■ EXIT
ウォーリーをさがせ・序章


序章 ウォーリー、降伏する。


1.一八九九年十二月 幕張―日本

既に同時に潜入した部下たちは全てやられてしまった。ようだ…
男は物陰に身を潜めながら苦笑した。
大して誇れるような人生をすごして来たわけじゃない。
“貴族”と呼ばれる家の三男坊として生まれた。妾腹だけど。
貴族だから、と言う訳ではないが、金の心配をすることなく高度の教育を受けることも出来た。
そのまま行けば父の跡を継ぐのは無理でもそれなりの安穏な生活を送っていけた。かもしれない。
だが、オックスフォード在学中、ひょんなことから知り合った男がやっていた“諜報活動”の昏い魅力にとりつかれ、卒業後はロイズ保険の調査員を隠れ蓑にして世界を渡り歩いた。
それなりに“業界”で名が売れるようになって、この“仕事”を受けてしまった。

そう、“受けてしまった”のだ。

「極東の新興企業。どんな断片でもいいからその秘密を探ってほしい」
簡単な仕事に思えた。それまで回ってきたアジア諸国=フィリピン、清国、朝鮮半島=と比べても大した違いはない。
そう、思っていた。
正直、舐めていた。
だが…
東洋の小国、日本の新進気鋭の企業帝国重工。その幕張にある工場群に忍び込んだ男とその部下たちを待ち受けていたものは…

どこへ逃げても的確に察知され追ってくる上に少々攻撃を加えても堪えた様子のない警備兵と異形の機械兵器群(思わず「一体それどこのウェルズだよっ?」と叫んでしまった)。 
常に頭に響き思考と集中力を殺ぐ怪音波。
音を出すべきではない事は解ってはいたが、仕方なく撃った拳銃も、撤退時のみ使用すると決めていた煙幕弾も通じず、まるでこちらが視えているかのように迫ってくる追っ手たち。
荒事は慣れている。好きではないが。とはいえどっちかというと俺は頭脳労働担当だ。こんな化け物相手が悪すぎる。

ウェルズの小説に出てくるような化け物に人間は勝てない。人間は病原菌ではないのだから…

周囲を静々と囲んでゆく無言の兵隊と異形の機械たち。
眩しいサーチライトの光に照らし出され、男は諦念を交えた微笑を浮かべながら拳銃を放り捨て、ゆっくりと立ち上がり、両手を高く上げた。
『ま、爺様にかわいがられているとはいえ家は兄貴たちのどっちかが継ぐんだし、俺一人ぐらいどうかなっても、どうってことないよなあ?』
それが、英国植民地省を通じて雇われた非合法員、ウォルター・ドーソンと名乗っていた男の…最後の思考だった。


2.一九〇〇年一月 ダウニング街―大英帝国

植民地相ジョセフ・チェンバレンはその日の仕事を終え、事務局より回されてきた二頭立ての馬車に乗り込んだ。
予定通りの帰宅で特に問題はない。
はずだった。
が、気づくと馬車はいつもの道ではなく、どこか見覚えのない街角を走っている。
彼らしくなく慌てて馬車の扉を開けようとするも―開かない。
ばかりか、御者席側の小窓から勢いよく薄い煙を噴出す黒い小さな円筒を投げ込まれ、しばらくは咳き込んでいたものの意識が薄れ…
きつい臭いがして気づくと頭には黒い布袋が被せられ、手足は椅子―座り心地だけは良い―に縛り付けられていた。
周囲には彼を含めて数人の人がいる気配がする。被せられた袋のおかげで何も見えない。
『お目覚めのようだね、チェンバレン君』
静かで深みがあり。そして人に命令し慣れているように感じられる声がチェンバレンにかけられた。
「き、貴様は誰だ? 私は…」
『植民地大臣ジョセフ・チェンバレン。よく知っているとも』
「ぐ…」
 言葉に詰まるチェンバレン。
『私たちについて詳しく話すことは出来ない…そうだな…仮に“ディオゲネス・クラブ”のメンバーだ。と言えば解っていただけるかな?』
 静かな声が笑いを含んだ声で続ける。

ディオゲネス・クラブだと?
ま・さ・か?
あれはあの流行りの小説の中だけの嘘(フィクション)ではなかったのか?
もし…実在するとしたら…こいつらいやこの方々は“影の政府運営機関”! いやまさか実在するなんて信じられない、だが帰宅時に乗った馬車は流しの辻馬車ではなく、事務局より回されてきた正規のものだった。と言う事は私一人ぐらい簡単に行方不明に出来るだけの“力”がある組織ということで…本物なのか?
混乱する思考の中、普段は自分が命令する立場にあるチェンバレンは、どうやら自分よりも“上”の者たちに囲まれている。と感じるのは間違いではないように思えた。

『医者崩れの三文作家風情がどこでどう私たちの事を知ったのかは別にどうでもいい。君たちが独自に諜報活動をするのもかまわない。勝手にしろ。それが私たちの立ち位置だ』
静かな声はかすかに笑いを含んだまま続けたが。
『だが!』
ここで声は厳しさを見せ、チェンバレンは威圧感が高まったのを感じた。
『送り込む人間の身元調査ぐらいはしっかりやってもらいたいものだ』
「み…身元調査…ですか?」
 思わず敬語になってしまうチェンバレン。
『そうだ。君たちが送り込んだ調査員の中に、こともあろうにとある貴族の子弟が混じっていたのだ!』 「え?」
『しかもだ、本人は知らなかったようだが先日某国で両親と兄二人が客死、祖父は引退していたが仕方なく復帰し、残された孫息子の行方を捜している』
『本来なら私たちが出る幕ではなかった。だが、その祖父が“陛下”のご友人であったのだ』
 静かな声は苦々しげに続ける。
『単なる貴族であれば別にどうでも良かった。だがそれが陛下の友人であったこと、そして“陛下のお願い”とあっては私たちも動かざるを得なかった。早速あたってみたところ…君たちが昨年冬、日本の帝国重工に送り込んだ連中の中に、その名前があったのだ』

「………」

一八九七年の『赤い八月』事件を発端とする一連の騒動で著しく海軍や上層部の信用を失い、南アフリカの植民地運営に注力する事でようやく立ち直ってきたチェンバレン自身は、日本に手を出すのを極力控えてきた。いや避けてきた、恐れていたと言い換えてもいいぐらいだ。
だが、その復権を手助けしてくれた“友人”達の中には『どうしても』帝国重工の情報が得たい。と言う連中がおり、『いろいろと』世話になっている関係上、植民地省を通じて新たに調査員を送り込む程度の便宜は図らざるを得なかった。あくまでも『送り込む』だけでそれ以上関わらないことを相手には納得させた上で、だ。
しかし、どうやらそれがまた、チェンバレンを窮地に追い込んでしまった。ようだ。
『あの国は私にとっては鬼門だ…』
己の運のなさに内心激しく悲嘆するチェンバレンである。

チェンバレンはただひたすら冷や汗を流す。
「で…わ…私に何をしろ…と?」
『協力しろ』
声は冷たく続ける。
『明日夕刻、一人の男がお前を訪ねる。名は…そうだな、“ハワード・シェリングフォード”と名乗らせる』
「ハワード・シェリングフォード…」聞いたことのない名である。『名乗らせる』と言うことからもたぶん本名ではなく偽名なのだろう。
『私たちは極力表に出る事を避けている。植民地省とお前の名で彼を出来る限り支援しろ』
『私たちも独自にあの国には情報組織を持っている。だが、こんな些細なこと、しかもお前たちの尻拭いでこの組織を動かすわけには行かないのだよ』
『かと言ってお前たちの送り込んだ連中は『赤い八月』の件でもわかるように今まで失敗続き。そこで…』
『私たちの手駒の中で最も信頼する男を提供する。お前たちは支援するだけでいい』

要するにこう言う事か…
日本に送り込んだ調査員が行方不明。これは今までと同じだ。
単なる傭兵だったら問題なかった。が、今回はまずい事に中に貴族の子弟が混じっていた。
お陰で我々が“陛下のお願い”で探さなければならなくなってしまった。
これは送り込む傭兵の身元調査をしっかりしてなかったお前らが悪い。責任取って探せ。
でもお前らは腕が悪い。失敗ばかりしているではないか。
仕方がないから腕利き貸し出してやる。代わりに支援して諸経費持て。

要するに“彼ら”は表に出ることなく植民地省を利用し、日本で、そして必要とあれば他国でも人探しをしようというのだ。
「こ…断ったら…?」
おずおずとチェンバレンが言いかける。
『私たちは“依頼”しているのではない。“命令”しているのだよ。チェンバレン君』

その声はそれまで以上に冷たく響き、チェンバレンは思わず背筋が強張るのを感じた。


3.一九〇〇年三月 東京―日本

横浜税関東京税関支署。
入国審査を受ける英国人が一人。
長身―少なくとも百八十センチ以上、痩せ型、鷲鼻、角ばった顎、鋭い目付き。
パスポート上の名は“ハワード・シェリングフォード”四十六歳。
職業、調査員。
滞在期間、未定。
そして…

来日目的、“人探し”。
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【あとがき】
ども、社怪人です。

日本帝国及び帝国重工の“敵”側から見た話と言うのを思いついたので書いてみました。
登場人物のモデルは…もう解る人には解りますよね(笑)
思いついたのはここまで。

先の展開は…まぁそれなりに考えてはいますが文章にまとめるほどもない。 楽しんでいただけましたら幸いです。

あと、序章2と同3との間にいろんな事があったんですが、あまり本筋とは関係ないんで省いてます。 もし読みたいとおっしゃる方が多いなら番外編ででも書かせていただきます。

言うてもこれも“漠然と”考えてる程度なのですが。
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