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帝国戦記 第07話 『始動4』


1895年7月14日木曜日

幕張の一角に設けられた数十の空コンテナを分解流用して作られた大きな施設がある。

その施設の殆どが高分子ワイヤーと日光を通すためにバイオポリマー素材で組まれた天井の簡易ドームで覆われていた。天井の高さは15m程度であり、その内部は多数の岩穴や樹木が設けられ幾つかの区画に分けられている。

そして、それぞれの区画に2〜4頭の狼が入れられていた。

これらは唯の狼ではない。
1905年以後に確実な生存情報が途絶え、絶滅に指定されてしまったニホンオオカミである。

施設内に入って強化複層ポリマーガラスを隔てながらニホンオオカミを眺める"さゆり"の表情は穏やかそのものである。人間からすれば手を出さない限りニホンオオカミは殆ど襲ってこない相手であったが、万が一を考えて強化複層ポリマーガラスで区切った場所から眺めていた。

もっとも非戦闘用の"さゆり"であっても狼に負けるような事は無いが、無用な争いは好まない。
狼も遠巻きに"さゆり"と兵士を不思議そうな感じでじっと見ている。"さゆり"は狼からの視線に気にすることも無く、暫く見つめてから口を開く。

「彼らの状況はどうなっていますか?」

「紀伊半島山間部、奈良県東吉野村の滝野と七滝八壷付近、
 計三箇所にて保護しました37頭に上る全てのニホンオオカミに対しての
 ジステンパーなどの伝染病の予防処置を終えております」

「よかった…」

"さゆり"が捕獲を担当した特殊作戦郡の小隊長から報告を聞いて安堵する。

ニホンオオカミは、古来より犬神として崇められ、明治時代まで日本の森林を譲ってきた自然界の管理者だったのだ。西洋からの伝染病に加えて、キリスト教が入って来た明治の頃から反オオカミ思想が急速に浸透し、次々と狩られていき絶滅してしまったのだ。

"さゆり"は高野の了承の下で、偉大なニホンオオカミの保護に乗り出していた。これが成功すれば、イノシシ・シカ・ニホンザル等の野生動物が異常繁殖を止められ、日本の自然にとって計り知れない恩恵が得られるであろう。

「これより、順次施設を拡張して繁殖にあたります」

「よろしくお願いします」

明治以降に行われる不用意な自然破壊と乱獲を防げば、キタタキ、マミジロクイナ、コウノトリ、トキの絶滅は避けられるが、これらも万が一に備えて必要量の数を順次保護していく事も視野に入れている。

そして、帝国重工の経営が安定すれば、絶滅危惧種を育成する専用の山を購入する計画も立てられていた。自然やその地の動植物を守ることも国防の一環であると、高野と"さゆり"は信じていたのだ。

会議の時間が迫った"さゆり"は施設からの去り際に、狼の方を向いて囁く。

「必ず、貴方達を助けるから……それまで辛抱してね」

此処までの手間を掛ける理由は、遺伝子操作による生命創造を行ったとしても、改良元、媒体元の影響を完全に除外するのは21世紀半ばの技術でも現実的ではなく、限りなくオリジナルに近づけるのが精一杯だったのだ。

それに、生活風習や文化を含めた全ての要素が一つの種を形成しているのだ。こればかりは野生動物も人も関係なく、親が子に継承しなければ伝わらない。

高野と"さゆり"は、科学は決して万能でないことを経験から学び取っていたのだ。









工廠艦明石は幕張湾の一角に作られたF字型桟橋に停泊していた。

すでにF字型桟橋は3つほど完成しており、さらに明石の停泊している箇所は欺瞞用の簡易ドームで覆われていた。 明石を囲みこむように簡易ドームを設置したのは、明石は当面は幕張地区の発電所もかねており、おいそれと動かせず、不用意に目立つのを避ける処置といえる。

明石で開かれる会議に準資格参加者(オブザーバー)として参加する為に上村大佐は明石に乗艦していた。 未来の起こりうる歴史を知った明治天皇の勅令を受けて、高野との連絡役として抜擢されたのだ。

これは、歴史を見て明治天皇が坪井航三少将と上村彦之丞大佐の両名を信頼に値し、得がたい人材として見た証拠でもあった。坪井航三少将に関しては、日露戦争の際に再結成される連合艦隊司令長官へと就任するのだった。

「なんと…主力艦ではなく補助艦で、ここまで艤装が立派なのか…
 そして外と同じように明るい…」

上村は準高度AIの"はるな"の案内を受けながら明石の艦内を珍しそうに周囲を見ながら歩く。

初めて見る明石の艦内に上村はただただ驚く。艤装にしても構造にしても、機能的に纏められており、更に金属ではない見たことも無い材質で作られていた。彼にとって明石で見るものがすべて新鮮であった。

「こちらのエレベーターにお入り下さい」

"はるな"の指す方向に上村が視線を向けると、艦内にも関わらず、そこに昇降機(エレベーター)が備え付けられている事に驚く。エレベーターに乗って動き出してからも、その静かさに上村は衝撃を受けた。




高野中将、真田准将、"さゆり"大佐、黒江大佐、"はるな"大尉、そして日本帝国側からのオブザーバーとして上村大佐の5人が明石の会議室にて集まって計画について話し合っていた。
大型艦ゆえに、大鳳に劣らぬ居住空間が作られており、会合などの場所に適している。

長期におよぶ会談の為に、紅茶を洋菓子などの準備がされていた。

"さゆり"と同じく専用擬体で動いている準高度AIの"はるな"が、会議参加者の5人に用意しておいた紅茶を慣れた手つきで配っていく。

"はるな"は"さゆり"に似た感じの容姿だったが、若干小柄で甘い顔立ちをしていた。
また、いやみの無い感じの甘い声と人懐っこい性格から、周囲の人々からマスコットとして可愛がられている。

"はるな"は紅茶の手配を終えると、次に手作りのプロマージュを配る。

彼女の趣味はパティシエールとして洋菓子を作ることだった。

自我を有した存在が、戦いのみにすべてを捧げるのは余りにも空しいと感じていた高野は感じていたのだ。そこで、待機時間を有意義に過ごせるように、趣味を持たせようと考える。

こういう背景があって、粘り強く高野に諭された"さゆり"が趣味を持つようになった。そして、それに対して喜びを感じ始めると"さゆり"の妹のような位置付けであった周囲の準高度AIも影響を受けて皆それぞれに、何らかの趣味を持つようになったのだ。

高野の作戦勝ちと言えよう。

上村は"はるな"によって配られた皿の上のケーキを珍しそうに見てから、器用にフォークで切り取って口に含む。帝国海軍の士官として洋書を嗜み、マナーを学んでいた上村のテーブル作法は全く問題ない。舌でチーズ味のプロマージュケーキを感じ取ると、感嘆の声を上げる。

「おぉお、これは……何という洋菓子でしょうか?」

「チーズ味のプロマージュケーキで御座います。お口に合いましたでしょうか?」

「合いましたとも! これ程までに美味しい洋菓子は初めて口にしました」

「ありがとう御座います」

上村の賞賛に"はるな"は嬉しそうに微笑んだ。

スティルルームメイドとしての作法を趣味で学んだ"はるな"にとって、手作りのケーキを褒められるのは最高の賞賛である 。彼女はこの時には予想だにしなかったが、後に、"さゆり"を始めとした周囲の協力もあって、幕張の一角に後に名門店として称えられる洋菓子店「榛名」を経営することになるのだ。

全員が一息つけたのを確認した高野は会議を再開した。

「抗生物質に関しては順調そのものです。
 あとは少量販売を始めて知名度を高めて行く事が先決でしょう」

紅茶を一口飲んで喉を潤した高野が言う。

「どの様に販売していくのでしょうか?」

上村が興味を持ったように尋ねる。

当然の興味であろう。1895年における日本が有する販売網は極めて貧弱であり、販売品目にしても順に上げて生糸、綿糸、絹織物、米、茶、水産物でしかない。販売網なくしてどの様な商品も売りようが無いのだ。信頼性どころか実績の無い日本製の医薬品が欧米で受け入れられるのかが心配であった。

上村の疑問に対して"さゆり"が答える。

「最初にアメリカ在住のジョ−ジ・メルクとの接触を計画しています。
 彼は1891年にニューヨークの地にて創立された医薬品を扱うメルク社の創設者であります。
 また、ドイツ帝国のダルムシュタットに本社を置く、ドイツメルクとも繋がります。

 この時代における医療最先端として名高いドイツの医薬会社が抗生物質の効能を認めれば、
 かなりの宣伝効果が見られるに違いありません。

 大事な点は、我々が直接販売するのは少量に留めて、多くは代理店に一任する事です。
 これならば販売網の構築という手間が省けますし、
 新参者であっても利回りの確かな商品さえあれば参入できます。

 また、利益を独占せず代理店にも儲かるように手配すれば、
 彼ら自身が販売網を積極的に広めてくれるでしょう」

「なるほど…相手にも利を保障することによる、共闘か…
 供給元はこちらが有している分に有利だが、相手を配慮した紳士的なやり方ですね」

上村は"さゆり"の言葉に納得した。

「はい、それにメルク社は堅実で確かな企業ですので、最初の相手としては適しています」

彼らが進めている蘭計画A-25項は途中までは健全な商業計画なのだ。高野と"さゆり"は途中までの遂行で終わることを期待しており、そのためのメルク社であった。

「サンフランシスコ日本国領事館を通じて彼との接触を行いたいと思います。
 そこで上村さんには、接触までの段取りが書かれている書類が入っている、
 この封筒を陛下(明治天皇)までお渡しをお願いしたいのです」

「判りました。
 確かに、預かりました」

「では、計画となんら変更が無いので、抗生物質の初期販売に関する話はこれで終わります」

話を締めくくると"さゆり"は、高野の方に視線を向ける。 高野は頷いて次の話に進めることにした。無線通信を行わなくても、高野と"さゆり"は、この程度の以心伝心は行えるのだ。

「"さゆり"ご苦労様です。
 では、次は艦艇建造案に関する報告をお願いします」

議長役の高野から話を振られた真田は答え始める。

「対ロシア戦争を念頭に置いた四四艦隊計画に基づく、
 艦艇建造計画の第一陣となる巡洋艦の詳細なスペック、ああ失礼…
 性能に関しては此方に纏まっておる。

 ただし、建造自体は幕張地区に建設中の大型船渠の完成を待ってからだが…
 まずは設計案を見てもらおう。最初は艦隊の梅雨払いを行う葛城級巡洋艦を…」

真田は端末を操作して会議室に設置されているLOEL(ラージ有機エレクトロ・ルミネッセンス・モニター)にデータを 表示させた。上村は既に驚くことを辞めていた。

時と場合において諦めは美徳であり、上村は大人しく表示された情報を見ていく。

(排水量15,084トン、全長 201.06m、全幅 24.1m、吃水 8.35m…か、一等戦艦を上回る大きさの巡洋艦、悪い冗談を見ているようだな…発電量…90.5Mw…はっ? 90,500,000わっとぉ!?)

「なっ!?」

驚かないと心に誓っていた上村も、電力量を知って驚き、声を上げてしまう。

上村は日本で始めて作られた東京電燈が保有する千住火力発電所(出力25kW)を大きく… いや、比べることすら馬鹿らしいほどに凌駕している発電量に絶句する。そして資本金20万円という大金で興された電力事業が馬鹿らしくすら思えた。

そう、これは満月級護衛艦に搭載されている機関のデチューンモデルである。 これでも、出力を4割ほど抑えており、更に蓄電用として通常はセットとして搭載されている陽電子反応型電池は取り外されていた。

明治の常識を知っている上村は、途方も無い計画に唖然としている。

それを見た真田が悪戯小僧のように、してやったりと口を開く。

「はっはっはっ、やはり驚きましたか! 驚いたでしょう!
 この葛城級は最低でも1990年度まで使用できる拡張性を持たせております。

 また、この性能にも関わらず、なんと!
 1902年までに発注して下されば1隻約905万円で提供できますぞ」

1894年にイギリスのテームズ鉄工所ブラックウォール工場に1,038万円で発注された「富士」とアームストロング社エルジック造船所に1,050万円で発注された「八島」を上回る大きさにもかかわらずこの価格で抑えられた理由は、帝国重工の持つ工廠艦と擬体工作兵の存在があるから、超高度技術で作られた装甲材や先端機器を搭載しない限り、ほとんどが原材料費と必要最低限の人件費で足りてしまうのだ。

最初は1930年代の蒸気タービンの導入を考えていたが、工廠艦で最初から統合電力システム(IPS)を製造する準備が整っているラインをわざわざ蒸気タービンにするには無駄が多い。また葛城級の燃料として提供する幕張の生産プラントで作り出される非枯渇性燃料の売買による利益も見込める事から見送られた。

確かに、電磁加速砲や高度電子設備を有していない船にとっては過剰な電力であったが、それならば抑えて低出力で運用すれば良い。

効率性と利益の他にも、これには高野の指示もあった。

膨大な資金と資材を有する主力艦艇の建造を出来る限り抑え、同じ艦艇を小規模の改良で末永く使えば、軍事費を抑えることが出来る。今の日本に大型艦艇を量産する余裕は無い。そして、新鋭艦を作れるのにわざわざ旧式艦を作っても、それこそ時間と資金の無駄の極みであろう。

もっとも、これは1.5世紀先の生産技術を有しているからこそ出来る、贅沢な芸当であった。

「しかし…このような一線を画した性能に、戦艦並みの大きさ…
 各国から不用意に怪しまれるのでは?」

上村の眩暈を覚えつつ言うと、それに対して高野は次のように答える。

「性能に関しては、戦争までに大々的に見せなければ問題ありませんし、
 答えられない部分は軍事機密で隠し通してください。

 戦艦並の大きさに関しては日清戦争の際に定遠、鎮遠に感じた恐怖の裏返しであると…
 説明すれば表向きは納得するでしょう。

 また、大艦巨砲主義者から見れば155o砲という小口径砲を危険視する可能性は低いです。
 それに…彼らが我々から事の詳細を知ることはありません」

機密保持と低コスト化実現の面から電探装置などの機器は現段階では搭載していない。
その代りとして戦時になったら、準高度AIを艦隊旗艦に派遣して弾道計算や中距離探知を行わせる計画が立てられていた。

「…なるほど」

上村の表情が険しくなる。彼は高野の言わんとする事を察した。
各国が間者(スパイ)を使って製造元たる帝国重工を調べれば、高野はそれを極秘裏に消していくことを示唆していたのだ。

穏便な高野といえども、非合法活動を仕掛けてくる連中には一切の容赦を与えるつもりは無い。
1.5世紀先の監視技術によって見張られている施設に侵入して無事に帰れるわけが無いのだ。スパイに人権は無く、秘密裏に処理しても世界からみても普通であった。

そして、処理とは殺すだけではない。


後に、日露戦争で大活躍する葛城級であったが、本艦の存在に刺激を受けたイギリス帝国のジョン・アーバスノット・フィッシャー提督は、ハッシュ・ハッシュ・クルーザー計画(大型軽巡洋艦建造計画)を立ち上げて狂奔する事になる…

真田は四四艦隊のメインディッシュともいえる、戦艦設計案の発表に移った。
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【あとがき】
坪井航三は延命治療 病死しません。
意見、ご感想お待ちしております。

【葛城級巡洋艦 性能】
排水量:15,084t、全長:201.06m、全幅:24.1m、吃水:8.35m

機関:統合電力システム 90.5メガワット
燃料搭載量:2,050t

最大速度:35.7 kt、巡航速度:20.5 kt航続距離:巡航で14,500海里
乗員:士官・兵員:364名

兵装
52口径155o三装砲 3基(9門)
62口径57o単装速射砲 6基
70口径40o連装機関砲:12基

(2009年04月29日)
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