帝国戦記 第二章 第44話 『戦後計画 2』
殆どの経営者はその時間の大半を、
過ぎ去ってしまった昨日の問題を解決することに費やしている。
ピーター・ドラッカー
高野、さゆり、はるな、イリナの四人は、山縣を客人として迎えて幕張地区にある高野邸のテラスにてほうじ茶を飲みながら話し合っていた。
また高野邸は清らかな清流が流れる緩やかな丘の上に建っており、そのテラスから見える風景は最高である。それもその筈、賓客をもてなす上で考え得る最高の立地条件で建てられていた。高野邸からは国土開発事業部が幕張市として凝りに凝って作り上げ、完成度は日々高まっていく上品な街並みが見えるのだ。
その幕張市の出来具合は未完成であっても未来的な都市でありつつ、ポストモダン近代建築様式に近代日本様式を組み込んでおり、十分な魅力を有していた。
高野邸のテラスからは幕張地区の中心地にて本社ビルとして建設が進められているガラスカーテンウォールの超高層ビルが半分ほど出来あがっているのも確認できる。しかもそれだけでなく、植林と整備によって荒れ地から小さな高原に整備された土地やお洒落な公園も見る事が出来るのだ。
高野邸は超一等地だけに賓客を持て成す絶好の館と言えるだろう。
このような高野邸のテラスにて、はるなとイリナは会話には殆ど参加せず、7頭のニホンオオカミと熱心に遊んでいる。これらの狼は、さゆりと共に生活していた3頭が子供を産んだ事によって増えていた。そして例外なく高野やさゆり達に懐いている。その有り方は懐き様からして、狼であったが犬に近かった。
またテラスの周囲は上品な柵で囲まれていたが、ニホンオオカミが隣接する高原と自由に行き来が出来るように工夫されており、どんなに元気良く高原で遊んでいても高野達がテラスに来ると嬉しそうにやってくる姿が愛らしい。
高野と同じく最高意思決定機関の一人として、かつ帝国議会の議員として活躍している山縣が狼とじゃれ合う、はるなとイリナを見て孫の姿を喜ぶ好々爺のような笑みを浮かべていた。
山縣は視線を高野の方に戻してから言う。
「ともあれ、これで条約軍がアジア方面に展開させていた戦力の大半を
喪失させた事になりますなぁ」
「はい。 これで条約側が更に戦争を続けるとなれば新たな陸上戦力も必要ですが、
それ以上に艦隊戦力の回復が不可欠です。
また艦隊戦力の回復には本格的な戦時経済へと移行しなければなりません」
さゆりが山縣に応じ、それに高野が続く。
「例え条約側が今から戦時経済に移行したとしても最低1年半…いや、2年は本格的な攻勢には出られないだろう。 もっとも行いたくとも戦時経済への移行はかの国の財政現状からして不可能。彼らが等しくピュロスの勝利を欲すれば別だろうが、そのような勝利に意味は無いな」
「高野さんの仰る通り、現在の情勢で余力のない勝利は列強と言えども敗北と同じです。
本来ならば余力があった米国も条約軍艦隊の壊滅が世界に知れ渡った事により、
暴落を始めたロシア戦時国債の影響で身動きが取れません」
これらの言葉は慢心ではない。
条約軍の戦争目的は日本列島を支配圏に置いてアジア戦略に優位に立つのと、高度技術をもって巨大な富を生み出している帝国重工を接収して、その技術を得るのが目的だった。
しかし近日行われた日本統合艦隊による軍事行動が、
条約軍の手段を悉く喪失させていたのだ。
日本海海戦にてアジア方面に展開させていた条約軍の艦隊戦力の9割を撃沈し、旅順から半島に掛けての軍事基地に展開していた陸上戦力に対しては特殊砲弾を多用した艦砲射撃にて大損害を強いている。
三国間条約における主要艦隊戦力が壊滅した今、
彼らに日本本土を攻める力は無かった。
この大損害と言う表現は艦隊戦力が蒙った損害を前にしてさえ誇張された表現ではない。
1隻の長門級戦艦に於ける弾薬の総搭載量は主砲弾で800発、127o両用砲は15840発に達している。史実の大和級と比べれば主砲弾の搭載量では劣るものも、127o両用砲(史実の大和では高角砲)ではやや上回る量を搭載していた。これらの砲弾が即応弾システムと電子冷却装置の併用によって極めて短時間の間で陸上兵力が駐屯している拠点に対して撃ち込まれればどうなるだろうか?
それが8隻ともなれば、主砲弾の攻撃だけでも6400発にも上る。使用した弾頭を考えれば、その破壊の度合いは戦術核を上回る壮絶なものだった。
確かに条約軍には本国には日本側の総兵力を圧倒的に上回る潤沢な陸上兵力と、これらの兵員を運ぶには十分な商船隊が残されており、また工業地帯や造船所などの生産拠点も無傷のままだ。しかし輸送船のみの編成で日本護衛艦群からの襲撃を食らえば一溜まりもないだろう。輸送船の足は遅く装甲は薄い。それに輸送船団ともなれば最も足の遅い船を基準にして行動しなければならず、また船団ともなれば出撃情報を隠すのは困難である。
これらの事から艦隊戦力を喪失した現状では侵攻不可能と同意語だったのだ。
高野が言う。
「戦争は戦力的にも経済的にも実質的に終わりだろうな。
そしてアジア戦略での関係から間違い無くイギリスがアジアでの主導権を握るべく、
停戦の仲介役を買って出てくるだろう」
「高野さんの予想通り進むと思われます。
イギリスにとってそれが、現状で得られる最大の外交得点ですから。
言い換えるなら絶好の機会ですね」
「だからこそだ、
イギリスが仲介に出てきたときにはその労力に応じる意味でも、
私達は中国大陸には一切かかわらず、その全てを彼らに任せるのだ」
珍しく高野は人の悪い笑み浮かべて言った。
奇しくも高野が行うのはチェンバレンが日本に行おうとしている二虎競食の計と同じようなものである。 だが高野が考えたのは国家同士ではなく、世界の毒とも言える白人帝国主義と中華思想主義のぶつかり合いという、長年に亘って続く可能性の高い民族間の対立であった。もっとも暴力機関として全盛期の極みにある白人帝国主義と、この時代では疲弊の極みに達している中華思想主義ではまともな勝負にならないだろう。
故に列強による中国大陸支配は確定していると言っても良い。
そして列強がこぞって清国を搾取すればするほど、中国大陸の民の恨みが積もる事になり、それらの反発を抑えるために更なる軍備を中国大陸に展開しなければならない。例えるなら長い年月を掛けて体内に蓄積してゆく毒の一つ、外因性内分泌攪乱化学物質(環境ホルモン)と同じである。 そのような事態を避けるためには民心が離れている時期を見計らって行う、列強各国による中国大陸の分割統治しか無い。史実に於けるアフリカ大陸の様に同族が同族を憎むシステムを欧米各国が中国大陸に構築してしまえば一括管理に比べて少ない負担で統治が出来る様になるのだ。
高野の策を詳細まで知っている山縣は上機嫌で言う。
「そしてイギリスは恨みを回避する為に、
また自分の戦略に乗せるべく列強各国にも機会を与えていく。
高野殿が最高意思決定機関で仰った予想ですな」
「機会均等。
美しい言葉ですが、彼らの思惑を考えると色褪せますね」
さゆりが苦笑いした。
さゆりがふと視線を落とすと、自分の足元へと可愛らしい足取りで歩いてきた嬉しそうに尻尾を振る一匹の子供の狼を見つける。その狼は生後4ヶ月の雌で、ちょこちょこと歩き回ったことから、はるなによってチョコと名づけられていた。笑顔を浮かべたさゆりはチョコを膝の上に乗せ、その狼の頭を優しく優しく撫でていく。
チョコは高野とさゆりが大好きで、特にさゆりの膝の上がお気に入りなのだ。
さゆりとチョコの姿を見て頬を緩ませながら高野は言う。
「全くもって、さゆりの言うとおりだ。
だがあのイギリス帝国の事だ。
仲介を行う傍ら、此方に対して謀略を仕掛けてくる事を考慮しなければならない」
「例えばどのような謀略でしょうか?」
「可能性として考えられるのは戦後に対立を誘発させる事だろうな。 恐らくは冷戦構造のようなもので、対立による疲弊が目的だろう。 方法は幾つか予想できるが……情報が足りず確定には程遠い。 だが、何をおいても謀略による対立だけは絶対に避けなければならん」
「仰るとおりです」
さゆりの言葉に山縣も同意を意味を込めて頷いた。
高野は全てを見透かしているように見えるが、それは相手国が何に執着するかを知っていた事が大きい。目標が絞れていれば、相手の意図を大筋にて見抜くのは難しくはない。戦争で例えるならば攻撃地点が割れているのと同意語である。後は時期と手段を探ればよいのだ。
山縣は言う。
「ともあれ、これからの大筋としてはイギリスからの謀略を避けつつ、列強を大陸に釘付けにしていく。 いかに大陸に豊富な資源と市場を有するとはいえ、今の帝国から見れば、直接進出してまで得る価値はありませんな。 泥沼になるのが判っているなら尚更の事」
「山縣さんの言う通りです。
帝国は国内開発と人材育成に力を注がねばなりません」
山縣はさゆりの言葉に心の底から同意するように頷く。
日本帝国と帝国重工は台湾からシベリア、そして南洋開拓に掛けての領土を開発しなければならない。中国大陸に進出する余裕などは無いのだ。
「しかし……本当にありがたい。
戦況は安定しており、戦時にもかかわらず民需で経済は安定している。
それでいて国内に十分な資金と資源があるのだ……
喜ばずにはいられまい」
山縣は呟くように言った。
その言葉には安堵が多く含まれている。
最高意思決定機関の上位に連なる山縣は史実の歴史の流れを知っているだけに喜びは大きい。史実に於いて条約間戦争に該当する日露戦争では戦争には勝利はしたものの、19ヵ月にも及ぶ戦争の戦費を補うべく約13億円弱の資金を外国債(戦時国債)で賄っており、その支払いが日本経済にとって巨大な負担となっていたのだ。事実、日本の国家予算5年分に相当する外国債を返済する事は出来ず、それらを順次に比較的利率が低い英貨公債に切り替えて凌ぐしかなかった。しかも完済に半世紀以上も掛かっている。
だからこそ山縣が漏らしたこの言葉が的確に、今の日本帝国の状況を示していた。
日本帝国は戦時にもかかわらず貨幣価値は安定し、消耗と戦域を最低限に抑えた事によって徴兵制ではなく志願制を保てていた。それに加えて国民は希望に満ちており、明るい未来を夢見れる社会が広がっている。また帝国政府に代わって戦費を負担している帝国重工は日本帝国に返済を求める気は無い。しかも帝国重工が保有している正貨を含めた金保有率は拡大し続けている日本帝国の国家予算をも軽く上回っているのである。
後備の備えとしては十分すぎる存在であろう。
そのような安定に加えて昔と違い、祖国を守る軍備も整っているのだ。
山縣が安堵するのも頷ける。
山縣は一呼吸つくと独特の香ばしさを有するほうじ茶を飲む。愛する祖国を食い物にしていた欧米諸国が自業自得で苦労する様を思い浮かべて苦笑する。幾つかの話の後にさゆりが言う。
「山縣さんに良い知らせがあります」
「ほう? 一体なんでしょう」
「先ほど入った知らせですが、
ミハイル商会を通じて極秘裏にプレーヴェ内務大臣との接触に成功しました」
ミハイル商会とは皇帝ニコライ1世の孫息子の一人である、ニコライ・ミハイロヴィチ大公が戦前から名誉会長に就いている商会であった。史実に於いて彼は著名な歴史学者にして平和主義者でかつ公式に軍務から離れた唯一の皇族男子で、ロシア地理学協会やロシア帝国果樹学協会の会長を務める傍ら、種なしタンジェリン・オレンジの品種を開発している、極めて変わった経歴の持ち主と言えよう。
いかに変わり者とはいえ、
大公のような地位の者が商会の会長に就任したのには訳がある。
帝国重工との交易で発展を続けていたとは言え、大公がミハイル商会からの会長就任要望に応じたのは周囲の勧めもあったが、もちろんそれだけが理由ではない。帝国重工が有する先進的な技術に対する興味に加えて、ミハイル商会が社会福祉の一環として少なくない資金を投じて古文書の編纂を行っていた事が歴史学者であるニコライ大公にとって大きな興味を惹いていたのだ。またミハイルという名前が父親の名前と同じ事も好印象に繋がっていた。周囲の勧めと自分の興味が交われば会長就任に応じるのは当然の結果と言える。
これらの事からニコライ大公はミハイル商会との関連で戦前には幾度と幕張の地に足を運び、帝国重工の関係者と交流を深め、その帝国重工のあり方とその技術に傾倒していった。史実に於ける彼がフランスとその政治システムに傾倒していった時と同じである。もちろん帝国重工側もその様に運ぶようにコントロールしていたのも大きいだろう。
ともあれ、このミハイル商会の主な業務は帝国重工からの民需品の輸入だけでなくウラジオストクの開発事業と文化資産の保全から古文書の編纂を行っている。
また戦時下にも関わらず敵勢力の民需品がロシア帝国に並ぶのは、輸入には英国系商会を介しているのと、ロシア貴族にとって帝国重工製の各種化粧品、食料品、医療品はもはや欠かせないものであり誰からも黙認されていた事が理由だった。それに一般市民にとっても格安で高品質な帝国重工製の医療品は欠かせない。
なによりミハイル商会はアレクサンドラ皇后から大きな支持を受けているのだ。
その理由はアレクサンドラ皇后は戦前から高級育児用品などの購入に関して帝国重工との付き合いがあり、またその関係は中立国を介して続けられていた事と、彼女の息子である皇太子アレクセイが患っていた血友病をニコライ大公がミハイル商会を介して政治的負債にならない形で帝国重工に依頼し、その難病を完治させていた事にある。 それらの出来事によって保守派のアレクサンドラ皇后と改革派のニコライ大公の関係は、史実と違って良好なものに変化している。保守派と改革派という溝も子供の健康の前には無いに等しかった。
もちろん大公と皇帝との仲は史実と同じく良好のままで問題は無い。
そしてミハイル商会は帝国重工が有する工作商会の一つだった。このように帝国重工が中立国サイドとミハイル商会という別チャンネルを用いてロシア上層部との接触を行っていたのはリスク分散の為である。これ等のほかに別口で10以上のチャンネルが保持されているのだ。時が来れば帝国重工の系列企業の一つとしてミハイル商会がウラジオストクを起点に極東ロシア経済を牛耳っていく事になるだろう。
さゆりの言葉に山縣は上機嫌で口を開く。
「それは朗報ですな
これで……戦争終結に向けて大きく進みますぞ」
「はい。 ロシア側も経済に悪影響が出る前に手打ちにしたいと考えている筈です。
そこを考慮して交渉を上手く纏まれば、
戦前から準備を進めていた計画も次の段階へと進める事が出来るでしょう」
「戦争終結の折には心待ちにしていた、
車両運転技術の教育と、整備士の養成が帝国軍にて本格的に始まるのですな」
「はい。第5師団を本土に戻して彼らを起点に行います。
時間は掛かるでしょうが、絶対にやっておかねばなりません」
第五師団には高機動多用途車からなる機械化大隊が配属されており、彼ら教導部隊として運用することで帝国軍の機械化を促進するのだ。整備士などの育成には時間が掛かる。一人前ともなればなおさらだ。もちろんこれは軍事だけでなく、技術指導を受けた兵が除隊後に民間に戻った際に日本の重工業発展に対して貢献が出来るようにと、考えられていた。
高野がさゆりに続くように言う。
「確かに軽工業主体の精度に関しては史実を大きく上回り、
史実よりも日本は大きく発展しただろう。
また基礎技術力に関しては史実の日本と比べて15年程先に進んでいる。
だが重工業に関してはアメリカ、ドイツ、イギリスに遠く及ばない。
宇宙進出を目指す以上、帝国重工だけが優れていては駄目なのだ」
「はい。 だからこそ、これからの積み重ねが、
そう1930年代までの采配が日本の発展を大きく決めていくことになるでしょう」
「そうだな。
後は日本に都合の良い戦略環境をどれだけ維持できるかに掛かっている」
「可能な限り多くの資本を宇宙開発に注ぎたいですからね」
さゆりは高野の言葉や会話の切り出し方などに見事なタイミングで合わせていく。話しの内容に関して事前の打ち合わせを行っていたわけでもなく、またデータリンクを行っていない。さゆりが高野の考え、高野の思いを誰よりも理解している証拠であろう。
やがて彼らの話題はイリナを交えて政治戦略から観光事業へと移っていった。
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【あとがき】
ようやく内政のターンに!
しかし、帝国重工のスケジュールは厳しい。
探査衛星自体は1970年代の技術でも作れますが、2060年代の技術を有する帝国重工であっても相応の準備を行わないと不可能ですからね。 遅延の大きな要素はロシア側からの宣戦布告による早期開戦と佐世保湾海戦の被害です。
【Q & A :現文化資産の保全から古文書の編纂!?】
ミハイル商会が少なくない資金を投入してまで古文書の編纂を行っているのは、ロシア革命が起こった際に帝国重工が古文書と連動する文化財などの所蔵品を共産主義の手から安全な場所に移動させ、保護するためです(悪)
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
(2010年10月02日)
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