帝国戦記 第四章 第04話 『軍拡の兆し』
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ウォーレン・バフェット
1908年04月28日 火曜日
アメリカ東海岸のワシントンDC。1901年から進められているマクミラン計画によって再開発が行われているアメリカの中心地。その玄関口である1908年に完成したばかりの格調高いワシントン・ユニオン駅から南西2.5kmには1897年に作られた半人工的な入り江のタイダルベイスンがある。その入り江の麓にあるベンチは二人の男性が腰を掛けて、一人は新聞を広げて顔を隠すように話していた。
周囲に目を配らせながらスーツの男性が、新聞を広げた初老の男性に言う。
「ベル参謀長も交換条件で海軍拡張に賛成してくれました」
ベル参謀長とは、J・フランクリン・ベル中将の事である。彼は現在も続いている米比戦争で、反抗的な住民に対して厳しい対応を取り決めた一人であった。敵か味方か判らぬ原住民を敵として判断し、積極的に弾圧していたことから、強硬派と言っても過言ではない。ただし、アメリカでは英雄であり、議会の承認が無ければ得られない名誉勲章すらも所持している。この時代に於けるアメリカ植民地主義の典型的な例とも言えるだろう。
「では大佐。その条件とやらを聞かせてもらおうか」
初老の男性が新聞に視線を落としたまま、スーツを着ていた男性に言った。
「条件ですが、
フィリピン戦線への早急な2個師団増派に向けての協力になります」
「昨年の増援に続いて今年もか…また議会が荒れるな」
「この件に関しては私としても賛成です。
是が非でも日本義勇軍が展開する前にフィリピン軍より優位に立たねばなりません」
彼らの言うように、日本帝国は小規模ながらも医薬品などの人道支援をアギナルド側に開始しており、支援内容の拡大や義勇軍の参戦は時間の問題として見られていた。そして、アメリカ側には、その日本側の行動を阻止する手段は無い。
何しろ、当のアメリカ合衆国自身が、先の戦争で大規模な義勇艦隊を送り込んで、日本軍と戦火を交えていたのだ。日本側の行動を非難してしまえば、直接的な行動を行った自分達の過ちを認めてしまう……それは、軍部、議会を問わず政治的に大きな爆弾になりかねない。更には、義勇軍を派遣していた各国政府に対する政治的な攻撃にもなりかねないので、黙って見守るしかなかった。これには、アメリカとしても複数国に及ぶ外交問題に発展するのは避けたかった思惑もある。
これらの問題に加えて、1901年に史実と同じように米陸軍のヤコブ・ハロルド・スミス准将がマスコミに向けて発言していた内容も重く圧し掛かっていた。その発言とは、米比戦争で自らが行った虐殺行為を自慢する内容である。その記事が、今年になって各国で再び取り沙汰され、アメリカの立場をより悪くしていたのだ。フランスに於ける対米感情も悪化している。
新聞を広げていた初老の男性が口を開く。
「ふむ……理由は判った。
増派の実現に向けて議会および、財界と各新聞社に働きかけよう。
大佐は引き続き軍部の調整を行いたまえ」
「了解しました。
それで、司法長官の件はどうなりましたか?」
会話の内容と、大佐の言葉づかいからして、
新聞を広げる初老の男性の社会的地位の高さが判る。
「司法長官の件は問題ない」
「おお…賛同してくれましたか」
「彼は真の愛国者だからな」
現在の司法長官は1906年まで第37代海軍長官を務めていたチャールズ・ジョセフ・ボナパルトである。彼は「より大きな海軍」の実現に向けて動いていた海軍軍拡派であった。グレート・ホワイト・フリートの派遣にも大きく関わった人物で、ルーズベルト大統領が進める海軍拡張政策を支援する主要人物の一人だったのだ。
「対日融和を主張するデューイ元帥はどうしましょうか?」
「彼には困ったものだ…
だが、米西戦争の英雄で大統領候補としても見られている彼を無碍にはできない。
考慮すると姿勢を示しつつ、情勢の変化を待つしかないな」
彼らが言うのは米西戦争でアメリカ・アジア艦隊を率いてマニラ湾海戦でスペイン太平洋艦隊に大勝利し、アメリカの英雄となったジョージ・デューイの事であった。米西戦争の際にアギナルドらと協力してスペイン軍の掃討を指揮した経験から、フィリピン人による自治を主張すら行っていた経歴の持ち主である。また、アメリカ海軍史上で唯一、海軍大元帥の地位を得た人物でもあった。
デューイ元帥の話題から、戦艦建造の話題へと移る。
「本当なら、国産の戦艦で補いたかったですが、
それを悠長に待っていては反対派が力を付けてしまうのが問題でしょう」
「軍拡を始める既成事実として、
幾許かの戦艦をイギリスから早急に買うしかない。
軍拡を始めてしまえば反対派も止めることは難しいからな」
「早急に戦艦が必要なのは判りますが…
ですがっ、イギリスばかり美味しい思いをするのは解せません!」
初老は男性は大佐の気持ちを理解しながらも、
諭すように言う。
「それは我慢して欲しい。
万全を期しては全てを逃してしまう。
2.3年も艦隊戦力の劣勢が続くのは国威の観点からも不味いし、
外債の安定化にも戦艦は早急に必要だ。
旧式戦艦の改装艦も前よりは下落しており、1隻あたり50万ポンド程で落ち着いている」
彼の言うように戦艦の建造には時間が掛かる。アメリカ造船業がそれなりの建造ノウハウを有するコネチカット級戦艦であっても、1隻建造するのに2年10ヶ月も掛かるし、これから建造する戦艦はコネチカット級よりも大型で強力な戦艦でなければならない。
大型艦になるほど必然的に建造時間の増大となるのだ。
そして、自国で戦艦建造が可能なアメリカに於いてイギリスの改装戦艦が商品として成り立つのも、戦艦の建造期間の長さに集約されていた。何しろ、政治的な問題から戦艦は"今"必要で、2.3年と待つ余裕は無い。
言葉が続く。
「それに、戦艦を購入すれば非公式な支援も吝かでないと言ってきている。
3隻の購入で友好的中立に留まる支援で、
5隻ならば日本との衝突の際に、条件付ながらの支援だそうだ。
確かにイギリスの立ち回りは色々と腹立たしいが、
彼らを怒らせてしまっては、我が国は孤立してしまう。
今回の一件は、安定化の為の早期投資として考えるんだ。
それに東サモア売却額を吊り上げてくれたお礼と思えば受け入れやすいだろう?」
今の国際情勢はアメリカにとっては芳しくないだけに、非公式とはいえ外交的な支援はアメリカにとって喉から手が出るほどに必要だったのだ。今のアメリカの軍備では日本に敗退した条約軍と比べて劣っている点も、支援が欠かせない要因となっていた。そして、イギリス側が旧式戦艦を比較的格安で手放す背景には、彼らの極秘裏に計画を進めている21ノットを誇り、305o連装砲5基を搭載した新鋭戦艦、コロッサス級戦艦の建造予算を確保するためである。
コロッサス級戦艦は従来型戦艦と比べて価格が高い。
現在の試算で160万ポンドに達していたのだ。
対するアメリカ側は米比戦争の長期化による陸軍予算の優先によって開発が遅れていたサウスカロライナ級戦艦の設計図がようやく完成したところであった。現在、より強力なフロリダ級戦艦の設計が急ピッチで進められている。
「…なるほど。
東サモアや外債を考えれば、我慢できます」
「まぁ理由は、他にもある」
「それは…あぁ、なるほど。
反対派の動きですね」
「そうだ。今回の軍拡の機運を逃せば、
日本からせしめた450万ポンドの殆どがマクミラン計画に流れてしまい、
軍拡に使えるのは僅かになるだろう」
彼らの言うとおりである。アメリカ合衆国はイギリス帝国に仲介によって東サモアを帝国重工に売却した際に得られた巨額の売却金の使い道を巡って議会では二つに分かれていたのだ。軍拡と国内投資の二つである。強大な日本艦隊と対抗するために、特に艦隊増強を求む声が強かったが、国内投資を主張する議員も侮れない勢力で、今を逃せば国内投資に傾きかねない予断を許さない状況でもあったのだ。
そして、二つの勢力は己の正しさを疑わず、主張を譲らない。
軍拡派が優位に立てていたのは、日本側に比べて劣勢下にある艦隊戦力が原因で外債の下落が起こっている事実である。すなわち、艦隊戦力の強化は、防衛力の強化だけでなく、外債の安定化に繋がる要素があった。そして外債の下落阻止は、今のアメリカに於いて最優先で取り組むべき課題である。
確かに軍拡を行っても富の再生産には繋がらない。しかし、今回に限っては外債価値の保護、つまり富の消失防止という大義名分があった事も、不要な軍拡を望まないアメリカ国民であっても、今回ならば必要な軍拡ではないかと思うようになっていた。
初老の男性が言葉を続ける。
「公園や美術館で国威が高まるわけがない…馬鹿が多くて困る。
この先の繁栄にも力が不可欠だ…昔も、今も、この先も、それは変わらない。
それは歴史が明確に証明している。
彼らがもう少し知的で理性的ならば、
もっと早い時期に国内で十分な数の戦艦を作れたのだがな…」
大佐が同意する。
軍事力が足りなければ、国際社会における発言力が下がってしまう。アメリカ義勇艦隊の壊滅で身をもって経験していただけに、軍拡は軍部の悲願だったのだ。
通行人が二人の前を通過する間、沈黙の間が続く。
まだ40代前半と思われる大佐の瞳には強い決意が感じられる。
そして、内心に秘める怒りもあった。大佐にとって世界第一のイギリス海軍に劣るのは、まだ我慢は出来る。しかし、有色人種の海軍にアメリカ海軍が劣るのは神の意思に反する暴挙としか思えなかったのだ。
白人こそが至上の存在と信じて疑わない彼であったが、
愚かでもなかった。
日本帝国と現段階で戦うのは危険と大佐は認識すらしている。アメリカの国力は独露仏を合わせたものよりも劣ると理解しており、その三ヶ国に加えて各国義勇軍との戦いに勝った日本軍と戦って、思うような戦勝を得られるとは思っていなかった。脅威的な科学技術を有する帝国重工の存在も大きいだろう。
史実に於いても、アメリカ合衆国が大躍進を遂げるのは1914年に起こった第一次世界大戦で生じる軍需景気からである。そして、今のアメリカは米比戦争の長期化に苦しんでおり、余力は少ない。
通行人が離れる。
大佐は、そのまま怒りと憎しみを押さえ込むべく、
手に力を込めながら口を開く。
「彼らを正しい方向に導くのも私たちの役目でしょう」
「そうだ。
それに、軍拡を阻止しようとしているの国内だけではない。
日本側が小癪にも我々の軍拡を阻止しよう動き出しているようだからな…
そして忌々しい事実が、高野だけではなく、榎本も手強い」
第12代の日本帝国総理大臣を務めている榎本は、その非凡な才と外交知識と手腕によって国内発展に留まらず、ロシア帝国とフランス共和国との関係強化すら成し遂げていた。現在の日露仏の良好な関係はアメリカとしては面白くない。更に日英の関係も悪くはなかった。確かに日独間の関係は良くはなかったが、対する米独間も企業間対立によって芳しくない。帝国重工の助力や工作商会による水面下の活動があるとはいえ、大きな成果と言って間違いはないだろう。
だからこそ、イギリス帝国の好意的中立が変わらぬうちに軍拡を行わなければならなかったアメリカの焦りもある。そして、時として焦りは大きな隙に繋がるのだ。
「そうなると…
不本意であっても、イギリスからの戦艦購入はますます急がねばなりませんね」
「無論だとも。
そして、ここだけの話だが、
イギリスから購入するのは3隻に留めて、
後は購入する姿勢を見せる事で、国産戦艦の建造までの時間を稼いでいく」
「流石です」
大佐の言葉に初老の男性が力強く応じた。
しかし、イギリス帝国のやり口は彼らが思っていた以上に巧妙だったのだ。イギリス帝国の老獪さを知っていたつもりでも、どこかで侮っていたアメリカは、チェンバレンの仕掛けた罠に巧みに誘導されていく事になる。気が付いたときには戦略環境の変化から、不本意であっても予定より多くのイギリス製旧式戦艦を背負わされて行く事になるのだ。
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【あとがき】
アメリカのドラマや映画ではタイダルベイスンを眺めながら密談するケースが多いですよね。確かにタイダルベイスンと云えども場所さえ選べば、あまり人が通らない場所もあるので、要人が通うのに適した立地条件を考えれば納得。
アメリカは戦艦の過渡期の中で、かなり微妙な時期に焦ったばかりに、新鋭戦艦ではなく、中途半端な改装戦艦を多数抱えることになります。
第05話「貸借対照表」、第06話「ジョージ・デューイ」は後に追加予定の外伝のような話と考えていただければ幸いです。以後、灰色のタイトルも同じようなケースになります。
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
(2012年02月12日)
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