨時政府からの信頼を得ており、このような租借を可能にしている。辺境の地にも関わらず毎年50万円という、小さな発電所が立てられる程の高額な租借料に加えて、日本が先の戦争で列強諸国に勝利しても賠償金を求めなかった姿勢も信頼の後押しに繋がっていたのだ。
また、帝国重工は5年分の租借料を一括で支払っていた。
そして、このアパリは物資を運び込むだけではない。
フィリピンで取れたマンゴー、パイナップル、ココナッツなどの日本への輸出も少量ながらも始まっている。これらの果物は日本圏で果物缶詰として加工され、各国へと輸出されるのだ。また、フィリピンからの輸入品の支払いは一円銀貨で行われている。
活性化した地元経済に、厳格な規律で動く日本義勇軍による治安維持と、グアムで行った統治ノウハウもあって治安状況は良好そのもの。
貿易基地としての意味合いが強いアパリ基地。
そのアパリ基地の三階にある執務室には日本義勇軍を率いる、立派な口髭が特徴的な川上操六(かわかみ そうろく)大将がソファーに腰を下して一つの書類に目を通していた。川上大将は日本近代陸軍創設の主要人物の一人であったが、派閥意識を全く持たず、幅広く人材を登用し、優秀な軍人育成に貢献するなど、極めて有能な人物である。この世界では1899年(51歳)に死去せずに、坪井らが同じように受けた延命治療によって現役のままであった。
川上大将は米比戦争に於ける日本義勇軍の総司令官である。
彼は欧州留学の経験もある対ロシア諜報網を整備するなど日本の情報機関の始祖とも言うべき人物。しかも日本帝国に於ける対フィリピン政策の第一人者でもあった。フィリピンがアメリカ領となることは日本の国益を脅かすものとして、フィリピン独立派内部での親日派勢力の扶植を計画し、日本帝国から軍人などを派遣する計画を立てた人物でもある。
帝国軍に於けるフィリピンの専門家として川上大将に勝る者は居ない。
彼の正面には小さな机を挟んで国防軍のカオリ大佐が座っている。
義勇軍派兵に伴って、カオリは再び帝国学院の学長を休職し、
戦場へと舞い戻っていたのだ。
そして、カオリ大佐の隣には、
青年のような容姿をしたフィリピン軍の将校も座っている。
そのフィリピン軍の将校とは、学士号を有し、最年少で将軍の地位まで上り詰めて青年の面影を残した「少年将軍」としての異名を持つグレゴリオ・デル・ピラール准将。この世界ではティラード峠での戦いはフィリピン軍の圧勝に終わっており、戦死を免れている。また、ピラール准将は2個小隊のみで3個中隊のアメリカ軍を撃退し、更には寡兵でアメリカ陸軍の第23歩兵連隊を撃退するだけでなく、部隊長のジョン・M・スタッバーグ大佐をも戦死させていた優れた軍歴を持つ。
ジャングル戦に於けるゲリラ戦のエキスパートと言っても過言ではない。
そして、ピラール准将は来月に行う日本義勇軍との合同作戦であるパシグ作戦に備えて、指揮下の部隊と共にアパリに訓練を受けるために赴いていたが、その訓練では日本式の兵装転換訓練も同時に行われている。
「失礼します」という言葉の後に執務室のドアを、やや控えめに叩く音が響く。
川上大将が許可を出すと、帝国軍の軍服を着た20代前半と思われる若い女性が入室してきた。
階級章は特務曹長を示している。彼女は経理部に所属する上等計手であり、帝国軍に於いても採用が始まった女性士官の一人である。優れた計算能力で後方支援要員として出世していた女性だったのだ。特務曹長の手にあるトレイにはコーヒーが注がれたカップが3つ並んでおり、てきぱきとカップを机の上に置く。
特務曹長はカオリの前にカップを置くときには、少なからず緊張していた。何しろ帝国軍女性将兵に於いて文武両道で、かつ容姿端麗なカオリは憧れのお姉さまの一人。トラファルガー沖海戦で一方的な勝利を収めた英雄でもある。加えてアナウンサーとしても有名だ。憧れるなという方が無理な話であろう。
コーヒーを受け取ったカオリから感謝の言葉をかけられると、特務曹長は心臓の鼓動が早くなるのを自覚する。頬も少し赤みを帯びるも、訓練で培った精神力で平静を保ちながら曹長は退室した。彼女の変化はカオリには筒抜けであったが、外見上は平常を押し通していた姿勢に感心すらしている。
書類の確認を終えた川上大将がピラール准将にも伝わるようにスペイン語で言う。
「報告によると、訓練の方は来週中には終わりそうだな」
工作商会の事前介入によって、民兵軍にしては過分な火器を保有していたフィリピン軍であったが、専門的な軍事教練を受けた兵士は一握りであり、小兵力による遊撃的な迎撃作戦ならともかく、主要兵力単位での行動に難があった。本格的な合同作戦ともなれば、ある程度の訓練を受けた兵員から構成される部隊が必要だったのだ。 パシグ作戦の準備と平行して、日本義勇軍の下でフィリピン軍の2個旅団の基軸になる大隊の編成を進めている。パシィアノ・リサール准将が率いるフィリピン軍第1大隊と、ピラール准将率いるフィリピン軍第2歩兵大隊であった。
部隊拡張後に二人はそのまま旅団長に就任する予定である。
特殊作戦群の淑女たちが親切に訓練を行っており、その実力はめきめきと上達していた。もっとも、それは相手が美女や美少女の集団という侮りも、訓練初日で完全に払底される程の厳しさであったが…
また、第1大隊に関してはパシグ作戦には参加せず、
フィリピン軍の教導部隊として動いていく事になる。
パシグ作戦と聞けば、多くの人々が1899年4月9日にアメリカ陸軍のヘンリー・ロートン少将が行った、マニラ湾からバイ湖まで通じるパシグ川を活用したサンタクルスの戦いを連想するだろうが、日本義勇軍が準備を進めている作戦は彼らが予想だにしない上陸作戦だったのだ。
ピラール准将が川上大将に応じる。
「はい。訓練は早ければ来週の初めには終えるでしょう。
来月のパシグ作戦には十分に間に合います」
「これで次の段階に移せるな」
「ええ、待ちに待った南方への第二戦線の構築ですわね。
彼らの後方に上陸する兵力は少数ですが、火力は最大規模…」
カオリも流暢なスペイン語で話す。
帝国軍と国防軍に於ける上級将校には外国語が話せる者が多い。
その理由は簡単である。
帝国軍の上級将校の多くが、優れた海外の地域を学ぶために海外留学の経験者が多く含まれていた。そして準高度AIには言語の壁は無いと言っても過言ではない。
「うむ。彼らが再編成を進めている第5軍も、
パシグ作戦で第二戦線が形成されれば、攻勢戦力として転用できなくなる」
川上大将が言う第5軍とは、アメリカ本土から2個師団を中核に増援として派遣されたサミュエル・ボールドウィン・マークスヤング中将率いる兵力である。後に著者としても有名になるチャールズ・キング准将率いる第5騎兵隊も増強部隊として加わっていた。このマニラ近郊で再編成を行っているアメリカ第5軍は米西戦争後に解体されていたが、米比戦争の戦況悪化に伴う増援部隊として再編となっている。
「そして、第二戦線を攻めようにも、
5式拠点構築資材による陣地群とそれを統括する野戦要塞が出来ていますし、
加えて洋上に展開する戦艦の火力支援もあるとなれば、
彼らも攻めあぐねるでしょう」
「第5軍が遊兵化となれば、攻勢を行うには更なる援軍が必要になる。
彼らの負担は更に増すだろうな…気の毒なことだ」
「ええ、この方法ならば双方の戦死者を最小限に留めることが出来ます。
何しろアメリカ兵ではなく、アメリカ経済に直接の負荷をかけるのですから」
アメリカ軍がフィリピンに展開させている兵員は後方支援の要員を含めると8万人以上になる。つまり、1日24万食以上の食料が必要であり、それだけの量をマニラ近隣の限られた策源地だけでは補うことは不可能だった。外部から運び込むしかなかったが、強大な日本艦隊が警戒している中でのアメリカ船舶による輸送は自滅に等しく、フィリピン条約を盾にして中立船舶による海上輸送を頼るしかなかった。 日本義勇軍は通告を受けていた中立船舶は一切合切を阻止していないので、補給線が途切れることは無かったが、兵員が増えただけで、それだけ余計に中立国の船舶に輸送業務を依頼しなければならず、顕著に経済的な負担が増える。
マニラ港とフォート・ミルズ海軍基地に分散停泊していた戦艦5隻、防護巡洋艦3隻、砲艦4隻からなるウィンフィールド・シューレイ代将率いるアメリカ・アジア艦隊は日本義勇軍の参戦前にハワイ警護を理由にオアフ島のパールハーバー海軍基地に移動していたので、その分の補給物資は抑えられていたが、それでも重い負担には変わりなかった。
つまり散財が進む。
現状維持でも経済的な消耗が続き、
勝利を得ようとするなら更に経済的な消耗が増す。
現に、フィリピン軍の工作員が焼き討ちを行ったり、特殊作戦群が爆破したりするなど、アメリカ軍の物資備蓄庫を狙った攻撃が行われており、アメリカ側が想定していた以上の物資や食料の消耗が進んでいたのだ。更に、時を見計らってマニラ港、カビテ港、フォート・ミルズ海軍基地にあるアメリカ軍物資備蓄庫に対して艦砲射撃などを実施して、物資の消耗を後押しさせていく作戦も計画されている。
パシグ作戦の狙いの一つとして、増援部隊の殲滅ではなく遊兵化を狙っていた。
作戦の大筋を知らされたアギナルドは血を流さない凶悪な戦い方に感心すらしている。しかも、可能な限り、流血を避けて恨みを買わないようにしならが、撤退も已む無しの状況に追い込むのだ。
会話はパシグ作戦から物資輸送へと移る。
「物資輸送の方も順調のようだな」
川上大将は執務室の窓から見える、港湾設備の建設に従事している95式自走式建設用クレーンを感慨深そうに眺めならが言った。
「はい。イラガンへの物資輸送は問題無く進んでおり、
今週中には次の計画へと移れるでしょう」
川上大将の言葉にカオリはよどみなく応じる。
フィリピンに於ける日本側の全ての作戦計画に精通している彼女に遅滞は無い。
「軍事支援だけでなく、民生支援もここまでしていただけるとは…」
「フィリピンの安定こそ、
我が国が望むことなのでお気になさらないように」
申し訳なさそうに言うピラール准将を気遣うようにカオリは言った。
年長者である川上大将もカオリに続くようにフォローを始める。
「大佐の言うとおりだ。
我が国が支援するのは、国内世論の影響だけではない。
南西航路の主要海上連絡交通路に面するフィリピンを、
アメリカのような野心的な国に抑えられては良くない戦略的な判断もあった。
それに加えてフィリピンで産出する果物や木材の長期輸入を考えれば、
独立国であることが好ましいのだ」
「果物や木材は貴国でも産出するのでは?」
「確かに採れるが、乱獲してしまえば産出量は減ってしまうし、
下手をすれば無くなってしまう。
だからこそ、自然に過負荷をかけない様に供給源の一つとしてフィリピンが必要になる」
「輸入に宗主国のような存在が絡むと現地の都合を無視して、
枯渇するまで採取してしまいますからね」
「なるほど…
確かに、フィリピンに於いてもその例はありますからね。
納得しました」
物資援助の内訳は30式小銃を始めとした軍需物資だけではなく、民政支援を目的とした医薬品などの支援物資も含まれていたのだ。
そして、フィリピン臨時政府が置かれているイラガンへの物資輸送は陸路ではなく、バブヤン海峡に注ぐカガヤン川を通ってエア・クッション型揚陸艇で運ばれている。カガヤン川に於ける通常の河川舟運では110km上流までが限界だったが、水上走行で航行するエア・クッション型揚陸艇ならば、渫工事の有無は関係が無い。
大量のエア・クッション型揚陸艇が隊列を組んで輸送作戦を実施しており、アメリカ側の予想をはるかに上回る物資を運び込んでいたのだ。
余談だが、イラガンの南西80kmのコルディレラ・セントラル(中央山岳地帯)の東側にあるバナウエ渓谷には、約2000年前にイフガオ族によって山脈の急傾斜を開墾して作られたバナウエ・ライステラス(天国への階段)と呼ばれる壮大で絶景と言うべき美しい光景がある。 広報事業部は、この貴重な文化遺産を世界に知らせるべく、特殊作戦群の護衛の下で撮影を行っていたのだ。これらの映像資産は後に、産業の乏しいフィリピンへの観光支援を兼ねて、翌年から日本圏で放送予定の報道番組である「地球遺産」に出す絶景の一つとして放送される事になる。
「まぁ、何はともあれ、これで民事作戦部隊もようやく本格的に動ける」
「国内の安定には基本的な社会資本の整備こそが急務ですから。
でも、私たちが行える整備は最低限のみですので、
その先は貴方たちの努力しだいよ?」
カオリが言う様にアギナルドの了承の下、フィリピン臨時政府が機能的に動けるよう帝国軍の民事作戦部隊がフィリピン臨時政府が支配する主要地域で動いていたのだ。
内戦に伴う避難民が本当の意味での難民とならないように経済基盤の基礎を整えるためである。この支援によってアパリに逃げ込む避難民が少数に留まっていた。
日本圏開発の優先もあったが、それを抜きにしても、全てを与えてしまえば堕落しか生まないので、フィリピンに行う支援計画は主要地域に於ける必要最低限の道路と港湾の整備に留まっている。しかし、それでもこれまで奪われる一方だったフィリピン人からすれば、日本帝国の行いは神の如くの慈悲に見えていたのだ。終始誠実な姿勢で接していく日本帝国に対して、フィリピンは日本側が意図しなかった程の熱烈な親日国として育っていくことになる。
この当時で学士号を有するピラール准将は相当なエリートで、
故に社会資本の重要性をよく理解しており、
感謝の言葉を口に出す。
「基本的な整備だけでも十分に助かっていますから。
おかげで独立後に希望が持てます」
ピラール准将の言葉に川上大将が、その展望を後押しするように言う。
「主要地域のインフラがある程度回復すれば、それに伴って輸出も増えていくだろう。
この地には売るべき商品が多く眠っているのでやりがいはあるぞ」
「ええ、フィリピンにはイザベラ社もありますからね」
カオリが言ったイザベラ社とはイザベラ州にある葉巻会社の事を指す。正式な名称はラ・フロール・デ・ラ・イザベラ社(イザベラの花)で、かつてスペイン王室の貴重な財源の一つだったマニラ葉巻を生産している。そして、日本義勇軍の輸送部隊がカガヤン川を通じて輸出ルートを提供した事によってイザベラ社は久方ぶりに葉巻の輸出が出来るようになっていたのだ。
まだ輸出量は微々たるものだったが、
香港にある各商社がこぞって輸入を求めてきていたほどで、
フィリピン臨時政府にとっての明るい材料の一つである。
また、フィリピン臨時政府は日本帝国から対外有償軍事援助の指定を受けており、その気になれば輸出用の重砲や艦艇などの輸入すらも可能になっていたのだ。予算に関しては、フィリピン臨時政府は、フィリピン臨時政府は台湾から南に190km、フィリピン最北部の台湾系住民が多いバタン諸島を帝国重工に2900万円で売却しており臨時政府でありながら戦艦を購入するだけの資金を有している。
つまり、余裕があったのだ。
少量とはいえ確実に伸びていく輸出量、フィリピン臨時政府に支払われるアパリの租借料とバタン諸島売却によって得られた資金と相まって、フィリピン臨時政府の財源事情は独立闘争中にも関わらず良好な状態である。
こうしてフィリピン臨時政府は独立に向けて着々と準備を進めていたのだ。
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【あとがき】
史実では、辺境に逃げ込んだフィリピン軍の掃討にアメリカ軍は累計すると12万人以上の兵力を用いても14年も費やしていたので、それを考慮すれば、フィリピン条約で色々と制限が掛けられたアメリカ側は既に詰んでいたりします。
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
(2012年03月08日)
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