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帝国戦記 第三章 第04話 『領有宣言』 中編


時間こそは、最もユニークで乏しい資源である。

ピーター・ファーディナンド・ドラッカー





1905年9月6日 水曜日

日本帝国による北極地域及び南極地域の領有宣言から1日が過ぎていた。日本国内では北極点に到達した福島大尉と南極点に到達した白瀬中尉の偉業を讃える話題で持ちきりである。また後押しするように帝国重工は日本各地にある支社ビルと帝国重工系列の大型公園に設置されている大型スクリーンでは両極を科学的に説明する特別番組を放送し続けていた。

お祭り騒ぎの日本帝国に対してアメリカ合衆国では、アメリカ義勇艦隊の壊滅、激しさを増す米比戦争という暗い話題が多い。明るい話題はそれなりにあったが、暗い話題の内容を前に色褪せていたのだ。ホワイトハウスにある大統領執務室にて大統領のウィリアム・マッキンリーが、外交のみならず通商や国家行事に権限を持つ、エリフ・ルート国務長官から、日本の領土宣言に関する報告を苦々しく聞いていた。

「奴等は中部太平洋だけでは飽き足らずに北極圏と南極圏にまで進出していたのか…
 ええい、腹立たしい!
 グアム、トラック諸島らを抑えられ、更には両極までとは!
 ……なんとかならぬのか?」

「不可能であります。
 日本の国際社会における発言力は軍事力の発展により、
 列強に準じる程になりました。

 それに彼らの領有宣言を認めなければ、
 フィリピンにおける我が国の支配権も怪しくなります。
 いえ。それだけでなく、
 無人のミッドウェー島ですら領土外になってしまう可能性も皆無ではありません」

「うっ……」

「しかも日本は南極圏と北極圏の領有宣言を行うだけでなく、
 基地すら建設しています。
 現段階でイギリス、アルゼンチン、トルコが承認に向けて動いており、
 他の国が続くのは時間の問題でしょう」

「アルゼンチンやトルコはともかく、
 あの傲慢なイギリスまでもが承認するつもりなのか……」

「仕方がありません。
 かつての日本と違い、今では世界第二位の海軍力を保有し、
 世界の3割以上の海洋を支配に置く国へと成長しています。
 それに日本の領有宣言には不備は見当たりません」

「……忌々しい」

何しろ日本帝国の占有を否定するべき根拠は、何処を探しても無かった。領有宣言と同時に公開された情報からして徹底している。国家の領土としての根拠を有する占有に関して、日本の行動は非の打ち所の無い程の行いだったのだ。それに経済的な利益が乏しい事も表立って反対しなかった理由の一つである。何を行うにしても環境が厳しすぎるのだ。それに、下手な反対は自分たちの植民地支配体制に取り返しにつかない傷を残す事にもなりかねなかった事も大きい。

日本は条約側との戦争を有利に進めるだけでなく、戦時下にも関わらず経済を確実に伸ばしている事も諸外国の評判を高めていた。安定した政権下にある強大な海軍力と勤勉な労働力。そして帝国重工が有する世界最先端の技術力。諸外国が関係悪化を避けようとするのは当然の結果であった。

ルート国務長官は大統領を宥める様に言う。

「幸いにも国力に関しては我々が圧倒的に有利に立っています。
 そして我々は産出国であり、彼らは資源輸入国でしかありません。
 最終的な有利は揺るがないでしょう。
 時間は我々に有利に働きます」

「確かにな。
 最後に勝つのは我々だ」

ルート国務長官が報告を続ける。

「ところで……閣下、フィリピン戦線の状況は思わしくありません。
 一旦撤兵させるべきではないでしょうか?」

「駄目だ!
 兵を引けば諸外国に侮られる。
 それに撤退したとなれば支持率が落ちてしまう。
 確かに苦戦はしているが、戦況は此方に傾きつつある、あと一歩なのだ!
 来月には増援部隊が現地に到着する。これで年内にはカタが付くだろう」

ルート国務長官が言うように米軍にとって米比戦争は苦戦の連続だった。フィリピン軍の実態はゲリラ部隊にも関わらず、M1893ライフル、ホッチキスMle1897重機関銃、6インチ砲からなる火器で武装し、陸上兵力の正面火力に於いてアメリカ側を上回っていた事が原因である。また、度重なる戦艦購入と米西戦争により逼迫していた財政による軍事費不足からくる現地の医療品不足も、兵員の消耗に拍車を掛けていた。

「……判りました。
 ところで、話は変わりますが、一つ気になる情報があります」

「…言ってみよ」

「ブラジルがイギリスから戦艦を購入するかもしれません」

「何だと!」

「すでに英国のチェンバレン議員が現地入りしている模様です」

ルート国務長官から報告を聞いたマッキンリー大統領は
苦虫を噛み潰したような顔をする。

アメリカは史実を同じく対外的には海軍力を盾に米国利権を南米に広げようとカリブ海政策の準備を前々から水面下にて進めていたが、日本海海戦によるアメリカ義勇艦隊の壊滅によって、その計画は大きな修正を余儀なくされていた。主力艦の7割を喪失するという、激減した海軍力のままで砲艦外交を行っても効果は薄い。

そのような状況でブラジルが戦艦を保有すれば、アメリカが進めようとしていた南米政策 の障害に為りかねなかった。それにブラジルが保有すれば、チリやアルゼンチンも黙っていないだろう。ブラジル、チリ、アルゼンチンは南米に於ける大国であり、其々が対立しているのだ。軍拡競争は避けられない。イギリスの老獪かつ狡猾な外交はアメリカ戦略を紳士的に妨害していく様子を見せつつあった。














史実と変わりなく南米諸国の軍備競争は世紀の変わりめ頃から徐々に激しさを増していた。

まず、1901年にチリが、アルゼンチンに対抗しようとして、アームストロング社に2隻の戦艦の建造を依頼し、財政難の末に「コンスティチュシオン」「リベルタード」として購入していた。同年代の戦艦を小型化し、装甲の一部を削減した代わりに速力を増加した艦である。 史実ではスウィフトシュア級戦艦と呼ばれた戦艦であったが、この戦艦はアルゼンチンとの危機が回避されたためにチリ海軍に於いて戦艦の必要性が薄れたのと、建造中に財政難に陥ったチリからイギリス帝国が日露戦争の際にこれらの戦艦がロシアの手に渡らないように「スウィフトシュア」「トライアンフ」として購入していた。

しかし、この世界では日英同盟が結ばれておらず、
対日支援を行う必要が無かった事もあり、イギリスはこれらの戦艦を購入していない。

ロシアに於いても同じである。

戦前から海軍戦力の拡張に奔走するロシアが、チリ戦艦の購入を行わなかった理由は、防御に不安がある事と1900年に日本から有力な2隻の富士級戦艦を購入しており、改めて戦艦を購入する必要性が無かった事が大きい。また開戦後では日本との戦端が開かれると小型戦艦では能力不足なのと、南米から戦艦を運び込む労力を考慮した結果であった。

ともあれ、アルゼンチンもイタリアから装甲巡洋艦「ヘネラル・ガリバルディ」「ヘネラル・サン・マルティン」の2隻を買い付けており、ブラジルに於いても1904年度の海軍拡張計画にて、戦艦3隻、装甲巡洋艦3隻、駆逐艦6隻、水雷艇12隻を追加整備するという大規模な軍拡に向けての軍事費を調達するなど、軍拡競争の土壌は出来あがっていたのだ。

しかし、南米諸国が軍拡計画を着実に進めていく中、
大きな衝撃と同時に打撃を受ける事になる。

日本帝国が作り出した葛城級や長門級という新世代の戦艦の登場によって、各国が莫大な金を投じて拡充を図ってきた既存の戦艦群だけでなく、建造中の戦艦ですらも二線級の戦力へと格下げとなってしまう。もちろん、チリが整備した2隻の戦艦やアルゼンチンが整備した2隻の装甲巡洋艦も、その運命から逃れれる事は出来ずに、それぞれが新鋭艦でありながらも旧式艦を余儀なくされていたのだ。

そのような情勢下にて、イギリス帝国の議員であるチェンバレンは南米のブラジルの海軍省にて会談を行っていた。会談の目的は1904年度のブラジルの海軍拡張計画に伴う英国戦艦の販売である。またチェンバレン議員と会談するのは、ブラジル海軍のファリアス・デ・アレンカー大将とドゥアルテ・デ・バセラル中将であった。史実に於いて後にアレンカー大将は海軍大臣になるほどの要人である。

アレンカー大将はチェンバレン議員から見せられた仕様書を見て言う。

「これは昨年に竣工したばかりのフォーミダブル級戦艦を改装したものですか!」

「その通りです。
 これによりブラジル海軍は、
 南アメリカに於ける最強の海軍戦力を保有する事になるでしょう。
 数が同等ならば今のアメリカ海軍にも勝りますぞ」

「305o連装砲では無く、あえて234o連装砲に変える理由は?」

「日本海海戦の戦訓からです。
 口径が小さくとも投射量さえ増やせば十分な効果が得られる事が判っています」

「なるほど……
 確かにあの海戦では155o砲クラスが大活躍していたらしいな」

「はい。それに関しては条約側も認めており間違いは無いでしょう。
 ともあれ、射程と発射速度を増やすべく、日本の葛城級よりも大口径でかつ、
 発射速度も毎分3〜4発の50口径234o連装砲に換装します」

チェンバレン議員が恭しく言う。新開発の砲では無く、イギリスにて建造が進められているマイノーター級装甲巡洋艦と同じ連装砲である。あえて234o連装砲に換装する本当の理由は戦訓ではなく、アームストロング社に砲製造分の仕事をふるためであった。また改装予定の戦艦として候補が上がっているのは他のフォーミダブル級戦艦よりも装甲の厚みが薄く喫水が浅く、浅瀬や河川での運航に適しているロンドン、ブルワーク、ヴェネラブルの3隻である。大きな改装工事として主砲換装の他には艦首の衝角を廃止し、クリッパー型への変更とレシプロ蒸気エンジンから戦艦ドレッドノートで採用された小型軽量大出力な蒸気タービン機関(パーソンズ式直結タービン)へと換装が行われる予定である。

「中間砲を廃止するなど、新時代の水準に適応しているとはいえ、
 搭載兵器や機関の換装費が28万ポンドですか…
 …船体価格を合わせれば、価格は幾らほどになりますか?」

バセラル中将が尋ねる。
それに対してチェンバレン議員は即座に応じた。

「1隻あたり86万8000ポンドになります」

「うむ、その価格で買えるなら悪くない。
 その価格ならば軍事予算にも余裕が出る。
 今回の軍拡は大統領閣下も乗り気だからこの案で通るだろう」

アレンカー大将は上機嫌に言った。

彼は昨年の暮れからチェンバレン議員の命を受けたイギリスのアームストロング社に勤める営業のユースタス・テニスン・ダインコートによるもてなしもあって、彼の考えはイギリスの改装戦艦に大きく傾いていた。アームストロング社は史実と違って戦艦「鹿島」「初瀬」を始めとした艦艇受注を日本帝国から受けておらず、企業を維持するためにも利益を上げなければならなかった事も大きい。またアームストロング社と同じロスチャイルド系の企業を加味すれば、主力艦だけで戦艦「香取」「三笠」「朝日」「敷島」、装甲巡洋艦「出雲」「磐手」「吾妻」「八雲」「浅間」「常磐」の注文を逃している。

何しろ改装による売却が成立すれば、改装用の装備品の7割がアームストロング社にて生産が行われる。その利益は大きく、アームストロング社の姿勢は本気そのものであった。

「なるほど……」

アレンカー大将の気持ちに反してバセラル中将は決めかねていた。

確かにバセラル中将から見ても仕様書にある改装案は無難なものである。また改装元のフォーミダブル級戦艦もアメリカがイギリスから購入したロイヤル・サブリン級よりも強力な戦力なのも確かであった。それにフォーミダブル級はロイヤル・サブリン級と比べて艦齢も9年も新しい。

バセラル中将は思う。

(チリとアルゼンチンが既存の旧式の主力艦しか保有していない中で、
 改装艦とはいえ新時代に適応した船を持つ意義は大きい…
 だが日本の葛城級と比べると、
 どうしても見劣りしてしまう気がしてならない)

ネゴシエーターとしても優秀なチェンバレン議員はバセラル中将の揺らぎを敏感に感じ取っており、状況を好転させるべく切り札を切り始めた。

「もし、ここで3隻の改装艦を購入して頂ければ、
 我が国の戦艦建造が落ち着く3.4年後には、
 貴国に対して3隻ほどの戦艦を優先して建造する事をお約束しましょう。
 その頃になれば、あの長門級を超える戦艦も我が国で誕生しているでしょうな」

「なん…ですと!」

「…つまり、今回の3隻は、費用効果が悪化したのが否めない、
 予備役艦として候補があっている装甲艦や、
 旧式化が著しい中央砲門艦の代艦として4隻の購入を行うのです」

「確かに合理的ではありますが……」

バセラル中将は渋々ながらチェンバレン議員の言葉を認める。

チェンバレン議員が言うように、ブラジル海軍では主力として活躍していた装甲艦アキダバンは、7年前にドイツにて近代改装を終えたばかりにも関わらず、日本海海戦の結果、戦力不足となり、予備役艦の候補として挙がっていたのだ。

そしてブラジル海軍の規模はそれなりに大きい。長年の対立国である、隣国のアルゼンチンを圧倒すべく、装甲艦2隻、海防戦艦6隻、防護巡洋艦4隻、巡洋艦2隻、水雷巡洋艦5隻、の19隻を保有している。それだけに代艦の手配も大きくなるのも当然であろう。

史実に於いてもブラジル海軍はイギリスのアームストロング社とヴィッカース社にて建造された弩級戦艦のミナス・ジェライス級戦艦「ミナス・ジェライス」「サン・パウロ」を南米諸国で始めて保有しているのだ。

チェンバレン議員は言葉による攻勢を強める。

「その暁にはブラジル海軍は世界最大最強の戦艦を手に入れる事になるでしょう。
 最新鋭戦艦3隻、改装戦艦3隻からなる有力な艦隊、
 いやはや、心が躍りますなぁ」

珍しく小さくも笑顔を浮かべているチェンバレン議員の言葉が続く。

「そうそう…言い忘れましたが、
 今回の改装戦艦3隻を購入して下されば、
 英国政府は換装にて下ろす6基の305o連装砲に加えて、
 練習艦として装甲巡洋艦のオーランドを無償提供しますぞ」

装甲巡洋艦オーランドとはオーランド級装甲巡洋艦の1番艦で、かつて中国艦隊として活動していたが、今では予備役艦となっている艦艇である。

「それは真ですか!?」

「偽りはありません。
 また6基の305o連装砲は湾岸砲台としてお使いください」

チェンバレン議員の言葉は大口径砲から撃ちだされた徹甲弾のように、
二人の心の奥底に鋭く突き刺さった。

礼儀正しい紳士のように振舞いつつ、チェンバレンは思う。

(ふっふっふっ……
 貴様らが購入すればチリやアルゼンチンは否応にも軍拡に走るしかない。
 それによって、我らの兵器がより良く売れる…有難いことだな。

 そして時間を置いてチリやアルゼンチンに旧式戦艦を高値で売り付ける。
 我々は適度に旧式戦艦を処分しつつ、その資金にて新鋭戦艦を建造してゆく。
 同じく戦艦を欲していたギリシャも改装戦艦の購入には前向きだ。
 このような時期に新たな戦艦水準を定めた日本には礼を言いたいぐらいだな…)

チェンバレン議員は練習艦として旧式とはいえ装甲巡洋艦を押し付けたのは、改装戦艦の購入後押しに加えて、南米に軍拡の火種をまく事にあった。軍拡競争によって生じた戦艦需要に応じて旧式艦を売り払っていく。また、最新式の蒸気タービン機関を先行して3基生産する事で問題点を洗い出し、更には量産効果による価格低下をも狙っている。それでいて、目障りなアメリカによる南米政策も妨害できるのだ。

また改装戦艦の売却費には装甲巡洋艦オーランドの金額が最初から含まれており、
イギリス帝国に大きな損は無い。

これらの事からチェンバレン議員が上機嫌なのは当然と言えた。

会談のペースはチェンバレン議員の思うままに進み、その結果、ブラジル海軍では史実より半年も早く装甲艦リアシュエロだけでなく、中央砲門艦「ブラジウ」「バイア」などの旧式艦が予備役艦として編入される事となる。その代艦として、ブラジル海軍は1904年度の海軍拡張計画にて用意された軍事費(装甲巡洋艦3隻分から予算を捻出)から3隻の改装戦艦がイギリスへと発注する事となった。そして、ブラジルによる戦艦購入はチリとアルゼンチンを大きく刺激する事になる。

南米に於ける軍拡競争の幕開けであった。
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【あとがき】
他国に感謝されつつ、自国の利益を得ていくチェンバレン議員。
冷酷かつ現実主義者の愛国者は手強いです。

史実に於いてアメリカが南米に於いて得るはずだった戦艦売買による利益はイギリスのものへとなっていくでしょう。ただし、南米軍拡競争はブラジル以外はイギリスが思い浮かべる展開からかけ離れていく事に……


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(2011年01月12日)
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