■ EXIT
復讐の女神「第一章・情報戦略」


しわぶき一つしない、満員の国立劇場に、リヴァールでも一流の楽団が見事な演奏をかき鳴らす。
そして、その曲にのって、渋く伸びやかな声が劇場を震わせた。


 飛べよ 風
 飛べよ 涙

 はるか 彼方をめざし
 どこまでも飛べ

 乾いた大地を どこまでも

 恐るべき谷を、
 焼けつく砂漠を、
 冷えいる夜を

 そのはるかかなたを
 私はめざそう


ゆったりとしたリズムに、力強い歌声。
聞く者の血を熱くし、青春を思い浮かべる。


 私は種となりて

 光と共にはじけ散り
 風と共に飛んでいこう
 おまえとともに


壮年ですらりとした体格のベテラン歌手、ユウゾ・ウィ・マウンテンは、己の歌声に酔い、薄茶の髪を汗に輝かせ、ますます声の伸びが高まる。
『まだ我に青春はあり』


 男たちは、血を沸かせ
 女たちは、優しくキスを

 ともに進まん手を取り
 どれほど嵐が吹こうと
 そこが未来 我が開く 大地

 大いなる荒野、
 ワイルド・ワイド・ウェスト




目を輝かせ、高らかに歌い上げる。
満員のリヴァール国立劇場は、割れんばかりの拍手で包まれた。



カントリー調といわれる、ゆったりしたリズムの曲は、
根強いファンを持つものの、長い間トップランキングを脅かしたりはしなかった。

だが、先月突然ランキング4位につけた「我は荒野を」は、
次の週には1位に飛び出し、そのまま4周連続でトップを独走した。

ちょうど世情も、近づく戦争の気配に怯え、明るく力強い曲を欲していた。
映画などにも広く出演し、超ベテラン歌手として人気もあったマウンテンは、この歌を紹介された瞬間、鳥肌が立ったそうである。

『俺はこれを歌うために生まれてきたんだ』


まだ見ぬ荒野を目指す、青春の歌声。
それは、高まる国家間の緊張の中、戦争の前に怯える庶民の、最後の抵抗だったのかもしれない。

20代から上の広い年齢層を掴み、リクエストやカラオケのトップにも独走状態になる。 こうなると、移り気な10代と違い、極めて強い。

ベテラン歌手の歌声もさることながら、謎の作詞・作曲家ナリテ・カエがまた話題となる。

マスコミが鵜の目鷹の目になって探しても、その正体がわからない。
わからないだけに、話題はあらゆるところで交わされる。

そして歌は、それまでタブー視されていたワイルド・ワイド・ウェストを、一気に注目の的にしてしまった。

マスコミよりも、ネットが先行し、その話題が沸き立つように沸騰。

軍部や、さらにその奥の闇の部分から、様々な制約が掛けられていたはずの報道関係も、情報の大波にぶち切られ、どこも一斉に取り上げ始める。

当然、リヴァールが行ったグリーンベルト構想の調査は、誰がどう抑えようとしても、止めようもなく報道のトップに躍り出た。

必死に隠そうとしていた者たちにとって、唯一幸いだったのは、メンツを重んじた軍部が、C-5Eギャラクシー墜落事件を徹底的に押さえてくれた事だろう。ベンドンシティが丸ごと灰になるかもしれなかった大事件は、密かに闇に葬られた。

ただ、リヴァール軍は、それを良しとする愚劣な軍人ばかりではない。黙っていられなくなった清廉な軍人たちは、密かに、しかしはっきりと疑問視をし始める。闇に手を結んだ連中とは別に、国家の事を真面目に考える者たちが、縦横の階級差を越えて、次第に意見を交わしあうようになった。

実は、この一連の騒動は、ほぼすべて仕組まれていたと言える。
見事なタイミングで、音楽ランキングトップに躍り出る名曲を作り、国中に顔を知られたベテラン歌手を用い、それをランキングトップに出るよう後押しするのは、『三枚のジョーカー』にとっては、何ら難しい事ではなかった。その上、この件に関して全面協力している鉱山王ガッハは、元々マウンテンの後援会名誉会長である。4人が軽くあおるだけで、ワイルド・ワイド・ウェストへの関心は、凄まじく燃え上がった。

『影(シャドウ)』が必死にもみ消そうとしていた、グリーンベルト構想は、見事に世論の目を集めた。
こうなると、下手に手を出すことは危険である。

では、C-5Eギャラクシー墜落事件を、軍部が抑えたのは何故か?。
これは軍のメンツを立てるために、『影(シャドウ)』の動きをそっと後押しするようにしながら、実は目の見える清廉な軍人たちを気付かせる情報を巧妙に流し、彼ら自身すら気づかぬうちに、同士として意見交換の場を持つように仕向けたのである。まさに相手の力を存分に利用し、それを別の技にすり替えて浴びせる合気道の極意のような見事さ。 これこそが、『3枚のジョーカー』の一人、情報局局長リンゼ・ワグナリウスの情報操作の勝利だった。

4人の最愛の愛人であるエカテリナを、死の一歩手前まで追い込んだ『影(シャドウ)』に、どれほど4人が激怒したかは、言葉にすることすら難しい。

『影(シャドウ)』はリヴァール最大のタブーの一つだが、4人は本気で『許さぬ』と誓った。

『影(シャドウ)』の動きと正体をあぶり出すためには、軍内部で、非『影(シャドウ)』派を作る必要がある。それも軍人たちが自発的に作らねばならない。もし、リンゼらが口を出したが最後、『影(シャドウ)』に通じている者たちから、あっという間に敵対行動がばれてしまうからだ。
それほど、『影(シャドウ)』は、リヴァール連合内部に、執拗に網の目を張り巡らせている。
そこに、今回の騒動が初めてひびを入れたのだ。

光があれば、影が目立つ。

非『影(シャドウ)』派の動きは、直接彼らに接しなくても、見守る事が容易だ。
『影(シャドウ)』のシンパが動けば、それは自然に見えてくるのである。

また軍内部はリンゼの腕だが、歌とともに世論や軍までも巻き込んで動かす巨大な戦略は、フェリペの頭脳が編み出している。
そして、フェリペの戦略のきっかけとなったのは、エカテリナだった。

『世論をワイルド・ワイド・ウェストへ、注目させる必要があります。』

そう言って、旅の途中で思いついた歌を披露したのである。これでほぼ戦略はなったと言っていい。
これを聞いたガッハは、ぜひユウゾに歌わせたいと願い出たのだった。
そして、フェリペとしても、これほどの適任者は他にいなかった。




「見事な歌であった、まるで10年若返ったようではないか、ユウゾ。」

コンサートを終えたユウゾ・ウィ・マウンテンは、帝国ミレニアムホテルの最上階で、後援会名誉会長である鉱山王ガッハ・バルボアの祝福を受けた。

「はい、私めもそう思えてならないのです。あの歌に出会えたこと、本当に感謝しなければなりません。」

超ベテラン歌手は、優雅に礼をした。
彼にとって、ガッハは単なる名誉会長と言うだけではすまない。ガッハ無くして、今のユウゾは無かった。

「うむうむ、今日は褒美にお前の一番の希望をお連れしたぞ。」

中年のしぶいハンサムな顔が、とたんに10代の若者のように紅潮した。

紅霊樹と呼ばれる赤い光沢を持つ樹木に、見事な彫刻をほどこしたドアが開く。

「おお・・・・・」

『白い妖精』、その言葉しかバイマウンテンには浮かばなかった。

ほっそりした姿に、優雅な美と品格を満たし、大きな帽子の下に薄いヴェールが、わずかに表情を覆っている。
だが、真正面から見えるそれは、心をかきむしられるような、憂いを含む優しい頬笑み。

一歩、一歩、静かに歩み寄る姿に、心が喜びと怖れで震える。
歌手のみならず、俳優としても長く、コネクションの広さでは及ぶ者が無い、傲岸で頭の高いはずの彼が、静かに片膝を折った。
まるで、王女の前にひざまづく老騎士のように。

だが、誰がその姿を見て疑おうか。
美とは天性の偶然にあらず、その歩む姿にまとう気品、輝く青い青い目の深み、彼を見るそのまなざしの風格と尊厳。
彼はまさしく、彼女のために尽くす老騎士そのものの精神を抱いていた。


「ナリテ・・・よくぞ来てくださいました。」

2か月前、初めてあった時から、彼は狂ったように恋をしていた。
この小さな、ナリテ・カエというエルフの血を受けた女性に。


そっと差し出された、小さな右手を、彼は押しいただき、優しくキスをした。
心が、燃え上がる。自分はまだまだ歌い続けることができる。
彼女がどこの何者であるかは一切分らない。エルフの血を持つ者が、3級市民以上であるはずが無い。

だが、そんなことはどうでもよかった。こうして、再び現れてくれただけで、心が喜びに満たされる。
気づかぬ間に、涙すら流しながら、その手を額に当てていた。


青くとてつもない輝きを持つまなざしは、今なお彼の胸を突き抜ける。

「今宵の歌、とても素晴らしゅうございました。」

古風な言葉、優しい声が、あらゆる物音を消しさる。

あの日、そのまなざしの虜となった彼は、彼女がつまびく古代の芸術品ウェルサンダルスに、打ちのめされ、そして酔い痴れた。
芸能に生きる者として、その衝撃はとてつもなく、そして素晴らしかった。
彼は、何のためらいもなくその感動に屈し、賛美し、そして信者となった。

再び、ウェルサンダルスが美しく妖しい音を奏で始める。


「私は、これからも歌います。あなたのために、あなたが作ってくれたこの曲を。」

彼は、とめどなく涙を流しながら、彼女の全てとその曲を、魂に刻みつけていった。
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