帝国戦記 第二章 第23話 『日本帝国主義:前編』
良い教師は、生徒に説明する。
優れた教師は、見本を見せる。
偉大なる教師は、生徒のモチベーションを高める。
ウィリアム・アーサー・ウォード
1904年 9月9日 金曜日
東京府から幕張へと飛行している4式輸送機「紅葉」があった。この4式輸送機「紅葉」の後部キャビン内の内装は通常機とは異なり、通信施設などに加えて、アクティブノイズリダクション(ANR)効果によってエンジン音が室内に届きにくいように考慮されている会議スペースが設備されている。
その会議室にて高野と"さゆり"は話し合っていた。
「作戦通りギンツェ中将をコルサコフにて捕らえる事ができた。
これで、サハリンに於けるロシア軍の組織的な抵抗は不可能となったな」
「はい。 偽の命令を伝えた甲斐があります」
"さゆり"の言うとおりギンツェ中将がタイミングよくコルサコフへ視察に赴いたのも中央からの暗号電文を装った国防軍の電子作戦部隊の仕業が原因である。そのお陰もあってサハリン守備に就いていた各中隊は統一指揮系統の不在という状況下に置かれていた。
国防軍がここまで行うのはロシア軍によるゲリラ戦を恐れていた事が大きい。
故に、指揮系統の破壊のみならず、サハリン攻略戦の初戦に於いてアレキサンドル、ドウエ、ツイモフ、コルサコフ、合計4か所にある武器糧食が収められた貯蔵庫を艦砲射撃によって事前に破壊するように帝国軍の作戦を誘導していたのだ。
これで、縦えロシア軍がゲリラ戦を行うにも物資不足がネックになるであろう。
「ウラジミロフカ周辺の現状は?」
「スシア川の西にあるダリネー密林までの掃討戦を終えております」
スシア川とは、ススヤ(鈴谷)山脈を源流にアニワ(亜庭)湾へ流入するウラジミロフカに隣接する川であり、北部シルトロのポロナイ(幌内)川に並ぶ大河である。また、ウラジミロフカとは豊原の事を指す。
これらの制圧戦では、車両搭載の徹甲弾を使用した際にコンクリート製の建造物すら破壊できる95式重機関銃はもちろんの事、ボフォース40mm機関砲を改良した95式機関砲(95式70口径40o機関砲)はロシア軍が使用するフランス製M1900型野砲の破壊で圧倒的な成績を収めている。しかも、機関砲と謳いつつも有効射程が4000メートル(最大射程7000メートル)に達し、射程に関しては若干劣っていたが、発射速度に勝り、更には命中精度は砲と照準器の性能もあって桁外れに高い。
また、少数であったが4式ガトリング砲の運用も行われており、比較的遠距離の敵を早急に無効化する制圧射撃用の火器として活躍している。ロシア軍のマキシム機関銃が数十挺集まっても勝てないような火力制圧の力が帝国軍将兵の心に大きな感銘をもたらしていた。
このような適切な運用が行えたのは、国防軍が事前に運用例を伝えた事と事前の演習にて行った試射が大きいだろう。
「これで、史実の南サハリン戦における、
ロシア軍が立てこもった主要個所は抑える事が出来たな」
「ええ。 それに今回の作戦ですが、後2日でも遅れていれば、
リャプノフ中将率いる部隊の増援を受けており、危ないところでした」
「その前に片付いて良かった。
装備に優越しているとはいえ、このような複雑な地形で12000名に上る
兵員が相手ともなればその損害は小さなものではない」
「まったくです」
「後続部隊の展開状況は?」
「第11歩兵連隊の過半数が上陸を終えており、2、3日中には最前線に到着します。
また、補給物資に関しては海峡の制海権は確保済みですので、
スムーズに進むでしょう」
第11歩兵連隊は、第五師団に所属する歩兵連隊であり、3個大隊の先発部隊の上陸後に投入された部隊である。この部隊は第一遠征打撃群の強襲揚陸艦3隻、巡洋艦2隻、護衛艦2隻が日本近海に達したときに、部隊が乗船していた8隻の一等輸送艦と、その護衛である護衛艦3隻と共に合流を果たしていた。
帝国軍が保有する車両は先に上陸した3個大隊が殆どを占めており、この第11歩兵連隊は他の連隊と同じように少数の車両しか保有しておらず、その大半が軽装備の歩兵であったが、高野と山縣の意向によって投入となっている。
確かに上陸を果たした機械化部隊だけでもサハリンのロシア軍部隊に勝てるだろう。それでも後続部隊を投入する理由は、上陸地点に選んだ平野はともかく、サハリンの多くの地形は山がちで第五師団が有する機械化大隊の真価が生かし難かった点にあった。それに帝国軍にとって機械化戦力の運用はまだ始まったばかりであり、これ等の部隊は教育部隊的な意味合いが強く、可能な限り不用意な消耗を避けたかったのも大きい。
また、このような事情があっても、あえて機械化部隊を上陸戦で使用したのは、迅速な展開能力に加えてロシア軍を圧倒する火力と防御力に期待していたのだ。
高野と山縣の要請に応じた西郷大将の働きかけによって、帝国軍は戦術的優位のみならず敵の部隊行動の選択肢すらも阻害するまでの優位を勝ち取っている。現に日本帝国軍の狙い通り、サハリン南部のロシア軍はまともな対応どころか、満足な移動すら出来なかった。これも適切な時期に十分な戦力を投入した結果と言えよう。
第11歩兵連隊が作戦所定位置に着いたのちの作戦は掃討しつつ北上である。連隊主力の進行ルートは単純明快、コルサコフから北上し、ソコル大谷、ドリンスクへと到達し、ボロナイスクを通過して、北サハリンのアレクサンドロフ、そしてオハを制圧し、全島の制圧を目指す。そして、サハリン中部からやや北部のボキビ対岸にあるラザレフも大陸橋頭保として確保するのだ。
最終的に北サハリンのロシア軍は火力と情報に勝る9倍近い戦力と戦う羽目になるのだろう。しかも悲惨だったのは、4式輸送機「紅葉」の航空偵察に加えて帝国軍を支援すべく、サハリンの上空20kmには国防軍が有する戦域管制型の4式飛行船「銀河」が飛行しており、ロシア軍の現状は筒抜けであった。
また、ロシア軍が援軍を送ろうにも間宮海峡に居座る日本艦隊と南太平洋に於ける三国間条約の領土失陥に伴う戦略環境の変化によって簡単にはいかない。
「しかし、ロシア軍の動きが予想以上に鋭かったな」
「高野さん、報告が遅くなりました。
私も不審に思い調査を行った結果、
コンドラチェンコ中将が動いた形跡があります」
「コンドラチェンコ中将?
ああ、思い出した…戦史課程で読んだ戦史教本では、
日露戦争に於けるロシア軍屈指の名将と謳われた人物だな」
「はい、実績と経歴からして、
防御戦の専門家と言っても過言では無いでしょう」
"さゆり"の言う通り、ロシア軍の動きがこれほど早かったのはシベリア第7狙撃兵師団長であるロマン・コンドラチェンコ中将が、中将から昇進したマカロフ大将にサハリン防備の危険性を説いていた事が遠因であり原因であった。マカロフ大将の協力を得た彼はサハリンに対する上陸の危険性を理論的に上層部に伝えて、それを受けた極東ロシア軍は9月11日にサハリン中部からやや北部のボキビ対岸から10km先にある、ラザレフ港から多数の小型船舶を用いて増援部隊を送り込む手筈を整えていたのだ。
その前に日本軍の攻略作戦が行われ、海峡の制海権を喪失した為に
増援計画は達せられなかったが、彼の評価が下がる事は無かった。
むしろ、今回のサハリン上陸を予見していた事によって
コンドラチェンコ中将の評価は大きく向上している。
史実に於いてもコンドラチェンコ中将は未完成の要塞だった旅順を、着任後の短期間で永久防塁に固められた近代要塞に作り替えただけでなく、功績のあった将兵に自ら勲章を授けて激励するなど人心掌握にも優れていた人物であった、また、戦闘に於いても自ら進んで陣頭指揮を執って日本陸軍に大きな打撃を与えている。 堡塁からの機関銃による十字砲火に加えて地雷と有刺鉄線を効果的に利用し、巧みな防御戦闘を行いつつ、海軍用の機雷を敵兵に向けて投げ落としたり、大砲に改修した魚雷を装填して砲撃するなどの工夫すら見せつけていた勇気にあふれる防戦の名将であった。
「彼が防戦を指揮すれば厄介だが…
戦端を開いた際には、戦艦による徹底的な艦砲射撃を行えば良いだろう」
「対ロシア戦における大陸での戦闘に於いては、
不用意な損害を増やさないように特定条件下を除いて、
戦艦の射程内での行動が絶対原則でしたからね」
「数に劣る軍勢が不用意に戦線を拡大しても最終的には破綻するだけだな」
「仰るとおりです」
帝国軍と国防軍は他勢力と比べて装備に優れているとはいえ、たった数個師団でロシア本土に攻め入っても最終的には敗退するに違いない。日本帝国に於ける予備戦力は乏しく、兵員の補充能力の差も歴然だった。それに三国間条約を考慮した総合的な国力比からして36対1の損害に抑えても互角なのだから、無理な攻勢は歴史が証明するように自滅にしかならないだろう。
高野は質問する。
「ところで、第17歩兵連隊の準備はどうなっている?」
「計画に遅延はありません。
第11歩兵連隊を輸送した一等輸送艦も順次帰投を行っており、
9月15日には準備を完了する手筈になっております」
第17歩兵連隊とは、西島助義(にしじま すけよし)中将が率いる第二師団、歩兵第4旅団隷下の仙台城内に駐屯していた歩兵連隊で、指揮官は渡辺章(わたなべ しょう)大佐である。また、第11歩兵連隊と同じで車両装備は殆どなかったが、それでもこの時代の歩兵を逸脱している充足ぶりであろう。
「後は結果を待つしかないな」
「ですね。
守り易く戦略的な重要な要衝を押さえていくしかありません」
「戦争……か、
早く終わると良いな」
「本当ですね……」
高野の言葉にさゆりは心の底から同意した。
幕張に戻ると"さゆり"は自分の執務室にて計画書をまとめていた。しばらくして、電子ネットワークを介して一通のメールが送られてきたのを確認する。"さゆり"はメールの内容を確認すると、時間の都合がよければ会いたいという内容であり、"さゆり"は快諾して会う旨を伝える返信メールを送信した。
20分ほどして"さゆり"は内線にてオフィスの受付嬢からイリナが訪れた知らせを受けと、
"さゆり"は快諾して会う旨を伝えて、自ら出向いてイリナとともに応接間へと向かう。
"さゆり"はイリナをソファに座らせると、
自らが紅茶と洋菓子を準備して応接間の机に手際よく並べていく。
それを終えると自らもソファに腰を掛けて口を開いた。
「イリナ、今日はどうしたの?」
「さゆりに会いたかったのと、
ちょっとした思い付きを聞いてほしかったの」
準高度AIなどはメールやファイル交換で完璧ともいえる情報交換が行えたが、電子知性体だからこそ緊急時で無い限り、直の会話を重んじていた。このコミュニケーション能力の高さが、人間社会に違和感無く溶け込める彼女たちのひとつの特性と言えるであろう。
「ありがとう、イリナ。
で、思い付きってどのような事なの?」
「樺太(サハリン)の南部攻略が完了したら帝国軍向けの
慰問と従軍娼婦を送る計画にひとつ加えたいの」
「どのような事かしら?」
「コルサコフにて、
広報事業部による公演等の慰問活動を行うのはどうかなぁ〜と思ったの」
「それは……当初から計画していた従軍娼婦とは違うようね。
内容の詳細を聞かせて」
「樺太の男女比率は極めて歪でしょ?
一時的にでも女性の数を増やすことによって住民の心を少しでも癒せれば
日本の統治も有利に働くんじゃないかと思うの」
現に、史実では日本領となった南樺太では元・流刑囚は多かったが、インフラの整備に伴って治安は急速に安定に向かい住民も日本統治を受け入れるようになっていった経緯がある。その中で一番の苦労が男女比率の歪さであった。その歪さを知っていてもあえて占領を行ったのは、史実に於いても南樺太の統治が半島統治と比べて遥かに容易で、穀倉地帯、資源地帯、海洋資源などの得られるものが大きいからである。
これらの事から帝国重工が真剣に取り組むのも当然と言えた。
現に、帝国軍の支配下にあるコルサコフでは、国土開発事業部の先遣隊が10隻の4式大型飛行船「銀河」にて、攻略と同時に乗り込んで基本インフラの整備に取り掛かっていたのだ。
その中には、プレハブ工法にて作り上げる広報事業部管轄下の娼婦街も含まれていた。また、インフラ整備などに必要な建築資材は4式大型飛行船「銀河」をピストン輸送で運用することによって、輸送船団の到着までの繋ぎとしている。
「なるほどね……
戦時下という鞭を上回るアメである、インフラ整備に加えて、
そこに、更なる祭りというアメを投入することで統治を加速させるのね」
「うん!
元々から女性が少なかった場所だけに効果は大きいと思うよ」
「確かに、これならば帝国軍だけでなく住民のモチベーションも高まるわ。
いけるわ、イリナ! 早速、二人で計画書をまとめましょう」
「やったぁ〜」
こうして、二人によって計画書がまとめられていく中、1時間ほどして広報事業部を率いるリリシアからの訪問を受けた。彼女もイリナと同じように樺太統治に関するアイディアがあったのだ。合計2450人にも上る女性の定役囚、殖民囚、農民囚に対して心理テストを行い、クリアした者に対して恩赦と帰化を取引材料として有効活用するのがリリシアの計画である。
3人は熱心に語り合い、計画を修正加味して、その日のうちにひとつの計画書を纏め上げていく。この3人によって作り上げた計画書は最高意思決定機関の賛同を得て、帝国重工の開発資本の投下によって進められることとなる。
凄まじいのは長期的な経済計画を考慮した、
産業活性を入れ込んだ観光地建設計画も加えられる徹底振りであろう。
占領地にも関わらず、搾取ではなく熱心にインフラ整備を行う、欧米帝国主義では例を見ない、奇妙な"日本帝国主義"が台湾に続いて樺太においても行われようとしていた。これは、領土に対する意気込みの違いとも言える。
この日本帝国の行いは、植民地に対して最悪とも言える搾取を行ったベルギー王のレオポルド二世と比べて全く正反対と言えるものであろう。
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【あとがき】
サハリン(樺太)の統治も台湾と同じく膨大な投資とインフラ整備で心を掴んでいきます。広報事業部は更に裏技を使って、樺太独自の産業も育てていくでしょう。
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
(2010年03月27日)
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