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帝国戦記 第09話 『不凍港』


史実において親露派の明成皇后が1895年10月8日火曜日の早朝に暗殺されてしまう 乙未(ウルミ)事変は、この世界では各方面の働きによって発生しなかった。

明治天皇自らが乙未事変を阻止するために駐在公使に念を押しただけでなく、高野からも万が一に備えて完全武装の特殊作戦群の1個小隊を派遣し、隠密警戒に当たらせていたのだ。

日本帝国の影響拡大を嫌う、親露派の明成皇后、李範晋、李完用らの積極的な働きによって朝鮮王朝は1895年の冬に入る頃から明確な親露政へと移行し、国王の高宗がロシア公使館に移り執務を行うようになった。

時を同じくして、日本の後押しを受けて自主独立と近代化を目指して青年貴族官僚を中心に作られた開化派の中心人物だった金玉均、朴泳孝らが親露派の貴族によって投獄され、解散に追い込まれてしまう。これを機に朝鮮王朝ではロシアの影響力が前にも増して強まっていく。

この事態に対して日本帝国は一切の行動を起こさず、情報統制を行って国内に知らせないようにして、ただ傍観するだけであった。




1895年11月12日火曜日

高野と"さゆり"は明治天皇に謁見していた。

「流石にこの季節、寒さも厳しくなってきました」

"さゆり"が心なしか高野に寄り添うようにして、明治天皇に向かい合うような位置で椅子に座っていた。高野は"さゆり"を実の娘のように見ていたのだが10人中9人は、歳が離れたおしどり夫婦に見えるであろう。そういう風に見えるように"さゆり"は色々と考えていたのだ。

「確かに、思ったよりも天候が厳しいですね」

紅茶を飲みながら高野は言う。

異常気象に見舞われていた21世紀中期の極端な環境に慣れているとはいえ、寒さや暑さを感じないわけではない。 人である限り、寒いものは寒いのだ。

そして、明治の建築技術では断熱効果などは高くは無い。 暖炉で火を焚いても、全てが暖かくなるわけではない。火を燃やせば室内の空気を消費してしまうので、燃やせば燃やすほど火から遠いところではすきま風で寒くなるのだ。

「冬だからな…まったく、春や夏が恋しいぞ」

明治天皇も窓から見える寒空を見て言い放つ。
彼も冬よりは暖かく乗馬が出来る夏の方が好きだった。

"さゆり"は陶磁器のカップとソーサーを優雅に手にとって、カップ内に注がれている薄い赤色をした紅茶をゆっくりと飲んでいく。

「ふう…寒いからこそ、紅茶もより美味しく感じられる…
 そう思えば、寒さも悪いことばかりでは無いですね」

紅茶の味を喉越しで味わった"さゆり"は満足そうな表情を浮かべた。

高野は宮内庁御用達の肩書きに関係なく、天皇との謁見すら堂々と行える立場になっていた。 当然であろう、帝国重工が有するも膨大な外貨は、明治日本からすれば垂涎の的なのだ。

帝国重工は1895年9月下旬頃から欧米に対して、金持ちに多い糖尿病を抑制する抑制薬、裕福層の夫人をターゲットにした準老化抑制化粧品、石炭を上回るエネルギー効率を誇る圧縮固体燃料の販売を開始しており、劣悪商品の代名詞が付いていた日本製にも関わらず、画期的でかつ余りにも魅力的な商品もあって販売網は徐々に拡大していった。

そして、この時代では夢の薬と言っても過言ではない抗生物質も少量の供給を始めている。

直接販売の多くを代理店に任せたのが、これほど早い成功を見せたのだ。 また、代理販売を代行した欧米の企業も利益が得られており、帝国重工は彼らと良い関係を構築していく。日本最大の商社として確固たる地位を獲得していた。

帝国重工は1896年11月上旬の段階で、英国から247万ポンド(1ポンド約10円)、米国から525万ドル(1ドル約1.95円)の利益を得ており、1896年10月中旬には皇室費から借り受けた500万円と、その利子であった500万円を皇室に完済していたのだ。

しかし、これほどの利益を上げていても、欧米に存在する大富豪と比べれば小さなものである。資産に換算すれば、モルガン商会を率いるJ・P・モルガンが個人的に有している不動産資産だけに限定しても半分以下に過ぎなかった。

だが、高野や帝国重工にとって十分である。この時代では決して模倣できず、将来に亘って利益が見込める商品を確保している事実は大きい。

そして、日本最大の企業主として高野の立場は高くなったが、
彼の態度は全く変わっておらず、温和な紳士そのものである。

高野は成金のような贅沢に走る趣味は無く、利益の大半を日本民族の延命に投資していた。日常生活も安らかな時間と読書と散歩を愛する紳士の鏡のような生活を営み、その生き方は明治天皇の共感だけでなく、深い信任すら得ていたのだ。

そして、"さゆり"の立場は高野の養子で、職業は科学者になっていた。
男尊女卑が強すぎる社会を改善する目的で、抗生物質は"さゆり"が発明した事になっている。

当初から"さゆり"は明治時代の人間に対しては高野さゆりと名乗っていた。 そこで、高野は"さゆり"を自分の娘として周囲に紹介しようと考えたが、"さゆり"の自論によって一変する。

「娘にしては年齢が近いですよ?
 そ、それなら、た、高野さんが良ければ、私は…つ、つ、妻の方が自然に見えると…
 その…思います…」

"さゆり"からこの様に言われると高野は納得が行った。
確かに親子にしては年齢が近過ぎると…

高野は常識人であり流石に10歳位の若さで子作りしたとは思われたくは無い。しかし、妻という考えは無かった。それは、"さゆり"が作られた存在云々ではない。

前世紀から続いている不思議なポケットを有する猫型ロボットアニメのお陰で、日本人の多くは人格を有した擬体やロボットに親しみと近親感を持っており差別は 行われていなかった。

もちろん高野も人格を有した擬体を差別する下劣な考えは持って居ない。 "さゆり"を自我の確立した一つの人格として捉え、愛情を感じていたが、それは娘のような存在だったのだ。

常識人の高野は娘と結婚する気は無く、妙に自論にこだわる"さゆり"を諭して、結果的に養子と言う形で落ち着いていた。高野は紳士であり常識人であり尊敬に値する男性であるが、一つだけ問題があったのだ。

高野は人から抱かれている恋愛感情に対して極めて鈍感らしく、多くの女性からアプローチを受けても友人としての関係で終わっている。少なくとも、"さゆり"が高野の副官を始めてから、一度も交際した姿を見たことは無い。

"さゆり"もその事を知っていたので、ため息を吐いて次の機会を待つことにしたのだった。


「さて…本題に入りましょう。
 我々は化粧品販売を通じて、ニコライ2世と近しいロシア貴族との関係確保に成功しました」

「では…半島利権を彼らに売り渡す時が来たかのか?」

帝国重工は化粧品を通じて、ロシア貴族社会とのパイプを構築していた。帝国重工でしか作れない魅力的な商品というのは、それだけで発言力に繋がるのだった。

「はい、彼らは不凍港を欲しているので必ずや食いついてくるでしょう」

「ちと気の毒のような感じもするが、
 我々が何もしなくてもロシアの南下は止まらないであろうな」

「ええ、南下政策は人で例えるなら本能そのものです。
 ロシア革命が起こった際はニコライ2世の家族を救出するので大目に見て頂きましょう」

「ところで、ロシアが納得する理由はあるのか?
 突然の利権売り渡し…不凍港を欲しているといっても、彼らも怪しむであろう」

「もちろんです」

高野は明治天皇に、ロシア側に不審を持たれないような納得のいく理由を説明し始めた。

かつてロシア帝国は1867年にクリミア戦争で使った戦費による財政難などの理由にアメリカ合衆国に対してアラスカを720万ドルで売却した経緯を参考にし、日本帝国は明治24年と26年に東北を中心に発生した冷害によって発生した凶作の救済資金獲得を理由にした。

更に日清戦争時の賠償金は既に使い道が決まっており、冷害救済を行いたくても出来ない苦境を訴えつつ、冷害による利権売買は国際評価の低下に繋がるから秘密裏に行いたいという、もっともらしい説明すら付いていた。

実のところ秘密裏に行うのは評価云々ではない。
ロシア帝国の不凍港獲得を常に警戒しているイギリス帝国の横槍を避けるためである。

「なるほど…
 戦後という政治環境も重なり、説得力としては問題ないな」

「ええ、それと…利権売買を最初にロシア帝国に持ちかけたのは、
 大津事件に関するお詫びの意味もあるとロシア側に伝えれば、
 彼らの心情が良くなるに違いありません」

大津事件とは、ニコライ2世が皇太子時代に来日した際に、巡査の津田三蔵によって襲撃を受けて傷を負った事件である。過去の出来事を詫びつつ、それすらも利用する高野の戦略には隙が無かった。

「確かに」

「半島に誘い込むのは此方の基本戦略なので、
 その過程で得られる資金ならば貰っておくべきでしょう。
 どちらにしても、来年には露清密約が結ばれてしまいます」

露清密約とは、1896年にロシア側が清国の李鴻章に50万ルーブル、同じく清国の張蔭桓に25万ルーブルの賄賂を送って、遼東半島南端の旅順・大連の租借に始まり、満州での駐留や権益拡大を承認させる条約である。また、ロシアの役人や警察は治外法権すらも認められ、戦時には中国の港湾使用も可能であった。さらにシベリア鉄道の短絡線となる東清鉄道を清領内に敷設する権利すらもあった。

だからこそ、高野は先手を打ったのだ。

露清密約が結ばれてしまう前にロシア帝国に不凍港を与えて、ニコライ2世に恩を売りつつ、日本帝国の近代化戦略を推し進める無駄の無さであった。

明治天皇が不思議そうな目で高野を見る。

「そなたは…軍人だったのであろう?
 しかし、余には一流の政治家か企業家に見えるのだが…」

高野は苦笑いしつつ、大学院時代の専攻課程が政治経済であったので詳しいのですよ、と伝えられると明治天皇は得心がいった表情で頷いた。

「政治に関しては趣味みたいなものです。
 それより、我々の処遇の件は乙案、甲案のどちらで行ったほうが宜しいでしょうか?」

「うむ…悩んでおる…結論はもう少し待てるか?」

「1、2年は待てます、それまでにご決断下さい」

「判った」

高野の言葉に明治天皇は頷いた。




それから1ヵ月後が経過し、日本帝国が派遣した交渉団がロシア帝国の財務大臣セルゲイ・ヴィッテと サンクトペテルブルクにて交渉を開始していた。

交渉の内訳は、1876年に締結した日朝修好条規で日本が得た釜山、元山、仁川などの使用権利に、最恵国待遇としての領事裁判権の権利などの売却を280万ルーブル(1895年時の為替レート、1ルーブル=7円)という額で譲り渡す内容である。

ニコライ2世は側近から事前に話を聞かされており、当初から利権購入は乗り気だった。

特に秘密交渉という他国に知られていない状態で手に入れられる不凍港に満足し、最終的に日本商船の継続した立ち入り許可を入れ込んで220万ルーブルの額で合意する。また、非公式にロシア帝国による朝鮮王朝保護国化も認めていた。

220万ルーブルは明治日本にとっては年間国家予算の約5分の1に近い額であったが、皇帝ニコライ2世からすれば一人の公女に与えた資産よりは遥かに少ない程度の額である。

突然の戦略環境の変化にイギリス帝国は驚愕した。

しかし、イギリス帝国が事の顛末を知った時には、利権保護と治安維持を目的としたロシア軍が朝鮮半島に展開し始めていたのだ。親露派であった明成皇后、李範晋、李完用は予想外のロシア帝国軍の駐屯に驚くも、既に手遅れであり碌な国力の無い朝鮮王朝側には対抗策などは全く無かった。


日本国内にもロシアの勢力拡大を危惧する声もあったが、明治天皇の「軍拡よりも国家開発を優先すべし」の勅令と、膨大な国内設備投資によって引き起こった上向き経済によって大きく取りざたされることは無かったのだ。民衆の不満は史実に比べて遥かに小さく、軍備ではなく投資を強行した明治天皇の決断は、大聖断として臣民から強い支持を受けている。

明治天皇の指示に反して明治政府と軍部は軍拡を考えていたが、山縣を始めとした有力者達の反対意見もあって諦めるしかなった。日清戦争の際、明治天皇の反対意見を押し切って清国との戦端を開いた明治政府であったが、今回ばかりは勝手が違っていたのだ。

政府は三国干渉時の臥薪嘗胆をスローガンにこれを対露敵対心に振り向けて大軍拡を煽ろうにも投資によって開戦前より経済が好転しており、大聖断と民衆の支持を集めた天皇の信任を得ていない大軍拡を強行できる筈も無い。

そして、 瞬く間に世界進出を果たし、世界に認められる商社へと成長した 帝国重工の姿の前に三国干渉の衝撃は既に消え去っていた。それだけではない、侵略戦争を行わずとも求められる商品を作るならば、国家を潤す程の大きな富を得られる可能性が示されたのだ。
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【あとがき】
白人大富豪達…
いやぁ金持ちですね〜
富豪グループを統合すれば、あの時代のアジアならば購入できますねw

とりあえず、史実で使用した日清戦争賠償金の主な使い道をUP。

陸軍費9,000万円、海軍費1億8,700万円、八幡製鉄所建設補填58万円、一般会計繰入れ1,200万円、帝室御料へ編入 2,000万円、教育基金1,000万円、災害準備基金 1,000万円。

それに対して、この世界の日本帝国は以下の様に変わっています。

陸軍費3,250万円、海軍費6,200万円、製鉄所設費780万円、発電所設費480万円、国家開発委員会開発費8,500万円、一般会計繰入れ4,200万円、帝室御料へ編入2,000万円、教育基金5,000万円、冷害対策金1,540万円、災害準備基金2,500万円

冷害対策金は利権売り渡し代金をそのまま流用しましたw
しかし…明治日本の国力の無さは絶望的だなぁ…明治政府が軍事力に頼るのも納得。


意見、ご感想お待ちしております。

(2009年05月05日)
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