|
帝国戦記 第11話 『疑惑』
1896年(明治29年)6月15日 月曜日 午後7時32分30秒に明治三陸地震が発生。
震度自体は小さかったが太平洋プレートの境界面には柔らかい大量の堆積物が数分にわたってゆっくり動き、その独特の動きが大きなエネルギーを海水に与え大津波へと発展した結果、史実において2万1千人名以上の死者を出したのである。
しかし、この日本では地震発生時に丁度、明治天皇の勅命によって行われた陸海軍を動員した青森県、岩手県、宮城県にて実施中だった夜間災害対策訓練と重なっていたのだ。そのために観測史上最大の津波にも関わらず、人的被害は345名に留まっていた。
このように人的被害は最小限に抑えられたが、移動出来た船舶以外の物質的損失は抑えようも無く、家屋流失9878戸、家屋全壊1844戸、船舶流失971隻、堤防、橋梁、山林、農作物、道路などが流失、損壊して、被害総額が680万円に達した。大震災の損失で日本国内に暗い影を落そうとしていたが、明治天皇率いる政府は迅速な対応を行う。
日清戦争によって得た賠償金より用意していた災害準備基金から350万円、帝室御料から350万円の捻出に加えて、帝国重工からの1500万円にも上る援助金によって災害復興が遅滞無く始められたのだ。
明治天皇によって救済された2万1千人以上の震災者は、その事実を知ると明治天皇が行った判断を国内投資に続く御聖断として褒め称え、更に畏敬の念を強めていく。
同じように、帝国重工が1500万円にも上る膨大な無償投資ともいえる援助金の内容を聞きつけた新聞各社は、事の真相を確かめるべく帝国重工東京支店に殺到した。帝国重工の高野総帥は記者団を前にして「このような災害が再び起こったときに備える予防ですよ」と答え、膨大な資金を惜しみなく援助金として捻出した高野の行いを世論は義挙と称えた。
帝国重工は余剰農作物を統合電力システム(IPS)で使用するバイオ燃料として加工する為に、農民から本来は売り物にならない損傷した作物を買い取ったり、疫病対策の医薬品を無償提供したりと明治日本において大多数を含む低所得者層からの人気が高かったのだ。
今回の援助金は、その人気に拍車を掛けていく。
幅広い農民層や一部の有力者からの支持を得ているだけでなく、日本帝国の財政事情に大きく貢献している高野の国内最大の財力を敵にまわしたい者はいない。また、巷では帝国重工率いる高野は江戸時代前期の最高幹部として国政を担う公卿であった高野保春(たかの やすはる)の子孫かもしれないという出所不明の噂すらも広がり始めているのだ。
そして、高野が行った1500万円の無償投資は、
1933年に起こる昭和三陸地震に備えるためであった。
明治天皇は高野のこれまでの功績を考慮して華族へと取り立てると宣言する。同時に高野の出生は古来より天皇家を陰ながら支えてきた一族の末裔で、三国干渉という国難に伴って宮内庁御用達として、一族を率いて表に出てきたという内容を明治天皇が周辺の者達に述べると、山縣達の事前の根回しもあって、大きな反対意見は出なかった。
作られた証拠であったが、帝国重工の技術に相応しく一分の隙もない。
高野は、分子組み換えで適度に劣化させた書物を用意する共に、念には念を入れて山梨県富士河口湖町の鳴沢村をまたぐ、森に慣れた人ですら滅多な事では立ち入らない青木ヶ原の一角に放置された隠れ里すら用意している。
内閣府の内部部局のひとつ、勲章や褒章など栄典に関する事務を所管する賞勲局の大給恒総裁は公正厳格で有名だったが、彼ですらも高野の行いを絶賛しており、審議が行われ、高野に対して正二位(侯爵)の位が授けられる事が1896年(明治29年)9月に決まった。しかし、高野は帝国重工の経営に専念したい事を理由に、申し出を辞退する。
辞退に慌てたのが伊藤博文だった。
彼は天皇を中心とした君主制を維持するためにも、天皇を補佐する世襲貴族(華族)の必要性があると認識しており、その為に抜きん出て日本帝国に貢献している帝国重工率いる高野を何としてでも華族にしたかったのだ。
高野の公益性を考えた投資は内外でも評価は高い。
また、高野の義理の娘である"さゆり"と高野が率いる一族の能力は高く、伊藤は何としてでも彼らを日本帝国に繋ぎ止めて置きたかった。彼らの頭脳が海外に流出する事を考えるだけで伊藤は恐ろしい。
明治天皇は高野の願いを聞き入れる形で、この時代では公侯爵議員であっても現役軍人たる議員は出席しない慣例になっていたのを逆手に取り、帝国海軍中将の位を与えることで貴族院の侯爵議員として国会に出席しなくても良いように取り計らいつつも、勅令として帝国重工の経営に専念する事を伝えたのだ。
明治天皇の配慮に高野は官位を受けると同時に、世界最年少の中将として話題を集めた。
実のところ、官位を受けるこれらの流れは高野と明治天皇の計画通りである。貴族社会を残しつつ、帝国重工が中心となって民主自由区を拡大する甲案が動き出した瞬間でもあった。それに軍国主義を抑える目的もある。
また、このように潤沢な資金に支えられた復興事業は天皇の直属機関である国家開発委員会の指導の下、近代都市建設計画に基づいて復興をかねた再開発が行われようとしていた。それに伴った復興特需が発生していく。
失業者は労働力として雇われ、日本経済が更に活性していった。
これは復興特需に終わらず、後に諸外国が「日本の奇跡」と称えた第一次高度経済成長に繋がる明治特需の始まりだったのだ。
1896年(明治29年)11月24日 火曜日
パーラメント・スクエアからトラファルガー広場にまで至る通りに面した場所に沿って北から順に、海軍省、大蔵省、それからダウニング街を挟んで首相官邸、外務省、植民地省、内務省などの諸官庁舎が並んでいた。
植民地省大臣ジョゼフ・チェンバレンは官庁の一つである、植民地省にある自らの執務室にいた。
彼は1895年7月、ソールズベリー侯ロバート・ガスコイン・セシル首相(ソールズベリー内閣)が当選する際に一番の功績を立ており、ジョゼフは閣内ポストを自由に選ぶ権利を与えられた中で、自らの意志で植民相を選んだ経緯がある。
ジョゼフは物質主義の信奉者であった。
イギリス人の経済的利益のためにイギリス帝国を維持・拡大する必要があると考えており、植民地の内情や原住民の幸福に繋げるという信念などは無い。あるのはイギリス帝国の経済的利益を優先する考えだけだ。
イギリス帝国から派遣された知事アンドルー・クラークが行った1874年のバンコール条約以来、イギリス勢力は積極的にマレー半島に介入していく。
マレー半島西海岸から産出されるスズの利権の背景もあって、ペラ、スランゴール、ヌグリ・スンビラン及び後背地パハンのスルタン領だった4ヵ国は、スルタンの後継者争いを利用した狡猾な策によって、イギリスの行政組織が作られマレー連合州となり、統監がクアラルンプールに置かれた。ここにおいて、イギリスの直轄領域である海峡植民地と、間接統治をうける保護国からなる英領マラヤが成立した。
このように植民地省が監督する植民地経営もそれなりに順調だった為に、1873年から今もなお続く長期にわたる物価下落と輸入拡大による大不況に耐えてこられたイギリス帝国であったが、アジアにて気がかりな事が起こっていた。ある一国が急速に国力を伸ばしてきたのだ。
植民地省を統括するジョゼフは原因究明の為に、その国家の調査を行わせていた。
調査対象の国はかつてはアジアの強国といわれていた清国ではない…
新興国の日本帝国である。
イギリス帝国のアジア戦略を根幹から揺るがした、
日本帝国の豹変とも言えるロシア帝国に対する半島利権の売買がジョゼフの脳裏に強い警鐘を鳴らしていたのだ。
危険な一手を打っただけでなく、緩やかだが国力すらも伸ばしてくれば無視することは出来ない。
合法・非合法を交えて集めた情報をジョゼフは事務次官から聞いていた。
「軍拡を目指していた日本の突然の方針変更は政府から出たものではない?」
「はい、皇帝(天皇)の勅令によって側近が動いたようです」
「個人名は特定は出来ているのかね?」
事務次官は手に持っているリストをめくって内容を確認すると上司に向って発言を続ける。
「現在の判明しているのは山縣、西郷、高野の3名です」
「高野…あの帝国重工の創設者か!?」
「はい」
世界帝国とも言える強大なイギリス帝国植民地省を統括するジョゼフ・チェンバレンほどの人物が東洋の新興企業である帝国重工の名を覚えているのは、天才美人科学者として世界的に有名になった"さゆり"が作り出した抗生物質だけが原因ではない。美人だが少女にも見える"さゆり"の愛らしい仕草と透き通るような肌で、彼女は黄色人種の日本人にも関わらず知名度だけでなく人気も高かった。
"さゆり"に仕える女性達も主に劣らぬ美人で聡明という噂も流れており、話題は絶えない。
そして、あの列強国の有機化学工業企業を代表するドイツ帝国のバイエル社、ヘキスト社、BASF社、ファルベン・カッセラ社とベルギー王国のアグフア・ゲバルト社が、その帝国重工の製品によって大きくシェアを奪われた事を知った日からジョゼフの脳裏に帝国重工の名を忘れられないものにした。
一例としてあげるならば、欧米諸国が作っていた極めて燃えやすく危険な再生繊維(レーヨン)は、既に帝国重工製の耐火再生繊維(耐火レーヨン)に取って代わられている。欧米列強にとっては面白くは無いが、帝国重工は各国の保護貿易をすり抜けるために、海外企業や中立国を仲介する代理販売方式というユニークな方法で回避していたのだ。
イギリスにおいてはジャーディン・マセソン商会の香港支局を介して、イギリスへと版図を延ばしている。マセソン商会も阿片戦争時には阿片密輸にて膨大な利益を上げていた事から、密貿易はお手の物だ。皮肉的な表現をすれば慣れ親しんだ方法とも言えよう。
1894年に結んだ日英通商航海条約が実質的に機能していなかったが、イギリス帝国に於ける帝国重工製商品の代理販売の利益は現段階で1805万9千ポンドという額に達しており、経済不況の現在からして帝国重工との取引を中断するような事は財政事情が許さなかった。
それに、帝国重工は英国や英国の植民地で得たポンドにて諸外国から積極的に資源を購入しており、基軸通貨としてのポンド価値を保つ意味では損は無い。
どちらにしろ、帝国重工の製品は帝国重工でしか作れず、どちらにしても買うしかないのだ。
例え関税権を盾にしても、帝国重工は巧妙にも米独仏露墺伊の商社を通して販売しており、下手に締め上げれば生産量に限りのあるものが他国の商社へと商品が流れてしまうのが判りきっている。
あからさまに英国に対する代理販売の申し込みが多いのは暗黙の取引のつもりであろう。
やり口は気に入らなかったが、大英帝国をして帝国重工の方法は有効な手段であるのを認めざる得なかった。
第一、「シワが無くなり、老化も遅くなる程の化粧品」という無茶苦茶な謳い文句の準老化抑制化粧品は高価であったが婦人達が手放さないほどの良質な化粧品であり、輸入を止めたら裕福層の婦人達から何を言われるか判らない。
また、英国海軍が客船用燃料として納入された圧縮固体燃料を試しに軍艦で使用してみると、石炭で一流といわれてた英国炭を上回る燃料性能を引き出したのだ。主力艦では不可欠なものへとなりつつある。
ジョゼフは異常とも言える帝国重工の躍進を考える。
「謎の多い帝国重工と、謎の多い天才科学者、いや科学者達か…」
帝国重工の中核を構成するものは古来より天皇家を影から守護してきた一族の末裔らしいが、それ以上に不可解な事がある。
この時代において、工業化に必要不可欠な汎用工作機械の値段は安くは無い。しかも手に入れようとするならば、欧米諸国から買うしかなかったが、帝国重工は購入した形跡すらない。世界を席巻している帝国重工の製品を作り出している有機化学工業用の機材の入手経路が全く掴めず大英帝国を悩ませていた。
唯一判っているのが、帝国重工の製品の多くは、構造解析すら出来ないほどに列強水準を大きく凌駕している事だけだ。
「帝国重工に関する事で、もう一つ判明した事があります」
「なんだね?」とジョゼフは興味深そうに尋ね返す。
「詳細は不明ですが昨年度から一等戦艦2隻を含む建造計画が立てられており、現に帝国重工にて駆逐艦らしき4隻の艦が、既に海上公試を開始しているとの情報も入っています」
事務次官の情報は日本海軍士官の各方面の噂話を集めて、信憑性を確認したうえで報告しており、確度の高いものであったが、その情報に対してはジョゼフも流石に疑問の声を上げる。
「待て…そうなると計算が面妖だぞ! 帝国重工が設立当時から造船所を所有して駆逐艦を作らなければこの時期に海上公試に漕ぎ付ける事など出来るわけが無い!」
そうなると半年ぐらいで駆逐艦を建造した事になってしまう。
「正確なトン数はわかりませんが、おそらく魚雷艇に類した船では無いでしょうか?」
事務次官が常識的な範囲で憶測を述べる。常識的に見て半年で駆逐艦を建造するのは造船先進国である大英帝国でも難しい。1894年に竣工した世界初の駆逐艦である240t級のハヴォック級水雷艇駆逐艦(同型艦ハヴォック、ホーネット)は比較的ゆっくりとした建造であったが、それでも1年1ヶ月の月日が必要だった。
しかし、彼らは知らない。
帝国重工が半年で建造した駆逐艦(護衛艦)は当時の
アポロ級二等巡洋艦の3,400tに匹敵する3,200tに達していたのだ。
「魚雷艇か…それなら不可能ではないか…しかし国産とは大きく出たものだ。 確実な戦力こそが国際社会において国威を証明するのに、わざわざ資材と資金を使って低性能な軍艦を作るとは愚かとしか言いようが無い。
我が国に頼めば安心して高品質の軍艦を手に入れられるものを…
まぁ、鉄材の入手は何とでもなるだろう。
小型艦はともかく帝国重工は主力艦の建造技術や大型ドックを有しているのかね?」
帝国重工が優れた化学製品を生み出していても、優れた重工業製品を作り出せるとは思っていないジョゼフは侮るような口調で言う。優れた重工業製品は欧米諸国の専売と言っても過言ではなく、非白人民族に作れるとは思えなかった。
「此方の写真を…帝国重工の本拠地の幕張工業地区ですが、1年前はただの野原でした。それを踏まえてご覧下さい。これは特殊撮影の類ではありません」
事務次官は一枚の写真を取り出して机の上に置く。
「ぼやけて判りにくいが本当に工業地帯なのか?
いや…それよりも本当に工業地帯を1年で作り上げたのかね?」
「諜報員の証言ではそのようです」
「馬鹿な…倉庫の見間違いではないのか?」
「現地協力の諜報員だけでなく、アーネスト・サトウからの証言も得ています。
それぞれの情報を重ね合わせると情報の確度は高いでしょう。
しかし、内部情報の入手には成功してませんが、大きな煙突があっても極少数です。
これらの事から幕張の地にあるのは重工業ではなく、軽工業や工場制手工業の類でしょう」
アーネスト・サトウとは、ソルブ系スウェーデン人を父、イギリス人を母(旧姓、メイソン)としてロンドンで生まれた英国人である。イギリス外務省に所属し、1863年には薩英戦争の現場に立会い、1895年7月28日、駐日特命全権公使に着任した日本通とも言える人物だ。
「なるほど…軽工業や工場制手工業ならば不可能ではない。しかし、これは由々しき自体だな…大型艦用ドックの存在は見当たらないようだが、近い将来に戦艦はともかく、手工業でも数を集めれば巡洋艦ぐらいなら本当に建造してしまうかもしれん」
ジョゼフはそう言いながらも、日本帝国が発展しても精々でもイタリア王国並が限界だと思っていたのだ。高野が予防策として全天候型ドームで幕張湾にあるF字型桟橋やドックを囲っていた事がイギリス側からの察知を逃れたのだ。
超大型艦の大鳳や明石が知られれば、面倒な事になったであろう。
「引き続き、調査を行いますので続報をお待ちください」
「うむ…軍艦の諸性能などを重点的に頼むぞ」
ジョゼフ達は気付けなかった。
幕張工業地帯に煙突が少ないのは、煙突が無いのではなく、多くの工場で煙突が不要だったことを…
高野は幕張工業地帯を秘密裏に運用しても、市場に出回る商品流通経路を調べられては隠しようも無いので、外観の大部分はあえて隠そうとしなかった。ただし、機密情報や製造施設内部に関しては徹底的に防諜している。
警護に当たっている日本国防軍特殊作戦群に対して嘘は通じない。
尋問方法は拷問や薬ではない。
真偽かは脳機能イメージングをスキャミングによって読み取って記憶野を解析して調べている。対イメージングスキミング処置が施されていない、この時代の諜報員では秘密を守りきることは無理だった。記憶野と言語野の微電流を読み取って解析するのだ。
外部勢力が不用意に調査しようにも、周辺地域は帝国重工の所有地であり、法律的に立ち入ることは出来ない。警備員の目を掻い潜って、先に進んでも低圧電流が流された警告的な意味合いのフェンスが張られている。
そして、ここまでならば穏便に済ませていた。
しかし、低圧電流フェンスの先には高圧電流が流れているフェンスがあり、許可を得ずにその警告区画に入った者は返すつもりは無い。
重要区画近辺になると光学、電波、圧力偏差、熱量、磁気、弱電磁波、質量偏差を入れ込んだ複合システムの監視だけでなく、侵入者に対応する特殊作戦群が率いる軍用擬体兵と対人無人兵器が徘徊しているのだ…
そして、カバーしきれない警戒境界線内には超低周音響波で補っていた。
ジョゼフの期待とは裏腹に大英帝国が情報入手にどれだけ力を注いでも、1.5世紀先の最先端技術で守られている区画内の情報を入手することは出来なかった。
-------------------------------------------------------------------------
【あとがき】
高野は国会には参加しませんが、一応、貴族院では山縣系派閥である茶話会に所属します。
徐々に日本貴族(特に、軍属系)が変わっていくでしょう。
1896年には英国最初の大衆紙「デーリー・メール」が創刊です。
大英帝国の諜報努力は実りませんw
そして、日露戦争時に日本帝国艦隊の威容を見たらビックリするだろうなぁw
【Q & A :最年少の中将に海軍は反対しないの?】
帝国重工の良質な製品を知ってしまった海軍上層部は逆に歓迎すらしていますw
【Q & A :高野の年齢って52歳では?】
老化因子を抑える治療を受けているため見た目は30代半ば(しかも若作り)にしか見えないので32歳として周囲に言っています。
【Q & A :帝国重工の平均的な取り分は?】
国によって5.5〜7.5割と変わりますが、対英国貿易時の現在の帝国重工の取り分は5.5割です。
利益にして富士級戦艦、約9.8隻分の額。もっとも販売量の過半数が英国系企業ですが…
しかし、当時の英国の軍事費って8億円以上なので、遠いなぁ……
【Q & A :帝国重工の商品計画は?】
半合成繊維(アセテート)はブリティッシュ・セラニーズ社が開発する前に発表し、デュポン社が合成繊維ナイロンを開発する前に販売します。他分野でも同様に準備を進めてますので、モルガン財閥、ロックフェラー財閥、デュポン財閥は近い将来に世界を席巻する程の富を約束する筈だった知的財産権をこの世界では永遠に失うことになります。
列強が混乱している第二次世界大戦の間に、日本帝国が月に橋頭堡を作らなければならないので、お金は幾らあっても足りません(悪)
意見、ご感想お待ちしております。
(2009年05月12日)
|
|
|
|
|