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帝国戦記 第三章 第08話 『ラ・ロシェル市街戦 前編』


宗教戦争は、とりわけ凄まじいものになりがちである。
人々は経済的利益のために領土を巡って戦う場合、
戦いが費用の点で引き合わない段階に達すると、妥協するものである。
原因が宗教的なものである場合、妥協や和解は悪であると考えられる。


ロージャー・シン





ヤーデ湾強襲作戦の翌日。前日の段階で判明していた戦艦5隻、海防戦艦3隻、防護巡洋艦4隻の完全喪失に加えて、新たに装甲艦「バイエルン」、海防戦艦「フリットヨフ」、防護巡洋艦「ガツェレ」の合計3隻が重度の損傷から修理を行っても従来通りの運用がし難いと判断されていたのだ。この事から旧式艦だった事もあり廃艦判定となる。

そして、今回の強襲作戦は各国に大きな衝撃を与えていた。

防衛側のドイツ海軍が事前に情報を入手していたにもかかわらず、ドイツ側が受けた被害が余りにも大きかったのが原因である。高速艦隊からの襲撃攻撃に対して列強各国の海軍は哨戒戦力の必要性を痛感するも、哨戒戦力として期待できそうな実用航空機の開発は遅々として進まず、現状ではあまり性能の良くない飛行船しかなかった。

水上艦という選択肢もあったが、それでは優速を誇る日本艦から逃げ切れないし、夜間の内に侵入されてしまえば捕捉できない。

更に困った事に欧米の巡洋艦程度では日本の巡洋艦とまともに戦えないのだ。


戦艦ならば対応は出来たが、そのような兵器を哨戒兵力として運用しては軍事費がどれだけあっても足りないだろう。

列強軍人の誰もが日本軍の立て続けの戦果を偶然や奇跡などで片付けなくなっていた。その思いはイギリス海軍ではより深刻だったのだ。 哨戒能力だけならば漁船改造の哨戒艇でも十分だったが、イギリス海軍の現在の仮想敵は弱体化した欧米各国の海軍ではなく、驚異的な成長を遂げた日本海軍になりつつある。

つまり、警戒だけでなく対抗せねばならない。

例え哨戒によって前もって知ることが出来ても即応できなければ、
死の宣告にしかならないからだ。

哨戒戦力の充実に加えて、敵襲に対する即応性を向上させるとなると、必要な軍事費は膨大な額に上る。防護巡洋艦程度では足止めにすらならず、最低でも装甲巡洋艦による哨戒網が必要になるだろう。雪風級巡洋艦(日本側では護衛艦)は下手をすれば小型戦艦すら撃破してしまう存在であり、列強の防護巡洋艦では足止めにすらならない。日本戦艦が相手ともなれば、現在の欧米戦艦では纏まった数を投入しなければ戦果は期待できなかった。

早急な対応を求められたイギリス海軍は腰を据えて新鋭艦の設計を行う余裕を失い、泥縄式の対応をしなければならなくなり、各方面で無駄が生じて軍事費の高騰に繋がっていく事になる。









1905年9月29日 金曜日、
日本側によって行われたヤーデ湾強襲作戦から3日が経過していた。

宝石をちりばめた様に太陽光を反射する、フランス領のシャラント・マリティーム県の大西洋沿岸部、県都ラ・ロシェルの沿岸から西にある幅500mから数kmに及ぶペルテュイ・ダンティオシュ水道にて強襲揚陸艦2隻、巡洋艦1隻、工廠艦1隻、護衛艦6隻、補給艦2隻からなる、日本艦隊が作戦行動を行っていた。これらの艦艇は夏島港から出港していた強襲揚陸艦「海鷹」「大鷹」、工廠艦「敷島」、護衛艦4隻、補給艦2隻と、インド洋にて展開していた蔵王と護衛艦2隻からなる。

所属は欧遣軍である。

欧遣軍(後に日本欧州軍となる)とは帝国軍と国防軍の間に進めている地域別統合軍構想の一環によって編成された双方の海軍戦力を動員した合同軍(陸上戦力は国防軍のみ)であった。この欧遣軍の責任地域は大西洋及びビスケー湾からノヴァヤゼムリャ島などにある日本の拠点が含まれている。

また敷島は訓練航海中だったが、
生駒の修理を行うために予定を繰り上げて本作戦に参加していた。

これらの戦力をもってフランス領のオレロン島を基点に周囲一帯に対する上陸作戦を行っていたのだ。ただし、日本側は内陸に侵攻するつもりは無く、その支配領域はビスケー湾の入り江にある港湾都市でかつラ・ロシェルの対岸(オレロン島から北10km)に位置するレ島(レ・ポルト・アン・レ島)をはじめとした艦隊の支援があれば少数の兵力で守れる地域に留まっている。

既に一帯の制海権は日本側のものであった。

上陸作戦の前段階として、ヴィルヘルムスハーフェン軍港の時の様に事前警告の後にオレロン島から北西250kmにあるフランス海軍に於ける大西洋の主要拠点の一つ、ロリアン軍港を襲撃して無力化を行っていたのだ。その作戦にてロリアン近海の警戒活動に当たっていたフランス海軍の戦艦ブーヴェは鈴木貫太郎(すずき かんたろう)大佐が率いる帝国軍の護衛艦「雪風」を旗艦とする4隻からの護衛艦による襲撃によって沈んでいる。

このように日本側は近隣の抵抗拠点を無力化すると、強襲揚陸艦のウェルドックに搭載されているそれぞれのエア・クッション型揚陸艇によって、各上陸地点に上陸部隊と共に次々と揚陸していった。戦争戦略の最終段階ともなれば、もはやエア・クッション型揚陸艇を隠す必要は無い。日本側が本格的に行う強襲上陸戦を見せつける事で、戦争継続の危険性を教える意味がある。何しろ全ての海岸線を長期に亘って厳重に防御する事など軍事費及び、人的資源から不可能と言っても過言ではない。

上陸戦を進める傍ら、オレロン島とエクス島の中間にある1848年に作られたフォール・ボワヤール要塞島は近代戦に適応が出来ておらず、また無人だったので脅威ではなかったが、次の戦略に為に工兵隊の一部が上陸していた。

またオレロン島から東に18km、県都ラ・ロシェルの南25kmにあるロシュフォール海軍工廠も艦砲射撃による砲撃により、ロシュフォール工廠にて近代改装工事を受けていた装甲巡洋艦アミラル・シャルネも廃艦同然になる。

国防軍はレ島、オレロン島、エクス島の制圧を終えると、95式155o野戦重砲中隊をオレロン島の北部に展開させていく。それからレ島とオレロン島の間近にあるシャラント・マリティーム県の県庁所在地、比較的のどかな地方の街であるラ・ロシェルの制圧に取り掛かる。このラ・ロシェルは政治目的として占領するのだ。上陸する地点はラ・ロシェル市内中心部、旧港地区沿岸沿いにあるモネ通りを超えた先にあるシャリュイエ公園である。シャリュイエ公園は海岸線から30m程であり、エア・クッション型揚陸艇なら容易く侵入する事が出来るので上陸は黒江少将の指揮の下でスムーズに進む。

上陸を終えると部隊は幾つかに分かれて行動を開始した。

その内の一隊はシャルリュイエ公園から東に200m先にあるゴシック様式の門を潜り、15世紀に造られた、八角形の尖塔を有する3つの塔を制圧する。国防軍は、それらの塔の中で最も高く、市内を一望可能な55メートルのツアー・デ・ランテルヌ塔に4名、若干低いサン・ニコラ塔、シェーヌ塔には2名づつの特殊作戦群に所属する狙撃兵を配置した。主要区画を一望する事が出来る塔に陣取った狙撃兵は12.7x99mm弾を使用する5式対物狙撃銃を装備しており、如何なる敵兵でも狙撃できるだろう。

また、これらの狙撃兵は擬体兵の為に、本来ペアとして付く観測員は居ない。

この地区の防衛はフランス陸軍の第12セネガル狙撃兵連隊が担当していたが、まさか日本軍がいきなり市内中枢に上陸してくるとは予想だしにしなかったので、防御態勢は取れていなかった。それでもフランス軍は必死に近隣に展開していた部隊が抵抗線を構築するべく動いて行く。 泥縄的だったがフランス陸軍が日本側の作戦に対して即応する事が出来たのは、日本側によって直後に行われた事前通告の2日前にN機関から伝えられた情報のお陰である。

事前通告と新聞社による過熱気味の報道の結果、
街に住んでいた一般市民の多くが我先へと内陸部に避難している。

また、ラ・ロシェルから西に約120kmには部隊の大半がインドシナに派遣しているアングレーム駐屯地の第1植民地歩兵連隊の根拠地があり、そこからシャラント川を下って1個中隊の兵力がラ・ロシェルに向かっていた。ラ・ロシェルから南に約180kmにあるジロンド県ボルドーのタランスにあるボルドー駐屯地からフランス陸軍の3個大隊からなる第57戦列歩兵連隊が移動を始めている。移動速度からしてラ・ロシェルに到着するのは5日後になるだろう。

諜報機関によって、正しい情報を得ていたフランス軍はそれなりの対応を行えていたが、それでも幸運には程遠かった。

その理由は上陸部隊の先鋒を務める192名からなる1個中隊が通常の部隊でなかった事だろう。すなわち、その部隊は4式輸送機「紅葉」にて大西洋艦隊の本隊から上陸部隊と合流していた二条カオリが率いる特殊作戦用の準高度AIからなる精鋭中の精鋭である擬体化部隊からなる特殊作戦群だったのだ。

装備も全地域型迷彩(ACU迷彩)が全身に施された特殊作戦群用の60式個人防護装備(ガスマスク内蔵、液滴、対微粒子状物質防御機能、一定の敵弾から身を守る機能に加えてATP合成酵素によって動くパワーアシスト用の人工筋肉繊維が組み込まれた強化プロテクター)を装備しており、150kgに上る装備を身につけても活動に問題は無い。この60式個人防護装備はこの世界に来る前から使っている兵装である。

骨伝導マイク・イヤホンを内蔵したTACヘッドセットシステム、主要兵装に多機能照準器を装備した消音装置付き95式小銃(カスタムタイプ)、補助兵装としてレッグホルスターには高性能拳銃であるH&K Mk23の流れを汲んだ60式拳銃が装備されていた。腰には格闘戦を想定したレニウムカーバイト製コンバットナイフがある。また、チェストリグを始めとした弾倉用ポーチが全身に合計6ヶ所あり、それぞれに30発の5.56o弾が装填された95式小銃用の弾倉を収納していた。更に60式拳銃用の弾倉も4箇所設置されている。肩からの腰に掛けて設置されているファステックスにはプレート入りバックパックとポーチが取り付けられており、そこにサバイバルキッドや予備弾薬及び作戦に必要な装備が収納されていた。バックパックの中には消音装置付きサブマシンガンも予備弾倉と共に収納されている。

装備重量を含めると85kgだった。
一般兵から見れば加重装備であるが、擬体からすれば問題はない。

それは60式個人防護装備のパワーアシストが使えなくても変わりはなかった。

このように95式重機関銃や4式ガトリング砲などの重火器も十分に扱うことが出来るものも、黒江とカオリは緒戦のうちは特殊作戦群を地形や建造物を利用した奇襲戦及び、強襲戦にて運用する計画だったので重火器は持ち込んではいない。

この様な存在を相手に対して生身の歩兵が戦うとなれば悪夢に等しいだろう。

特殊作戦群の後続として支援火器を載せた高機動多用途車と共に60式個人防護装備と95式小銃を装備した国防軍の3個歩兵中隊が続く。 此方は中隊指揮官と各小隊長を除いて全てが生身の人間で、帝国軍からの観戦武官としてラザレフ防衛戦にて活躍した秋山好古(あきやま よしふる)大佐と副官の稲垣大尉をはじめとした数人が参加している。また試験的にシーナ・ダインコート大佐が、本作戦が初公開となる倍力装置を備えた全身を覆うX-5A4重機動装甲服(以後、5式装甲服と表記)を装備している1個小隊(48名)からなる機動歩兵部隊を率いて作戦に参加していた。

全地域型迷彩(ACU迷彩)が全身に施され、
各所に多用された曲線形状からなる5式装甲服の威圧感は大きい。

5式装甲服とは、SFでは御馴染みのものだが、これは米防衛高等研究計画局が開発した外骨格パワードスーツを祖先としていた。2008年の原型モデルとも云える祖先から進化を重ねた後継モデルにナノウェアや人工筋肉などの、擬体に使われている技術を取り入れる事で、より実用性を高めたものである。

60式個人防護装備に擬体技術を大きく活用した拡大強化型と言えば判り易いだろう。

この5式装甲服のサイズは宇宙服と同じくM・L・XLの3種類に分かれている。5式装甲服の全高は被弾率を考慮してXLでも2.20m程に収まっていた。また防弾繊維としての役目もある人工筋肉によって、重量物でも軽々と扱えるようになっている。ただし、同等の軍事技術で作られた戦車や戦闘車両には正面から戦っては勝てず、運用にはそれなりの制限が設けられていた。

本機の開発コンセプトは突破戦力ではなく、
空挺堡の確保・維持に於ける重火器の運用や工兵部隊の補助等である。

それでもNATOが定めた装備規格STANAGの耐弾レベル3+(12.7o×99徹甲弾(914 m/s)による200mからの射撃及び155o砲弾の30m先の炸裂にある程度耐える)に達しており、防御力に関しては同等レベルの軽装甲車両に近いものを有していた。防弾服としては高性能と言えるし、工兵として使えば擬体化工兵に迫る力を発揮する。 敏捷性は擬体から劣るものも、純粋な出力に関しては各所に搭載した陽電子反応型電池によって擬体を上回るのだ。

また、5式装甲服に固定兵装は無い。

補給整備や汎用性の観点から、従来の兵装を使う。

腰のマウントアタプターには特殊作戦群と同じく、近接戦用のコンバットナイフを装備し、やや上には消音装置付き95式小銃を備えている。この様に5式装甲服は両手にて、歩兵用兵装を扱えるのは当然として、左手にある兵装マウントには軽車両が搭載している95式重機関銃と4式ガトリング砲のいずれか1基を扱うことが可能だった。

これらの事から航空兵力や主力戦闘車両などの兵器には及ばぬも、
歩兵強化の点からすれば十分な兵器である。

擬体兵が生身で脅威的なパワーと跳躍を見せれば不自然だが、5式装甲服を着た擬体兵ならば機械の力として言い訳が出来る点もあり、国防軍にとっては政治的に都合が良いのも忘れてはならない。擬体兵からなる、特殊作戦群の活躍から目を逸らせるために今回の作戦に参加している。60式個人防護装備を5式装甲服の廉価版として公表することで、その目的をより完璧なものにするのだ。

製造コストは歩兵戦闘車並みに嵩む(それでも完全装備の宇宙服より安価)が、
帝国重工にとって最も大事なのは人的資源である。

もちろん、これら60式個人防護装備や5式装甲服に使われている技術は帝国重工の各兵器と同じくその一切を公開しない。余談だが、各国は5式装甲服に似た兵装を作ろうと試みるも、1世紀以上に亘って、その全てが例外なく欠陥品に終わる事になる。

また、各国に空爆など効果的な対地攻撃の戦訓を早期に与えず、かつ自軍の損害を抑えるためには必要な装備とも云える。副次目的として欧米側の軍事戦略を混乱させ、開発費などの軍事費を浪費させる意味もあった。

余談だが、シーナ達が装甲服に搭乗する際に身にまとうボディラインが良くわかるインナースーツもそれなりの防弾性能を有している。

通信システムを介してカオリとシーナが部隊を有機的に展開させていく。

その上空には黒江少将が乗船する前線司令部が設置された4式大型飛行船「銀河」が飛行している。水城カナエ中佐が黒江の補佐に就いていた。

所定目標を制圧し終えると、カオリは前線司令部(HQ)へと通信機にて連絡を送る。

「HQ(ヘッドクォーター)、こちら デルタ1-1、デルタ1-1。
 戦術グリッド51126-8を確保したわ。
 次の指示を待つ」

黒江から直ぐに返事があった。

「HQ(ヘッドクォーター)より、デルタ1-1へ。
 仏軍2個中隊がロンバール通りから、シャン・ド・マルス広場方面に向けて移動中だ。

 恐らく、その先にある篭城戦に適した市街地、デュパ・ティに向かうのだろう。
 それは避けなければならん。

 デルタ1-1はショドゥリア通り及びオーギュスタン通りに入る前に部隊を率いて敵を殲滅せよ。
 方位(ベクター)2-16-4経路まで脅威は存在しない。
 防御線の構築を終えるまで浸透戦術にて時間を稼げ。以上(オーバー)」

「デルタ1-1、了解(ラジャー)  直ちに迎撃に掛かります。以上(オーバー)」

デュパ・ティとはラ・ロシェル中心街に面する18世紀ごろから発展してきた住宅街であり、商店街には魅力的な店が立ち並んでいた区画で堅牢な建物が多い。また、このオーギュスタン通りからデュパ・ティに掛けて広がる1555番地には裕福な市民のために建てられた地区で、更に歴史的な価値もあって砲撃制圧が行い難い場所でもあった。これらの事から籠城戦に適している場所と言えよう。

カオリは命令を下していく。

「デルタ1-1より全ユニットへ。
 我々はこの戦いを支える英雄になるべく市街戦(アーバンコンバット)に突入する。
 データリンク及び最大ゲインによる行動を許可、
 如何なる手段を用いても接触した敵を掃討せよ。以上(オーバー)」

この県都ラ・ロシェルの地域一帯だけでもフランス軍は1個連隊の兵力を展開させている。第12セネガル狙撃兵連隊は上陸に適した各地に分散配置されていたが、2日もあれば各隊が市内中心部に殺到できる距離だった。連隊主力の攻勢に備える為に、迎撃だけでなく、防御線の構築なども行わなければならない。防衛線の構築を始めるのは、何らかの事情で支援砲撃が途絶えたときに備える為である。

黒江は特殊作戦群による浸透戦術によって敵を混乱させ、
支援攻撃及び機動歩兵小隊と3個歩兵中隊による防御攻勢にて敵を消耗させる計画なのだ。

優れた司令官は常に不測の事態を予想し、それに対する準備を怠らない。
そして黒江とカオリは自軍の優勢な装備に奢ることなく、最善の策を常に用意していた。

特殊作戦群の各員は擬体の出力を上げるべく、
体内にてストレンジ・ナノカタリスト(強化用量子触媒)の循環を始める。

特殊作戦群は1個小隊を予備兵力として後方に残して、残る144名からなる3個小隊は12個の分隊へと分かれた。これらの分隊はカオリが直卒する第1分隊を基点に、各分隊が両脇を固める様に50m間隔にて併進しながら進む。木々や建造物で直接視認が出来なくとも、彼女達にはお互いの位置がデータリンクによって正確に把握する事ができた。上空から戦域監視を行っているSUAV(成層圏無人飛行船)からのパッシブIR(赤外線)センサーのデータが伝えられ、敵の位置が正確に戦術グリッドマップ上にマーキングする。例え敵が屋内に潜んでも国防軍からは丸見えに等しい。

やがてヴェルダン広場を超え、その先にあるシャン・ド・マルス広場にまで後100mに差し掛かる頃、カオリは分隊行動を警戒行動へと切り替えた。センサーにて捕捉していたが、探知漏れを考慮した行いである。第1分隊がシャリュイエ公園やヴェルダン広場からロンバール通り沿って延々と続く森林を通りながら、身を隠しながら移動していく。熟練の隠密行動と視認し辛く描かれた全地域型迷彩(ACU迷彩)によって十分以上の隠密行動になっていた。

警戒行動に切り替えて暫くすると、シャン・ド・マルス広場からルベルM1886ライフルを構えながら南下してくるフランス軍部隊を目視する。偵察を兼ねた先遣部隊の13名からなる1個分隊であった。その先遣部隊は全員が固まるのではなく、13名が傘型隊形にて移動している。50m東側にも同規模のフランス軍分隊が横隊にて南下していた。

ツアー・デ・ランテルヌ塔から連絡が入る。

「デルタ1-1、こちら オスカー2。
 支援攻撃可能。必要なら指示を送られたし。以上(オーバー)」

可愛らしい声だったが、その声の主は狙撃兵として配置に就いている準高度AIだった。

普段は軍務から離れてモデルとして活動していたが、重大な作戦の為に広報事業部による海外撮影の名目で4式輸送機「紅葉」にて、欧遣軍と合流している。彼女のように臨時に参加している準高度AIは、本作戦の参加人員の2割に上る。

そして、ツアー・デ・ランテルヌ塔からフランス軍の分隊が差しかかっているシャン・ド・マルス広場まで約1800mであり、5式対物狙撃銃ならば十分に射程圏内だった。5式対物狙撃銃より旧世代の対物狙撃銃であるバレットM82A1でも2km先の兵士を撃てば、上半身と下半身とが両断して吹き飛ぶ程の威力がある。これが、より進化した5式対物狙撃銃なら自明の事だろう。

カオリは礼を言いつつ、狙撃要請を待機状態とした。
彼女達の出番はもう少し後になる。

「この2隊は恐らくは偵察隊ね……
 デルタ1-1より全ユニット、絶好の機会よ。
 音を立てずに一気に殺るわ」

カオリは奇襲を掛けるべく即座に決断し、無線にて分隊に命令を下す。
最寄りの部隊が対応する。カオリの直卒分隊は傘型隊形にて移動するフランス軍の分隊を担当した。 横隊行動を行っているフランス軍にも特殊作戦群の兵士が攻撃位置に向かう。

命令を受けた第1分隊各員はロンバール通りの脇にある森林に潜みながら、
消音装置付き95式小銃を構えた。

一瞬で勝負を決めるべく、データリンクにより瞬時に攻撃目標を振り分け、それぞれが行動に移る。先に攻撃位置に付いたものも居たが、全員の準備が整うまで待つ。通信にて全員の準備を確認すると、消音装置によって音が抑えられた射撃が静かに始まり、攻撃は直ぐに止んだ。フランス兵はルベルM1886ライフルを撃つことなく、全員が射撃開始から2秒未満の間に頭部及や心臓などの急所を撃ち抜かれて絶命している。データリンクによる恩恵により、このような一糸乱れぬ連携作戦を行う事が出来るのだ。

一つの部隊が一つの意思の下で、誤差なく行動する事が出来る意味は大きい。

かつて、マイク・キーリー大尉が率いる1個分隊にも満たない英国陸軍特殊空挺部隊(SAS)が友軍からの支援攻撃を受けつつ、巧妙な指揮と連携によってオマーンの南部の港町ミルバートにて約250名のアドゥー反乱軍と戦闘した際に死傷者を出す事無く、援軍が到着するまで街を守り切っている実例があった。軍隊に於ける連携の重要性が良くわかる戦闘である。

ともあれ、偵察隊が敵と遭遇すれば、
伝令による伝達か銃声などの音が鳴るのが欧米に於ける常識だった。
反撃すら行えず全滅するのは皆無ではないが珍しい。

数倍の兵力と遭遇しても情報を残す事無く全滅するなどは本来ならば有り得ないし、それに大軍になればなるほど、兵力の隠蔽が難しく、遠くからでも容易に発見されてしまうのだ。兵力の総数は隠せても、存在までは隠せない。偵察任務の役目は敵を撃退するのではなく、敵情を把握する事にある。だが、特殊作戦群は全員が隠密行動と特殊作戦に精通した歴戦の兵士であり、また各隊が12名と少数だったので見つかる可能性は低かった。更に装備自体も優れており、近くまで接近しなければ視認し辛いだろう。

次の命令をカオリは下す。

「敵の目と耳は潰した。
 後続のフランス軍は安全だと思って進んでくでしょうね。
 私たちはこのまま前進し、シャン・ド・マルス広場にて敵本隊を待ち伏せするわよ」

特殊作戦群はフランス軍の偵察部隊を殲滅すると9個分隊を待ち伏せとして配置し、カオリは3個分隊を率いてフランス軍2個中隊の後方へと向かう。この3個分隊は散開しながらも連携しつつ、無防備なフランス兵を見つけ次第、他の兵に見られない様に暗殺して行くのだ。未知の恐怖を植え付ける事こそ、敵兵の足を鈍らせる最良の方法である。

今次戦争に於ける最初で最後の市街戦が本格的に幕を開けようとしていた。
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【あとがき】
更新が遅くなって申し訳ないです。

ともあれ、相手が超高度科学の結晶と言っても過言ではない、軍事用生体サイボーグの集団とは全く予想だにしないフランス陸軍は地獄を見ることに…

また、5式装甲服の製造は歩兵・工兵の強化だけでなく、10年後を目処に行う新規擬体の製造に向けた技術蓄積もあります。


意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2011年03月28日)
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