帝国戦記 第20話 『間接アプローチ戦略』
冷静な平和主義者であろうとするなら、新しい格言を基礎におくべきである。 それは、君が平和を望むなら、戦争を理解せよということだ。
リデル・ハート
1899年 12月11日 月曜日
帝国重工はアメリカのフレデリック・テイラーに先駆けて高速度鋼の特許を獲得。
これによって、金属材料の効率の良い切断が可能になった。
1899年 12月15日 金曜日
帝国重工はアメリカのチャールズ・H・ノートンに先駆けて重研削用研削盤の特許を獲得。
1900年 1月1日 月曜日
日本帝国で使われている紙幣が日本銀行券に統一。
1900年 1月10日 水曜日
日本国防軍の組織改編。役職制度に伴い高野や"さゆり"達が昇進する。
高野さゆりが少将に昇進して、話題を集める。
1900年 1月19日 金曜日
欧米日の裕福層の間で使われていた帝国重工、生命環境事業部の化粧品が中流層の間においても大ヒット商品になる。発売初期から使い続けてきた人々の失われない若さが人気の火付け役となった。
1900年 1月27日 火曜日
北京列国公使団、清国政府に義和団の乱鎮圧を要求する。
1900年 2月1日 木曜日
日本帝国において小学校令改正。
これによって授業料が無料になり、教育期間を4年から6年にまで伸びる。史実では同年の8月20日に行われたが、財政の余裕によって早くなったのだ。
1900年 2月5日 月曜日
ヴィクトリア朝時代から続く由緒正しい英国評論誌クォータリー・レヴューにて帝国重工の科学技術の高さが論議される。
1900年 2月21日 水曜日
帝国重工、重工業事業部は1903年に誕生するフォード・モーターに対抗するために日本国内向け限定であったが史上最初の4WDハイブリッドシステムとシフト・バイ・ワイヤ機構を盛り込んだ燃料電池自動車である一般自動車、大型自動車、軍用自動車、高級車の4種の開発を始める。
幕張地域、グアム島、トラック諸島にて信号機を含む交通網の整備が進んでいる、この地域の公共施設と会社設備での使用を主眼に置いたものである。
1900年 3月16日 金曜日
日本帝国は私設鉄道法公布。
それと同時に帝国重工の国土開発事業部が主要都市間の鉄道網の整備を開始する。
1900年 4月4日 水曜日
日本帝国の新宿町にある陸軍士官学校の跡地を中心に建設が進んでいた統合軍令本部が完成する。日本全土の通信網と連結した先進的な警戒管制システムが備えられたものであった。
1900年の日本帝国の財政歳入は史実の2億9580万を上回る4億120万であり、使い道も前年度と同じように国内開発重視と言っても過言ではない。
日本の軍備に関しては限られた予算内でスローペースであったが帝国重工の手厚い支援のお陰で、出来る限りの強化が進んでいる。
陸軍は30式小銃の充足率を75%にまで高めており、少数であったが葛城級巡洋艦の主砲身を流用した155o野戦重砲の配備も始められている。そして海軍に関しては葛城級4隻の竣工を終えており、長門級4隻の建造も幕張造船所にて順調に進んでいたのだ。
また、日本国防軍向けの長門と陸奥は慣熟訓練に入っており、SUAV網の監視の下で他船舶に遭遇しないように運用されていた。停泊地は幕張港ではなく、関係者以外が立ち入りにくいトラック諸島に出来た仮設港に夜間入港する念の入れようである。
ようやく海上戦力も一息つけると言えよう。
現在の日本帝国艦隊の第一線戦力は葛城級巡洋艦4、雪風級護衛艦32である。第二線戦力が富士級戦艦2、吉野級防護巡洋艦3、松島級防護巡洋艦3、エスメラルダ級巡洋艦1、そして練習艦として秋津洲級防護巡洋艦1、千代田級三等巡洋艦1であった。
葛城級巡洋艦の排水量はイギリス帝国の主力艦のフォーミダブル級戦艦とほぼ同等であり、船体の大きさは葛城級の方が大きかったが、海外では戦艦の船体に巡洋艦の主砲を装備する珍妙な大型艦として見られており脅威には見られていない。
しかし、船体に溶け込んだような先鋭的な大型艦橋とバランスの取れた美しい船体デザインは海外からの大きな関心は集めており、欧米の軍事関係者からは「帝国重工は優れた民需製品は作り出せても、戦艦に関してはデザイン偏重で戦闘能力は巡洋艦並」と評価されていた。
欧米諸国は葛城級の本当の性能を知った時に驚くであろう。
葛城級の性能はイギリス帝国海軍の主力戦艦フォーミダブル級戦艦の意味の通り、「恐ろしい、驚くべき、猛烈な」の性能を現す言葉通りの船だったからだ。
最高意思決定機関は帝国重工製の新鋭艦の充実によって、海外では最新鋭戦艦であったが日本帝国軍の上層部からは"新鋭旧式戦艦"と皮肉られていた富士級を売却する事にした。
もちろん陳腐化した艦艇を売却して外資を得るだけが目的ではない。
高野は世界的な水準に留まる範囲でロシア帝国軍の軍事力を強めて、ロシア国内に存在する対日強硬派の勢いを強めるのが目的である。日本に対する露骨な圧力を掛けてくれば世界に通じる開戦の口実になる。これは、20世紀中期で活躍した英国人のリデル・ハートが提唱した間接アプローチ戦略を応用した策略だったのだ。
こうした背景もあって、日本帝国は国内開発優先を理由に半島利権売却時と同じようにロシア帝国の対日強硬派筆頭の内務次官を通じて艦艇売却を打診すると、イギリス製の新鋭戦艦という魅力的な艦艇である事から予想通りの反応が返って来た。
もっとも、この場合においては、強硬派が欲に転んだという表現が正しいのだが…
1900年 4月13日 金曜日。交渉の場として指定された朝鮮半島に佇むロシア総領事館に坪井大将が率いる日本の交渉団が艦艇売却交渉の為に来訪していた。
ロシア側はロシア帝国におけるアジア通の在朝鮮総領事のカール・イバノビッチ・ヴェーバー総領事とアジア方面の艦隊司令の内定を受けている、一等巡洋艦アドミラル・コルニーロフの艦長時代に3度の世界周航を経験しているエヴゲーニイ・アレクセーエフ少将が参加している。
ロシア帝国内務次官ヴャチェスラフ・プレーヴェ等の対日強硬派らは、今回の艦艇売買はイギリス製最新鋭戦艦を手に入れつつ、日本海軍力を削ぎ落とす良い機会と捉えており、可能な限り値切りつつ購入するように各方面に働き掛けていたのだ。
対する日本側はロシア語が話せる駐韓公使の加藤増雄(かとう ますお)と帝国重工からの顧問として、同じくロシア語が話せるシーナ・ダインコート中佐が参加している。20歳中頃に見える優しげな容姿をした白人系美女である彼女は、美人四姉妹として雑誌を騒がしている次女ソフィア、三女イリナ、四女イリアの長女であった。
エヴゲーニイ少将は手渡された紙を見て驚きの声を上げる。
「この内容は真ですか?」
彼が知っていたのは、日本側の軍縮に伴ってイギリスに発注し、完成したばかりの新鋭戦艦の売却であったが、手渡された紙には2隻の防護巡洋艦が余計に記されていた。
「真であります。 日本帝国が有する半島利権は殆ど無く、それなのに不必要な艦艇を所持する事に陛下が疑問視されたのです。それならば、新鋭戦艦と共に必要以外の艦艇を売却し、国内開発に当てるべきだと勅命を下されました」
公使の加藤は勅令書に書いてあった通りの内容で応えた。
「確かにイギリス製の新鋭戦艦をこの価格で入手できるならば…半島海域の防衛の目処が立ちます」
エヴゲーニイ少将は満足そうに頷くも、カールは若干不満な表情をしており、疑問の声を上げる。彼は、日本の戦艦売買打診は国内に存在する強硬派の勢いを強めることになり内心では乗り気でなかった。
「何故、我が国にお売りになろうと?」
カールの言葉にシーナは平然と応じる。
「イギリス製の新鋭戦艦なら買い手は他にもあるでしょうが、それでもイギリス帝国の心情を害する危険を冒してまで、真っ先にロシア帝国を選び、私達の買値よりも新鋭戦艦を安くお譲りするのは、エフィム・プチャーチンの紳士的な対応のお礼なのです」
エフィム・プチャーチンとは1853年、日本に来航し日露和親条約を締結するなど、ロシア帝国の極東外交で活躍した伯爵であり政治家である。
アメリカ使節ペリーなどが武力を背景に恫喝的な態度を取っていたのとは対照的に、プチャーチンは幕府から全権を与えられていた外国奉行の川路聖謨に対して紳士的に対応するだけでなく、日本の国情を尊重して交渉を進めて行ったのだ。
また、プチャーチンは報告書の中で、川路の事を「鋭敏な思考を持ち、紳士的態度は教養あるヨーロッパ人と変わらない一流の人物」と評するなど、人種で差別をするような人間では無く、人間的にも一流と言っても過言ではない。安政東海地震の際に発生した津波にさらわれた日本人数名を救助するなどもしている。
欧米諸国の中で日本人を人間として見て真摯に対応してくれた数少ない人物であろう。
「むぅ…」
シーナの正論と情を考慮した言葉にカールは声も出ない。
しかし、購入するかしないかは、本国からの指定された範囲に治まる値段次第である。
「では、どうでしょうか?
富士級戦艦は1隻110万ルーブルに致しますし、3隻の防護巡洋艦もお付けいたしましょう。
代金に関しては鉱物資源払いでも大丈夫ですよ?」
新鋭戦艦だけでなく、全体を見ても大振る舞いであった。
日本がイギリスから購入した金額よりも1割以上も安く、資源払いでも受け付けるシーナの言葉が決めてになって、日本帝国とロシア帝国の間で、富士級戦艦「富士」「八島」、吉野級防護巡洋艦「吉野」「高砂」、エスメラルダ級巡洋艦「和泉」の5隻に上る艦艇を220万ルーブル分の鉱石資源と交換する事が決定した。
「吉野」「高砂」は欧米においても第一線に属する艦艇である。この2隻をロシア帝国に無償で渡したのは、彼らにイギリス製軍艦を運用させる目的があったのだ。
このように日本艦隊からイギリス製軍艦を一掃した理由は後の戦略に関係がある。
また、交渉が紛糾せずにスムーズに纏まったのは、強硬派による介入だけでなく、シーナが提示した修正案の額がロシア側の許容金額内に収まっていたからだ。それもそのはず、日本側は帝国重工による暗号電文の解読によって、ロシア側の金額上限を事前に知っていたのだった。
シーナからの暗号通信を受け取った"さゆり"は高野と大鳳の執務室にて話し合っていた。
「ロシア側との交渉は無事に終わりました」
「そうか…いよいよですね。
アジアにおける橋頭堡となった半島、新鋭戦艦、もうすぐ完成するシベリア鉄道…
史実と同じようにプレーヴェ内務次官が本格的に動くでしょう」
高野が重々しく呟く。
「プレーヴェが動き出すとなると…戦争は近いですね。
1905年まで延ばしたかったのですが、史実よりも早くなる可能性がありますね」
"さゆり"が寂しそうに答える。
彼女も高野と同じく戦争は不回避なものとして捉えていた。ロシアの巨大化をイギリス帝国が黙って見過ごすはずも無く、間接アプローチによってロシアの弱体化を計ろうとするのを見抜いていた。史実の日露戦争も同じような展開だったからだ。
高野が口を開く。
「戦争によって利を得る者達が出てきます。
利を得るために戦争を煽る者も…」
"さゆり"が高野の言葉を続ける。
「でも…私達が、その儲けを無くしてしまえば良いのですね?」
最高意思決定機関の戦争のシナリオは決まっていた。
戦争の際には日本帝国が戦時国債を発行しなくても良いように無駄なく戦いつつ、軍需物資は海外や国内企業からは購入せずに帝国重工が生産して補っていくのだ。
つまり、本格的な戦時体制に移行せずに戦争を行うのである。
史実においては日本帝国は1170万ポンドの正貨しか持っておらず、戦争遂行に必要不可欠な資源、装備、物資の購入に苦労して、海外投資家に対して好条件で当時の国家予算を上回る国債を販売していったが、この世界においては違っている。日本帝国も史実よりは豊かで、また帝国重工は去年の段階で秘密裏に6億ポンドに上る各種資源を確保していた。
6億ポンドの資金があれば、日本は3回は日露戦争を戦えるのだ。
そして、帝国重工は欧米よりも優れた民需や軍需を問わずに生み出す事が出来る。6億ポンド分の資源を帝国重工が使えば、18億ポンド以上の資金に匹敵する力になるだろう。
戦時国債を発行して、海外から足元を見られた価格で、わざわざ帝国重工製と比べて型落ちする旧世代兵器を購入する必要は無い。国内で十分な装備と物資が手に入るのだ。
そうなれば、戦争で利を得ようとする商会や投資家達は、戦時国債の中で唯一購入できるロシア側陣営が発行する戦時国債をこぞって購入していくであろう。
大国ロシアと小国日本の戦いは、欧米から見れば戦う前から、勝ち負けが決まっている戦争であり、ロシアの戦時国債を買うのに躊躇う必要などは無いであろう。安心確実な利益…しかし、日本はその期待に応じる義務は無かった。
やがて暴落する戦時国債を大量に購入して、最終的に泣くのは自業自得である。
「ね…高野さん、戦争が起こったら…こちらの損害を出さないようにして苦戦を演じさせつつ、ロシア帝国側の戦時国債を高騰させてはどうでしょうか?」
「戦時国債の売れ行きを後押しをして上げるんですね?」
高野が"さゆり"の考えを理解して答える。
「はい! それに投資家達に対して身をもって儲けの無い戦争を経験させれば、世界から少しでも戦争が減ると思いますので…」
"さゆり"は戦争で暴利を貪ろうとする強欲な投資家達に対して遠まわしであったが、戦争は儲からないものとして教育しようと考えていたのだ。
「確かに、やってみる価値はありますね」
高野は優しげな表情を浮かべつつ、椅子から立ち上がって"さゆり"に近寄ると、彼女の頭を優しく撫でていく。"さゆり"は気持ちよさそうに、うっとりとして高野の暖かい手を感じ取っていく。擬体であって平時モードであれば、人間が生きていくために必要な、「食欲」「睡眠欲」「性欲」すらもあるのだ。普通の女の子と何ら変わりが無い。
「……はぃ…」
愛する高野に触れられている"さゆり"は夢心地だ。
「忙しくなるまでに、一度休暇でも取りますか?」
高野との関係は、心の繋がりだけでも満足していたが、最近の"さゆり"はイリナ達の後押しもあってもう少しだけ、前に進みたいと感じるようになっていた。高野の申し出は"さゆり"にとって絶好のチャンスであった。
もっと高野を感じたいと思う様になった"さゆり"は勇気を振り絞って、小さなワガママを言う。
「た、高野さん…こ…今度の休日に…い、一緒に春島まで…りょ、旅行に行きませんか?」
「いいですよ」
高野の即答に"さゆり"の表情が嬉しさ一杯に染まる。
性行為に至らなくても、春島にあるホテル「ブルーオーシャン」の客室にあるベットは全てワイドキングサイズのダブルベットであり、一緒に寝る事が出来るのだった。愛する人との距離の接近は"さゆり"にとって、最高の贅沢であろう。
イリナから貰った決戦用のネグリジェナイティドレスの出番もあるかもしれない。
戦争が始まってしまえば、忙しくて出かける時間も作れなくなる可能性もあるので、"さゆり"は微笑ましく健全な思い出であっても、平和な内に一つでも多くの思い出を作ろうと決意していた。
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【あとがき】
リデルは間接アプローチ戦略を提唱した人ですが、私も彼の戦略が大好きです!
特に間接的な手段を用いて弱体化もしくは弱体化に繋がるようにしていくのが好み。
ただし、ロマノフ王朝は援護していきますよ〜
司馬遼太郎の「坂の上の雲」で広まった俗説と違って、史実のニコライ2世は日本贔屓でした。
「日本のものはすべて以前と同じように私の気に入っており、日本人の1人である狂信者が嫌な事件を起こしたからといって、善良な日本人に対して少しも腹を立てていない。 かつてと同じように日本人のあらゆるすばらしい品物、清潔好き、秩序正しさは私の気に入っている」
猿なんて軽蔑していたら、日本で暴漢に襲われた後でもこんな事は言えないよ…
三国干渉にしろ、ロシアの強行なアジアはすべて周りの人物が皇帝の意見を捻じ曲げて勝手にやっていた事だし。
ともあれ、最高意思決定機関は戦争が近いのと、最低限の防衛戦力が整ったことで、高度科学技術製品を前よりも多く出していきますw
【Q & A :現在の世界最大の商会は何処?】
ロンドン・ロスチャイルド商会です。
ライオネル会長は"個人"で正貨換算で16億4000万ポンド相当のお金を持っています…
一人で八八艦隊計画を26回ほど実行できますねw
帝国重工は世界の財閥順位から言えば12位ぐらいの場所にいます。1位になっても1社 VS 多数の戦いという厳しい現実が(汗)
意見、ご感想お待ちしております。
(2009年06月12日)
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