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帝国戦記 第二章 第35話 『日本海海戦 10』


1群から7群からなる条約軍艦隊はそれぞれ1.5kmの間隔を開けて航行していた。 航行陣容は第一群と第二群が最前列で、第三群と第四群が二列目を構成し、残る3つの群は最後尾である三列目である。それぞれの群に属する防護巡洋艦の一部は条約軍艦隊の進路上前方の6km圏内を航行し、警戒艦として周辺哨戒を行っていた。

このように警戒範囲を6km以内に抑えられた理由は、
命令のやり取りを行う際に使用する信号旗(旗旒信号)の海上視認距離の関係にある。

また、条約軍艦隊では無線機の使用は制限されていた。

マカロフ大将は無線連絡の多用によって起こった受信飽和による混乱を避けるためである。 受信飽和は演習時に経験しており、それを改善するために歴史上の海戦を研究し、各群に所属する各戦隊に於いて可能な限り信号旗と灯火信号のみで命令のやり取りを行えるような体制を作り上げていたのだ。

一つの群に例を挙げると、戦隊各艦は信号旗及び灯火信号にて連絡のやり取りを行い、それを戦隊旗艦が統括し、戦隊旗艦は所属する群を統括する旗艦(以後、群旗艦と表記)に伝える。群旗艦は重要な情報のみをマカロフ大将が乗艦する戦艦レトウィザンに伝達するという至ってシンプルなものだった。このように連絡系統の確立に加えて無線連絡を偵察艦を除けば群旗艦と戦艦レトウィザンに限定しつつ、同調回路に通す周波数を事前に取り決めておく事で致命的な混雑を避けている。

また特定の周波数のみを受信する技術は複雑なものではなく1897年(この世界ではオリバー・ロッジではなく帝国重工が特許を獲得)の技術なので、条約側でも僅かな改良によって使うことが出来たのだ。

そして各艦の序列も定められており、
旗艦が沈んでも直ぐに指揮系統を引き継げるようになっていた。

余談だが、戦後、ロシア帝国は帝国重工に同調回路の特許使用料を支払うことになる。

史実の日本海海戦に於ける日本艦隊やロシア艦隊も信号旗の組み合わせによる艦隊運動を行っており、また1805年(この時代に於いて信号旗は最新技術の一つ)のトラファルガー岬沖海戦のイギリス艦隊も同様であった。極めつけとして歴史上の海戦に於いて20枚以上の信号旗を併用して命令のやり取りした実例もある。

このような信号旗による実用的な艦隊運用の実現には猛訓練が欠かせなかったが、十分な時間と物資、そしてマカロフ大将の能力がそれを可能にしていた。また砲戦訓練に関しては砲術の研究者のエキスパートであるジノヴィー・ロジェストヴェンスキー少将が貢献している。

欠点といえば、散開した複雑な艦隊運動は不可能だった事だろう。

しかし、統率の簡略化と目標への集中を要する戦術上の理由から、単縦陣を組み合わせて運用するので考慮の必要性は無かった。日本艦隊による突撃による混戦及び乱戦による混乱があったとしても突撃は一つの群に集中する筈なので、それは残る各群による日本艦隊の包囲殲滅の機会にしかならない。

ともあれ、マカロフ大将はこのように
無線連絡と信号旗の組み合わせによって命令系統を構築していた。

艦隊運用にこれ程の手間を掛けたのは、受信飽和の対策だけでなく防護巡洋艦の中には無線機が搭載されていない艦があった事と、警戒艦が遠方に進出した際に強火力で且つ優速な日本艦と遭遇した場合をも考慮している。日本艦との性能差は深刻で、下手な遠出は各個撃破の標的に成りかねなかった程なのだ。だからこそ戦力の集中に拘るのも当然であった。

このように出来る限りの準備を行っていた条約軍艦隊は警戒行動を行いつつ竹島の南側に位置する対馬海盆を通過する。そして大和海盆の北側にある日本海の中心である大和堆に近づいた頃になると、3時間ほど前から4式飛行船と思われる飛行船による遠方からの接触を受けた。更に戦艦レトウィザンの昼戦艦橋にいる警戒心を強めていたマカロフ大将に一つの報告が入る。

「第六群より不明艦発見の報告あり!
 後方、距離24000にて、数不明、との事です」

「なに、後方じゃと!?」

「敵艦と仮定するならば、
 佐世保や舞鶴方面に展開している巡洋艦ですが……」

「うむ……日本巡洋艦、あの雪風級は油断ならぬ性能を有しているが、
 それだけで合理的な日本軍が多数の戦艦を含むこの艦隊に挑むとは思えぬ」

「と、なると…
 戦艦を含む艦隊でしょうか?」

「もう直ぐ分かるて」

マカロフ大将が海図台に視線を落としながら次の報告を待つ。
しばらくして第二報が入る。

「第六群より続報!
 敵艦隊規模、戦艦クラス6、巡洋艦クラス3ないし4、
 恐らく葛城級戦艦と雪風級巡洋艦と思われる」

通信兵が第二報の電文を読み終えると、
マカロフ大将は組んでいた腕を解いて口を開く。

「やはり戦艦を含んでいたか……
 どうやら日本も我々の出撃情報を得て、
 急いで佐世保方面の海域に戦艦を回していたようだな」

「恐らく情報源は旅順方面に忍び込ませていたスパイだと思います。
 我々の出撃情報は地元住民や漁船からは隠せません」

コロング大佐が状況証拠から推測を言った。

実のところ、日本側の情報源はスパイではなく上空20kmを飛行するSUAV(成層圏無人飛行船)による戦略偵察である。3時間前に接触させた飛行船はスパイ疑惑を思わせるための飛行船でしかない。また中高度からの偵察行為を行わせることによって成層圏上からの偵察行為を隠す意味もあるのだ。あらゆる事に理由を用意するのは帝国重工らしい慎重深さと言える。

マカロフ大将は海図台から視線を上げると少々解せない様子で言う。

「しかし、もっと多くの雪風級が出てくると思ったが意外に少ない。
 それにラザレフ方面の艦隊と合流せずにこの場面で仕掛けてくるとは……

 ともあれその陣容で考えられるのは一撃離脱による攻撃か
 襲撃もしくはその疑似行動による足止めじゃろう。
 可能ならばラザレフ方面の艦隊を片付けてから相手をしたかったものじゃて」

条約軍側は知らなかったが、ラザレフ方面に展開する艦隊の中核を成す「春日」「日進」は佐世保湾海戦で戦没した「常磐」「八雲」の生き残りに新兵を加えて運用している巡洋艦であり、先陣を切って艦隊戦を行うには心ともない錬度だったのだ。だからこそ攻勢戦力としてではなく、囮として使われているのだが。

コロング大佐が考えを述べる。

「ですが、この状況は我等にとって好都合に違いありません。
 ここで6隻の葛城級を沈めてしまえば我々の優位は確実になります。
 各群で包囲するように展開すれば、葛城級戦艦が優速であろうとも捉えられます」

「そうだな。
 どちらにしても優速を誇る日本艦が追跡してくるなら立ち向かうしかない。

 それに7倍強の数の戦艦をもって攻撃すれば、流石の葛城級戦艦と言えども
 一溜りもあるまい」

マカロフ大将は危惧している点を考える。

(それでも佐世保湾海戦の経験からすれば、
 此方の防護巡洋艦で1隻の雪風級を止めようとするなら最低でも4隻は必要か…
 一番の問題は葛城級戦艦だな。
 これだけの数の優位があっても我が方の戦艦も14〜18隻ほど沈むだろうな。
 まぁ合流されなかっただけマシとするか)

やや時間を置いて第六群から日本艦隊に多数の小型艦が含まれている追加報告が入る。その内容を聞いたマカロフ大将が疑問の声を上げた。

「小型艦?
 それは諜報部から報告のあった日本が建造を進めている
 鵜来というネームシップが付いている新型駆逐艦の事か?」

「日本軍にはそれ以外の小型の戦闘艦は確認されておりませんので、恐らくは」

「一体、何時の間に駆逐艦群を戦力化をしていたのだ……
 いや……奴等には極秘裏に葛城級を建造するだけでなく、
 あまつさえ戦力化を行っていた前例がある。
 そう考えれば、戦艦に比べてより小型な駆逐艦なら容易じゃろう。
 となると危険なのは近接時に行う魚雷攻撃か……」

マカロフ大将の内心に佐世保沖海戦のような予想外の事態が起こる嫌な予感がした。

(しかし日本、いや帝国重工の工業力は底が見えん……
 鵜来の詳細な情報は不明じゃが……
 ともあれ今考えるべきは対処じゃな。
 駆逐艦ともなれば接近されなければ、まだ雪風級よりは対処しやすいだろう)

一瞬のうちにマカロフ大将は気持ちを切り替える。水雷戦術にも長けているマカロフ大将は魚雷攻撃の危険性を考慮に入れつつ、手短に日本艦隊に対する対応策を矢継ぎに纏めていくと各群に命令を下すために通信兵を呼ぶ。

マカロフ大将によって纏められた作戦は信号旗と灯火信号を使用して戦艦レトウィザンから各群の旗艦へと命令を伝えられていく。第一群から一番離れている第五から第七群に対してだけは、信号旗に合わせて無線による命令伝達を行っていた。

各群が時間差を置いて回頭を開始する。

複雑な艦隊機動ではないが隻数が多いだけに難易度は大きく上がっており、それをそつなく統率しているのはマカロフ大将の手腕によるところが大きいだろう。ともあれ、総数149隻に達する艦隊の回頭は壮観そのものだった。

マカロフ大将が鍛え上げた条約軍艦隊の回頭は順調に進み、第一群と第二群に続いて第三群と第四群の回頭も終わろうとしていた。第五、第六、第七の3つの群も続いて回頭を始める。各群の速度を調整し、それぞれの戦艦隊が並陣列になるように調整するのだ。

回頭を終えた第一群と第二群は日本艦隊に向かう進路へと変更し、他の群も並ぶように進む。ようやくマカロフ大将も構えていた双眼鏡によって水平線上に日本戦艦のものと思われるマストを含む艦橋部を視認したのであった。だが全艦の回頭を終え、状況が進むにつれて何かが面妖な事に気付く。
待て、何かがおかしいと……あの戦艦の形は葛城級にしては妙だ…と。

時間と共にマカロフ大将の中で膨れ上がる疑問が大きくなっていく。やがて艦橋の横の張り出しに設置されている長距離観測用の大型望遠鏡を覗いていた見張員が絶叫の声を上げる。

「待ってください! あれはっ、あれは葛城級じゃない!
 とても大きい……大きすぎます!」

見張員の絶叫とも言える叫びが昼戦艦橋に響いた。マカロフ大将は昼戦艦橋から、艦橋の横の張り出しへと移動して見張員に、どういう事だと直接尋ねる。彼は大型望遠鏡を透して見る日本の大型戦艦に強い不安を感じつつも、可能な限りマカロフ大将に対して正確な報告を行っていく。

これは不運としか言いようが無い。
認識の違いや、見解の相違とも言うべきであろう。

条約軍艦隊の各戦艦には新たに長距離観測用の大型望遠鏡が備え付けられていたが、真っ先に発見した条約軍艦隊第六群を構成するイタリア王立艦隊は日本艦隊との交戦経験は無く、一番大きな艦を安易に葛城級と認識していたのだ。それに加えて条約側が掴んでいる帝国軍と国防軍を合わせて自由に動ける3〜6隻の葛城級という先入観も後押ししている。また4万トン級戦艦と見比べれば、巡洋艦にしては大型艦である葛城級も真っ当な巡洋艦に見えてしまうに違いない。これはドイツ東洋艦隊と同じ顛末である。

平静を装っているもの、マカロフ大将の内心は穏やかではなかった。駆逐艦だと思っていた敵が巡洋艦だった程度ならばまだ許せる。巡洋艦だと知らされていた敵が戦艦では話が完全に違っていた。それに加えて敵艦隊に悪魔のような巨大戦艦が6隻も加わっており、それと戦わなければならないとなれば誰だって憤慨する。

(おのれぇ、日本はこのような切り札があったとは!
 攻めさせて後背を遮断とは……だがまだ負けたわけではない)

マカロフ大将はそう思うも、その内心には逃亡と言う考えは存在しない。
最大の理由は後退を命じても混乱を招くだけだと実戦経験豊富なマカロフ大将には痛いほど分かっていた。第一、あのような巨大戦艦に北方や太平洋上に点在している葛城級が加わってしまえば手の付けられない事態になるであろう。

マカロフ大将は被っていた帽子を被りなおすと覚悟を決め、
慌てふためく周囲に対して鼓舞を始める。

「うろたえるな!
 我々は何に乗っている? そう、戦艦じゃ
 敵の船が予想より大きくとも、あれも戦艦に過ぎん。
 撃てば壊れ、穴が開けば沈む船じゃ」

司令官の言葉によって周囲に落ち着きが戻ってきた。
詭弁に等しい言葉も混じってはいるも、軍隊では司令官が勇気を示す限り兵士も勇気を失わないのだ。司令官の役目の半分は部下の士気を保つことにあるだろう。マカロフ大将は長年の経験でそれを良く理解していた。

落ち着きを取り戻した瞬間を逃さずマカロフ大将は命令を下す。

「見張員! 敵艦隊はどうだ?」

マカロフ大将のその一言で大型望遠鏡を覗き込んでいた見張員が言う。

「敵艦隊、艦首左15度、
 大型戦艦6、戦艦4、巡洋艦8、距離21500!」

その声の大きさは司令官の声と比べても勝るとも劣らない。
報告を受けたマカロフ大将は攻撃方法を考慮する。

(確かにあの大型戦艦は葛城級より強力に違いないだろうが、
 我々は隻数に勝り一度に撃てる投射弾量も多い。

 優位な点を生かすには可能な限り接近するしかないな…

 沈める事は出来なくとも、艦上構造物を破壊し尽せば戦闘力は大きく下がる。
 抵抗が鈍ったところで魚雷をどてっぱらにお見舞いしてくれるわ!)

豊富な戦訓と経験からマカロフ大将は自軍が取り得る戦術を瞬時に纏めた。マカロフ大将は佐世保湾海戦に於いてロシア戦艦の多くが艦上構造物の破壊によって戦闘能力を喪失していた事を忘れていなかったのだ。起こった出来事を正しく捉え、それを戦術に生かすのは流石は世界の名将として名高いマカロフ提督と言えよう。

マカロフ大将は口を開く。

「命令! 全艦隊、正面の敵艦隊に突撃せよ!
 進路1-4-8、以後の突撃進路は各群の判断に任せる。
 この世に沈まぬ船など無い! 射程内に入り次第、撃って撃って撃ちまくれ!
 諸君らの献身と勇気は歴史に残ろうぞ!」

司令官の鼓舞と命令が混じった言葉に艦長のイグナチウス大佐が見事な敬礼で応じる。

「了解、機関全速!
 進路1-4-8、主砲有効射程まで一気に間合いを詰めろ!」

もはや条約軍艦隊の中で日本艦隊の異常性に気が付かなかった者はいなかった。恐怖が広がろうとした矢先、命令発信と同時にマカロフ大将が直卒する第一群が臆することなく日本艦隊に向かって突撃を開始すると状況は一変する。勇気が伝播したように条約軍艦隊各群も第一群に遅れまいと突撃を開始したのだ。国籍も違えば戦う理由すら違う合同軍であったがマカロフ大将の元で突き進む姿は、勇将の下に弱卒なし、という諺通りと言えよう。
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【あとがき】
これだけの船の数となると把握するのが大変(汗)
ともあれ次からようやく砲撃戦になります。

しかし、史実でバルチック艦隊を率いたジノヴィー・ロジェストヴェンスキー中将も不運。日本海に入る前に一度、艦隊に十分な休息と訓練が施せる基地があったならば、もっとも良い結果が残せただろうなぁ。彼は艦隊運用に関しては高い能力を持っていたからね。


【Q & A :信号旗で複雑な艦隊運動は可能なの?】
トラファルガー岬沖海戦でも信号旗による命令のやり取りによって、
艦艇を多縦列に統率して運用してます。

また、以後の海戦では信号旗を組み合わせた暗号(敵艦隊に艦隊運動を悟らせないための手段)も実戦で使われていました。これの事からも通信、信号、暗号に関しては欧米は日本よりも遥かに進んでいた事を痛感させられますね……

26枚の信号旗の組み合わせによって艦隊運動を"実戦"で行った例もあります。機密保持としては優れていたが、友軍の見張員はリアルタイムで旗の内容を解読しなければならず凄まじい負担だったとか(汗)


意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2010年07月14日)
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