帝国戦記 第二章 第22話 『コルサコフ包囲戦』
すべての人には個性の美しさがある
ラルフ・ワルド・エマーソン
1904年 9月6日 火曜日
グアム島北西約1200kmにある沖ノ鳥島の港湾に入港した戦艦長門。
この沖ノ鳥島にある施設のほとんどが海上浮遊体の上に成り立っていた事が、島の周囲がすぐに深海という特異な環境が相まって、主力戦艦である長門の入港を可能にしていた。
逆に深海の為に船体サイズの制限はなく、しかも多重防波堤のように海上浮遊体で囲む事によって中規模ながらも泊地すら作りだしている。どのような艦船であっても停泊可能なのは大きなメリットであろう。更には浮力を調節することで、泊地内に人工海底を作り出しており、このような特殊な環境にも関わらず、船舶が錨をかける事すら可能なのだ。
また、沖ノ鳥島で使われている防波堤の一部は日本帝国で設置が進められているように、ケーソン防波堤型波力発電所になっており、大規模海洋温度差発電所が設置されていない現段階においても、潤沢な電力を有していた。
既に沖ノ鳥島には、帝国重工の管理下にある漁船が数隻停泊しており、漁業基地を活用し始めている。更には沖ノ鳥島港と隣接している漁業基地には専用の加工施設と保存施設が設けられており、ここを拠点とする事で少数の漁船でも加工や保存という各業務を施設側に任せる事で、漁船の稼働率を高める事が出来るようになっていたのだ。
この沖ノ鳥島から運ばれる魚介類によって日本の食糧事情は確実に向上して行くだろう。更に、樺太圏の海域を手に入れれば、水産資源の入手体制は盤石のものとなるに違いない。
事情を知らなかった戦艦長門の乗員は沖ノ鳥島の発展という範疇を超えた変化に驚くも、彼らはトラック諸島にある夏島港で耐性が付けられているだけに、流石は帝国重工というレベルの驚きで落ち着いている。これも一種の慣れと言えよう。
その沖ノ鳥島にて広報事業部の撮影が行われていた。
また、撮影現場の周辺には戦艦長門から上陸した非番の国防軍兵士たちが
撮影の邪魔にならないように見学している。
国防軍が使用する長門級は帝国軍よりも省力化が進んでおり、主力艦の半舷上陸にも関わらずそれほどの大所帯にはならない。また、帝国軍が運用してる4隻の長門級ですらイギリス帝国が運用しているモンマス級装甲巡洋艦と同じような乗員で動かせるのだ。
撮影があると聞かされた当直として戦艦長門に残った人々は悔しがったが、こればかりは軍隊なので諦めるしかない。
沖ノ鳥島に上陸した国防軍兵士が話に花を咲かせていた。
「知っていたか?」
「何がだ?」
「お前の好きなイリナが着ている水着は
彼女がビキニ諸島で撮影したときに着ていたから
そう命名されたらしいぜ」
カメラを手にしている上等兵曹が言った。
彼は話しながらもイリナ達をカメラに撮るチャンスを窺っている。
上等兵曹の手にしているカメラは大衆販売用として広報事業部から売り出されている帝国重工製の小型カメラであった。目測撮影を行うシンプルなものであったが、基本性能を生かしたまま誰でも扱いやすいように作られている。あえて例えるなら、史実に於いてアメリカ合衆国のIRC社が1936年にアーガスAとして売り出したカメラに近い性能を有するカメラであろう。
デザインは黒とシルバーのツートーンカラーで造られており、お洒落な作りになっていた。男性のみならず裕福層の女性にも人気が高い。
低価格化と持ち運びがし易いことから、国外流出を考えてこのカメラが有する機能はモノクロ写真限定であったが、それでも欧米諸国のカメラと比べて性能は段違いに優れている。また、史実の明治時代では一部の上流階級しかカメラを持つことはできなかったが、この世界の日本圏ならば貯金すれば買える額(9円75銭)であった。
もちろん、勤務中はカメラを所持する事が出来ない。
機密保持の観点から市場に流れ始めたカメラなどの情報機器は、帝国重工社員や軍部では情報管理上の観点から勤務中(任務中)は装備課に預けなければならなかった。それを怠れば厳重な罰が待っている。誰一人としてこの取り決めに文句は言わなかった。何しろこの取り決めは携帯用カメラ普及前であり、彼らは入社時に了承していたのだ。それに帝国重工の社員は日本帝国において最高の職場であり、現状を考えれば小さな取り決めなどは気にはならないだろう。また軍隊では命令で片付ける事が出来た。
そして、このカメラに使用する35mmフィルムは、小西六写真工業(六桜社)に任せている。史実に於いて小西六写真工業は日本で初めてのカメラを売り出している会社だった。小西六写真工業は、その基礎技術の高さがあり帝国重工からの一部の生産用機材の供給と技術指導によって写真用35mmフィルムという4年先の技術製品の量産化に成功していたのだ。
ビキニ水着の由来を聞かされた男性は驚く。
「ビキニ水着にそのような由来があったのか!?」
「雑誌には、そう載っていた」
「なるほどな」
「しかしだな……
微妙に小さい水着が逆に裸体よりも煽情的でたまらん」
「同感だ……良い写真が撮れたら何枚か売ってくれよ?」
「任せておけ!」
上等兵曹はグッと親指を立てて応じる。
写真と違って生で見るビキニ水着は一味違う。
瞳に焼き付けるように熱心に撮影風景を見詰めて数枚の写真を撮っていく。
それに、今回の撮影に参加するのはイリナだけではない。
日本でも屈指の上等俳優である広報事業部に所属する、美人姉さん風の二条カオリ、妖艶な美女のリリシア・レイナードと、その妹にしてウブな感じが伝わっていくる美少女のアリシアを始めとした看板モデル達が4式輸送機「紅葉」にて帝国重工本社から駆け付けて参加しており、その質の高さは保証済みである。
領土宣言を兼ねた撮影だけに、多くの人々の関心を高める必要があったが、これだけの人気のある看板モデルが参加すれば否応なしに関心が高まるのは確実だった。彼女たちの写真集は対戦国に対しても中立国を介して売られるほどに人気が高いのだ。
彼が熱心になるのも当然であろう。
やがて広報事業部が行っている撮影はイリナから、
過度な露出を常に控える純情派のアリシアに移行する。
撮影では全員が露出傾向に走るのではなく、本人の意思を尊重しつつも広報事業部はバランスをもって写真集を作り上げていくのが、幅広い層から支持を受けている理由であった。
また、ついでに撮られた長門をバックにした彼女たちの写真に関しては戦後に公開される予定だったのだ。また、戦艦長門が沖ノ鳥島にあえて入港したのは撮影に寄っただけでなく、大型艦の入港テストと沖ノ鳥島で働く人々の士気鼓舞を兼ねている。
兵達の話題が盛り上がっていく。
「イリナも良いが、アリシアちゃんの、あの純情そうな雰囲気も捨てがたい!」
「まったくだな」
彼らの雑談は、予想外の出来ごとによって中断することになる。
お目当てのモデルの一人、イリナが元気よく駆けてきて愛らしい仕草と共に話しかけてきたのだ。彼らにとっては予想だにしない出来事であった。
「イ、イリナさん!?」
その言葉にイリナは笑顔で頷く。
肌の美しさをより良く見せるように計算された水着は、露出度は高かったが品位が感じられる。ただ、イリナの水着は面積ではなく、サイズが常に微妙に小さいものを身に着けており、それが性的な魅力のあるさまを高めていた。
イリナは目を輝かせながら上等兵曹に言う。
「そのカメラで私たちを撮りに来たのかな?」
「は、はい!」
「そっかぁ〜♪
なら、せっかくなのでモデルになるよ」
「ほ、本当ですか!?」
カメラを持っていなかった男があまりの出来事に驚きを隠せず、あたふたと狼狽する。しかし、その視線はイリナの可愛らしくも、白桃を合わせた様な胸の谷間に釘付けだった。相手の初々しくも興奮を隠せない反応にイリナは少し嬉しくなる。
「うん。胸周辺が良く見えるようなポーズが良い?
それとも違うポーズにしようか」
「で、では、胸周辺でお願いします!」
「うん、いいよ〜♪」
イリナは、そう言いつつ両腕を頭の上を組んで背伸びするような姿勢をとって脇と胸を強調するような体勢になった。兵たちの興奮に感化されたイリナの頬は若干赤らんでおり、少し扇情的になっている。
我慢できなくなった上等兵曹が言う。
「と、撮ります!」
「うんうん、じゃんじゃん撮ってね!」
イリナのこの行いは、広報事業部の撮影を一通り終えた空いた時間を使ってファンサービスの一環と、自社製品を買ってくれたお礼の行動である。別の場所ではリリシアを始めとした複数のモデル達がイリナと同じようにカメラを持っていた人たちに対して写真撮影に応えるサービスを始めていた。
史実よりは遥かに入手しやすくなったとはいえ、カメラは高価な品物には間違いない。
彼女達はその感謝の気持ちを行動で示したのだった。
沖ノ鳥島で行われた撮影内容を生かした広報事業部による巧みな宣伝活動によって、沖ノ鳥島は公爵領の領土として交戦国を除いて国内外から認定されることとなるのだ。
また、今回の好評な反応の結果を考慮して広報事業部は帝国軍、国防軍を交えた自国民に対する軍に対する理解を深めることを目的とした、スポーツや写真祭などの文化的なイベントを行おうと画策するのである。
このように広報事業部に抜け目は全く無く、確実に人々の心を掴んでいくことになるのだった。
沖ノ鳥島にて撮影が行われている同時刻に、
サハリンにて日本帝国軍による制圧戦が行われている。
そのサハリン南部にある港湾都市コルサコフの中心部にはロシア式建築のドームを有するコルサコフの教会堂があった。
この教会堂にて周辺部隊の指揮を執っているギンツェ陸軍中将がいる。彼はサハリンにおける軍と官を統括して全島の行政を一任している軍務知事であったが、中央政庁のある西部のアレクサンドロフスク州から、コルサコフ州に視察に来ていた際に運悪く日本軍の侵攻にあって戻る事も出来ずに、このような場所にいたのだ。
彼らは知らなかったが、既にサハリン島南部にある中央平野の中心部にあるウラジミロフカに存在する2つの街道の結節点は帝国軍別働隊による強襲攻撃によって、その地にあった兵舎もろとも制圧されており、地上での北部から南部間の組織的な移動は不可能になっている。
このために、港湾都市コルサコフは最前線になっているにも関わらず、教会堂の周囲に立ち並ぶログキャビン様式の住宅街の大半は人の気配が感じられた。港湾を守護していたクリオン灯台とソロウィヨフカ砲台も日本軍の支配下に落ちており、陸路と海路が厳重に封鎖されていたことが大きな原因である。
周辺部隊との連絡に出ていた将校がギンツェ中将の元へ戻っていた。
「閣下、部隊状況を確認してきましたが、
この近辺の残存部隊を全て投入しても敵戦線を
突破するのは困難だと判断します」
「だろうな……先日の戦闘で残存部隊も大半が負傷者となっている。
その上に堅牢な建築物が殆ど無い、
この町では篭城戦を行っても大した効果は無いだろうな」
「それに、遮蔽物がほとんど無い平野に出れば、
敵軍が使用する小銃の餌食になります」
「確か……義和団事変から日本軍で使われ始めた30式小銃だな?」
「はい、あの命中精度は尋常ではありません」
前日に行ったロシア帝国軍による反撃は散々な結果に終わっており、ギンツェ中将だけでなくコルサコフに戻る事が出来たロシア軍全員が日本帝国軍の驚異的とも言える火力を身をもって体験している。それだけに悲壮観が強い。
30式小銃とは有坂成章が開発を行い、1896年から帝国重工の工作機械を用いて東京砲兵工廠、大阪砲兵工廠、小倉陸軍造兵廠の工廠にて生産が行われている歩兵銃である。この小銃は史実における軍用狙撃銃M24SWSに近い性能を有しており、光学照準器(スコープ)を装備すれば、高精度の狙撃銃として使える拡張性すら持っていた。
その高性能ゆえに欧米諸国がアリサカ・ライフル(Arisaka Rifle)として
名を馳せていくのだ。
それに30式小銃と対抗する事すら難しいのに、戦術航空偵察によって支援を受けて行動する高機動多用途車と戦う事などは不可能である。高機動多用途車は軽装甲しか持たない軍用四輪駆動軽汎用車であったが、それでも車上銃座に95式重機関銃、95式70口径40o機関砲、4式ガトリング砲のどれかを装備する事が可能で、軽装備の歩兵では如何する事も出来ない火力差であろう。
「また、不整地でも自由に動ける自動車に重機関銃のみならず、
ガトリング砲のようなものすら装備しており、
我々の装備では対抗は不可能です」
「その上に、市街地から離れれば砲撃か……
しかも、この北部にある山岳部も監視下に置かれているようだしな」
火力を限定しつつ市街戦を強行すれば、攻勢側にも被害が拡大することを知っている国防軍は、その危険性を帝国軍に教育すべく幾度かの模擬戦を行っていた。その為に帝国軍は市街戦の恐怖を叩き込まれていると言っても過言ではない。
「それに、空からばら撒かれる反戦ビラも無視できません」
「忌々しいが効果的だな」
「ええ……」
反戦ビラとは広報事業部が製作した降伏を誘うビラである。内容は広報事業部のイリナ、カオリ、リリシアを始めとした人気モデルなどの被写体に「故郷では貴方の恋人が待っている」「無駄死にしないで」など、戦う意欲を殺ぐような内容にあふれていた。
ギンツェ中将と話している将校の胸ポケットにも、そのビラが綺麗に畳まれて収納されている時点で、どれほど効果的だったか伺えるだろう。彼は建前として、これらのビラを敵軍の資料として確保していたのだ。保存用、観賞用と複数枚もの数を確保する周到さもあった。
なんとなく、気まずくなったギンツェ中将と話している将校が若干、視線を逸らす。ギンツェ中将は彼の不自然な様子を戦況の悪化による心労と思い、その苦労を心の中で労わりつつ話を続ける。
「市街地ごと狙わないのは国際世論を考慮しているのか……どちらにしても動くことができない時点で手詰まりだ。それに、例え籠城戦を行おうにも弾薬の備蓄も乏しく援軍の当てがない。兵員に関しては流刑囚に恩赦を与えて義勇兵として用立てる事は出来るが……それを行ったとしても補給が途絶えている現状からして、遅かれ早かれ戦えなくなる」
「はい……町の外には重装備の日本軍、
海には葛城級戦艦を擁する日本艦隊が展開しており、
自力での脱出だけでなく、外からの救出も困難になっております」
1875年5月7日の樺太千島交換条約により、サハリン全島は正式にロシア領になっていたが、ロシア帝国にとってサハリン獲得は領土目的ではなく、アムール河やウラジオストクから出港した船舶が太平洋へ出るための航路の確保である。故に最低限の開発しか行われていない。
島には軍需工場などは無く、ロシア帝国本土から運んでこなければならなかった。
また、流刑囚とはサハリン開発の為に流されてきた囚人の事を指す。
ロシア帝国にとって最極東の島を開拓するぐらいなら、まだ開発途上のシベリアを開拓するほうがマシだった。しかし、領土である以上放置するわけにもいかず、ロシア帝国政府はこの島を凶悪犯罪を犯した者たちの流刑地とし、その流刑囚たちをもってして開拓事業に従事させていたのだ。
刑罰の重いものから定役囚、殖民囚、農民囚の3種に分類され、罪の軽重や改悛の度合によって順次格上げしていく。定役囚が改悛が認められれば鎖と監視から解き放たれ、刑期の短縮のみならず結婚さえも認められていた。更には殖民囚ともなれば軍務知事の許可した区画にて農業に従事しつつ家を建てて住むことも許されている。
そして、農民囚となれば町で商工業に従事することも島内に於ける不動産の所有も認められるのだが、そのような背景もあってサハリンの人口は島の大きさに反して少ない。サハリンの人口は3万500人程度(史実では3万4000人)で、その内6割が囚人だったのだ。また、サハリンにおける女性の数が3割に満たないという少なさも、治安の悪さと開発の遅さに拍車を掛けていた。
女性の少ない場所に加えて囚人たちが多い場所に移民したがる物好きは少ない。
これは万国共通と言えるであろう。
圧倒的とも言える不利な戦況、ギンツェ中将は軍務知事という職務故に戦争以外も考えなければならなかった。戦争の恐怖による町の治安悪化、物流網の途絶による経済事情の悪化、これらの度重なる不幸な状況の織り成す中で苦悩する中、一人の伝令が入ってくる。
「失礼します! 閣下、日本軍から軍使が来ております。
どうなさりますか?」
「内容は察するが……会おう」
軍使は白旗を掲げながら、互いに交戦敵対する軍隊の間で派遣される使者であり、1899年のオランダのハーグにて取り決められたハーグ陸戦条約によって、戦場に於いてもその安全が保障されているのだ。
国防軍からの提言を受け入れていた帝国軍は、敵軍より優れた装備を嵩に掛けて無理な攻勢を行わずに包囲戦と心理戦を重んじ、ゆっくりと市街地に立てこもるロシア軍の士気を突き崩していく。このような手間を掛けたのは、帝国軍の被害を抑えるだけでなく史実では戦火によって焼失してしまったコルサコフを保全するのが目的だったのだ。
その3日後、コルサコフに立てこもるロシア軍部隊は万策尽きて降伏することとなった。
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【あとがき】
サハリン(樺太)の統治も大変そうだなぁ……。
まぁ、インフラ整備と男女比率の調整を行うことが優先ですね。
治安が悪いのは、女性の数があまりにも少なくて殺伐としすぎているのが大きいですね。
しかし、なんというか準高度AIたちって政治将校ではなく性治将校(笑)
意見、ご感想を心よりお待ちしております。
(2010年03月21日)
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