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帝国戦記 第12話 『雪風級護衛艦』


1896年(明治29年)に「総則」「物権」「債権」の財産法部分が制定。
史実では無かったが、それと時を同じくして大隈重信が失脚する。

原因は明治22年(1889)の黒田清隆内閣にて外務大臣を勤めていた大隈重信が領事裁判権の回復、関税自主権の一部回復を主眼においた米・独・露と条約調印交渉において外国人裁判官任用問題であった。

これは、大日本帝国憲法に定められている3つの法律…すなわち、19条(日本臣民は法律命令の定むる所の資格に応じ均く文武官に任ぜられ及其の他の公務に就くことを得)21条(日本臣民は法律の定めたる裁判官の裁判を受くるの権を奪はるることなし)85条(裁判官は法律に定めたる資格を具うる者を以て之を任ず)の、これらに反していた。

それが国民の間で再び話題となり、問題視されたのだ。

史実では志を盾にして定められている憲法を捻じ曲げ、後の悪しき前例を作った大隈重信であったが、今回の処罰により、憲法違反の末路がどの様になるかを万人が知る結果になった。

これによって大隈重信が大正5年7月に侯爵に叙される事は無い。

また、失脚した大隈重信の代わって駐ロシア公使を離任した西徳二郎(にし とくじろう)が選ばれる事になる。1902年に生まれる彼の三男は、史実のロサンゼルスオリンピック馬術競技に於いて金メダリストを獲得する西竹一であった。

大隈重信の失脚は、独裁的な藩閥政治を望む者達からは喜ばれたが、時を置かずして彼らも腐敗を指摘されて失脚し、それに対して反乱や陰謀を企てたものは、特殊作戦群によって証拠を押さえられ、勲功者であっても厳格な処断が下されて行く。

これも明治天皇と高野の計画の一つであった。

議員定数に300名にも上る帝国議会を定数100人まで減らして、議会機能の健全化と腐敗に対する監視機能の強化に繋げるだけでなく、更に大隈重信らが考えていた、無用な国力の消費を招く大アジア主義の蔓延を防ぐ側面もあったのだ。




1896年 11月27日 金曜日

帝国重工は舗装用などの資材として多孔性セラミック・ブロック・レンガの販売を開始。
主に国家開発委員会による開発で使用が始められる。




1896年 12月7日 月曜日

日本鋳鉄疑獄によって建設工事が停滞していた淀橋(よどばし)浄水場が運転を開始。

帝国重工の国土開発事業部は国家開発委員会を通して、1895年12月20日に工事中断までに使用した資金の同額で淀橋浄水場を買い取ると、約11ヶ月の大改修工事と1500万円にも上る資金を投入してバイオプラント浄化設備を有する超先進的な施設へと作り変える。

本格的な水道管工事は国家開発委員会が1897年から始める予定で、現在は街路に設置された共用水栓を利用するものであったが、蛇口をひねればいつでも清潔な水を大量に得る事が出来るようになった事は東京市民から大いに歓迎される。

特に主婦にとっては炊事・洗濯・掃除といった家事の負担を著しく軽減し、その喜びは並大抵のものではない。

帝国重工や国家開発委員会が、ここまで資金を掛けるのは1923年に起こる関東大震災に備えて、1920年までに東京を作り変える心算だったのだ。

帝国重工は計画に従って、土地買収を積極的に行っていく。

国土開発事業部の責任者は本人の強い希望により真田が就任していた。彼は少年時代に遊んだ街開発ゲームを大人になってもプレイを続けた位に愛しており、その影響もあって、見た目の美しさだけでなく、住み易さも重要視していた。

購入した土地の大部分は防火区画と避難地区を兼ねた、一般開放を目的とした図書館、博物館、運動場、大規模な自然公園に作り変えていくつもりなのだ。

そして明治三陸地震を理由に勅令によって、史実では1950年に制定される建築基準法が54年も早い、1896年に制定される事となった。不要な出費が増える財界は難色を示したが、民衆の支持を集めている明治天皇の勅令は絶対である。

帝国重工の国土開発事業部が作り上げる建造物は構造体そのものの強度や靭性を向上させる"耐震"だけでなく、粘性流体素材を多用する等の"免震"技術と、地震力を建物内部の機構により減衰させたり振動を"制震"にすら気をつけており、彼らが作り上げる帝国重工関連施設や建築物は関東大震災級の地震であっても問題なく耐えていくであろう。




1896年 12月11日 水曜日

灰色の船体に先鋭的なデザインをしている重厚な雰囲気を持った軍艦が航行していた。
巡洋艦に見えるサイズの艦艇であったが、独特の雰囲気からか並みの巡洋艦よりも強そうに見える。

その船は雪風級護衛艦一番艦の雪風であった。

雪風はエンジンを長距離航行を終えた後に、全速前進から停止後に全速後進を行って、船を急停止させるクラッシュ・ストップ・アスターン試験を無事に終えて、幕張近海にて兵装公試に入るために目的地点へと航行していた。

日本海軍側の海上公試責任者は大佐から少将へと昇進した上村彦之丞である。

防護巡洋艦秋津洲の乗員330名から必要人数を選抜し、帝国重工側の指導を受けながら9月から各種のテストを行いつつ繰艦訓練を兼ねた運用を行っていた。残る秋津洲の乗員は2番艦「海風」、3番艦「山風」に乗り込んで基礎訓練を受けている最中なのだ。

兵装公試を行う海域に到達したのを海図にて航海長が確認すると、砲術士官に声を掛ける。

「砲熕公試海域に到達…標的艦を双眼鏡にて確認せり」

「了解!」

航海長の言葉に応えた砲術士官は上村少将に声を命令を掛ける。彼らが着ている服装も明治20年に制定された軍衣ではない。47式個人防護装備の廉価版を海軍向けに改良したものを着用している。耐火、対破片、だけでなく彼らが感動したのは膨張時の浮力は9500gに達する救難ホイッスルであった。

「上村少将、砲熕公試を始めて宜しいでしょうか?」

上村は史実と違って常備艦隊参謀長ではなく実戦部隊の少将へと昇進しており、新設の第一護衛戦隊司令への内定が決まっていた。そして、今回の砲熕公試には海軍大臣の西郷従道大将が異例であったが明治天皇のお達しによって見学者として参加していた。

砲術士官の声に上村は応じた。

「砲熕公試を開始しろ」

西郷は従来とは違って速度を増した作業経緯に驚きつつも、流れを黙って見ていた。

そして、帝国重工に属する軍人の制服を見て感嘆する。

雪風に乗り込んでいる帝国重工に属する軍人とは高野中将と、彼に付き添う高野さゆり大佐や高野はるな大尉などの準高度AI搭載の擬体達である。天皇大権に含まれる軍制大権によって帝国重工は明治天皇から独自の兵力を持つ事が公式に許されていたのだ。


その独自軍事力とは、民間軍事事業部の実戦部隊である。

名称は日本国防軍。

帝国重工が自らの予算を持って帝国の一翼を担う軍事力。

公式にも動き出した日本国防軍を見た陸海軍の将兵は極めて少数であったが、既に軍隊としての体裁が整っていた事に驚くも、それ以上の驚きが彼らに待っていた。そう、美女や美少女に見える女性達のお洒落な軍服姿は余りにも衝撃的だったのだ。しかも指揮官クラスも少なくない。

軍隊に女性が働く内容に嫌悪感を持っていた者も、知的で御しとやかで美人の女仕官を見て態度を180度変えていく。変化の建前は功労者である高野殿の軍を貶す事は非国民であると…

時代は変わっても、男性軍人の心理を考慮して生み出された彼女達の設計思想は有効に働いたのだった。それに高野の功績も相まって国防軍の存在を否定する者は帝国軍の内部にて公式には居ないであろう。

このような政治環境の変化に伴って、軍服改定を行う為に水面下で動いていた山縣と西郷はより多くの同士を集める事に成功したのだ。更に日本国防軍と接触した陸海軍の佐官達が合同で立ち上げた彼女達の私設応援団や後援会すらも作られている。

西郷は色々な状況の変化を思い出しつつ、ソフィア・ダインコートを不思議そうに眺めていた。

帝国重工の製鉄部門責任者として装甲板を開発した神崎大佐は日本人なので不思議は無かった。しかし、帝国重工にて54口径127o連装砲の開発を担当したとされるソフィア少佐は流暢な日本語を話しているが、青い瞳、銀色の髪と、どの方向から見ても白人系美女である。

しかし、高野の説明によると300年以上前に日本近海で難破した外国船から漂着した一行が、高野の一族に保護されて、最終的に高野の一族と共に暮らしてきたらしい。これでは、見た目は白人だが、心は日本人と同じと言われれば納得するしかないが、どれだけ幅の広い一族なのだろうかと、西郷は不思議でならない。

西郷は世の中には不思議が溢れていると改めて確認した。

高野がソフィア(準高度AI)を面前に出したのは、日本帝国を意味不明な純血主義に陥らないようにするためだった。将来の計画において、それなりのロシア人が日本に逃れてくると予想されており、それの事前対応とも言える。日本帝国優先の方針は変わらないが、日本国内で貢献する外国人を排除する心算など最初から持ち合わせてはいない。

この時は知る由も無かったが、ソフィアの妹のイリナは帝国重工の広報事業部に所属しており、日本国防軍の女性士官達の写真集を作るべく動き出してすらいる。

水着姿、軍服姿…イリナはともかくとして、さゆり、はるな、ソフィアだけでなく、イリナの暴走気味な熱意は全ての女性仕官を巻き込んでいくのだった…

そのような未来を予見すらしていない西郷は考えを切り替えて、砲熕公試に意識を集中した。

「第一、第二、第三砲塔、統一射撃、回路正常…」

表示装置と位置入力装置を兼ねたOEL(有機エレクトロ・ルミネッセンス・モニター)の画面操作装置(タッチパネル)に表示された数字を砲術長が指で押して行く。初めて触ったときは驚きの余りに立ち尽くした砲術長であったが、今では慣れたものだ。工廠艦では、通常キーボードよりも此方の方が容易く生産出来るのだった。

水兵たちの士気も高い。

金属製甲板のお陰で、毎朝木製の甲板の雑巾で磨き上げてから蝋を塗った帆布で磨かなければならない、大変な労力を必要とした掃除から永遠に開放されたのだ。また、先進的な電気調理器などが整った艦内調理室のお陰で、帝国重工の開発した真空パックを多用した野戦食も相まって、水兵の中に多い貧民層出身の者達は今までに食べた事の無い良質な食事が出るようになり、生き甲斐にもなっていた。

何しろ、デザートすら出るのだ!

勤務状況の改善によって水兵の士気は高まっており艦内の動きは極めて良好である。

更に今回の試験中限定であったが、高度AIのさゆり、準高度AIのはるな、ソフィアだけでなく他の手が空いている準高度AI達がデザートを配るのを手伝っていた。日によってデザートの内容は変わるが、食堂で食事をしている兵士達の下に美女や美少女達の手で美味しいプリンやフルーツ等が運ばれてくる…これで士気が高まらない方が不思議であろう。

「諸元情報入力良し!」

射撃準備が早いのは、艦内電話による明確な情報伝達に加えて、主砲射撃装置が設置された昼戦艦橋にいる砲術長の元で全ての砲塔の操作が行われているからだ。統一射撃は各砲門が自由に各個照準及び射撃を行うのと比べて命中精度が大きく向上した。もちろん万が一の時には各個射撃が可能になっている。

もちろん、それだけではなかった。

照準に必要な照準手追尾式と夾叉式観測法の計算を諸源入力後に自動で行う射撃管制装置にはICチップが搭載されていたのだ。当初は必要以上の高度技術は装備しない方針だったが、機械式コンピューターでは値段の割には命中精度も悪く、ICチップを搭載する運びとなった。

それ以上に技術漏洩防止の意味も兼ねている。

1940年代級の機械式コンピューターは1896年においても理論が解析され、部分的に模倣される可能性が高かったが、ICチップに関しては技術段階からして7世代ほど離れており解析すら出来ない。また、盗難予防として統合電力システムから提供されている電磁波結合率にあった電力の断絶をはじめとした幾つかの条件が満たされないまま、24時間を過ぎるとICチップなどの重要機材が自壊する様にナノウェアを仕込ませてすらいた。

観測方法に関しては目視であったが、搭載している望遠レンズの性能も高く、熟練者が扱えば初期型電探に匹敵する能力を出す事が出来る。 そして、電波探査の概念は1900年に出来てしまうので、雪風級には電波照準やレーザー照準を何時でも装備できる拡張性すら有していた。

「主砲準備完了!」

号令と同時に西郷や周辺の海軍士官は双眼鏡を構えて無言で目標となる標的艦を見る。双眼鏡を構えるのを確認した上村は命令を下す。

「発射っ!」

上村の号令と共に砲術長が発射ボタンを押す。
低い警告音が鳴ってから、発射を命令する電気信号が砲塔へと伝えられると、95式54口径127o連装砲から砲弾が次々と放たれていく。

西郷は帝国重工側から半信半疑に聞かされていた有効射程24,000m、対地目標ならば29,800mも射程内という性能を信じると同時に驚く。長射程だけでなく自分達の知る大砲よりも遠距離まで届き、しかも砲弾速度が速いのか、着弾するまでの時間も短かったのだ。

「一番仰角2度下げ、二番仰角3度上げ、三番仰角1度上げ…」

海面に着弾した水柱を見て、砲術長が角度を修正する。 それが終わると再び砲撃が始まった。

「全砲撃挟狭…砲撃続行!」

それからは信じられないような速度で砲弾が打ち放たれていく。
しかも砲撃音の間隔が変わる事が無い。

「なにっ!?」

西郷は驚きの声を上げる。

艦橋から見える127o連装砲の砲身から、流星雨のように次々と砲弾が放たれていき、標的艦として改装された比叡に炸裂していくのだ…

まるで機関砲のように。

朝鮮水域警備の任を解かれ、三等海防艦から標的艦として改装された2,250tの船体を、初弾発射から、たった10秒にも満たない時間で鉄骨に木を張った船体が粉微塵に砕かれて海へと消えていく。

機密保持を考えて帝国重工は、この瞬間まで主砲の性能を外部に知らせていなかった。

海軍大臣の西郷であっても、有効射程の情報しか知らされていない。上村は高野の正体を知っていたために、事前情報として聞かされていたが、現物を見て沈黙する。

旧式艦艇とはいえ、従来の戦艦主砲の射程外から装甲コルベットだった三等海防艦を簡単に撃沈した実力に驚くしかない。

機関砲の様な連射を行えたのは砲塔のメカニズムに秘密がある。

127o砲には自動装填装置が備え付けられており、露天甲板上の砲塔部と、その直下の6基の即応弾マガジン・ドラムと下部揚弾ホイストおよび管制室より構成されており、砲塔旋回軸を中心に等間隔で配置され、各44発(計264発)が装填されていた。

各ドラムには異なった種類の弾薬を弾庫内から装填可能であり、従って、コントロール・パネルの操作で3種類の弾種を即応準備弾として用意することができる。砲塔内の弾薬装填装置上で信管が調整されてから砲に装填、発砲後に薬莢は砲身下部の排出口より砲塔外に排出されるようになっていた。

この95式54口径127o連装砲の砲身命数は約22000発であり、発射速度は毎分70発に達している。さらに連続発射可能弾数は88発に上り、各砲塔下部にはそれぞれに308発の砲弾が収納されていた。全自動電気油圧式で砲塔部分には人員は必要無い。

そして、使用砲弾は弾頭と推進薬が一体化している単弾頭弾(ユニタリー弾) である。ペイロードは従来型の半分に抑えつつも、砲弾性能の向上によって攻撃力が変わらない優れた利点があった。自動装填装置は2065年からすれば枯れた技術であり信頼性はきわめて高い。

ICチップに続いて、1896年の技術水準を大きく引き離した装備品を使用したには訳がある。

工廠艦から作り出す装置では低技術兵器の生産は逆に難しく、逆に日本国内の工作機械では低技術兵器であっても信頼性のあるものは早急には製造できず、この位の"自動化"は統合電力システムと同じように"我慢"するしかない。

これらの装備品は艦艇設置型なので誰にも知られずに盗み出すのは不可能であろう。もちろん、艦ごと盗み出した場合の備えも施されている。

そして、1896年においては、修理部品や弾薬ですらも帝国重工でしか作れないが、輸出商品では無いので一向に構わない。また、当初計画していた必要乗員が204名から87名まで減ったのは、自動装填装置などによる徹底的な自動化に伴うお陰である。

贅沢して低性能な兵器を作る余裕などは無く、高性能な兵器を我慢して使うという、世にも不思議な現象が帝国軍で起こっていた。

呆然と比叡が存在していた海上を見ていた西郷に高野は声を掛ける。

「西郷閣下、帝国重工の考えをお聞きください」

「なんでしょう?」

高野の問いかけに、西郷は我を取り戻す。

「帝国重工は、雪風、海風、山風、江風だけでなく、
 次の4隻も無償にて帝国海軍に納品したいと思っています」

「なんですと!?」

西郷は高野の予想外の言葉に驚いた。
最初の4隻の話ですら青天の霹靂であったのに、更に四隻とは予想だにしていない。

「貿易の要である海上通商路を守る事こそ海軍の役目です。帝国重工は貿易経路あっての企業ですので、私達はそれに対する先行投資をしたに過ぎません」

しかも、高野の言葉は相手に恩を着せない言い様であり、帝国重工の生み出す高性能軍艦と、それを無償で提供してくれる高野の存在は予算不足の海軍にとって救世主に等しかった。 軍部における帝国重工と高野の評価は近衛師団を通じて兵器性能に触れた陸軍だけでなく、海軍に於いても今回の兵装公試も相まって更に高まっていく事になるのだ。

主砲試験の次に行われた、95式62口径57o単装速射砲、95式70口径40o連装機関砲の試験も満足の行く結果を迎え、兵装公試の最終評価は「優良」「良」ではなく「鬼神の如く」と書かれる事となる。

優れた代艦の登場によって、防護巡洋艦秋津洲、巡洋艦千代田は練習艦として格下げされ、浪速級防護巡洋艦の浪速、高千穂と摩耶級砲艦の摩耶、鳥海、愛宕、赤城は造船所で順次解体して資材へと転用される事が決定した。

雪風級護衛艦を建造した第一大型ドックでは帝国海軍向けの葛城級巡洋艦の葛城、浅間と雪風級護衛艦の浦風、谷風の建造が始められている。

帝国重工が作り上げた幕張の第一、第二ドックは将来に備えて350m級航空母艦(発着甲板幅:81.2mに達する)を建造する能力を有していた。故に第二大型ドックひとつであっても、長門級戦艦の2隻同時の建造は難しく無く、1898年の竣工を目指している。さらに開いたスペースにて、日本国防軍向けの改雪風級護衛艦の秋月、照月の建造すら着手されていたのだ。

長門級の設計を見直したのは、量産に伴う船体の建造費有効利用を狙った将来の拡張性を強化するためだった。帝国重工は帝国海軍向けに戦艦の無償提供を計画しており、第三大型ドックの建設すら始めている。

将来を見込んで既存艦よりも大きなドックを作り出した例は少なくない。

史実において、山本権兵衡の肝いりで海軍拡張費を削ってまで押し進められ、1903年に作られた呉海軍工廠もその一つである。史実では大和級戦艦だけでなく、戦後には日本経済を支えた大型タンカーなどを多数建造したのだ。これは、山本権兵衡の先見の明であろう。

幕張造船所の強化は、日露戦争に備えるというよりも、列強の諜報活動の活発化に伴う対応であり、最悪な事態に備えての先行投資である。

そして、帝国重工が日本で使用する全ての船を作る訳ではない。

横須賀海軍工廠では帝国重工の技術指導の下、日本国内造船産業の育成を目的とした大型商船の建造がゆっくりと始められていた。
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【あとがき】
1896年12月に帝国重工はスペイン国王に対してグアム島、サイパン島、パラオを含むマリアナ諸島、カロリン諸島の購入を秘密裏に打診して交渉を始めています。史実ではドイツ帝国に2500万ペセタ(1675万マルク)で売りました。…当時のレートは1円は2.15マルクだから、1500万円もあれば購入できるでしょう。帝国重工は即決ならば6000万円で買う予定です。

例えスペインが渋っても、国力低下とキューバで起こった第1次独立反乱やフィリピン島で勃発した革命運動の鎮圧資金に苦しんでいるので、米西戦争になったら確実に売るでしょうねw

日米戦争に備えて、サイパン、パラオ、トラック、ラバウル、ブナ(ニューギニア方面)要塞化を進めたいし、またブナには森林資源やニッケルなどの地下資源だけでなく、豊富な遺伝子資源もあるので…ぜひとも欲しいですね。

二宮忠八…どうしよう(汗)
ライト兄弟に勝っても金にはならんし…うーむ…

【Q & A :日本の現在の国力は?】
日清戦争開始時は当時のアメリカの中堅企業並みの財力しか無く、そんなに急に列強並みには届きませんので、国家歳出は1896年4月の段階で2億5850万円(史実 約1億8700万)です。史実と比べて拡大した理由は国内投資のお陰です。未開発に等しい日本国だから、その効果は劇的に現れてきます。ロシアに売った半島利権220万ルーブルも投資に加わっています。

【Q & A :国家予算が増えたら軍事費は増えるの?】
史実のように国家予算の55%とか可笑しな額にはしません。今は国力が小さいので比率は高く見えますが、1900年には2.5%に抑えたいです(汗)

【Q & A :帝国重工の現在の純利益は?】
1896年12月の段階で2億8000万円です。

主な使い道は、2000万を幕張周辺の土地追加購入、6000万を軍事費(正確には資材費)、1億円を東京の土地買収に使用。国家予算の半分近くに達する買収劇です(汗)

【Q & A :日本に何で白人系の容姿をした準高度AIが?】
東欧から日本に逃れて(アメリカに押し付けられた)日本に移住した白人もそれなりにいます。その白人系日本人の部隊、また日本外人部隊に対応するものとして作られました。心は日本人だけどw

【Q & A :雪風級に戦闘指揮所はあるの?】
戦闘指揮所を設置するスペースは確保してありますが、電波探索が主流になるまで使用されないでしょう。

【Q & A :砲身命数に約22000発は多すぎませんか?】
1941年4月に作られたM198(155o榴弾砲)でも砲身命数は2000(7号装薬)〜30000(6号装薬以下)です。

【Q & A :地震対策で免震レトロフィットは行わないの?】
すべての建造物を耐震設計に作り直すことも、免震レトロフィット工事を行うにも、明治に作った構造物が弱すぎるので新規建築のみに制定しました。

【Q & A :半島はどうなっているの?】
ロシアよりも暖かい地域なのでロシア人の保養地として開発が始まっています。
元々住んでいた人々は少しずつロシア帝国軍の護衛の下、1895年にモスクワからシベリア鉄道が開通したクラスノヤルスクに出稼ぎに向かうことになっています。現地で建設する水力発電所建設は常に人手不足なので…


【修正後の長門級戦艦 性能】
基準排水量:43,500t、全長:272.5m、全幅:36.5m、吃水:10.96m

機関:統合電力システム 230.2メガワット
燃料搭載量:4,875t

最大速度:33.5 kt、巡航速度:19.5 kt、航続距離:巡航で18,600海里
乗員:士官・兵員:685名

兵装
95式50口径406o連装砲 4基(8門)
95式54口径127o連装砲 12基(24門)
95式62口径57o単装速射砲 20基
20式近接防御用THPL(戦術高パルスレーザー) 2基
その他

この時代では狂気のレベルですねw
日露戦争前に列強に知られた時の言い訳が、ハヴォック級水雷艇駆逐艦の240t(基準)とロイヤル・サブリン級戦艦の14,150t(基準)を比べると約59倍も離れています。しかし、雪風級護衛艦と長門級戦艦は約13.5倍しか離れていません。

そして、残念な事に日本の技術力が足りなくて軍艦を構成する部品を小さく作れなかった……白人至上主義なら理解してくれそうな言い訳ですね……たぶん(笑)



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(2009年05月16日)
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