■ EXIT
角無島大乱戦・1
台湾と支那大陸の間に、名も無き小さな島があった。地図にも無いが、地元では角無(ツノナシ)島と呼び、漁業の時の避難場所ぐらいに使っていた。過去には、この界隈を荒らしていた海賊の基地があったという伝説もあるが、今では住む人もいない無人島である。 しかし、時折この島について、ある噂が立つ事があった。 『昔、この辺に勢力を張っていた大海賊の親玉が、この島のどこかに莫大な財宝を隠している。』 この噂は、人外魔境とまで言われた台湾が、日清戦争後に賠償で日本の領土となって、次第に進歩発展してくると多くささやかれるようになってきた。お陰で、時折この島を訪れる人間が増えていた。 そのこと自体は、何ら問題の無い。少々人が来ようが、うっかり海に落ちたり、嵐でおぼれたりしても、それは自分の責任である。 ただ、台湾から行くならまだしも、支那大陸の方からまで、噂を聞きつけた人間が繰り返し近づくようになると、かなり問題があった。 この島の所有権は、台湾の漁師の親分が持っていて、それについてはかなり前に確定している。しかし、財宝に目のくらんだ支那人たちは、『この島はオレのもんじゃ〜〜!』と、杭を打つやら、縄張り争いをするやら、勝手な事を始めたのである。いくら漁師の親分でも、そういう欲に目のくらんだ血なまぐさい連中を相手にはしたくない。 台湾府もこれには困惑した。少し前に、台湾総督の児玉源太郎の暗殺未遂事件があり、それがどうも清国の手の者らしいのである。これで台湾近くを勝手に基地化されては、迷惑極まりない。仕方がないので、台湾府が正式に島を買い取り、勝手に上陸してくる支那人たちを叩き出すことにした。 しかし、ここから一つの騒動が持ち上がった。 「ええと、『民政治推進党総裁、土壌陀芽男語る。長らく問題になっていた領土問題は台湾府になど任せてはおけない。角無島は、日本政府として正式に買い取り、きちんと国家の礎として扱うべき』・・・なんで土壌さんが?。」 新聞を読み上げていたイリナは、本気で不思議そうに小首を傾げた。左より著しい事で有名な経済日木新聞が、一面でかなり大きく取り上げている記事である。 苦虫をかみつぶしたような顔で、イリナの上司で恋人でもある風霧部長が応える。 「あの連中、最近絶不調でな。新聞調査でも支持層が減る一方だ。このままじゃ党としても存在が無くなるからだろ。」 「さっさと消えてくれるとありがたいんだけど。」 イリナの姉のソフィアが、本気で切り捨てる。うんうんとイリアもうなづいている。 帝国重工の誇る名花ラングレー4姉妹、長女で特殊作戦群指揮官、シーナ・ラングレーは背の高くすらりとした軍服姿。次女で兵器研究の第一人者ソフィアは、前のあいた長い白衣に、下は黒のぴったりした薄いワンピース。3女イリナは、クリーム色のスーツとスカート。4女イリアは、なぜか今日は紺の長い上下に真っ白い大きなエプロン。白いホワイトブリムで髪を止め、メイドさんスタイルでお茶のお世話をしていたりする。 最高指揮者の高野指令に恋人にして高度AIさゆり嬢、真田技術幕僚に、特殊作戦群の黒江大輝大佐や広報部風霧部長など、緊急会議にそうそうたるメンバーが集まっている。 「民主主義最大の汚点だな。」 真田氏も技術屋らしく遠慮がない。 民主的な選挙をすれば、誰しも優れた人間が選ばれると思いたいが、投票をする側も人間なのだ。間違いは人間の友であり、誤解はコミュニケーションの定番である。 何をどうしたって、『間違って選ばれちゃいました』としか思えないような人間が、代議士としてかなりの数当選する。 かわいそうだが既成政党も人の子の集まり。党の名前で当選はしてくれても、人間性までは我慢しようが無い。隣に性格破綻した人間が引っ越してきたら、誰でもたまったもんじゃない。 やがて既成政党にいられなくなった代議士たちは、寄り集まって自分たちの党を作りあげた。それが『民政治推進党』。 名前の大仰さと口先の達者さで、一時は支持者もついたが、政府の足を引っ張ることばかり熱心で、約束したことは守らない、守れない責任はまったく知らん振り。そんな活動に、日本国民の方が嫌気をさして、今や崖っぷち状態『自業自得』。実際、帝国重工もかなり迷惑していたし。 基本的にマスコミは『反与党・反権力』を掲げて、自分たちが改革者の先頭にいるんだと思い込むので、この民政治推進党に肩入れしていて、やたら協力的だった。 「それにしても、何でこんな記事の事で、我々が呼ばれなきゃならないんです?」 風霧部長の疑問ももっともだ。帝国重工首脳部の忙しさは、そんじょそこらのモーレツサラリーマンごときの比ではない。やりたいことはいっぱいある。 「さゆりが気がついてな、私も放ってはおけないと思ったんだよ。」 全員の顔つきが変わる。高野指令がこうまで言い、さゆり嬢が気にするとなるとただ事ではない。 「この記事に『長らく問題になっていた』とあるが、一体だれがこの問題を取り上げていたのかね?。」 みんな虚をつかれた顔になった。 「私の知る限り、日本本土の新聞・テレビジョンで、この問題を取り上げたところはありません。つまり、誰も知らない角無島の事を、経済日木新聞はいつ、どこから知ったのでしょうか?。そして土壌さんは?。」 さゆりの話に、イリアとイリナが思わず顔を見合わせる。 確かに情報収集を担当する広報部でも、本土では初めて読んだ記事であり、台湾の地元紙で多少取り上げられる程度のニュースなのだ。そして土壌は総裁なんぞとえらそうな名前をつけてはいるが、もうすぐ消えうせる政党の、それも内乱同然の混乱した中で次々と問題がおこって、あげくにやっと決まったようなトップである。こんな問題知っている方がおかしい。 「土壌のところには、各誌のインタビューが殺到しているそうだ。何しろ、他に誰もこんな事を知らなかったからな。」 久しぶりに自分が注目されるとなると、さぞ怪気炎をあげることだろう。 だがそれが代議士となると、無責任な発言や行動は、国の迷惑にしかならない。 「そして本国でこういう声が上がれば、台湾府は動きを止めざる得ない。話がややこしくなるぞこれは。」 台湾府はまだ本国の援助が必要な自治体である。高野が心配するように、本国でこういう話が世論に沸き立つと、台湾府はそのご意向をうかがわないわけにはいかない。 もし本当に本国が買い取ることになれば、それにへたに口出しは出来ない。もし台湾府が買い取りますなどと突っぱねれば、『台湾は金が余っているのか?』と疑われかねない。台湾に援助を続けるぐらいなら、もっと本国の投資に向けるべきだという人間も少なくない、民政治推進党も散々それでゴネて、台湾の人間からかなり恨みを買っていた。 そういう事で、まかり間違えば本国の援助が止まる事すらあり得るのだから、これが広まれば、台湾はとたんに身動き取れなくなる。 「そしてね、問題は日本国内だけじゃないの。」 さゆり嬢が美しい眉を曇らせて、うんざりしたように言う。 全員がドキッとして顔を上げる。奇しくも、全員が一致して思ったのだ。 『こ、このパターンはまさか・・・・?。』 「日本では、経済日本新聞一社ですが、清国ではなぜか一斉にあちこちでトップ扱いの記事になっています。」 「うわっちゃ〜〜。」 イリアが大げさに手をあげ、イリナが頭が痛いような顔で額に手をやる。 「またかよ」 風霧もうんざりした顔つきである。他の人たちも似たようなもので、21世紀に思いをはせる。 支那の国は、今も昔も変わらない。 毎回毎回、おんなじような騒動を引き起こす。 「また日本を悪役にしたてて、国内のガス抜きに使う気か。」 真田が、21世紀のあの頃の事を思い出して、本気でうんざり。 「そして、またこの間の97台風みたいな状況になるわよ、きっと。」 ソフィアが、こめかみをひくひくさせてぼやく。 以前大英帝国が、日本の混乱を狙って騒動を引き起こし、支那からは千あまりのジャンクや船が、日本へ押し寄せようとしたことがあった。 海賊の財宝騒動が広がれば、角無島に欲に狂った支那人たちが押し寄せてくることは確実だろう。 「ちょっと待って下さい。清国の記事って・・・・ええええっ?!」 イリナがデータベースを引っ張り出して、悲鳴を上げた。 『なにごとだ』と全員がそのデータを覗きこんだ。 「こ、こりゃあ・・・・」 技術屋の真田が思わずうめいた。 写真こそないものの、上海や北京などの新聞には、『土壌の話が、ほとんどそのまま載っていた』。 21世紀ならば、メールやファックス一本で世界中に情報を送れるが、この時代に日本の朝刊の紙面が、当日支那大陸にも伝わっているなどありえない。この時代に存在しない技術を持つ帝国重工だからこそ、世界の情報をすぐ集めることが出来る。それが他の誰かに出来るなど、想定外いやもう想像外の出来事だ。 『一体どうやって?!』 唖然とする一同の中で、ただ一人高野指令だけが苦笑い。 「おいおい、驚き過ぎだよみんな。手品や推理小説のトリックみたいなものだ。」 ガラガラガラ・・・・ おどろおどろしい暗闇の中、鉄鎖と車輪の絡み合う、不気味な音が響き渡る。 「ひいいっ!、な、なにをするううっ、私は、私は、民政治推進・・・」 「やかましぃわ!」 ドガッ 「うげえええっ!」 太い金棒に無数のとげのついた武器が、その醜い肉体を強打する。 裸で吊るされる太った男は、血をしぶかせ、全身を痛みと衝撃にびくんびくん震わせる。 そして、金棒を振り抜いたのは、真っ赤な肌をした巨人。 しかも虎の皮を腰に巻き、肌より赤い髪が渦巻き、その間から太い短い角が鋭く突き出している。 凄まじい顔つきに、唇から飛び出した上下の牙、その姿はどう見ても『鬼』。 煮えたぎっているような巨大な黒い桶の中に、ざぶりと腰から下をつけられると、絶叫が上がった。 「ぎいええええええっ!」 「濃硫酸の桶ぞ、貴様の穢れた心身を骨の髄まで清めてくれるわああっ。」 隣には、鉄鎖を巻きあげていた、青い肌の鬼。 「この愚か者がああっ、地獄の閻魔大王様は、お怒りぞおおっ!」 金棒が、腕と言わず、腹と言わず、凄まじい音を立てて殴り、叩き、打ち抜く。 悲鳴をあげてのたうつが、焼けただれた肌も、壊れた皮肉も、折れた骨すらすぐつながる。 痛みが消えると同時に、また濃硫酸の桶につけられ、金棒で殴られまくる。 「国を売る愚かものがああっ、己の罪は5000年ぞおっ。」 「おゆるしおおおっ、おゆるしおおおおおおっ!」 「ゆるさん、ゆるされるなどとおもうなあああっ!」 「フランス公使から、金を貰ったことは認めますううっ、でも、でもおっ、あれを持ちかけたのは経済日木の記者だったんですううっ。」 「だからもらって、国を売ったというかああぁっ!」 「私は原稿を読んだだけなんですよおおおおっ!」 病院のベッドにくくりつけられ、身動き一つできない状態で、脳と視神経にダイレクトに情報を送り込むヘッドレストをベルトでぎっちりと締めつけられ、土壌陀芽男は泣き叫び続けた。脳と視神経に送り込まれている信号は、脳の特定部位を活性化し、無理やり眠らせた状態で夢を作らせる装置である。 もちろん、土壌が見て体験している光景は、全部夢という妄想。 本人の中にある一番恐怖の物を引っ張り出し、それを夢の中で再現させているだけなのだ。 地獄を恐れている人間は、意外なほど多く、一番信じないような者ほど、本気で恐れ、その拷問は凄まじさを増していく。 とはいえ、自己生成している痛みも恐怖も、本物以上なので、あちこちに青あざや火傷の痕まで浮き上がっている。思い込みとはそれほど凄まじい。用心しないと狂死してしまうこともある。 「まあ、だいたい吐いたわね。」 「高野指令の予想どうりですな。」 ソフィアも医療部責任者の佐渡島先生も、うんざりした様子でぼそぼそ。誰でも、脂ぎった中年男の悲鳴など聞かされ続けたら、本気で嫌だろう。 例の新聞記事は、日本発の情報だと考えればこの時代ありえない事だが、清国からシナリオは用意され、最後に日本で土壌が『原稿を読んだ』だけならば何と言う事は無い。なかなか意表を突いているとは言える。 「ドジョウどうします?。」 「もう聞く必要は無いじゃろ。そうだな、一時間、千年分ぐらい責められたら、少しは毒気も抜けるじゃろて。」 二人とも、用は済んだとばかりに、うっとおしく泣き叫ぶ土壌をほったらかして、部屋を出た。もらった金でどんちゃん騒ぎを繰り返し、今度の選挙は大成功間違いなしと浮かれ狂っていた土壌に、同情する気はさらさらない。一時間後、ほとんど白髪となった土壌は、眠らされてまた自宅に戻されたが、次の日出家して、寺に閉じこもってしまい、党はそのまま空中分解してしまうことになった。 ああ、ブタも泣かねば撃たれまい・・・?。 「議員や軍は用心していたんだけど、まさか新聞記者をたらしこんで、日本と騒動を起こそうなんてねえ。」 「まあ、マスコミっつーのは、昔から操られやすい事では、一番じゃからのう。それにしても・・・・なんでフランスなんじゃ?。」 「そりゃあ、同病相哀れむでしょう。日露戦争停戦に反対して、大西洋側で欧州中に観戦されながら日本にボッコボコにやられた恨みはけっこう深いです。MSG(マディソン・スクエア・ガーデン)で全米放映の中、ミドル級チャンピオンがモスキート級の新人選手にノックアウト負けを食らったぐらいショックですよ。」 ソフィアはあんがいボクシングが好きらしいが、新人選手は言い過ぎかもしれない。何しろ世界最大クラスのロシア連合艦隊もノックアウトしているのだし。とはいえ、欧米の感覚と世界地図の大きさを見たら、日本への認識はその程度でも不思議ではない。 「それに日本のマスコミって、案外フランスへ憧れてるのが多いし。」 フランス公使を使ったのは、企んだ側は良い思いつきだと思ったことだろう。 だがしかし、この時期のフランス公使と、しょっちゅう理由をつけて日本へ来たがる在清フランス大使は、ほとんど骨抜きというか溶けたバター状態というか。日本に全部筒抜け、丸裸だった。フランスがこの件に全く絡んでいないことはすぐ分かる。 帝国重工広報部が運営する超高級娼館、品川にある春香蘭(シュンコウラン)は、高等武官や大国外交官に最高の評判を得るこの世の極楽である。そこの最高級娼婦の一人が、フランスはブルボン王朝からの超高級化粧品メーカーのラ・アンビユール社の香水モデルであったシャロール・ビュルフェ。 彼女はもともとは、フランス諜報機関が極秘で日本の重要人物をどうにか篭絡しようと送り込んだ、最悪の悪女だったのだが、ミイラ取りがミイラというか、歴史の影の大悪女妙采尼に出会って、自分をはるかに超える次元の彼女に、身も心も惚れ抜いてしまい、彼女の側にいるためだけに一切を捨てて最高級娼婦となっていた。当然、諜報機関の方は、自分たちの失敗を必死に隠しまくったため、在日公使も在清大使も、全く何もご存じない。 というわけで、特にフランスの日本公使や在清国大使は、自国の最高級モデルの娼婦に度肝を抜かれ、彼女の美貌と肉体とテクニック、そして同国人である細やかさで、もはや骨抜き、理性抜き。 彼女の柔肌にもてあそばれながら、袁世凱に頼まれて、金と密書を運んで、つてのある新聞記者から、民政治推進党総裁土壌に渡して、うまく日本をはめるように指導されたことまで、事細かにばらしてしまっていた。 しかも、妙采尼直伝の超絶テクニックで干からびるほど絞り尽くされ、記憶まで曖昧になって、何を話したかも覚えていない夢心地で帰っていく。その夢心地を二週間も我慢できないのだから、もはや中毒患者に近かった。もうすぐ二人とも強制送還されるだろうと噂が出ているほどだ。 おかげで、ようやく今回の騒動の裏がつかめた。 「まあ、今は清国と国交も断絶しとるしの。日本にちょっかい出そうと思ったら、他国を経由するしかないわな。それにしても、袁世凱は本気でハタ迷惑なやつじゃのう。」 日露戦争は、想像をはるかに超えて早く終わり、同時にロシアの凶暴無尽の圧力は、清国を絞油機のように絞りあげてくる。 負けじと、欧州各国も絞りあげる力を強め、ありとあらゆる方面から清国の富を絞りだしてくる。 清国をほぼ掌握していた袁世凱は、欧米各国から生きたまま貪り喰われていくような現状をどうにかしたかった。ようやく掴んだ最高権力者の座が、支那大陸のあらゆる財産貪り放題、取り放題の毎日が、まるで指の間からこぼれおちていく水を見ているように、失われていく。 『どーして、どーしてこんなことになるアルかああっ?!!』 さて、少し時間を戻そう。日露戦争開始時である。 一番迷惑で現実的な大戦力を向けるロシアと、支那四千年の王者の名誉を汚し、アジアの盟主の座を蹴落とした憎くて憎くてたまらない日本がぶつかり合うという日露戦争は、袁世凱にとって干天の慈雨、最高のラッキーチャンスであった。戦争が長期化すれば、両者が衰退するだけでは無く、支那大陸に根を張りつつある欧米勢力も弱体化せざる得なくなる。ぜひとも、必ず、絶対にそうなるよう、ありとあらゆる手段で戦争を引き延ばそうと企んだのはもちろんだ。 「うっふっふっふっ、我が国の秘策『二虎競食の計』あるよ。虎の間に餌(情報)を置いて、争わせるアル。これぞ清国四千年の力!。」 「さすがでございます袁世凱様!。」 「日本やロシアごとき、赤子も同然!」 不気味というよりキモさ爆発。 つるっぱげでヒゲばかりふさふさの、馬鹿でかい鼻をしたアブラギッシュな巨体の男が、赤と金を下品にペカペカ全身を飾り立て、服と同じぐらい下品で豪勢な宮殿の中で、気色の悪い笑い声を立てている。腹は太鼓腹、手足は短くぶっとく、足は広げるだけ広げて、自分の局部を極端にもっこりと強調している。よほど自信があるらしい。 これぞ欧米で『ストロング・マン』と、半分笑いものにすらなっている、清国を実質取り仕切る男、袁世凱である。権勢欲や名誉欲が異常に強く勢力絶倫、分かっているだけでも一妻九妾との間に17男14女をもうけているというのだから、何を持って『ストロング・マン』なのかは、どうも考え物だろう。 もちろん、周りは太鼓持ち同然の、ご機嫌取りに命をかける優男ばかりだ。 双方に極秘で協力を申し出て、最初の一、二回は正確な情報を伝え、あとはデタラメを織り交ぜて双方を混乱、内部撹乱、アヘン漬け、ワイロ等で長期化させる準備まできっちり用意していた。 だが、袁世凱ですら恐怖におののいた世界最大級のロシア連合大艦隊は、日本の悪魔巨大戦艦ナガトの活躍で完敗消滅。 「な、な、なんだと?!。これではロシアが圧倒的不利になるではないか。ようっし、ならば我が国取って置きの秘策『駆虎呑狼の計』アル!。これぞ我が清国5千年の力!。」 「さすがでございます袁世凱様!。」 「日本やロシアごとき、赤子も同然!」 日本とロシアが陸戦になったところで、ロシアにこっそり日本の上陸状況や戦力などを伝え、内陸に引き込ませて、海岸沿いにコサックなどの機動力の高い軍をゲリラ的に攻め込ませ、上陸基地を破壊して、日本軍を困憊させ、長期戦へ引き込ませるという作戦だ。もっとも、武田信玄が良く使っていたキツツキ戦法とほとんど同じだが。 ところが、日本軍は要所要所を固めるだけで、大陸内部には少しも入ろうとしない。むしろ日本国内の、机上の空論ばかりもてあそぶ学者先生たちが、じれて内陸へ攻め込むべきだと、戦場すら知らないまま新聞などに書き立てるほどだ。 日本が大陸内部に攻め込まないのでは、ロシアもそして袁世凱も、手の出しようがない。 また、袁の情報よりどう見ても日本の動き方の方が、はるかに正確かつ細密で、痺れを切らして日本の基地に攻め込んだロシアの陸軍が凄まじいばかりの反撃にあい、あっという間に撃退される様子に、遠くから観察していた清国の士官たちは、本気で恐怖に陥るほどだった。 「いくらなんでも、あれはありえねえだろう!、日本兵は一人も死者がでてないぞ!。」 眼を血走らせて絶叫する佐官クラスの士官、そう、雪原に転がっているのは、例外無くロシア兵ばかり。 「ロシアの被害は、あまりに凄まじすぎる。うちの兵だったらあの三割も喰らえば、全員逃げ出して戻ってこない。」 実際、支那の兵はちょっと不利になるとすぐ逃げ出す。後ろに特別な見張り役を置いて、逃げる者を射殺しまくらないと、戦いにならない。 だが、あの凄まじい攻撃にあったら、逆に見張り役と殺し合いをした方がマシだ。 「信じられん、あれだけのロシア軍が、たった1時間で引くしかないだなんて・・・。」 ガタガタ震えながら目を泳がせている士官は、その日の夜に夜逃げした。 緘口令を敷いて口止めしたにもかかわらず、もともと低い清国軍の士気はがっくりと落ちて、夜逃げが相次ぎ、軍備兵糧をしこたま持って、部隊ごと逃げ出す連中もいた。 「お、おのれ、おのれ、おのれええっ。ロシアばかりか我が軍の士気まで落とすとは・・・・どこまで憎たらしいアルか日本軍は!。」 理不尽な怒りを日本軍にぶつけまくり、はげ頭に湯気を立てて考える。お気づきの方もいるかもしれないが、実は元ネタ三国志。だが駆虎呑狼の計から先は、しばらく計略名が出てこない。まして元々が、高級官僚採用試験に2回も落ちてあきらめた程度の袁世凱、長大な三国志の計略などすぐには思い出せない。 「こうなれば・・・こうなれば・・・こうなれば・・・・清国六千年の歴史にかけて、何としても戦争を長期化させてやるね、どこまで行っても終わらない、これぞ『万里の長城』の策アル!。」 「さすがでございます袁世凱様!。」 「日本やロシアごとき、赤子も同然!」 お前ら、実は何も考えていないだろ。 そして袁世凱の絶叫もむなしく、日露戦争はあっさりと終わった。 せめて後の戦後交渉が長引き、火種や怨恨が残ってくれれば、それに乗じてそれをあおってやれたのだが、袁に言わせると日本はどこまでも馬鹿というか阿呆というか、勝者の略奪と暴行をまるで理解しない。争いを起こしたくても火種どころか消し炭すら残っていなかった。 「こっ、こっ、こっ、こっ、こっ・・・・」 「コケコッコでございますか?」 「斬首にしろ。」 うっかり突っ込むことも出来ない主従である。 「こうなれば・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・、そうじゃ、ロシアは敗戦国アル。袁の秘密手帳持ってくるヨロシ!。」 金の盆にのせて持ってこられたのは、『猿之秘蜜手帳』と小汚い字で大書された、赤と金のギラギラピカピカの薄い手帳である。 いろいろ間違っている気がしないでもないが、命が惜しいので誰も突っ込むことはしなかった。 「わしの秘密情報によ〜れ〜ば〜」 べろりと指を舐めながら、べたべたの指先でめくるページがかなりくっついている。 「今度のロシア皇帝ニコライ二世は、かなり頼りない性格だと聞いておる。叔父にはすでに50過ぎで、しみったれた足の引っ張りばかりして、何とか皇帝になりたがっているオンドル侯爵とか言う朝鮮の暖房みたいなのがいたはずアル。」 もちろん、ブンドル侯爵のことである。 「よし、このオンドルとやらにお家騒動のための資金を渡すのじゃ。それも少々ではならん。『あなた様こそ、大ロシアの皇帝にもっともふさわしい方と存じております』と添えて、オンドルが皇帝をぶっ殺せるぐらいの金を渡してやれ。さすれば・・・ロシアは大混乱、国内で騒乱が起これば、ロシアの動きは止まるはず。その隙にさらに内乱をあおり、出来れば革命ぐらい起こすのじゃ。これぞ清国七千年の英知の策ぞおおっ。」 「さすがでございます袁世凱様!。」 「日本やロシアごとき、赤子も同然!」 もはや突っ込む気も失せるが、こういう鬼畜な陰謀となると、頭の血の巡りが良くなるらしい。もはや骨の髄まで陰謀策謀が染み付いているのだろう。 ところが、なぜかロシア側で関係した者が次々と消え、お家騒動の一番の火種だった皇帝の叔父まで、原因不明の急死でいなくなった。さしもの袁世凱も、 『いったい何が起こっているのだ?!、あの国には妖怪か化け物でもいるのか?!』 と恐怖する。 しかもロシアは急に冷たくなり、ワイロや国書の効果がほとんど無くなった。 ぞくぞくと、満州鉄道で押し寄せてくるロシアの大津波。それに本気で恐怖し始めた袁世凱は、必死で鉄道を返してもらえるように交渉しようとしたが、時すでに遅し。全く相手にしてもらえなかった。 しかも、ロシアの国内事情が、変転を始めている。 皇帝が個人資産で購入した支那大陸の端の半島は、新たなフロンティアとしてロシアの民に、驚くほど速く口コミで広がり、夢を与え出している。さらに、その西には大陸が広がっていることが、新たに民の夢として広がりだしている。 莫大な金紛失をひた隠し、ロシア始まって以来の国内投資を必死にすすめる官僚と貴族たちは、投資の相手である民たちと、多く接触する機会が増え、それと知らずに民をあおっていた。 たとえ、何かの間違いで袁世凱の交渉が功を奏したとしても、動き出した民の意欲は、もはや止められない。 国内投資はさらに様々な副次的効果を及ぼしていく。 これまでめったに見なかった領主が、頻繁に新たな開拓地や用水・かんがいの視察など、頻繁に視察に回るようになったのは、働く者たちにとっては驚きであると同時に、領主への愛着が増えていく。逆に領主もまた言葉を交わし顔を知ると、次第に情がわいてくることになる。 そして皇帝陛下の日常が、知らず知らずのうちにロシアの民たちの間に伝わり始めていた。 『なんか、昨日は陛下えらい頭痛で、大変だったらしいの。』 『だけんど、閲兵式にはきち〜んとでてあったらしいど。』 『それがなあ、真っ青な顔で、後でまたひっくり返ったとよお。』 笑いながらも『オラの陛下』への愛着は、次第に湧きおこりつつあった。 神聖で、畏怖すべき対象ではなく、新たな国作りの中で、人々の中で輝く存在として。 親衛隊である近衛部隊が、厳しい選抜式となり、当然一般人からも増えて来たためである。また必死に挑む下級貴族は、裕福で無い者が多いので、庶民と良く交わる。皇帝の日常がごく普通に広まるのも無理は無かった。 上下身分が解離し、国内が硬直化していたロシアに、かすかなヒビが入り始めていた。 もし、今のロシアの光景を見たら、吉備真吉備は何と言っただろうか?。 そして、間に合うのだろうか?。 歴史の歯車は速度を上げ、新たな世界は古い秩序を容赦なく破壊しようとしていた。ロシアの変化は、柔軟なる変転となるか?、曲がり切れず激突大破するのか?。それはまだ誰にも分からない。 ただ、今の段階で、清国はロシアと直接対決だけはぜっっったいにしたくなかった。 国より何より、自分の命。 ついにロシア対策をあきらめた袁世凱は、再び日本の方を向いたのだった。 それが今回の角無島騒動へつながっていた。
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