レンフォール戦記 第一章 第18話 『魔王:前編』
「ふう…ほとんど魔力が残っていないわね」
リリシアは満身創痍と言っても良い状態だった。
力の源と言える魔力はほとんど残っておらず、胸には血は強制的に止めてあるが致命傷に近い傷が
あり、本来ならば安静にするべき状態である。
「先ずは、このアルコール臭を消さないと」
無造作に置かれた白葡萄酒が入っているビンを手に取ったリリシアは小さく呟いて魔法を掛ける。
流石に、この様な状態で無詠唱魔法は仕えない。
「よし…これで匂いは無くなったはず」
リリシアは無臭化を行った白葡萄酒を自らの体に掛けていく。
これは、キィームによって先ほど掛けられた血を洗い流すために無造作に掛けられた
白葡萄酒の匂いを洗い落とす意味が強い。
酒の匂いは以外に遠くまで届くのだ。
リリシアはアルコール臭を漂わせてながら脱出できるとは思ってはいない。
そして、リリシアは体に掛けられたお酒に対して直接魔法を掛けなかったのは、
ビンによって一箇所にお酒が纏められている方が効率が良く、広範囲に掛けられた酒よりも
少量の魔力で行うことが出来るからだ。
残量魔力がほとんど無い証拠とも言える。
「ふう…ほとんど魔法力が残っていないわね」
処理を終えるとリリシアは半壊したミスリルアーマーを再び纏う。
身動きがとれないままのキィームであったが、その顔は気持よさそうだった。
リリシアは約束どおり、綺麗に死に至るようにキィームの筋電を操作し、ヘミシング効果によって夢見心地な気分のままで死ねるようにしていた。
「さてと…扉の前には6人か…
っ、この気配は!」
リリシアは最悪の事態に備えるべく咄嗟に身構えた。
―――――交易都市カトレア内、ゴーリア軍侵攻隊野戦本陣―――――
ゴーリア軍侵攻隊野戦本陣が置かれていた館の敷地内に美しい庭園がある。
その庭園に恐怖の声と苦悶の悲鳴が木霊し、一方的な殺戮が開始されていた。
悲鳴を聞きつけた警護の騎士や兵士は現場に駆けつけるも、現状を確認する前に、ありえない速度で次々に吹き飛ばされ地面や樹木に激しく叩きつけられて行く。壁に叩き付けられた者は、壁に人の形をした赤い染みを付けてから垂直に落ちていった。
遅れて到着した者が慌ててその場に駆け寄る。
吹き飛ばされた者たちは、その全てがすでに事切れていた。
皆あらぬ方向に 手足を折り曲げられていただけでなく、衝撃波によって潰された部位もある。砕けた鎧、折れた剣の残骸が威力の高さを物語っている。
ゴクッ………
仲間達が飛ばされてきた方向にある、庭園の出口側から足音が響いてくる。
固唾を呑む音がする。緊張のあまり、自分が発した音なのか近くの他人が発したものなのか、 誰一人として判別することができなかった。
そんな彼らが見守る中、
庭園の出口から一人の見慣れない格好をした男がゆっくりと姿を現したのだ。
「貴様いったいど…こ…か!?」
問いただした騎士が質問の途中で恐怖のあまり硬直した。
相手の纏う禍々しい雰囲気と、濃厚な魔力によって空気が揺らいでおり、
絶対的な力の差を感じさせる。
「シャングリラからさ…」
騎士のからの問いに皮肉で答えた、この強大な魔力を纏う男の名は、アーゼン・レインハイム。レインハイム皇国の王にして、派遣軍の総司令官である。彼は、魔王として強大な力を持っていたが、それでも油断はなく、
周辺を警戒するために念を入れて探知魔法を飛ばしていた。
「うん?…どうやら、私を監視する輩が居るな…ふむ…」
そんな中、不運にもアーゼンの瞳を直視した兵士が居た。
「ウッ!」
アーゼンの瞳を直視した兵士は短い悲鳴と共に兵士が世にも恐ろしいものを見た表情のまま事切れる。
運悪く、魔力を練り上げている状態時の目を見てしまったのだ。
神経系が集中した部位、目や手は魔力の共振点として最適で、特に瞳は重要な部位になる。
つまり、運の悪い兵士は制圧下
――――
魔法戦において一定以上の実力差が生じると、実力差に劣るほうは
さまざまな制約が課せられる。深刻なほどの魔力補充率の低下や魔法効果・魔法抵抗力の軽減など
――――
に於かれている状態で、瞳を直視してしまい魔力を根こそぎ奪い取られ、そのショックで死んだのだ。
アーゼンは周辺の魔力だけでなく、
このように視線の合った格下の敵から魔力を奪い取ることが出来る。
奪い採るためにアーゼンが流し込んだエネルギー量は瞬間的に周波数350Ehz(エクサヘルツ)、電子ボルト8Gev(ギガ・エレクトロンボルト)のエネルギーに達していた。
それは宇宙線級の威力であり、直撃を受けた兵士は凶悪な電離効果によって
体内の水の分子が
フリーラジカル――――
不対電子をもっているために、他の分子から電子を奪い取る力が高まっている原子や分子を指す――――
を引き起こし、魔力誘導の際に人体細胞の変質を強制されて死に至った。
エネルギーも魔力はゆっくりと為らして行けば多大な
恩恵をもたらすが、急激に増やしたり急激な移動は神経細胞にとって過負荷でしかなく悪影響にしかならない。
アーゼンは帯剣している刀を
無駄の無い動き抜き放つ。
無名の真銀製(ミスリル製)の刀がアーゼンの高濃度魔力を長い年月を掛けて
浴び続け、人の手によって創られた物でありながら、純度を増し神銀となった一振り。
アーゼンはこの剣をタナトスと呼んでいたが、アーゼンの内縁の妻であるリリスは将軍冒険活劇を読んでマサムネと改名しようと暗躍しており、アーゼンを困らせていた。彼は妻の頼みには滅法弱いのだ。
鞘から刀がが解き放たれるとアーゼンからより大きな威圧感が放たれ
、呼吸困難になるほどに辺りに満ちていく。
「うわっああああああああああ!」
押しつぶされそうな恐怖に耐え切れなくなった兵士が
アーゼンから背を向けて走り出す。
「絶対的な差を悟り逃げ出すか…しかし」
アーゼンはそういうと逃げた出した兵士に一瞥を向けると、兵士の動きが止まり
地に崩れ落ちて苦しみ悶える。地面に崩れ落ちた兵士は先ほどのような超高エネルギーを当てられたのではない。兵士を打ちのめしたのは、魔法現象の元になっている大気中のナノマシン郡に直接介入して生み出した指向性低周波電磁場が原因だ。具体的な症状として中枢神経系の機能に急性効果が現れ、感電性ショックと熱傷といった急性効果が生じたのだ。
魔法現象を全て物理現象として理解しているアーゼンならではの技であろう。
「魔王から逃げられると思っているのか?」
ゆっくりとゴーリアの集団に近づきながらアーゼンは
しゃべり続ける。
彼らの態度には興味すら持っていない。
「お前たちの存在が新たな戦を産み落とす、私の言っている意味は判るよな?」
「なっ…何を言ってるんだ!」
「判らなければそれでいい、過程はどうであれ結果は既に決まっている・・・」
ゴーリアの蛮行を目にしてきたアーゼンには容赦という言葉が無く、厳かに死刑宣告を告げる。抜ききった刀を構えて言い放つ。
「俗物共よ…
儚いながらも精一杯の命の尊厳を見せるがいい…」
「一体何が起こってるんだ…」
キィームから館長室を追い出された兵士や護衛の騎士は外の異様な気配に殺気立っていた。
下手に室内に入れば確実にキィームの怒りを買う事になり、彼らは動くことが出来ず苛立つばかりである。逃げ出せば敵前逃亡で死刑、室内に指示を仰ぎに行っても死刑という八方塞がりな状態が、その焦りを強めていた。
緊迫する中、接近する人の気配に警戒するが気配の主が見慣れた上級騎士の
姿と知り護衛の騎士は安堵する。
「ア、アンドラス様、ご無事でしたか!」
「ああ、死にそびれたさ…
そして、最初に謝っておこう…すまぬ」
「えっ?」
アンドラスは凄まじい速度で鞘から剣を抜く。
彼の周辺に幾多の剣閃が走ると、兵士たちや護衛の騎士が床に崩れていく。斬られた兵士は己の身に起こった事を理解する事無く絶命する。
「な…ぜ…?」
即死を免れた護衛の騎士だが致命傷を負い
朦朧としていく意識の中に沈んでいくキィームの護衛役の騎士に対して、
アンドラスは何のためらいも無く、苦痛から開放してやるために止めを刺す。処理を終えると油断無く館長室に入っていく。室内のリリシアを見ると安堵したような表情を浮かべた。
「待ったか?」
「アンドラス…やはり生きていたのね」
「驚かないのだな?」
アンドラスは予想通りという反応に興味を持つ。
「可能性として考慮していたわ。
颶裂斬(ボレアスブレード)の魔力を開放し、
その風の反発で天煌滅爆(ディヴァインレージ)の直撃から逃れた…違うかしら?」
「ご名答」
「それでも五体満足だなんて、どんな体の作りをしてるのかしら…
で、決着を着けに来たのかしら?」
アンドラスはキィームの成れ果てた姿を見ながら言った。
その視線はかつての上司と部下の関係を全く感じさせないほど冷やかなものであった。
「いや、お前を汚そうとしたキィームを殺しに来のだが、どうやら杞憂だったようだな」
「へ?」
決着を着けに来たのだと思っていたリリシアは思わず目が点になる。
「言ったはずだ。お前は俺の獲物だと」
「ふふ…そうだったわね。
私たちの世界(政治・軍事)では、無能者は犯罪者より性質が悪いわ。
貴方は優秀で豪胆で行動力もある。
どうかしら、殺し合うより…私の元に来ない?
望むなら愛人として迎えても良いわよ」
アンドラスもリリシアに負けず劣らず虚に取られたような顔をする。
リリシアが有能な相手に興味を懐く例としてはクローディアやリオンが上げられる。
強い関心を惹いた二人はプライベートでは愛人として過ごしており、
アンドラスの実力と行動は例に漏れずリリシアの関心を強く惹いたのだ。
「光栄な申し出だが…
残念ながら、今は成さねばならない事がある」
アンドラスは真面目に心底、残念そうな表情で答えると、
両手でリリシアの体を抱くようにして引き寄せる。
アンドラスの突然の行動にも関わらずリリシアは抵抗することなく口付け受け入れた。
リリシアの指がアンドラスの指と絡まるように情熱的に交わりながら、
往年の恋人のように求め合う唇。
それは、先ほどまで殺し合っていたとは思えない熱い口付けだった。
熱く短いキスを終えるとお互いは静かに離れる。
戦場という異常な空間で殺しあったからこそ判るお互いの人柄。
お互い同士、信頼できると認め合っていた。
「先ほどのキスは前金として頂いた」
「ふふ、あはははははっ!
いいわ! やはり人間って面白くて飽きないわ!
夢魔族の私にキスの不意内だなんて…ふふ、もちろん後で後金も忘れないでよ?」
リリシアの顔は興奮で火照っていた。アンドラスの方も
余裕があったわけではなかった。
彼の強い精神が辛うじて欲望の暴走を抑えていたに過ぎなかった。
あと少しでも長ければ完全にリリシアのペースにはまっていたであろう。
「勿論だとも。
それより、断片的だが遠くは無い場所から魔王級の存在が感じられる。
敵味方は不明な状態だ、出来るだけ早く此処から離れた方が良いぞ」
「同感だわ」
二人が室内から出ようとした瞬間、なんら予兆も無く周辺に強烈な結界が発生した。
結界には見たことが無い魔法構成が組み込まれていた。どのような形式の結界かが判らぬ状態で突破を図るのは勇気と無謀を採り間違えた行動だと知っている二人はその場に踏みとどまった。
「むぅ……どうやら少し遅かったらしい」
「そのようね・・・」
アンドラスは剣を構えて魔力を練り始め、リリシアは魔力を練りながら、お互いにカバーできるような姿勢で構える。
冷静に見えるリリシアだが、心の中ではこれほど強大な気配に関わらず接近するまで探知できない桁違いの存在に驚いていたが、リリシアは決して諦めていなかった。
アンドラスの存在がより一層に頼もしく感じされると同時に、この強大な存在が接近しているにもかかわらず、
決着にこだわり危険を冒して来たアンドラスがより一層に面白く思えた。
「決められた役割を演じるというのは難しくも遣り甲斐があるものだな」
「役割?」
「姫を守る騎士という役さ」
アンドラスはリリシアを守るような位置でするりと移動した。
必ずしも騎士道の鏡のような男ではなかったが、アンドラス・エレネフコフは
類まれなる実力と勇敢さを兼ね備え、厳格なルールで動いている誇り高い漢と言えるであろう。
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