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帝国戦記 第二章 第25話 『日本帝国主義:後編』


芸術とは人間が心の中に高まる感情を最高最善のものへ移行させる人間活動である。

レフ・ニコラエヴィチ・トルストイ





 1904年 10月3日 月曜日

フランス共和国とスペイン王国の間で、モロッコ分割に関する仏西協定が結ばれる。





 1904年 10月7日 金曜日

帝国重工は史実の1923年に販売され大成功を収めた「張り付け式ゴム底足袋」と比べて全ての面に於いて上回る、国土開発事業部、国防軍と帝国軍の工兵隊で使われている作業用長靴の一般向け型の販売を開始する。





 1904年 10月11日 火曜日

三国間条約軍、旅順近海にて大規模な艦隊演習を行う。





 1904年 10月15日 土曜日

北海道鉄道の函館から小樽間が全開通する。
史実と違って路線が広軌となっていた。

















 1904年 10月16日 日曜日

帝国重工の副総帥を務める"さゆり"と広報事業部の長を務めるリリシアはアレクサンドロフスクの街中を緩やかに走る高機動車の後部座席に並んで座り話していた。10月のサハリンにしては珍しく晴天であったが、街中を歩く住民や帝国軍の兵士の格好は例外なく厚着である。

既にサハリンの気候は冬に入っており寒い。

亜寒帯に属するサハリンの冬場は10月から3月の期間に及ぶ。気温に関してはシベリアからの季節風が寒気をもたらし、10月に於けるアレクサンドロフスクの平均気温は6.2度まで下がり、1月にはマイナス14.7度達するのだった。

二人の目的地はアレクサンドロフスク占領後にいち早く、さゆり達が作り上げた観光地建設計画に従って国土開発事業部が急遽、建設を進めている春石地区である。場所は街の中心部からやや離れ、市内を緩やかに蛇行してしているボリシャヤ・アレクサンドロフカ川の麓であった。

名前の由来は1875年に結ばれた樺太・千島交換条約によってアレクサンドロフになる以前に付いていた、落石(おっちし)からきている。

その春石に向かって進む、二人の乗る高機動車の前方には護衛として帝国重工の要人を警護する警護官が乗り込んだ高機動車が走っていた。この時代の武器からすれば二人には護衛は不要であったが、それでも"さゆり"とリリシアの立場もあって護衛が付いていたのだ。重要人物が護衛なしで占領地を歩くなど常識を疑われてしまうであろう。

ただし、今回の来訪は非公式であり、一目では分からないように"さゆり"は変装していた。知らない人が見ればリリシアの友人だと思うに違いない。

春石地区に隣接する駐車場に二人が乗る高機動車が止まると、二人は車から降りて春石地区の入り口のゲートを潜った。警護官はやや距離をとって歩く。ゲートの先には丁寧に整えられた公園が現れる。

リリシアが立ち止まって言う。

「思ったよりも温かい」

「情報で知っていても、体感するのは違うからね」

さゆりはそう言うと汗をかく前に防寒コートを脱ぐ。
それにリリシアも続く。

「そうね……でも、惜しい事をしたわ」

「どうしたのリリシア?」

「だって、絶好の日光浴日和よ?
 これなら水着を持ってくるんだった」

「リリシアらしいわね」

「ほんと……残念だわ」

リリシアが心底から残念そうに言う。

春石地区とは、四角錐(ピラミッド型)で作られた640平方メートルのドーム状建築物を4つ連結させたもので構成されていた。ドームの中は年内を通して温暖な気温に保たれており、また積雪対策として施設各所には電熱が行えるようになっている。

15メートルの間隔で高さ20メートルから40メートルの各支柱を立てて、その間に高分子ワイヤーの網を張り巡らせてから、バイオポリマー素材を敷きつめていく方法で、このドームを僅か10日で作り上げていたのだ。これ程の短い建設期間と理由として、建設資材はすべて既存のものを組み合わせて使用しつつ、公爵領で建設中の公園機材の流用に加えて、建設方式の多くに現地組み立て式のプレハブ工法を採用していた事が上げられる。

もちろん、ピストン輸送にて建設資材と建築機材を速やかに運び込んだ4式大型飛行船「銀河」の輸送船団も忘れてはならない。

このドームに近い建造物を上げるならば、帝国重工の設立当初に幕張の一角に設けられたニホンオオカミの保護用に建設した施設が近いであろう。

また、これの派生シリーズとして施設野菜温室も計画すらされている。
帝国重工の計画には無駄は無い。

さゆりとリリシアの二人は話しながら奥へと進んでいく。

4箇所のドームのうち、一般客用の出入り口のあるエントランス区画の温度は24度に保たれており、気持ちの良い気候であるが、それでは日光浴を行うには心ともないものであろう。だが、その先にある常夏区画では真夏の気温に達しており日光浴を行う上で何ら問題はない。現に、芝生の上にシートを敷いて、水着のなどの姿で日光浴をしている東スラヴ人(ロシア人)の女性がそれなりにいたのだ。この施設には更衣室も用意されており着替える事は何時でも可能である。

日光浴に関しては後日遊びに来れば良いとリリシアは気持ちを切り替え、
視線に入った春石の情景に満足しながら口を開く。

「ともあれ、ここの効果は上々ね」

「利用客の数も順調に伸びてるから、予想よりドーム拡張計画も早まりそう。
 事業計画を預かる広報事業部としては嬉しい限り」

「このまま事業を拡大するにしても品位を保って下さい」

「分かっている。
 品位を無くして開放派は語れないわ」

「信頼している」

「ん、ありがと……さゆり。
 で…貴方が計画に賛同し、協力してくれた結果があれよ」

足を止めたリリシアの視線の先には笑顔で炭酸飲料(三ツ矢平野水)を注文の品物を客に対して配るスラヴ系の成人に達していたが容姿に愛らしさが残るウェイトレス(女給)がいた。表情には緊張からか若干の硬さは感じられるが、そこに恐怖や憎悪は無い。

客の大半がサハリン駐留の帝国軍兵士であったが、アレクサンドロフスク市に住む住民の姿もそれなりに見受けられた。また、この春石地区には多くの人種が働いており、しかも表で働くのは殆どがサハリンに於いて貴重とされていた女性達であった。

ここで働く東スラブ系の女性は合計237人である。その多くが元流刑囚であったが、帝国重工は彼女達に心理テストを課して、無事クリアした者のみに恩赦と帰化を取引材料に雇い入れていた。また、睡眠学習装置によって教養と心構えを刷り込んでいるので危険性は皆無である。 それに加えて帝国本土や公爵領から産業基軸要員として来た日本人やアイヌ人に加えて南太平洋に住むポリネシア人やラピタ人なども居た。この歓楽街で働く女性の数は合計750人に達し、更には準高度AIも7名参加している。

勤務内容は年齢に適し、本人の適性にあった職務が用意されるのだ。

例を挙げると14歳〜35歳までは、各種コンパニオンやイベントスタッフであった。また、志願制として公娼も高待遇にて募集している。どの業種においても産業基軸要員以外の従業員は新入社員待遇の見習いであったが、それでも衣食住の保障と労働環境の良さから非難は無い。

むしろ民事作戦部隊が行う行政の良さにサハリン住民は賛嘆すらしてた。

サハリンには大きな産業が無く、その理由はさまざまだが生活に貧していたというのは住民の共通見解にもあったにも関わらず、占領4日目には街内に於いては電灯の整備すら始められた事は住民にとっては驚きの出来事である。更には、観光産業の育成すら行おうと人材の派遣と資金の投資すら始まっている事実は、もはや驚きを通り越して衝撃的としか言いようが無い。

明るく頑張る女性達を見て"さゆり"の表情に優しげな微笑みが浮かぶ。

「いいわね」

「来年にはもっと良くなっているわよ。
 楽しみにしてて」

「期待している」

そう言うと、二人は再び歩き出す。

「繁華街に隣接した小さな小さなリゾート土地か……
 外が寒いからこそ温かさの有難さが良くわかるわ」

「本当ね」

「春石地区が拡大したら、本格的に観光拠点として動けるように
 大型温水プールなども設置していくから」

「完成したらイリナが撮影場所が増えたって喜びそうね」

「言えてる」

イリナが行うであろう様子を想像して、 さゆりが上品に口元に手を当てながら笑うと、リリシアも魅力的な笑顔で微笑み返す。

「臨時予算が必要だったら言って下さいね」

「ありがと、さゆり♪」

そう言うと、目的地に到着した二人は予約しておいた席に座る。

二人の席は春石地区に設けられた、最大収容人数400名という小さな野外ホールを一望できる場所であり、特等席の一つであった。また、野外ホールの中央には13m四方のフロアマットのステージが組まれている。

着席を終えたリリシアは近くに居たウェイトレスを呼び、北海道産の地ビール、鳥の手羽先ネギ蒸し、ロシア料理のピロシキを注文する。史実と違って帝国重工による戦費負担によって、増税を行う必要が無かったので酒税法が制定されておらず、中小の醸造所は倒産や財閥に吸収されずに継続していたのだ。帝国重工は良質な味を提供する日本各地の中小の醸造所と契約を結んでいる。

対するさゆりは、渋味の抜けたスッキリとした味わいのあるリッジウェイと言われる紅茶、塩適量の蒸し焼きポテト、ロシア料理であるビーフストロガノフを注文した。注文を受けたアイヌ人のウェイトレスはてきぱきと注文をまとめると、嬉しそうに立ち去って行く。

彼女はリリシアのファンであり、働き様を褒められたことが嬉しかったのだ。

さゆりとリリシアは頼んだ注文の品が届くと、雑談に花を咲かせながら会話と食事を楽しんでいく。時間と共に客の数は増え続け、やがて野外ホールの席だけでなく、特等席ですらも殆ど埋まっていった。非番の帝国軍の兵士と思わしき日本人も数多く見受けられる。皆は何かを待っているようだ。やがてリリシアは、腕に装着している腕時計を見て言う。

「そろそろ時間ね」
「ええ」

二人はテーブルマナーの一環として汚れてはいなかったが、
ナプキンにて口元を綺麗にすると、視線をステージのほうに移した。

やがてアナウンスが流れると、白色のレオタードをまとった一人の少女が、観客からの声援に片手を上げつつ笑顔で応じながら、ゆっくりとステージの真ん中まで歩いて行く。

その少女はイリナであった。

イリナは左手にボールを持ったままマイクが設置されているステージの真ん中に到達すると、
客席の方に体を向けて可愛らしく一礼する。

「皆さん、本日は新体操の公演に来てくださり、ありがとうございます!」

客席から歓声が上がる。

この、これから行われるイリナを初めとした
合計8名の人気モデルによる新体操公演が春石への来客を増やしていたのだ。

先々週の日曜日に、ここと同じ場所で行われたのが新体操の初公演であったが、それから春石地区を含む帝国重工の関連施設にある大型スクリーンにて時折放送されていたことが、広報事業部の看板モデルの出演と相まって知名度を高めていた。

帝国重工関連の施設の例に漏れずドーム各所に、
広報事業部の放送を映すスクリーンが備え付けられている。

初回公演の放送に加えて、戦前からサハリン島漁業組合を率いていた高井義喜を介して樺太での日ロ両国民の関係は良好であり、広報事業部の雑誌などが多数持ち込まれており、モデルたちの人気も以前から高かったのも大きいだろう。特にイリナやソフィアなどは、その外見から自分たちと近しい人種であり、より好感度が高い。

イリナの挨拶が続く。

「僭越ながら、私、イリナ・ダインコートが本日最初の公演を担当させて頂きます」

イリナが短いスピーチを終えると、スタッフの一人がマイクを回収していく。
回収を終えたのを確認したイリナは、一礼して公演に入った。

イリナは音楽が流れ始めると、手に持ったボールをそれを左足の甲の上にゆっくりと羽根が舞い落ちるような感じがする優雅さで乗せ、両手と左足は接地したままで右足を地面から垂直位にあげて上体を床近くまで反る、エムジーと言われる技を行う。

見事なバランス感覚で、左上の甲の上に乗ったボールは一切動かない。

少女体型であったがスリムなボディラインが浮き彫りになるレオタードの美しさと、芸術的な要素が交わって男性のみならず女性客も視線が離せない魅力を醸し出している。

そのまま4秒ほど姿勢を保ってから、ア・テール(足の裏が床についている状態)のまま左足の膝を曲げてから、頭が床の位置まで下がるとイリナは器用に胸を反らせて行く。ボールを左足の甲と挟み込む様に右手で自らの左足太ももをに乗せ、床に面している右手と腹筋の部位で体を支える。それから、間を置かずして開脚へと移行していく。

流れるような動作で腹筋の部位を支点として、右手によってボールを固定したまま180度回転する。それを終えると今度は両足を真っすぐ開脚したまま、引っくり返る様に体位を変更した。

会場にいた人々から感嘆の声が上がる。

先ほどから背中を反ったままの姿勢からイリナは動き、両手でボールを掴むと、開脚ポーズを保ったまま背筋を真っすぐに伸ばす。ボールは右手に移り、鳩尾と挟み込む様な位置で固定され、左手は指だけ床に付く体勢になると、透かさず両足を前に揃える。

両足がぴったりと閉じる直前に左手は退避し、右手のみで支えていたボールを手助けするかのように左腕を添える様に密着させてから、そのまま背中を反らせて頭を床に着ける動作を行うと同時に両手を床側に向けて真っすぐ伸ばす。

一連の行動で鳩尾辺りにあったボールは自然と流れる様にイリナの胸から両腕へと転がり、両手の位置まで行った。

ボールの終着地点はイリナの掌ではない。

両手にボールが到達した瞬間に、両腕を真っすぐにしたまま手首をしなやかに動かし、 優しく弾くようにしてボールを押し返す。ボールが胸の位置まで戻った刹那、床の方向に向かって伸ばしていた両手を素早く両膝の付近まで移動を始る。連動するように反らせていた背中を元に戻した。

体位の変化によってボールが胸付近から斜め下に向いている両腕に沿うように転がり、手に到達すると、そのボールを左手で掴みつつ、しなやかに右足と右手を使って左足を真っすぐに上げながら上半身を起こして一回転する。

フォンデュと言われる溶け込む様な動作と、あれほどの動きにも関わらず落ちないボールを見て観客からの歓声は、先ほどよりも大きい。

"さゆり"とリリシアはイリナの公演を見守る。
スケジュールの予定で初公演には来れなかっただけに、より真剣な眼差しであった。

イリナは次なる動作として、ルルベと言う、つま先立ち状態でかかとを高く上げる、動作から爪先は床から離れない様にして床にそって滑る、パ・ドゥ・バスクを行い、優雅さと活力を表現する様に片脚を後ろに上げて片脚で立つアラベスクを行う。

それを終えると、ボールを巧みに操りながら、ジャンプしながら足を交叉するアントルシャを入り交えつつ、ステージの端に向かってボールを操りながら優雅に走っていく。端に到達するとイリナは演技のクライマックスを行うべく、ステージ中央側に向けてボールを高く投げ上げて、自らも追いかけるべく中央に向かって走った。

速度に乗るとイリナはフィニッシュを司る行動に入る。

「せーのっ、ウンッ」

観客に聞こえない程度に小さく言ってから、床に飛び込むように両手を着けて、その勢いのまま左足から上げて、続いて右足を上げる転回運動を幾度も繰り返しながら中央へと向かっていく。

「おおおおおおお!」

観客席から大きな声援が上がる。

イリナはそのまま中央に到達すると、両足を垂直に伸ばす開脚にて床に接地し、両手を伸ばして頭上にてボールを見事にキャッチすると、丁度良いタイミングで音楽が終わる。

1分半の公演だったが観客たちは大きく盛り上がり拍手と歓声の嵐が巻き起こった。
拍手や歓声に対してイリナは満面の笑みで応えつつ退出する。

静かに公演を見ていた"さゆり"が口を開く。

「イリナの努力が花開いた素晴らしい演技だったわ」

「ホント!
 次の公演も楽しみ」

「予定によると次は、リボンが得意なクレアね。
 間違いなくイリナと比べても優劣は甲乙付け難いでしょう」

「ええ♪」

さゆりの言葉にリリシアが嬉しそうに頷く。

リリシアは女性の身体を使って芸術性を表現する行いを見るのが大好きであり、
上機嫌そのものであった。

「軍のリラクゼーション用に戦前から練習していたけど、
 効果的に使えて良かったわ。
 むしろ、占領地との融和に使えたのは嬉しい誤算ね」

「ええ。
 備えあれば憂いなし……本当に痛感させられるわ」

リリシアがしみじみと言った。

今回の公演は広報事業部による戦地の慰安活動と現地住民に対する娯楽提供の意味合いが強い。もちろん、無駄の無い帝国重工らしく、今回の公演の内容は1日遅れで、日本圏にある帝国重工が有する全施設と帝国軍の各基地にて放送される事になるのだ。

これらの公演によって、ドイツ生まれの手具体操とイタリア生まれのバレエを組み合わせた新体操が史実よりも早く、世界へと広まる事になるのだった。
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【あとがき】
最初、春石地区を正三角形に組み合わせた構造材を多数並べることによってくみ上げたジオデシック・ドームにしようとしたけど、建設日数を考えて断念(汗)

新体操だけに留まらず、開放派はスケートなどもやるでしょう(笑)


【Q & A :張り付け式ゴム底足袋って…】
張り付け式ゴム底足袋には問題はないのですが、後の悲劇を避けるべく先手を打ちました。

【Q & A :あれ、ロシア人がこの時代に水着!?】
史実では日本だけでなく欧米各国に於ける海水浴では洋服のようなヘンテコ水着や下着や裸が一般的でしたが、この世界では開放派の蠢動によって変化が出ています。


意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2010年04月09日)
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