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帝国戦記 第29話 『危機』


「危機」という言葉は二つの漢字から成り立っている。
一つは危険を表し、もう一つは機会を表す。


ジョン・F・ケネディー





1904年 2月11日 木曜日

"さゆり"の考案により、幕張補給廠からトラック諸島に向けて訓練用の弾薬を満載した、
大型補給艦「荒埼」を送り出してから1週間が経っている。

幕張港の一角に設けられた、ドームで覆われた全天候湾区画に停泊する大鳳の戦闘指揮所(CIC)に高野と"さゆり"が居た。ドイツ東洋艦隊とロシア太平洋艦隊の一部の動きが不穏なために、予定をキャンセルして警戒態勢に入っていたのだ。

外交ルートを通してドイツ帝国側から演習の通達はあったのだが、演習を行うドイツ東洋艦隊の戦力は本国から呼び寄せた追加派兵によって戦艦4、装甲巡洋艦2隻、防護巡洋艦4に達しており、何らかの目的があると考えると無視することは出来ない。

高野は知らなかったが今回のドイツ東洋艦隊の増強と演習は、
プレーヴェ内務大臣がドイツ側に働きかけたものである。

更に、日本海側でもロシア艦隊が演習を行っていた事が緊張の度合いを高めていた。
艦隊は動かすだけでも膨大な資金と資材を消費するので、何らかの理由が無ければおいそれと動かせるものではない。

そして、同時期に日本帝国領と公爵領の目と鼻の先の海上で演習を行う真意は、
軍事的圧力か軍事行動のどちらかに絞れるであろう。

この時代には宣戦布告という慣習は出来上がっていないのだ。
奇襲攻撃を受けても文句は言えない。

ドイツ帝国が、これほどの艦隊を大した準備を行わずに、
南太平洋に展開できるのには理由がある。

1899に着任したドイツ帝国オセアニア方面のアルバート・ホール総督は、ニューギニア本島、アドミラルティ諸島の施設強化を手始めとして、付近に住む部族の長をルルアイ(首長)に任命するという形でこれを統制する間接統治に力を入れ始めていたのだ。

開発労働力にホール総督は現地住民や周辺アジア諸国の住民を労働力としてオセアニア方面に集めた。 酷使による体力低下に伴う疫病の結果、約2万人の死者を生み出したが、彼らの犠牲によって ニューギニア本島の農園事業が軌道に乗り始めると、ドイツ帝国は1905年の完成を目処にして、ドイツ領オセアニア首府となるラバウルの拠点建設を始める前準備として、湾岸施設の強化を進めていた。

この様な背景もあって、ラバウル(ニューブリテン島東北部)は白人国家が支配する諸島植民地にしては珍しく開発が進んでおり、艦隊停泊拠点として利用できるようになっている。

最高意思決定機関はこの事を知っており、
ドイツ帝国に対して友好的な感情は全く抱いていない。

何を隠そう、ドイツ帝国を一番嫌っていたのは高野である。

「ドイツ艦隊の動きはどうか?」

「事前申請どおりに、ラバウルからトラック近海に掛けて演習を繰り返しています」

「ふむ…」

公爵領に対して威圧行動を行うように、
演習を行っていたドイツ東洋艦隊は以下の戦力である。

戦艦
「カイザー・フリードリヒ三世」「カイザー・ヴィルヘルム二世 」「ブランデンブルク」
「クルフュルスト・フリードリヒ・ヴィルヘルム」

装甲巡洋艦
「フュルスト・ビスマルク」「プリンツ・ハインリヒ」

防護巡洋艦
「ヴィクトリア・ルイーゼ」「ヘルタ」「フライア」「ヴィネタ」


"さゆり"は採算の取れないドイツの演習に疑問を感じていた。

「虎の子の戦艦を投入するドイツ艦隊の目的は一体何でしょうか?」

高野は"さゆり"の疑問はもっともだと思い考える。

(…確かに威圧目的だけでは、腑に落ちない。
 まるで見てくださいと言うような演習…陽動か…しかし、一体何に対して?)

高野は情報の欠片を集めるために尋ねる。

「帝国海軍の状態は?」

「ロシア艦隊の演習を受けて、統合軍令部は警戒区分を3に高めました。
 それを受けて、第三艦隊が日本海方面の警戒に入り、
 他の艦艇は出撃待機状態に入っています」

「なるほど…」


警戒区分とは日本帝国軍で使われている軍隊の状況を示す単位で、
日本国防軍におけるデフコンレベルと同じである。

警戒区分5は平和時の軍事的な準備を示す。

警戒区分4は国家安全保障に基づいて高度な情報収集の始まりを示す。

警戒区分3は一部の部隊の警戒配備を含んだ、通常より高度な軍事状況を示す。

警戒区分2は最高度の準備を少し下回る軍備を示す。

警戒区分1は最高度の準備を示す。


高野は戦闘指揮所(CIC)の端末を操作して各種情報を確認し終えると、
一つの最悪な可能性に思い至った。高野は、重々しく口を開く。

「恐らく、ドイツ東洋艦隊は戦うことではなく…
 そこに存在する事に意味に意味があるのでしょう」

「と…言うと…
 高野さんは、戦争は無いと?」

"さゆり"は興味深そうな表情を浮かべながら高野に尋ねると、
高野は"さゆり"に教え子に教えるような口調で、現状から分析した自らの考えを述べていく。

「少し違います。
 三国間条約では宣戦布告を受けなければ、自動参戦にはならない。
 しかし、参戦せずに、支援する事が目的だとしたら?
 戦わずとも戦力を吸引するだけでも立派な援護になるでしょう」

長門級戦艦を除けば、帝国軍と国防軍の艦隊戦力は、直接入手できなくても間接入手によって、ほぼ列強に知られていた。 彼らの諜報能力は決して侮れない。

「まさか!
 ドイツ東洋艦隊は私達を介入させない為に存在しているですか?」

「最悪の可能性が当たっていれば、この演習中にロシア帝国と日本帝国の間で戦争が勃発だろうな。そして、救援の為に日本国防軍が公爵領を空ければ、公爵領は何らかの理由でドイツ帝国の保障占領を受けるに違いない。例えドイツが動かなくてもイギリス帝国やアメリカ合衆国による保障占領が行われるに違いないだろう」


保障占領とは、特定の相手国による一定条件の履行を、間接に強制し確保するために行なわれる相手国領域の占領のことである。

大きな例を挙げると、史実の1940年5月はイギリス帝国が戦争協力を強制するためにアイスランドに軍を派遣して占領していた。更に、1941年5月には親英政権の樹立と石油確保の為にイラクを占領し、同年の8月には英ソ両軍が隣国のイランをも占領している。

また、正義を掲げるアメリカ合衆国ですら正式参戦以前の1941年7月にもかかわらずアメリカ合衆国もこのアイスランド占領に加わっていた。

この様に、史実では世界のいたるところで保障占領が行なわれている。

守るべき軍隊が減少するような状況になれば、公爵領だけでなく日本本土すら保障占領されてしまうだろう。国際社会は弱肉強食なのだ。

植民地主義を掲げる国家に対しては非武装中立という考えは通用しない。
非武装主義は犯罪に等しい妄想であり、最悪の利敵行為とも言える。


「高野さんの仰るとおり、例えドイツが動かなくても、
 歴史が証明している通りに、イギリス帝国やアメリカ合衆国が、
 保障占領に動く可能性はかなり高いですね」

「ええ、だからこそ、我々は相手の目的が判っていても戦略環境が変わらなければ、
 不本意であっても、策に付き合い続けるしかない」

アメリカ合衆国が中国大陸進出の中継拠点として欲しがっていた、
グアム島を帝国重工が領有していた事から保障占領の可能性は低くは無い。

平和主義者は決して認めようとはしないだろうが、軍事的に軽く見られると言うことは国際社会上で大きなデメリットなのだ。

保障占領の危険性を打開できるのが先制攻撃によるロシア、ドイツの艦隊戦力の撃破であったが 、日本帝国側からの宣戦布告は、今の状況からして有り得ない。

ロシア帝国からの圧力と言えば演習だけであり、演習に反発して先制攻撃を行えば日本帝国は世界の同情を集めることが出来ない。外交戦略上の優勢を勝ち取るために、ロシア側からの一撃を受けてからでなければ動けなかったのだ。

「確かに、高野さんの仰るとおりですが、時期的に不味いですね。
 帝国海軍が有する4隻の戦艦の砲撃訓練は始まったばかりです。
 それだけでなく、通常訓練すら足りていません。
 工作用商会に働きかけて先延ばしにしましょうか?」

"さゆり"の言う通り、どれだけ優秀な艦艇と言えども十分な訓練が無ければ役には立たない。
帝国海軍の従来艦艇から掛け離れた船に慣れねば為らないだけでも訓練期間が延びる。そして、単艦での訓練が済めば次は艦隊行動の訓練を行わねば為らず、これらの要素から戦力化に1年は掛かると見られていた。

日本国防軍が有する長門、陸奥は改修工事に入っており、来月まで動かすことは出来ない。最高意思決定機関は1905年を目処に戦争を始める予定だったのだ。日本帝国だけでなく、帝国重工の予想を上回るプレーヴェ内務大臣の執念がこの事態を生み出していた。

日本国防軍が戦略環境を考慮して、使用できる戦力は、巡洋艦2、護衛艦20、補給艦4である。
国防軍は陸上戦力も保有しているが、戦艦と撃ち合って勝てるような火力は流石に有していない。対艦に用いるのは運用目的が明らかに違う。

つまり、現段階に於いては、広大な海域に点在する公爵領を守るのは国防艦隊しか無い。

高野は、戦争の際には国防艦隊が帝国艦隊に協力して敵艦隊に対抗する計画を高野は立てていたが、 プレーヴェ内務大臣の策によって作られた戦略環境によって、当面は公爵領を守るために国防艦隊は動かすことは出来ないだろう。

("さゆり"の言う通り…
 工作用商会を使って、間違いなく戦争に繋がる要素を含む演習を止めさせるか?)

高野は現状の軍備状態を考えると、開戦は避けたかった。
1対1ならば、巡洋艦の葛城級であっても列強の戦艦には負けはしなかったが、4対1では負けてしまう。
主砲は強力だったが、装甲防御に関しては高くは無い。

艦の構造上必要な強度はあったが、砲弾の直撃を食らって耐えるという性格のものではない。小型艦艇の砲弾はある程度は防げたが、305mm砲を防げるような装甲は有しておらず、被弾時には水密隔壁などによって出来るだけ被害を局限するという思想で設計されていた。極めて沈みにくい船であったが不沈艦でも無く、複数の戦艦と撃ち合えるようには出来ていない。

性能では勝っていたが、それだけの要素で必ず勝てるほど海戦は甘くは無いのだ。

(いや…下手に動けば今後の計画に支障が出る。
 今を凌ぐ為に未来を失う危険性を冒すのは絶対に避けねば為らない)

帝国重工は敵国の政界をある程度は動かせるような工作商会を有していたが、これらは大きな戦略プランに沿って動いていた。 確かに、工作商会の力を持ってすれば、強引にでも開戦を遠のかせる事は出来るであろう。

しかし、下手に動いて帝国重工との関わりが見破られたり疑われたりすれば本末転倒である。 高野は最悪の状態での開戦が起こる可能性を視野に入れつつ、動くことを決断した。

「しばらくは苦しい状態が続くと思うが、
 先の事を考えれば下手に戦略プランを変更するほうが失うものが大きいだろう」

「では、このままで?」

「相手が動くのを待つが、此方側もデフコンレベルを2まで上げておこう。
 それと…軍事関連の生産ラインの稼働率の上昇も頼む」

幕張地区や公爵領にて帝国重工が有する日本帝国の発展を支える生産施設を失う事は、高野は大敗北に等しいと認識していた。

高野の本心は帝国重工の施設だけでなく、日本本土の安全を守りたかったが、戦略的観点からそのような無責任な命令は下せない。高野率いる日本国防軍は日本帝国の発展の為にも、最悪の場合は他を犠牲にしてでも、帝国重工の生産施設を最優先で守らなければならないのだ。

"さゆり"は敬愛する高野が内心では苦しんでいることを知っており、その事を思うと居ても経っても居られずに、高野に寄り添って手を握る。

「高野さんの決断は間違ってはいません。
 副官としてではなく、私個人としてでも、そのように思っています」

「ありがとう」

高野は"さゆり"の心配りを嬉しく想い、握られた手を優しく握り返しながら考える。

(私がロシア帝国軍の司令官ならば…
 艦艇数の限られた日本側の弱点を付くように、
 太平洋艦隊の数を生かした、各個撃破を主眼に置いた攻勢と、
 ウラジオ艦隊による同時多方面の通商破壊を展開するな…)

ロシア帝国海軍がアジア側に展開している艦隊戦力は戦艦19、装甲巡洋艦10、巡洋艦11、防護巡洋艦16、駆逐艦16、水雷艇47、仮装巡洋艦4、その他22、に膨れ上がっており、史実と比べて大きく増強されていた。高野が懸念するのも当然である。

高野に寄り添った"さゆり"が励ますように言う。

「高野さん、これでも史実の日露戦争よりは戦備が整っています。
 いいえ、戦備だけではなく経済に関しても史実より好調なので、
 大きな間違いが無ければ大丈夫ですよ」

「そうだな…ありがとう、気が落ち着いたよ」

「どういたしまして!」

"さゆり"が高野に向けてニコリと笑う。
その表情を見た高野は心が癒されると同時に、少しだけ心臓の鼓動が早くなった。
この世界に来て、9年という月日が流れており、時の流れによって"さゆり"だけでなく高野の心も少しの変化を見せ始めていたのだ。
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【あとがき】

ロシア太平洋艦隊(ウラジオ艦隊を含む)が馬鹿みたいに強化されているのは、史実のバルチック艦隊に編入された新鋭戦艦がロシアの経済状況が史実よりも良かった為に、早めに建造に取り掛かっていた事が原因になります。

日本が売った戦艦も混じってるよw


【Q & A :世界を灰にすれば勝てるのでは?】
今の日本帝国の経済は良好ですが、グレシャムの法則を利用した経済戦略によって世界各地から格安で資源を手に入れている結果です。

それを失えば日本帝国は未曾有の大不況に見舞われるでしょう。

反応兵器などを使用して、既存の支配機構を破壊しても日本にはメリットは無いので行いません。 それに直接統治を行う人的資源すらないので…
世界の資源地帯の直接統治なんて悪夢(汗)


意見、ご感想お待ちしております。

(2009年07月30日)
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