帝国戦記 第二章 第08話 『蠢動』
1904年 2月18日 木曜日
佐世保湾海戦、舞鶴湾海戦の熾烈な戦いが終わって1週間が経過している。
開戦劈頭に発生した日露間での、近代海戦において世界初ともいえる大規模な近代艦隊戦の結果に世界は注目していた。
日本艦隊に痛撃を与え、日本海軍の重要拠点とも言える佐世保軍港、舞鶴軍港に大きな打撃を与えたロシア艦隊であったが、引き換えに戦艦7隻、装巡3隻、防巡5隻、駆逐12隻が沈没し、少なくない艦艇が損傷を受けていたのだ。
また開戦翌日には日本帝国による逆襲を受けている。
上村中将率いる護衛艦4隻からなる第四艦隊「夏風」「強風」「神風」「朝風」と日本国防軍からの巡洋艦「蔵王」、護衛艦「秋月」「照月」「涼月」が合流して編成された第一任務艦隊が、上村中将指揮の元でロシアの極東部に位置する東方政策の拠点となる軍港都市ウラジオストクに対して攻撃を行っていた。
攻撃目標は都市部ではなくマカロフ中将と同じく軍港である。
船舶が停泊が出来ても補給だけでなく、
整備や修理が出来なければ艦隊根拠地として成立たないのだ。
ウラジオストク軍港は日本海に突き出したムラヴィヨフ・アムールスキー半島の南端部にあり、半島に切れ込んでいる金角湾が天然の良港になっていた。南には東ボスポラス海峡をはさんでウラジオ軍港を守る6門のスコダ305oカノン砲が設置されているルースキー島があったが、湾岸砲に比べて有効射程に勝る日本艦隊からの攻撃によって沿岸砲を無力化
に追い込まれていく。
堅牢な沿岸砲台といっても、CL-20爆薬(ヘキサニトロヘキサアザイソウルチタン)を特殊レニウム外殻で包んだ要塞攻略用特殊対地砲弾の砲撃を連続して喰らえば、完全崩壊はせずとも徒ではすまない。
こうして、ルースキー島の抵抗力を排除した第一任務艦隊は念入りに、ウラジオストク軍港施設における船舶関連の施設を重点的に攻撃していった。
特に修理用ドックとガントリークレーンの崩壊が痛いであろう。
また、艦艇の損害も小さいものではない。
港湾に停泊していた病院船を除く仮装巡洋艦「レーナ」、水雷艇24隻、商船8隻の全てが港の中で撃破されていた。
ウラジオ艦隊司令のカール・イェッセン少将が、通商破壊戦に出撃していなければ、
戦艦4隻は大きな損害を受けていたに違いない。
そして、ウラジオストク軍港が使用できなくなった事により、ロシア帝国軍における極東方面の最北端根拠地が旅順にまで下がった事が大きいであろう。また、これ以上北方にはロシア帝国だけでなく、ドイツ帝国やフランス共和国の根拠地も無い。
また、要塞砲の射程を上回る葛城級の存在はロシア帝国軍に衝撃を与え、通商破壊戦に投入すべき防護巡洋艦の多くを旅順近海の警戒任務に投入する羽目になり、少なくない負担となっているが、不思議な事に国民の戦意高揚にとって良い機会とも言える、ウラジオストク軍港襲撃における戦果を日本帝国は国内外に発表しなかった。
情報に鋭い帝国重工の広報事業部も同じである。
ロシア帝国側は日本帝国側の反応を不気味に感じつつも、わざわざ自陣営の不利になるような発表を行う必要も無かった。
出撃していたウラジオ艦隊をロシア太平洋艦隊に対する増援として派遣するという事情を取り繕う事で、ウラジオストク軍港の機能停止を諸外国から隠す事に成功していた。
それが2月18日に至るまでの大きな行動である。
日本側は艦隊戦力の大減少によって積極的な軍事作戦など行えるわけも無く、ロシア側は損傷艦艇の多さと損失艦艇によって生じた艦隊再編成により身動きが取れなかったのだ。
世界のマスメディアは日本帝国の奮闘に驚くも、
国力と補充の差から最終的にはロシア帝国の勝利を確信していた。
日露戦争に対する注目度は世界最強のイギリス帝国においても変わらず、日露戦争における影響を話し合う内容の会談がイギリス帝国首都、ロンドン・ウエストミンスター地区ダウニング街11番地にある第一大蔵卿官邸にて行われていた。
メンバーは僅かに二人であったが、そのメンバーが只者ではない。
刑法に厳格で「血のバルフォア」と言われているアーサー・バルフォア第一大蔵卿と、同じ保守党であり前植民地省大臣であったジョゼフ・チェンバレン議員の二人である。
イギリス帝国には1905年、勅許にて正式に確認されるまで首相職が無く、
第一大蔵卿が事実上の首相であった。
そのバルフォア第一大蔵卿はチェンバレン議員が集めた情報を聞いていた。
チェンバレンは、バルフォア第一大蔵卿との政策対立によって植民地省大臣を解任されており唯の議員に過ぎなかったが、それでも高い能力と実行力によって保守党の中で大きな勢力を維持している。それは解任を命じたバルフォア自身もチェンバレンの能力を認めていた。
二人の奇妙とも言える関係は日本で例えるなら豊臣秀吉と徳川家康の微妙な主従関係に近いかもしれない。
「…情報だと、日本側の損害は戦艦2隻、防巡13隻、補給艦4隻、商船6隻が沈没し、
防巡12隻、補給艦5隻、その他12隻、商船24隻が大破判定を受けていますな」
防巡とは防護巡洋艦の事である。
「1日で受けたとは思えぬ大損害だな…」
「あらかたの情報はマクドナルド駐日公使から受け取っていると思うが、
一応の為、私の方で集めた情報は見るかね?」
マクドナルドとは、アーネスト・サトウの後任として駐日公使に就いたクロード・マクドナルド駐日公使の事である。彼は1900年に起こった義和団の乱の王府篭城戦では日本公使館の駐在武官であった柴中佐らと協力して、各国の駐在者による篭城戦の指揮をとった経験がある。
チェンバレン議員の問いにバルフォア第一大蔵卿は答える。
「情報は多方面から見るべきであろう?」
「確かに」
チェンバレンという男は国益に利するならば悪魔が相手であっても笑顔で晩餐を共にするであろう男であった。彼にとって、大臣職を解任されていた出来事は小さなことなのだ。必要があれば戦争すらも引き起こし、国益の為に親友も捨てていた彼らしい態度であろう。
二人の共通点としては究極の合理主義が上がり、相違点としてはチェンバレンが冒険心を持ち、バルフォアが安定志向だった事である。
チェンバレンはひとつの書類を取り出して、バルフォア第一大蔵卿に手渡す。
チェンバレンは植民地省大臣時代に構築した商館、公使館、大使館と連動した諜報網によって常に世界中の情報を収集しており、国益に繋げようと日夜努力を惜しまなかった。その積み重ねもあって、今回の日露戦争における初戦の損害情報をほぼ正確に集めることが出来ていた。
佐世保湾海戦、舞鶴湾海戦の損害を合わせると以下のようになる。
ロシア側沈没艦
戦艦
「レトウィザン」「ツェサレーヴィチ」「アルハンゲリスク」「サンクトペテルブルク」
「インペラトール・アレクサンドル三世」「ポペータ」「ペレスウェート」
装甲巡洋艦
「バヤーン」「パミイヤ・アゾヴァ」「リュールック」
防護巡洋艦
「アヴローラ」「ボヤーリン」「アスコルド」「スヴェトラーナ」
駆逐艦
「ブニマテルニ」「グロームキー」「ブレスチャーシチー」「ベヅゥブリョーチヌイ」
「ボードルイ」「ベドウィ」「ブイヌイ」「グローゾウォイ」
「ベシュームヌイ」「ベズストラシヌイ」「レシーテリヌイ」
佐世保湾海戦後よりもロシア側の損害が増えていたのは、
東郷中将率いる第二艦隊の奮戦が遠因である。
第二艦隊全滅と引き換えに稼ぎ出した時間によって、「秋風」「夕風」「波風」
の護衛艦が砲撃可能になっていたのだ。
動けず回避行動は全く出来なかったが、自艦が静止しており安定した射撃が可能になっており、防護巡洋艦「ボヤーリン」駆逐艦「ブレスチャーシチー」の2隻を沈め、装甲巡洋艦「ドミトリー・ドンスコイ」を中破に追い込んでいた。
バルフォア第一大蔵卿が大体の情報を見終わったのを見計らってチェンバレンが言う。
「ロシア艦隊の大損害損失はロシア帝国にとっても無視できない損害だが、
これは、我々にとっても重大な問題でもある」
「ほう?」
バルフォア第一大蔵卿が興味深そうに尋ねる。
この情報通の男が捉える重大な問題は無視する事は出来ない。
「雪風級は防護巡洋艦(実際は護衛艦)で、主砲サイズが127o砲なのも確かだった。
しかし、海戦結果からして認識を変えなければならない。
雪風級はロシア艦隊の防護巡洋艦を圧倒するだけでなく、
装甲巡洋艦にも打撃を与えていた。
そして、状況によっては戦艦にすらも痛撃を与えることが出来るのだ…」
バルフォア第一大蔵卿はチェンバレンの言わんとした事を理解する。
日本艦隊はロシア艦隊と戦い敗北はしたが、海戦結果からして帝国重工が作り出した艦艇性能には並々ならぬものがある証明であろう。
チェンバレンは言葉を続ける。
「損害比率を見ればロシア側の負けであろう。
しかし、それが日本の勝利に繋がらない。
バルフォア第一大蔵卿も、そう理解していると判断して宜しいか?」
「それは間違いないだろうな。
しかし、日本海軍が驚異的な奮戦を行ったとはいえ、
主力艦の半数と艦艇の7割以上を失った以上、次のロシア側の攻勢は防げないだろう。
日露の間では大きな国力差がある。
忌々しい事にロシアにはドイツやフランスが控えているのだ…」
即答した、バルフォアは数瞬遅れて自分の言葉の意味を理解する。
危機感から嫌な汗が噴き出た。
帝国重工が自ら保有する国防艦隊と日本帝国艦隊が合流しても開戦前の戦力には届かず、逆にロシア帝国はバルト艦隊からの増援やドイツ帝国やフランス共和国からの増援によって開戦前を上回る戦力を用意できるのだ。例え日本帝国が次の戦いも初戦と同じように奮闘したとしても、やがて数によって押し切られてしまうであろう。
国家の存在意義は戦争に勝つことではなく、国家経済を発展させる事にある。
そして、日本帝国を屈服させるのに上陸戦などは必要ない。制海権を奪い商船活動を封殺してしまえば十分なのだ。日本帝国では近代社会を維持するための経済を維持できなくなってしまう。資源の輸送だけでなく、資材の輸送なども途絶えてしまうからだ。
バルフォアの反応を見て、彼も自分と同じ結論に達したと理解する。
チェンバレンは言う。
「そうだ…列強戦艦が数に劣る日本戦艦に負けた事実は隠せない。
そして、日本が負ければ、その脅威の技術がロシア側に漏れる事になるだろう」
ロシア製戦艦、以外で沈んだ戦艦は以下のようになる。
戦艦レトウィザン(アメリカ合衆国:フィラデルフィア造船所)
戦艦ツェサレーヴィチ(フランス共和国:ラ・セーヌ造船所)
元・戦艦富士のアルハンゲリスク(イギリス帝国:テームズ鉄工所)
元・戦艦八島のサンクトペテルブルク(イギリス帝国:エルジック造船所)
これらの4隻が数に劣る日本戦艦に沈められるという異常事態だった。
海洋戦略だけでなく、兵器販売ビジネスに大きな影響を及ぼすであろう。
イギリス製戦艦も2隻が沈んでおり、しかもロシア艦隊を指揮をしていたのがクリミヤ戦争で活躍した、数々の偉業で有名なマカロフ提督であった事実から諸国の海軍関係者はロシア艦隊の被害は、指揮が原因で被ったとは思わないであろう。
それに帝国重工の開発能力の高さは世界の誰もが知っている。
帝国重工が作り出した無線装置、世界初の有人動力飛行機、高性能飛行船、高性能自動車…
その中に兵器技術が加わっても少しも不自然ではなかった。
「ロシア帝国に列強戦艦を圧倒する戦艦建造技術が渡る…
これは、何としてでも阻止しなければならないな」
「この事態に対して、バルフォア第一大蔵卿はどう動くつもりだ?」
「日本帝国に対して技術提供との引き換えに我らの戦艦を渡そうとおもう。
彼らも国家存亡の危機だ、我々の戦艦を欲するだろうよ…」
イギリス帝国はロシア帝国、ドイツ帝国、フランス共和国の3国やアメリカ合衆国との関係があまり良好では無いにもかかわらず、海軍の主力である戦艦を手放せる余裕は、イギリス帝国が1889年に「二国標準」を採用していたのが原因だった。
「二国標準」とは、海軍戦力に関しては第2位と第3位の海軍を合わせたよりも多くの戦艦を建造する方針であった。マジェスティック級、ロイヤル・サブリン級、カノーパス級、フォーミダブル級、ダンカン級という各戦艦が建造されており、チリによって発注されたものを買収した2隻もあわせ、イギリス海軍は1904年までに建造中のものも含めて戦艦だけで39隻も保有していたのだ。
これらに加えて、20隻以上に上る旧式戦艦も残存している。
イギリス帝国の覇権を支える大艦隊戦力と言っても良いであろう。
チェンバレンはバルフォア第一大蔵卿の判断に満足する。
アイディアを助言する形で言う。
「妥当な判断だな。
それと、帝国重工の株でも代用できるよう計らってみてはどうだ?」
「日本人の感謝を買いつつ、美味しい部分を頂ける…か。
貴殿の案、悪くないな…」
バルフォア第一大蔵卿の言葉に、チェンバレンが続く。
「全てはイギリス帝国の為にあるのだ…当然であろう?」
バルフォア第一大蔵卿はチェンバレンとの会談のあと、秘書官を呼び出しスケジュールの中に日本帝国駐英公使の林董(はやし・ただす)と会談を明日一番に行えるように命じた。
しかし、水面下にて動いていたのはイギリス帝国だけでは無い。
2日前には既にロシア帝国が動いており、ロシア帝国に駐箚しているアメリカ合衆国特命全権大使ロバート・マッコーミックとプレーヴェ内務大臣がサンクトペテルブルクにある、ロシア古典主義建築の傑作であり、歴史的由緒のある宮殿建築のひとつのタヴリーダ宮殿にて極秘会談を行い、一つの密約を交わしていたのだった。
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【あとがき】
しかし…
この時代のイギリス帝国の海軍力は普通じゃないなぁ…
【帝国艦隊の損失状況は?】
沈没
巡洋艦:2隻
「常磐」「八雲」
護衛艦:13隻
「磯風」「浜風」
「天津風」「時津風」「峯風」「澤風」
「沖風」「島風」「灘風」「矢風」
「疾風」「朝凪」「夕凪」
商船:6隻
大破(港湾着艇)
佐世保軍港大破着底:9隻
護衛艦「谷風」
「羽風」「汐風」「秋風」「夕風」
「帆風」「野風」「波風」「沼風」
補給艦4、その他8、商船13
舞鶴軍港大破着艇:3隻
「夜風」「吹雪」「白雪」
補給艦1、その他5、商船11
帝国艦隊残存戦力
第1巡洋戦隊:「葛城」「浅間」
第1護衛戦隊:「雪風」「海風」「山風」「江風」
第2護衛戦隊:「浦風」
第7護衛戦隊:「夏風」「強風」「神風」「朝風」
第8護衛戦隊:「春風」「松風」「旗風」「追風」
第10護衛戦隊:「初雪」「深雪」
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(2009年10月10日)
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