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帝国戦記 第10話 『粗鋼生産量』


1896年(明治29年)1月13日月曜日

「1896年度の初頭の製鉄分野に関する報告をさせて頂きます」

幕張湾にあるF字型桟橋に停泊している大鳳の会議室にて開かれている今年度計画の計画会議。その会議に参加している第3任務艦隊所属の巡洋艦伊吹の艦長の神崎久美(かんざき ひさみ)は席上で発言した。

階級は大佐。若く見えるが高野と同じく不老処置を施されており、実年齢は36歳である。材料工学を専攻していた事から、重工業事業部の製鉄部門責任者として選ばれていた。

艦隊としての行動は休止しているに等しい第3任務艦隊であったが、乗員は各々の得意分野を生かして、神崎のように帝国重工の要職に付いているのだ。

「始めてください」

議長の高野が応じる。

「はい、まずは日本帝国と各列強の大まかな粗鋼生産量を此方に表示します」

会議室に設置された大型LOEL(ラージ有機エレクトロ・ルミネッセンス・モニター)に概要情報が表示された。

「妥当だな…」

真田はモニターを見て呟く。 列強と比べると余りにも絶望的な差であったが日本帝国は近代化を始めたばかりだから仕方が無い。

大型LOELに表示された内容は以下のようになっていた。

【大まかな粗鋼生産量】
882.5万t
453.9万t
523.4万t
124.1万t
89.5万t
81.1万t
0.8万t
0.2万t(帝国重工生産分は除く)

米(アメリカ合衆国)、英(イギリス帝国)、独(ドイツ帝国)、仏(フランス)、露(ロシア帝国)、墺(オーストリア・ハンガリー帝国)、伊(イタリア王国)、日(日本帝国)である。

高野は神崎が表示した数値を冷静に捉えて言った。

「20世紀初頭の列強と対等になるには単純計算で、今の1250倍の生産量が必要になります。
 しかし、粗鋼生産はこの時代の国力強化に欠かせないので、
 我々は日本国内に対して出来る限りのテコ入れを行っていく予定であります」

反論は無かった。
鉄が無ければ近代化は不可能と言っても過言ではない。

鉄は熱して溶かせば再利用できる極めて使いやすい資源であり、帝国重工は他国よりも安価で効率よく鉄を作ることによって、より多くの各種資源や原材料を得ようとしていたのだ。

確かに日本近海には海底資源は豊富にあるが、高野は将来の地球規模の資源枯渇に備えて日本近辺の資源地帯を温存する意味でも、出来る限り日本から離れた場所から資源を入手したかったのだ。

また、資源備蓄の準備も始めなければならない。

神崎は高野の発言に頷いてから言葉を続ける。

「高野閣下の仰るとおりです。今は鉄量が国力を左右する時代です。
 そして、これからの欧米では銑鉄から鋼までを一貫して生産できる、
 銑鋼一貫型製鉄所の数も増えていきますので、生産量は年々に伸びていくでしょう」

「主要鋼はマーティン鋼、トーマス鋼、ベッセマー鋼か…
 鉄の質はともかくとして、量は圧倒的だな」

真田の呟きに対して神崎は応え始めた。

「我々が有する幕張製鉄所ですが、去年の12月末から第1高炉の稼動を始めており、
 第2高炉の運転開始は今年の9月下旬の予定になります。
 作業は順調に進んでおり、致命的な遅れは発生していません。
 重工業事業部の本格稼動は来月には始められるでしょう」

神崎の言うとおり、擬体工兵隊と工廠艦で製作した建設ロボット群の働きもあって、1895年11月末の段階で大型電気炉型の製鉄所の第1高炉(第1高電炉)が幕張に完成していた。第5世代型電気炉は燃料コークスや各種媒体は殆ど必要なく、基本的に鉄鉱石や鉄さえあれば各種金属を作り出せるという品質だけでなくコストの面で大きな優位性がある。また、第4高炉まで完成すれば、幕張製鉄所だけで年間140万トンの製鉄が可能になる見通しであった。

幕張製鉄所の第4高炉までが完成した暁には、この時代のフランス総生産量に匹敵するだろう。確かに、この時代から見れば異常な量であったが、21世紀から見れば極めて普通なのだ。外部転用を行わない技術なので、わざわざ明治の技術にあわせる必要が無く、工廠艦で作られた機材をふんだんに使用している。

擬体工兵隊と工廠艦があるとはいえ短時間で運転まで持っていけたのは、明石の核融合炉がもたらす膨大な電力を生かした第5世代型電気炉の特性が大きい。

従来型製鉄所に欠かせなかった、高炉、転炉、二次精錬を一括に処理してしまい、建造に手間のかかる諸設備を省くことが出来ている。このように鉄の価格が高い19世紀末で、大量の鉄を安定して供給できるのは計り知れない価値を持っていた。

重工業事業部の計画推移を確認した高野は満足そうに頷くと、主要輸出品目として生産を開始する予定の話に議題を移す。

「製鉄所に関しては順調そのものですね。
 では、鉄道用レールは開発経緯はどのようになっていますか?」

高野は将来の拡大が判っている鉄道用レールを1910年までの重工業事業部の主要製品にするべく、目を向けていた。

これは、外貨獲得だけが目的でなはない。

他国では作り出せない良質な鉄道用レールを販売することによって、 米国の製鉄産業中心地であるハドソン川沿いトロイ近郊(中心地が五大湖沿岸に移る前の中心地)の発展を抑えるのが目的だった。

現にオールバニー&レンスラー製鉄会社を始めとして、合衆国製鉄業の将来を担う企業が次々と起業している。

高野は1907年から米国の主要鉄鋼製輸出品になるレール材を1897年の段階から抑える事によって、米国の工業生産力の伸びを抑えようと考えていた。また、レールの製造は日本のインフラ整備にも欠かせないので一石二鳥でもある。

その頃のイギリス帝国は米国の輸出の伸びに不快感を示していた頃なので、イギリス帝国の企業を介して代理販売を行えば面白いように妨害できるであろう。

「帝国重工が輸出用に作り出す鉄道用レールは米国のベッセマー鋼と同じですが、
 他列強と比べて硬度は1.75%増しに留めます。
 ただし、国内向けの鉄道用レールに関しては維持費軽減の為に、
 極安定型球状黒鉛鋳鉄(PDCI)にて生産を行っていく予定です」

「コストに関してはどの様になっていますか?」

神崎に対して高野は商品として大事な部分を尋ねた。
高性能でも価格がつりあわなければ売れない。当然の質問であろう。

長として会議前に会議内容の概要を知っていた高野であったが、会議参加者にも 内容を伝える意味で質問したのだ。

「どちらの鉄にしても棄物処理費及び燃料費が殆どかからない分、
 他国と比べて安く供給する事が出来ます…
 鉄道レールに関しては、大体ですが米国と比べて82.5%は安く作れるでしょう。

 もちろん、極安定型球状黒鉛鋳鉄(PDCI)に関しては敵対勢力に確保されて、
 構造分析を掛けられるのを防ぐために再加工防止措置を施します。
 例え、卸し鉄として再利用を試みても、一度溶かしてしまえば、唯の鉄になるだけです」

「判りました。
 ただし極安定型球状黒鉛鋳鉄(PDCI)に関しては、
 再利用防止に不安がある場合にはベッセマー鋼系列の応用で補ってください。
 これに関しては、2015年までは知られたくない技術なので念入りにお願いします」

「判りました」

このように高野が極安定型球状黒鉛鋳鉄(PDCI)に気を使うのは理由がある。

ベッセマー鋼製レールの16年間無交換に対して極安定型球状黒鉛鋳鉄(PDCI)のレールは108年間は無交換を誇り、強度はオーステナイト系ステンレスの8.5倍にも達する超優良素材なのだ。もちろん、使用箇所も国内重要拠点と日本帝国軍と帝国重工でしか使用しない念の入れようである。

その一方で、海外販売用のベッセマー鋼レールに関しては、分析され模倣されても良かった。

この時代で帝国重工と同等の物を作ろうにも、石炭程度では燃料効率が極めて悪く、大損を覚悟しなければ生産は無理だったのだ。言い換えるならば核融合炉を有していない帝国重工以外では採算が取れない。

相手が追いつく直前で次の製品を出すという、ライバル社にとっては絶望的な状況になるであろう。更に、1913年8月にブレアリーが開発するステンレス鋼の特許は帝国重工が1912年に申請を申請する予定だった。予定というのはブレアリーの開発状況によっては早まる可能性も視野に入れていたからだ。

また、帝国重工は海外販売用のベッセマー鋼レールを安く作っても、相手国の国力を無用に高めないように、販売価格は、列強基準と比べて2.5%程度にしか安くしない。

帝国重工の基本方針は少量の資源を加工して優れた商品を作り出して、なおかつ直接国力増強に結びつきにくい商品を出来る限り高値で売って、より大量の資源を購入していく事に絞られていた。

もちろん、鉄道分野は国力増強に繋がっていたが、鉄道レールは欧米主要国ならば、どの国でも作れるので、これは例外的な商品といえるであろう。









会議は終わりを迎えつつあった。 帝国重工として現在行える製鉄、製薬、ドックに関する報告を終えて、残る報告は艦艇の建造状況のみであった。

「…なるほど、ドックの方は判りました。
 艦艇建造に関してはどの様になっていますか?」

高野は真田に問いかけた。

「統合電力システム(IPS)に関しては既に工廠艦にて駆逐艦用の物が5基ほど完成しておる。他に必要な機材に関しても工廠艦で作った生産設備が幕張の工場で動き出しておるので、このまま行けば今年の秋には予定通りに4隻は進水するじゃろう」

工兵隊の努力もあって、造船に必要な機材を生産する各種工廠とドームに覆われた全天候の大型ドックが2基完成しており、その一つのドックにて帝国軍向けの雪風級護衛艦「雪風」「海風」「山風」「江風」の建造が始まっていた。

ここから世界の造船業を震撼させていく帝国重工幕張造船所がスタートする。

「予定通りですね」

「うむ…これらは計画通りに4隻の護衛艦は無償譲渡を行うのだな?」

真田はそう言うと湯飲みを持ち上げて緑茶を飲み始める。
長く続く会議の為に、途中で"さゆり"が参加者達に飲み物を手配したのだった。

会議に参加している者達が、それぞれがティーカップにて紅茶を頂く中、真田だけはただ一人、湯飲みにて緑茶を飲んでいる。これは、高野を影から支えたいと、常に周囲に対する気配りを欠かさない"さゆり"の配慮であり熱意であった。

「幸いにも帝国重工の経営は順調です。
 それに、帝国軍に逸早く護衛艦に精通してもらう先行投資として考えれば損は有りません。

 また、列強軍との劣勢に恐怖しながら海軍が立てた軍拡計画を潰したのは我々です。
 彼らの不安と不満を解消し、関係を構築する意味でも、この一手は有効なものとなるでしょう」

「確かに軍部との関係強化は必要だな…
 それに、訓練する時間が無ければ兵器の性能も生かし切れないしのう」

真田はしみじみと呟いた。
優れた兵器を有しても、錬度が低ければ思わぬ失敗で大損害を受けてしまう。高野も真田もそれを危惧していた。


後に高野が行うこの一手は帝国海軍を大きく喜ばせ事になるであろう。当初の予定では建造期間13ヶ月を伝えていたが、それを大きく下回る6ヶ月で、しかも安くない1隻87万円の艦艇が4隻も無償で手に入るのだから喜ばないわけが無い。

また、海軍と同じように軍拡計画を阻まれた陸軍に関しても同等の救済処置の準備が進められていたのだ。

既に明治天皇の勅令の下、東京鎮台所属の田村寛一陸軍大佐が率いる近衛歩兵第一連隊が千葉県の陸軍習志野錬兵場にて、1895年11月から日本国防軍の精鋭とも言える特殊作戦群によって徹底的な再訓練を受けていた。

訓練方法だけでなく、近衛歩兵第一連隊の軍装からしてこの時代から見れば特異であろう。

第一連隊が纏う軍装は帯赤茶褐色の詰襟釦1列型ではなく、野戦迷彩色を基調とした日本国防軍で使われていた47式個人防護装備の廉価版に切り替えられていた。これはガスマスクが内蔵されており、液滴、微粒子状物質、一定の敵弾から身を守る機能を有する優れものだった。

村田銃の代わりとして帝国重工が用意した小銃は中・短距離における命中精度や可搬性を維持しつつ、短機関銃などで発揮される全自動発射での近接戦闘能力を両立させた突撃銃(アサルトライフル)と言える銃であった。

1.5倍率の照準装置を装備し、発射速度は750発/分、銃口初速は920m/秒で有効射程は300mを有していた。使用する弾丸は弾装 5.56x45o弾を箱型弾倉に30発が込められており、次弾装填方式はバレル上部に設定されたガス・シリンダーに発射ガスの一部を導くことにより、ピストンにガス圧を与えてボトルを・キャリアーを後退させて装填する、ガス圧利用ロータリング・ボルトを採用しており、名実共に世界初の自動小銃と言えるであろう。

日本帝国軍向けにG36Cを参考にして作られた、このグラスファイバーとポリマーの複合材を多用して作られた、この95式小銃(1895年製造開始)の威力はロシア帝国軍のモシン・ナガンM1891ライフルの性能を大きく上回り、12.7x99o弾を使用する50口径の95式重機関銃はロシア帝国軍のマドゼン軽機関銃と比べることすら無意味であろう。また81o迫撃砲と120o迫撃砲の射程は山砲を上回る性能を有していた。

帝国重工の先手によってブラント社の社長エドガール・ウィリアム・ブラントが迫撃砲の特許を持つことは無い。

しかし、優れた武器であっても、その価格が問題であった。
帝国重工側が用意した武器は1個連隊分は無償譲渡であったが、陸軍が本格採用しようとすれば価格が問題となる。

帝国重工から提示された武器の中で一番安い95式小銃の1挺あたりの価格でも28円50銭と決して安くは無く、帝国陸軍は調達価格に頭を悩ます。並みの兵器ならば高ければ不採用となったのだが、高性能にも関わらず信頼性が高く、夢にまで見てしまう性能だった為に、帝国陸軍としては不採用はありえなかった。

その対応策として、山縣率いる帝国陸軍は、陸軍技術審査部長の有坂成章が東京砲兵工廠にて開発を行っていた31年式速射砲、31年式速射山砲の開発を中止し、すべての開発資源を開発中だった30年式歩兵銃を再設計した新式歩兵銃に注ぐことにしたのだ。

同時に工作過程を減らすために、小銃に刻印していた菊の御紋を新式歩兵銃からは行わない事も取り決められていた。

新式歩兵銃は帝国重工から供給された高精度工作機械を使用して試作品が作られる。 有坂は帝国重工側からの、幾つかの技術的なアドバイスを見事に生かして、 試作の新式歩兵銃は堅実ながらも高い性能を実現するのだ。

試作銃は世界でも一般的なボルトアクション機構で装弾数は5発(薬室内含む)と普通であったが、照準眼鏡(狙撃用スコープ)装備時には800mという驚異的な有効射程を示している。

装弾数は同じであったが、射程と精度はロシア帝国軍が1891年に生産を開始したモシン・ナガンM1891ライフルを大きく上回っていた。弾丸は帝国重工から提供された生産機材から作られる7.62x51o弾を使用する。

もちろん、東京砲兵工廠に渡した工作機械は転売や割譲が禁止されており、陸軍側は知らなかったが、ICタグにて帝国重工によって所在地が移っていないか管理されていた。

後に東京砲兵工廠にて量産が始められる新式歩兵銃は各種のカスタムタイプが派生していき、日露戦争を機にアリサカ・ライフルとして世界に知られるようになる。その中で特に恐れられたのが狙撃銃タイプであった。

既に、新式歩兵銃の試作品が陸軍習志野錬兵場へと持ち込まれており、隠れた問題の洗い出しと耐久試験を兼ねて試験運用が始められていたのだ。

もちろん、唯の試験では無く、試作品の小銃には帝国重工側の狙撃用スコープを取り付けられており、簡単には育たない狙撃兵の育成を兼ねていた。
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【あとがき】
多数のレールを奪い取って、それを束ねて装甲板として使う方法もありますが…
多量の鉄道レールを知られずして奪い取るのは現実的ではないので除外しました。

しかも、他の分野で使用するにもしても、色々と制約を忍ばせておく用心深さもあるので、後々に列強は驚くでしょうw

陸軍創設期から使用していた村田銃や7cm野砲・山砲などの旧式装備は清国に売りますw
また、有坂が作っている新式歩兵銃の価格は1挺、9円50銭の予定。
名前は正式採用された年に付くので、まだ未定w

帝国重工は皇記基準、日本帝国は元号基準で兵器名称を決めてます。


意見、ご感想お待ちしております。

(2009年05月09日)
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