“影(シャドウ)”という存在
エカテリナがリヴァールに出現する50年前。
リヴァール西部トーレンス自治区で、中規模の遺跡が発見された。
先史文明のものと思われるが、破壊されたような状態であり、
また調査技術の未熟さと、管理のずさんさから、遺物はほとんど残っていない。
一部、脳波コントロールのシステムではないかという、
大胆な推察もあったが、一笑にふされた。
なお、その推察を行った若い軍二級技術仕官は、ボロブロム・グリネッセンと言った。
10年後、洗脳技術を物理的な方法に転用する案が、軍内部で浮上。
マインド・サイバネティクスと名づけられ、密かに研究が開始される。
ボロブロム・グリネッセン、研究指揮官に転任。
非常に冷酷、傲岸な人物であり、目的のためには手段を選ばないことから、
軍内部でも評価が低く、左遷との噂もある。
失敗が相次いだと思われるが、情報は一切公開されず。
5年後、研究情報や成果の一部が消失。
ボロブロム・グリネッセン、拳銃自殺。
自殺に疑問を抱く者多し。
同年、ER情報部における公式な記録に、“影”出現。
リヴァール連合内部で、幾度も起こる内乱に乗じ、
その過激で冷酷、かつ非常に強力なカリスマで、
右派、左派両方の過激派にシンパを増やし、
差別主義を煽り立てることで、さらに勢力を拡大。
議会や軍内部に、じわじわと勢力をのばしていく。
−−8年後−−
『あの研究、まだやっておったのか・・・』
歪んだ視線が、報告書を呆れたように見ていた。
豪奢すぎるほど豪奢な部屋、
足首まで埋まるようなじゅうたん。
だが、明るい巨大なシャンデリアも、輝くような芸術品の家具も、
寒々とすすけたように見えてしまう。
部屋の主は、死神そのものよりもまだ汚らわしく、
そして恐ろしかった。
金髪と青い目、ほりの深い高貴そうな顔立ち、
堂々とした体格に、筋肉質の身体、
それなのに、にじみ出る気配は誰もが目を背けたくなる腐臭。
マインドサイバネティクス研究において、
ほとんど全ての記録と研究成果を失った研究所は、
それでも細々と、執拗に、残された文献や資料、そして人の記憶を基に、
着実に成果を上げ、そして、たった一つ成功例を生み出していた。
成功例:ルイーデ(13・女・クォーター・売却による4級市民)
左腕の義手をつかい、マインドコントロール成功率64%
「・・・・・チッ」
不快そうな顔をする主に、報告者たちは青ざめて震えた。
『まさか、成功例まで生み出すとはな。目障りな。』
何もかも奪い、消し、
脳波コントロールとマインドコントロール、
それに付随する様々な技術を、自分以外は使えなくして、
最初の応用例で、自殺まで偽装して立ち去ったのだった。
ボロブロム・グリネッセンは消え、“影”(シャドウ)と呼ばれる男が残った。
自分以外、だれもあの技術を使う必要は無い。
「つぶせ」
ガガガガガガガガガガガ
夜空に、自動小銃のおびただしい閃光が走った。
おびえた少女が、へたり込んで小便を漏らした。
「逃げろ」
恐ろしい顔をした軍人らしい男が、
ぶっきらぼうにそういい、動けない彼女に、銃口を向けた。
「ひっ、ひいいいいっ!」
はいずるようにして、少女は逃げ出した。
恐ろしい顔が、ふっと緩んだ。
『たしか、ルイーデという名だったか。』
少女の赤い髪が、男の妹を思い出させた。
年頃も、顔つきも似ていた。
『俺も、あめえな・・・』
黒尽くめの、ごく普通の衣類に見える戦闘服。
極秘作戦などを行う特殊訓練部隊。
同じ服装の3人が現れた。
「こちらは全員始末した。女はどうした?」
「穴だらけのばらばらなら、そこの森にいるぜ。」
「ちっ、少しは気をきかせろ。」
女に飢えた視線、少女ならなおさらだろう。
下卑た笑いに、男は不快さを隠しながら、笑って返した。
「んな時間があるか、さっさと終わらせるぞ。」
キャプテンの命令とともに、燃焼剤が広範囲にまかれた。
激しい火災が、森と、研究所と、その所員たちの亡骸を、
炎に包んでいった。
報告書
陸軍付属、マディシオン研究所火災消失。
研究内容:極秘
所員の火の不始末による火災と推測される。
広範囲の山林火災にまで広がったため、詳しい調査は不能。
以後、研究の中止と関係書類を廃棄すること。
「よろしい、下がれ」
報告書を一瞥すると、冷たい命令を下す。
背筋に氷を突っ込まれたように、びくっと報告者は震えると、
即座に、慌てふためいて見えないよう努力しながら、
全速力で部屋を出た。
もう、“影”は報告書も、報告者のことも一切関心を失った。
『まだ、同調がうまくゆかんな・・・』
ゆっくりと、グキグキ音を立てながら、
首が異様に大きく回る。
『プラグを、変えてみるか』
首が前にだらりと下がった。
首の後ろ、『ぼんのくぼ』と呼ばれる場所がぺろりと剥け、
人工皮膚の下に、金属光沢の部品が現れる。
ガシャン
細い直径3センチ程度の金属の筒が飛び出し、
同時に家具の一部が開いて、
130センチ程度の自走式ロボットが出てきた。
ロボットが筒を掴み、胴体に収納、
同時に別の筒が取り出され、差し込まれた。
ガシャッ
筒が挿入されると、ぐいと首が起き上がった。
『先日、ニーベルンゲンに殺されたNo2は、調子が良かったがな。』
“影”は、この身体を『プラグマン』と呼んでいた。
脳幹の部分に、脳波コントロール用プラグを差込み、
半径20キロ以内であれば、ほぼ自分の身体同様に自在に操れる。
つまり、本体はここにはいない。
ただ、この肉体は作り物ではない。
リヴァール全軍の個人登録情報を元に、
密かに選び出され、整形された『同調可能者』の肉体である。
(もちろん、その個人は行方不明になる)
同調できるものは極めて少なく、ストックすることも出来ない。
常時操作できるのは一体のみ。
洗脳の失敗など、『多少の不具合』から、半数は発狂する。
前のボディ、No2は、ニーベルンゲンの暗殺部隊に急襲され、
5人を巻き込んで自爆している。
後年、再度ニーベルンゲンに襲われ、再び暗殺されたが、
3人を爆発と追跡で殺し、『割が合わない』とアーゼンがつぶやいた。
リヴァール内部でも、非常に多数の敵を抱えながら、
『殺しても殺せない』ため、
フェリペ公爵夫人等、賢明な者は暗殺をあきらめている。
だが、28年後、
たった一人の兵士の気まぐれが、生き延びさせた少女は、
運命を大きく変転させることになる。
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