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帝国戦記 第三章 第12話 『夜戦』
(仮)
人間の価値は、
絶望的な敗北に直面して、如何に振舞うかにかかっている。
アーネスト・ミラー・ヘミングウェイ
太陽が水平線に隠れて月の光が辺りを照らす夜の中、ラ・ロシェル郊外から北部のボワ・ド・ラ・コルドの森を越えた先に広がる牧草地帯の一角に、そう大きくはないマンサード屋根様式の牧草倉庫として使われている木造建築物が建っていた。その中には5人のフランス軍の兵士が積み重ねられた牧草の影に隠れるように潜んでいる。そのうち4名は疲労困憊の様子だった。
フランス西部には牧草地帯が多く、
牧草を収納する牧草倉庫が大小合わせて、それなりに点在している。
彼らはラ・ロシェル郊外戦から1週間後にルマンからトーゴン(ラ・ロシェルから北東34km)に展開していたフランス陸軍第4軍団の兵士であった。所属していた部隊は日本との停戦交渉に向けて少しでも有利な条件を得るために、ラ・ロシェル近郊の日本軍パトロール部隊を狙おうと行動していた部隊の――――僅かな生き残りである。
倉庫の壁に寄りかかり、腕を組むんで部下たちに不安を与えないように自信ありげに振舞っていたリーダー格の二等兵曹が声を潜めるように言う。
「随分と時間が経ったが追手はなさそうだ。
それに夜だしな…今夜はここに留まって、朝になったら本隊と合流しよう」
「は、はい……」
「大丈夫か?」
二等兵曹は、まだ少年の面影を残す上等兵をしっかりと見据えて気遣うように言った。
他の兵も怯えの表情が強かったが、その上等兵が一番怯えているのが判る。
倉庫の窓から差し込む月の光によって、近くならば視界に不自由しない。
脅えた表情の上等兵が小さな声で震えながら話す。
「あれは……あれは…一体、何なんです…」
「遠くて良く見えなかったが、
……前に日本の雑誌で載ってた95式小銃らしき銃…
改良型かもしれんが、ともかく、あの銃は少数生産の筈だからな。
それを使用していたところ…間違いなく日本軍の精鋭だろう」
二等兵曹が読んでいた雑誌は広報事業部の雑誌だったが日本国内専用の「先進科学」ではなく、その殆どがセクシー写真やお色気小説で満たされている「魅了」の方であった。銃と女性を組み合わせた写真も多く、その中で95式小銃は精鋭部隊用の小銃として紹介されていたのだ。余談だが、95式小銃の組み合わせはイリナが一番多い。
また「魅了」は美容健康の方法にも力を入れているので男女問わず客層が広く、発行部数を順調に伸ばしている。今もなお、帝国重工製の医薬品や化粧品と同じように、「魅了」の方も中立国を介して条約側に対しても輸出が続けられている。
「奴等の小銃の命中率は普通じゃないぞ、
此方の小隊が一方的に叩かれていた」
「そうだな……それに接近戦も半端じゃない」
同意する声が幾つも出る。
兵士たちの会話から、思い出したように上等兵は言う。
「隊長も曹長も、アルベリックもエリックも…オラスやトニーも…
あの部隊で一番腕っ節が良かったジャンだって…首を折られて殺されたんだ。
碌に反撃出来ずに…みんな…殺されちまった…
後ろを走っていたリオネルの断末魔が耳から離れない…離れないです…
ぼ…僕たちが、に、逃げるのが精一杯だったなんて……神さまぁ…」
「もういい、もういいんだ…
上等兵、朝まで休め。
オイ、お前らも今は休むんだ。今夜の見張りは俺がする」
二等兵曹は全員に言い聞かせるように言った。
「…僕は怖いんです……目を閉じるとリオネルのよう…」
―――コツ―――
上等兵が言葉を言い終える前に、
倉庫の外壁に何か硬い物体が当たったような音が鳴る。
上等兵の口から小さな悲鳴が漏れ、他の面々の表情に緊張が走った。
二等兵曹が、寄りかかっている壁から離れようとした瞬間、
その背中に針が刺した様な痛みが走り、それが瞬時に激痛へと変わる。
「ぐっ!?、ぎゃあああああぁぁぁぁっ!!」
背を壁にもたれかける様に座っていた二等兵曹の口から激しい絶叫が漏れた。上等兵は二等兵曹の胸に信じられないものを発見する。胸には事もあろうに鋭利な刃物のようなものが生えていたのだ。上等
兵には、それが銃剣―――倉庫の薄い木造外壁を突き破り、二等兵曹に刺さっている―――と、理解出来てしまう。二等兵曹の足元に傷口から噴きでた血によって血溜まりが出来ていく。
壁から生えてきた刃物によって刺されるという見たものの心臓を鷲づかみにするような衝撃的な出来事に上等兵の心が恐怖で潰されそうになる。残る3人も同様に表情に浮かぶのは純粋な恐怖であった。
「マ…マニュエル兵曹ぉぉぉぉ!?
ひぃ!?……そんなぁ、そんなっ!!」
動転している彼は気が付かなかったが、
その銃剣は長さ638oの、フランス軍が正式採用しているM1886銃剣である。
「ぢっ、ぢくしょう…がぁぁぁぁ!!」
上等兵からマニュエルと言われた二等兵曹は脂汗を浮かべつつ激痛に耐えながら、士官や下士官に対して配られている回転式拳銃のM1892リボルバーを腰のホルスターから抜く。このM1892リボルバーは弾丸を一発撃つごとに手で撃鉄を起こす必要があるシングルアクションではなく、最初から引き金を引くだけで撃鉄が起き上がってから落ち、連続で発射が行えるダブルアクション機構が備わっていた。二等兵曹は、その拳銃を自分を刺した相手が居ると思われる壁の外、つまり銃口を自分の脇から木壁へと向けて引き金を引く。
発砲音が立て続けに鳴り響いた。
弾倉に装填されていた6発の拳銃弾を撃ち尽くす。
発砲音が鳴り止むと、
かすかに壁の向こう側で何かが落ちた様な音が鳴った。
手ごたえを感じた二等兵曹は苦悶の中、
絞り出すように壁の向こうに向けて言い放つ。
「ざ、ぁまぁみろ……」
全てを撃ち尽くしたM1892リボルバーが手から落ちた。それに続くように二等兵曹の体を支えていた銃剣が折れてしまい、重力に従って彼の体は血溜まりに倒れる。
上等兵が駆け付けると二等兵曹の体に致命傷を受けた事による痙攣が始まり、
同時に口から血の泡が出ていた。
「兵曹! しっかりしてくださいっ!!」
最後の力を出し尽くしたマニュエル二等兵曹はそのまま彼らに看取られながら意識を手放した。
上等兵は何かが動いたのを感じて、倉庫の入り口方向に視線を向ける。彼は人一倍怖がりだった事から、大脳内に於けるホルモンの分泌が常人より多く、それによって集中力と感覚が常人よりも高い数値に達しており、倉庫内の変化に気が付いたのだ。
視線を向けると倉庫のスライド式の扉が僅かながら開いており、
その開いた透間から月の光が差し込んでいた。
隙間の大きさは人が通過するに丁度よい幅である。
その事実が意味する事実に、
上等兵の心臓は先ほどに増して激しい動悸を起こし始めた。
嫌な考えが浮かんでくる。
な……なんで…扉が開いてるんだ…
最後に兵曹が完全に閉めたはずじゃないか! なんで開いてるんだよ!?
……まさか、マニュエル兵曹を殺したやつが!?
だって、だって…あれはマニュエル兵曹が拳銃を撃って…
……あ…ああ…僕たちは、相手の死体どころか姿すら見てない!
認めたくない事実に行き着いた上等兵は震えながら入口の方に指を指す。
その先に視線を向けた他の3人も状況を理解する。我先にルベルM1886ライフルを構えた。皆の銃身の先は小刻みに震えている。恐怖は防御的、生存的な本能的感情であり、よほどの訓練を積まなければ抑えようが無い。先ほど死んだマニュエル二等兵曹を除けば、この倉庫に居る彼らは本職の軍人ではなく、徴兵制によって集められた兵に過ぎなかった。
彼らは襲撃を食らってから逃走に至るまで、
今まで経験した事も無い恐怖によって暗闇、壁際、死角、
その全てに敵意が隠れているように思えてしまう。
恐怖と緊張に耐え切れなくなった一人が叫びながら出口に向かって走り出す。
逃走を計った彼には、小屋から出てしまえば助かるかもしれない、
そんな根拠の無い考えが頭の中に満ちていた。
入り口付近の月の光が届かない影に隠れた部分に男が達する。
そこで、何か捻り千切る様な嫌な音がした。
信じられない事に、入り口へと向かった筈の仲間が、暗闇の中から倉庫の中央へと投げ飛ばされてきたのだ。彼はそのまま乾燥させていた牧草の山へと突っ込む。顔が本来あり得ない方向、身体の後ろ向きに向いている。投げ飛ばす際に、首の関節を捻られていたのだ。とても人間業とは思えない。
「あらあら……
こんなに慌てて、何処へ行こうというのですか?」
入り口方向から、お淑やかな感じがする女性の声が聞こえた。
声の先には月の光によってクローズアップされた、
ストレートロングの髪の神秘的な、やや幼さを残す美女が立っている。
見間違える事は無い。袖ワッペンに描かれている二枚の翼の真ん中に立つ日本刀と、袖内の帯に描かれた日の丸からなる部隊章や階級を示す襟章は暗くて判別できなかったが、恰好からしてフランス兵に恐怖と死を振りまいてきた日本軍である。見栄えを重視する列強各国の軍と比べて一線を画す独創的な軍服だったが、そこからは他国には無い威圧感が放たれていた。
彼女は特殊作戦群のリョウコである。
リョウコは一時的に心理戦を考慮したフランス軍属に対する偽装殺人から迎撃任務へと戻っていた。停戦交渉に応じなければ、再び心理戦の任務に戻る事になる。
彼女は扉の前まで戻ると重いはずの倉庫のスライド式の扉を片手だけで軽々と閉める。
リョウコは左手を自分の胸に当てて言う。
「乙女の肌に拳銃を撃ち込んだ……
その関係者が謝りもせずに立ち去ろうと?
まぁ…ほんと、フランスの男性って、冗談がお上手ですわ……
おほほほほほ………」
笑いの後に、歯軋りが鳴る。
リョウコの内心は沸々と煮えたぎるような怒りに満ちていた。
彼らに聞き取れない程の小さな声で「ゆるさねぇ、ぶっ殺す」と物騒な言葉を漏らす。
先ほど一発食らったM1892リボルバーも60式個人防護装備によって銃弾は防がれており、銃弾衝突時の衝撃を除けはリョウコが受けたダメージは無い。そして、その衝撃も60式個人防護装備によってある程度緩和されている。実際のところ、この時代の対人用兵器では60式個人防護装備を着ていなくても、擬体に対して、まともなダメージを与えることすら難しい。
それなのに彼女がこれ程に怒っていた理由は、銃弾が当たった上ポケットには、「幸福が訪れる」という花言葉を持つ純白の鈴蘭をかたどった狼森神社の縁結びのお守りが入っており、それが先ほどの銃撃によって破損していたからである。
かなり物騒なリョウコも、
このようにお守りなどを持ち歩く女の子らしい一面があった。
リョウコは、そのまま扉の鈍い音と共に金属製の取っ手を引きちぎってから、
右手で腰のホルスターからコンバットナイフを抜く。
重い扉を片手で閉め、金具で固定されていた取っ手を引きちぎるというありえない光景に男たちが驚いた。そして逃げ道が塞がれた事実に気が付く。扉の取っ手が壊された事で、逃げようにも扉を開けるのに手間が掛りそうだった。
「…あら、嫌だわ…わたくし…
そろそろ怒りで抑えができなくなっておりまして……
力加減が出来そうもありませんの…」
リョウコが放つ、どす黒い表情が窓から差し込む月の光に照らされる。
月の光に曝された返り血が目に付く。
彼女が健全な存在でないことが彼らにも理解出来てしまう。
「…それでは、ブッ殺させていただきます。
抵抗なさっても構いませんが…下手に動くと危ないですわよ?」
リョウコに恐怖した上等兵は身を守るために足元に落ちていたM1892リボルバーを拾うと、マニュエル二等兵曹のポケットから震えながら拳銃弾を探し始める。彼は、この倉庫に逃げる途中にルベルM1886ライフルを喪失しており丸腰だった。もう少し落ち着けば、マニュエル二等兵曹が所持していたルベルM1886ライフルの存在に気が付いていただろうが、今の彼にそのような余裕は無かった。
「畜生っ! この悪魔めっ! 仲間の敵だ!」
一人のフランス兵が叫び、ライフルの引き金を引く。
射撃音が倉庫内に響いた。
次弾を装填する為のボルトアクションを操作する音が鳴る。
リョウコは熱分布画像(サーモグラフィ)で敵兵の位置を把握し、そこに銃の性能、銃口の向き、風向き、湿度、相手の姿勢のパラメーターを加えて、正確に弾道を算出していた。適切な情報の下、最低限の動作で射線を回避して接近して行く。
この時代より遥かに進んだ兵器が飛び交う戦場での一部運用を見込んで作られている彼女にとって、この程度の回避行動は容易い。
闘争本能をむき出しにリョウコは吼える。
「死ぬのはっ、テメぇらだ!」
お嬢様口調の仮面が完全に剥がれたリョウコは、再装填を終えたルベルM1886ライフルを構えようとした兵士に突っ込む。ナイフが一閃し、その兵士の喉をかき切る。そのまま流れるような動作で、喉をかき切った兵士の背面から隣の兵士へと踏み込む。リョウコの接近に恐怖した兵士は逃げようとするも、リョウコの動きの方が数段も速い。
「食らえってんだよっ!」
彼女はそう言いながら兵士のルベルM1886ライフルをナイフを持った右手で払って、右足にて、その足を勢い良く踏み抑えた。プレート入りの軍靴で足を踏まれた兵士は絶叫を上げる。リョウコは相手の足の骨を踏み砕いていたのだ。リョウコはそのまま苦悶のあまり身をよじる兵士の足を踏んだまま、左手で襟を掴んで兵士の体を引き寄せてから、コンバットナイフを胸に突き立てた。
上等兵は、ようやくマニュエル二等兵曹のポケットから拳銃弾を見つける。
状況を確認しようと振り向くと、
仲間が苦悶の声を上げて刺された傷口から血を出しながら倒れる姿が目に入った。
「ほら、動くと危ないと言ったのに……
動かなければ、ただ喉を切り裂くだけで済みましたのよ?」
リョウコが語りかけていた兵士は致命傷だったが、即死には至らずに胸を抑えて蹲る。
ナイフは胸の胸骨柄を貫通し、その先にある器官に損傷を与えていた。
体を丸めてしゃがみこんだ兵士は時折、痙攣を繰り返していく。
死が確定した兵士に対する興味を失ったリョウコは残る一人に視線を向ける。
視線を向けられた上等兵は哀れなほどに怯え始めて後ずさった。こんなときに限って彼の脳裏には、故郷の想いで、懐かしい記憶が頭の中をよぎって行く。異様に研ぎ澄まされた感覚から1秒1秒が長く感じられた。
死のイメージが強烈なまでに付きつけられる。
上等兵は激しい動悸で体が震え、じっとりと汗をかきながら死を免れようとM1892リボルバーのレンコン状の回転式弾倉に弾を込め始める。だが、上等兵は恐怖のあまり手が震えて、上手く弾倉に弾を込められない。震えのあまり拳銃弾を落としてしまう。
その姿を見たリョウコは少し哀れに思うも歩みを止めない。
血が滴るコンバットナイフを振って、その血を払うとリョウコは最後の宣告を言う。
「…後はテメェ……いえ、貴方だけ…
そんなに脅えなくても……直ぐにサクッと終わりますわ」
「……ヒッ、嫌だ、嫌だ! 死にたくない! 死にたくないんだ!
何でもする、何でもするから!」
彼は恥も外聞もかなぐり捨て命乞いをし、心の底から死にたくないと願った。
上等兵の願いに対してリョウコの心は初志貫徹だった。
「せっかくの申し出ですが、お気持ちだけで……」
「嫌だぁっ!」
場違いな程に優しげな笑みを浮かべながらゆっくりと、
歩み寄ってくる殺戮者から上等兵は逃げるようと出口に向かって走る。
「やれやれ……
あんまり手間を掛けさせんじゃねぇ!」
リョウコは逃げ出した上等兵に背後から追いすがると、
そのまま首の付け根に向けてにズッ、とコンバットナイフを突き立て、
ついでに刃を横へと滑らせて頚動脈を断ち切った。
このようにフランス側の作戦は、特殊作戦群による昼夜問わず行われた迎撃作戦によって失敗に終わった。報復として逆に第4軍団の夜間警戒に就いていた2個大隊が特殊作戦群によって襲撃され、壊滅的な打撃を受ける事になる。僅かながらの生存者は恐怖によって心が折られており、再び戦力として使うのは難しいだろう。
フランス共和国が保有する陸上戦力の大部分はまだ健在だったが、前線の士気は頻発する殺人事件で最低水準に突入しており、後方から新たなる軍団を投入しなければ組織的な戦闘は不可能だった。
だが、そのような時間はもはやフランスには残されていない。
国内世論は乱れ、議会は分裂し、軍隊の士気は控えめに言って落ち目だった。そして同盟国のロシア帝国やドイツ帝国は停戦寄りの態度を取っており、このままでは単独での対日戦になりかねなかった。最大の問題として、超大国のイギリス帝国が仲介の名の下に自国の利権を奪おうと蠢動を始めている。
最後まで粘っていたフランス政府も、ここまで悪化した戦略環境によってイギリス帝国の仲介の下で香港にて開かれていた停戦予備交渉に応じる事となった。
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【あとがき】
これで戦争は終わりになります。フランス側があっさり引き下がったのはイギリスが恐いのと、和平派の台頭が大きいのがあります。あの時代のイギリスが行う仲介はリスクがでか過ぎますからね(汗)
この時期で、スエズ運河がイギリス単独支配になるとか、
フランスにとって悪夢に等しい…
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
(2011年06月02日)
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