■ EXIT      
熱き風

「なぜ、なぜなんです?!」
帝国武道館の控え室で、二条香織は真っ青になって叫んだ。

「すまぬ・・・ゆるしてくれ」
師匠の原田仁之輔は、小柄な身体をますます小さくして、 泣くような声でつぶやいた。

香織は合気道の才能があり、段位は三段。
この大会では並み居る男子の強豪を尻目に、 優勝候補に上げられていた。

だが、師匠がたった今、出場を辞退してきたと告げた。

自分の出場をあれほど楽しみにしていた師匠が、 突然裏切りのような辞退、
自分の命にかけてもそんなことをする人ではないはず。

師匠にそこまでさせる人がいるとすれば・・・。

「父・・・ですね」

「すまぬ・・・、ワシのことだけなら、 たとえ道場を潰されようと気にもとめぬのだが・・・。」

血を吐くような声に、香織は全てをさっした。

合気道にも流派があり、師匠は大西剛流に属している。
父の権力なら、ひとつの流派を潰すぐらいどうということは無かった。
師匠の師や、兄弟分、合わせて十幾つの道場が無くなるだろう。

そして、なぜ父が出場を潰したのかも。

目の前がぼやけ、歪んだ。
「もうしわけ・・・ありませ・・・ん・・」

光る雫が、香織の形の良い高い鼻梁を滑り落ちていく。

師匠にこんなつらい思いをさせたことが、悲しかった。
自分のしたい事を、絶対に認めようとしない父が、悲しかった。

どんなつらい訓練でも、いや、香織の人生の中でも、 数えるほどしか流したことが無い涙が、あとからあとから落ちていった。

自分の為せること、
自分の誇り、
それを何かの形で残したかった。

だが、合気道に熱を入れる娘を、父はひどく苦い顔で叱る。

美貌の娘が、外に出ることなどもってのほか、 まして武道で名を上げるなど許せることではなかったのだ。

『女は結婚して子供を育てるのが一番の幸せだ。』

だが、香織は父が何人もの愛人を囲っていることを知っている。
そして、 『今度の大会に優勝できなければ、見合いしろ』 帝国貴族同士の見合いなど、結婚と同じだ。

出場を潰し、結婚を決め、 親に逆らうことはできないのだと、この際教え込もうというのだ。

『何もかも、自分の思うとおりになると思ったら大間違いですよ、お父様』

決断すると同時に、香織は全てをなげうった。

帝国武道館を出ると、どこにも寄ることなく空港へ向った。
端末で預金をあるだけ引き出すと、航空機を乗り継ぎ、国境を越え、 父親が気づいたときは、すでに帝国領を出ていた。

ちなみに、彼女は父親から小遣いを受け取ったことは、一度も無い。

権力者であるはずの父親も、 あまりに迅速な決断と行動に、行く先すら見失ってしまった。


「フフフ・・・、いまごろ親父どんな顔をしてるかな?」
航空機の中で、思わず笑いが漏れてしまう。



「お母さん、私を働かせてください。」
2年前のその日、合気道の練習に行っているはずの娘が、 突然現れて言い出したことに、さすがの真奈美も言葉が出なかった。

香織の母、真奈美は帝国の妖精館館長なのだ。

だが、この娘の性癖は知り抜いている。
一度決めたことを曲げたことは無い。

おっとりした優しげな顔立ちの母は、娘から見てもとても美しいが、 唯一、笑うと目がなくなるのが欠点。


彼女はにっこりと笑った。
「私もミュルスの一族、あなたにもその血は流れているわ。 だから、お客様の愛情は我が一族にとって無上のものよ。 その覚悟があるならば、見習いとして勤めることを認めます。」

すでに合気道二段にして、多くの猛者と戦ってきた香織が、 一瞬、足がすくんだ。

そこには、一切の情を切り捨てた、すきとおった意思があった。 絶対に負けない者だけが持つ、達人クラスの気だ。

地震や地すべりに誰が勝てるだろうか?。

帝国という難しい場所の妖精館を、全幅の信頼を持ってまかされてきた母の、 本当の姿を見た思いだった。

『あの親父が、お母さんを妖精館から止めさせられないわけだわ。』
生まれて初めて、母の掌の上で強がってる父がかわいらしく思えた。


その日のうちに、香織はミュルス一族でベテランの妖精であるマアリに教育をまかせた。
後は一度として仕事や教育に口を挟んだことは無かった。

マアリは、小柄だが目に張りのある、強い意志を感じさせる妖精だった。
「あなたは処女のようね、ここで失っていいの?」


一目見て香織が処女であることを見破ると、最後の選択をさせる。
妖精館は奴隷市場ではない、自分の大事なことは自分で選択させる。

「はい、それに・・・ちょっと問題がありまして・・・」

それなりに気になる男性がいないわけではないが、 過去に、誰かとデートや付き合いを始めると、 自称親衛隊やら親父やらが暗躍して、 数日にしてその男性は消えうせる。

大バカの親父はとにかく、 香織の自称親衛隊というのが、会員数五千というファンクラブ。 親父の部下の軍人も大勢いて、諜報部員から特殊部隊員までいるのだから、 並みの相手では歯が立たない。香織の頭痛の種の一つだ。

万一、処女をあげた事を知られたら、 相手は草の根分けても探し出され、間違いなく捜し出されるだろう。
マアリはまるでそれを理解したかのようにうなずくと、 「今日ね、ちょうどいい人が来るのよ。
遊びではけっこう名の知れた人でね、ERで大きな雑誌の編集長をしてる方よ。各方面にも顔が広いし」


そして、そっと耳を寄せると、 「そして、あなたのお母さんの大ファンの人。ご結婚なさる時は、本気で泣いてたわ。」

この人、もしかして私の心が読めるんじゃないだろうか。
自分がERに夢をはせていること、 そして親父に決して味方しない人と関係を作ることまで。

思わず見返す香織に、マアリはなぞめいた笑いを浮かべただけだった。



「あれから・・・2年か・・・」
香織は航空機の座席で、大きく伸びをした。
女になった自分が、武道会のためにしばらくがまんしていた渇きを疼かせる。



帝国の影響が及びにくい場所、そしてエルフの自分が生活できる環境、 それらを考えあわせ、香織はERへ向った。

彼女は貴族のお嬢様だが、世間知らずの娘ではなかった。
身寄りの無い女が一人で、簡単に生活できる世界などどこにも無い。


『さいわい・・・まあ、いいほうじゃない?』
鏡のようなショーウィンドウに、少したれ目気味だが形の良い鼻筋の通った美貌が写る。
すらりとしたスタイルと、長い脚、鍛え上げたとはいえ、筋肉質には映らない体、 『うん、十分売り物になるわね』
戦う決意をした以上、もう彼女に怖いものは無い。

ここルフィルには妖精館がある、 彼女が飛び込めば、喜んで見習いに加えてくれるだろう。

だが、彼女の夢はそんな悠長な道を通る気はサラサラない。
たとえイバラだろうと、千尋の崖だろうと、 全力で踏み登ってやる。
血まみれ、泥まみれ、傷だらけ、望むところだ。

『どうせやるなら、とことんやるわよ』

すると後ろから三人連れの若い男たちが、 香織に近づいてきた。
「ねえねえ、君、映画に出てみないか?」

『ほらきた・・・、どこでもこの手のは変わらないのよね』

「話だけなら、聞きましょうか?」
ちょうどおなかもすいてきたところだ。


おだてて、のせて、連れ込んでというのが、 このてのAV業界ではパターンなのだが、香織相手では調子が狂った。

撮影の内容を突っ込まれ、 連れ込むホテルの場所まで当てられ、 完全にペースに飲まれてしまう。

出演料はどうやって決めているのか、 売り方や流通はどうしているのか、 ロケの費用からディスク作成の手数料まで、 気がつくと、事細かに説明させられていた。


「あんたたちねえ・・・」
美しい眉間に皺を寄せ、心底あきれた声でいう。
「そんなどんぶり勘定でどーやってこれから先も食っていくつもりなの?」

ぱくりとサンドイッチをかじる。
「それに、こんなやり方でいいと思ってるの?、 ほんとにいい物を作れば、需要は無限にあるわよ。」

「う・・・」
3人とも思わずつまる。
そのことを一番感じているのは本人たちだからだ。

思い出す、 以前はもっと熱意があった、 自分たちが業界に風を吹き込んでやろうと思っていた。

だけど、気がつくと日常に埋没している自分たちがいる。
女の子を漁るだけで、何も残らない日々。
「ただ、あんたら少しは悩んでるみたいね。ふむ・・・」
ストロベリージュースをすすると、音も無くグラスを置いた。

「ここで会ったのも何かの縁だわ、」

香織が人差し指をビッと立てた。

「1年生き延びてごらんなさいな、 そしたらアタシがプロダクションを設立するわ。 そのときやる気があったら、雇ってあげるわよ。」

優雅な動作で立ち上がる香織に、一番がっちり型のコージがあわてた。 後の二人、ユウジとマッちゃんは顔を見合わせた。

「ちょっ、ちょっとまってくれ。何を根拠に1年って言ってるんだ、 第一、おれたちは今食ってくのが精一杯なんだぞ。」

香織の手を握り、押しとどめようとする。
が、わずかに手が返されたかと思うと、合気の技でコージは宙に浮いていた。

ドスン

別の開いているソファに落っこちた。
店の人間は気づかないぐらい素早く。

「やろうと思えば、何でも生きていけるわよ。私はやると言ったらやるわ。」
そして、不敵に笑った。


「グランAVって、この先の4番街だったわよね」
3人が真っ青になった。
「ほ、骨屋か?!」

グランはAVの大手だが、そのトレードマークが海賊旗(黒地に骨のあれ)なのと、 ハード系で女性を骨までしゃぶるということで、骨屋と影でののしられている。

「骨屋が骨抜きになったら、どうなるのかしらねえ、フフフ・・・」

評判が悪いが、業界で大手の会社、ならば相手にとって不足なし。
香織はダオンに就職して、中から食い尽くす気だった。

この女ならやりかねない、と3人は本気で思った。
『台風か地震みてえな女だな・・・』
ユウジは一瞬震えを感じた、香織が母親に感じたように。
血は争えないものである。


「じゃあ、がんばってね。ごちそうさま。」

細いしなやかな身体が、2倍も3倍も大きく見えた。
3人ともその姿に魅せられ、ただ呆然と見送っていた。
優雅な後姿に、熱い風を感じた。自分たちが失っていたものを。


そして、待ってもいいんじゃないかと、3人とも思ってしまった。




・・・2年後・・・

「コージ、手配はすんでる?」
「ああ、ただ3番の男優が、バイオリズムが急に落ちてる。
場合によっては代理がいるかもしれん。そちらも手配しといた。」

厳しい顔つきで、予定表をくみ上げていくコージの肩をぽんと叩く。

「ユウジ、製作の方きっちりしめといてよ。」
「ウッス、今回は特にきびしいっすよ、なんせ香織さんとアンリさんが絡んでる超目玉、 製作予定きっちり、万一にも漏れたり流れたりはさせません。」
親指を上げて、ウィンクするユウジに、彼女も親指を返す。

「マッちゃん、だいじょぶ??」
経理担当のマッちゃんは、額に鉢巻、計算機と伝票の山とスケジュール表と必死に格闘していた。 「なっ、何しろ予約がすごくて、ディスク製造とのスケジュールがどんどん狂ってます。

ああ〜、男優でやってたころの方がよかったよ〜〜。」
「同意見」
「今の男優がうらやましいよ」

心底恨めしげな3人のぼやき。

今でこそ会社役員となった彼らだが、 最初グランからぶっこ抜きまくった女性たちと、優秀な数人のスタッフ、 そして男優兼何でも屋のこの三人で始めたときは、 撮影でも生活でも、それこそ香織と毎日のようにSEXしまくり、 どんな苦労もその悦びがぶっ飛ばしてくれた。

「まあまあ、近いうちに休暇をとって遊びにでもいきましょ、4人だけでね。」
「よしゃああっ!、スケジュールつくるぞおおっ」
「やるぞおおおっ」
「うおおおおっしゃあああっ」

彼女が口約束だけでないことは、よく知っている3人組、 たちまち倍のスピードで仕事を片付け出した。

『こ、こいつら・・・まあ、いいか。これなら再来月ぐらいには1週間ぐらいはとれるでしょ』

エレリア妖精館所属の無人島を借りてのバカンスを企画しながら、 香織はプロダクションを後にした。

次に何を巻き起こそうかと思いながら。
次の話
前の話