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帝国戦記 第三章 第15話 『条約戦終結』(仮)


金を稼がんとせば、金を使わねばならぬ

ティトゥス・マッキウス・プラウトゥス







日本帝国と三国間条約の間で行われていた戦争が1905年12月5日に終結する。
戦争終結の時点で日本帝国の立場は大きく変わっていた。

列強国に攻められた新興国に過ぎなかった日本帝国は逆に相手の一部の領土を手に入れ、挙句の果てに海軍戦力は世界第二位にまで成長していたのだ。日本帝国の地位上昇は世界帝国のイギリス帝国ですらも正式に認めている。戦前にこのような展開になると予想していた者は諸外国に於いては誰も居なかった。

日本帝国の戦勝に心から悔やんでいたのはアメリカ合衆国である。

何しろロシア帝国から支払われるはずだった4600万ルーブル中の残り2600万ルーブルと一定条件下における戦艦損失時に生じる保障金も、ロシア帝国が対日戦に戦勝した際に支払われる条件だったので、日本の戦勝では1ルーブルも得られない。

また、交渉当初は日本側は禍根が残らない様に引き分けや和平という勝利者が曖昧な形での終結を望んでいたが、プレーヴェはこれ以上の出費を避けるため、幾つかの譲歩を日本に持ちかけることで日本の戦勝になっていたのだ。

こうしてアメリカ合衆国を除く各国はイギリス帝国、日本帝国、ロシア帝国、ドイツ帝国、フランス共和国を、世界の政治、経済、軍事でリードする大国、5大国として認識するようになる。

列強のイタリア王国やオーストリア帝国が5大列強から除かれたのは義勇艦隊の打撃に伴う海軍力の低下と国力の小ささが災いしていた。戦争に介入しなかったほかのオスマントルコ帝国やスペイン王国のような国も国力及び軍事力の面から除外されている。 そして、巨大な潜在力を有するアメリカ合衆国は、自国の最新鋭戦艦を集めた義勇艦隊の壊滅に伴って国際発言力を低下させてしまい、二つの大洋に挟まれた巨大な未開の島国という認識しか世界に示す事が出来なかったのだ。

ともあれ、停戦条約の合意と共に結ばれた和平条約は次の様になった。

戦争の発端となったロシア帝国からはサハリン島、ラザレフ地方、ハバロフスク沿岸部(アムール川から東部、北のシャンタル諸島から南のシホテアリニ山脈までの範囲とジュグジュル山脈の採掘権)、シャンタル諸島、チュクチ半島、カムチャツカ半島、チュクチ、ノヴォシビルスク諸島、ウランゲリ島、ノヴァヤゼムリャ島、コルグエフ島、ゼムリャ・フランツァ諸島、その他(ベーリング海、チュクチ海、東シベリア海、ラプレフ海、カラ海、バレンツ海に及ぶ大小の島々)が日本圏(日本領、公爵領の総称)への編入となる。極東に於ける制海権の大半を喪失する事となった。

3億2500万フラン(約19.5億円)が領土権の購入代金として支払われるが、その代金はフランス共和国が保有する対露借款の返済として全額がフランス政府へと支払われる事となった。かつてロシア帝国がアメリカにアラスカ売却費として受け取った金額の2割程度だったが、戦争の発端になった佐世保港攻撃による目減りと、売却地の多くが過疎地及び僻地だった事が、この価格に収まっていたのだ。

ドイツ帝国領からは、ニューブリテン島、ニューギニア島北東部(オーエンスタンレー山脈とビスマルク山脈の境目から北部)、アドミラルティ諸島、ビスマルク諸島、西サモア、その他ドイツが保有する西サモアを始めとした太平洋地域に於ける諸島が日本圏への編入となり、2850万ルーブル(約2億円)が領土権の購入代金としてドイツ帝国に支払われる事になった。ただし、こちらに関しては3年後に支払いとなる。

フランス共和国領からは、ニューカレドニア、コーチシナ(ベトナム南部)、南沙諸島、ディエゴ・スアレス、ノシベ島、ユローパ島、フランス領南方・南極地域、サン・バルテルミー島、ラ・ロシェル地域が日本圏へと編入になった。領土権の購入代金として2億円相当の正貨がフランス共和国へと運ばれる事になる。

これらの3国に対する支払の9割が帝国重工が負担し、残りは帝国政府が支払う。しかも増税によって予算を確保するのではなく、1904年8月5日に獲得した徳川幕府の埋蔵金から捻出されるので国民に対する負担は無い。購入額の負担により、帝国重工が少なくとも欧州に於ける大財閥に匹敵する資金力を有している事を世界が知る事となった。














1905年 12月11日 月曜日
ロシア帝国のプレーヴェ内務大臣が戦争の責任をとって辞任。




1905年 12月15日 金曜日
日本領南極大陸、明治基地が完成。




1905年 12月17日 日曜日
ロシア帝国、社会革命党によるテロ活動が活発化。
セルゲイ・アレクサンドロヴィチ大公が社会革命党戦闘団によって暗殺される。




1905年 12月20日 水曜日
アーヴァイン商会ロシア支社は献金とこれまでの功績から、特別にニコライ2世の許可の下、社会革命党によるテロ活動から身を守るためにロシア国内に於いて傭兵の雇用を開始。 また、元・ロシア内務大臣のプレーヴェがロシア支社の顧問として招かれる。




1905年 12月25日 月曜日
日本帝国軍、鵜来級海防艦(輸出型)の設計を完了。




1906年 1月7日 日曜日
公爵領ラ・ロシェル、ロシェル・イルド・レ空港が開設。
日本フランス間の空路が開通する。日本とフランスに於いて帝国重工が運用する4式飛行船「銀河」を改修した旅客飛行船「飛鳥」の客室乗務員が広報事業部のモデルに次いで女性の憧れの職業となった。

史実に於いて3年も早い実用型旅客飛行船の誕生である。




1906年 2月19日 月曜日
イギリス帝国のコンノート公アーサー王子が防護巡洋艦ダイアデムにて来日。




1906年 3月17日 土曜日
台湾、嘉義梅山地震が発生。
帝国重工による前々から進められていた地震対策と帝国軍、国防軍の迅速な行動によって1904年11月4日に起こった雲林斗六地震と同じように被害は最小限に留められる。強襲揚陸艦による支援体制と翌々日から建設が始まった災害用仮設住宅の存在が各国を驚かせた。




1906年 3月29日 木曜日
社会革命党戦闘団がアーヴァイン商会ロシア支社を襲撃するも、傭兵からなる警備部隊によって撃退される。




1906年 4月18日 水曜日
米国、サンフランシスコ大地震が発生。




1906年 4月22日 日曜日
ギリシャのアテネで、近代オリンピック開催10周年記念の特別大会が開催。




1906年 4月24日 火曜日
帝国重工の勧めにより、タイ王国海軍は
2隻の鵜来級海防艦(輸出型)の購入の検討を開始。




1906年 5月11日 金曜日
アルゼンチン海軍は日本帝国に対して正式に薩摩級戦艦2隻、鵜来級海防艦(輸出型)4隻の購入を打診。









1906年5月24日 木曜日

戦争責任を取って辞任したプレーヴェの後を継いで内務大臣になったミルスキーは大臣執務室でアーヴァイン商会の代理人であるアルバート・パウエルを迎えて会談を行っていた。アルバートは40歳に達するドイツ系の男性で、男性用礼服であるフロックコートを見事に着こなしている。


「フランスに対する返済も順調そうでなによりです」

「売却金をそのまま返済に充てられた事に対する皮肉かね?
 第一、そう仕向けたのは君たちだろうが…」


ミルスキーはアルバートの皮肉にしか聞こえない言葉に辟易しながら応じた。
完全な嫌みに感じさせないのはアルバートが知能と度量を備えた人物だったからである。


「我々もフランスで商売を行っており、彼らの声を無視できません。
 あの件に関しては借款支払いが大きく進んだと思えば良いでしょう」

「否定はしないよ…
 欲を言えば、半分でも我が国に入ってくれば良かったのだが、
 あれが無ければフランスは戦争の損失補てんから、
 彼らからの取立てが始まっただろう」

「でしょうな」


ロシア国内には、工業化を支えるだけの融資を引き受けられるほどの強力な金融資本が無く、借款による開発資本の獲得か外資による開発を頼るしかなかった。そして、その担い手の多くがフランス資本だったのだ。

最近はアーヴァイン商会のような新興大企業の追い上げが激しいが、総量は未だにフランス資本が勝っている。ロシア国内に於いてアーヴァイン商会の発言力が大きいのは各貴族や有力者に対する献金と大口融資を極めて効率よく行っていたからに過ぎない。最低限の投資で最大限の利益を得ているともいえた。また、ロシア国内のインフラ整備にも熱心であり、帝国重工に次いで評判が良い企業でもある。

確かにロシア帝国の貴族資本は膨大だったが、その多くが土地や国内利権だった。それらには大きな価値はあったが、安易に国外に売りだせるようなものではない。そして開発資金を得る為に増税を行えば、生活の厳しい一般層の不満を高めるだけで反乱に対するカンフル剤にしかならないだろう。


「で、話を戻そう。
 貴公らは投資の条件として我々に何を要求するのか?」

「話は変わりますが、日本と再戦するつもりはありますか?」

アルバートの言葉に温和なミルスキーであったが、
怒りを隠さず声を大きくする。

「馬鹿な! あのような危険な国と戦えるわけが無い。
 今更ながらだが、あの戦争で帝国重工の力が嫌と言うほど見せ付けられた。
 負けはしないだろうが、勝てない戦いは疲弊するだけ……
 幾ら貴公らの頼みでもそれだけは無理だ」

「そう、ミルスキー殿、それが理由です。
 本当ならば本国に歩み寄って欲しかったのですが、
 ヴィルヘルム2世陛下は黄禍論という思想に取り付かれております。
 陛下の行動によって日本側が態度を硬化させてるのが良くわかる。

 故にロシアには更なる親日を掲げてもらい、
 日本…いや帝国重工をプリモルスキー地方の開発に引き込んで欲しいのです。
 彼らはイギリスと違ってインド大陸のような大規模策源地を有していない。
 そして資源を必要としており、その点から共存は可能でしょう」

「ふむ、確かにそうだな」

有効性は認めざるを得ない。
だが、真意は何処にある?

ミルスキーはアルバートの言葉に集中する。

「幸いな事に我が社と帝国重工との関係は良好なものになりつつありますが、
 それもフランスを通して行っているもので、チャンネルが限定されています。
 関係をより良好なものへと進めていくために、
 その開発に乗じて帝国重工との関係改善をより進めていきたいと…

 これは貴国にとっても悪い話ではない筈。
 既に西の海路をイギリスに抑えられ、残った極東海域も日本の管理下にある。
 このままではドイツだけでなく貴国も有益な通商路を失う事になるでしょうな」

「確かに帝国重工を引き込めれば、我が国にとって損は無いな。
 投資を行って貰うだけでもありがたい」


商会の言いなりになるのは面白くは無かったが、ミルスキーにとっても国内投資が増える妙案として悪くないものに思えた。ミルスキー自身が熱望する辺境開発の助けにもなると。

それに、アーヴァイン商会の案を進めれば形なりにもフランス追従にもなる。 戦時国債で迷惑を掛けたフランス対する多少なりともお詫びにもなるだろう。

ミルスキーの考え通り、和平後、フランス共和国に於ける対日強硬派は国家に与えた損失の大きさから政府、軍部を問わず軒並みに失脚しており、親日派や穏健派ばかりが残っていたのだ。政府方針も親日路線へと変更となっている。 また、帝国重工がイギリス帝国とドイツ帝国に集約させていた仲介貿易のうち、ドイツに振り分けていた分をラ・ロシェルに移した事によってフランス経済は良好な状態に移りつつあった。そのような経済事情と工作商会による介在もあって、フランス世論に於ける対日感情も悪くない。

これ等の事から余程の事が無い限り、フランスの方針は変わりそうもなかった。

このような戦略環境の変化によって、帝国重工が仲介する形で日本のみならず北欧、フランス、東南アジアに恩恵がある海賊や海上災害での協力体制の構築が進められていたのだ。

これは最高意思決定機関が進めている海洋秩序の始まりでもある。
構想としては次の様になる。

ノルウェー海からボスニア湾を北欧諸国の各海軍艦隊
地中海をフランス艦隊
大西洋をフランス艦隊と国防艦隊
インド洋と太平洋を帝国艦隊と国防艦隊

これら4グループが海賊や自然災害から通商路を守るのだ。
一部海域では既に始められている。

タイ王国も日本側に接触を始めており、彼らの参加は時間の問題だった。

ミルスキーはため息ながらに応じる。


「親独派のドゥルノヴォがごねそうだが…現状を考慮すれば仕方が無いだろう」


ドゥルノヴォとはドイツ協調路線を掲げるピョートル・ドゥルノヴォの事である。彼は時あるごとに英仏両国との関係改善に反対し、ドイツとの同盟に賛成した人物であった。英仏の件はともあれ、ドイツとの戦争が国家にどの様な惨劇を招くかを戦前から見抜いていた人物である。


「で、君らが行う投資額からして、
 我々に求める要求はそれだけではないだろう?


アルバートはミルスキーの問いかけにカバンから地図を取り出して机の上に広げてから 対して恭しく口を開く。


「仰る通り、もう一つあります。
 単刀直入に言いますと、1億5000万フランでマリインスカヤ川を境界線として、
 この3地域一帯を我らに売って頂きたい」

「なんだと!」


ミルスキーは再び声を大きくする。

地図にはデ・カストリ、ペルムスコエ、ガヴァニ・インペラトラ・ニコラヤペルムスコエを囲むように赤いペンで印が付けられていた。共有点と言えば、殆ど開発が進んでいない辺境という点であろう。デ・カストリは日本領ラザレフに近く、紛争地帯の候補地にも挙げられており、外資による開発は絶望的でもある。

声を大きくしたものの、ミルスキーは直ぐにあの未開発の一帯を手放すだけで1億5000万フランの大金が手に入るなら悪くないとも思った。特に国内正貨が大幅に減少している中での外貨獲得の意味は格別に違う。それに自由主義的な改革を推し進めるテストケースにも相応しいかもしれないと。

何しろ紛争候補地を抜きにしてもデ・カストリは天然の良港を有する要衝と為り得る土地だったが、辺境ゆえに小さな集落しかなかった。 1858年のアイグン条約でロシア領となったペルムスコエも似たようなもので、アムール上流やオホーツク海への水運に恵まれていたが、この一帯の中心都市ハバロフスクからの距離は356kmも離れており、しかも一つの村しか存在しない辺境である。

ガヴァニ・インペラトラ・ニコラヤペルムスコエ(ソヴィエツカヤ・ガヴァニ)は天然の良港を有し、木材伐採所と海軍の哨戒基地であるコンスタンティン・ニコラエヴィッチ大公哨所が設けられているものの、それ以上の開発が行われていない土地だった。

それぞれの土地は開発を行えば大きく発展しただろうが、ロシア帝国の国土は広大過ぎた為に、このような辺境にはなかなか投資する事は出来なかったのが現状である。


「応じて頂ければ、この新領土がロシアに利がある様に取り計らいましょう。
 その証拠に皇族の誰かをお目付け役としてお迎えしても構いません」

「ふむ……一種の公国領というわけか?」

「左様です。
 万が一、ドイツが貴国と敵対すれば、
 その公国は貴国のために動く事になるでしょう」


ミルスキーが思考に沈む。
急かすつもりの無いアルバートの配慮もあって、場に沈黙が満ちる。

投資に加えて、1億5000万フランの売却金は大きい。
その資金があれば更にインフラ整備が進むだろう。

しかしアーヴァイン商会の目的は緩衝地帯を介して帝国重工とのパイプ確保なのか?
アーヴァイン商会が帝国重工のような存在になってくれればメリットは大きいが、それが本当の意味でロシアの利益にならなければ意味が無い。探ってみねばならぬな。

ミルスキーはそう思うも、
結論からいえば、そのような考えは杞憂だった。

アーヴァイン商会は帝国重工の工作商会であったが、領地を得る目的はハバロフスク地方の開発拠点にするのと、やがてロシアで起こるだろう共産革命の際にロマノフ王朝を援護する為の備えである。そしてアーヴァイン商会はこの会談だけでなく、多方面からロシア帝国議会や皇帝などに働きかけていくのだ。こうして数々の政治工作を経て小国ながらも豊かなシベリア公国が誕生する下準備が整えられていく事になる。




第三章完


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【あとがき】
地図の海域がかなり大雑把ですが、これよりマス目を細かくすると分類の労力が4倍以上に跳ね上がるので、このぐらいでご容赦ください^^;


【タイ王国海軍ってこの時期に軍艦を買う余力があったのでしょうか?】
彼らが購入に乗り気なのは代金として資源支払いが可能なことと、購入を行えば帝国重工が前の戦争で鹵獲した戦艦カイザー・ヴィルヘルム2世(現在、帝国軍の兵装に変更し、海防戦艦になるように改装中)の格安提供が提示されていたのが原因です。

また、タイ王国海軍が購入する鵜来級海防艦の艦名はメクロン、ターチンとなるでしょう。海防戦艦の提供が実現すれば名前はラタナコシンドラかな?

区切りが良いので予定を繰り上げて、第三章をここで終えることにしました。
これまで帝国戦記を読んでくれた人に感謝です!


【シベリア公国の首班は誰がなるの?】
現在のところはニコライ・ミハイロヴィチ大公かオリガ・ニコラエヴナ皇女を予定にしています。規模としてはミラノ公国級になるかな? 生半可な介入ではロシア革命は止められないので、このような安全圏を用意します。シベリアに逃げてきた白軍の後方支援地にもなるしね。


意見、ご感想を心よりお待ちしております。

(2011年07月21日)
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