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帝国戦記 第三章 第10話 『墨俣要塞 前編』


心を攻むるを上と為し、城を攻むるを下と為す。
心もて戦うを上と為し、兵をもて戦うを下と為す。


馬謖





カオリ率いる特殊作戦群の分隊は外周部に展開していた第12セネガル狙撃兵連隊の警戒部隊を完全に無力化すると、その内側をカバーするパトロール隊が警戒線を張る周囲の警戒に適した海抜17m程度の小高い丘に進出していた。位置としては約450m西に連隊野営地がある。このような小高い丘が野営地の周辺にあれば、少数の兵力で周囲の警戒が可能になる事から、戦術的な価値は高い。

雲の透間から月の光が降り優しく注ぐ夜の最中、
それらの丘の一つにリョウコは居た。

「あらあら……少し手荒になりましたかしら?
 まっ、許容範囲なので良しとしましょう」

リョウコはまるで良家のお嬢様が兄に対して話しかけるような口調にて言う。

彼女の手には血によって赤く濡れたコンバットナイフが握られていた。彼女の足元にはうつ伏せになったフランス兵が倒れている。その背中には胸に達するまでの深い刺し傷があり、そこから漏れた血が地面に血溜まりを作り出していた。このフランス兵はリョウコによって暗殺された歩哨である。その周囲にも闇に紛れていたが死体がいくつもあった。

リョウコは握っていたコンバットナイフを素早く一振りして刃に付着した血を振り払うと コンバットナイフを器用に半回転させてヒップホルスターにしまう。

彼女は次の作戦に備えて野営地の周辺の歩哨を始末していたのだ。この歩哨は警戒部隊の内側をカバーする分隊規模からなるパトロール隊に属する一人である。

このような警戒に適した場所であっても高度なセンサー類が無く、洗練された戦術も培われていない、この時代の警戒網は特殊作戦群にとっては障害とは言い難い。

現にカオリ率いる2個分隊(24名)は第12セネガル狙撃兵連隊の本隊に気づかれずにパトロール隊の制圧を終えつつあった。

周辺の掃討を確認したリョウコはカオリに合流する。

「御苦労、大尉。
 これで連隊野営地の周囲は丸裸になった。
 他の隊員も深刻な遅れは無い。
 後は早朝の攻撃に備えて簡易陣地の構築と、頃合を見ての敵への挨拶だな」

カオリの口調は警戒部隊との戦闘前から打って変わって、
完全に軍人そのものであった。
もはや何時もの様な優しさは無く、国防軍最恐の将校が降臨している。

それから30分ほどで2個分隊のうち、18名がカオリの下に戻っていた。
残る8名は周辺警戒に就いている。

やがてカオリらが居る丘に後方から2台の燃料電池型運搬車によって簡易陣地の建設に必要な資材などが運び込まれてきた。

この燃料電池型運搬車はロシア中央銀行本店にて活躍したものと同型で、橋頭堡から派遣されてきた4両の3式トラックからなる輸送隊によって野営地から3kmの地点まで運び込まれたものである。徹底している国防軍の輸送隊はマリウス分遣隊が警戒する地域から先に移動する際に、フランス側の斥候に発見されないように無灯火にて移動していた。夜間でかつ不整地が多かったものも、擬体兵が運転を行っており問題は無い。ただし、不整地を移動してきたので輸送隊が運び込んできた物資は3式トラック1台につき4トンに制限されている。

それに輸送ルート上は遥か上空から常に監視されており、国防軍に知られずに接近するのは不可能と言ってよいし、遮蔽物の乏しい海上ならいざ知らず、地上に於いて光源の乏しい夜間では遠方の物体を識別するのは極めて難しい。

物資が集まるとモジュラー式の5式拠点構築資材が組み立てられていく。

この5式拠点構築資材は湾岸戦争以降、米軍やNATOを始めとした各軍が野戦施設構築材として採用した携帯装甲壁システムの発展改良型である。本格的な携帯装甲壁システムの始まりともいえるマカーディーアーマーやHESCOのような資材は数名の兵士が特別な機材を使うことなく30分から1時間半にて半径5メートルの防御施設の建設が可能(同じく撤収も容易)だった。しかも適切な設置を行えばM107(155o榴弾砲)の直撃にも耐えられる性能を持っている。また汎用性の高さから基地だけでなく紛争地帯にある大使館の強化や対テロリスト用の臨時検問所としても活躍していた。

このように優れた展開性から、
国防軍においても改良型が前線基地や陣地の築城にて採用されている。

一つのガンポートが5分にも満たない時間で組み立てられていった。そのガンポートを基点に敵の野砲攻撃に備える為の特殊ポリプロピレン繊維ライナーで作られた耐爆障壁が組み立てられて形になっていく。やがて形になっていく陣地の各所に3基の95式40o機関砲、8丁の95式重機関銃が設置されていった。

丘の周囲には湾曲した箱の形状をした物体が草などに偽装して敷設が進められている。 この物体はM18クレイモア地雷(指向性対人地雷)の子孫にあたる改良発展型の障害5型であった。障害5型はネットワークによって起動する管制地雷である。

敵兵から見れば作動した障害5型は榴弾の炸裂にしか見えないだろう。

それに地雷は以前から使用されており特に目新しいものではない。敷設と同時に正確な地雷マップを作成しており、作戦終了に機密保持と民間人による事故を防ぐために起爆しなかった地雷は全て回収する手筈になっている。国防軍では完全な地雷マップを残すことが義務付けられているので、地雷を扱えるのは準高度AIのみに限られていた。

こうして3時間ほどで急増のものとは思えぬ程の陣地が完成する。ただし、作業人数及び時間的な都合から装甲版の内部に土嚢を並べていないので精々75mm砲までにしか耐えられない状態である。

もっとも、その点はカオリは気にはしていなかった。

現時点でのフランス陸軍の最大の重砲である1904年式155o短カノン砲は軍団砲兵に所属しており、第12セネガル狙撃兵連隊には配備されていないからである。例え極秘裏に配備されていたとしても、野営地は完全に陣地の射程内であった。M1897-75o野砲を主目標としている40o機関砲によって砲撃を行う前に破壊する事が出来る。

「若干の遅れが出たが、この程度ならば想定内だな。
 ふふ…奴等の驚く様が楽しみだよ」

「ええ…朝になれば彼らでも気が付く事でしょう。
 目と鼻の先に私たちの陣地が出来上がっているのですから」

「もっとも我々の作戦目的はただ殲滅させるのではなく、効果的な心理戦というやつだ。
 陣地による歓迎よりも、挨拶の方が大事だよ」

「分かっています。
 後ほど行う挨拶では誠心誠意に彼らの心に訴えかけてみせますわ」

「期待している。
 だが、挨拶ではあまり過激にやるなよ?」

リョウコはカオリの言葉に上品に頷いた。

現在の時刻は午前4時30分。
第12セネガル狙撃兵連隊の起床まで約50分、そして日の出まで1時間以上の時あった。

リョウコは挨拶(暗殺による心理戦)を行うべく行動を開始する。彼女は60式拳銃とナイフだけの兵装にて単身にて、陣地からもっとも離れた地点から第12セネガル狙撃兵連隊の野営地へと静かに侵入していった。リョウコを援護する為に2人の隊員が野営地の外周部からの退路の確保及び援護態勢を整えている。

このように日本側が自軍の警戒線に掛らず、知られずにしてその事如くを無力化してくる事などフランス側からすれば想定外だったが、これはフランス軍の能力不足では無い。全ては圧倒的な軍事科学技術を有する相手という想定外の敵と戦うフランス軍の不運と云える。

リョウコは野営地に侵入すると直ぐに攻撃へと移る訳でもなく、人目に付かない様に仮設施設が立ち並ぶ一帯へと進む。天幕だけでなく一部では幕舎のような施設も建設されていた。幕舎は司令部を兼ねているのだろう。ただし移動する範囲は脱出が容易な場所に限られていた。リョウコは、警戒しつつ移動しながらセンサーにて深部体温が低くなっている将兵が多い天幕を探す。つまり熟睡している将兵が多い天幕である。

程なく条件を満たした一つの小さな天幕を見つけと、
リョウコはそこへと静かに、眠りを妨げない様に入っていく。

天幕に入るとそこには6名の兵が眠りについていた。リョウコは眠りの浅い者を体温にて判別し、眠りを妨げない様に細心の注意を払いつつポーチから小型スプレーを取り出す。リョウコは各兵士の顔に催眠ガスをふりかけていった。催眠ガスと言ってもフローセンのような強力なものではなく、後遺症の無い機能限定型である。ただし、直ぐに目を覚ましても10分ほどは意識混濁状態になる品物だった。リョウコは催眠ガスの処置を終えると、 懐から先ほどの警戒部隊との戦闘にて確保したフランス陸軍のM1886銃剣を取り出す。

銃剣を手に取ったまま足場に気をつけつつ、
もっとも眠りの浅い兵の前へと移動して身を屈める。

(直ぐに終わりますので……安心して死ね!)

黒い表情を浮かべたリョウコは、その表情と心境に似つかわしくない優しげな動作にて兵士の口をそっと優しく塞ぐ。そして兵士が息を吐くタイミングに合わせて銃剣を胸に鋭く突き立てた。その銃剣の刺し具合は表情に相応しいものである。兵士は突然襲ってきた体の異変に目を覚ますも、催眠ガスの効果によって意識混濁状態になっており、体が思うように動かせない。そして口に当てられた手によって声も出せなかった。催眠ガスによって痛みが殆どない事が救いであろう。

やがて長い銃剣が肋骨の間から心臓へと達して死に至る致命傷となる。
絶命を確認したリョウコは処理を終えると残る5名の睡眠の妨げに為らない様に退室した。

あえて手間を増やしてまで敵の銃剣にてこの様な工作を行う理由は、
フランス軍内部に於ける犯罪を演出するためである。

このように疑心暗鬼を植え付けることでフランス陸軍に見えない枷を掛けて精神が徐々に磨り減っていくように仕向けるのだ。刺し傷はM1886銃剣のものであり、真っ先に疑うのは部隊内の犯罪になる。戦争相手国であるフランス兵を戦場で殺しただけなので、日本側の仕業と知られても問題はない。もっとも日本側が目撃者を出すことなく暗殺が行える事実をフランス側が認めてしまえば前線のフランス軍将兵の士気は、底知れぬ恐怖によって大きく損なわれてしまい、戦争どころではなくなってしまう。

それに暗殺を認めてしまえば自らの無能を宣伝するようなものだった。軍隊は面子を重んじる事から到底認められる事ではない。軍の面子は時として国家の命運をも蔑ろにしてまで守った例がある。こうしてリョウコは他の天幕でも心理戦を静かに仕掛けていった。














1905年10月8日 日曜日

フランス陸軍によるラ・ロシェル市街戦から始まった反攻作戦は当初の予想であるフランス側の優勢に反して、戦況は悪化の一途を辿っている。第12セネガル狙撃兵連隊は混乱のうちに敗走し、更に第1軍団の到着までに進出拠点を維持するはずだった第57戦列歩兵連隊と第1植民地歩兵連隊第4中隊もいつの間にか出来上がっていた陣地からの攻撃によって敗退していた。

全滅はしなかったがフランス軍の生き残りの士気は
最悪と云える領域にまで落ち込んでいる。

フランス陸軍にとって悪夢の日々の始まりとなった欧遣軍のラ・ロシェル上陸。
それから9日が経過していた。

当初の予定では第1軍団が2週間ほどでラ・ロシェルに到着する筈だったが、部隊内で頻発する殺人事件によって進撃が遅れに遅れており、ラ・ロシェルの近隣に到着するには後1週間ほどかりそうだった。これは夜間のうちに4式輸送機「紅葉」によって第1軍団の近くに展開したリョウコ達、特殊作戦群の仕業である。

日本軍撃退に大見得を切っていたモーリス・ベルトー陸軍大臣は、
この遅延によって恥をかいた。

恥をかかされたモーリス・ベルトー陸軍大臣は烈火のごとく怒り、前線に対して矢のような催促で進撃を命じている。そして殺人事件を知らされていない各新聞社は陸軍の遅さをオブラートに包みつつ、色々な皮肉にて書き綴っていた。彼らは日本軍が重砲及び艦砲射撃を弾薬不足から行わなくなった事を知っていただけに、絶好の反撃の機会を前にした陸軍の進撃遅延は怠慢にしか見えない。

国民の中には陸軍の遅延は利敵行為と叫ぶ者も出始めていた。

地中海に於いてもフランス軍の状況は悪化の一途を辿っている。
自慢のフランス地中海艦隊は日本艦隊の襲撃から逃げ回る日々であった。
N機関の働きが無ければフランス地中海艦隊が大打撃を受けていたに違いない。

そして混乱の拡大は軍だけに留まらなかった。

ジョルジュ・クレマンソー議員、共和派、社会主義者、知識人からなるドレフュス派と、軍部、反ユダヤ主義、右翼からなる反ドレフュス派がフランス議会で対立し、悪化する戦況に比例するように四分五裂な状態となっていた。

このように国内世論が揺れるフランス共和国に対して日本帝国は安定そのものである。

その安定している日本帝国の幕張地区。
さゆり、はるな、イリナ、リリスの四人は高野邸のテラスにて、4本脚の丸テーブルを囲みながら温かい紅茶を飲みながら話し合っていた。彼女たちは夜に行われる身内だけを対象とした夕食会に参加するために集まっていたが、夕食会までまだまだ時間があったのだ。もちろん今までどおり、料理を作るのは彼女たちである。

ともあれ、女性が集まれば会話に花が咲く。
7頭のニホンオオカミがリラックスした状態で各々が女性たちの周りに居た。
チョコは例の如くさゆりの膝の上にて嬉しそうにしている。

イリナが可愛らしい仕草にてテーカップの縁に指を這わせながら言う。

「欧州作戦もいよいよ佳境だね」

「ええ、此方の妨害によって遅れに遅れたスケジュールに、
 世論の後押しあって彼らは到着次第、時間を置かずして戦うしかない」

「各列強のメディアも注目しているので大反響は確実……
 世論による猛烈な圧力があるだけに、下手な先延ばしには政治的に宜しくない。
 会戦後に工作商会が少し後押しするだけで彼らは政治的に追い詰められることに…
 うふふ、楽しみだわ」

イリナとさゆりの会話にリリスが妖艶に参加する。

リリスはリリシアの母に当たる存在であった。お腹を痛めて生んだわけではないが、その想いは本物の家族に勝るとも劣らず、娘のリリシア、アリシア、アリスの3人を心底から愛している。また、リリスの外見がリリシアと似ていても、リリスが醸し出す大人の雰囲気は更に洗練されており、見た目ではなく雰囲気で別人とわかる位に差があった。また、イリナの事をとても気に入っており4人目の娘として接している。

「それとアーヴァイン商会とミハイル商会を介した工作も上々です。
 現在、和平派及び慎重論は強硬派に抑えられていますが、
 明日以後これからは大きくなっていくでしょう」

さゆりが苦笑を浮かべて言った。
さゆりの言葉にリリスは思う。

彼らがどのような戦略を採ろうとも共和政治という多様性と矛盾性を内包する限り、フランスは私たちの工作からは逃れられず何かしらの影響を受けてしまう。

多様性と言えば響きは良いけど、結局のところは窓口の多さでしかないわ。
建物で例えれば侵入口と変わらない。

そして多角的から誘導を行えば政府を動かす事も容易になる。皮肉よね、国民の意思を反映させる共和主義が自国を追い詰めるのだから。それを変えることは共和制の否定でしかなく、滅ぶまで止められない…

だからこそ高野総帥が公爵領を議会ではなく帝国重工によって統治しているのでしょうね。

リリスの考えの通りであった。

帝国重工の要人を買収しようにも要職に就いている人々は準高度AIか高野と同じ時代から来た人々ある。絶対的とも言える信頼関係によって結ばれており裏切る事は無い。信頼を抜きにしても裏切るメリットが全く無かった。そして公爵領の住民を突破口にしようにも公爵領における勤め先の親会社は帝国重工に連なっており、介入を行っても直ぐに発覚してしまう。そして他の追髄を許さない科学技術によって守られている。これらの事から帝国重工を乗っ取る事は不可能と言って良いだろう。

国内を他国勢力によって侵食される危険性を誰よりも知っている高野は最高意思決定機関の了承の元、帝国軍情報部が事前にそのような要因を排除するように動いていた。早期治療が大事なのは医療だけではなく政治においても同じである。

「そういえば強硬派と言えば、
 今もなお戦線拡大を熱心に訴えている七博士はどうするの?」

「彼らに関しては帝国政府に一任するしかないわ。
 帝国軍の強硬派ならば極地にある仮設観測所に配属すればよいのだけど…
 地に落ちても一応は知識人だから厄介なのよね」

七博士とはバイカル湖以東の東シベリア占領を謳った七博士意見書を作り上げた7人の教授の事である。広報事業部は世論の暴発を抑えるべく、七博士意見書の実現に必要な数値を新聞各社に発表していた。増税の範囲を超えた過酷な重税を科しても足りぬ戦費、国内労働力を根こそぎ動員しても足りない兵員、兵站維持の困難さ……ナポレオン戦争のロシア戦役を例にとって帝国軍が限定戦線に制限している理由を分かりやすく、多くの媒体から国民に伝えている。

全ては過剰な戦意高揚を避ける為であった。
歴史から見て国民が増長して良い結果になった例は極めて少ない。

日本側が戦果発表を控えているのもそれが理由である。

これには航空兵力を始めとした効率的な戦争を行わない事にも関連していた。

この時代の民は国籍を問わず熱くなり易い。もし自国の軍隊に戦争中の敵国内陸を自由に叩ける兵器があると知ったら、戦争拡大を支持する事は想像に難くない。情報を秘匿しても大々的に使用し続ければ、いずれ何処からか漏れて知られてしまう。自軍から漏れずとも、中立国の新聞社、国内強硬派を炊きつけて条約側と共倒れを狙う海外勢力の暗躍なども考えられる。だからこそ国防軍は不要な面倒事を予防しつつ、敵に不必要な戦訓を与えないように充実している航空兵力を偵察と輸送を除いて過度な使用を行っていなかった。

また、会話に出てきた仮設観測所とはシベリア各地に設置した気象台である。防戦だけでなく攻勢にも必要な天候情報の調査と言う名目で強硬派の中で過激な面々をそこにやんわりと配属していた。理由が理由だけに強硬派は断れない。この軍規に則った優しい粛清は陸軍参謀総長の大山巌(おおやま いわお)大将の発案である。

はるなが言う。

「後は墨俣要塞次第だね」

「心配なの?」

「うん」

「大丈夫。今のスケジュールなら後4日で完成するでしょう。
 例え要塞が何らかの不都合によって間に合わなくても、
 欧遣軍が構築した防御拠点と艦砲射撃があるわ。
 簡単には突破は出来ない」

さゆりが優しく応じた。
リリスが続く。

「それに戦争が来年まで長引けば、
 他の列強によって植民地に於けるフランスの利権が奪われていくでしょうね。
 工作商会の介入によって和平派の力も強くなってるので、継続は戦略的に無理でしょう。
 まっ、彼らが破綻を望むなら別だけど」

会話に出てきた墨俣要塞とはアンティオシュ狭水路に浮かんでいた、全長68m、全幅31m、全高20mからなるフォール・ボワヤール要塞島を元にして作り上げている新要塞の事である。当初、アンティオシュ要塞と命名される予定だったが、極めて短期間に作られた墨俣城(すのまたじょう)を捩って墨俣要塞になっていた。命名者はこだわりの真田中将である。

ともあれ、フォール・ボワヤール要塞はかつての面影は無い。
要塞司令塔を含めば全高は水線から40mに達し、
国防軍による各所の改修によって台形近代要塞へと変貌しつつあった。

何しろ工事開始から2日目の段階でフォール・ボワヤール要塞各所に補強材を設置し、新要塞の支柱にするための工事を終えている。重量物を軽々と扱える擬体化工兵には苦でもない。それに要塞と言っても葛城級巡洋艦に満たない大きさなので作業範囲も限られていた。ともあれ、フォール・ボワヤール要塞に於ける不必要な部分は、プラズマ溶接の一種であるパス(フェイズドプラズマアーク溶接装置)と、かつて原子力発電施設の解体に使用されていたコンクリート切断用成形爆薬によって要塞を形成する花崗岩と石灰岩を運びやすい大きさに解体していた。

本格的な建設作業に必要な重機は港整備工事や土木工事用台船にて使用する、
低床型組立式台船にて賄っている。

この低床型組立式台船は起重機船のような大掛かりなものではなく、ビスケー湾とアンティオシュ狭水路の境界の水域にて補給艦「洲埼」に備えられているクレーンによって上陸戦の当日のうちに組み立てられたものだ。仕組みは22隻からのユニフロートが連結されその上に、都市開発事業部で活躍している機材の一つである、95式自走式建設用クレーン(オールテレーンクレーン)を乗せて固定するだけである。

起重機船では侵入不可能な浅瀬でも行動が可能なのが特徴であった。フォール・ボワヤール要塞島の周辺は浅瀬が多く、このような台船は非常に適している。この95式自走式建設用クレーンの吊上荷重は120トンに対応していたが、台船の安全性から115トンに制限されていた。

このクレーンならば長門級で使われている重さ110トンの
95式50口径406o砲の砲身を問題なく持ち上げることが出来る。

そして工事から3日目には要塞を台形状に取り囲むように
10m毎に間隔にて骨組みが組まれていた。

同時に機密保持のため要塞の一部を覆った大トタン屋根も組まれている。

浅瀬に立てられる柱は運び込まれた軟弱地盤に於ける支柱建設用の格点式水中構造物が基点になっていた。これは海洋油田にて使われる工法である。全てに於いてモジュール工法なので工事の進捗は猛烈な早さで進んでいた。4日目には骨組みに外枠用の外壁を取りつける為の部品だけでなく、モジュラー式の5式拠点構築資材にて外装工事が始まっていたのだ。

要塞基部やその周辺を固める素材には、長門級戦艦の応急材に使用されているアクアマテリアル系結合材と似た性質を持つコンクリートの代わりに特殊超分子ハイドロゲルを使用している。

この特殊超分子ハイドロゲルの特徴としては破壊されても擬液体状態となり、時間と共に剪断力(物体内部でずれを生じさせる力)が直る優れた自己修復性があった。ただし自己修復性といってもひび割れの修復程度であり、飛び散ってしまえば繋ぎ合わせない限り元に戻ることは無い。 また硬化した特殊超分子ハイドロゲルもそれなりの耐久力がある。ただし、そのままではゲルに含まれている両末端デンドロン化高分子によって混合から4.5秒にて結合による硬化が始まってしまうので、硬化開始まで5分ほどの余裕が得られるように鈍化剤が混入されていた。

イリナが口を開く。

「しっかし、有り合わせの機材で要塞を作るなんて真田さんは面白い発想をするよね〜
 主砲は建造中の戦艦のもので補い、
 要塞司令塔は雪風級で使われている艦橋の改良型だし」

「ええ。大きな違いは艦橋の拡張と火器管制装置ぐらいかしら」

紅茶を飲みつつリリスは優雅に応じた。

帝国重工の艦船は元から建造期間と修理期間の短縮の為にモジュール化が進んでいたので、要塞転用の際に変更が必要な部分だけ交換すれば良かった。要塞の大部分は多様な組み合わせを有する、モジュラー式の5式拠点構築資材と特殊超分子ハイドロゲルの組み合わせに、戦艦の主砲を流用し、司令塔は護衛艦の艦橋を改良する事で作り上げている。2基の主砲を要塞に流用された戦艦比叡は竣工が遅れることになるが、こればかりは仕方が無い。

このように国防軍は野戦築城能力とその実力を戦場にて見せ付けることで、
フランス陸軍の戦意を挫く準備を進めていたのだった。
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【あとがき】
ブラジル軍が1914年に作るコパカバーナ要塞が面白い影響を受けそうだなぁ…


【Q & A :携帯型装甲壁システム(Portable Armored Wall System)って?】
アフガニスタンにて米軍が7.8時間の間で一つの前哨基地を作り上げた例があります。
米軍の工兵能力の高さもありますが、それを抜きにしても画期的なものでしょう。


意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2011年05月08日)
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