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帝国戦記 第二章 第31話 『日本海海戦 6』


人間には、不幸か、貧乏か、勇気が必要だ。
でないと人間はすぐに思い上がる。


イワン・セルゲーエヴィチ・ツルゲーネフ



「そうか…分かった。いや結構だ……」

神妙な表情でバルフォア第一大蔵卿が受話器を置いた。場所はイギリス帝国首都、ロンドン・ウエストミンスター地区ダウニング街11番地にある第一大蔵卿官邸である。バルフォア第一大蔵卿はラザレフ戦に於けるロシア軍全滅の報告を知らされたのだ。その情報にかつて受けたことが無い程の嫌な予感がしてならなかった。

最悪な事にロシア軍が2割程度の日本兵に対して敗北と言う結果が不味い。
想定外の流れにバルフォア第一大蔵卿は思う。

(議会に根回しを行い戦艦18隻を含む36隻の艦隊を派遣した事が裏目に出るかもしれん)

想定外の流れにバルフォア第一大蔵卿は危惧していた。

この陸上戦の敗北結果の情報が外に漏れればロシア帝国の戦時国債を購入した英国人の中で有力者層に連なる人々は、損失を避けるべく間違いなく戦争に介入するように働きかけてくるに違いない。ロシア帝国の戦時国債はルーブル換算で設定されており、ロシア帝国の勝利か優位な戦争終結でなければ紙切れになる可能性があった。その事が購入者たちの焦りを確実に高めるのは火を見るより明らかである。それに英国炭を初めとした戦略物資の多くを国債を代金に条約側に売り渡しており、イギリス政府にとっても他人事ではないのも痛手だった。

しかも普通の敗北ではない。

生還者が全く無いと言う有り得ない結果に終わっている点が問題だったのだ。

これは国防軍しか知らなかったが、局地制圧用重攻撃機「飛龍」からの一片の容赦の無い追撃に加えて、ロシア軍がラザレフに攻め込むために作り上げた補給拠点の内、ラザレフに近い2箇所の野戦集積場が完全擬体化の特殊作戦群によって攻撃を受けて全物資を焼き払われていた事が原因であった。厳寒期のシベリアは徒歩で踏破できるようなルートが限られており、飛龍の追跡を逃れる事が出来たロシア兵も結局のところ、野戦集積場の喪失によって生存に必要な物資が途絶し、追撃から生き残ったロシア兵も母なる大地へと還る定めになっていたのだ。冬のシベリアでは水を飲むにも溶かすための燃料が必要で、また例え水を得たとしても食糧は簡単には得られない。越冬にはそれなりの物資が必要だった。

バルフォア第一大蔵卿は焦る。

(生還者が皆無と言うのは信じがたいが、三国間条約の主力を勤めるロシア帝国軍は今回の結果から安易に陸戦には踏み切れないだろう。となると海戦しかない……それまでに世論が動くと不味いが、情報が漏れてしまえば止める術が無い)

彼が艦隊を派遣したのは罷り間違っても三国間条約を助ける為ではない。イギリス帝国が極東戦略で優位に立つと共に、戦争の最終局面で日本列島の重要箇所を押さえるためでもあった。

(だが、そのような事を避けるために艦隊を呼び戻すにしても無理だ……議会に根回ししてまで派遣した艦隊を何の成果すら得られずに戻せば確実に議会が荒れるだろう。第一に議員はともかく各商会や投資家たちの恨みを買うのは下策中の下策だ。くそ……なんて状況なのだ)

本来ならば日本と三国間条約の共倒れを待つ状況だったが、
世論次第では否応なしに介入しなければならない。

三国間条約は大々的な戦時体制に移行していない以上、これ以上の戦艦戦力の戦力増加はあり得ない。第一に今から建造を始めても戦争に間に合わないし、時期を延ばして日本側がこれ以上の葛城級戦艦を竣工させては本末転倒である。しかし、後ろから議会を動かす者たちにとっては日本の勝利によって戦時国債が紙屑になっては遅すぎた。

日本の陸上戦力が侮れないとなれば、例え数を増した葛城級戦艦であろうとも、数によって対抗可能と分かっているだけに海戦は挑みやすい。前例と言う目安があるのが大きいのだ。

そして戦艦は安くは無い。

バルフォア第一大蔵卿もロシアが代金の代わりに支払った戦時国債が紙屑になるのは損失と考えていたが、それだけの為に高価な戦艦を危険に晒すのは何としてでも避けねばならないと考えている。彼らが購入した戦時国債の価値を保つために参戦するなどは最悪ともいえる状況であろう。 それに海洋国家のイギリス帝国からすれば忌々しい事に戦訓があるとはいえ、日本の葛城級戦艦を中心に据えた艦隊は極めて強力であり、三国間側が50隻に上る戦艦を集めていたが、それでも絶対とは言えない程なのだ。

(我々の18隻の戦艦が旅順の艦隊に加勢すれば、葛城級戦艦を有する日本艦隊にも確実に勝てるだろうが、損害の度合いによっては此方の戦略が破綻は確実になる………)

考えにふけっているうちに、執務机の上にあった紅茶は完全に冷え切っていた。














「収容した捕虜の状況はどのようになっていますか?」

「細心の注意を払いつつ、労働力として活用中〜
 ただしラザレフ戦で確保した捕虜に関しては別で、
 2週間ほど別施設にてケアを行ってから収容施設へと送る予定ね」

イリナの言葉にさゆりは満足そうに頷く。

「嬉しそうね」

「うんうん、だって彼らも後に広報事業部による慰問カリキュラムによって、
 捕虜の中で私たちのファン(愛好者)が育てば、
 それが後に安全保障の一部になるからね♪」

イリナの言葉にさゆりが微笑む。
二人は高野邸の執務室に居た。

彼女たちが捕虜の話をするのには理由がある。
今回の戦争で得た捕虜の全ては帝国重工が一元管理しているのだ。

主要兵器の提供を受けている帝国軍には不満は全く無い。
むしろ捕虜を維持する費用が掛らないだけに感謝すらしている。

帝国重工が捕虜を引き取るのは戦前からの計画で、その立案元は広報事業部であった。その目的は労働力として使うことよりも、捕虜を通して戦後の対日感情の好転を狙いことにある。祖国に帰還した彼らが日本に対する感情を好転させているだけで随分と有利に進められるだろう。帝国軍を司る統合軍令部首脳もその事を理解しており、極めて協力的である。

そして、これらの目的に基づいて運用されている捕虜収容所は 北海道根室本線帯広にあるが、その施設は広報事業部が運用するだけあって普通ではない。

国防軍の兵士による監視はあるものも、捕虜たちの食事は帝国軍と同等なものが与えられ、田畑開墾などの指定した労働に従事した際には給与すら支払われていたのだ。そして購買部が設けられており、そこには広報事業部からの嗜好品や娯楽品などが売られていた。特にカオリ、イリナ、リリシアを筆頭に、少女から美女にかけて幅広い趣向を網羅している写真集や雑誌などが人気を博している。

そのあり方は欧米各国の収容所と比べて余りにもかけ離れていると言えよう。

計算されつくされた演出によって捕虜の多くが広報事業部の雑誌や女優たちに熱中していくような雰囲気が作り出されている事に加えて、その中で特徴的なのが捕虜収容所にも関わらず料金さえ支払えば、定期的に来訪する公娼婦のサービスすら受けられる事にあった。

また公娼婦のサービスを受ける場所は4式飛行船「銀河」を娼館として運用可能に改修した旅客飛行船タイプの飛行船の船内である。帝国軍の前線や後方拠点に定期的に出張を行う傍らに捕虜収容所に寄る事で、わざわざ収容所に娼館を建設せずにこのようなサービスの提供を実現していた。

また、この飛行船の内装は豪華客船の客室にも勝るとも劣らぬものである。

そして、広報事業部が抱える公娼婦は普通の娼婦ではない。

通常の娼婦からして遺伝子工学による資質の向上処置と専門の教育によって他国の水準を大きく引き離しているのだ。更にはテレス少佐を初めとした開放派に所属する準高度AIの志願者を筆頭に、日本に送り込まれたハニートラップ要員という経歴をもつ女性や対日工作員として送り込まれたナタリアのような明眸皓歯で芸事や文学などの教養に優れた女性たちも在籍している。これらの事から間違いなく世界最高水準の容姿とサービス内容を有していると言えるだろう。

一度通えば、もう二度と普通の娼館には通えないに違いない。

これらの要素から収容所にもかかわらず暗い雰囲気は無く、また捕虜にもかかわらず労働意欲が極めて旺盛だったのだ。例え逃亡を図っても特殊作戦群によって追われるだけであり、また逃げ果せたとしても北海道から無事に味方勢力圏まで逃げ出す事などは不可能に近く、待遇が良い現状からして逃亡や反乱はなんらメリットが無かった。それに戦争終結後には祖国帰還の約束を取り交わしていた事も大きい。更に史実と同じように基礎計算と文字を書けない兵士には教育カリキュラムを組む念の入れようだった。

彼らが祖国へと帰還し、冷遇を受けたり生活が苦しくなればなるほど、彼らは日本での暖かい思い出が心の中で広がっていくだろう。多くの人に於いて思い出というのは、常に美化していくのだ。祖国と日本のギャップを感じるにつれて、強固な親日家に化けていくに違いない。

イリナが言う。

「そういえばあからさまに増強してきたイギリス東洋艦隊はどうするの?」

「高野さんも気にしていたけど、状況次第ですね」

「確かにこっちから手は出せないからね〜
 現段階でイギリス帝国と総力戦を行ってもジリ貧だし。
 でも、放置しても良い事にはならないだろうし……うーん…」

イリナが残念そうに言う。

彼女が言うイギリス東洋艦隊とは、イギリス帝国が従来からアジアに配備していた艦隊ではなく、新たに本国からアジア方面に展開を終えた戦艦18隻、装巡6隻、防巡12隻、以上36隻に上る艦艇で構成されている艦隊の事を指している。

これらは日本と三国間条約の戦争の最終局面にて干渉を計ろうとイギリス帝国が展開させた艦隊戦力であり、しかもこの数を極東に派遣してもイギリス帝国にはまだまだ余力があるのだ。世界最大最強の植民地帝国は伊達ではないだろう。

またイギリス東洋艦隊は以下のようになる。

戦艦
「マジェスティック」「マグニフィセント」「ハンニバル」
「プリンス・ジョージ」「ヴィクトリアス」「ジュピター」
「マーズ」「シーザー」「イラストリアス」「ロイヤル・ソヴェリン」
「エンプレス・オブ・インディア」「ラミリーズ」「レパルス」
「レゾリューション」「リヴェンジ」「ロイヤル・オーク」
「トラファルガー」「ナイル」

装甲巡洋艦
「グッド・ホープ」「キング・アルフレッド」「バッカント」
「ユーライアス」「サトレッジ 」

防護巡洋艦
「ロイヤル・アーサー 」「ジブラルタル」「グラフトン」
「セント・ジョージ」「テセウス」「クレセント」
「ピローラス」「パーシュース」「パクトーラス」
「パイアニア」「パモーナ」「プロミテュース」

自国のみでこれほどの戦艦戦力を迅速に展開できるのは流石といえるだろう。

さゆりが応じる。

「でもね、あのプレーヴェがイギリス帝国の一人勝ちを傍観するとは思えないわ」

「だね〜、ロシア帝国が黙っているとは思えないし、
 きっとあの手この手で巻き込んでくるよ」

イリナがコロコロと笑いながら言う。
そうねとさゆりが応じると、話題を変える。

「それじゃ、そろそろ時間だから準備をしましょうか?」

「うん」

そういうと、二人は席を立って調理場へと向かう。

今日は明日が休みという事もあって二人で夕食を作る事になっていた。今日のイリナはお泊りである。もちろん夕食はさゆりと二人で食べるのではなく、高野も交えるのは外せない。更には、さゆりの事を姉のように慕っているはるなも後で来る予定であった。

また、さゆりはせっかく料理好きにして料理上手な三人が揃うのだから、幕張近辺にいる真田とカオリの両名を夕食に誘っていたのだ。さゆりの考えはもっともと言えるだろう。

調理場へと移動すると食材を確かめつつ、メニューを決めていく。
エプロン姿の二人がまぶしい。

調理場にある大型冷蔵庫に収められている食材は豊富であり、マイナーな料理で無い限り食材に困ることは余り無い。その充実度は一流料亭と比べても遜色の無い揃え具合であろう。それに加えて帝国重工の優れた技術により鮮度を保ちつつ、長持ちできる優れものであった。

「まずは前菜として、高野さんの好きな鶏肉と葱のからし炒めを考えてます」

「賛成!
 あれってビールに合うんだよね〜」

「また前菜の付けあわせとして、えび団子のお吸い物でどうかしら?」

「うんうん、美味しそう♪
 味付けはカツオだしと塩かな?」

「その通り、イリナの好きな味付けよ」

その言葉にイリナが嬉しそうに頷く。
彼女もさゆりと同じで日本料理が大好きで、中でも味噌汁やお吸い物には特に目が無い。

さゆりが次の料理を決める。

「副菜の一つは海老のジャガイモ焼きにしますね」

「いいね〜
 それもお酒のおつまみとしても楽しめるし、みんなが喜びそう!」

さゆりの言う海老のジャガイモ焼きとは、日本酒で味付けして焼き上げた海老を蒸し上げたジャガイモに乗せて、マヨネーズと塩コショウで味付けした一品であった。

「もう一品の副菜は何にしましょうか」

何かを思いついたようにイリナが言う。

「ねね、牛肉とワラビの煮物はどうかな?
 みりんとお酒で味付けをしたやつ!」

「さっぱりしてて良いわね。 もう一品はそれにしましょう」

「得意料理の一つだから、頑張るよ〜」

さゆりとイリナはこの様にメニューを考え合っていく。
しばらくして、はるなが調理場に到着すると、彼女を交えてさゆりとイリナは一緒にメニューを考え合い、腕によりをかけて夕食の準備を進めていったのだ。
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【あとがき】
質問です〜
イギリス東洋艦隊の一部を日本海海戦に参戦させるべきでしょうか?
もちろん参戦するのは三国間条約側です(笑)

現段階なら巻き込むことは可能なので、
希望があれば2010年06月30日の24時までにお書きください。


意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2010年06月27日)
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