レンフォール戦記 第一章 第10話 『アンドラス・エレネフコフ』
相手の目的は探知魔法を掛けるのではなく、一瞬で良いからリリシアの注意を奪う事だった。そう、
リリシアが己の上空に殺気を感じた時には、圧縮魔力伝達によって薄紫色の鈍い光を放っている剣の斬撃が頭上から迫っていた。
それは、どのような達人であっても避けられない間合いであった。
奇襲を仕掛けたアンドラスは、レッサーアースドラゴンと囮用の魔法で
リリシアの注意を逸らした隙に、屋根から跳躍して襲い掛かる、この己の一撃に対して強い自信を持っていた。
リリシアは頭上から迫り来る敵の魔法剣を見た刹那に、リリスの教えを思い出した。
『いい、リリシア。
貴方は魔法構成を見る能力と、魔力を操作する能力に優れているわ。
解析と構成。この二つは魔法において、とても大事な要素なの。
そして、貴方は生まれもって、この二つにおいて宝石のような素質を持っているわ。
でもね…どのような宝石でも、時間をかけて磨かなければ美しく輝かない。
才能に胡坐をかかず、常に研磨して能力を伸ばしなさい。
そうすれば、貴方は如何なる状況でも対応できるようになるわ。』
母の教えを守り、絶え間ない努力で能力を磨いてきたリリシアは
素早く魔力を高める行動だけでなく、
魔法構成の少なく無い部分ですら、暗黙知――――
人の身体には、暗黙のうちに長い月日をかけて繰り返し行った
操作技術などの複雑な制御を無意識下に実行する過程が常に作動している。
――――
の領域にまで高めていた。
「避けられないならっ!」
リリシアは瞬時に斬撃を回避できないと悟ると、致命傷を避ける事のみに集中した。
魔法剣の直撃を避けるために、後方に跳ぶと同時に、
相手が繰り出す剣の軌道を読み、瞬時に魔力を高めて
剣の軌道先の魔法障壁の強度を上げた。更に、剣付属魔力の構成を読み取り、常に展開している自分の不可視な魔法障壁にひとつの細工を施した。
アンドラスはリリシアの左肩に狙いを付けて振り下ろす。
落下速度に加えて、鍛えられた両腕から繰り出されたアンドラスの一撃は、
常人ならば一撃で死に至り、リリシア級の実力者の魔法障壁であっても、深手を避けられない一撃であった。
その威力からして、リリシアの行動力を大きく奪うはずだった。
リリシアの防御圏に剣が到達すると、低い抵抗音と共に斬撃の勢いが打ち消され予想以上に剣筋が鈍る。
「何だと!」
予想外の防御方法にアンドラスは驚きを隠せなかった。魔法剣の達人であるアンドラスは剣の感触と
付属魔法の減退具合からリリシアの行った防御方法にたどり着くと同時に、その技量に舌を巻く。
リリシアは、単純に魔法出力を高めるような障壁強化を行わなかった。
驚くべきことに彼女は、アンドラスの剣から放たれていた魔力波から
、構成を読み取って、剣と相反する魔法構成を範囲限定に瞬時に展開したのだ。
それによって、アンドラスの剣に掛かっている圧縮魔力の流れが、相反する魔法構成によって乱され、少なくない量の
魔力が霧散した。属性反発と魔法障壁によって剣の威力を殺いだのだ。
この回避方法は、冷静な観察眼と高い技術が無ければ到底無理な回避方法であったであろう。
しかし、無傷のまま回避は出来なかった。
剣筋がリリシアの左肩を通過すると、肩部のミスリルアーマーを切り裂いて
白い肌から流血が迸る。決して少なくない量の出血であったが戦闘不能になる量ではなかった。
後方に跳んだと同時に、魔法による応用的な防御の結果、
リリシアは戦闘不能によって捕縛されるという最悪の
事態を避けることが出来たが、状況が好転した訳でもなかった。
肩を切り裂いた一撃を繰り出し終えると、流れるような動作で片手剣を下段に構える。
息をつくまもなく、下段から上段にかけて突き上げるような斬撃を繰り出そうとする。
リリシアはこのまま相手に連続攻撃をさせる気は毛頭無かった。
苦痛を精神力で押し留めて、そのまま無詠唱魔法を放つ。
「爆裂!(レージ)」
唱える術者の技量が高ければ低級魔法でも中級魔法以上の効果が得られる様になる。
それは威力の劣る無詠唱であっても同じだ。
本来なら光球をぶつけて発動させる魔法だが、リリシアは魔法構成を2.3工程改良して
魔法を放った。狙いは相手ではなく、自分と相手の中間で魔力収縮を開放して爆発させた。
リリシアはダメージを与えるよりも間合いを取ることを優先したのだ。
予想外の炸裂にアンドラスの剣筋は中断され、リリシアとの間合いが開く。
アンドラスの表情は、策を見破られた悔しさよりも、
噂以上の強敵と出会えた喜びで震えていた。彼は勝つための策を弄しても武人としての心構えは無くなってはいない。
「なるほど・・・な。
初撃を力場反発で勢いを殺ぐだけでなく、二撃目もこのように回避するとは器用な」
アンドラスは一呼吸置いて言葉を続ける。
「しかし、あの一撃は決して浅くは無い!」
熟練者に相応しい無駄の無い動きで攻撃の構えに入る。
「そうね…」
苦しそうに息を吐いたリリシアは左肩から胸に掛けて、決して浅くない傷を負っていた。
減退せず、そのままの威力だったら、行動不能になる傷であったであろう。
「私は、リリシア・レンフォール
・・・貴方の名前は?」
リリシアは治癒魔法を傷口に掛けつつ名前を尋ねた。
いくら魔法で傷口は塞げても、失った血液と使った魔力は簡単には戻らない。
血液と魔力には密接な関係がある。
血は体内に循環する。魔力の大部分は血液の流れに乗って体内を循環するからだ。血液量の低下は
魔力循環率と魔力総量の低下を意味していた。
失った部位を取り戻す上級回復魔法もあるが、詠唱の長さと必要魔力量から、このような場面で使用するには
現実的ではない。
リリシアの問いに、油断無くアンドラスは口を開く。
「アンドラス・エレネフコフ」
アンドラスは応えつつ、気と魔力を練るのを忘れない。
アンドラスは人族・・・つまり人間である。
夢魔族と比べれば魔力に劣っているが、その代わりにあらゆる分野で
伸びる可能性があり、鍛錬次第ではかなりの領域まで達することが出来る種族。
出産率の高さと優れた適応性で世界各地で生存圏を広めている。
能力差を単純に比べると上級魔法を使いこなせるリリシアが勝っている。
リリシアは構成した魔力を維持し、魔法を解析して思うままに再構築する能力を有し、
通常の効果以上の何かにまで昇華させ、なおかつ正確無比なコントロールを与えている。魔王の娘に相応しい能力であろう。
しかし、アンドラスは、個体差を埋めるための知略、
鍛えられた肉体、優れた剣技、近接戦に特化した魔法によって
リリシアに対抗しうる環境を、この場所に作り出していた。
リリシアは、目の前の男が行った足りないものを補う手腕を高く評価した。
敵にも関わらず興味も沸く。アンドラスの毅然とした態度も能力と相まって、その感情を後押した。
夢魔は強い異性に惹かれるのだ。
「名前からしてロフネス人かしら?
それ程の腕からして、ただの傭兵とも考えられないし…」
ロフネス人とは8年ほど前に戦争で滅んだロフネス国
の主要民族である。
リリシアには判りかねていた。
歴戦の戦士の雰囲気を放つアンドラス程の男が、良い評判を聞かない
ゴーリアのような国に仕えている理由が判らなかった。
「訳ありなのさ」
「そう…
私達は戦場でなければ良い出会いになったかしら?」
「残念なりど、ここは戦場。
しかし、良いのか?
長引けば包囲されるぞ」
アンドラスは揺さぶりとも、警告とも言える口ぶりで言った。
「貴方はそれで満足かしら?」
リリシアは、駆け引きや挑発ではなく、まるで恋事のように言う。
「くく……はっはっはっはっ!
確かに!キャームにくれてやるには勿体無さ過ぎる!
さぁ続きを殺ろう! 闘争を語ろうではないか!」
アンドラスは言うと歓喜と共に殺気を強めた。
「判ってるわ。決着をつけましょう。」
リリシアの声には艶が入っていた。
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