■ EXIT      
魔術師たち

ラングレー王国北東部に、マッキンレー山塊というけわしい山地がある。
自然保護区域であり、大規模な水源地の一つとして、厳重に管理されている。

そして、表だっては言われないが、「聖域」という名称も名づけられている。

山塊の地下50メートルあまりの場所に、 巨大な空洞があった。

かすかなヒカリコケの放つ光、 それが巨大な空間に、もう一つの宇宙を作り出したかのように、点々と輝いていた。

光の合間を、細い人影が動いていた。

おごそかな、闇にどこまでも響いていくような呪文。

高く、低く、複雑な詠唱。

姿すらほとんど見えぬ闇の中で、 その人影は、一心に何かを書き続けていた。

ポッ

中空に何かが走り、空洞に数十の光が灯った。

ごくほんのりとした光だが、それまでの闇から見れば、 太陽が現れたかのような錯覚を覚える。


おびただしい魔方陣、 それらを結ぶ巨大な枝、 枝から枝へ、魔方陣から魔方陣へ、 おびただしい線が結ばれ、その線の上にも無数の呪文が描かれていた。

その姿は、巨大な樹木にも似ていた。

カバラス・ツリー、あるいは世界樹と呼ばれる、 太古から伝えられる強力な魔法回路。

空洞の床は、ほとんどその樹に覆われ、 今なお、書きつづけられていた。

「師匠、そろそろお休み下さい」

背の高い男性のエルフが、足音も無く近づき、声をかけた。
「ギュンダーか、もう、そんな時間か。」

おびただしい傷に覆われ、目の見えぬ顔が上がる。
白い髪の女性エルフ、『白き魔女』アーデマイン・ビュフォルセルス。 イリナの消失直前の師であり、 彼女の魔法暴走の直接の関係者だ。


ギュンダーは少し青ざめた顔で、巨大な魔法回路を見渡した。
盲目の身でありながら、これだけの精緻で巨大な魔方陣を、 全くのミスも齟齬も無く書き上げる技量は、自分には無い。

彼は、アーデマインの2番目の弟子であり、 帝国の魔法担当の技術士官として最高位の技量を持っている。

渡された食料を素直に受け取り、 香草、果実、卵、様々な薬草の根をかじりながら、 再び書きはじめる。


「師匠、お体に触ります!」

「そなたに心配されるほど、やわではありません。 それより、仕事はだいじょうぶですか?」

ギュンダーは酢を飲んだような顔をしながら、ため息をついた。
「はい、3週間正当な有給を取っています、何も問題はありません。」

「リヴァールやERとの折衝が忙しい時期にと、宰相のガバスが泣いてるでしょうけどね。」

痛いところを突かれた。
まったくこの師匠には隠し事が出来ない。
目が見えないというのに、いつの間にか社会情勢まで知っている。

確かに、閣僚級会談のスケジュールが続く予定で、 魔法担当の技術士官は猫の手も借りたいぐらい忙しいはずだった。

「それに、彼女が出来たようですね。 香水の香りから上品な女性のようですが、あんまりほっといてふられても知りませんよ。」

『ぐは・・・』

思わずギュンダーは、頭を抱えたくなった。
もちろん、図星である。


アーデマインは、精のつくと言われるガーリアンの根をポリポリとかじると、 また詠唱を始めた。


彼女の4人の弟子は、帝国、ER、ラングレー王国の中枢にいて、 魔法関係の重要事項を担当する者ばかりだ。

半年前から師匠に連絡が取れなくなり、 驚いた4人は全力で魔力探知を行い、ようやくのことで彼女の居場所を突き止めた。 彼らでなければ、見つけることすら不可能だったろう。

全員が衝撃を受けるほどの傷を負い、盲目となっていた師匠は、 『他言無用』とだけのべ、 一心不乱に魔方陣を作り続けていた。

しかたなく、弟子たちは順番を決めて、 3ヶ月ごとに交代で様子を見に来ることにした。

本当は、全員仕事を止める事すら考えたが、 それはアーデマインが断固として許さなかったのだ。


アーデマインの『他言無用』は、他人に話すなというだけではなく、 彼女自身、何も他者に話すことが出来ないという事情も意味する。
ただ、それを回りから見て、事情を察することは許されている。
これも一種の修行だからだ。

『それにしても・・・』

前回見たときより、さらに巨大化しているカバラス・ツリー。 背筋が寒くなるような光景だ。


魔方陣は、巨大な力をあやつるために、 口から唱える呪文や精神力だけでは足りない部分を補う。

大きな呪文になればなるほど、魔方陣の規模も大きくならざる得ない。

これだけのカバラス・ツリーは、初めて見た。
へたをすると、世界大戦に使われかねない規模だろう。

ただ、魔方陣の種類から見て、暴力的な力ではなく、 探査や補助のための魔法陣らしいことに安堵を覚えた。


ERにいる二人の弟子は、 師匠がラングレー王家を訪れたらしいことまでは分かったが、 それ以外は何も伝わってこなかった。

弟子たちはさまざまな推測を立ててみた。


アーデマインの弟子たちは、技量、才覚ともに並みではない。
一国の宰相を優に勤められるぐらいの能力はある。

彼らの技量を持ってしても、 イリナ・ラングレーとアーデマインの関係は思い浮かばないほど、 ラングレー王家の情報操作と消去は徹底していた。



アーデマインは、身体の回復後すぐに全力で探査を行った。
惑星全土の探査であろうと、彼女が探せば見つからないはずが無い。
だが、探査は失敗し、痕跡すらもつかまらなかった。


イリナは死んではいない。


魔法使いが弟子を取るとき、弟子の生殺与奪権を持つ。
師匠に反抗したり、暗殺しようとすれば、即座に殺すことが出来る。
師弟にのみ結ばれた契約であり、他の者は一切手出しが出来ない。
魔法使いの弟子になるのは、命がけなのだ。

弟子が卒業する時に、それを解く方法を与えられ、自力で解いて初めて一人前になるのだ。

イリナが死ねば、その魔法は自動的に消失する。
封印された小さな人形は、未だに彼女の生命の鼓動を伝えていた。

探査の魔法は、名前を呼びかけて応えるのを探すものと、 外観や印象を探すものとあるが、 後者は、印象変化の魔法を常に使っている者にはまずつかえない。
念のためにそれも行ったが、やはり見つからなかった。

たとえ寝ていようが、意識が無かろうが、自分の名前には反応する。
深層意識に呼びかける探査が効かない、それはつまり、 イリナは名と姿を失い、天涯孤独のただのエルフとして、 世界のどこかをさまよっているのだ。

アーデマインは、熟考の末に、新たな探査法を作り出すことにした。

それは、気の遠くなるような作業と構成が必要だった。

もうすぐ、カバラス・ツリーは完成する。
だが、それからだ、本当の困難は。



朗々とした詠唱が、空洞の中に次第に力強く、はっきりと唱えられていく。
一片の苦痛も、苦悩も無く、長期間の精神集中と困難な作業の後とは思えない。 この凛とした態度も、弟子たちを困惑させ、迷わせていた。

アーデマインは訪れるであろう困難に、静かに立ち向かっていた。
むしろ感謝していたとすら言える。

『イリナ、貴方が見つかった時、新しい魔法の体系が生まれるわ。
だから私は、今の自分を少しも悔やんではいない。』


闇の中に、無数の呪文が生き生きと躍動して見えた。
彼女の盲目の目は、真理のみを映すレーダーとなり、 床に刻まれた無数の文様や呪文が、エネルギーを規則正しく巡回させていく。 まるで、美しい大河を生み出しているようだった。

自らが生み出した、新しい魔法体系、 それが今、生命を得て動き出そうとしている。


今や詠唱は歌声のように美しく、澄んで、地下空洞に力強く響き渡っていく。

『貴方を見つけるために、私は喜んでこの命を燃やすつもり。
それは、責任感でも、贖罪でもない、魔法に関わる者の喜びなの。
この闇も、刻まれた身体も、今は至福ですらあるわ。
貴方にも、いつかそれが分かるかしら。
だから、イリナ、生きるのよ。
生きて、生きて、生き抜いて。
生まれてきたことを喜び合える日まで。』


アーデマインの詠唱は、途切れることなく続いていく。
次の話
前の話