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レクセリア建国記 第04話 『序章 4』


ロイと一緒に屋敷に戻ったイリスは自室で水着から洋服からに着替えるとエプロンを纏って調理場に向かう。ロイは薬草やハーブなどを栽培している家庭菜園の水やりなどの雑務を行っているリリシアの手伝いだ。 調理場にはリリシアに仕えている、メイド服が良く似合っている侍女のレリーナが既に立っていた。レリーナの耳からして種族はエルフか夢魔のどちらかと思われたが、彼女は過去を語らないのでイリスだけでなくロイも知らなかった。

どちらにしてもイリスにとってはレリーナは料理の先生であり、
家事に於ける師匠である事実に変わりは無く、それで十分だったのだ。

セミクローズタイプの調理場の一画には魔石の反応によって保存した食材を冷やす大型冷蔵庫が備わっている。この冷蔵庫の存在もあって、食材の鮮度を保ちながらある程度の期間なら保存する事も可能なのだ。無論、この冷蔵庫の冷却機能は永久的なものではなく、機能の維持には魔石の仕様が不可欠だったが。

そして魔石とは、魔法の触媒や魔法機器の運用に使う、魔力の結晶体である。ただし、冒険者たちが狙う6級以上の高純度魔石の様なものではなく、このような民生品で使うものは世界に満ちる魔力(マナ)によって生まれる9級魔石(クエイタークラス)のものだ。要約すれば入手し易い消耗品。土地によっては冷却用の切り出した氷より安い場合もある。

レリーナは、魔石を利用したオーブンを始めとした各種加熱機器、食材・食器・調理器具などを洗うシンク、そして調理スペースがL字型に並ぶ台所に向かって手際よく夕食の準備を行っていた。調理に集中していたレリーナがエプロン姿のイリスに気が付く。

「手伝ってくれるのね」

「うん」

レリーナの言葉にイリスが応じた。
イリスの好意にレリーナは微笑んで礼を言う。

最初の頃はお世話になるお礼の一つとしてイリスは開いている時間があれば家事の手伝いを買って出ていたが、今では純粋にリリシアとロイに自分が手伝った料理を食べて貰うのがイリスにとって何よりも嬉しかったのだ。イリスは義務による手伝いではなく、自らの意思へと昇華していたので料理に対する熱意は高い。

イリスは食材の量を見て疑問に思う。
シルフィが来るにしては少し量が少ないのだ。

「あれれ? もしかして今日はあの二人は居ないの?」

「はい。
 アンドラス様とリオン様のお二人は急な仕事の依頼が入りまして、
 連絡艇で街に向かいました」

「そっかぁ…残念」

イリスにとってアンドラスとリオンはリリシアやロイと同じく親しく大切な人だった。リリシアと同じく、イリスにとっては誘拐から救ってくれた恩人でもある。それに、ぶっきらぼうなアンドラスであるが彼は子供には優しく、日ごろからロイやイリスを気にかけていたのだ。寡黙なリオンも同じである。優しさに敏感なイリスはそれを良く感じ取っていたのだった。また、レナール川はライナス圏南東部から中部へと通じており、マスティア領域の濃度差や揺らぎを見分けることが出来る航海士と、それ相応の艦船があれば4日程の日時でライナス圏中部に向かうことが出来るのだ。

二人が居ないのは残念だがイリスは気を取り直す。

「では、イリスには水切りを終えた野菜を切るのをお願いします」

「は〜い」

返事を返したイリスは小さな調理場の片隅に置いてあった小さな台座を持ってくる。背が低いイリスは、この台座の上に立たないと満足な調理が出来ないからだ。イリスは足場を確保するとシンクで手を綺麗に洗う。リリシアの屋敷に設置されているシンクには蛇口が備わっていたので貯水タンク及びサイフォンの原理を利用した装置によって蛇口を捻るだけで水が出るのだ。仕組みは原始的なものだが、機能としては十分なもの。

調理スペースに面したシンクに付けられたスライド型水切りラックには、キャベツ、人参、ブロッコリー、ジャガイモ、パセリの茎が入っていた。イリスは台所の後ろにあるテーブルの上にある玉葱、ソーセージ、にんにく、セロリの葉、ローリエの葉を見てレリーナが作ろうとしていた品目の一つが判った。

「ふむふむ、材料からして作ろうとしていたのはポトフかな?」

「ええ、その通りです」

レリーナは笑顔で頷きながら言う。

イリスはナイフブロックに収納されているペティナイフに近い形をした調理ナイフを抜く。野菜を切る前に刃を水で軽く洗う。それから、鍋に入れる煮材として入れる野菜を食材を切っていく。トントントンとカッティングボードの上に刃物がぶつかるリズミカルな音が鳴る。カッティングボード(まな板)を使うのは、東方の調理法を取り入れているこの家のナイフは切れ味が鋭いからだ。

ライナス圏のみならずレクセリア大陸では、食卓で各自がナイフでカットするので、調理の段階で使う調理ナイフに鋭い切れ味は不要だったが、海を隔てた東方地域では食卓でナイフは使わない代わりに調理の段階で食材を切るので、このように鋭い切れ味の調理ナイフを使う。東方の調理ナイフ(包丁)の利点は、刃を寝かせて薄く切ることも可能なほどの切れ味の良さ。繊細な料理を作るに適した調理ナイフだったが欠点もあった。非対称で作られているので片手でしか使えないので、利き腕が違う人が使うにはそれにあったものが必要になるのだ。

イリスが食材の準備を進める中、
レリーナは食器などを収納する食品庫(パントリー)から調味料を取り出す。

味にこだわるレリーナらしく、食品庫(パントリー)には沢山の調味料が納められていた。 そこから取り出したのは粗塩、粗びき黒胡椒、オリーブオイルである。加えて冷蔵庫から前日に、生クリームを乳酸菌で発酵させてこしらえたサワークリームを出す。サワークリームは少量を入れる事ではさわやかな酸味とコクが得られるのだ。これだけでも、レリーナのこだわりの深さが判る。

レリーナはその後の作業をイリスに一任した。役割分担の他にも別の意図がある。ポトフはロイが好きな料理の一つ。故に料理の腕が上達してきたイリスに任せるようにしていたのだ。ロイとイリスの関係が良い方向に進展するようにとのリリシアの意向を受けたレリーナさりげない配慮である。イリスも作った料理でロイの喜ぶ顔を見るのが嬉しいので渡りに船だった。

ポトフを任せたレリーナは、一次発酵後のベンチタイム(温かくし、乾燥させない時間)を終えてパン生地の成型後にホイロと言われる、もう一度発酵させていたパンを軽く触る。二次発酵は湿度や気温に左右されるので、最終的な見極めは触感、匂い、見た目などで確認しなければならない。

「このぐらいで十分ね」

確認を終えたレリーナはてきぱきと焼き上げる最終工程に入る前に各パンに切り込みやトッピングなどを施していく。これを終えれば、後はオーブンで焼くだけだ。焼きあがったとき、美味しいバタールなどが夕食の場に並ぶことになるだろう。

パンをオーブンに入れて焼き上げを始める頃には、
イリスが担当しているポトフは既に具材を煮る段階に入っていた。
この段階になると、ときおり鍋を見て不要なアク取りを行うだけで良い。
その進み具合を見てセレーネは言う。

「空いた時間でサラダをお願いできますか?」

「判った」

「下準備を終えた小海老とジャガイモが冷蔵庫に入ってるので、
 それを使ってください」

「その材料からして…
 作ろうとしてたのは小海老サラダのレモンと白ワインビネガー風味?」

「はい。それでお願いしますね」

イリスは冷蔵庫の中からボイル処理を終えた角タルト型の飲用容器に入っていた小海老とジャガイモを見つけて取り出す。玉葱、ジャガイモ、インゲン、パセリ、パプリカを微塵切りにして、塩・胡椒とオリーブオイル、そして小さじ一杯分の白ワインをまぶして混ぜる。味付けのアクセントになるレモンは最後に入れるのだ。

その間にレリーナは、
メインデッシュのワイン風牛肉の煮込みの最後の仕込みに入っていた。

ただ煮込んだ牛肉ではない。前段階として、塩・胡椒と薄力粉をまぶした牛ほほ肉をオリーブオイル、にんにく、タイム、セロリ、ローリエの葉、オリーブの実、マッシュルームを入れて両面に焼き色をつくまで炒めたもの。それから、ホールトマトと前日に8時間煮込んだブイヨン、赤ワインと水を加えてアクを取りながら5時間ほど煮込んだものだった。

そして最後の仕込とは、ワイン風牛肉の煮込みを器に盛り付ける際に、その一画に添えるバターライスである。米は比較的長期に保存できるものなので、交易商人との伝があれば東方から輸入する事ができるのだ。米を使った料理はリリシアの好物である。そして、リリシアの影響を受けたイリスも米を使った料理が好きになっていたのだ。

レリーナは熱したフライパンにバターとオリーブオイルを入れると、次にそれらがフライパンの上で広がるように動かす。フランパンが丁度良い頃合になったらにんにくを入れて炒め始める。

フライパンからにんにくの香ばしい匂いが漂う。
オーブンの様子からしてパンも時間通りに完成するのがわかる。

レリーナは事前に炊き上げていたライスをフライパンに入れて、
塩・胡椒を使って味の調整していく。

軽く火が通ったらいったん取り出す。いったん火を止めるのは、食卓に出す直前に火を通して作ったほうが暖かい料理を出すことが出来るからだ。これは小さな心配りの一つ。レリーナは味見スプーンでワイン風牛肉の煮込みの味を確認して満足そうに微笑む。

こうしてレリーナとイリスによって丹精込めた夕食が作られていくのだ。
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【あとがき】
サイフォンの原理と言えば古代のローマ水道!
あの水道で如何にローマ帝国が凄かったかが判る…


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