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帝国戦記 第14話 『シベリア開拓事業団』
ロシアの対アジア戦略は順調そのものである。
昨年の1896年6月には、史実と同じように巨額な賄賂を用いて清国とロシアの間で日本を仮想敵国とした「露清条約」が結ばれていた。
さらにシベリア鉄道の短絡線として、ロシア資本が管理する東清鉄道を清領内に敷設する権利も認めさせていただけでなく、排他的行政権も手にして、鉄道から離れた都市や鉱山も鉄道附属地として支配下に置いていたのだ。
「朝鮮半島はどうかね?」
「教化は無理だと判断します」
ロシア皇帝のニコライ2世と財務大臣セルゲイ・ヴィッテ伯爵がモスクワにある大クレムリン大宮殿の一室で話し合っていた。
「ふむ…まぁ、損は無い。
金鉱脈も見つかって、重要度が増したぐらいだ」
「ええ、それに教化は失敗しても、シベリア開拓事業団で使えば問題ありません」
「確かに、半島を廉価で差し出してくれた日本には感謝だな…」
「そうですね」
シベリア開拓事業団とは1895年にモスクワからクラスノヤルスクまで開通したシベリア鉄道の補強工事や、それらに関連する建設事業の事であった。
部分的に開通していたシベリア鉄道は工期短縮の為に可能な限り、トンネル工事を行わないように作られていた事から、山岳部において急カーブが多い。また、場所によっては整地が十分ではなく不安定な地盤もあって、列車の速度は普通旅客列車で20km/h、貨物列車で15km/h、特急列車で32km/hでしかなく、輸送効率を上げるための補強工事は急務であった。
朝鮮半島の利権を手に入れた変化によって、
史実では無かった、このような事業団が発足している。
「労働力の集まりはどうか?」
「順調そのものです。
元々から朝鮮半島は慢性的な食糧不足だったので、食の保障で簡単に済みました。
これにはフランス資本も積極的に参加しております」
セルゲイは国内改革と同じように半島に対してもフランス資本を中心とする外資の積極導入を図るなどして、開発の促進に取り掛かっていた。これにより国内インフラが貧弱だった半島も、鉄道を中心とする輸送部門や軽工業や農業部門の開発が史実よりも進んでいる。
史実どおりに米国資本が雲山金鉱採掘権を1895年6月に獲得していたが、殷山金鉱採掘権(史実1896年9月英国資本)と金城金鉱採掘権(史実1897年2月独国資本)を獲得したのはロシア資本ではなく、ニコライ2世の資本だった。
更に、この時代では見つかっていない8つの鉱山も見つかっており、露国資本は橋洞、徳安、陽栗の、仏国資本は萬庄、金豊、南倉、それぞれ三箇所の採掘権を得ている。
重要度が増した結果、ロシアとフランスからの投資が増えていた。
足りない資本に関しては、ドイツ帝国の地に本拠地を置く、帝国重工との取引で急成長を続けるアーヴァイン商会が手助けしていたのだ。また金倉、新延の採掘権はアーヴァイン商会が採掘権を獲得している。
半島の支配者は朝鮮人ではなく、資本投下量からしてロシア人とフランス人であった。
1894年に成立した露仏同盟に従って、フランスも治安維持用の兵力を半島に展開し始めている。フランスは普仏戦争での敗北によって、アルザス、ロレーヌの喪失と50億フランに上る賠償金を支払っており、これらの損失を埋め合わせる為に半島経営に力を注ぐしかない。
ニコライ2世は言う。
「我々が食糧を用意した分だけの労働力が集まるとは…便利な場所だな」
「全くであります」
慢性的な食糧難に見舞われていた朝鮮半島であったが、朝鮮王朝の1895年度の歳入は155万7,000元しか無く、飢えた民に対して食料を施す事すら不可能だった。これは、日本円に直せば155万円に等しい額であり、この程度ではまともな国家運営は不可能と言えよう。
そして、追い打ちを掛ける様に事実上のロシアの保護国になった朝鮮国には宗主国であるロシア帝国の許可なくしては他国と貿易を行う事は出来ない状態になっている。またニコライ2世は知らなかったが、朝鮮王朝が八方塞の中、ロシア・フランス側についた朝鮮商人が国内の乏しい食糧を買い集める事で食糧価格を吊り上げる事によって朝鮮国の食糧状況の悪化が加速度的に進んで行ったのだ。
そうした状況の中でシベリア開拓事業団が「家族単位での衣食住保障、しかも湿気は少なく、夏でもとても涼しく過ごせる職場」
として、労働力を公募すると、食糧難に陥っていた彼らは群れを成してシベリア開拓事業団に応募して行ったのだ。そこには、日々悪化する食糧事情から逃れるために否応なしに参加した者も少なくない。
インフレによって朝鮮王朝が発効している"元"通貨の信用下落だけではない、歯止めが利かない人口減少と食物供給量の減少によって、困窮の度合いが強まって行く悪循環に陥っている。
しかし、同じ半島でもロシア人やフランス人が生活しているロシア特区やフランス特区では未曾有の好景気で活気に満ちていた。
「で…シベリア鉄道の開通予定は?」
「予想よりも早くなります。
我が軍の護衛の下、彼らは不眠不休で作業に従事しております」
セルゲイは安価な朝鮮半島の労働力によって、ロシア帝国の農民負担を減らす政策を考えていた。特に中央から離れたシベリア方面の環境改善を考えており、後に自ら農業問題特別審議会を設置し、自ら同審議会の責任者として土地改革案を作成していく事になる。
「大丈夫なのか?」
「彼らはロシア帝国、いえ…
偉大なる白人民族の繁栄の礎となれるのです、感涙の極みでしょう」
「そういうものか?」
「はい、アメリカにおける黒人と同じようなもの…
彼らの努力と献身がシベリア一帯を豊かな土地に変えていくのです」
「なるほどな」
シベリア鉄道はアジア植民地の極めて安価な労働力を呼び寄せる大動脈として、ニコライ2世だけでなくロシア議会やフランスからも大きな期待を集めていた。大きな期待を掛けられたシベリア開拓事業団はロシア帝国軍とフランス共和軍に見守られながら期待に応えていく。
事実、シベリア開拓事業団はその期待に応えて、シベリア鉄道の強度が増すだけでなく、史実の1904年9月25日の全線開通よりも3年以上も早い1901年1月15日に開通するのだ。
"さゆり"とイリナは幕張地区の周辺に作られた歩行道を雑談を交わしながら歩いていた。
二人の後ろを3匹の子狼が日が落ちた中、ゆっくりと付いていく。
これは子狼の散歩も兼ねた土曜日の"さゆり"の日課とも言えた。
幕張地区は既に帝国重工の所有地であったが、自然を可能な限り壊さないようにフェンスが張られた緩衝地帯と警戒エリアの前に整備された全天候型の公園や歩行道が作られている。
これらの歩行道や公園には等間隔に電灯が整備されており夜間歩行に問題は無いのだ。
また、環境に配慮して耐久性も高く軽量で廃熱効果もあるだけでなく、水や酸素を浸透させてブロックによって覆われている下の大地を死なせない効果のある、多孔性セラミック・ブロック・レンガが歩行道に綺麗に敷き詰められていた。
夜間には、複合商業施設のように綺麗にライトアップされる幕張製鉄所を始めとした帝国重工の各種施設が見ものである。
帝国重工の作る洒落な場所は周辺に都市でもあれば大いに賑わったであろう。しかし、帝国重工は、船橋町から浦安村は別として、本社に近いこの一帯の開発は、社員の憩いの場所として整備を進めているだけであり、観光地としての人気には興味が無いのだ。
それでも休日ともなれば、景観と環境の良さから周辺の村々からそれなりの人々が遊びに来ていた。真田の凝り性とも言えるこだわりが土地の価値を高めているのは流石と言えるであろう。
その高い景観価値を有する公園を歩く、"さゆり"とイリナ。
二人の姿が着ているシフォンワンピースが月の光と電灯から放たれている柔らかい光を反射しており、幻想的ですらあった。
4月の少し肌寒い夜の春風を気持ちよく感じつつ、イリナが口を開く。
「さゆり」
「なに?」
「高野さんとは関係は順調?」
「順調ですよ」
さゆりはイリナの質問に少し嬉しそうに答えた。
表向きは高野の義娘になっている"さゆり"は、幕張の一角に建築したイギリス・ルネサンス様式の高野公爵邸(以後、高野邸と表記)にて高野と一緒に生活を行っている。また、世間体もあって高野邸には、その規模に相応しい規模のメイドの姿も見られた。ただし、このメイド達の正体は不測の事態に備えて、その半数が特殊作戦群に所属している準高度AIである。
このようにさゆりはメイドとして住み込んでいるはるなを始めとした他の準高度AI達と共に、高野邸の家事全般を受け持っている。
社宅を兼ねた超高層商業ビルの建設はまだ行われておらず、この高野邸は高野とさゆりの居住区だけでなく、商談や賓客を持て成す場所を兼ねていた。 もちろん恒久的なものではなく、船橋地区のビル建設と同時期に幕張中枢にもビル建設工事が行われる予定になっていた。
計画しているのは、商談施設、社宅、研究施設を兼ねた本社ビルである。
その内訳はメインフレーム部分は極秘だが、地下30階+α、地上85階、緊急時の擬体メンテナンス施設を備えた強化複層ポリマーガラス製で作られたガラスカーテンウォールの超高層ビルなのだ。第三任務艦隊は省力化の進んだ通常艦隊と違って、揚陸部隊や設営部隊も含まれており、これほどの規模の受け皿が必要になったのである。
現在は、乗員の大多数が幕張湾の一角に作られたF字型桟橋に停泊している艦艇の艦内で生活していたが、高野は侯爵という立場上から外部の人との接点が多く、艦内に生活拠点を置くことは出来なかった。
立場というのは明確な住所が必要になる。
「高野さんとの関係は私だけじゃなく、皆も応援しているから」
イリナは優しい笑みを浮かべつつ、"さゆり"に言った。
「ありがとう…」
高度AIや準高度AIが使用しているバイオミメティックス(生体模範技術)を多用した自己再生が可能な生体素子で大部分が作られた潜入諜報用擬体のお陰で容易に人々の生活の中に溶け込む事が出来るだけでなく、望めば人生の伴侶としても行動する事も出来るのだ。
「焦らずに、ゆっくりと関係を強めていけば良いと思う」
「そのつもりよ」
イリナはしんみりとした雰囲気を払拭するようにニヤリと笑ってから言葉を続ける。
「それに…義娘だとしても、同じ屋根の下に住むまでに関係が進展しているなんて、聞いたときにはビックリしたんだから〜」
「あ、あの時は…ひっ、必死だったから…」
"さゆり"は顔を赤らめながら答えた。それを見たイリナは見る者を魅了するような天国の石と呼ばれる宝石サファイアに近い色をした瞳で"さゆり"を見つめ、ニコリと笑みを浮かべながら言葉を続ける。
「絶対にその幸せを手放しちゃダメだよ!」
「うん……イリナ、心配してくれてありがとう…」
"さゆり"からの感謝の言葉にイリナは愛情すら感じさせる爽やかな笑顔で応じた。
イリナの心には異性に関してオクテな親友を手助けして、その想いを成就させたい気持で満ちていたのだ。
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【あとがき】
ニホンオオカミの習性の送り狼は再現しませんでした。
大型動物を監視する必要は無いしw
シベリア開拓事業団の活躍でロシア帝国は史実よりも豊かになりつつあります。
そして、このシベリア開拓事業団は後に、ベリア開拓事業団となるのだった(ぇ
また、史実と同じように日本の千葉の長坂に内国樹種見本林、七曲に外国樹種見本林が1897年に作られます。
【Q & A :帝国重工は金山を把握しているの?】
把握しています。
ロシアとフランスが多数の鉱山を手に入れたのは、帝国重工側の情報リークですw
その代償でロシアとフランスは半島に腰までどっぷり浸かっていますw
残る金山はまだ知らせていません…知ったら、首まで浸かりそうだねww
橋洞、徳安、萬庄、金豊(史実では橋洞金山梶j
東倉、大楡洞鉱山(史実では大楡洞鉱山梶j
天祐、山豊、青山(史実では三菱鉱業梶j
金倉、新延(史実では三成鉱業梶j
昌城(史実では明治鉱業梶j
陽栗(史実では東洋産金梶j
南倉(史実では内外鉱業梶j
甲岩(史実では甲岩鉱山梶j
陽栗(史実では東洋産金梶j
日露戦争が起こってもクーン・レーブ商会、パンミュア・ゴードン商会は儲からないでしょう。
そういやアーマンド・ハマーもなんとかしなければ…
意見、ご感想お待ちしております。
(2009年05月21日)
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