妖艶なる宴 後編
ほぼ毎日のように、イリナは港に連れ出され、船員たちの代償に支払われていた。
「あ、ありゃあ麻薬だ・・・」
船員たちは粉も出ないほど搾り取られながら、次の寄航も必死に約束する。
そしてイリナはイリナで、身体も魔力も、そして記憶すらわずかずつ霧が晴れていくような気がしていた。
普通これだけ荒淫な生活を繰り返せば、
堕落し、次第に理性を失っていくものだが、
彼女には逆効果だった。
ウデラスは、イリナに対して行わしている、昼の仕事に加えて、
屋敷にいるときには欠かさず調教し、さらに深夜には、堕ちていない女性達が例外なく泣いて性の交わりを否定してきた獣のような性欲を持つ醜い下僕達が毎晩、イリナと交わっているようだが、イリナは堕ちる気配どころか、どれだけ汚そうとも気品すら保ちつづけていた。
もし、オーラを見る力のある人がいれば、
極微まで減っていたオーラが次第に回復しつつあることに驚いただろう。
彼女の魔力が、男性の精をわずかずつエネルギーに転換し、
次第に回復させていた。
『くそ・・・しぶといな』
中々思うとおりにならないイリナに、
ウデラスも、次第にあせりをつのらせていた。
この頃には、ウデラスもイリナの危険性に気づき始めている。
異常に興奮させられる媚薬のような効果が、
毎回、腰が抜けそうなほどそそられ、射精させられている。
へたすると自分の命にかかわりかねない。
「何としても堕落させ、肉奴隷までしてやりたいものだが・・・・」
あれだけの魔女だ、へたすると社交界に知り合いや顔見知りがいるかもしれない。
ましてや、先日の冷や汗は二度とごめんだった。
先日、裏のパーティへイリナを連れて行ってみた。
フィッテングルームには、色々なイベント用の裏に通じている化粧師や着付師がいる。
化粧師は極めてわずかに、口元を緩めた。これほどの素材を扱えるなど、めったにあることではない。醜い老人たちや、死んだような目の女性たちを扱うのは、正直うんざりしていたのだ。
頬に大輪の散りかけたバラを、首筋にその棘だらけの茎と葉を、
鎖骨や肩口に、本物の花びらがちりかかったような見事さだった。
もちろん、アイシャドウから肌の色合いまで、
別人のような妖しさをかもし出す。
そして着付師はさらに熱を入れ、
極上のばら色のドレスと、すばらしいティアラや宝石で、
イリナを女王にしてしまった。
会場へ入る前に、何人もが一体誰だと恐ろしくうるさく聞かれ、
へたをすると会場中の注目を浴びることになりかねず、
にげだすしかなかった。
まして同じ趣味の連中では、見せたが最後、略奪されかねない気品がある。
『ああいうケダモノたちに見せるわけには絶対いかんな。』
えてして、自分の事は棚に上げるものだ。
ふと、ウデラスは酒場の近くに、金を貸している老夫婦が経営している、ある場所を思い出した。
「ちと危険だが、やるか。」
細い路地を入り込み、
狭い木戸を叩くと、歯の抜けた老人がニタリと笑って開けた。
「うお、こ、こりゃあべっぴんさんじゃなあ」
あんぐりと口を開ける老人に、ウデラスは鎖を渡し、
「しっかり稼げ」
そういい残してドアを出て行った。
「あの、ふつつかものですが、よろしくお願いします。」
ぺこりと、礼儀正しすぎるぐらい丁寧に挨拶するイリナに、
口をもぐもぐさせてしまう。
「あの・・ここは何をするところですか?」
「げ、劇場じゃよ、おじょうちゃん」
思わず仏心を出した老人は、
そっと口を寄せた。
「あのな、ここは男を喜ばす裸踊りの場所じゃ、最低のな。なんでこんなところにきたんじゃ。」
強欲で非道なことで有名なはずの老人が、
自分でこんなことを言い出したことに驚いていた。
「ボクを助けてくれた人の借金を返す約束をしました。ですから、できることなら何でもします。」
「こらじじい!、なにやってんだい。」
後ろから、ヌウっと、カエルの化け物のような老婆が立ち上がった。
「んん・・・?、ほお〜〜〜〜」
意外に鋭い眼光が、イリナをじっと見定めた。
「ほそっこいのに、意外に男をしってるねえ・・・おもしろい!」
「イリナです、よろしくお願いいたします」
醜い老婆は、丁寧に頭を下げるイリナに、奇怪な笑い声を上げた。
最低の階層にいる連中だからこそ、言葉の中に潜む意思には恐ろしく敏感だ。
「こっこに来た以上、かせいでもらわにゃならねえ。そいつは覚悟しなよ。
あんたなら、そう苦労はしないだろうけどねえ。」
ひかえ室に数人の女が、ごろごろしていた。
「おい、おまえら、新入りだよ。よおっく仕方をおしえてやんな。」
「あの、イリナです、初めてなのですが、よろしくお願いします。」
そこにいるのは、中年や初老、あるいは病気持ちかわけありか、
みな、暗い顔をして、ここに流れ着いたような女ばかりだった。
「あんた、あのばあさんにえらく気に入られたね。普通何も言わずつっころばすんだけどねえ」
タバコをふかしていた、浅黒い中年女性が、にっと黄色い歯を見せた。
「なんだって、あんたみたいなのがこんなトコへ?」
イリナが事情を話すと、その女性はボロボロッと泣き出した。
「ミュミュ・・・、チィシャ・・・、元気だったかい?」
彼女はバレンの家族の近所に住んでいたことがあった。
それだけではなく、周りの女たちも、ウデラスに落とされたもの、借金で身を売ったもの、
ウデラスに恨みを言いながら、イリナを気遣うように女たちが寄ってきた。
女たちとの会話でイリナは短時間で、劇場の趣向を理解していく。
「おら〜、でばんだよ〜」
その日は、大変なことになった。
イリナが最後に出てきたとき、一瞬劇場が静まり返った。
スケスケの悪趣味な布を巻いただけの姿で、
ゆっくり、爪先立ちの美しい脚を見せつけながら、
胸元を押さえ、腿を閃かせ、
すうっとねこのように横たわり、伸びをする。
恥ずかしげに目をむけ、隅に放り出された壊れたバイオリンを抱き、
音楽にあわせて、ひくように動き、体をくねらす。
ゆうらり、ゆうらり、
脇の白さが、細身のしなやかなラインが、
優雅な腰のくねりが、
見るものの血を沸騰させていく。
脚を大きくゆっくりと広げながら、
微妙に見えにくく、身体をずらしていく。
血走った目がものすごい熱気をはらみ、
全員かぶりつくように近くへ来ていた。
胸元の手をはずし、バイオリンの下でするりと布が落ちる。
妖しい笑みを浮かべながら、指先が招くように動くと、
殺到する野郎どもを抑えるのに、老人と老婆は一苦労だった。
「上がりたきゃ金だしな、こらっ、ただで上がるんじゃないっ」
ちょっと恥ずかしかったが、
イリナは順番をそろえる間に、オナニーをして、自分を濡らして準備した。
繊細な指先が、白い花弁をさすり、
ほおを赤らめた美少女が身悶える姿は、
それだけで昇天しかねない光景。
最初の汗臭い身体を、
イリナは嬉しげに受け止めた。
すそでそわそわと見ていた女たちは、
うまくいっている様子にほっとして、
待ち焦がれている連中に場外サービスでチップをかせいでいく。
激しく突かれながら、
イリナは手招きする。
「もっと、もっときてえっ!」
むんむんする匂いが、劇場中に満ち溢れた。
両手にしごきながら、
のしかかられる身体を受け止め、
口に押し込まれるものをしゃぶった。
『まな板ショーって、こんなのかあ』
と妙な関心をしつつ、乱れ求めていくイリナ。
「あっんっ、んっ、んふっんっ、んっ、ふうんっ、んうんっ!」
乱交はかなりしているが、
周り中から視線を感じながら、輪姦されるのは、初めての経験。
視線がくすぐったくて、でも、ひどく気持ちがいい。
5人目の男性が、イリナの腹に浴びせると、
今度は男性に跨り、身体を激しく振った。
もうハイになっているイリナは、楽しくてたまらない表情で、身体中に受け止める。
「おおおおっ、イリナじゃねえかああっ!」
そのとき、劇場の入り口で大声が上がった。
最初に酒場でご奉仕をした船長さんだった。
「あーっ、船長さんヤホーッ!」
やがて船乗りたちがどやどやと乗り込み、
イリナの痴態をさかなに、大宴会状態に突入してしまう。
クライマックスは、船長が酒樽を運び込み、
イリナにぶっかけた。
「きゃあああっ」
客たちがイリナに吸い付き、しゃぶりまくる。
「やんっ、やああっ、そんなとこしゃぶっちゃだめええ〜っ、あひっ、ひいんっ」
特に弱そうな耳は、めちゃくちゃしゃぶられてしまう。
身悶えるイリナを面白がってみんながしゃぶりまくり、
何度も酒をぶっ掛けられることになった。
その日は、夜明け近くまで大騒ぎが続いた。
「あいたたた・・・」
イリナが毛布から身を起こすと、
腰がちょっと痛かった。
大部屋に男も女も、ごろごろと寝転がり、
どれもひどく幸せそうな顔をしていた。
そして、イリナにかけられた毛布は、見覚えがあった。
身体も丁寧に拭かれ、きれいにされていた。
『あの人たち、来てたんだ・・・』
のっそりしたウデラスのところの下僕たちを思い出し、
イリナもにっこりと笑みを浮かべ、毛布にコロンと寝転がった。
『ボクの耳が弱いのを知ってて、よく愛撫してきたね・・・ハンス』
「おやすみ・・・ハンス」
一番大事な物を思い出したイリナの寝顔は、
心底幸せそうだった。
次の日が大変だった。
「おい、こんなことって・・・」
「あたしだって初めてだよ」
まさかこんなぼろ劇場に、
会場時間のずっと前から人が並ぶなど、初めてのことだ。
特に船同士の争いが熾烈で、
朝から小間使いの小僧が並ばされている。
「並んでくれてありがとう」
この劇場の女性達は、自分の出番の2時間ぐらいまで、町の娼館に出稼ぎに行くハードスケジュールになっている。もちろん、劇場に来たばかりのイリナも例外ではないが、彼女は並んでいる人たちに対する気配りを忘れない。差し出されたジュースを嬉しげに受け取った小僧は、イリナの輝くような笑顔に、硬直してしまった。
女たちから借りた赤いタンクトップと、白いミニスカート。
座っている小僧たちにジュースを配ると、
通行人が電柱に激突し、自転車がひっくり返った。
イリナの真っ白な下着や、美しい胸の谷間は、十分な凶器だろう。
その日、女たちと共に娼館に現れたイリナの評判は瞬く間に町中に広まり、次の日から大変な混雑と盛況ぶりになったのは、また別の話。
その日、開店直後から劇場内は宴会状態で開始された。
にぎやかに始まると、のりもいい。
他の女たちのショーも、それなりに船員たちが適当に遊んでいく。
「なんだか、はずかしいなあ・・・」
極小の銀のビキニをつけたイリナは、
なんと2メートルもある蛇を身体に巻きつけていた。
なぜか蛇はイリナが気に入ったらしく、腕から肩、首から細いウェストへ、
腰から足へまきつき、また上がっていく。
イリナのゆっくりした踊りと、
蛇の妖しい動きが、喉をごくりと鳴らす。
胸の間を空けると、
そこへずるりと滑り込む。
隙間を通り抜け、
ぷつりとブラをはずした。
へそ下から中へはいずりこみ、
右腿からぬっと抜け出す。
下がぶつりと外れた。
後ろに回りこんだ蛇が、前から胸へと這い上がり、イリナの顔の横でカッと口を観客へ開いた。
「ささ、おつかれさま。お帰り蛇さん。」
蛇は素直に舞台の袖へはっていき、男たちが鎌首を立ち上げる。
もちろん蛇も恐れないイリナに、男性たちの蛇を恐れるいわれは無い。
片脚を肩に担がれ、
深く男性の蛇がはいこんでくる。
「あっ、ああっ、あふうっ、おっきっ、うっ、くうっ、」
「すっ、すげえぇ まっ、まるで妖精のようだ! 」
男の言葉が頭の中に響いて、引っかかる
『ヨウセイ?・・・ボク、この言葉すごく気になる・・・』
が、今はお客に対する奉仕と猛々しいペニスのもたらす快楽を逃すまいと意識を切り替える。
陰嚢が腿に当たり、男性が奥深く入り込む。
身も知らぬ男の、猛々しい存在が、
イリナの身体を満たし、潤わせる。
亀頭が身体を貫き、
陰茎が膣を一杯にする。
その蠢きが、たまらない。
肌を合わせ、手を握り合い、興奮したペニスをしゃぶり、
肌と肌、粘膜と粘膜、それらが触れ合い蕩けあう、
どろどろと蕩けあう。
触られ、密着し、指を掻き、脚を絡める。
潤い、満たされていく。
声を上げ、快感を絞り上げ、
脈動に撃ち抜かれる。
灼熱のエクスタシー。
「ひあっ、あっ、ああっ、いっ、いくうううううううっ!!」
ドビュウウウウウウッ、ドビュウウッ、ドビュウッ、ドビュウッ
交代する男たち、
入れ替わる身体とペニス、
それに繰り返し貫かれ、輪姦されていく興奮。
達しても、達しても、満たされなかった時があった。
跨った男の痙攣が、熱く膣を撃ちぬき、喉の奥へ脈打つ精液を飲み干し、身体中に浴びまくった。
イリナは微笑みながら、男たちを受け止めていった。
そして2週間後の朝・・・その日の劇場は久しぶりに休みだったが、ウデラスはイリナを堕とすために休ませる気はなく、屋敷に呼び戻す為に劇場にやって来た。だが、朝方まで多くの男たちと交わっていたはずなのに・・・それなのに、幸せそうな寝顔のイリナに驚き、2週間も我慢したのに全く効果の無い現実に額に青筋を立てた怒りを覚えた。
最低の扱いと奴隷同然の境遇で、使い放題に使われて、落ち込んでいくはずではなかったのか。
イリナを劇場に預けてから、調教し始めた少女は今では従順な雌犬と化しているのに。なぜこの女は思い通りにならないのか。
急遽、下僕に命じて寝ているイリナに拘束具をかけさせて、そのまま、車に詰め込み屋敷に向かった。
屋敷の調教部屋に運び終えるとウデラスは怒りをあらわにした。
「いったいなんなんだお前は!」
床にムチをたたきつけ、甲高い音がした。
「ふんっ、まぁいい・・・」
邪悪に笑いながら、ウデラスは小さなケースに収められた注射器とアンプルを取り出す。
「今のままでは、借金返済は夢のまた夢だからな・・・稼ぎを増やす為に、もっと激しく調教して、お前を男が喜ぶ肉奴隷に変えてやる!」
実のところ、ここに来てからのイリナの稼ぎ出した金額は、バレン一家の借金を払っても莫大なお釣りが出るくらいの稼ぎになってるのだが、イリナを自由にする気が全く無いウデラスは、法外な利子に変更し稼ぎ以上の借金が出来るように調整し、借金を理由にイリナを手元に置いておくつもりだった。
ウデラスは醜い笑みを浮かべながら、目隠しに加えて、両手と両足と口を拘束されて
逆らう事も出来ずに蠢くイリナの腕を掴んで、薬を容赦なく投与する。
「うっ、うう〜っ」
2週間も待って、思い通りに行かなかった事に対する怒りでウデラスは力いっぱい鞭を振り下ろす。
パアン
「あうっ!」
鉛を仕込んである凶悪な皮の鞭が、可愛らしい尻にしなやかに当たって、今まで経験してきた鞭よりも激しい痛みを身体に与えていく。しかし、薬の効果か、苦痛とともに不快な快楽が体の奥から湧き出してくる。
「くくくっ・・・この薬は、快感を増幅する薬なんだよ。痛みと快楽の入り混じる感覚に、どこまで耐えられるかな?」
拘束され身動きできない状態ですらイリナに興奮をもたらしていく。
一度叩いた尻をゆっくりとさすられるだけで、濡れてくる。
薬の効き具合を見計らい、もじもじと蠢く可愛らしい尻に、再び容赦なく鞭を振り下ろす。
パン
「きゃうっ! あっ! あうっっ・・・・うーぅ、うふっ、うううっ」
連続して、強く叩きつける。鋭い激痛も直後の愛撫によってもたらされる快楽によって、狂おしい形となって交じり合う。
「お前の再調教のついでだ、ミュミュとチィシャも一緒に調教して、借金返済の為に働いてもらおう。」
苦痛と不快な快楽の中で、朦朧とする意識の中で、ウデラスに対する純粋な怒りと、ミュミュとチィシを助けたい思いでイリナの頭の中で何かがはじけた。
『ボク・・・今、全て思い出せたよ・・・』
ハンス・・・
妖精館・・・
事故で失った記憶のなか、僅かに思い出した記憶が、見事な連鎖となって繋がっていく。
思い出した今、ウデラスに従う必要も無い。
ウデラスの命に従わずとも、バレン一家の借金を返済できる。
イリナはがっちりとはめられたはずの目隠しを、軽く頭を振って、するりとはずした。ウデラスは誤解していた、魔力制御剤とは元々、下級魔法使いに対して用いられる薬であり、たとえ高濃度であっても優れた使い手に対しては、充実した結界設備がなければ一時的な効果しか期待できない。
星のような輝きを持つまなざしが、ウデラスを射るように見た。
自分の誇りと意思、そしてハンスへの思い。
ゆるぎの無い精神が、澄み切ったまなざしとなり、強烈なプレッシャーを放っていた。
涼しい部屋の中で、ウデラスはじっとりと汗をかいた。
人間の格が違いすぎる。
「くっ・・・このっ・・・」
ついに自分の思うとおりにならない相手に、
理性がぷっつりと切れた。
鉛のついた重い皮のムチが風を切った。
それが後ろから奪われる。
振り返ると、下僕たちが目を怒らせ皮のムチをへし折っていた。
『だっ、だめ!』
出来る限り穏便に済ましたかったイリナは、必死に首を振ったが、でかい手がウデラスを吹っ飛ばした。
「もうっ!、だめだっていったのに。」
下僕達は、先ほどイリナにしぶしぶつけた拘束具を、ひきちぎるようにして外すと、彼女を毛布でくるんで背中に引っ担ぐや、イノシシのように走り出した。
イリナを本気で愛した彼らには、もう怖いものは無い。
「ミュミュとチィシャが危ないの、バレンさんの家まで急いで」
記憶を取り戻したイリナ。
膨大な資産ともいえる妖精館で稼いだお金があれば、直ぐにでもバレン一家の借金を返済できる。
一刻も早く手続きを行って対応しなければ、ウデラスとバレンさんの関係を断ち切らなければ。そして手続きが終わるまで、一家を守らなければ・・・イリナは、薬による体の火照りを忘れて、バレンさんや、ミュミュとチィシャを心配した。
「くそおおっ、またんかああっ!」
完全に血が上ったウデラスは、警報を鳴らし、猟銃を手にとり、
これもまた恐ろしい速度で駆け上がる。
だが、屋敷の出口に何かが立っていた。
ドガッ!
黒いほっそりした影が目の前を動いたかと思うと、
ウデラスは銃を奪われ、肩を外され、身体を地面に叩きつけられていた。
シーナの特命を受けた海軍特殊部隊が、音も無く瞬く間にウラデスの私兵達を制圧し終えて、屋敷の周りを真っ黒に取り巻いていた。
「ようやく、一件落着ね」
シーナ・ラングレー中将は、薫り高い紅茶を本当においしそうに飲み干した。
この一ヶ月半、ほとんど味がしなかった気がする。
「それにしても、あの子はほんとに運がいいわ。最初に拾い上げてくれた家族がああも正直でなければ、まだ分からなかったかも。・・・もしかすると、あの出来事のような事がもう一度起こったはず」
セシリア・ラングレー首席秘書官は、過去に起こった悲劇を思い浮かべて、ため息とともに幸運に感謝する。
イリナが拉致された後、
バレンの家族たちは、イリナが好意によりそっと置いていった彼女の着ていたドレス(妖精館の制服)を見つけて、どうしても持ち主に返そうと奔走し、娘の友達が持っている広域通信網を借りてイリナの置いて行ったドレスの情報をアップロードして、広い範囲で尋ね続けた。
バレンは、このドレスの質からして、オーダーメイドか、もしくは少数生産の上物品だと判断し、メーカーがわかれば、販売地域も判り、運がよければイリナに返せると思ったのであった。
そして、それをたまたま妖精の一人、ルーシャ・リンクラインがネット上で見つけたのだった。
「でも、本当にラングレーの力には感謝しています。」
ファリア・シェリエストは深々と頭を下げた。
あの天変地異を誰一人欠けることなく助けてくれたイリナ、
それがどれほど無茶で危険なことだったかは、
彼女にはよく分かる。
だが、それをやってしまうのが、ラングレーの力なのだろう。
「バレンとその家族たちは、遭難者救助と、正直な行為への表彰、
そしてイリナの家族からの謝礼と言うことで、充分に報いるつもりよ。」
にっこりとシーナが笑った。
「ところで、あそこの馬鹿な代表者はどうなります?」
ファリアがちろりとセシリアを見た。
セシリアは何も言わず、ただ絶対零度の微笑を浮かべた。
シーナとファリアは背筋が寒くなった。
噂によると、ウデラスの行っていた犯罪が司法側に察知され、逮捕される前に亡命したとも、一族同士の争いで命を失ったとも、底知れぬなにかの怒りを買って相応しい末路を辿ったとも言われている。
以後、彼と彼の悪事に深く関わっていた一族の姿を見たものはなく、
住民台帳から教会の誕生記録まで、全て抹消されていることを付け加えておく。
劇場の老夫婦はイリナの興行で大もうけをしたことで、劇場を閉鎖し、
今はのんびり食堂をやっている。
事件から3ヶ月がたって、
一通の手紙がルフィルの妖精館に届いた。
『イリナお姉ちゃんへ、
お姉ちゃんがかえった後、おとうさんと私たちは、
ERからとってもびっくりするぐらい、ほめられちゃいました。
そしてね、とーっても広いおうちと農場をくださったの!。
お姉ちゃんを助け出した、マギとジジのおじちゃんたちも、
昔近所にいたオバちゃんたちも、農場を手伝ってくれて、
いまいっぱいの牛さんやにわとりさんや、
ぶたさんと、ひろーい畑をいっしょうけんめいそだててます。
お姉ちゃんがこちらに来ることがありましたら、ぜーったい来てね。
みんなでいっぱい、いっぱいかんげいしちゃうから!!。
ミュミュ&チィシャより』
マギ、ジジ・・・
イリナは4つのつぶらな瞳と、
そして彼女を本当に愛した男たちを思い出した。
ババババ・・・・
真っ白なヘリが下りてくる。
そして純白のドレスに身を包んだ、本当のイリナが、
ゆっくりと城から出てきた。
優雅な足取りと、圧倒的な気品、
数千年にわたって凝ったエルフの血が、
人の身の中に見事に開花した大輪の花。
見る者全てが、目を奪われる。
彼女は二人の下僕の前に優雅に一礼した。
「本当にありがとう」
彼女は二人の前に両手を差し出した。
彼らが望むなら、イリナは二人を連れて行くつもりだった。
「あにい・・」
「うん」
二人はにっこりと笑いながら、静かに首を振った。
「おで、ジジ、あにいはマギってんだ」
「オレらな、ちっちぇころ、大好きだったおはなしがあんだ・・・」
月へかえらねばならない姫のために、
必死に戦った王子がいた。
いや、王子のつもりでいるただのきこりだった。
どれほど戦って、傷ついても、きこりはあきらめなかった。
とても、とても、姫様が好きだったから。
姫様が月に帰るとき、彼に手を差し伸べた。
でも、彼は首を振った。
『おらがきこりだから、姫様のために戦えたんだ。』
きこりは、胸を張って涙を流しながら、月に帰っていく姫を見送ったんだ。
「おらたち、あんたに出会えて、本当に良かったと思ってるんだ。」
おろかでいじましい自分たちも、せめて胸を張って見送りたいのだと。
朴訥な話が、静かにイリナの心に染みた。
二人にやさしいキスをすると、イリナはヘリに乗った。
ヘリの風に、花びらが舞い上がる。
純白のドレスが風にゆれ、光がその回りに乱舞するように輝いた。
穏やかな陽射しの中に、
美しい姫は、ゆっくりと消えていった。
彼らは、涙で見えなくなったヘリを、いつまでも見ていた。
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