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帝国戦記 第三章 第11話 『墨俣要塞 後編』


私は暴力に対してひとつの武器しか持っていない。
それは暴力だ。


ジャン=ポール・シャルル・エマール・サルトル





1905年10月14日。
雲ひとつ無い清々しい秋晴れの日。

ラ・ロシェルまで後20kmの地点、辺りには田園が広がる人口1200人程度のサン・メダール・ドニの郊外にて、フランス陸軍第1軍団は野営地を敷いていた。多発する殺人事件によって部隊の士気は低く、兵士の皆は疲れ切った表情をしている。それでも彼らは早朝から出撃準備に入っていた。いつ殺されるとも判らない常時、神経を張り詰めさせている環境から人間不信や不眠症になった兵士も、いまや第1軍団では珍しくは無い。犠牲者に階級の壁は無く、兵士、下士官、士官と問わず犠牲者になっている。

4日前には兵からの信頼が厚い連隊長の一人が殺されていた。
恐怖とストレスによって精神に異常をきたした兵士も出始めている。

そして、第1軍団に降りかかる問題は多発する謎の殺人事件だけではない。

殺人事件に加えて、第12セネガル狙撃兵連隊、第57戦列歩兵連隊、第1植民地歩兵連隊第4中隊、これらの生き残りから日本軍の夜間陣地構築戦術を知らされ、それを防ぐための夜間警戒の強化に伴う部隊の疲労の蓄積である。当初は殺人事件と日本側の新戦術を理由に第1軍団は作戦中止を上申するもモーリス・ベルトー陸軍大臣は認めず、逆に夜間警戒の強化によって殺人事件にあわせて日本の戦術を未然に阻止が出来ると、大隊規模による夜間警戒の強化を命令していたのだ。

また第1軍団の野営地があるサン・メダール・ドニの郊外から東に35kmにはドゥー・セーヴル県の県庁所在地であるニオールがあり、そこのニオール駅を通じて国内外を問わず数多くの新聞記者が集まっていた。そして、フランス側の新聞記者は第1軍団の遅い移動に苛立ちを隠そうともせず、第1軍団を追い立てるかのような記事をフランス全土に向けて発信していたのだ。

その内容は日が経つ毎に苛烈さを増している。

エミール・ルーベ大統領は情報を統制しようと試みるも、
伝統とも言える議会の反発によって統制は失敗に終わっていた。

機能不全に陥りつつある議会に柳の様に揺れる世論。
無責任な記事を書き綴る新聞各社。
不可能な命令を下す軍上層部。

このように最悪と最低を組み合わせた状況の中、モーリス・ベルトー陸軍大臣からの最後通告によって常備2個師団からなる第1軍団3万2000名は重い足取りにて運命のラ・ロシェルに向けて進撃を始める。行軍縦隊の幅を抑える為に輜重部隊を後発部隊として分離していた。

進撃ルートはニオールからラ・ロシェルまで繋がっている"ロシェル通り"のような見晴らしの良い道は使わず、クロ・ド・ラ・クロワからクラン・シュマン通りに向けて進んでいく。

過去の戦闘及び斥候による偵察によって得られた情報から日本軍が北部から東部に掛けて作られていた陣地群を避けて比較的防備が薄い、やや南寄りから進む。

第1軍団の士官の一人がラ・ロシェルまで後10km、海抜24メートルのちょっとした戦艦の見張り台の高さに匹敵する丘の頂上に到達すると双眼鏡を構えた。双眼鏡を通して幾つかの陣地が確認が出来る。過大に見積もっても中隊には届かないと思われ、自軍の兵力からすれば勝利は揺るがないように思えてくる。最大の脅威とも言える日本艦隊の存在を探す。沿岸部にて葛城級と思われる2隻の敵艦が見えた。やはり居たかと思い、確認した脅威目標を上官に報告する為に双眼鏡を下ろそうとした時、彼はオレロン島とエクス島の中間に奇妙な建造物を発見する。これは墨俣要塞であったが、何も知らない敵側からすれば未知の建築物でしかない。

「あれは一体なんだ?
 フォール・ボワヤール要塞島はあれ程は大きくは無いし、
 第一にあんな奇妙な色合いじゃない。
 何なんだよ一体……」

思わず士官の口から疑問が出た。
フランス軍―――いや条約軍では未確認の日本兵器に遭遇して碌な目にあった覚えが無い。
慎重になるのも当然の反応である。
その声に反応して周りの士官たちも双眼鏡にて見始めた。

「あ、あれは何なんだ……」

「俺達の要塞ではないとなると敵施設と考えるのが妥当じゃないか?」

「ばかなっ、こんな短時間で日本軍は要塞並みの建築物を作ったと言うのか!?」

「見かけ倒しという可能性もあるぞ。
 変な塗装で判り辛いが…見たところ大砲らしい存在は確認出来ない…
 例えあったとしても、確認が出来ない大きさの軽砲程度じゃないのか?」

「俺にはっ!
 日本の兵器が見かけ倒しなんて信じられない!
 信じられないんだよ!
 あの葛城級も戦前は見かけ倒しという意見が一般的だったが、
 現実には俺達の戦艦を次々に沈めているじゃないか!」

度重なるストレスによって情緒不安定になっていた士官の一人が叫ぶように言う。

精度が余り良くないルメールFABパリ-12レンズ双眼鏡でも何か異様な威圧感を放つ、複雑な幾何学模様で構成された幻惑迷彩(ダズル迷彩)の要塞がぼやけながらも確認できた。遠目からでも異様な存在感が感じられる。本来、迷彩とは対象物を周囲に溶け込ませ目立たなくするものだったが、この幻惑迷彩は隠蔽ではなく対象物の把握や目視の距離計(レンジファインダー)による射撃を妨害するのが主目的であった。一種の騙し絵である。ダズル迷彩によって2基の95式50口径406o連装砲も主砲には見えなかった。幻惑迷彩の概念がまだ発生していないこの時代では、奇妙な何かとしか言いようが無い。

士官らが話している要塞という単語が兵や下士官に届いてしまう。
不安からか下士官や兵達の中から私語が目立ち始める。

「要塞!? 陣地じゃなくて要塞なのか?」

「俺たちは要塞に突撃しなければならないのか……
 ウソだろ…嘘だと言ってくれ」

「心配性だな。
 それにこんな短期間で要塞など作れる訳がないじゃないか」

控えめに言って低調と言ってよい士気の部隊に不穏な空気が広がっていく。
兵たちの中には楽観論も出ていたが、それは一部に留まっているに過ぎない。

多くの兵は今までの対日戦の様子からして日本側に何らかの備えがあるようにしか思えなかった。しかし明確に要塞と分かっていれば下がる事も出来たが、街から離れた謎の建築物では下がる理由にはならない。現在の状況では下手な後退は政府と国民から敵前逃亡の疑いを掛けられてしまう。世論はそこまで加熱していたのだ。

不安に押しつぶされそうになりながらも、
士官たちの努力によって攻勢開始地点まで第1軍団は進撃を続ける。
この先に効率的な屠畜場が待っていることを、まだ知らずに。

「突撃準備隊形作れ!」

フランス軍士官の号令とラッパの音が響く。
軍団が突撃に向けて動き出す。

その行動に応じるかのように日本軍の建造物から発射音が響いた。軽砲のような生易しいものでは無い。大気に響く様子からして否応に大口径砲による発射音と判ってしまい第1軍団に混乱が広がる。

墨俣要塞が備える2基の95式50口径406o砲連装砲から放たれた4発の砲撃であった。
後に恐怖を持って語り継がれるラ・ロシェル郊外戦の始まりでもある。

この時代のフランス陸軍の野戦攻撃用法は歩兵中隊突撃を基軸とした横隊突撃だった。そして軍団規模の兵力ともなれば広範囲に広がらざるを得ず、中央部を狙えば何処かしらの部隊に被害を与える事が出来る。むしろ外す方が難しい。

一発当たりの重量が1トンに達する4発の主砲弾が、
ほぼ狙い通りに第1軍団の中心部の上空に達し、適切な高度で爆発した。

この世の終わりと思われるような破壊がフランス軍の一帯で作り出されていく。

長門級戦艦によって完成した戦艦級主砲弾に対応した即応弾システムによって、百雷であろうかと思われる物凄さで砲撃が繰り返されていった。これに広域破壊用の3式汎用弾の破壊力と、曳下射撃(近接信管及び時限信管を使用して砲弾を空中で爆発させる射撃法)が加わって、第1軍団に大きな災厄を振りまいていった。 3式汎用弾の着弾地点付近に居たフランス兵は強烈な高衝撃熱圧力によって関節部分から人体そのものの破壊が行われ、肉体が沸騰しつつ肉片へと細分化が進む。晒された熱によって肉片の水分が一瞬で失われ、消し炭へと変化させられていく。やや距離が離れていた者は爆風圧や熱による影響を免れても、圧力の変化に伴う肺の組織破壊によって起こる肺出血により9割以上が死亡している。

1発の砲弾が炸裂するたびに、1個中隊が一人残らず全滅する事もあった。
肺出血や爆風圧によって即死を免れた者も、
数百メートルもの距離を吹き飛ばされ、衝突死となる。

「ちくしょー!
 生きて帰ったらっ、扇動した記者っ!
 俺たちを死地に追いやった大臣らをぶっ殺してやる! 絶対にだ!」

そう叫ぶ兵曹長は血走った目で戦友たちと共に生存をかけて走り続ける。

2基の主砲が10秒に一度の間隔にて火を吹き、そこから放たれた4発の主砲弾が着弾する度に第1軍団に所属する2.3個中隊に上る兵力が完全喪失していく。気を利かせた兵士が岩の影に隠れてやり過ごそうとしたが対陣地・塹壕を想定している3式汎用弾の爆圧によって岩諸共、爆圧で潰されて戦死となった。

日本帝国と1年以上の戦争を行っていた条約側であったが3式汎用弾に関する戦訓は驚くほど少ない。これは不発弾どころか、徹底した砲撃によって生存者のみならずまともな遺体が残っておらず情報が限られていた事が大きいだろう。

そして、第1軍団に対して災厄を振りまいている墨俣要塞の指揮を執るのは黒江少将から要塞指揮を任された国防軍最恐の士官―――二条カオリである。帝国軍からの秋山好古(あきやま よしふる)大佐とその副官である稲垣大尉、連合艦隊から岡田啓介(おかだ けいすけ)中佐、長谷川清(はせがわ きよし)少尉が観戦武官として来ており、彼らに失礼が無いようにカオリが要塞指揮官として臨時に就いていた。

欧遣軍の海上戦力は合同軍であったが、陸上戦力に関しては国防軍に占められてていた事と戦地での部隊交流と言う表現も面妖しかったので、観戦武官という扱いになっていたのだ。

史実に於ける岡田と長谷川の経歴は次の様になる。

岡田は海軍大将、海軍大臣、総理大臣を経験するも生涯を清貧で通した人物であり、「軍拡による米英との戦争は避け、国力の充実に努めるべし」と主張し、ロンドン海軍軍縮会議にて軍縮条約の調印に漕ぎ着けた信念の人であった。第一線を退いても後方から日本のために動き続けた人物である。目先の成果に囚われずに先を見据えたバランス感覚に富んだ人材といえよう。

長谷川は海軍大将、支那方面艦隊司令長官、台湾総督を経験し、世界で始めて電波航法による渡洋爆撃を実施した人物でもあった。また少尉の時に乗艦した戦艦「八島」では旅順沖接雷で沈没を経験し、その後配属となった戦艦「三笠」では日露戦争終結直後の爆沈にて重体になったという壮絶な人生を送っている。大の女好きであったが、礼節を重んじ思想信条を問わずあらゆる人々を許容する懐の大きな人物で、対立派閥及び敵陣営からの評判も良好という人格者であった。

また陸戦とは関係が薄い海上勤務の岡田、長谷川の両名が観戦武官として参加していたのは墨俣要塞の主砲は長門級戦艦の主砲と同一であり、その戦訓から対地艦砲射撃の有効性を学ぶ為である。そして秋山大佐はシベリア第2軍団の殲滅以降、近衛師団の精鋭を集めた緊急展開用の部隊編成に向けての戦訓集めであった。この中央即応連隊の構想は黒江少将が秋山大佐に持ち込んだものである。

聞かされる戦争では本当の戦訓では得られない。
だからこそ彼らは帝国軍の近代化に役立てようと、この欧遣軍に来ていた。

要塞司令塔に備わっている長距離望遠機器にて戦場を見ていた4人は、
即席の要塞とは思えぬ実用性に驚きつつも意見を言い合っている。

秋山大佐が稲垣大尉に言う。

「やはり戦艦の主砲は野戦重砲とは比べ物にならぬ威力だな…
 一撃で中隊単位が完全に戦力価値を喪失している」

「ええ、敵兵でなくて良かった…と心底思います」

「同感だな。
 長門級と同じ主砲を浴びているフランス軍は生きた心地がしないだろう。
 だがこれで陸戦に於ける制海権の重要性がより顕著となった。
 本土及び大洋に点在する要衝の防衛も本格的に練らなければならないな」

「艦砲射撃の有効性とその対応策ですね」

「その通り。これから色々と大変だぞ。
 作戦部で検討が進められている諸島防衛に於ける
 水際防御戦術も下手をすると被害が大きくなるばかりかもしれん。
 海軍の視点から見て岡田中佐は艦隊による対地砲撃をどう思う?」

秋山大佐は近くに居た岡田中佐に話題を振る。
岡田中佐は観戦武官によって得た戦訓を元に自らの推論を述べ始めた。

「よほど念入りに準備した水際陣地でも、
 多数の砲撃を食らえば今のフランス軍のようになるでしょう…
 それならば、汀線での抵抗は行わず内陸持久が宜しいかと」

「徹底持久の後、来援する友軍艦隊と呼応して反撃するのだな?」

「はい」

二人の佐官による会話が進む傍ら、
熱心に長距離望遠機器にて敵軍の様子を見ていた長谷川少尉は敵軍の変化を発見する。

フランス軍は続出する損害に耐えきれなくなり、遂に後退を始めたのだ。様子から見て潰走と言っても遜色は無い。しかし攻撃前から低下していた第1軍団の士気を考慮すれば、この段階まで壊走しなかったのは流石は世界にその名を轟かせている陸軍大国に相応しいものがあった。

敵軍を漏らすことなく索敵していた日本側も敵軍の変化に対応し始める。

今まで攻撃を控えていたオレロン島の95式155o野戦重砲中隊やラ・ロシェルの各陣地から120o迫撃砲による支援砲撃が始まった。重砲弾に加えて多数の迫撃砲弾が撤退の部隊の先頭に降り注いでいく。一部の迫撃砲弾の中にはラザレフ戦でも活躍したスタングレネード型砲弾が混じっており、着弾地点周辺のフランス兵が気絶及び一時的な失明、眩暈、難聴、耳鳴りなどの症状によって悶絶していた。

ラ・ロシェルの前線司令部にて全体の指揮を執る黒江少将からの無線内容の復唱を聞いていた秋山大佐が納得する。秋山大佐は悪戯を企んだ小僧のような笑みを浮かべながらカオリに近寄って言う。

「なるほどな。
 黒江閣下は撤退中の部隊の移動を妨害することで簡単には撤退をさせないわけか。
 そして撤退に手間取っている間に主砲にて敵を叩く」

「秋山大佐は黒江少将や私が敵と認知した連中を
 このまま逃がすと思っていたのですか?」

「それはないな。
 今までの国防軍の戦い方からしてありえない。
 それに、徹底的に叩かねば戦略的な効果が減少してしまうだろう」

「ええ、なまじ生き残りが多いと平和が遠のきます。
 いわば……必要な犠牲と言うやつですわ」

そのように言うカオリの声帯は普通であったが、表情には両極の氷原のように冷たい感情が浮かんでいた。歴戦の秋山大佐はともかく他の武官達は今までに見たことのない、彼女の表情に浮かぶ静かだが激しい敵意の色に息をのむ。もっとも驚きはしたが、今日まで培われた信頼関係は損なわれる事は無く、忌避には繋がる事はなかった。

何しろ軍務中のカオリは熟練した軍人そのものだが、その魅力は隠しようも無く、大の女好きの長谷川少尉は頻繁にカオリを食事などに誘っている程である。余談だが、長谷川少尉のカオリに対する態度は今日以降も変わらない。逆に軍務時とプライベート時のギャップが大きな魅力への昇華に繋がっていく事になる。

カオリは戦況を分析しつつ思う。

当初のスケジュールよりだいぶ変則的だったが、
この大敗北によってフランス世論はもはやチェックメイト……
ニオールに記者が集まっている以上、敗北の情報を隠す事は出来ない。

そう考えると、カオリは戦闘に集中した。

このように現在行われているラ・ロシェル郊外戦が進む傍らで、
その戦果を最大限に生かすべく情報戦も並行して進められていたのだ。
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【あとがき】
この一件によってフランスの戦争継続は厳しいものになるでしょう。

海軍は地中海艦隊と一部小艦隊を残して多くが壊滅状態で、頼みの陸軍もラ・ロシェル付近に墨俣要塞が出現した事によって侵攻が困難に。そしてフランス議会は極左、左派、中道左派、中道派、中道右派、右派、極右で対立中^^;


意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2011年05月21日)
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