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■ EXIT
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イリナ妖精館に行く 前編


ERの中枢都市である、国際都市・ルフィル。その中で最も風光明媚な土地に建てられた、瀟洒な造りの娼館を目指して、一台の小型車が軽快なフットワークを見せて、道を駆け抜けていく。目指す娼館は世界に冠たる高級娼館として名を馳せる妖精館である。

ステアリングを握り、シフトレバーを小刻みに動かすのは、透き通るような美貌の女性。その横で神妙な顔をして、軽い横Gに身体を任せているのは、その女性に良く似た印象の、やはり美しい少女だった。

「…」

不安をかすかに覗かせて、少女が小さな溜息をつく。

「恐いの?イリナ」

油断無くコーナーの出口を伺いながら、運転する女性が声をかける。

「…うん、ちょっと…不安っていうのか…」

「大丈夫よ。ファリアは私の親友だから、絶対に悪いようにはしないわ」

エンジンの回転が下がり、ウインカーが点された。小型車は道路を外れ、目的地へ続く細い坂道を降りきり、そこでエンジンを止めた。

「着いたわ」

優美な線を崩さず、二人は車から地面へ降り立った。小鳥のさえずりと木々が奏でる葉ずれの音しか聞こえてこない。ルフィルの中心から歩いて来ることもできるのに、まるで深い森の中にいるようだった。

「ようこそ、妖精館へ。久しぶりね、シーナ」

白いドアの前で、微笑を浮かべ、二人を出迎えたのは、妖精館の主人である、ファリア・シェリエストだった。

「こんにちわ。娘を連れてきたわ。ほら、イリナ。ご挨拶なさい」

シーナと呼ばれた女性に促されて、イリナはぴょこりと頭を下げた。

「あ…は、はじめまして。イリナ・ラングレーです」
「はじめまして、イリナ。ファリア・シェリエストよ。よろしく」

イリナの母・シーナと同じエルフ属であるファリア。その容貌はやはり美しい。その艶やかな肢体を包む服も、十分にセンスの良いものだった。

「さ、挨拶も済んだし、中へどうぞ。私の部屋で話しましょう」

普段はファリアが執務している、館長室に隣接する応接間。主であるファリアの嗜好を反映して、華美からず地味すぎずという按配で調えられた室内で、イリナとシーナは香ばしい茶の振る舞いをうけた。

「おいしい…」

やや緊張がほぐれたのか、イリナが歳相応の無邪気な笑顔を見せる。

「お気に召したようね。私の特別ブレンドよ」

上機嫌にファリアが頷く。長いコンパスを大胆に組んで椅子に腰掛けており、ドレスの裾から純白の太腿を覗かせているが、それが実に良く似合っていた。

「さて…本題に入りましょうか。イリナ、お話してちょうだい」

「…はい」

今は「普段」の時であるイリナは、羞恥からか頬を紅く染めて、自らの性癖を、詳細に話した。
時折自分を襲う、狂おしいほどの性的衝動のこと。
その衝動が目覚めた時の自分の行動のこと。
そしてその衝動が生まれたきっかけである、おぼろげな記憶のこと。
更に自分に施している、魔法防壁のことまで、詳細に伝えた。

「…なるほどね。私も大勢の女の子を見てきたけど、そこまで凄いのは初めて聞くわ」

長い息を吐きながら、考えあぐねたようにファリアが頬を撫ぜた。

「だからあなたを頼りにするわけ。妊娠したり病気の心配はないけど、
 無秩序に男に抱かれるのは、あまり良いことではないと思うから」

「それは私も同感ね。
 これだけ管理している妖精館にだって、悶着はたまにあるから…
 貴方の事だから欺瞞対策は十分だと思うけど、どの様に振舞っているの?」

「例え警察に保護されたとしても王族とは判明しないわ」

そう言うとシーナはバックから取りだした一枚の書類をファリアに手渡す。
それを読んだファリアは納得した表情を浮かべる。

シーナとイリナはER(エンパイアリソース)の一角を占めるラングレー王国、レインハイム皇国、佐伯国の一つ、ラングレー王国を牽引する由緒正しきラングレー王室に連なるものだった。そしてシーナは現女王の長女である。

ERF(エンパイアリソース・フォース)に入隊し、部下に対する示しの為にシーナは庶民的な生活を営んではいたが、その立場は変わらない。つまりイリナはお姫様といっても過言ではなかった。

この事実を知っているのは、妖精館の重鎮ファリアと王室に忠誠を誓っている王室警護隊の中で彼女専属の選抜された隊員のみという極めて少数に限られている。

そしてイリナには発作に備えて、念入りに用意された身分が存在ある。所持している身分証明を示すIDには王室の人間と判らないように、没落したクィンス準男爵家の遠縁のイリナ・クィンスとして登録されているのだ。これは発作時に事情を知らぬ者に保護された時の対策と言えよう。また、万が一に備えてイリナはこのクィンスの姓名で大学に通っている。

「イリナ・クィンスね……
 良い方法だと思うわ、クィンスという名は公娼でも多かったし。
 妖精館に勤めても不自然じゃないわね」

ファリアが一人ごちると口を開く。

「大体の事情は判ったわ。
 ちょっと調べてみたいことがあるの。イリナ、立って、服を脱いで」

「えっ!?」

イリナは耳まで真っ赤にして、小さく叫んだ。

「ここで…ですか?」
「そうよ。ここには私達しかいないから…」

イリナはしばらく逡巡していたが、

「大丈夫よ、イリナ。ファリアは考えなしに言ったりしないから、信頼して」

シーナの言葉に励まされ、イリナは決心して、部屋の中央に立った。
シルクのブラウスのボタンを、かすかに震える手で一つ一つ外していく。 脱いだ衣服は順番に、シーナが受け取り、丁寧にたたんでいった。 そして最後に、やはり白い下着が、すべてシーナに渡された。

「さすが、シーナの娘ね。妬けちゃうくらい綺麗よ」
「お褒めにあずかり光栄だわ。自慢の娘ですもの」

親友同士の顔をしてシーナとファリアが笑いあう、その声を聞きながら、イリナは一糸纏わない裸体を、部屋の空気に晒させていた。

「じゃあ、始めるわ。イリナ、目を閉じて…気持ちを楽にして」

ファリアがその顔から笑いを消し去り、
目を閉じて立ち尽くすイリナの眉間に、人差し指をそっと当てた。

「… …… … …」

聞き取れないほどの声で何かを呟きながら、ファリアの指がイリナの身体を探る。眉間からうなじ…鎖骨…乳房…臍…そして薄い若草に翳る陰部を経由して、膝頭から爪先まで、ファリアの指は丹念に探索した。

「ふう…ありがとう、イリナ。服を着ていいわよ」

あたふたと着衣するイリナを待って、ファリアが話をはじめた。

「全部を正確に読めるわけじゃないけど、
 イリナ…あなたの身体には、乱れたオーラがあるわ。
 まだそれは小さなものだけど、このまま放置しておいていいとは、思えないの」

「ボク…どうなるんですか」

脅えを隠せずにイリナが問い掛ける。ファリアは首を横に振り、「断定はできないわ。でも、例えて言うわね。あなたの身体と心をダム、性欲を水としましょう。ダムの限界を超えて水は溜められない、つまり性欲は過剰に抑えてはいけないの」

イリナが頷く。

「時々は放水しないといけないけれど…限界ぎりぎりまで溜めた時に放水すれば、やっぱりダムにかかる負担は大きいわ。あなたの場合特に、周期的に衝動が訪れる分、反動のストレスが大きいと思うの。乱れたオーラはその産物でしょうね。やがてはそれが、魔法の行使にも影響を及ぼしかねない…制御できない魔法ほど厄介なものは無いわ」

それがどれだけ無惨な結果を招くか、エルフはほとんど遺伝子のレベルで記憶している。部屋に重い空気が満ちていった。

「やはり…あなたに預けた方がいいわね」

シーナが眉間に皺を寄せて呟いた。応えるようにファリアが頷く。

「私もそう思うわ。イリナ、あなたに対しては私が全ての責任を持ちます。
 妖精館は普通の娼館とは少し違う、ある意味で公的な施設なの。
 セキュリティも格段に強力だし、ER社や軍の指導部にも、
 ここ出身の者は何人もいるのよ」

「はい、知っています」

「衣食住は全て保障するし、お客の獲得競争なんてしなくていいの。
 オンラインでここにいるまま勉強もできるけど、
 営業は日没からだから、大学へ通うこともできるわ。実際のところね、」

とファリアはウインクをし、

「礼儀正しくて話題も豊か、
 いろんな人に会うというのもあるんでしょうね…
 ここ出身の娘、人気あるのよ。秘書や管理職としてね」

「ファリア校長の面目躍如というとこかしら」

おどけた口調でシーナが相槌を打った。

「みんないい娘よ…あなたもすぐに馴染めると思うわ。
 もう捨て鉢に抱かれなくてもいいのよ、
 ここで新しい可能性を見つけなさい、イリナ」  

「…はい。よろしくお願いします」

イリナは椅子から腰を浮かせ、深々と礼をした。道を示されたことで、その顔からは不安が和らいだのが見てとれた。

「では、イリナ・ラングレー。
 ファリア・シェリエストの名において、
 あなたをイリナ・クィンスとして妖精館の一員として迎えます」

ファリアも立ち上がり、自らの胸に右の手を、イリナの胸に左の手を当てて、厳かに宣言した。そこから暖かいエネルギーが流れてくるようにもイリナは感じ、深いやすらぎを覚えた…









早速翌日から、イリナの新しい生活が始まった。
部屋をあてがわれ、妖精の正装である絹で造られた純白のドレス、手袋、ニーソックスと、普段よりは少し派手な下着を与えられると、手続きはそれで済み、制限時間などの簡単なルールを口頭で伝えた後、日没まで外出も行動も自由でいいとファリアは言った。

「あの…これからどうしたらいいんですか?」

てっきり見習い妖精としてテクニックやベッドマナーを教え込まれると思っていたイリナは拍子抜けした。妖精とは妖精館の高級娼婦の事を指す。

「大丈夫よ、媚びへつらうだけが妖精じゃないわ。
 それは見習いでも同じよ。
 お客が求めるものを見抜くのも大事な仕事。
 ただし、嫌なことはきっぱり断りなさい」

「相手が怒ったら?」

洒落たポーズで、ファリアが指を振った。

「怒らせないのも仕事のうちよ。
 最初のうちは私がお客を選んであげるから、早く馴染みなさい。
 そうそう、清潔は全ての基本だからね」

「はあ…」

ファリアが出て行った後、イリナはベッドに腰掛けて、いまひとつ定まらない思考を持て余していた。 あの衝動は起こってこない。いっそ起こってくれた方が楽かもしれない。そうなればイリナは途方も無く乱れることができる。だがしかし、その衝動が、少しずつ自分を削り取っていくような気が、今のイリナにはしていた。

「無秩序なセックスは、やがてあなたを壊すかもしれない」

敬愛する母・シーナが全幅の信頼を寄せるファリアの言だけに、その一句はずしりと重い。

「こんな気持ちで裸になるのって…エッチするって…恥ずかしいな…」

イリナはすらりとした脚をばたつかせ、ベッドサイドに置いてある、小さな時計をこねまわした。今はただの時計だが、客をこの部屋に招き入れると、文字盤の中に小さな灯りがともるという。その数で、残り時間を表すというアイテムだった。外周をクリスタルに覆われたその時計が、イリナの顔を歪めて映す。それをなんとはなしに眺めながら、イリナは何度も溜息をついた。窓の外では鳥が鳴き、イリナの葛藤を知らぬげに、穏やかな時間が過ぎてゆく…

やがて日没を迎え、妖精館にも灯がともった。三々五々、それを待ちかねていた客が訪れ、立体ディスプレイの中で微笑む、ここでは妖精と呼ばれる娘達の中から、好みを指名し、ある者は現金で、ある者はカードで支払いを済ませ、案内された部屋へと消えてゆく。また、洒落た造りのウェイティング・バーで、グラスを傾けながらお目当てを探す者も いれば、常連だろうか、周りの人と談笑する者もいて、妖精館には活気が溢れていた。

「さて…」

いつもは立たないロビーの隅に陣取り、顔を知る客に会釈しながら、ファリアはイリナの初めての相手を物色していた。妖精館は凡百の娼館と違い、やってくる客もそう下卑た者はいない。時折自分を王様かと勘違いした客もいるにはいるが、そういう輩は丁重にお帰り願うか、こっそり魔法を使ってたたき出すのがここのルールだった。

とはいえ、初心なイリナにはあまり脂ぎった男などをあてがいたくはない。全身を嘗め回されでもしたら、イリナは激しく嫌悪するだろう。とはいえ、ジゴロ気取りの若造に任せるのも問題だし…とファリアが思案している時、「あ、あの…」背後から声がした。ファリアは振り向いた。

そこには、青年よりは少年と言っていい男が立っていた。身なりに不潔感は無いが、服のセンスがいかにも垢抜けない。安売り品を適当に着あわせたという印象だった。

「いらっしゃいませ」

ファリアは営業スマイルで少年に挨拶した。
たぶん童貞だろう、こういう客は、素直でむしろ上客といえる。

「あ、あの…ここ、妖精館ですよね?」
「さようでございますが、何か?」

少年は茹で上げたように真っ赤な顔をして、紙幣を握った手を差し出した。皺くちゃで汗ばんだその紙幣が、なんとも微笑ましい。

「これで…足りますか?」

一礼して紙幣を受け取ったファリアは、皺を伸ばしながら数え始めた。 ごくまれにだが偽造紙幣を持ち込む者もいる。どんな機械よりも精緻なファリアの指にかかれば、偽造紙幣を見抜くことなど造作もなかったが…薄汚れているものの、紙幣は全て真券だった。

「はい、確かに受け取りました。お好みの娘はおりまして?」

少年はあたふたと周りのパネルを見回し、そこにいる妖精たちへ視線を走らせる。時折その目が止まるがすぐにまた動き、狼狽そのものの体を示していた。

「ええと…よく解らないので…」
「どういうタイプがお好きでしょう?
 恥ずかしがらずにお申し付けくださいな、
 可能な限りお客様のお求めに応じるのが妖精館ですから」

優しいファリアの声にも、
少年はうろたえたように目をしばたかせるだけだった。

「お、俺…こういうところ初めてだから、何て言っていいのか…
 あ…あなたなんかいいかなあ…と…」

ファリアは目をくるっと丸くして、次の瞬間破顔した。

「私ですか?それは光栄ですけど、
 あいにく、私はこの館を預かる者でございます。
 夜をご一緒できないのは残念ですわ」

「そう、ですか…」

口をもごもごさせながら、少年はうつむく。
そのどこまでも初心な姿勢に、ファリアの悪戯心が興味を示した。

(…こういうタイプもいいかもね。試してみる価値はありそうだわ)

ファリアは内心頷くと、一段と明るく微笑んだ。
「それでは私におまかせください、
 選んでいただいたお礼といっては何ですけど、
 お客様のお支払い以上の、とびきりの娘をお世話しますわ」

ファリアは少年の肩をそっと抱くと、階段へ向けて歩みだした。服を通じて少年の体温が伝わってくると同時に、そのかき乱れたオーラから、少年の戸惑いが演技などではないことを、きちんとファリアは見通していた。

「こちらの部屋です。では、ごゆっくりどうぞ」

廊下の突き当たり、イリナにあてがった部屋の前まで少年を送って、ファリアは階下へ歩み去っていった。残された少年は何回も深呼吸をすると、ごつごつとドアをノックした。

「こ、こんばんわ」

部屋に入るなり開口一番、間の抜けた挨拶を少年はした。

「こんばんわ」

応える声もどこか間が抜けていた。

「…」
「…」

ドアを背後にたたずむ少年。ベッドに腰掛けじっと見つめるイリナ。
何分か、何十分か、白々とした時間が流れた。

「お、お、俺、ハンス。ハンス・イエーガー」

「…イリナ……」

ラングレーと言いそうになったイリナは慌てて言い直す。

「私はイリナ・クィンスです」

妖精館で妖精として働く限り、王室に迷惑が掛らない様にクィンスの姓を名乗らなければならないのだ。普段の発作時ならば自然と言えた名前も、性的興奮の無い今の状態では緊張のあまりに難しかった。

それからまた沈黙が続いた。
この場にファリアがいれば、何やってるのと叱咤の声が飛んでいるだろう。

「…ぷっ」

永劫のような沈黙を、イリナの笑いが打ち破った。一度笑い出せば、もう止まらない。必死にこらえようとするイリナだが、肩が痙攣するように震え、やがて無邪気な笑い声が部屋にこだまし始めた。 最初は戸惑っていたハンスも、自分のポーズに気がついて、笑い始めた。質素なインテリアの室内に、朗々と二人の笑い声が響いた…

「ご、ごめんなさい。でも、なんだかおかしくて…」

目尻に浮いた涙を指で拭い、イリナがハンスに笑顔を向けた。ハンスも頭を掻きながら、吹っ切れたように部屋へ歩みいり、イリナの座るベッドの傍らにあった、スツールに腰掛けた。

「笑ってくれてありがとう。
 なんだかホッとしたよ…どうもこういうの、慣れてないから」

「うん。ボクも慣れてないから…おあいこだね」

「かな?」

そう言って二人は、クラスメイトのように笑顔を交わし、またひとしきり笑った。

「お茶、飲む?…じゃない、お茶はいかがですか?」

慌てて言い直すイリナ。その無邪気さが嬉しくなったハンスは、軽く手を上げて制した。

「いいよ、敬語じゃなくても。その方が落ち着くし。
 でも、お茶は欲しいな…喉カラカラなんだ」
「はい!」

いそいそと、部屋の隅に置かれたティーサーバーから、白い磁器のカップに、熱い茶をイリナは注ぐ。芳醇な香が部屋に満ちてゆく。

「はい、どうぞ。熱いから気をつけてね」
「ありがとう」

カップを受け取り、ふうふういいながら、ハンスは茶を啜る。イリナも両手でカップをおし頂き、その豊かな味を楽しんだ。

「ふ〜、美味かったあ。ところでさイリナ」
「なに?」
「妖精館って、制限時間あるんだろ?こういう風にのんびりしてて、いいのかなあ?」

イリナは可愛く首をかしげながら答えた。

「う〜ん…あ、ちょっと待って、確認してみる」

イリナは例の時計を覗きこんだ。なるほど、文字盤の中、1から12までの数字の横に、小さな灯がともっている。そしてそのシグナルはぐるりと一周していた。

「12時間分あるみたい。今7時だから朝までだね」

「え?俺、そんなに払ってないよ」

「たぶん、ファリアさんが特別にしてくれたんだと思う」

「ファリアさん?その人って、館を預かるとかいう?」

「うん」

「そうか〜、あの人が…俺ってラッキーかも」

ハンスは大げさに安堵すると、下でのいきさつを話した。そして、自分が妖精館に対して聞きかじっていた情報の事も話した。

「俺さ、こういう話を聞いたんだよ。妖精館じゃ部屋へ入るなり服脱がされて、風呂へ放り込まれて、」と、ハンスはジェスチャーを交えて、「で、ベッドへ連れ込まれておしまい。40分で追い出されたって」

「うわ、忙しい〜」

肩をすくめるハンスに、イリナはくっくっと笑った。

「俺もそうなるのかと思ってさ、ホッとしたよ」

緊張を解いたハンスに、イリナは興味を示して話し掛けた。

「ね、ハンスの事、お話して。どこから来たの?」
「うん、エランから来たんだ。鉄道と船でここから二日くらいかな」
「随分と遠いね…」

イリナが感服したように呟く。
それに気を安くしたのか、ハンスは雄弁に自分の事を語り始めた。

「エランは小さい町でさ、映画館だってないんだよ。スクールを出ても、仕事といえばせいぜい漁師くらいなんだ、それじゃつまらないって訳で、ERFの入隊試験を通信で受けて、なんとか合格。こうしてルフィルに来たんだ」

「ERFに入ってどうするの?」
「パイロットになるのさ!」

イリナの問いに、間髪入れずハンスは答えた。
その瞳には瞬間で、熱いエネルギーが溢れかえっていた。

「毎日、岬から見てたんだ。
 訓練飛行かな、ERFの戦闘機が沖合いへ飛んで行くのを…
 いつかは俺もあそこへ行きたい、自由に空を飛びたい、そう思ってる…」

「そうなんだ…」

「もう明日には宿舎へ入っちゃうから、
 今日街をみておかないと当分出てこられないだろ?
 その前に、と思ってここへ来たんだ」

「そう…でも、そんな大切な日に…」

イリナの顔が曇った。

「ボクなんかでいいの…?
 ボク、実は、こういう仕事するの、今日が初めてなんだ…
 もっと上手な人とか、綺麗な人とかじゃなくて…」

いいの、と言いかけたイリナの肩に、ハンスの手が触れた。

「あの人は、とびきりの娘をお世話しますって言ってたよ。
 俺も、どんな娘か不安だったけど…君がいいと、思う」

照れくさそうに鼻の頭を掻いて、ハンスが続けた。

「エルフがはじめての相手なんて、エランに帰ったら大威張りできるしね!」
「やだ、そういうの言いふらすの!?」

「ウソウソ!内緒にするよ…エランの奴らが団体で来たら迷惑だろ?
 俺と違ってみんなケダモノだよ」

「それは困るね〜」

二人は屈託もなく笑った。イリナの心がじんわりと、暖かくなった。

「ね…この部屋、ちょっと暑くない?」

話を重ね、何杯目かのお茶を飲みながら、ふとイリナが呟いた。

「そういえば…身体が火照ってきた…もしかしてこのお茶のせいか?」

カップを弄びながら、ハンスも上気した顔で頷いた。

「そうかも…ふう、汗かいちゃったなあ…」

イリナは少し躊躇ったが、自分の胸にそっと手を当てて、決心した。

「ね、ハンス」
「何?」
「お風呂…入ろ。いっしょに」

ハンスの顔がぱっと赤くなった。

「い、い、いいの?」
「…だってここ、妖精館だもん。みんなそうしてる、と思うよ」
「…」

ハンスはこわばった顔をしていたが、すっくと立ち上がり、「先に入ってる!ちょっと後から来てくれよ!」猛然と部屋を横切り、目についたドアを開ける。

「あ、そこトイレ!」
「ごめん間違えた!バスルームどこ!?」
「右のドア…」
「サンキュ!」

バタンと大きな音を立ててドアが閉まった。
それは自らの羞恥を隠そうとする行為にも、自分を気遣う優しさにも、イリナは思えた。

「さて、と…」

ふっと息を吐いてイリナは立ち上がると、薄絹のドレス丁寧に脱ぎはじめた。かすかな衣擦れの音をたてて、イリナの白い肌が露になってゆく。やがて全ての衣服を取り去ったイリナは、大きな姿見の前に立った。

「…がんばれ。イリナ・ラングレー」

輝くような裸体をしている、鏡の中の自分にそう言い聞かせ、クローゼットから大きなタオルを出して身体に巻いた。
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