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帝国戦記 第三章 第07話 『ヤーデ湾強襲作戦』


1905年9月26日 火曜日

巡洋艦「葛城」「筑波」「伊吹」「生駒」「鞍馬」の5隻からなる日本大西洋艦隊の主隊は単縦陣にて商船を避けつつ北海の洋上を攻撃目標であるヴィルヘルムスハーフェン軍港に向けて猛烈な速度にて進んでいた。

北海とは北にノルウェー海、東にノルウェー王国とスウェーデン王国があるスカンジナビア半島があり、スカゲラク海峡とカテガット海峡を挟んでデンマーク王国があるユトランド半島が存在している海域で、その両海峡の先にはバルト海がある。南はドイツ帝国、オランダ王国、ベルギー王国、フランス共和国、西はイギリス帝国に囲まれている。

艦隊の現在地は、かつて海賊の根拠地や密貿易の拠点として活躍していたドイツ北西部の海岸線から70kmにあるドイツ領土ヘルゴラント島の沖合いであった。

攻撃目標であるヴィルヘルムスハーフェン軍港まで約60分という、35ノット(時速64km)で航行する日本艦隊にとっては目と鼻の先の距離である。

これらの艦隊は夜間の内に、全ての識別灯の光を消すまでの徹底的な灯火管制の状態にてイギリス海峡を突破し、北海へと侵入を果たしていたのだ。 国防軍の艦艇のようにレーダー機器が無い葛城には、準高度AIの一人が極めて夜目が利く臨時の見張員として葛城の艦橋の最上部にある見張り指揮所に配置についていた。彼女たちならば夜間でも昼間と同じように見る事が出来るので問題は無い。

そして、帝国軍に所属する葛城が参加したのは、帝国軍にも武勲を上げさせる事と、高野が仕掛ける情報戦略の一つに関係している。サン・バルテルミー島の警護には大西洋に進出してきた護衛艦8隻のうち1隻が島の治安維持を葛城から引き継いでいた。

この日本大西洋艦隊の主隊を率いるのは帝国軍の猛将として名高く、「船乗り将軍」とあだ名された上村彦之丞中将である。高野の働きかけによって臨時の作戦参謀として国防軍の二条カオリ大佐が就いていた。トラファルガー沖海戦の戦果からカオリの実力を疑う者は国防軍のみならず帝国軍にも居ない。

それにカオリは戦前からモデル稼業を始めとした各方面の活躍もあって国防軍だけでなく、帝国軍に於いても人気は高かったのだ。カオリが少数の人員と共に葛城に乗艦した際の将兵達の喜びようは大変なものであった。しかし条約軍から見ればカオリの評価はまるで違う。トラファルガー沖海戦、第一次ブレスト沖海戦で被った損害は戦艦9隻、装甲巡洋艦6隻に及ぶ。人員の損害にしても11298名の中で生存者が11名、生存者がおおよそ1027人に1人という恐るべき戦死率によって、「大西洋の災厄」として恐れられるようになっていたのだ。

しかも戦闘終了後の虐殺などでは無く、単純に戦闘行為のみという結果である。

だがカオリの評価は悪くない。

彼女の美貌に加えて、二つの海戦後に徹底した救助活動を行っていた事が、工作商会の干渉も相まってイギリス海軍を始めとした諸外国から高い評価に繋がっている。外見が優れている事はそれだけで有利に繋がる好例と言えよう。

そして、この大西洋の災厄ことカオリが葛城に乗りこんだのは、不測の事態に備えて葛城に適切な情報を与えるためであった。ヴィルヘルムスハーフェン軍港に隣接する艦隊泊地ヤーデ湾の一帯はドイツ大洋艦隊のお膝元と言っても過言ではなく、沿岸砲台や哨戒部隊も多い。

何故ならば、工廠に加えて北海へと注ぐヴェーザー川の河口に位置する港湾都市ブレーマーハーフェンから更に南下を続ければ、外洋船が入れる水深を持つ内港を有するブレーメン港があった。その周辺にはブレーメン製鉄所、ブレーメン造船所、ヴェーザー造船所がある。特にA・G・ヴェーザー社が保有するブレーメン造船所は戦艦の建造すら可能な大掛かりなものなのだ。エルベ川から通じるハンブルクにもヴルカーン造船所を始めとした重要な生産拠点が幾つも存在していた。現在、装甲巡洋艦ヨルクが建造中であり、順調に建造が進む今では最終艤装に入っている。

また、ブレーマーハーフェン自体も造船業が盛んな土地であった。

要衝といえる地域に攻撃を仕掛けるならば、本来は安全面から艦隊旗艦を葛城ではなく電子兵装の充実した国防軍艦艇の筑波にするべきだったが、これは機密保持の観点から行われていない。

もちろん上村中将は電子兵装について知っていたが、今回の行いは諸外国に対する措置である。同じクラスの艦艇にも関わらず旗艦を変更すれば、旗艦変更の手間を上回るほどに国防軍の艦艇が優れている事を内外に証明するだけに過ぎなかった。

どの様な理由を上げたとしても、高野のような重要人物が筑波に乗っているならともかく、大佐のカオリでは流石に中将の上村が赴くのは誰が見ても不自然でしかない。だからこそ、カオリが機密保持を兼ねて葛城に出向いていたのだ。それに葛城にカオリが居れば、データリンクによって筑波の情報をリアルタイムに得ているカオリが助言や具申という形で情報の提示が出来るので、葛城の情報能力は大きく強化されるだろう。

ただしカオリと筑波の直接行うデータリンクに関しては上村中将でも知らされておらず、骨伝導マイク・イヤホンを内蔵したTACヘッドセットシステムから伝えられる情報として知らせてあった。これによって突発的な情報提供の際にも不自然さが出ない様に配慮されている。

ともあれ日本大西洋艦隊は、相手国を上回る兵器に加えて最新情報を常に入手できる戦略的な優位を獲得していたのだ。

高野は帝国軍の艦艇でも国防軍と同じような事が出来る事を諸外国に証明しつつ、国防軍艦艇の電子兵装を末長く隠匿する情報戦略を打っていた。高野が近視眼的にならずに常に先を見据える能力を持っているからこそ出来る芸当である。

葛城の昼戦艦橋(第一艦橋)の下にある第二艦橋にて上村中将とカオリが各参謀を交えつつ作戦指揮卓を見下ろしながら会話を交わしていた。流石に国防軍の大型艦が使う様なデジタル式作戦指揮卓ではなくアナログ式だったが、手間さえ惜しまなければ機能に於いて決定的な不足では無い。

余談だが、この第二艦橋は将来に於いて夜戦艦橋になる予定である。
カオリが状況を説明している。

「以上が航空偵察によって入手しました湾岸の様子になります。
 現状からして我々の強襲に対して即応可能な艦艇は3.4隻が限度でしょう」

「となれば事前計画通りに第一目標が周辺の湾岸砲台、
 第二目標がドイツ大洋艦隊の艦艇だな」

「ええ、それらを終えれば念入りに工廠や乾ドックを叩く事が出来ます」

「しかし改めてドックの数が多いな。
 流石は列強と言ったところか」

「はい。それにこの地域は昔から造船業が盛んですから」

教育者であり礼儀を心得ているカオリは上村中将に対して失礼が無いように接していた。
付近に敵対者が居らず、かつ戦闘時でない状態のカオリは人当たりがいい。

上村中将がカオリに質問する。

「諜報員からの情報通りエルザースは整備の為に乾ドックに入渠中で間違いないか?」

「こちらはヘッセンと共に確認済みです。型距離測定器の換装を行う為にブレーマーハーフェンにあるカイザー工廠にて艤装工事を行っており、例え今からドックに注水を行ったとしても作戦中は出港可能な状態には達しません。攻撃は湾岸砲台や稼働艦を叩いた後でも問題は無いと判断します」

カイザー工廠(造船所)は幾つかの乾ドックを有しており、1899年に作られた煉瓦と花崗岩の枠にコンクリートを流し込んで作られた1号ドックでは長さ222m、幅25m、喫水10mの規模を有していた。付近の水深も深く、大型艦の建造に適している。流石はドイツの主要造船業の一つであった。 2号ドックも似たような規模であり、他のドックを入れればかなりの規模と言えるだろう。そして、そのドックに入渠しているエルザースとヘッセンはブラウンシュヴァイク級戦艦の2番艦と3番艦である。ドイツ帝国海軍の最新鋭戦艦であり、これらを失えば受ける打撃は大きなものとなるだろう。また1番艦のブラウンシュヴァイクはキール軍港にいる。

「同感だな。
 身動きの取れない戦艦など物の数ではない。
 ドックの中から反撃してきたとしても、優先順位を繰り上げて叩きつぶせばよいだけだ」

「ただし、可能な限り市街地に対しての砲撃は慎むべきでしょう。
 彼らの恨みを必要以上に買う必要はありません」

「そうだな。
 攻撃は軍関連の工廠や湾岸設備に制限しよう。
 もっとも攻撃圏内に軍艦が停泊している港があれば遠慮はしないが」

参謀達が頷く。

勇猛果敢な闘争心に満ちている二人であったが、民間人に被害が及ぶ事を極度に嫌っている事が良く分かるやり取りである。この世界では起こらなかったが、上村中将は日露戦争の蔚山沖海戦後に行った敵兵に対する救助活動は海軍軍人の手本として各国に伝わった程であった。

壁側に設置されている艦内電話が鳴った。控えていた参謀の一人が鈴が鳴り響く受話器を取り、幾つかのやり取りを終えると参謀は受話器を戻す。

受話器を戻し終えた参謀が口を開く。

「飛行船によるビラ配布を終えたと無電があったそうです。
 これで全ての準備が整いました」

「御苦労。
 変針点まで後15分…そろそろ昼戦艦橋に戻るか」

参謀からの報告通り、国防軍は念には念を入れて、4式飛行船「銀河」にて攻撃地点となる各所にビラによる退避勧告を行ったのだ。その内容を要約すると「1905年9月26日12時以降、ドイツ帝国及び、フランス共和国の軍港及びその一帯にある造船所などの軍事転用可能な施設を攻撃対象とする。戦争被害を限定するべく軍属以外は退去せよ」という内容である。大西洋にて有力でかつ、条約側の戦力では対抗不可能な日本艦隊が跳梁跋扈している現実からして、もはや笑い話で済む様な領域ではなかった。

また、情報に関して徹底している日本側は黙殺や情報操作が出来ない様に予防策も実行済みである。この同時刻に加藤高明(かとう たかあき)駐英公使がイギリスに駐在する駐英ドイツ臨時大使ヘルマン・フォン・ エッカルトシュタインと駐英フランス大使ピエール・カンボンにも同様の内容を外交文書として手渡していた。またその外交文書の一部を英国を始めとした各国のマスコミにも公表する徹底ぶりだったのだ。

念には念を入れて日本国内のドイツ公使とフランス公使にも同様の措置を行っている。

戦争相手国の軍事産業を攻撃するのは当然の行いと言えたが、日本帝国は敢えて奇襲のチャンスを捨ててまで攻撃の事前通告を行ったのは、人道的配慮から軍事施設の内部及び周辺から民間人が退去する余裕を与えるのが目的であった。これには戦後戦略をも考慮している。

また戦争相手国の領事館が日本国内に存在していたのは、日本帝国が国外退去を命じていないからである。流石に各自の行動に対しては一部制限が付けられていたが戦争相手国と考えれば極めて寛大な処置と言えるだろう。

こうして後にヤーデ湾強襲戦と呼ばれるようになる拠点攻撃が行われようとしていた。

余談だが、このような人道的大破壊は、後の日本軍に於けるお家芸となっていくのだ。




針路を変更し、南下を続けた日本艦隊はやがて作戦海域に到達する。

日本艦隊はビラ撒きを行った4式飛行船「銀河」と各艦から発艦した4式輸送機に先導されるようにヴェーザー川とヤーデ湾の海域が交わる海面を南下して行く。ここに至るまでに警戒任務に就いていた海防戦艦オーディンを一撃の下でヴァルハラへと送り届けていた。北欧神話の主神の名を冠した軍艦であったが、葛城級と戦うには余りにも旧式過ぎたのだ。

更に防護巡洋艦「フラウエンロープ」「イレーネ」を撃沈し、ヴィルヘルムスハーフェン、ブレーマーハーフェン、ブルンスビュッテル等の要港を守っていた湾岸砲台群を撃破していた。また湾岸砲台の破壊には、旅順要塞戦で活躍した3式汎用弾が使われている。

「面舵いっぱい!」

葛城の昼戦艦橋にて上村中将が命令を下し、それに応じて艦隊は進行方向右側へと針路を変更する。艦隊の針路はヤーデ湾に対して正面から接近する形になった。もちろん直接、ヤーデ湾には侵入しない。湾岸施設から18kmの地点で左舷を岸に向けるように変針する。ブレーマーハーフェン側にかなり接近していたが、此方側の深水は深く艦隊行動に適していたのだ。それに、飛行船からもたらされる観測情報があるのでこの距離で十分だった。

すでに大口径湾岸砲台の全てが無力化されており、
飛行船からの情報が有る限り安全圏に等しい。

カオリはSUAV(成層圏無人飛行船)からの情報及び、データリンクによって得た情報を組み合わせつつ、簡略ながらも必要な情報を理想的な優先度にて振り分けて的確に伝えていく。

また、先ほどビラを撒いた4式飛行船「銀河」には航空偵察を行っている様に振舞う任務もあった。つまりSUAV(成層圏無人飛行船)を隠す為に存在しているのだ。更に攻撃模様の撮影を行い、艦隊による攻撃が軍事施設に絞られたものである事を証明する任務もある。この撮影には4式輸送機「紅葉」も決して被害を受ける事の無い高空から参加していた。

これらの情報を受け取った上村中将は満足そうに答える。

「やはり空からの観測情報とは便利だな。
 命令! 艦隊新針路、取舵15度、第一戦速に落とせ!
 左舷主砲戦及び、統制射撃戦用意!」

「宣侯(よーそろー)」

航海参謀が艦隊針路の変更を終えると、砲術参謀の言葉が続く。

「諸元入力良し!
 主砲発射態勢に入ります」

「撃ち方始め!」

上村中将の号令により、5隻の葛城級が有する合計14基(生駒はトラファルガー沖海戦での被害により第三砲塔が使用不能)もの3連装155o砲が砲撃を開始し、合計42発の155o砲弾が敵艦へと向かって行く。各巡洋艦の主砲は統制射撃装置によって同一口径主砲を単一の指揮系統にて運用していた。これは斬新な考えでもなく公算射撃より古い軍事思想である。

ブローム・ウント・フォス社のハンブルク造船所にて1902年に竣工した戦艦カイザー・カール・デア・グロッセが停泊していた桟橋からようやく低速にて動きだす。この時代の戦艦は出力を待機状態にまで落としてしまうと蒸気ピストン機関に蒸気を送り込んで艦艇を動かすまで時間が掛るのだ。 無情にも速度が上がりきっていないカイザー・カール・デア・グロッセの船体に日本艦隊から放たれた特殊レニウム外郭徹甲弾が降り注ぐ。全長125.3mの船体を有するカイザー・カール・デア・グロッセが4ノットに達した時、3発の特殊レニウム外郭徹甲弾がカイザー・カール・デア・グロッセの各所に命中した。約7%の命中率である。

3発と言えども、その被害は小さくは無い。

熱励起による大火災によってクルップ製150o単装速射砲の弾薬庫が誘爆し、船体各所で発生した大火災が発生する。ただでさえ低速だったカイザー・カール・デア・グロッセの速度が更に落ちた。速度が落ちた戦艦に対して日本艦隊からの第二射が飛来する。そのうち5発が直撃し、10秒程して火災による熱に耐えきれなくなったのかカイザー・カール・デア・グロッセは船体が内側から破裂し、主砲弾薬庫から大爆発を起こす。閃光と共にどす黒いキノコ雲、更に厄介な強烈な衝撃波を発生させ周りの戦艦などに被害を及ぼしていく。

その爆発の様子は20kmも離れた日本艦隊からも観測できた。

昼戦艦橋にもある作戦指揮卓の上に広げられたヴィルヘルムスハーフェン軍港近辺の湾岸地図にはドイツ側の艦や重要拠点を示す無数の駒が並べられていたが、参謀の一人がそこから戦艦を示す駒の一つが撤去して、代わりに地図の上にペンにて爆沈時間を記入していく。

「先ずは1隻だな。
 真っ先に機関を始動させていたもう2隻はどうしている?」

「ヴェルト、バイエルンともに動く気配なし。
 ボイラーに十分な熱が行き渡っていないと判断します」

上村中将にカオリは即答した。

彼女は各艦の赤外線情報も把握しており、
どれ位の時間で航行に十分な機関出力に達するかが判っている。

対するドイツ側の状況は深刻そのものであった。何しろ、もっとも早い段階でボイラーに火を入れていた戦艦ヴェルトですらも動き出すには後15分の時間を必要としていたのだ。他の艦艇では後30分以上は掛るだろう。

「動けぬところ気の毒だな」

「ですが戦争です」

「もちろん抗戦の意思がある限り手加減はせん」

上村中将は隠しようもない闘志を漲らせた表情で応じた。

20秒程して日本艦隊から再び砲撃が行われる。戦艦ヴェルトを先ほどの戦艦と同じく爆沈へと追い込み、装甲艦バイエルンに1発の直撃弾を与えて行動不能に追い込んだ。装甲艦程度ならば大破させてしまえば残しておいても害は無い。より戦力価値のある高価目標を撃沈した後で余裕があれば沈めば十分である。そもそもバイエルンは沿岸部防衛を目的としたザクセン級装甲艦の2番艦であり、無力化さえしてしまえば日本艦隊の脅威には為り得ない。

日本艦隊が次の砲撃目標に向けて動く中、
上村中将とカオリの視線は作戦指揮卓にある湾岸地図にある2つの駒に注がれていた。
この二つは戦艦を表す他の駒に比べて若干デザインが違う。

「これで邪魔な存在は消えましたわ」

「早速だが、ドイツ海軍の新鋭戦艦を叩くとするか」

「ええ、エルザースとヘッセンの弾薬庫を破壊せしめれば、
 その爆発力によってドックに大損害を与える事が出来ます」

「一石二鳥と言うべきか…手間が省けて結構なことだ」

カオリが言うように乾ドックに入渠中であっても戦艦の弾薬庫は空では無い。例えドックに入渠しても余程の事が無い限り一度入れた弾薬は弾薬庫から出さないのだ。多くの場合に於いてイギリスやフランスでも同じである。

日本艦隊の主砲塔が左舷から右舷へと旋回を始めた。
ヴィルヘルムスハーフェン側からブレーマーハーフェンへと主砲射線軸が移動する。

日本艦隊からの砲撃が行わるたびにドイツ海軍の中核を担うはずだった2隻の新鋭戦艦は、既成の芸術概念や形式を否定し、革新的な表現をめざす芸術品―――つまり前衛的芸術作品へと変わっていく。やがて日本艦隊からの砲火による被害が弾薬庫へと及ぶと不純物が混在した鉄屑となる。弾薬庫誘爆の衝撃波によってカイザー工廠の乾ドックにあった工廠の象徴とも言えるガントリークレーンが崩壊する。

ブレーマーハーフェンに対する砲撃を8分ほど行った後、
再び日本艦隊の主砲射線軸がヴィルヘルムスハーフェン側へと向く。

ヤーデ湾の北部のシリヒ泊地から停泊していたドイツ軍艦船に向けて日本艦隊による砲撃が始まった。防護巡洋艦、軍用曳船、軍用輸送船の海軍の艦艇を沈めていく。砲撃はやがてヴィルヘルムスハーフェンとヤーデ湾を結ぶ2箇所の運河を支える閘門に至り、これを破壊する。閘門を破壊し終えると、次はヴィルヘルムスハーフェン海軍工廠にも砲撃は向けられた。ここには起工が始まったばかりのドイッチュラント級戦艦3番艦「ハノーヴァー」の船体があり、施設共々、砲撃によって徹底的に破壊されていった。

こうしてドイツ海軍は日本艦隊による徹底的とも言える艦砲射撃によって、

戦艦
「エルザース」
「ヘッセン」
「カイザー・ヴィルヘルム・デア・グロッセ」
「カイザー・カール・デア・グロッセ」
「ヴェルト」

海防戦艦
「オーディン」
「ヒルデブラント」
「ハーゲン」

防護巡洋艦
「ニンフェ」
「テーティス」
「フラウエンロープ」
「イレーネ」

これら戦艦5隻、海防戦艦3隻、防護巡洋艦4隻と軍用曳船3隻、軍用輸送船5隻が撃破・撃沈となる。その他にも被害を受けた艦艇も多い。またヤーデ湾の係留施設という船舶の引き揚げが容易な場所で沈んだ軍艦も、その多くが弾薬庫の誘爆によって船体各所が内部から破壊されており、例え沈んだ艦艇のサルベージを行ったとしても修理が出来るような状態ではなかった。被害を受けた艦艇には戦力価値が下がった旧式艦が多かったが、ここまでの被害ともなれば慰めにもならない。攻撃を受けた一帯に広がっていた工廠施設の壊滅も大きく響いている。

これによってドイツ側に残された第一線級の艦隊戦力は戦艦5隻、装甲巡洋艦2隻、装甲艦3隻、海防戦艦4隻、巡洋艦2隻、防護巡洋艦13隻までに減少する。単独で日本大西洋艦隊と戦うには明らかに戦力不足であった。

今回のドイツ大洋艦隊の大打撃と、ヴィルヘルムスハーフェン周辺に於ける造船施設の損失は、ドイツ皇帝の命により、艦隊法を推進し、艦隊の整備と増強を進めてきたドイツ海軍総司令官エデュアード・フォン・カペル大将にとっては大変なショックだったに違いない。

ドイツ帝国は艦艇や施設などの損害もさることながら、受けた精神的衝撃は政府・国民を問わず想像以上だった。帝国にとって青天の霹靂と言うべき大事件である。

一部の人々は報復論を訴えるも、日本側が行った民間人に対する被害を避ける為の事前警告による攻撃と言う高貴なる行いが、そのような強硬論が拡大するのを抑えていたのだ。これには工作商会による暗躍も少なからずあったが、より多くの人々がこれ以上の被害を抑えるべく、対日講和を真剣に議論するようになる。
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【あとがき】
ドイツ帝国は艦隊法によって整備を推し進めた艦隊戦力を喪失。その被害は第二次艦隊法によって建造された戦艦にも及びました。艦艇よりも造船設備の損失は大きく、損失回復には1年〜1年半ほど掛かるでしょう。大雑把に見積もって艦艇生産力は2割ほど減少かなぁ…

欧州の表現で現すならば、「騎士道精神に則った戦い」ですね。

ハンブルクやブレーメンは十分な水深からなる優良港と、軍艦の建造を行える造船設備を有しており、また日本艦隊がヤーデ湾から川を遡ればこの両方を叩くことは可能でしたが、将来を見越して攻撃は行いませんでした。


意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2011年03月05日)
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